2014 Volume 2014 Pages 543-568
2013年のネパールは,第2回憲法制定議会(憲制議,立法議会も兼ねる)選挙の実施で明け暮れた。統一ネパール共産党毛沢東主義派(UCPN-M)のバッタライ暫定首相を支える連立与党と政権奪回を目論む野党は,合意による首相選出と選挙実施をめぐる駆け引きに10カ月の時間を費やした。結局,中立者を擁立する暫定選挙内閣(IEC)の発足を条件にUCPN-Mが政権を放棄し,3月14日にレグミ最高裁判所(最高裁)長官が閣僚会議議長に就任した。このIECの下で,2012年11月からたびたび延期されてきた第2回憲制議選挙の準備が進められた。11月19日の投票日が近づくにつれて,ネパール共産党毛沢東主義派(CPN-M)を含む33党の実力行使による選挙反対運動が激化するなか,おおむね自由と公正のうちに投票が行われた。その結果,旧勢力のネパール国民会議派(NC)とネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(CPN-UML)が,それぞれ第1党および第2党に返り咲き,1990年当時の政党勢力地図に復帰した。2008年4月の選挙で第1党に躍進した新勢力のUCPN-Mは第3党に転落した。選挙後,間髪を入れず政党同士の抗争が再開され,比例区当選者名簿の提出が12月30日までずれ込み,立法議会の初招集は2014年1月に持ち越された。
2012/13年度の国内総生産は,農業部門が1.3%の成長で振るわず,全体で3.65%(前年度は4.85%)の成長にとどまった。海外出稼ぎは増加する一方であり,出稼ぎ者からの送金額は対国内総生産比で23.1%(2011/12年度)に上昇した。
対外関係では,憲制議選挙が自由かつ公正に実施されるよう国際社会(国連機関,主要国大使館,国際機関,開発援助機関,国際民間公益団体など)から多くの支援が行われた。また,10年に及ぶ内戦期に発生した多くの人権侵害事件に対するネパール政府の対応の遅れが露呈し,移行過程における国際的な基準に合致した司法制度の構築が求められた。
2012年から持ち越されていた最重要政治課題のひとつは,憲制議の設置期限切れ消滅(2012年5月27日)後のバッタライ暫定政権をどの政党が引き継ぎ,憲制議選挙を実施するかであった。暫定憲法に規定された政党合意による首相選出をヤダヴ大統領が主要4党(UCPN-M,NC,CPN-UML,マデシ人権フォーラム[MPRF])に対して要請した2012年11月以降,与野党合意による首相候補の絞り込みは政党の主導権争いのためことごとく失敗し,膠着状態が続いた。その背景には,次のような政党ごとの戦略があった。UCPN-MはNC政権下の選挙は断固拒否する立場にあり,バッタライ暫定政権の延命と選挙実施時期の引き延ばしを図った。NCはUCPN-M政権に断固反対で,次はNCから首相を輩出する順番であり,NC政権の下での選挙実施を主張して譲らなかった。CPN-UMLは,UCPN-Mの政権継続にもNC政権にも反対で,両党の対立から漁夫の利を獲る機会をうかがっていた。
憲制議選挙に向けた技術的な条件として3カ月の準備期間が必要とされているため,5月の選挙実施なら1月9日を期限に,欠員のままになっている選挙管理委員会(選管)の委員長および委員を任命しなければ間に合わないという事情があった。そのため,年明け早々バッタライ暫定首相はCPN-UMLのネパール元首相と会談し,首相選出の選択肢として少数政党または第三者擁立案を提示した。その数時間後にネパール元首相はNC首脳との会談に臨み,バッタライ提案は政権延命を目論むものとして拒否し,4日を期限にさらに協議を継続することで合意した。そして,与党との協議が不調になった場合,CPN-UMLとNCは連携してバッタライ暫定政権打倒運動を強化することで一致した。
ジャーナリスト殺害事件真相究明問題1月5日,ダイレカ郡下で2004年に発生したジャーナリストのデケンドラ・タパ殺害事件に関連して5人が逮捕された。このニュースと,年初に飛び込んできたラマ国軍大佐逮捕事件(後述)とがきっかけになり,内戦期の人権侵害事件に対する真相究明,犯罪者の処罰,和解促進,行方不明者探索など,和平に向けた移行過程における司法制度の未整備と歴代政府による放置(政府は2006年の包括的和平協定に基づく措置を主張してきた)が大きな社会問題として浮上した。バッタライ暫定首相は指揮権を発動しタパ事件捜査担当者を更迭,事態の鎮静化を図ろうとした。しかしながら,これが逆に世論の反発を招くとともに,野党に絶好の政権攻撃材料を与える結果になった。NCとCPN-UMLは,この問題をバッタライ政権打倒運動の材料にし,犠牲者救済に名を借りた集会をダイレカ郡で開催し,同郡のUCPN-M代表者会議に対する妨害行動に及んだ。2月以降は,全国的な規模の街頭行動の強化による政権奪取に突き進んだ。
CPN-MとUCPN-Mの党大会CPN-Mは,1月9日から15日まで党大会を開催し,これまでの「人民戦争」から「都市中心型人民革命」への運動方針の大転換を図った。
UCPN-Mは2月2日から8日まで,マカワープル郡のヘタウダで第7回党大会を開催した。ダハール議長は,この大会を通じて,政治的膠着状態を打開するため,NCやCPN-UMLが拒否しえない新たな方策を提起することに意欲をみせた。「団結の大会」と称されたこの大会の期間中,同議長は非公開部会において「資本主義革命による社会主義の基盤創出」を謳い,反政府運動段階の指導原理である「プラチャンダの道」と称される「継続的人民革命」路線から運動綱領を大きく転換させた。また,レグミ選挙内閣設立案を含むダハール政治文書が全会一致で承認された。同議長は,党は平和的方法(合意による政治)に従わねばならないとしながらも,党運動の中核は「闘争」であり,人民を代表して武器を取ることがあると確信を持って述べた。
バッタライ暫定政権の終焉連立与党系の連邦民主共和同盟(FDRA)は,民族主義連邦制を支持する19党の会合を開催し,民族主義連邦制の普及浸透策を協議した。また,FDRAの地方組織の確立と情宣活動強化の必要性から,1月30日に首都での大集会を開催し21党が参加した。野党勢力に対抗するためであった。
野党系のNCとCPN-UMLなど合わせて9党はバッタライ政権打倒の抗議行動を1月19日から開始した。これは20日間にわたる運動となった。21日の中央執行委員会は,草の根レベルからの政権打倒運動の展開を強調した。このため,UCPN-Mの地方代表者会議の開催地では,首相退陣を迫って,ダハール議長やバッタライ暫定首相の会議出席を実力で阻止しようとする野党運動員とUCPN-Mの運動員の衝突事件も発生した。2月8日に全国的な反政府抗議行動を配置し,バッタライ暫定政権の退陣と合意による政権の樹立を訴え,第1期抗議行動を締めくくった。
これに対抗して,UCPN-Mは,人民戦争当時の事件を問題に取り上げることは包括的和平協定違反であり,NCとCPN-UMLも多数の殺人行為を行ったと反撃した。また,合意による政権樹立への努力を放棄し,首相退陣を要求する野党の運動方針を厳しく非難した。
以上のような街頭行動の激化を憂慮したヤダヴ大統領は1月末に,与野党首脳の合同会議を開催し,街頭行動の自粛と首相選出協議の継続を求めた。席上,CPN-UMLのカナル委員長は,首相選出協議に真剣に取り組まない連立与党を批判し,街頭抗議行動を強化する方針を示した。バッタライ暫定首相は,5月末選挙に前向きの意向を表明し,選挙実施を中心に与野党協議が進む見通しを示した。
首相選出の選択肢としては,野党をバッタライ暫定政権に取り込む案,連立与党内の少数政党から首相を選出する案,そして中立候補者案が検討されていた。この最後の中立政権構想は,もともとダハールUCPN-M議長のアイデアで,後にバッタライ暫定首相がこれを採用した。中立候補者として,D・N・ドゥンガナ元議長(UCPN-Mが支持)およびD・R・パンディ元蔵相(NCとCPN-UMLが支持)の名前が挙がった。両者はともに,現在は政党に所属せず,同じ市民団体に所属して活動していた。
CPN-UMLのネパール元首相は5月選挙確約と引き換えに中立候補を容認する立場であったが,カナルCPN-UML委員長とオリ議員は政党人以外による中立候補に強く反対した。理由は,政党以外から首相を選出することが政党に対する信頼喪失につながるというものであった。ヤダヴ大統領は,度重なる首相候補選出失敗の後,中立候補支持の意向に傾いたが,立場上それは口外できなかった。大統領としては,中立候補としてレグミ最高裁長官を推す意向であったとされる。
1月31日,UCPN-Mは,与野党間の不信感が増大するなかで,中立者による選挙内閣の下で5月末までに選挙を実施することを条件に,政権交代に応じる用意があることを明らかにした。
レグミ暫定選挙内閣の発足NCとCPN-UMLは,UCPN-M政権の交代を歓迎し,UCPN-M提案の協議に応じる方針を表明し,それと同時に,これまでUCPN-Mが採ってきた選挙延期戦術による政権居座り策を批判した。
2月9日,ダハールUCPN-M議長は,党大会での承認に基づき,レグミ最高裁長官を閣僚会議議長(事実上の首相であるが,首相とは称されない)に擁立し,選挙内閣の下で憲制議選挙を実施することが,現下の政治的困難を打開する唯一の道と訴えた。バッタライ暫定首相の辞任と引き換えに,レグミIEC設置案を野党にのませて選挙に打って出るこの戦略は,2月11日に主要4党の間で基本合意が成立した。このUCPN-M提案に対して,NCはレグミ氏の最高裁長官辞任が条件と主張した。CPN-UMLは派閥間で意見が対立し,カナル委員長派は中立候補者容認論を,オリ派は反対論をそれぞれ主張したため党内調整に時間を要したが,最終的にレグミ長官擁立案に同意した。
2月18日の主要4党正式合意をふまえて,レグミ最高裁長官は閣僚会議議長就任要請の受諾条件として,何らかの理由により5月選挙が実施できなかった場合に備え,選挙内閣解散の条件は選挙の完了のみとすること,選挙実施に対する全政党の強い約束,IEC議長のリーダーシップの受入れ,提示期限内の選挙実施に対する全政党の協力を逆提案した。主要4党はレグミ長官の要望を取り入れて最終的な条件の詰めを行った。その結果,2月25日にレグミ長官は要請を正式に受諾する意思を表明した。
3月13日,主要4党は,11項目および暫定憲法の一時的改正25カ所について合意書を交わし,10カ月近くに及んだ政治的膠着状態にようやく終止符が打たれた。合意を受けて,バッタライ暫定首相はヤダヴ大統領に対して合意事項の実現を図るための法的障害を除去するよう勧告した。同大統領は,暫定憲法第158条(憲法の実施において障害が生じた場合,大統領は閣僚会議の勧告に基づき障害を除去するための必要な命令を発することができる)に基づき暫定憲法を一部改正する大統領令を公布した。翌14日,レグミ最高裁長官が閣僚会議議長に就任し,2人の官僚退職者を閣僚に任命してIECが発足した。
この11項目の主な内容は,レグミIEC議長の下で2013年6月21日までに選挙を実施する,それが不可能な場合は2013年12月15日まで延長可能とする,新首相選出によりIEC議長は解任される,IECは11人で構成しすべて元官僚とする,IECの任務は選挙実施および日常業務とする,高級レベル政治委員会(HLPC)を設置し政党の合意形成とIECの助言に当たる,HLPCは政党首脳で構成しIECに対して投票日の推薦を行う,HLPCの助言はIECを拘束する,HLPCは選挙実施の障害を除去する,出生に基づきネパール国籍を有する者の子に対して市民権登録書を発給する(選挙人名簿登載に必要な身分証明書になる),2008年第1回憲制議選挙の選挙人名簿と2012年電子版選挙人名簿を基本に改定選挙人名簿を作成する(選管が設定する基準時点で18歳以上の全ネパール国民に選挙権を付与するため),真相究明・調停委員会(TRC)法を大統領令により公布する,元UCPN-M人民解放軍兵士で国軍統合者の職位を確定する,などとなっている。また,暫定憲法の一時的改正とは,レグミIEC設置を可能にするための条文修正であり,その効力は選挙後の新内閣発足までという意味である。
IECにはその発足当初から多くの批判が浴びせられた。その主なものは,次のとおりである。
①NCやCPN-UMLなど野党の主張で,UCPN-Mによる提案を当初から政権延命の手段として反対するもの。野党はバッタライ暫定政権の打倒とIEC設置は別とし,HLPCの場でレグミIEC議長の最高裁長官辞任を繰り返し要求した。
②CPN-Mなどの主張で,IEC設置は主要4党による政権独占と暫定憲法違反行為とみて糾弾するもの。この主張は憲制議選挙反対運動の重要な根拠として,選挙実施段階まで繰り返し唱導された。このグループの政党は,第1次憲制議の議席保有政党がすべて参加する円卓会議の開催と全党参加の政権発足を運動方針に掲げた。
③ネパール弁護士会による主張で,現職最高裁長官のIEC議長就任は三権分立の原則に反するものとし,さらに法廷侮辱に相当とするもの。レグミIEC設置に対する差し止め請求は合計24件が最高裁に提訴された。このうち弁護士のC・K・ギャワル氏らの7件が正式受理されたが,最高裁判事の人員不足などを理由に実質的な審理はほとんど行われなかった。
④その他にも,新首相は政党人から選出すべきであるとか,中立内閣は政党政治の精神にもとるとするもの。ベテラン政治家からの主張であるが,現実の政治状況のもとでは少数政党から首相候補を選出する道につながった。
憲制議選挙の公示とその準備過程レグミIEC発足時点で,それまで一般にいわれていた5月選挙は否定され,11項目合意のなかで投票日は6月21日までとする新しい投票日案が示された。しかしながら,実際には,選挙の準備における技術的側面の課題が山積していた。立法府も兼ねた憲制議が不在になってから,憲法に規定された委員会の長に関する人事は推薦手続きが取れない状態が続いていた。従って,大統領が暫定憲法の一部を改正するほかに手立てがない有様であった。このため,レグミIEC議長は,就任直後から,憲法委員会の機能確保と,それをふまえた選管を含む各種委員会の長の人事から,選挙の準備に取り掛からなければならなかった。このため,6月選挙はもともと必要最低限の準備期間しか見込んでいない実現の困難な目標であった。
その一方,HLPCにおける選挙法改正案(比例区の最小得票率基準の設定など)は政党間の意見調整がつかず,いたずらに会合を重ねるだけだった。そればかりか,HLPCでは,NCとCPN-UMLがレグミIEC議長の最高裁長官辞任要求を主張し続け,UCPN-Mは11月選挙日程の早期公表の要求を繰り返すだけで,議論はまったくかみ合わなかった。レグミIEC議長は,議論に明け暮れて結論に至らない無責任なHLPCメンバーに激高し,IEC就任時に政党に提示した条件である政党の協力や選挙実施に向けた環境づくりを忘れた政党首脳を厳しく批判した。その結果,HLPCは,11項目合意に定められたHLPCの役割(IECへの助言)を放棄し,選挙法改正案の策定や投票日の公示についてレグミIEC議長に一任することで決着した。
6月13日にレグミIEC議長は決断し,選挙の投票日を11月19日と公示するとともに,委員5人の選挙区区割り委員会を設けて30日以内に勧告を取りまとめるよう要請した。翌14日,ヤダヴ大統領は,閣議決定に基づいて第2回憲制議選挙法大統領令を公布し,議員定数は小選挙区240,比例区240,内閣推薦11の計491とすることが正式決定された。少数政党の要望を反映して,比例区の当選最低得票率規定は削除された。この選挙法大統領令に対して,法曹界から,特定犯罪歴を有する者の立候補制限規定が不十分なことに対して最高裁に異議申立てがなされた。
6月16日,反選挙を掲げるCPN-M,マデシ人権フォーラム(ネパール),連邦社会主義党(FSP)のほか,合わせて42党は首都で交通ゼネストを実施し,政府と主要4党による反対勢力を排除したままでの憲制議選挙の実施を批判し,一方的な選挙実施に対する対抗姿勢をあらわにした。CPN-Mの選挙阻止行動(7月3日決定)は,徹底的かつ効果的に選挙をボイコットするために,選挙阻止行動班を配置し,情宣部と軍事部が行動班の活動を支援する体制整備を含むものであった。その一方で,政府との協議の窓口は確保するとした。主要4党は,CPN-Mとの協議は可能なかぎり柔軟に対処するとしたが,NCは,政権および選挙日程を変更しないことが協議の前提条件であるとする立場を貫き通した。
UCPN-Mが率いる連邦制支持のFDRAは,選挙投票日の公示と比例区の最低得票率規定の撤廃を歓迎した。
選挙に反対の諸政党に対して協議を働き掛ける動きはその後も活発化し,HLPCや大統領はCPN-Mを含む33政党を協議の場に引き出し,憲制議選挙への参加を呼び掛けた。その結果,少数政党の意向を反映した憲制議の議員定数の変更(491人から601人への増員)と,選挙参加政党の若干の増加が実現した。しかしながら,9月19日に33党がこれ以上の協議に意味がないとして選挙反対運動の強化を打ち出したため,大勢に大きな変化をもたらすには至らなかった。
選管は選挙の準備を着実に進め,9月中旬に首都および各郡に選挙事務所を設置し,立候補者の受け付け(小選挙区10月3日,比例区10月4日)に備えた。選挙運動規則法の厳格な適用と違反者に対する取り締まり,投票当日の警備体制の整備(警察官5万人,武装警察官2万人,臨時警察官4万人,国軍4万5000人の合計15万5000人規模),憲制議選挙を国軍の治安出動の対象に加える暫定憲法改正に関する大統領承認(9月24日)など,着実に進捗した。
9月下旬以降,各党は選挙戦を活発化させ,立候補者の推薦や選挙公約の公表が続いた。33党は選挙反対運動(ボイコット,選挙妨害)をいっそう激化させた。またこの頃から,国際選挙監視団が活動を開始した。
選挙公約主要政党の憲制議選挙における公約の重点は,連邦制度,統治制度,経済政策であった。有権者は今回の選挙を普通選挙並みに受け止めており,憲法論議よりも経済問題が優先された。
UCPN-Mは「人びとを志向した連邦民共和制」を謳い,全国を11州と各州22自治区の編成とし,直接選挙による大統領と,議会が選出する首相による統治制度を導入するとした。経済政策では,包摂的民主主義,繁栄の分かち合い,海外からの投資受入れの促進を強調した。そして,経済5カ年計画による5年後の所得倍増を目標に掲げた。
NCは7州(13州も可)制,議会選出の大統領(国家の代表)と首相(政府の代表),憲制議発足後6カ月以内の地方選挙実施を訴えた。NCの経済政策は,繁栄の追求を第一とし,そのための個人の努力,創造力,経済的自由を強調し,その支援が政府の役割であるとした。NCが採ってきた1990年代からの経済自由化により現在のような民間部門の拡大が実現した実績をふまえ,「民間部門を基礎にした経済革命」,すなわち富の創出に今後の重点を置くとした。
CPN-UMLは,7州(協議のうえで変更される余地がある)制,直接選挙によって選ばれる首相と議会が選出する大統領による統治制度を採用するとした。そして,成長,繁栄,民間部門の強化に加え,「水力革命」として大中規模の電力プロジェクトを実施し,今後5年以内に電力供給を安定化させることを訴えた。
投票直前の模様11月2日,マクゴールドリック国連開発計画ネパール駐在代表はCPN-Mのバイディア議長と会談し,平和的手段による選挙ボイコットを要請した。11月6日にも国際社会を代表して声明を発表し,選挙の自由に関する普遍的原理の尊重と不法行為の休止を求め,平和的手段による行動を呼び掛けた。
11月11日から,CPN-M率いる33党は,選挙ボイコットおよび選挙妨害を狙った10日間の強制的交通遮断・営業休止行動を開始した。これに対する封じ込め対策として,政府は,(放火による)被害車両の迅速な公費による弁償,11月16日から連続5日間の公休日設定と投票当日の車両通行禁止,選挙妨害行為の取り締まり強化などを打ち出した。13日には,ネパール商工会議所連合会の「平和と対話協調委員会」が大規模行進を実施し,CPN-Mによる営業休止の強制を永遠に休止させる呼び掛けを行った。ネパール民主法律家協会の代表は,33党の10日間ボイコット運動の中止命令を求めて最高裁に提訴し,14日に営業休止行動の強制を中止させる仮処分が下された。外国大使館は政府に対して取り締まり強化による法の支配の徹底を強力に働き掛けた。その結果,選挙妨害行動を政治活動としてではなく,違法な活動として取り扱うことが,政府の合同会議で打ち出された。選挙参加政党も,選挙運動を通じてCPN-Mの選挙妨害活動を無視する選挙キャンペーンを展開した。
11月19日の当日は,おおむね平和裏,自由かつ公正に投票が行われた。投票の完全ボイコット(投票者ゼロ)はロルパ郡下のタワン投票所1カ所のみであった。全国に監視員を配置した全国選挙監視委員会の報告によれば,選挙は全国的にみて円滑に実施されたとした。その他の監視団体は,いずれも監視対象地区では問題なく,自由かつ公正に実施されたことを報じた。潘基文国連事務総長は,選挙が平和裏に実施されたことに歓迎の意を表した。
開票結果と主要政党の対応投票率は,小選挙区が74.65%,比例区が77.90%で,ともに有権者の関心の高さを如実に示した。投票結果は表1のとおりである。政党別の獲得議席数は,NCが小選挙区105,比例区91の計196,CPN-UMLが小選挙区91,比例区84の計175,UCPN-Mが小選挙区26,比例区54の計80であった。内閣推薦議員26人の決定は新政権に委ねられることになった。
(投票日2013年11月19日,開票結果2013年12月6日現在)
(注) 1)「その他の政党」は議席を獲得できなかった92政党で,その合計得票数は有効投票総数との差として算出した。2)第2回憲法制定議会の議員定数は選出議席575,推薦議席26の合計601であるが,本章執筆時点で推薦議員は未決定である。
(出所) Election Commission of Nepal, CA ELECTION 2070より筆者作成。
小選挙区選挙の開票作業が進む11月21日,ダハールUCPN-M議長は自党がNCおよびCPN-UMLに大きくリードされている状況に驚きを隠せなかった。UCPN-Mは開票に立ち会っていた党関係者を直ちに引き揚げ,翌日,同議長は青ざめた表情で記者会見に臨んだ。そして,選挙で不正行為が広範囲で行われたとし,開票作業の中止を求めた。さらに,国内外の勢力の共謀によるUCPN-Mの敗退策動を指摘し,投票箱の操作・書き換えがあったため,UCPN-Mは独立機関による調査が行われるまで,第2回憲制議の参加を見合わせるとした。これに対して,一般民衆はUCPN-Mの不振に逆に沸き立った。ウプレイ選管委員長は直ちに記者会見を行い,投票者の自主的な意思が選挙結果に表明されたものであり,その過程はほかから影響を受けず独立したものでありかつ正しいものであったとし,すべての人々に選挙結果を尊重するよう求めた。選挙監視を指揮したカーター元アメリカ大統領は,UCPN-Mの声明に対して落胆と驚きを表明し,UCPN-Mに対して選挙結果の尊重を求めた。
第1党の座を占めたNCのコイララ総裁は全党参加の政権を目指すとしたが,その他のNCおよびCPN-UML首脳の間では早くも重要閣僚ポスト争いが始まった。他方,UCPN-Mは選挙結果をそのまま認めることはできないほど動揺していた。新聞の論調は,選挙結果はUCPN-M支持票がCPN-UMLへ回った影響を示しており,NCの政策が全面的に支持されたわけではないとした。
12月3日に選管から比例区の政党別当選議席数が公表された。これを受けて,政党は当選議席数に見合う当選者名簿(比例区立候補者名簿のなかから政党が選定)を作成し,期限内に選管に提出する。選管の点検を経て選挙結果が確定し,選管から大統領に報告される。この報告日から21日以内に憲制議・立法議会が招集され,新首相の選出となる。しかし,多くの政党が党内派閥抗争のため,比例区当選者の決定に手間取り,選管は提出期限の2回延長を余儀なくされ,最後の当選者名簿が選管に提出されたのは12月30日であった。
12月24日,8党(主要4党のうちのひとつが分裂したため,合計8党に増加)が4項目で合意した。すなわち(1)立法府内に委員会を設置し,選挙に関する調査および勧告を行う,(2)主要政党の最高首脳委員会を設置し,新憲法策定と和平工程の終結に対する助言を行う,(3)12項目合意,包括的和平協定,暫定憲法の内容に従い,6カ月以内に連邦民主共和国憲法草案を策定し,1年以内に公布する,(4)行方不明者調査ならびに真相究明・調停に関する委員会を設置する,である。この結果,2014年1月22日に立法議会が招集されることが決定し,第2次憲制議の本格的な始動は年明けに持ち越された。
2012/13年度の経済成長率は3.65%で,前年度の4.85%を下回った。農業部門は1.3%,工業部門は1.5%の増加にとどまったが,サービス部門は6.0%増加した。この要因として,農業生産の減少(後述参照)のほか,インフラ整備の遅れ,大幅な財政赤字,エネルギー(電力およびガス)供給の不安定性,治安情勢などによる投資環境の悪化,さらには旺盛な需要に対して国内供給が対応しきれず物価上昇基調が続いていることが挙げられる。
農業部門の経済全体に占める比率は2012/13年度が34.3%であり,前年度の35.4%からわずかに低下した。農業生産の不振は,コメ生産が前年度の507万2000トンから450万4000トンに,率にして11.1%も減少した影響が大きい。コメの作付面積は142万1000ヘクタール(前年度は153万1000ヘクタール)で,対前年度比7.2%の減少となった。単収は1ヘクタール当たり3.17キログラム(同3.31キログラム)で,同じく4.2%の減少であった。トウモロコシの生産量は199万9000トン(前年度217万9000トン),作付面積は85万ヘクタール(同87万1000ヘクタール),単収は1ヘクタール当たり2.35トン(同2.50トン)であった。小麦については,生産量が188万2000トン(同184万6000トン),作付面積が76万ヘクタール(同76万5000ヘクタール),単収が1ヘクタール当たり2.48トン(同2.41トン)であった。コメの減産はモンスーン到来の遅れと降雨不足,さらに肥料供給の不足によるものであり,その影響は全国の75郡のうち40郡に及んだ。
輸出入と海外出稼ぎの動向近年のネパールの輸出入の動向をみると,2011/12年度の輸出総額は約815億1000万ルピーであり,輸入総額は4546億5000万ルピーとなっている。国内総生産(GDP)との割合でみると,輸出は2002/03年度の10.1%から,2011/12年度には4.0%に低下した。しかし,輸入は2002/03年度の25.3%から2011/12年度には29.0%に増加した。このため,貿易収支は赤字状態が続いており,その規模は対GDP比で2002/03年度の15.1%から2011/12年度には24.9%に増加している。貿易収支の赤字を補てんするうえで欠くことのできないものが海外出稼ぎによる送金である。海外からの送金収入は,2002/03年度の542億ルピーから,2011/12年度には3596億ルピーへ6.6倍に増加した。これを対GDP比率でみれば,2002/03年度11.0%から2011/12年度には23.1%に増加したことになる。
ネパール人の海外出稼ぎ先は合わせて109カ国に上るが,主にはマレーシアならびに中東湾岸諸国が目立つ。1994/95年度から2011/12年度までの海外出稼ぎ者(ネパール政府の許可取得ベース)の総数は243万7111人に達する。2012/13年度(第2四半期までの合計)の新規出稼ぎ者数は,男子26万74人,女子1万6713人で,合計27万6787人となっている。国別では,マレーシアが男子9万7543人,女子4697人,合計10万2240人でもっとも多い。ついで,サウジアラビアが男子6万576人,女子283人,合計6万859人であり,カタールが男子5万4639人,女子582人,合計5万5221人,そして,アラブ首長国連邦が男子3万2399人,女子5686人,合計3万8085人となっている。
マレーシアでは,2013年1月1日から国内および外国人労働者に対する最低賃金が引き上げられ,1カ月当たり900リンギ(約2万5172ルピー)になった。ネパール国内ではこのニュースを歓迎し,ネパールへの送金額の増加やマレーシアへの出稼ぎ希望者の増加が話題になった。しかしながら,最低賃金の引き上げに対して,雇用者側が政府に働き掛けた結果,外国人労働者から住居費および食費を雇用者に対して支払わせる制度が導入されることになった。
また,建設ラッシュに沸くカタールでは,外国人労働者に対する過酷な労働条件のため「搾取のるつぼ」と称され,ネパールを含む南アジア諸国からの出稼ぎ労働者の低賃金が問題になっていた。そこで,現地のネパール大使館は処遇改善を働き掛け,ネパール人出稼ぎ労働者に対する最低賃金および諸手当を,2013年1月より月額800リアル(約1万9161ルピー)から1200リアル(約2万8742ルピー)に引き上げさせることに成功した。しかしながら,このため,カタールからのネパール人出稼ぎ労働者に対する求人数が一時的に減少した。
国際社会(国連機関,主要国大使館,国際機関,開発援助機関,国際民間公益団体など)は憲制議選挙が自由で公正に実施されるよう物的,精神的側面から数多くの支援を行った。イギリス,ドイツ,フランス,ノルウェー,デンマーク,スイス,フィンランドなどヨーロッパ諸国の駐ネパール大使ならびに開発援助機関は,選挙反対行動による人権侵害や開発援助事業の妨げに懸念を表明し,法の執行と政府機関による違法行為の取り締まりを支持する声明を発表した。また,CPN-Mに対する選挙参加の説得も日増しに増加させた。
これに対して,CPN-Mは強く反発し,ネパールの国内問題に対する干渉と反論し,憲制議選挙に対する人民の平和的抵抗手段はそもそも限られたものでしかないと主張した。さらに,同党は各国の在ネパール大使館に対して選挙に対する支援の中止を求める文書を送付した。
投票それ自体については,カーター元アメリカ大統領が率いるカーター・センターをはじめとする国際選挙監視団とネパール国内団体の合計57団体が,それぞれの監視活動に当たった。
移行期の司法制度問題ネパールでは,10年に及ぶ内戦に絡んで発生した人権侵害事件に対する政府の無策が,かねてから指摘されてきた。他方,人権団体による女性に対する暴力反対キャンペーン(オキュパイ・バルワタール[首相官邸占拠行動],2012年12月26日開始)など,市民による取り組みもみられるようになった。
こうした矢先,1月3日にイギリス滞在中のラマ国軍大佐(南スーダン共和国派遣中で,休暇でイギリス滞在)が,人民戦争期の人権侵害拷問事件の容疑者としてロンドン警視庁に逮捕された。イギリス刑事訴訟法第134項(1988年)に基づく普遍的裁判権によるものであった。ネパールの人権団体「アドボカシー・フォーラム」がイギリスの法律事務所の協力を得て同容疑者の滞在をイギリス政府に通告し,今回の逮捕につながった。
ネパール外務省は1月4日,タクノット・イギリス大使を召喚し,逮捕は国際法と主権国の司法権に対する侵害であるとする抗議文を手渡した。1月18日には,バッタライ暫定首相がキャメロン首相に宛てた私信で,拷問防止条約違反および和平工程に対する深刻な影響に鑑み,ラマ大佐の即時釈放を要請した。
2月24日,パイパー国連ネパール駐在代表兼人権問題担当は,ラマ大佐逮捕問題がネパールに対する移行過程の司法制度整備を求めるものであるとした。また,ネパール政府のTRC法案に盛り込まれている移行過程の深刻な人権侵害に対する包括的特赦条項(3月14日のTRC大統領令では政府は削除済みとしている)は,国際社会の人権規範および価値に抵触するとした。ネパール政府側は,同法案が大統領承認段階に達していることを強調するとともに,ネパールの全体的な政治情勢を説明し,国際社会の理解を得たいとした。
対インド関係インドはネパールの政治的安定化を望む立場から,憲制議選挙が確実に実施されることに大きな関心を抱いていた。そして,レグミIEC内閣発足後,インドは直ちに外務大臣声明を発表し歓迎の意を表明した。その後,シン・インド首相はネパールの主要政党の最高首脳を相次いで招待し, 11月の選挙を間違いなく実施するよう精力的に働きかけた。最初はダハールUCPN-M議長(訪問日程:4月27~30日)で,以下デウバNC元首相(同6月9~14日),M・K・ネパールCPN-UML元首相(同7月24~28日),コイララNC総裁(同8月4~9日)と続いた。NC最大派閥の領袖であるデウバ元首相がインド公式訪問期間中に,レグミIEC議長により選挙投票日が公示された。このため,デウバ元首相が帰国後の記者会見で,(1)インドがネパールの平和・安定・民主的改革ならびに選挙実施の後に長く待ち望まれてきた憲法が制定されることを欲していること,(2)インドは11月19日に予定された憲制議選挙のため必要なあらゆる支援をネパールに対して行う用意があることを報告した。これは,憲制議選挙の実施を強く支持するインドの意思をネパール国民に広く訴える絶好の機会となり,インド側の思惑どおりの結果になった。
さらに,国連総会に出席したレグミIEC議長と会談したシン首相は,インドはネパールの憲制議選挙の実施に向けてあらゆる可能な手段を通じてネパールを支援していくことを表明した。
インドは,対ネパール資金援助額を40%増加させ,60億8000万ルピー(2013/14年度,2013年2月28日発表)とするとした。
対中国関係6月24~25日,中国の前外交部長である楊潔篪国務委員が来訪した。IEC発足後,初の中国要人の来訪であり,ネパールの政治情勢,開発・投資事業の進捗,中国の安全保障問題の関与などにつき意見交換した。また,カトマンドゥ盆地周回道路建設事業の礎石打ち込み記念式典に出席した。憲制議選挙後の12月17日から20日まで,艾平中国共産党対外連絡部副部長が選挙後初の中国政府要人として総勢14人の団員とともに来訪した。
2013年は,ダハールUCPN-M議長,バイディアCPN-M議長らが,相次いで中国を訪問した。とりわけダハール議長は,習近平国家主席ら最高首脳と会談し,ネパールの政治的,経済的発展のあり方について協議し,中国側の理解と経済的支援を求めた。しかし,中国側は多くの小規模な州が国境地帯に形成されることを望んでいないとされ,民族主義連邦制の制度的困難性を指摘し,消極的な評価を示した。
第2回憲制議会選挙の投票からおよそ40日を費やし,ようやく憲制議の選出議員だけは確定した。この後,内閣推薦議員26人の選出,憲制議(兼立法議会)の初招集,正副議長の選出,新首相選出と組閣を経て,憲制議の本務である新憲法の草案策定と制定(憲制議招集から,それぞれ6カ月以内と1年以内)の審議に取り掛かることになる。その間に地方選挙の実施(2014年4月まで)も控えており,2014年の政治日程に空白はない。2014年1月22日に立法議会が招集され,首相選出手続きが開始された。NCとCPN-UMLが連立政権樹立で6項目の合意を取り結び,2月10日の首相選挙でコイララNC総裁が賛成405票,反対153票を得て首相の座に着いた。
しかしながら,組閣段階でCPN-UMLは内相などの重要閣僚ポストを要求し,コイララ首相は約束していないと突っぱね,連立関係に早くも亀裂が生じた。これに,野党に回ったUCPN-Mの政治戦略とCPN-Mが率いる反選挙33党の闘争戦略が加わると,政党間の抗争がさらに激しさを増すことは間違いない。新たに選出されたネムワン憲制議議長が新憲法制定までの1年の起算日は2014年1月22日と明言した結果,カウントダウンが始まった。けれども,新憲法制定の見通しはまったく不透明であり,地方選挙は延期が必至の情勢にある。頑固一徹で知られるスシル・コイララ新首相の力量が問われる1年になる。
(日本大学教授)
1月 | |
2日 | オキュパイ・バルワタール(首相官邸占拠行動),女性に対する暴力反対運動7日目に突入。 |
3日 | ラマ国軍大佐,内戦期の拷問容疑によりイギリス国内で逮捕。 |
3日 | ダハール統一ネパール共産党毛沢東主義派(UCPN-M),中立政権設置案を表明。 |
5日 | ヤダヴ大統領,政党合意による首相選出期限7回目の延長(~9日まで)。 |
5日 | ダイレカ郡警察,2004年発生のタパ記者殺害事件容疑者5人逮捕。 |
6日 | ラナ国軍参謀長,インド訪問(~15日)。 |
9日 | ネパール共産党毛沢東主義派(CPN-M)党大会開催(~15日)。 |
10日 | 大統領,政党合意による首相選出期限8回目の延長(15日まで)。 |
15日 | 大統領,政党首脳と会談し合意による首相選出期限の延長を中止。 |
19日 | 野党,ダイレカ郡下で反政府集会,20日間の抗議行動開始。 |
23日 | UCPN-Mと野党,UCPN-Mのダイレカ郡代表者会議開催地で運動員同士が衝突。 |
28日 | ダイレカ郡検察官,タパ記者殺害事件でUCPN-M運動員9人起訴。 |
29日 | 野党,バッタライ暫定政権打倒集会。 |
30日 | 連邦民主共和同盟(FDRA),連立与党系21党による大衆集会開催で勢力誇示。 |
2月 | |
2日 | UCPN-M,第7回党大会(~8日)。非武装議会政治運動綱領を採択。 |
9日 | ダハールUCPN-M議長,レグミ最高裁長官を中立政権候補に推薦。 |
11日 | 主要4党(UCPN-M,ネパール国民会議派[NC],ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派[CPN-UML],マデシ人権フォーラム[MPRF]),中立政権下で5月末までの憲法制定議会(憲制議)選挙実施で合意。 |
18日 | 主要4党,レグミ暫定選挙内閣(IEC)設置を正式決定。 |
19日 | CPN-M,レグミIEC設置反対首都圏交通ゼネスト実施。 |
25日 | レグミ最高裁長官,IEC設置案受諾。 |
3月 | |
1日 | UCPN-M,人民戦争期のチトワン郡誤爆事件の謝罪と犠牲者救済を表明。 |
7日 | 最高裁,国家人権委員会(NHRC)の人権侵害事件捜査権と訴追権(無時効)を認定。 |
13日 | 主要4党,11項目合意。 |
13日 | IEC設置関連暫定憲法改正大統領令公布。 |
14日 | レグミ最高裁長官,IEC閣僚会議議長に就任しIEC発足。2閣僚任命。 |
14日 | ネパール弁護士会,3月14日をネパール法制史上の「暗黒の日」と制定。 |
14日 | 真相究明・調停委員会設置法大統領令公布。 |
15日 | 22党,IEC発足反対集会開催。 |
16日 | 主要4党,高級レベル政治委員会(HLPC)設置。 |
17日 | 憲法協議会関連暫定憲法改正法大統領令公布。 |
18日 | レグミIEC議長,8閣僚任命。 |
19日 | フェルトマン国連事務次長政治問題担当特別代表,来訪(~21日)。 |
20日 | レグミIEC議長,閣僚3人を憲法委員会委員に任命。 |
24日 | 大統領,選挙管理委員会(選管)委員長および4委員を任命。 |
25日 | レグミIEC議長,選挙準備体制について選管と協議。 |
29日 | CPN-M, IEC設置と憲制議選挙に反対する10日間抗議行動開始(~4月7日)。 |
29日 | カーター元米大統領,来訪(~4月1日)。 |
4月 | |
1日 | 選管,比例区に1.5%最低得票率条項を盛り込んだ選挙法案提示。 |
1日 | CPN-M,選管に選挙事務停止要求書提出。 |
3日 | CPN-M,IEC議長の所有農地占拠。 |
4日 | 主要4党,憲制議選挙に反対する33党に協議呼び掛け。 |
7日 | CPN-M,10日間の反対運動最後の日で全国スト実施。 |
8日 | レグミIEC議長,準備の遅れで選挙は11月実施を示唆。 |
14日 | ダハールUCPN-M議長,中国訪問(~20日)。 |
17日 | レグミIEC議長,11月選挙実施決断。 |
20日 | 33党,選挙人名簿登録作業と市民権証明書発給作業の妨害予告メモを公表。 |
22日 | HLPC,憲制議選挙の投票日を4月末までに公表するようIECに助言。 |
27日 | ダハールUCPN-M議長,インド訪問(~30日)。 |
30日 | 選管,政党の選挙参加登録開始。 |
5月 | |
1日 | CPN-M,要求貫徹されるまで憲制議選挙参加登録を拒否。 |
3日 | 33党,選管前で登録中止呼び掛け。 |
8日 | 大統領,権力乱用調査委員会委員長にカルキ氏を任命。 |
10日 | 政府,政党と選挙実施について協議会開催。33党はボイコット。 |
10日 | ネパール弁護士会,レグミ最高裁長官辞任拒否に反発し最高裁設置設念日の行事欠席。 |
12日 | 選管,政党の協力欠如で選挙法改正が遅れ選挙準備進展せずと不満表明。 |
19日 | FDRA,加盟政党間の選挙協力協議。 |
22日 | ネパール原住民連合(NEFIN),憲制議議員定数601の継続を政府に要求。 |
25日 | 潘基文国連事務総長,11項目合意に基づく期限内の選挙実施を政党に呼び掛け。 |
27日 | 最高裁,レグミIEC議長就任差し止め請求の反対理由書提出を政府に命じる。 |
6月 | |
6日 | 連邦民主同盟,選挙法改正要望書提出し7日以内の回答を政府に要求。 |
10日 | HLPC,選挙規程案で政党の合意不調につきレグミIEC議長に決定一任。 |
13日 | レグミIEC議長,憲制議選挙投票日を11月19日とし,選挙区区割り委員会設置。 |
13日 | 42党,憲制議選挙反対して一方的な投票日決定に抗議。 |
14日 | 選挙法改正大統領令公布。 |
14日 | レグミIEC議長,テレビ演説で国民に選挙の支持を訴え。 |
16日 | 42党,憲制議選挙反対全国交通ゼネスト実施。 |
17日 | 大統領,精密検査のため日本訪問(~28日)。 |
20日 | 最高裁,IEC設置関連大統領令の三権分立違反差し止め請求に係る特別法廷設置。 |
21日 | 18少数政党,進歩的民主国民戦線結成しIEC解散と全政党合意政権の樹立要求。 |
22日 | UCPN-M,CPN-Mに対してHLPCのメンバー化と選挙協議への参加を提案。 |
23日 | CPN-M,レグミIEC議長辞任と全政党参加内閣の発足が選挙協力の条件と回答。 |
23日 | HLPC,連邦社会主義党(FSP)と選挙協議。 |
23日 | FDRA,憲制議選挙投票日の公表歓迎。 |
24日 | 楊潔篪中国国務委員,来訪(~25日)。 |
25日 | ダハールUCPN-M議長とバイディアCPN-M議長,秘密会談開催。 |
26日 | HLPC,憲制議選挙反対政党説得のため3人の協議チーム発足。 |
29日 | バッタライUCPN-M副議長,党役員人事に不服で役職辞任表明。 |
30日 | UCPN-M,バッタライUCPN-M副議長の慰留と拡大執行委員会で取り扱い検討。 |
7月 | |
3日 | 大統領,政党ごとに選挙協議開始。 |
3日 | CPN-M,中央執行委員会で選挙阻止決定。 |
4日 | 最高裁,レグミIEC議長就任差し止め請求にかかわる審理手続きの検討開始。 |
8日 | バイディアCPN-M議長,中国訪問(~11日)。 |
10日 | クルシード印外相,来訪(~10日)。 |
14日 | レグミIEC議長,2013/14年度予算案を閣議決定し,即日大統領承認。 |
15日 | UCPN-M,比例区定員削減反対するNEFINの全面的支持表明。 |
17日 | HLPC,選挙後6カ月以内の憲法草案策定と1年以内の公布を決定。 |
18日 | HLPC,選挙区区割り問題解決のため8人の専門委員会設置。 |
19日 | CPN-M,模擬投票箱破壊街頭行動。 |
19日 | ラナ国軍参謀長,中国訪問(~25日)。 |
22日 | 選管,選挙運動規制期間の開始宣言。 |
23日 | 選管,有権者名簿公開。 |
25日 | レグミIEC議長,選挙区区割り委員会の任期10日間延長。 |
28日 | 選管,CPN-Mの模擬投票箱破壊行為は選挙運動規則違反と非難。 |
30日 | アメリカ議会,ネパール決議案上程。 |
31日 | 統一民主マデシ戦線(UDMF),選挙人名簿登録期限の30日間延長要求。 |
8月 | |
1日 | CPN-M,選挙運動規定集を燃やして憲制議選挙ボイコット表明。 |
1日 | 選挙区区割り委員会,10日間の任期再延長を政府に要請。 |
3日 | HLPC,33党に協議参加要請文送付。 |
6日 | HLPC,33党と協議開始。 |
8日 | HLPCとFSP,選挙協議の席上FSPは対政府5項目要求を提示。 |
13日 | HLPCと33党,33党側はIEC解散が選挙協議の前提条件と主張。 |
15日 | 連邦民主マデシ戦線(マデシ系少数政党の連合体),比例区定員増などを条件に憲制議選挙参加を決定。 |
22日 | HLPCと33党,全党協議開催合意。 |
24日 | 全党協議会,33党の選挙延期要求をHLPCが拒否し会議決裂。 |
26日 | 国軍,元UCPN-M兵士70人を将校に任用し和平工程終結。 |
28日 | 33党,立候補手続きの妨害を重点に憲制議選挙反対運動を展開すると表明。 |
29日 | 33党,大統領に円卓会議開催を要請。 |
9月 | |
5日 | FSP,選挙参加を正式決定。 |
5日 | ラナ国軍参謀長,イギリス訪問(~10日)。 |
10日 | HLPC,CPN-Mの選挙参加説得と憲制議選挙の実施を確認。 |
11日 | HLPC,憲制議の議員定数増加させる暫定憲法改正をレグミIEC議長に要請。 |
12日 | 33党,首都で選挙反対スト実施。 |
13日 | 大統領,全党協議会を開催。CPN-Mは選挙参加の4条件提示。 |
13日 | IEC,投票所警備のため2カ月間の臨時警察官4万5000人採用を決定。 |
15日 | 全党協議会,CPN-M との協議決裂。 |
16日 | レグミIEC議長,ラナ国軍参謀長と選挙警備体制を協議。 |
17日 | 憲制議議員定数関連暫定憲法改正大統領令公布。 |
19日 | 33党,主要政党とこれ以上の協議は無意味と結論し選挙反対運動の強化決定。 |
23日 | レグミIEC議長,国軍の選挙治安出動にかかわる暫定憲法改正を閣議決定。 |
24日 | 選挙を国軍治安出動対象に含める暫定憲法改正大統領令公布。 |
26日 | 33党,立候補者を攻撃対象にした選挙反対行動方針を公表。 |
10月 | |
2日 | CPN-M,協議段階の終結と憲制議選挙段階の選挙反対運動強化宣言。 |
3日 | 選管,小選挙区立候補受け付け開始。 |
4日 | 選管,比例区立候補受け付け開始。 |
6日 | 33党,立候補者宛てに立候補辞退要請文を発送。 |
7日 | カナルCPN-UML委員長,立候補予定者銃撃事件で立候補者警護を選管に要請。 |
7日 | バイディアCPN-M議長,選挙反対運動は平和裏に行うと表明。 |
7日 | 33党,憲制議選挙反対運動および強制的募金活動を強化。 |
9日 | 選管,小選挙区の全立候補者名公表。 |
9日 | ダハールUCPN-M議長,憲制議選挙後6カ月以内に新憲法の争点解決努力を表明。 |
19日 | CPN-M,西部3郡で交通ストライキ実施し選挙運動を阻止。 |
20日 | IEC,各小選挙区に国軍治安部隊配置。 |
21日 | 選管,高級レベル選挙監視委員会を設置。 |
24日 | 選管,比例区の全立候補者名公表。 |
29日 | 選挙妨害行動全国各地に拡大。 |
31日 | レグミIEC議長,選挙妨害行為の厳格な取り締まりを指示。 |
11月 | |
4日 | 選管,選挙監視団に許可証発行。 |
8日 | レグミIEC議長,33党に選挙妨害行為の中止呼び掛け。 |
11日 | 33党,10日間交通ゼネスト開始。 |
11日 | NHRC,CPN-Mに交通ゼネスト中止呼び掛け。 |
11日 | ネパール商工会議所連合会,交通ゼネストに屈しない姿勢を表明しスト中止を要求。 |
12日 | 交通事業者,交通ゼネスト期間中の業務継続を表明。 |
13日 | 選管,投票準備はすべて完了と発表。 |
14日 | 最高裁,33党に対してストライキ中止の仮処分命令。 |
16日 | 政府,5日間公休日開始。 |
16日 | カーター元米大統領,選挙監視のため来訪(~21日)。 |
17日 | 選管,投票48時間前の選挙運動禁止期間開始宣言。 |
18日 | ポーデル情報・通信相,投票所の安全確保を強調し投票参加呼び掛け。 |
19日 | 第2回憲制議選挙投票日。 |
21日 | 選挙監視団,自由で公正な選挙が実施されたと表明。 |
21日 | 潘基文国連事務総長,憲制議選挙の平穏無事終了を歓迎する声明発表。 |
21日 | UCPN-M,不正選挙を訴え開票中止要求。 |
26日 | CPN-UML,憲制議に新大統領・副大統領の選出要求。 |
27日 | 14党,不正選挙調査委員会の設置を選管に要求。 |
12月 | |
1日 | CPN-M,推薦議席の配分に関係なく憲制議不参加を表明。 |
1日 | UCPN-M,選挙不正調査終了まで憲制議に不参加を表明。 |
3日 | 選管,比例区政党別当選議席数公表。 |
7日 | NCとCPN-UML,3項目合意。 |
7日 | 18党,不正選挙調査のため高級レベルコミッション(HLC)設置要求で合意。 |
11日 | HLPC,UCPN-Mは不正選挙高級レベル調査委員会設置を提案。 |
15日 | HLPC,憲制議発足と新内閣発足と憲法策定計画につき協議。 |
17日 | 艾平中国共産党対外連絡部副部長,来訪(~20日)。 |
20日 | カーターセンター,憲制議選挙監視報告書提出。 |
24日 | 主要8党(元主要4党),4項目合意。 |
30日 | NCなど,比例区当選議員名簿提出。 |