2013 Volume 2013 Pages 573-598
2012年はアメリカで大統領選挙が行われた年であり,アフガニスタンの軍事的・政治的な動向も当然ながらさまざまな形でその影響を色濃く受けた1年間であった。
11月6日に行われた選挙では民主党のオバマ大統領が再選され,2014年末の米軍撤退完了に向けた対アフガニスタン政策は継続することが決定的になった。もっとも国際治安支援部隊(ISAF)に兵を送っているアメリカと北大西洋条約機構(NATO)構成各国の国民にとってイラク戦争,アフガニスタン戦争と11年以上も続く戦争に対する厭戦気分は否定し難いほどに大きく,たとえオバマ大統領の再選がなかったとしても当面アフガニスタンからの撤退計画は継承されざるをえなかったであろう。
だが実際にオバマ大統領が再選されたことで,今後アフガニスタンでどのような不測の事態が起きようとも,2014年末の完全撤退とこれに連動するターリバーンの政治的復権を既定の事実として,あらゆるプロセスが進行するようになったことの意味は決して小さくない。
このような視点からアフガニスタンにおける2012年の事態の推移を改めて見直してみると,アフガニスタンを巡る内外の利害関係者の判断と行動は,ほぼすべて2014年末のISAF撤退前後のプロセスにおいてどのようなポジションを確保し,自らの利益を確保するかという打算と交渉の過程とみることができる。
その意味では2014年末の撤退プロセスはすでに始まっているものとみなすことが可能である。それは9月末の米軍3万3000人の撤退とも軌を一にしつつ,もはや後戻りのできない外部的要因としてアフガニスタン国民の歩みを今後長年月にわたって制約し,また決定づけているのである。
2012年のアフガニスタンを巡る政治情勢は,1月末のアメリカとターリバーンの交渉開始から始まった。まず1月3日にターリバーンの指導者から「湾岸カタールでの事務所開設に暫定的に合意した」との発表があり,アメリカが進めようとしている和解プロセスに向け,従来の姿勢から大きく踏み出した。1月22日にはアメリカ使節団のマーク・グロスマンがカーブルで会見し,カタールで週内にターリバーンと交渉開始との観測を一旦否定した。その後ターリバーン側から4~8人の代表がアメリカとの予備交渉のためパキスタンからカタール入りとの発表があり,この時グロスマン特使もすでに数日前にカタール入りしていた。
この時点におけるターリバーンの主要な要求事項は,(1)ISAF・米軍基地およびグアンタナモ収容所に収監されている高官捕虜の解放,(2)米軍特殊部隊による夜襲作戦などのいくつかの軍事作戦の中止などだったとされ,これらの要求はアメリカ側にとってもさほど困難な内容ではなかったものと思われる。
他方で,対ターリバーンの交渉において存在感を示したいカルザイ政権としては,彼らとの交渉を独自に模索しており,1月29日にはターリバーン側とサウジアラビアで交渉を開始する予定と公表したが,これに対してターリバーンは沈黙を守った。さらにカルザイ政権はアメリカとも交渉の約束を取り付け,2月16日にはカルザイ大統領がパキスタンを訪問してターリバーンを加えた三者間交渉への支援を要請している。
こうして対ターリバーンの非公開の交渉が現実に進行するなか,アメリカの対アフガニスタン政策を疑問視するような内容のNATO報告書「2012年のターリバーンを巡る状況」がBBCと『ニューヨークタイムズ』紙に2月初めにリークされた。この報告書ではターリバーンほかの捕虜4000人への2万7000件に及ぶ質問をもとに,(1)米軍はターリバーンを交渉のテーブルにつかせることができるか,(2)ISAF・米軍の軍事作戦はアフガニスタン政府に対する国民の支持を増大させるか,(3)ISAF・米軍の撤退後,アフガニスタン国軍がその役割を代替できるか,といった主要な問題について否定的な結論を導いている。
さらに基本的な問題は11月の大統領選挙を控えるアメリカ側の事情をターリバーンが熟知しており,交渉自体を軍事的な駆け引きの材料に用いようとしたことであった。アメリカとしては,ターリバーンと交渉を始めたもののターリバーンによるアフガニスタン市民および駐留軍に対するテロ攻撃が止むことはなく,ターリバーン側がどの程度真剣に交渉に臨んでいるのか疑問を呈するような状況であったと思われる。
その後2月20日にアメリカ兵によるコーラン焼却事件が勃発し,アメリカとターリバーンとの直接の交渉は一旦打切られる。
アメリカ兵によるコーラン焼却事件とその反響問題のコーラン焼却事件は,パルワン州にあるバグラム・アメリカ空軍基地で2月20日に複数のアメリカ兵がコーランを焼却したことが表面化したことから,基地の周辺で抗議デモが拡大した。事態の深刻化を懸念したアメリカ政府はパネッタ国防長官が即座に謝罪を表明し,オバマ大統領もカルザイ大統領に謝罪の書簡を送った。
だが,その後もイスラームの聖典に対する冒涜に激しく反発する国民感情を背景に,22日以降デモは全国的に拡大し,抗議デモ5日目の25日にはカーブルの内務省内でアフガニスタン人警官らしき男による発砲事件が発生,アメリカ人顧問2人が死亡するという事態に至った。また同日,クンドゥズ州の国連事務所を市民500人が襲撃,2日後には同地から外国人職員が撤収している。この間の抗議デモでアフガニスタン全土の犠牲者も28人に上った。
その後2月27日にはナンガルハール州ジャラーラーバードのNATO空軍基地で自爆テロが発生,市民6人を含む9人が死亡した。この事件ではターリバーンが「コーラン焼却事件への報復」と犯行を表明している。
この種の事件は2011年の4月1日にも発生しており,この時はアメリカ人牧師のフロリダ州でのコーラン焼却に抗議するデモだったが,デモ隊が国連事務所を襲撃して外国人スタッフ7人を殺害した。だが,こうしたコーラン冒涜への激しい反発に比べて,その後の3月11日に発生したアフガニスタン市民多数の人命を奪う事件では目立った抗議運動が起きていない。この事件ではアメリカ兵が未明にカンダハール州パンジュワイ地区の民家で銃を乱射,市民16人が死亡している。これに対しオバマ大統領が犠牲者への追悼と事件の調査を約束,ターリバーン側はアフガニスタン国内での裁判を要求したのである。
コーランの焼却に対しては抗議運動の渦が即座に全国的に拡大する一方,市民16人の惨殺に対しては沈黙を守るという事態に対して,アメリカ国内ではアフガニスタン人の宗教観と価値観を巡る「解り難さ」を指摘する声とともに,アメリカが10年間の戦争で多数の戦死者と数億ドルの戦費を支払ったにも関わらず,アフガニスタン人の基本的な価値観を把握し損ねていることに対する驚きと疑問の声が上がった。だがこれはアフガニスタン人の側からすれば必ずしも不思議なことではない。「人間はもともと宗教を信仰し守るために生まれてきたのであり,それがまさにムスリムの生活そのもの」だからである。
問題はこうした文化的なギャップが絶望的なほどの距離感として感取され,それが今回のような戦争の情勢判断に際して,言いようのない徒労感として反映されかねないという点である。その事は戦争の帰趨を「米軍の勝利なき撤退」という形に導くアメリカ側の心理的な要因となり,アフガニスタンと周辺地域の将来をも決定づけてしまいかねないだろう。
だが実際には,アフガニスタン人の多くはアメリカに対して憎しみの感情のみを抱いている訳ではない。2010年11月にABC,BBC,ARDの3社が共同で行った世論調査によれば,62%のアフガニスタン人がアメリカの軍事的駐留を支持しているのに対し,ターリバーンを支持しているアフガニスタン人はわずか11%にすぎない。またこの支持率はアフガニスタン駐留を支持するアメリカ人35%を遥かに上回ってもいる。またアジア基金が実施した別の世論調査によれば,2011年段階でターリバーンによって引き起こされたこの戦争について外国軍を非難するアフガニスタン人はわずかに21%である。
11年間に及ぶISAF・米軍の駐留は,送り出してきた欧米側だけでなく,受け入れ側のアフガニスタンにとって,さらに多大な負担と疲労感を生む要因になってきたことは疑いない。だがそのことが,権力や資金などの利己的な目的のために戦争を続けているターリバーンへのアフガニスタン国民の支持を増すことにつながっていないのも厳然たる事実である。
ターリバーンが首都カーブルを攻略3月20日のアフガニスタンの新年を期して,ISAF・米軍は軍事作戦を前年までよりも東側に移して始動したが,そこにはカルザイ政権のある首都カーブルの防衛という意図も強く反映していた。
それをあたかも見透かしたかのように,4月15日から16日にかけてターリバーン武装勢力がカーブルと東部3州の都市に軍事攻勢をかけた。カーブル攻撃の主たる軍事目標は欧米各国の大使館,ISAF本部,アフガニスタン国会,米軍基地および政府庁舎などであったとみられる。日本大使館にもロケット弾4発が着弾したが,負傷者は出なかった。2日間の交戦で武装勢力は38人,アフガニスタン国軍側は11人の死者を出している。
この時のアフガニスタン国軍による武装勢力の鎮圧は18時間を要したが,市民の犠牲を最小限にする為に時間を費やしており,治安能力には一定の向上がみられるとの評価もある。だが他方で,首都への大攻勢を未然に防げなかったという点で,早期の治安権限移譲には一定の不安を伴うことも事実である。
こうしたなかでカルザイ大統領はターリバーンの軍事攻勢に先立つ4月12日に,2014年中に予定されている第3回大統領選挙の1年前倒しを検討していると発言した。これはISAF・米軍の撤退完了と選挙が重なることによる治安上の不安を避けるためもあるが,憲法の規定では次回選挙に立候補が許されていない大統領が,何らかの形で選挙後も影響力を保持しようとする戦略の一環ともみられた。
だが10月30日になって政府から中立的な立場の選挙管理委員会が大統領選挙の日程を2014年4月5日に設定し,この問題は当面の決着をみた。カルザイ大統領は現在のところ兄のカイユーム・カルザイなどの近親者,あるいは側近を立候補者に立てて影響力の保持を狙うといわれている。またこの選挙では,指紋情報を組み込んだIDカードを事前に有権者に発行することを政府が9月に決定しているが,残された日数で準備が間に合うかどうか大いに危惧されるところである。
撤退開始に伴うISAF・米軍の戦略変更米軍は2014年末のISAF・米軍の撤退を視野に入れた時点からアフガニスタンにおける中長期的な戦略の見直しを行ってきた。それはターリバーンとの交渉開始と軍事的作戦をどう効果的に組み合わせていくかというデリケートな問題を含んでおり,またアフガニスタンにおける米軍駐留の軍事的な目標は何かという基本的な問いにもかかわっている。
まず空軍の戦術においては,10年以上に及んだアフガニスタンでの戦争の過程で大きな変化があった。その要因としては無人飛行機(ドローン)の爆撃に伴った一般市民の犠牲の急増とこれに対する批判がまずあげられる。空軍の軍事作戦における主力は現在でもパイロットが操縦する有人飛行機であるが,アフガニスタン戦争の当初には,イラクやコソボと同様の「爆弾の大量投下と敵軍の大量殺戮による最大限の心理的効果」が攻撃の要諦であった。
だが,民間人のあいだに深く潜入して自爆テロなどの攻撃を繰り返すターリバーンとの戦争の過程で,空軍の任務の大半は空爆から偵察へとシフトし,一般市民の犠牲を最小限に抑えることを重要な課題として,いかに「致命的でない」作戦をとるかに腐心するようになったのである。
こうした変化のうえに,2月初めには,パネッタ米国防長官がアフガニスタン駐留米軍の戦闘任務を2013年半ばから後半までに終了させる計画を明らかにしており,また同時に2013年には,アメリカ駐留軍の規模を2009年のレベルよりさらに大幅に縮小していくことが既定の路線となっている(図1)。アフガニスタン国軍に関しても,2月にアメリカはアフガニスタン政府に対して,2014年以降兵員数の3割程度の削減を求めており,これに対してワルダク国防相(当時)は「壊滅的な影響がありうる」として危機感を表明している(国軍を含む治安部隊兵員数は図2)。
(出所) 図1・2ともBrookings Institution,“Afghanistan Index”,2013年1月31日所載のデータより作成。
一方カルザイ大統領は,ISAF・米軍が2011年スタートした夜間急襲作戦が一般市民の犠牲を増大させているとしてこの作戦の中止を申し入れており,これを受けて米軍は4月8日以降,夜襲作戦を大幅に制限し,今後はアフガニスタン側の特殊部隊が主導権を握ることでアフガニスタンと覚書を交わした。覚書によると,今後はアフガニスタン特殊部隊が裁判所の令状を得て夜襲作戦を実施し,米軍はアフガニスタン側の要請によってのみ作戦に参加することとなる。
こうした合意の前提には,全般的な治安維持権限のアフガニスタンへの移譲の進展があることはいうまでもなく,こうした状況変化を受けて米軍とアフガニスタンは,4月22日に長期的な戦略的協力関係に関する合意文書に署名している。これは後述するNATO首脳会議でのアフガニスタン撤退に関する議論への地ならしという意味合いも否定できないものの,その前提として米軍のアフガニスタンに対する戦略の急速な変更があることは明白である。
この合意文書によると米軍は主要な戦闘任務が終了した後もアフガニスタンへの軍事的な支援を継続することになっており,この合意はアフガニスタンおよび周辺地域の安全保障の重要な基礎になるものとされている。アメリカは今後も10年以上にわたってアフガニスタン政府に対する物的・経済的な支援を継続し,同国の安定的な復興と発展に対して責任を負うことになる。
アメリカの捕虜収容施設の移管問題この間の戦略的協力関係の合意のためのアメリカ・アフガニスタン間の交渉において,上述の夜襲作戦とともに大きな問題として取り上げられたのが,ISAF・米軍のアフガニスタン国内における捕虜収容施設をアフガニスタン政府に移管する問題であった。
カルザイ大統領は2012年年頭の1月5日からこの問題を取り上げ,ISAF・米軍の管理下にあるバグラム収容所を1カ月以内にアフガニスタンに移管せよとの要求を突き付けた。ISAF・米軍側にも収容所の移管計画自体はあるもののその時期については明言してこなかった。それはアフガニスタン側の管理要員の育成の遅れとともに,旧来のアフガニスタンの監獄における拷問などの受刑者の扱いなど人権上の問題を憂慮したからでもある。
アフガニスタンの要求は単に収容所の移管問題にとどまらず,アフガニスタン国家の主権問題をアメリカ側に問いただすという意図をも含んでおり,このため問題の解決には予想外の時間を要することになった。
その後,2月9日に米軍が従来管理してきたテロ容疑者収容施設のアフガニスタンへの移管で両国政府が合意し,3月9日にも米軍とアフガニスタン政府はバグラム空軍基地内のパルワン収容所に収監中の囚人3100人を6カ月以内に移管することで基本合意に達した。
だがその期限となった9月9日には,収容所のあるバグラム空軍基地でカルザイ大統領の出席のもと,移管完了を祝う式典まで執り行われたにも関わらず,アメリカ側からの受刑者引き渡しは一部に留まったのである。実際にはアメリカは引き渡し完了の直前になって約30人の引き渡しを「審査未了」の理由により拒否し,その後準備されていたアレンISAF司令官とカルザイ大統領の会談の席では,この問題は双方の言い争いにまで発展したという。その後,ISAFはこの事実を打ち消したが,カルザイ政権は「この移管においてはいかなる遅延もアフガニスタン国家に対する主権の侵害とみなす」との簡潔なコメントを発している。
しかし9カ月間にわたったこのような苦いやり取りにも関わらず,収容施設の移管問題が一応の解決をみたことにより,アメリカとアフガニスタンの戦略的協力関係は当面の大きな障害を乗り越えたといえる。これ以降はアメリカのアフガニスタン問題への関与の在り方にも大きな変更が加えられることになった。
オバマ大統領のアフガニスタン戦略とその背景そもそもオバマ大統領が2009年の初頭に就任した前後には,大統領自身この戦争を「必要な戦争」と位置づけ,またそのように発言してもいた。だがその後,1年足らずの間にアフガニスタン戦争に対するオバマ大統領の考え方は根本から変化したものとみられる。
後に流出した戦争会議の内容によると,オバマ大統領は3万の米軍増派に対して極めて懐疑的な姿勢で決定を下しており,その18カ月後の撤退開始に関しても補佐官が「軍の指導部は大統領に対して撤退時期の延期を求め得る」と伝えたのに対し,「彼らにこれ以上の時間を与えることはない」と切り返した。実際にその後の駐留米軍の撤退計画を策定する会議では,オバマ大統領は軍の関係者を会議に加えず数名の補佐官だけで計画を進めている。
オバマ大統領は,ブッシュ前大統領の時代に志向されていたアフガニスタンの民主国家への改造を実現不可能と判断し,アメリカにとって真の脅威は,むしろ不安定な核武装国家であるパキスタンの方にあると考えたのである。
地域的な紛争で利害が複雑に錯綜し混迷する国々の政治状況に深入りすることを極力回避するオバマ大統領のこうした戦略は,就任当初にアフガニスタン戦争を巡る経験から学んだ方針であり,それはその後,リビアやシリア,核問題を抱えるイランなどでも繰り返し採用されることになった。
撤退戦略に対するターリバーンの対応2014年末を期したISAF・米軍の完全撤退の方針決定は,これに軍事的に対峙するターリバーンの活動にも大きな変化をもたらしている。実際2011年には,ターリバーン武装勢力は学校施設への攻撃を大幅に控えるようになった。
だが2012年年頭から動き始めたアメリカとの交渉は,その後数カ月を待たずして中断するに至り,他方で米軍側は,パキスタン領内のターリバーン勢力に対する無人飛行機を使用した「超法規的」な空爆攻撃を再開している。
2月8日には米軍の無人飛行機がパキスタン北部ワジーリスタンのアフガニスタン国境近くでターリバーン兵士らしき10人を殺害したと報じられたが,これは1月10日のパキスタン北西部の空爆再開以来,今年5回目の作戦であったという。また翌9日にも米軍の無人飛行機がパキスタン北西の辺境部で再びターリバーン勢力に対し空爆を行い,この時は兵士らしき3人を殺害している。
こうした米軍の硬軟両様の対ターリバーン戦略にあたかも対応するように,ターリバーンも2012年に入って以降は駐留軍およびアフガニスタン市民に対する攻撃を再び激化させており,ISAFの発表によると5月の段階でターリバーンは,アフガニスタン全土で3000回近くの攻撃を行っている。この件数は前年同月と比べて21%の増加である。4月の集計でもターリバーン側からの攻撃件数は2000件と,ここでも前年同月に比べてわずかながら増加がみられた。
以上のような攻撃件数の増加傾向は,もしターリバーンによる軍事行動の全体的な趨勢を反映しているものとすれば,3月までの11カ月間にわたった減少傾向からの重要な変化であり,これまでISAFが繰り返し説明してきたようなターリバーン勢力の軍事的な疲弊という見方に対して再検討を迫るものであろう。
また攻撃の増加を,2012年前半の胴枯れ病によるケシ栽培の不振に結びつける説明もみられたが,これに対してはターリバーン側のスポークスマンが明確に否定している。ターリバーンの代表は,2012年の早い時期から春の攻勢を前年よりも大規模に行うと発言していた。
他方で一部の報道によれば,数年来のISAF・米軍による大規模な攻勢がターリバーン側の軍事力を大幅に縮小させたことも事実である。ターリバーン武装勢力はいまや大方の国民からの支持を失っており,現在でも彼らを支持しているのは,一部のケシ栽培農家や密輸業者に限られているというのである。
だがいずれにしても,ターリバーンの少なくとも一部がISAF・米軍の2014年末の完全撤退をむしろ軍事的な好機と捉え,アメリカやアフガニスタン政府との交渉開始に並行して,この時点で攻勢をかけることにメリットを感じているとしても決して不思議ではない。ターリバーンとしては,ここで性急に交渉のテーブルにつくよりも,早晩撤退することの決定しているISAF・米軍に少しでも多くのダメージを与える方が将来の展開を有利にすると計算しているものと思われる。
こうしたいわば「足元を見透かした」がごとき軍事攻勢をターリバーン側に許している根本的な要因の一端は,一面では撤退計画そのもののスケジュールをあらかじめ公表し,その実現に合わせてターリバーンとの交渉を行おうとしている現在のアメリカ政府の姿勢そのものにあるとも考えられる。
だが同時に,そのようにしてでも国民に対して駐留部隊の撤退時期を明示し,それによって大統領選を勝ち抜かなければならないというアメリカの大統領制の政治システム上の限界も考慮に入れなければならない。オバマ大統領は恐らくこうした限界を熟知したうえで,残る4年間の任期中にアフガニスタン問題の現実的な解決への基本的な道筋をつけようと努力していることは確かであろう。
2014年末に予定されているISAF・米軍の完全撤退は,すでにさまざまな形でアフガニスタンの国内経済に影響を及ぼし始めている。政府が公式に発表している国内総生産などのデータをみると,主要な経済各分野において着実な発展がみられるような数字が一見並んでいる。だがそれが国内経済の実態をどの程度反映しているかについてははなはだ心許ないものがある。
アフガニスタンの国内経済は実際には南部の対パキスタン国境,西部の対イラン国境,北部の対中央アジア国境などでかなりの程度異なった条件に置かれており,しかもそれらが地方的な武装勢力の資金源として機能しているためにカーブル政府の権限がほとんど及ばないのである。
アフガニスタン国内経済の将来的な発展の可能性としては,以前から銅をはじめとする豊富な鉱物資源の存在が指摘されてきた。だがこれらの採掘を採算の取れる成長産業として軌道に乗せるにはまず輸送網の整備が不可欠であり,現在のところその目処はまったく立っていないのが現実である。
各分野ですでにアメリカ軍撤退の影響カーブル政府が掌握するアフガニスタン国内の投資資金はそのほとんどを外国からの復興援助に負っており,その資金の将来的な継続性については2015年以降中長期的には不透明である。総じて2001年以降みられたような援助資金の爆発的な流入は今後まったく期待できず,アフガニスタン内外の経済的な環境は急激に冷え込んできていると言わなければならない。それは,たとえば建設業界の2012年後半以降の急激な不振にも端的に示されている。
報道によると,ジャラーラーバードの経済特区にある建設機械のリース会社では「この2カ月間で油圧リフト車の稼働率はゼロ」であった。建設関係の投資の減少は,2012年初めに2014年の米軍撤退が報じられた直後から始まっており,建設会社の数自体が往時の1万社から3000社程度にまで減少している。「建設関係の仕事は2012年だけで30~40%の減少があった。来年はさらに受注が減少して新たな仕事も小規模なものに限定されてくるだろう」(International Herald Tribune, 2012年11月6日付)。
アフガニスタン北西部に位置するヘラートはイランとの国境に近く,これまで国内でもっとも安定的な経済の復興と政治的自由を享受してきた。それは隣国イランからの復興資金の流入やターリバーンが主に活動している対パキスタン国境からの距離的な遠さによって実現されてきた。
だが,ここでも2014年以降の国内情勢の急激な悪化に対する不安は根強い。11月初めにカーブルから本拠地のヘラートに戻った元軍閥のイスマイル・ハーンは,すでに2014年以降の内戦を見越して再武装の準備を公然と進めている。また女性として全国で唯一,州の検事長官であるマリア・バシール女史はターリバーンによる脅迫を最近頻繁に受け取っているという。
イランへの経済制裁の影響もあり,2011年には年率20%あったヘラートの町の経済成長率は,2012年は10%に減速している。この町がアフガニスタンでは例外的な経済的繁栄と政治的自由をこれまでどおり維持できるかどうかは,アフガニスタン全体の情勢変化を測る試金石ともいえよう。
アフガニスタン中央部山岳地帯のバーミヤーン州もまた,最近になって戦争の影響が急速に及んできた地域である。バーミヤーン州はもともとハザーラ人が多く居住する地域であり,2001年以前の内戦中はターリバーンの実効支配に対しもっとも激しく抵抗し,2001年3月にはターリバーンによる石窟大仏の破壊が行われた。2001年の米軍駐留以降バーミヤーン州は国内でもっとも治安の安定した地域のひとつであったが,2014年のISAF・米軍の完全撤退を前に,ターリバーン武装勢力はこの地域にも急速に浸透してきているのである。
国内資金の流出や違法徴税に対する政府の対応米軍をはじめとする駐留外国軍のアフガニスタンからの撤退計画に伴って,国内からの資金の流出がさまざまな形で顕在化・加速化している。2011年中にカーブル空港から持ち出された外貨は46億ドルと前年の2倍であり,アフガニスタンの国家予算をも上回っている。
その多くは米ドル,ユーロ,サウジリヤルなどの横領された復興援助資金であると推測され,また中心的な流出先はドバイである。これに対処するためアフガニスタン中央銀行は,2月に同国からの外貨現金持ち出しを1人2万ドルに制限する方針を打ち出し,短期間で流出額は顕著に減少した。だがこれは実際にアフガニスタン内外の現金の流通に携わる伝統的なハワーラ業者の一掃につながるものではない。実際最近では夏以降,現金に代わってカーブル空港からの旅客機による合法的な金の持出しが急増しており,その多くはドバイに運ばれているという。だが大量の金の出所は不明であり,一部には経済制裁を科されたイランからの流入を指摘する声もある。
一方カルザイ政権は,首都カーブルとパキスタンのペシャーワルを結ぶ幹線上のトールハム国境ゲートを一旦閉鎖,シェールザイ・ナンガルハール州知事による違法な通行税徴収を摘発する姿勢を示した。国境地域における違法な通行税徴収の問題に関しては特別委員会が立ち上げられているが,その報告ではタハール州知事ベーグザド氏が政府の指導に応じていないという。12月10日にはカルザイ政権閣僚がこの違法徴税問題について政府内で討議を行っている。
続発する汚職問題への取り組みアフガニスタンでは2012年も年間を通じて汚職問題が浮上し,政府はこの問題への取り組みを迫られた。
まず2010年以来経営危機が表面化しているカーブル銀行問題では,昨年逮捕した創設者で前会長のシェルハン・ファルヌード氏と前役員フローズィ氏の9億ドルに上る着服問題について捜査が開始された。だがカルザイ大統領の身内やファヒーム副大統領などの政府高官が直接関与していただけに,検察側が実際に訴追するかどうかいまだに明らかでない。
他方,オマル・ザヒールワル財務相については8月1日に民間のトロTVで2件の外国銀行預金口座の記載内容が放送され,個人や企業との多額の資金のやり取りが明らかにされた。これを受けてルーディン高等検査院長官が財務省に調査チームを派遣,ザヒールワル氏側はすべて合法的な取引だったと主張している。
ISAF訓練部隊はアメリカ調査団にアフガニスタン国軍の過去4年間の燃料用支出経費4億7500万ドル分の記録が紛失していると報告,これの推計のための適切なシステムも不在であるとして同支出予算の増額とアフガニスタン政府への移管について疑義を呈している。また国際援助機関は5月に国連が管理する警察関係の給与支払い機関の財務内容の調査を依頼した。監査機関によるとアフガニスタン法秩序支援信託基金(LOTFA)の基準に照らして疑問があるが,他方で国連はこの基準自体も大規模組織への厳格な適用には問題があると指摘している。
ケシ生産が引き続き増加傾向にアフガニスタン南西部のヘルマンド渓谷では,2008年頃からイギリス軍およびアメリカ海兵隊によるターリバーン掃討の大規模な軍事攻勢がかけられ,同時に地域農民にケシ栽培から脱却するための代替作物(小麦や綿花)の作付け指導を行ってきた。だがより貧しい農民たちは周辺の荒蕪地に移動して,新たにケシ栽培を開始し,現在では米軍とイギリス軍の基地があるキャンプ・バスチョン一帯をケシ畑に変貌させた。ターリバーンも農民の保護のために舞い戻っている。
2012年の春には,ケシの生産高が胴枯れ病の蔓延によって相当程度落ち込むのではないかとの観測もあったが,11月の報道によれば,同年のケシ生産は驚異的な伸びを示し,結果的に前年比18%の増加であった。これは主に作付面積の大幅な増大によるものであり,面積当たりの収穫量については上述の胴枯れ病のため3割ほど減少している。
他方で米軍および米麻薬局は,2010年以来アフガニスタン空軍が麻薬や武器の違法な輸出に組織的にかかわっていた疑いがあるとして調査を行っている。この調査の一環として米軍は,2011年4月27日にアフガニスタン空軍の制服を着た男がカーブル空港で8人のアメリカ空軍士官を射殺した事件との関連性を調べているという。
一方タジキスタンのラフモン大統領は,隣接するアフガニスタンからの陸路による麻薬の流入に対処するため,8月にゴルノ・バダフシャン県に掃討部隊を派遣した。タジキスタンにはこれまで年間80トンのヘロインと20トンのアヘンが密輸されてきたという。これに対応してアフガニスタン側は同県の首府コログに隣接する地域の警察長官を密輸業者幇助の疑いで逮捕している。
2014年末の米軍撤退を受けて,ISAFの中核をなすNATOはアフガニスタンの将来的な治安維持に関して何度か首脳・閣僚級の会議を開催している。まず4月18日にはブリュッセルのNATO本部で外相・国防相合同会議を開催,アフガニスタン国軍の維持費用(年間41億ドル)の分担について予備的な議論を行った。同日,イギリスは年間1億1000万ドルの拠出を表明している。
これを受けて5月20~21日にはシカゴでNATO首脳会議が開催され,2014年末までのISAF撤収と前年半ばまでのアフガニスタン国軍への主導権移譲を採択した。またオランド仏大統領は,2012年中のフランス軍撤退と訓練部隊の継続駐留を正式表明している。日本の玄葉外相(当時)は21日,資金援助を続ける方針を表明した。
さらに10月9日にはブリュッセルでNATO国防相会議が開催されており,ISAF撤退後,新たに国際訓練助言支援部隊(ITAM)を創設するための協議を開始している。
最後に12月5日にはブリュッセルでNATO外相会議が開催され,2014年以降のアフガニスタン治安部隊への資金提供について協議を開始した。この会議には日本も協力国として玄葉外相(当時)が参加している。
NATOのアフガニスタン駐留に部隊を派遣している欧州各国では,アメリカと同様にアフガニスタンでの戦争に対する厭戦的な感情が抑えがたいほどに蔓延している。このためNATO駐留軍を構成するいくつかの国の部隊は2014年を待たずに撤退を完了することを早くから表明している。
たとえばフランスは1月のカーピサー州でのフランス軍兵士殺害事件を受けて5月のNATO首脳会議の前に撤退の前倒しを決定した。会議直前の18日のオバマ大統領とオランド仏大統領の首脳会議ではフランス軍のアフガニスタンからの撤退時期については深入りせず,首脳会議の席で初めて2012年中の撤退を正式表明した。その後5月25日にはオランド大統領が1月にフランス兵殺害事件のあったカーピサー州のフランス軍基地を電撃訪問し,その直後にカーブルでカルザイ大統領にフランス軍の早期撤退について説明している。
また,NATOとは別にオーストラリアのギラード首相は4月17日に,駐留オーストラリア軍部隊の撤退計画を早めて2013年末に撤退を完了する可能性を示唆している。その後8月末にはアフガニスタンの南部2カ所で計5人のオーストラリア兵が殺害されており,同国駐留軍にとっては最悪の事態となると同時に撤退の前倒しが決定的となった。
復興支援東京会議の開催こうした環境のなか,復興支援東京会議の開催に先立つ6月27日に京都の同志社大学が国際会議を主催し,ターリバーン幹部とカルザイ大統領の顧問を招いた。ターリバーン側と政府側は公式の場に初めてともに出席して双方の主張を展開,議論が収斂することはなかったものの,アメリカのめざすターリバーン勢力との和解に向けたひとつのステップとなった。
7月8日にはアフガン復興支援東京会議が開催され,約80の国・地域・国際機関が参加した。2011年12月のボン会議に欠席したパキスタン代表のほかカルザイ大統領,潘基文国連事務総長,クリントン米国務長官なども参加し,復興支援のため国際社会として今後4年間に総額160億ドルの拠出を謳う「東京宣言・東京フレームワーク」を同日採択している。日本は2014年末のISAF・米軍撤退以降のアフガニスタン情勢が不透明ななか,今後5年間で最大30億ドルを拠出することを表明した(表1)。
(出所) 日本外務省ウェブサイトから筆者作成。
これを受けてカルザイ大統領は7月に包括的な内容の政府改革案を提出した。国際的な投資運用会社のICGグループによれば,同案の主要な目的はドナー国の多様な要請に応えることであり,また東京宣言に盛り込まれなかった諸点を補うことである。
その後12月19~20日にはフランスのシンクタンク主催の会議にアフガニスタン政府とターリバーンの計10人以上が出席し,ターリバーン側は2014年以降の展望についてより柔軟な姿勢を示した。具体的にはターリバーン代表が他の政治諸勢力と協力してアフガニスタンを統治し,さらにアメリカが財政支援する軍隊をアフガニスタン国軍として認めるというところまで踏み込んだ発言をしている。
これに対するカルザイ政権からの反応は報道されていないが,こうした国際社会の仲介の努力がアフガニスタンにおける統一的な政権に向けての長い交渉プロセスの最初の重要な一歩となる可能性は否定できないであろう。
ここまで述べてきたことからも明らかなように,オバマ政権が今後4年間継続することが決まったことによって,2014年末を期したISAF・米軍のアフガニスタンからの全面的な撤退計画はいよいよ本格的に軌道に乗り始めている。
これをアメリカの「名誉ある撤退」ととるか「勝利なき撤退」ととるかの評価は後世の歴史家の仕事であるが,いずれにしても撤退後のアフガニスタンの命運を決めるのはアフガニスタンの国民自身であり,ターリバーンやカルザイ大統領,旧軍閥などが当面は「国民を代表」して2014年以降のアフガニスタンの政治体制を準備していく過程が,2013年中のアフガニスタンにおける主要な政治的な課題といえよう。
アメリカ政府は2014年末の完全撤退を期して,2013年中には軍事作戦を完了するというロードマップを示している。米軍の加速化する撤退が,アフガニスタン国民にとって果てしのない内戦状態の再来を意味するのか,周辺諸国を巻き込んだ域内関係の再編と経済的な復興と繁栄の本格化を意味するのかは今のところ自明ではない。
現在アフガニスタン国内では,再び戦争が迫っているという危機感が広く共有されており,多くの論者もアフガニスタンの将来について暗い展望を語っている。だが,今後の復興支援の道は,たとえ針の穴を通すような困難を伴うにせよ,国際社会がこの地域に対する真摯な関心を失わない限り,まだアフガニスタンの再生の可能性は残っているのではないだろうか。
それを現実のものとしていくためには,欧米各国をはじめとする国々がアフガニスタンおよび周辺の国・地域・政治勢力に対するエゴイスティックな介入を控え,またパキスタンやイランなどの周辺国もアフガニスタン政府の主権を十分に尊重するように振る舞うことが,不可欠の要件であろう。
(地域研究センター上席主任調査研究員)
1月 | |
3日 | ターリバーン高官,グアンタナモに収監中の指導者の釈放を条件とするカタールでの事務所開設に暫定合意を表明。 |
3日 | カンダハール市内の3カ所で爆発,市民13人が死亡。 |
5日 | カルザイ大統領,ISAF・米軍管理下にあるバグラム収容所を1カ月以内にアフガニスタン(以下,アフガン)に移管するよう要求。 |
10日 | パクティカー州の州都シャラナで自爆犯3人が行政府の建物に侵入,7時間の銃撃戦で計10人が死亡。 |
11日 | 玄葉外相がアフガンを電撃訪問,カルザイ大統領らと会談。 |
11日 | 駐留米軍兵士がターリバーン戦闘員とみられる3人の遺体に放尿する映像が流出。 |
17日 | カルザイ大統領,ターリバーン側がポリオ予防を妨害と非難,受け入れを呼び掛け。 |
21日 | カルザイ大統領,国会で開会演説,ターリバーン側のテロによるアフガン人犠牲者49人の名を列挙して追悼。 |
22日 | アメリカ使節団のマーク・グロスマンがカーブルで会見,カタールで週内にターリバーン側と交渉開始との観測を否定。 |
26日 | ヘルマンド州ラシュカルガーを通過中のNATOの地域復興部隊に自動車自爆犯が突っ込み市民4人死亡。 |
28日 | ターリバーン,4~8人の代表がアメリカ側との予備交渉のためパキスタンからカタール入りと発表,アメリカ側グロスマン特使はすでに数日前カタール入り。 |
29日 | カルザイ政権,ターリバーン側とサウジアラビアで独自に交渉開始の予定と公表,ターリバーン側は沈黙守る。 |
2月 | |
7日 | ウルズガーン州の警察検問をターリバーンが襲撃,警官7人が死亡。内務省は衛兵がターリバーン側への内通の疑いを示唆。 |
9日 | 米軍が管理してきたテロ容疑者施設のアフガン側への移管で両国政府が合意。 |
15日 | NATO軍,8日のカーピサー州ナジュラブ地区空爆による市民8人の殺害を謝罪。 |
16日 | カルザイ大統領,パキスタンを訪問,三者間交渉への支援求める。 |
20日 | 15年ぶりの厳冬のため児童を中心に41人が凍死と保健省が発表。 |
20日 | バグラム米空軍基地で複数のアメリカ兵がコーラン焼却,基地周辺で抗議デモ拡大。 |
21日 | 日本政府,アフガン国軍識字教育支援のためNATO基金に2000万㌦拠出を表明。 |
21日 | パネッタ米国防長官がコーラン焼却事件で謝罪表明,オバマ大統領もカルザイ大統領に謝罪の書簡を送付。 |
25日 | 5日連続の抗議デモ,全土の犠牲者は28人に。 |
25日 | カーブルの内務省内で発砲事件,アメリカ人顧問2人が死亡。アフガン人警官に容疑。 |
25日 | クンドゥズ州の国連事務所を市民500人が襲撃,27日には同地から外国人職員が撤収。 |
25日 | パネッタ米国防長官,ワルダク国防相に断固とした行動を要求。NATOおよび欧州各国はアフガン勤務職員の退避を開始。 |
27日 | ナンガルハール州ジャラーラーバードのNATO空軍基地で自爆テロ,市民6人を含む9人が死亡。 |
3月 | |
5日 | バダフシャーン州で大雪崩,シェリンナズィム村の住民47人が死亡。 |
9日 | 米軍とアフガン政府,バグラム空軍基地内のパルワン収容所に収監中の3100人の6カ月以内の移管で基本合意。 |
10日 | グアンタナモに収監中のターリバーン高官5人がカタールへの移送案を容認と発言,ただしアメリカは合意せず。 |
11日 | アメリカ兵がカンダハール州パンジュワイ地区の民家で銃を乱射,市民16人が死亡。抗議運動は起きず。 |
12日 | メルケル独首相,マザーリシャリーフのISAF軍基地を電撃訪問。 |
14日 | オバマ米大統領とキャメロン英首相がワシントンで首脳会談,2014年末のアフガン政府への治安権限移譲を確認。 |
14日 | パネッタ米国防長官,ヘルマンド州米軍基地を電撃訪問。 |
14日 | カルザイ大統領,パネッタ米国防長官との会談でアフガン全土に展開中のISAF軍の基地への撤収を求める。18日にアメリカは否定。 |
14日 | ターリバーン,「アメリカの約束不履行による」交渉の中断を表明。 |
14日 | ヘルマンド州マルジャ地区で午後1時頃ミニバンが路上爆弾により大破,市民8人が死亡。 |
16日 | ISAF軍用ヘリがカーブル郊外で墜落,トルコ兵12人と少女2人が死亡。 |
20日 | アフガンの新年,ISAF・米軍が首都カーブルの防衛を視野に軍事作戦の重心を前年より東側に移して始動。 |
28日 | 人権監視団体がアフガン女性の法的地位にほとんど改善がみられないとする報告書を発表,政府側は沈黙守る。 |
4月 | |
4日 | ファーリヤーブ州マイマナでバイクの自爆テロ,米国人3人含む11人死亡。 |
8日 | 米軍,夜間急襲作戦の大幅制限でアフガン政府と合意。 |
10日 | ヘラート市内で爆発物を積んだ車が爆発,市民含む12人を殺害。ヘルマンド州でも自爆テロで警官7人が死亡。 |
12日 | カルザイ大統領,大統領選挙を1年早め2013年に実施する可能性を示唆。 |
15日 | カーブルで武装勢力とISAF・米軍が銃撃戦(~16日)。日本大使館に着弾するも負傷者はなし。2日間で武装勢力側38人,国軍側11人が死亡。 |
16日 | 国連安保理,ターリバーン武装勢力の同時テロ行為を強く非難。 |
17日 | オーストラリアのギラード首相,駐留豪軍部隊の撤退計画を早め2013年末に完了の可能性を示唆。 |
18日 | ブリュッセルのNATO本部で外相・国防相合同会議,アフガン国軍の維持費用分担について議論。イギリスは年間1.1億㌦の拠出を表明。 |
22日 | アメリカとアフガン政府が2014年以降の戦略協力協定に基本合意。 |
5月 | |
1日 | オバマ米大統領,バグラム空軍基地を電撃訪問,カルザイ大統領と戦略協力協定に調印。駐留の規模や条件は盛り込まれず。 |
1日 | カーブル東部の外国人居住区をターリバーン4人が自爆攻撃,7人が死亡。 |
12日 | アレン米軍司令官とパキスタン軍のキヤーニー陸軍参謀長が対アフガン国境地域の協同管理巡り協議。 |
13日 | カーブルで元ターリバーン高官の高等和平評議会メンバー,アルサラー・ラフマーニー氏が射殺される。 |
13日 | ファーリヤーブ州のバザールで爆発,市民9人が犠牲に。 |
16日 | オーストラリアがアフガン国軍への支援として2015年以降3年間にわたり年間1億㌦を拠出すると表明。 |
20日 | シカゴでNATO首脳会議開催(~21日)。2014年末までのISAF撤収と前年半ばまでのアフガン国軍への主導権移譲を採択。オランド仏大統領は2012年中のフランス軍撤退と訓練部隊の継続駐留を正式表明。 |
23日 | インドとパキスタンがアフガンを通過するTAPIパイプラインの敷設についてトルクメニスタンと調印。 |
25日 | オランド仏大統領,カーピサー州のフランス軍基地を電撃訪問。 |
26日 | パクティアー州の空爆により8人家族が死亡,その後アフガン政府とNATO軍が調査を開始。 |
6月 | |
2日 | バダフシャーン州で5月22日に拉致されていた援助団体の4人をNATO軍の救援部隊が救出に成功。 |
4日 | 米軍無人機がパキスタン西北部ワジーリスタンの空爆攻撃でアル・カーイダのナンバー2,アブーヤヒヤー・リッビーを殺害。 |
6日 | カンダハール州のISAF軍基地近くで2回の爆発,市民20人以上が犠牲に。 |
6日 | 上海協力機構北京サミットにカルザイ大統領が出席(~7日)。アフガニスタンがオブザーバー国として承認される。 |
7日 | パネッタ米国防長官,カーブルを電撃訪問,ワルダク国防相と会見。 |
19日 | アフガン当局が2011年12月6日の爆弾テロ事件で容疑者2人を起訴。 |
19日 | カンダハールで警官の制服を着た4人のターリバーンが警察3人を殺害。 |
22日 | カーブル郊外のカルガ湖畔でターリバーン武装勢力が市民20人を殺害。 |
23日 | ゴール州で鉄砲水により市民37人以上が犠牲に。 |
24日 | アフガン側からパキスタン側にターリバーンが侵攻,パキスタン兵士17人が殺害される。 |
27日 | 京都の同志社大学主催の国際会議にターリバーン高官とカルザイ大統領の顧問が同席し,双方の主張を展開。 |
7月 | |
1日 | ヘルマンド州で警察の制服を着た男がISAF軍兵士3人を殺害。 |
3日 | パキスタン政府,ISAF向け陸上補給路の7カ月ぶり再開を認める。 |
5日 | エクソン・モービル社が対アフガン投資に関心との報。 |
8日 | アフガン復興支援東京会議開催,約80の国・地域・国際機関が参加。復興支援のため国際社会として今後4年間に総額160億㌦の拠出を謳う「東京宣言」を採択。 |
13日 | ラグマン州で自動車爆弾,女性地方行政官と夫が死亡。 |
14日 | サマンガン州の結婚式で自爆テロ,ウズベク人政治家や警察長官,軍高官含む16人が死亡。 |
16日 | アフガン軍法会議が国軍兵士によるISAF軍兵士の殺害に対し初の死刑判決。 |
19日 | キャメロン英首相がカーブルを訪問,国境問題巡りカルザイ大統領およびパキスタンのアシュラフ首相と三者会談。 |
30日 | ライアン・クロッカー駐アフガン米国大使,退任にあたり米国の外交政策に苦言。 |
31日 | 米軍がアフガン側ターリバーンのパキスタン攻撃を黙認してきたとのパキスタンからの非難にISAF側が強く反論。 |
8月 | |
4日 | 「ウズベキスタン・イスラーム運動」の指導者ウスマン・アーディルがパキスタン国内でアメリカの無人機により殺害と発表。 |
4日 | ワルダク国防相とモハンマディ内相に対し,下院が解任を決議。ワルダク国防相は7日辞意を表明。 |
9日 | ヘルマンド州サンギーン地区で警察司令官が米軍特殊部隊の隊員3人を食事に招いたうえ射殺。 |
11日 | ニームルーズ州で警察の制服を着た2人が警官9人を射殺。 |
12日 | スパンタ国家安全保障補佐官,カルザイ政権の代表者が2カ月前にターリバーン高官でパキスタンに拘禁中のアブドゥル・ガニー・バラーダル師と接触したと明言。 |
18日 | ISAFのアレン司令官,アフガン人兵士・警官による駐留軍兵士殺害の急増について緊急会議を開催,対策を検討。 |
18日 | ISAF軍がクナール州で空爆,公開処刑場に集まっていた武装ターリバーンを20人以上殺害。 |
20日 | デンプシー米統合参謀本部議長,バグラム空軍基地を訪問,翌日未明に帰国予定のC-17機を武装勢力が爆弾攻撃。 |
24日 | アフガン領内のクナール州国境付近でNATO軍がパキスタン・ターリバーンの指導者モッラー・ダードッラー師を殺害。 |
26日 | ヘルマンド州でターリバーンが市民17人を斬首し殺害。 |
27日 | 1月の放尿映像事件と2月のコーラン焼却事件で米軍が9人の処罰を決定。いずれも訓戒処分にとどまる。 |
27日 | 早朝,ヘルマンド州で国軍兵10人が武装勢力により死亡。東部ラグマン州でアメリカ兵1人がパトロール中に国軍兵に殺される。 |
27日 | ヘルマンド州ギャルムシール地区でISAF軍ヘリが墜落,オーストラリア兵2人が死亡。翌日にはウルズガーン州で国軍兵がオーストラリア兵3人を射殺。 |
9月 | |
1日 | 駐留米軍,アフガン地方警察の新規採用隊員の訓練一旦中止と全隊員の身元調査実施を発表。 |
1日 | カルザイ大統領,モハンマディ前内相を国防相に指名など4大臣を入れ替え。 |
2日 | アフガン国軍とISAF軍,ナンガルハール州で組織内攻撃に関与したターリバーンを逮捕したと発表。 |
5日 | 国防省,数百人のアフガン人兵士が身元調査の結果解雇されたと発表。 |
8日 | アメリカ政府,ハッカーニー・ネットワークを制裁対象の「テロ組織」に認定。 |
8日 | カーブルのISAF本部近くで10代の少年が自爆テロ,市民6人が死亡。内務省はハッカーニー・ネットワークが関与との見方。 |
12日 | カルザイ大統領,アメリカのムハンマド冒涜映画を非難する声明。 |
14日 | 深夜,ヘルマンド州のキャンプ・バスチョン駐留基地を地方警察官のターリバーンがロケット弾などで攻撃,戦闘機8機が破壊されアメリカ兵2人が死亡。 |
15日 | アフガン国会,内相・国防相および国家情報局長の新人事を承認,国境・部族問題担当相ポストについては否決。 |
16日 | 未明,ラグマン州アリンガル地区の山間部でISAF軍による空爆,薪を集めていた女性8人が犠牲に。 |
16日 | ザーブル州で現役の警察官らしき武装勢力が攻撃,ISAF軍兵士4人が死亡。 |
18日 | アメリカのムハンマド風刺映画にカーブルで報復攻撃。女性の自爆テロで外国人10人含む14人が死亡。 |
22日 | 周永康・中国共産党政治局常務委員,カーブルを電撃訪問。カルザイ大統領と会談。 |
22日 | パキスタン紙の国内流通をアフガン当局が禁止。 |
29日 | ワルダク州で国軍兵とアメリカ兵がささいな行き違いから銃撃戦,6人が死亡。 |
30日 | オバマ大統領が2009年に増派した3万3000人の米軍撤兵を完了。 |
10月 | |
1日 | ホースト州の州都でISAF軍と治安部隊に自爆攻撃,13人が死亡。ターリバーンが犯行を認める。 |
2日 | ロシア・タジキスタン・アフガン・パキスタンの4カ国首脳会議が延期,4日,ロシアのラブロフ外相がイスラマバードを訪問。 |
4日 | カルザイ大統領,アメリカの対アフガン政策を激しく非難。 |
8日 | カーブル教育大学をシャヒード・ラッバーニー大学と改称するカルザイ大統領の決定に2週間以上抗議していた学生と改称支持派が衝突,鎮圧部隊が投入される。 |
8日 | 国際危機調査グループ(ICG),2014年以降のアフガン情勢に関する報告書を刊行,これに対しアフガン政府と一部政治家が国益に反するスパイ行為として糾弾。 |
9日 | ブリュッセルでNATO国防相会議が開幕,ISAF撤退後に新たに創設する国際訓練助言支援部隊(ITAM)について協議を開始。 |
9日 | ウルズガーン州の州都でイスラーム評議会委員のアブドゥル・サマド師が車を運転中射殺される。 |
10日 | ヘルマンド州ナードアリー地区で路上爆弾が爆発,地方警察の警官6人が死亡。 |
14日 | ISAF軍がヘルマンド州ナワ地区で路上爆弾を設置中のアフガン人を砲撃,児童3人が犠牲に。 |
21日 | ローガル州バラキバラク地区でISAF軍とターリバーンが銃撃戦,児童4人が犠牲に。ISAFが謝罪。 |
26日 | ファーリヤーブ州マイマナのモスクにイード・アル・アドハーで集まっていた市民に対し自爆テロ,45人が死亡。 |
30日 | 選挙管理委員会,第3回大統領選挙の日程を2014年4月5日に設定。 |
11月 | |
1日 | 旧軍閥のエネルギー・水問題相イスマイル・ハーンがヘラートに戻り,2014年後の内戦に備えて再武装を準備。 |
5日 | 国連安保理がハッカーニー・ネットワークをテロ組織として制裁対象に追加,アフガン政府はこれを歓迎。 |
7日 | クンドゥズ州の警察官4人が羊飼いの娘をレイプした罪で懲役16年の判決。 |
11日 | ヘルマンド州のキャンプ内で国軍兵の制服を着た男がイギリス兵を射殺。 |
14日 | パキスタン,収監されていたターリバーン高官7人以上を解放,アフガン側はターリバーンとの交渉に資すると歓迎。 |
19日 | カルザイ大統領,バグラム収容所のアフガン政府への移管合意の米軍による不履行を糾弾,国軍に施設の接収を命じる。 |
20日 | カルザイ大統領が署名した16人のアフガン人凶悪犯の死刑を執行(~21日)。 |
23日 | アフガン東部で自爆テロ,市民62人が死傷。ターリバーン側はカーブルでの死刑執行にターリバーン4人が含まれていたことへの報復と発表。 |
12月 | |
2日 | ターリバーン自爆犯の車3台がジャラーラーバード空軍基地への突入作戦を試みアフガン人5人が死亡。 |
5日 | ブリュッセルでNATO外相会議開催,2014年以降のアフガン治安部隊への資金提供について協議開始。日本も協力国として会議に参加。 |
9日 | 米軍特殊部隊が数日前にカーブル近郊で誘拐されていたアメリカ人市民を救助,ターリバーン側7人を殺害。 |
10日 | ラグマン州の女性問題担当長官ナジア・セディギが白昼射殺される。前任者のハニーファ・サフィも7月に自動車爆弾により殺害されている。 |
17日 | ターリバーンの自爆犯がカーブルの米建設会社を襲撃,アフガン人市民2人が死亡。 |
18日 | カンダハール州の国境警察に性的目的で囲われていた少年が司令官ほか10人を睡眠薬で眠らせたうえ警官8人を射殺。 |
19日 | 仏シンクタンク主催の会議にアフガン政府とターリバーンの計10人以上が出席(~20日)。ターリバーン側は2014年以降の展望について柔軟な姿勢を示す。 |
24日 | カーブルの警察署内で女性警官がアメリカ人訓練教官を射殺,動機は不明。 |