2014 Volume 2014 Pages 593-618

2013年3月16日に連邦議会下院が任期満了により解散,5月11日に総選挙が実施され,パキスタン史上初となる民政下での政権交代が実現した。パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ派(PML-N)が過半数の議席を獲得し大勝利を収めた。6月5日,党首ナワーズ・シャリーフが新首相に就任し安定政権が誕生した。パキスタン人民党(PPP)前政権の安定を揺るがしてきた司法では,チョウドリー最高裁長官が12月11日,定年をもって退官した。軍のトップであるキヤーニー陸軍参謀長も11月29日,定年退役した。
「明るいパキスタン」を選挙公約に戦ったPML-Nは,文字どおり停電・エネルギー問題の改善に着手した。6月29日,これまで後回しにされてきた独立系発電会社(IPPs)に対し債務3420億ルピーを支払った。8月5日の商業向け電気料金の値上げに引き続き,10月1日に消費者向け電気料金の値上げを敢行したが,即最高裁の反対に遭い3日後には取り下げることになった。危機的な状況にあった国際収支も9月4日,IMFが拡大信用供与措置(Extended Fund Facility: EFF)を承認したことで救われた。
対米関係は2013年をとおして良好であった。国際収支が悪化し財政赤字に苦しむパキスタンは,アメリカの同盟支援資金(Coalition Support Fund: CSF)に依存している。シャリーフ新政権も一貫して無人機攻撃を非難しているが,強硬な姿勢をとることはできない。対インド関係では,2013年初頭から実効支配線(LoC)付近でのパ印両軍の小衝突が断続的に起こった。親インド派で名高いシャリーフ新政権が誕生したことで,対インド関係は大筋では安定した。
2013年5月11日,連邦議会下院および州議会議員の任期満了に伴う解散・総選挙が行われた。連邦議会については,下院342議席のうち,女性留保枠60議席,非ムスリム留保枠10議席を除いた272議席について選挙が実施された。
この選挙は,パキスタン建国史上初となる民政下における政権交代とあって,国内外の注目を集めていた。選挙前には,与党PPPと野党第1党PML-Nの駆け引きがあり,解散後から選挙・次期組閣までの行政を担当する暫定内閣および首相の選出には時間を要した。2012年の第20次憲法改正によって政府と野党は解散後3日以内に暫定首相の任命に合意しなければならないとされ,実質的には解散前に合意に至る必要があった。PPPは司法や軍からの影響を減らす意図で,退官判事や退役軍人を暫定首相に任命しないとの立場であった。PML-Nは司法との関係が比較的良いことから,最高裁退官判事を候補として挙げていた。アシュラフ首相はいよいよ解散も迫った2月27日,チョウドリー・ニサール・アリー・ハーン野党代表(PML-N所属)に対し野党としての暫定首相の候補者を挙げるよう書面で要請した。3月6日,ハーン野党代表はイムラン・ハーン率いるパキスタン正義行動党(PTI),イスラーム聖職者党ファズル派(JUI-F)など野党の合意として,ナースィル・アスラム・ザーヒド退官判事をはじめとする3人の候補を回答した。これに応えて3月14日,首相はシャイフ前財務相,フサイン前中央銀行(SBP)総裁,ミール・ハザル・ハーン・コーソー退官判事を候補として挙げた。PPPとPML-Nは暫定首相について合意に至ることができないまま3月16日,任期満了を迎えた下院は解散した。結局24日,選挙管理委員会がコーソー退官判事を暫定首相に選出した。
選挙前には,悪化する治安を危惧して果たして選挙が無事に実施されるのか,という意見も多かった。選挙期間中の暴力で立候補者3人を含む少なくとも150人が犠牲になった。パキスタン・ターリバーン運動(TTP)の標的になったのは比較的リベラルなPPP,大衆民族党(ANP),統一民族運動(MQM)であった。選挙実施を危ぶむ大方の予想に反し,5月11日に無事に選挙が実施された。選挙日当日もテロの危惧があったにもかかわらず投票率は60%を超え,内外ともに評価の高い選挙であった。結果,中道右派のPML-Nが大幅に議席を伸ばし与党となった(表1)。6月1日,連邦議会下院が招集され,ナワーズ・シャリーフPML-N党首が5日,首相に選出された。シャリーフ氏は1999年にムシャッラフ前大統領が率いた軍事クーデタにより政権を追われ亡命生活を送っていたが,第1次(1990~1993年),第2次政権(1997~1999年)に続き,3度目の首相に返り咲いた。

(注) 1) 選挙は5月11日に実施されたが,その時点で最終獲得議席は確定しない。まず立候補の時点で所属政党を決めていない候補者や鞍替えも珍しくない。また候補者は,複数選挙区での立候補が認められているため,1候補者が2選挙区以上で当選した場合は空席が生まれる。8月22日にそのような選挙区で補欠選挙が行われた。それ以外に,治安や候補者死亡などの事情で選挙が実施されなかった選挙区においても,選挙管理委員会の決定に従って,別個に補欠選挙が実施された。政党名はパキスタン・ムスリム連盟ナワーズ派(PML-N),パキスタン人民党(PPP),パキスタン正義行動党(PTI),統一民族運動(MQM),イスラーム聖職者党ファズル派(JUI-F),パキスタン・ムスリム連盟機能派(PML-F),イスラーム党(JI)。
シャリーフは首相就任後の7日,新内閣を発表した。PPP前政権と違い下院で過半数を獲得したPML-Nは連立の必要がないため,閣僚ポストも25と少数であった。外務相と国防相は自らが兼任することとなった。これは軍に対する牽制と見て取れるだろう。というのも,これまでパキスタンの外交・国防は軍が主導権を握ってきたといってよく,国防省の存在感はなかった。シャリーフ氏はPPP前政権下で悪化した慢性的なエネルギー危機に取り組むことを公約として掲げ選挙運動を戦ってきた。PML-N安定政権が誕生したことで,さまざまな経済改革が実施しやすくなるだろうと思われる。一方で,2012年に実施された上院選挙(議席の半数に対して実施)ではPPP連立政権が過半数を獲得していたこともあり,ねじれ現象が生じていることは法案成立にとって障害となろう。
PML-N政権にとっての不安材料は,地方政府とのバランスであろう。PML-Nの地盤は最大州パンジャーブ州に限られており,ほかの3州では野党にとどまっている。PTIはハイバル・パフトゥーンハー(KP)州で,PPPはシンド州で与党である。中央の連邦政府と地方政府との確執に起因する不安定な内政はパキスタン建国以来の典型である。PML-Nは7月30日,マムヌーン・フサイン氏を第12代大統領に選出した。同氏はシャリーフ第2次政権下でシンド州知事を務めた人物であり,大統領は象徴的な役割を担うのみとしても,パンジャーブ州に次ぐシンド州とのバランスを意識してのことと考えられる。
PML-N政権にとって,エネルギー問題と並んで最大の課題は,悪化する治安問題であろう。6月の政権発足直後にテロが頻発したこともあり(後述),新政権にとって初の試練となった。しかし,もともとビジネス界出身のシャリーフ首相にとって,エネルギー問題を含む経済改革に比べて治安問題に取り組む姿勢は消極的である。8月19日,首相は就任後初の国民に向けた演説を行ったが,テロよりは経済に焦点を置いており,新政権の比重を象徴していた。
「ソフト・クーデタ」の懸念2013年1月13~17日,イスラーム・スーフィー指導者であるムハンマド・ターヒルル・カーディリー氏率いる「コーランの大道運動」(TMQ)がPPP政府の汚職に抗議するかたちで,デモ「ロング・マーチ」を呼び掛け実施した。ラホールからイスラマバードにかけ数万人の参加者を動員した大規模なものであった。この抗議でカーディリー氏は,議会の解散と選挙までの暫定政府の発足を要求した。
カーディリー氏は,パキスタンでは司法と軍のみが正常に機能しており暫定政府は両者によって任命されるべきと主張したこと,大規模なデモには多額の資金が必要なこと,にもかかわらず2012年12月にカナダから帰国したばかりであることなどから,その背後に軍の存在があり軍が選挙を前にして「ソフト・クーデタ」を企てているとの憶測もあった。
カーディリー氏は,当初国内外から大きな注目を集め,国民の多大な支持を得るように思われたが,実際のところは予想されたほどの影響はなかった。また,背後に軍の存在が疑われたことから,野党の支持も得られなかった。シャリーフPML-N党首は,「民主主義のプロセスを妨げる」と非難した。
2013年1月17日,カーディリー氏の要求を政府が呑むかたちで,選挙を監視する暫定政権の発足・選挙管理に同氏を関与させることを約束した。3月16日までに議会を解散し,90日以内に選挙を実施することも合意された。この合意は同時に「ソフト・クーデタ」の脅威を軽減することにもなった。カーディリー氏は選挙管理委員会を刷新すべきとの主張もしていた。2012年7月にPPPとPML-Nが合意するかたちで,ファフルッディーン・イブラーヒーム退官判事が選挙管理委員会委員長に任命されていたが,イブラーヒーム氏の任命は憲法で規定されている議会の承認を得ていないと批判していた。最高裁は2月13日,カーディリー氏には提訴する資格がないとして同氏の主張を却下した。同氏はカナダとパキスタンの二重国籍をもち,選挙資格がないからである。この最高裁の判決によって選挙が予定どおり実施される目処がついたといえよう。
軍と並んでパキスタン政治に大きな影響力をもつ司法の積極的な政治介入も,2012年に続き本年も行われた。1月15日,最高裁は汚職容疑でアシュラフ首相に逮捕状を出した。2012年10月に「スイス・レター」の内容で与党PPPと司法とが合意に至ったことから(『アジア動向年報2013』参照),両者の確執は収束したかのようであったが,これにより再燃した。17日,ファスィー・ブハーリー国家説明責任局(NAB)長官が最高裁に対し,首相の汚職容疑については捜査の時間が必要だと述べたことで逮捕は免れた。これがカーディリー氏による抗議デモと期を一にしたことから,司法とカーディリー氏,その背後に軍の存在を指摘する意見もあった。カーディリー氏もチョウドリー最高裁長官も,汚職政府の放逐という意味では共通の目的をもつものの,互いに協力関係にあった可能性は低いと思われる。
民主的な政権交代が史上初めて実現し,PML-N安定政権が誕生したことで,軍もしくは司法による「ソフト・クーデタ」は国民の支持を得られにくく,その可能性は一段と低くなったと思われる。PPP前政権を脆弱にしていた大きな要因には,不安定な連立政権のほかに,司法と軍の政治介入,それぞれの強力なリーダーシップがあった。キヤーニー陸軍参謀長が11月29日に,チョウドリー最高裁長官が12月11日に相次いで定年により退役,退官したことも,新政権の安定材料となろう。
国内の治安問題パキスタンの治安問題は,党派・派閥争いによる暴力(例:シーア派を標的としたテロ),バローチスタンの独立運動,カラチの治安問題,など多様だが,最大の問題はTTPである。TTPは連邦政府直轄部族地域(FATA)で活動する武装グループの連合体である。主なターゲットはパキスタン軍と政府である。PPP前政権にとっても,またPML-N新政権にとっても,国内の治安問題に対処すること,具体的には武装勢力,とりわけTTPとの和平交渉をいかに進めるかは,エネルギー改革・財政問題と並んで最重要課題のひとつである。
PPP前政権下でも選挙戦でも,国内の治安問題は重要な課題であった。TTPは2月4日,停戦・和平交渉に応じる条件を政府に出した。条件はTTP囚人の釈放と,ファズルッ・ラハマーンJUI-F党首,ムナッワル・ハサン・イスラーム党(JI)党首,ナワーズ・シャリーフPML-N党首を交渉の保証人に立てること,の2点であった。いずれの条件も選挙前のセンシティブな状況下でPPP政府が受け入れることはできなかった。4月5日,パキスタン軍はハイバル・エージェンシー・ティラー谷でTTPら武装勢力掃討作戦を開始した。ティラー谷はもともと部族どうしの縄張り争いが絶えない地域であったが,3月21日にTTPの支配下に陥落していた。一方,ハイバル・エージェンシーは駐アフガニスタンNATO軍向け物資補給路でもあることから地理的な重要性が高い。同掃討作戦における武装勢力側の死者は100人超といわれるが,軍が正確な数字を公表していないため定かでない。TTP掃討作戦の背景には5月11日に控えた選挙があるともいわれた。TTPはとりわけ,ANP,MQM,PPPの選挙集会を攻撃すると有権者を脅しており,実際に選挙集会を標的にしたテロにより犠牲者もでた。
PML-Nの選挙キャンペーンでは,エネルギー問題の解決が前面に出され,テロの問題はあまり表に出てこなかった。TTPのテロがPML-Nの地盤パンジャーブ州ではほとんど発生していないこともあるだろうが,もともと従来の政府が国内の武装勢力に対する対策に消極的であったこともあろう。またTTPの攻撃対象も,「世俗的な」政党であると名指しされたANP,PPP,MQMに限られており,保守的なPML-NやPTIはほとんど攻撃対象とはならなかった。
PML-N政権は発足後,国内の反テロ政策について政治的な合意を模索してきた。しかし6月には,それに挑戦するかのようなテロが頻発した。主なもので,15日クエッタ(少なくとも44人死亡),18日マルダーン(同34人),21日ペシャーワル(同15人),23日ナンガー・パルバット(同10人),30日クエッタ(同28人)が挙げられる。
9月9日,パキスタンの有力政治家・軍人の会合がもたれ,国内で数々のテロを引き起こしている武装勢力,具体的にはTTPとの和平対話開始を合意した。TTPは政府の発表を歓迎し対話に応じる構えをみせたが,これまでの和平交渉も失敗に終わっているため,文字どおり楽観的に捉えることはできない。事実9月22日,ペシャーワルのキリスト教会で自爆テロが起こり,少なくとも85人が死亡した。キリスト教徒はムスリムが97%を占めるパキスタンにおいてしばしば差別の対象となってきたが,テロの標的となることは稀であった。このテロに関しては,TTP自体が関与したわけではないようだが,少なくとも犯行声明を出した武装グループを支持する声明がTTPより出された。これは,TTPと対話を行うというPML-Nの姿勢に対する真っ向からの挑戦であるようにもみえる。一方で,TTPが数々の武装グループの連合体でもあることから,TTP内部での意見の食い違いやパワーバランスを示唆しているのかもしれない。
11月1日,TTPの指導者ハキームッラー・マフスードがアメリカの無人機攻撃により殺害された(詳細は「対外関係」で後述)。TTPは早速報復を行う旨の声明を出した。さらなる治安悪化が懸念される一方,TTPの弱体化につながるとの見方もあった。7日,後継者に好戦的なモウラーナー・ファズルッラーが選出されたことで,PML-N政府とTTPとの和平交渉の実現は絶望的となった。
パキスタンの2012/13年度(2012年7月~2013年6月)の実質国内総生産(GDP)成長率は3.6%で,前年度の4.4%を下回り目標に届かなかった(Economic Survey [経済白書],2013年6月11日)。金融緩和策や積極的な財政政策がとられたにもかかわらず伸び悩んだことは憂慮すべきである。その最大の要因は2%分の成長を削いでいると試算されるエネルギー危機にあるといってよい。国際金融公社(IFC)発表のDoing Business指標でも,電力事情は189カ国中175位にランクされており,エネルギー危機が総合順位110位を大幅に引き下げるかたちとなっている。
セクター別では,農業部門が3.3%,鉱工業部門が3.5%,サービス部門が3.7%(いずれも対前年度比)の伸びであった。実体経済の伸び悩みのうち,とくに目立ったのはGDPの20%以上を占める農業部門である。天候に左右されるため目標を達成できないことは仕方ない面もあるが,近代的な農業技術の導入の遅れも指摘されている。その一方で,エネルギー危機にもかかわらず製造業部門の伸び3.5%は前年度が2.1%であったことからして健闘しているといってよい。
2012/13年度の輸出額は対前年度比6%増の315億2600万ドル,輸入は同0.5%減の484億4500万ドルで,貿易収支赤字は169億1900万ドルと前年度から10.8%縮小した。前年度の輸出の伸びがマイナスであったことに比べれば堅調であった。この背景には,輸出財の53.3%を占めるテキスタイル製品に対して,過去2年連続した洪水被害を考慮してEUが免税措置をとったことが大きいだろう(2012年11月15日発効)。あわせて,アメリカの「テロとの戦い」に協力する見返りであるCSFが予想以上に支払われたこと(約18億ドル),ここ数年の傾向である労働者送金の伸びが堅調であったこと(139億ドル)から,対GDP比経常収支赤字は前年度の2.4%から1%に減少した。労働者送金の伸びについては,熟練労働者からの送金増が指摘されている。しかし,優秀な人材が海外へ出稼ぎに出たり移住したりすることをコインの裏側からみれば,国内の雇用機会が少ないことの表れである。そして,「頭脳流出」といわれるように国内に人的資本が蓄積されないことは将来の経済成長にとってマイナスである。統計上の失業率は6%と国際的にみてさほど高いわけではないが,実態を反映していないことが以前から指摘されている。実体経済が伸び悩んでいる一方で,消費水準は衰えておらず不動産業界が活況を呈する背景には中東への出稼ぎが広く浸透していることがある。他方,2014年末にアメリカをはじめとするNATO諸国がアフガニスタンからの撤退を決定していることから,CSFの伸びは持続的なものではない。
インフレ率が7.4%と目標値を下回って1桁台に抑えられたのは6年ぶりであり好材料にみえる。しかしこれも統計どおりに受け止めてよいかは疑問である。2013/14年度に入ってから,インフレ期待値に反転上昇傾向がみられ,実際にシャリーフ新政権発足以降,インフレの悪化に対する不満の声が上がっている。
IMF新規融資と財政赤字2011/12年度初めには108億5600万ドルあったパキスタン中央銀行(SBP)の純外貨準備高は,2012/13年度末には60億4700万ドルと,6週間分の輸入額をかろうじてカバーするレベルまで大幅に減少し,国際収支は危機的な状況となった。慢性的な貿易赤字に加えて,過去にIMFから借り入れた債務返済が重くのしかかっていることがその背景にある。前年度には約26億ドル,2012/13年度には約25億ドルを返済した。返済による外貨準備の減少は,パキスタンルピー下落への圧力ともなっている。2013年12月3日には歴史的な最安値1ドル=108.58ルピーを記録した。パキスタンの国際収支は破綻寸前であり,IMFからの新規融資を模索せざるをえない状況にあった。このため国際社会も,総選挙が終わり次第IMFとの交渉が始まるだろうと予測していた。予想どおり,シャリーフ新政府は発足するや否や,新規融資を得るべくIMFとの交渉を開始した。
早くも7月4日,政府とIMFは3年間の融資を受ける点について事務レベルで合意に至った。この合意は9月4日,EFFというかたちで公式に承認された。これにより3年間にわたる約66億ドルの融資が決定した。7日には,1回目のトランシュ5億4000万ドル分が支払われた。EFFは無条件に融資を約束するものではなく,2008年スタンドバイ融資プログラム(SBA)と同様,パキスタンに厳しい構造改革の条件を付けるものであり,条件の達成度は四半期ごとに評価される。IMFの条件は,財政赤字の改善,とりわけ税基盤の拡大とエネルギー危機に対処することである。SBAは政府の財政赤字削減への努力が条件を満たさなかったとして,最終トランシュ約37億ドル分の融資が実現しないまま2011年9月に打ち切りとなった。EFFはSBAと比較して返済期間が長く,その間に構造改革に着手しやすいというメリットがある。またIMFからの融資の再開は,ほかの機関や国からの融資を促進する働きもある。実際8月22日,世銀はパキスタンへの融資を3倍の15億ドル,うち5億ドルは財政支援向けとする用意があると述べた。
新政権は6月12日,2013/14年度予算を発表し,2014/15年度,2015/16年度の対GDP比財政赤字をそれぞれ6.3%,4%まで削減するとの目標を盛り込んだ。ちなみに2012/13年度の財政赤字は目標の対GDP比4.7%に遠く及ばず8%であった。目標の2倍近くとなった財政赤字の拡大はエネルギー部門への補助金によるところが大きい。IMFが要求するEFFの条件はさらに厳しく,2014/15年度,2015/16年度の対GDP比財政赤字をそれぞれ5.8%,3.5%とすることである。いずれにしても,目標達成は困難だろう。
財政赤字改善のため,新政府は発足するや否や経済改革に乗り出した。しかし,公務員給与の引き上げ凍結と一般売上税の増税が厳しい反対に遭い,早くも暗礁に乗り上げた。財政赤字の根本的な解決のためには,税基盤の拡充が必須である。パキスタンの対GDP比税収は世界でも最低水準である(図1)。さらに2012/13年度は9.6%と前年度の10.2%より悪化しており改善が喫緊の課題である。現在のところ所得税の納税者は人口の1%以下であるとされる。さらに衝撃的なことに,12月23日に国税庁が出した報告によると,政治家の半数近くが所得税を適切に払っていないという。そのなかにはシャリーフ首相も含まれており,政治家自らが率先して税金を払わない以上,税基盤の拡充は実現しないだろう。

(注) 地域平均は,各地域の低所得国・低中所得国の平均値。
(出所) World Bank, World Development Indicators.
新政府は民営化の推進にも乗り出した。現在のところ,国営企業の赤字40~50億ドルが財政赤字を増大させているとされる。10月3日,政府はパキスタン製鋼公社(PSM)とパキスタン航空(PIA)の半民営化を承認した。EFFの条件では,政府は65国営企業の民営化なり構造改革に着手する必要がある。
エネルギー危機シャリーフ新政権にとって,エネルギー問題の解決は政治生命がかかった課題といっても過言ではないだろう。PML-Nの選挙キャンペーンのスローガンは「明るいパキスタン」であった。1日12~22時間にも及ぶといわれる慢性的な停電の解決を示唆してのことである。電力部門のサーキュラー・デット(循環債務)と電力不足による慢性的な停電は経済成長の足かせであり,ときにテロ以上の脅威でもある。エネルギー危機はPPP敗北の最大の理由ともいわれており,パキスタンの政治のみならず外交にも影響を与えている。7月3~7日,シャリーフ首相は中国を訪問し原子力発電所の建設などを話し合ったが,欧米諸国がこれに反感を示している。イランとのパイプライン建設の計画は,アメリカやサウジアラビアの反対に遭い資金繰りができず中断している。
新政権は発足するや否やサーキュラー・デット問題に着手した。水利・電力相に就任したハージャ・ムハンマド・アースィフが後に国防相も兼任することが同ポストの重要性を物語っている。水利・電力相は補助金の削減,電力供給能力の増加,安価なエネルギー源への転換など,数々の課題に向き合うことになる。具体的には,第1に,政府が電気料金を適正に設定する必要がある。現時点では発電コスト以下の電気料金が設定されており,差額は政府の補助金で賄うことになっているが,補助金が滞納されていることがサーキュラー・デットの大きな要因である。第2に,料金回収率を高める必要がある。漏電・盗電の問題なども指摘されているが,政府と国営企業が電気料金を納めていない問題が大きい。第3に,国内のエネルギー構成を見直す必要がある。現在,非産油国パキスタンのエネルギーは輸入石油に依存しており,これが発電コストを引き上げている。石油から安価なエネルギー資源(水力,石炭,天然ガスなど)にシフトする必要がある。長期的には水力発電にシフトするのが良さそうだが,水力発電所の建設は費用が高くまた時間を要する。短期的には天然ガスを家庭向け消費から発電向けにシフトする必要があるだろう。
実際,政府は6月29日,IPPsに3420億ルピーを,7月22日,水利電力開発公社(WAPDA)などの国営電力関連会社に1380億ルピーを支払った。これまで後回しにされてきたIPPsへの支払いは評価すべきであるが,国営企業に関しては短期的な解決策にしかならないだろう。
政府は8月5日,商業向け電気料金を平均で35%値上げした。さらに10月1日,消費者向け電気料金を平均で30%値上げした。政府の最終的な目標は,現在GDPの2%に達しているエネルギー部門への補助金を向こう3年で0.4%に下げることである。PPP前政権下では連立政権を組む必要から改革が遅々として進まなかったが,PML-N安定政権では比較的思い切った改革が可能だと考えられていた。また,引き上げはIMFのEFF融資条件に応える構造改革の一環でもあった。予想どおり,電気料金の引き上げは野党議員の猛烈な反対に遭った。野党の反対は値上げを取り下げるほどの影響力はなかったが,最高裁の反対により,値上げは早くも3日後に取り下げられた。
対米関係は,2012年の駐アフガニスタンNATO軍向け物資補給路の再開とそれを受けたアメリカのCSF再開によって正常化しており,シャリーフ新政権はそれを踏襲している。アメリカは10月18日,「テロとの戦い」に協力する見返りとして,3億2200万ドルをCSFとして拠出した。CSFの拠出は2012年12月以来であった。新政権が6月に発表した2013/14年度予算案では,CSFを12億ドルと予定している。国際収支の危機に直面するパキスタンは,アメリカからの資金援助に大きく依存している。しかし,2014年末にアフガニスタンからの撤退を決定しているアメリカからの援助は2015年以降望めないことから,アメリカからの資金援助に頼りすぎるのは危険である。
対米関係における互いの関心事は,アメリカ側はパキスタンが「テロとの戦い」に本気で取り組んでいるかという点,とりわけ国内の武装勢力との対話がいかに進むかという点であり,パキスタン側はアフガニスタン国境近辺で繰り広げられているアメリカの無人機攻撃を中止させることにあるといわれる。
アメリカの無人機攻撃は2004年から始まったとされるが,作戦は公式に言及されてこなかった。パキスタンはアメリカの無人機攻撃を公式に非難しているが,あくまで表向きの姿勢であって,裏では暗に承認してきたといわれている。ムシャッラフ軍事政権下でもPPP前政権下でも,事前に三軍統合情報局(ISI)がCIAから無人機攻撃の連絡を受け,それについて明示的に承認するわけではないが無人機用に空軍基地のスペースを空ける,といった具合である。PML-N政権にあっても,5月の選挙戦終盤,無人機攻撃を非難する反米トーンを強めてはいたが,右派勢力の支持を得るための選挙用の方便との見方が強い。
10月11日,2012年にTTPの銃撃を受けて重傷を負い回復した少女マラーラ・ユースフザイがオバマ大統領とホワイトハウスで会談した。マラーラは,無人機攻撃がテロにつながっていること,民間犠牲者が多数出ていることがパキスタン国民の反米感情を招いていることを訴えた。10月18日に発表された国連の報告書によると,これまでにアメリカの無人機攻撃で犠牲になった民間人は少なくとも400人であるという。22日,国際的NGOであるアムネスティ・インターナショナルおよびヒューマンライツ・ウォッチが無人機攻撃は戦争犯罪であり国際法違反であるとの報告書を発表した。ほぼ同時期に,就任後初の訪米をした首相は,20日にケリー国務長官と,23日にはオバマ大統領と会談した。会談において首相は無人機攻撃の中止を要請した。オバマ大統領は,アメリカにとって脅威であるアル・カーイダ掃討のための無人機攻撃への理解を求めたが,国際的にも孤立してきた感がある。
無人機攻撃がパキスタン国内的にも国際的にも厳しい批判を受けるなか,11月1日,ハキームッラー・マフスードTTP最高指導者が北ワジーリスタンでアメリカの無人機攻撃により殺害された。TTPは直ちにPML-N政府との和平交渉はないと断言し,政府をアメリカの子飼いであると非難した。ニサール・アリー・ハーン内務相はTTPとの交渉がすべて台無しだとアメリカを強く非難した。7日には早くも後継者モウラーナー・ファズルッラーが選出された。彼はマラーラ銃撃にかかわっており,もともと政府と和平交渉する気などない好戦的なTTPのリーダーであるといわれている。本当のところパキスタン政府および軍がどの程度無人機攻撃に反対しているのか定かではないが,パキスタンの世論が反対していることは間違いない。無人機攻撃による民間犠牲者が増えたり,無人機攻撃への報復テロが国内で頻発したりすれば,対米関係の舵取りも難しくなるだろう。23日には,KP州与党のPTIがペシャーワルでアメリカの無人機攻撃を非難する集会を開き,その活動家が駐アフガニスタンNATO軍向け物資補給路を妨害した。
対インド関係2013年初頭から,カシミール係争地のLoC付近でのパ印両軍による小競り合いが断続的に続いている。始まりは1月6日,LoC付近でパキスタン兵士1人が攻撃を受けて殺害されたことである。これをきっかけに15日までパ印の小衝突が続き,両軍において少なくともそれぞれ2人が犠牲になった。これにより2012年12月に両国間で合意されたばかりのビザ簡素化への手続きが一時中断された。両国とも,互いに相手が先に攻撃をしてきたと主張した。パキスタンは国連などの第三者機関による調査を主張したが,インドは,もともとカシミール問題は二国間の問題であって国連が介入する余地はないという立場であることから,そのような調査自体に反対した。
8月,両軍の小衝突が再度勃発した。6日,LoC付近での襲撃により,インド兵士5人が死亡した。インド軍はパキスタン軍を名指しで非難したが,パキスタン軍は関与を否定した。この事件は,在印パキスタン大使館前での抗議につながった。アントニー印国防相はパキスタン軍の制服を着た者が襲撃したと述べるに止まり,パキスタン軍を名指しで非難したわけではないが,襲撃はパキスタンの関与が疑われた在ジャラーラーバード(アフガニスタン東部)インド領事館襲撃直後だったこともあり,以後パ印両軍の小競り合いとなった。小衝突は24日まで続き,この間少なくともパキスタン兵士4人,インド兵士6人,パキスタン民間人7人,インド民間人1人が犠牲になった。
ニューヨークで開催された第68回国連総会のサイドラインで9月29日,パ印両首相が会談をもった。シャリーフ首相にとっては,就任後初のマンモハン・シン印首相との会談であった。両者は,LoC付近で起きている小衝突を止めさせ,二国間対話を進めることで合意した。
両国首脳会談の直後にも両軍の小衝突が勃発した。きっかけは10月5日,LoCを挟んでインド側からの攻撃により,パキスタン人の子供2人が犠牲になった事件である。両軍の小衝突は28日まで続き,この間少なくともパキスタン兵士1人,インド兵士3人,パキスタン民間人5人が犠牲になった。
LoCを挟んでの両軍の小衝突は,たとえ小さいものであっても,核兵器を保有する両国の戦争につながりかねず無視できない。シャリーフ政権は,問題が小さいうちに迅速にインドと連携をとっていく必要があるだろう。シャリーフ政権の誕生自体は,対インド関係にとってプラスと考えられている。シャリーフ首相は第1次・第2次政権以来,親インド的との評判が高いからである。12月12日には首相の実弟であるシャハバーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相がインドを訪問し,シン印首相と会談した。会談で,シャリーフ首相がシン印首相をパキスタンに公式招待し二国間対話の再開を望んでいることを伝達した。
対アフガニスタン関係パキスタン政府とりわけ軍は,アフガニスタン・ターリバーンへの支援を通してカルザイ政権を弱体化させ,アフガニスタンに影響力を保とうとしていると非難されてきた。2014年末に予定されているアフガニスタンからのNATO軍撤退に向け,パキスタン・アフガニスタンを含む地域の安定および両国関係の改善は国際社会の関心事となっている。
2月4日,ロンドンで,ザルダーリー大統領,カルザイ・アフガニスタン大統領,キャメロン英首相の三者会談がもたれ,6カ月以内にターリバーンと和平協定を結ぶ方針を決定したが実は結ばなかった。会談の内容は,パキスタンの協力を得る代わりにインドのアフガニスタンへの関与を減らすというものであったが,アフガニスタンがこれに合意しなかったからである。
5月1日,アフガニスタンの治安部隊とパキスタンの国境警備隊が,事実上の国境であるデュアランド・ラインで交戦した。これは,ナンガルハール州でアフガニスタン警察官1人が殺害され,パキスタン兵士2人が傷害を負った事件に引き続いて起こった。
8月26日,カルザイ大統領が来訪し,シャリーフ新政権発足後初めてのトップ会談がもたれた。この来訪を受け9月21日,パキスタンはアフガニスタン・ターリバーン・ナンバー2のムッラー・アブドゥル・ガニー・バラーダルを「釈放」した。しかし,実際はいまだに自宅軟禁状態にあるといわれている。カルザイ大統領は,ターリバーンとの和平対談を促進するために,前年からパキスタンに収監されていたターリバーン幹部の釈放を求めており,数十人の釈放はすでに実現していたが同氏の釈放が本命であった。パキスタンは同氏を通じてアフガニスタンに影響力を持ち続けたいとの意図から,同氏の釈放を渋ってきたといわれる。パキスタンは表向きにはアフガニスタンの平和構築に向けて協力する姿勢をとっているが,パキスタンがターリバーンを支援しアフガニスタンへ越境攻撃を繰り返しているというカルザイ大統領をはじめとするアフガニスタン首脳の疑念は晴れないままである。
11月7日にモウラーナー・ファズルッラーがTTP最高指導者となったことは,アフガニスタンとの緊張をさらに高めるだろう。ファズルッラーの拠点はアフガニスタン東部のクナル州とされている。またアメリカは10月に,アフガニスタン東部においてラティーフ・マフスードTTP司令官を拘束している。マフスード司令官はアメリカに気づかれないようアフガニスタン政府要人と連絡を取ろうとしたともいわれている。これらの報告により,パキスタン側も,アフガニスタンがTTPのテロリストたちをかくまい,パキスタンへの攻撃を仕掛けているとみている。両者の疑心暗鬼は深まる一方であり,NATO軍がアフガニスタンから撤退を予定している2014年末後はさらなる状況の悪化が懸念される。
対中国関係「ヒマラヤよりも高い」友好関係にあるとされる中国との関係は2013年も良好であった。PML-Nが選挙に勝利して間もない5月19日,李克強中国首相が来訪しており,またシャリーフ首相就任後初の外遊先が中国であった(7月3~7日)ことが象徴的である。7月4日,首相は習近平国家主席と会談したが,首相のバックグラウンドを反映してか経済面での協力が強調された。対中国関係がもっとも尊重されている割に,経済面での協力,とりわけ両国間貿易の存在感が薄いことが背景にあるだろう。
これに対して存在感が強いのが,アラビア海に面するパキスタンの戦略的位置づけという地政学的な理由による協力関係である。具体的にはグワーダル港の管理権が2月18日,シンガポールから中国へ移管されたことが挙げられる。中国によるパキスタンのミサイル開発への協力のほか,原子力発電所の建設協力も進められている。首相は11月26日,パキスタン最大規模となるカラチ原子力発電所の起工式に出席したが,これも中国の資金・技術協力のもと建設される予定である。欧米諸国は,核拡散防止条約(NPT)に未加盟で原子力供給国グループ(NSC)に参加していないパキスタンへの原子力関連での協力にあたるとしてこれを批判している。
ビジネス界出身のシャリーフ新政権には,財政赤字・エネルギー問題の改善への期待が大きく,政権にとっても最重要課題である。PPP前連立政権と比べて,PML-N安定政権はさまざまな改革に着手しやすいだろう。司法や軍の影響力も前政権不安定の大きな要因であったが,新たに就任したラーヒール・シャリーフ陸軍参謀長,タサッドゥク・フサイン・ジーラーニー最高裁長官ともに穏健派で,行政介入には積極的でなく,シャリーフ政権にとって好ましい人物であるとされる。首相が強力なリーダーシップを発揮することを期待したい。
IMFはEFF融資プログラムの条件の達成度を四半期ごとに評価していく。前SBAプログラムが,PPP前政権による構造改革が不十分であるとして打ち切りになってしまったような失態の二の舞は許されないだろう。財政赤字の改善には,税基盤の拡充,国営企業の民営化,エネルギー問題の改善,と課題は山積だが,このうち国営企業の民営化がもっとも実現の可能性が高そうである。シャリーフ第1次・第2次政権下では数々の民営化が推進された。反対は,国営企業の従業員と彼らの支持を得た野党および司法からも起こるだろうが,シャリーフ新政権がいかに民営化を進めていくか,手腕がみどころである。
親インド派で知られるシャリーフ新政権のもとでは,対インド関係の改善が期待される。2014年3月にはシン印首相が来訪するとの予想もある。対インド関係は2014年に予定されるインド総選挙の結果にも左右されるだろう。
(地域研究センター)
| 1月 | |
| 2日 | 連邦政府直轄部族地域(FATA)南ワジーリスタンで米無人機攻撃により,モウルヴィー・ナズィール反米司令官が殺害される。 |
| 6日 | カシミール実効支配線(LoC)付近でパ印小衝突(~15日)。パ印両軍それぞれ少なくとも兵士2人が死亡。 |
| 10日 | バローチスタン州クエッタ,シーア派地区で連続テロ。少なくとも126人死亡。ラシュカレ・ジャングヴィー(LeJ)が犯行声明。13日にアシュラフ首相がクエッタを訪問,14日にラーイサーニー同州首相を解任。 |
| 13日 | ムハンマド・ターヒルル・カーディリー氏率いる「コーランの大道運動」(TMQ),反政府デモ「ロング・マーチ」(~17日)。 |
| 15日 | 最高裁,首相に汚職容疑で逮捕状。17日,ブハーリー国家説明責任局(NAB)長官が逮捕拒否。18日,カームラーン・ファイサルNAB捜査官が自殺。他殺の疑いあるも警察は捜査の結果,3月8日に自殺と確定。 |
| 30日 | 政府,グワーダル港の管理権,中国への移管を承認。2月18日に移管完了。 |
| 2月 | |
| 1日 | ハイバル・パフトゥーンハー(KP)州ハングーでシーア派のモスクを狙った自爆テロ。少なくとも27人死亡。 |
| 2日 | パキスタン・ターリバーン運動(TTP),KP州ラッキー・マルワトで軍事施設襲撃。TTP・軍合わせて少なくとも35人死亡。 |
| 4日 | ザルダーリー大統領,イギリス訪問。カルザイ・アフガニスタン大統領,キャメロン英首相と会談。 |
| 4日 | TTP,和平交渉の条件を政府に出す。 |
| 10日 | 大統領の汚職疑惑「スイス・レター」事件に関し,スイス当局が訴追しないと通告。 |
| 11日 | 核弾道ミサイル「ハトフⅨ」発射実験。 |
| 16日 | クエッタでシーア派を狙ったテロ。少なくとも85人死亡。LeJが犯行声明。 |
| 3月 | |
| 3日 | カラチのシーア派モスクを標的に爆発,少なくとも45人死亡。 |
| 9日 | アシュラフ首相,インドを私的訪問。クルシード印外相と会食。 |
| 11日 | 大統領,イラン訪問。チャバハールでガスパイプライン起工式に出席。 |
| 16日 | 連邦議会下院および州議会,5年任期満了により解散。 |
| 21日 | TTP,FATAティラー谷を支配。 |
| 23日 | 大統領,党首兼職問題でパキスタン人民党(PPP)共同党首を辞任。息子のビラーワル・ザルダーリー・ブットーが単独党首に。 |
| 24日 | ムシャッラフ前大統領,総選挙立候補のため帰国。 |
| 24日 | FATA北ワジーリスタンで自爆テロにより兵士17人死亡。 |
| 24日 | 暫定内閣の首相選出に関し,PPPとパキスタン・ムスリム連盟ナワーズ派(PML-N)が決裂。選挙管理委員会が退官判事ミール・ハザル・ハーン・コーソーを選出。 |
| 4月 | |
| 1日 | コーソー暫定内閣が発足。 |
| 5日 | 軍,ティラー谷でTTPら武装勢力掃討作戦を開始。 |
| 7日 | 『ニューヨークタイムズ』紙,アメリカ政府が無人機攻撃作戦の存在を公式には認めないとする,2004年のCIAと三軍統合情報局(ISI)との密約を報道。 |
| 10日 | 「ハトフⅣ」発射実験。 |
| 16日 | ペシャーワル高裁,2007年非常事態宣言に対する最高裁の違憲判断を理由にムシャッラフ前大統領の立候補資格を取り消し。 |
| 16日 | KP州ペシャーワルで,大衆民族党(ANP)の政治集会を狙い自爆テロ。少なくとも18人死亡。TTPが犯行声明。 |
| 19日 | ムシャッラフ前大統領,2007年非常事態宣言により憲法停止・最高裁長官らを解任した国家反逆罪の容疑で逮捕。一旦地裁に連行されたのち自宅軟禁へ。20日,対テロ法廷は自宅軟禁2週間延長を決定。 |
| 25日 | カラチで,統一民族運動(MQM)の政治集会を狙った攻撃。少なくとも5人死亡。同様の攻撃が26日,ANPの政治集会を狙い少なくとも9人死亡。TTPが犯行声明。 |
| 5月 | |
| 1日 | パキスタン国境警備隊,アフガニスタン治安部隊と事実上の国境で交戦。 |
| 3日 | ブットー元首相暗殺事件を担当したチョウドリー・ズルフィカール主任検事,射殺される。 |
| 11日 | 連邦議会下院および州議会議員選挙。14日,選管はPML-Nが下院272議席のうち122議席獲得により勝利とする暫定結果を発表。 |
| 18日 | キヤーニー陸軍参謀長,シャリーフPML-N党首と会談。 |
| 19日 | 李克強中国首相,来訪。 |
| 25日 | パンジャーブ州グジャラートでバスが爆発。児童ら少なくとも19人死亡。 |
| 29日 | FATA北ワジーリスタンで米無人機攻撃。選挙後初。TTPナンバー2,ワリーウッ・ラハマーン含む7人死亡。 |
| 6月 | |
| 1日 | 連邦議会下院が総選挙後初招集。 |
| 5日 | 下院,ナワーズ・シャリーフPML-N党首を首相に選出。 |
| 7日 | シャリーフ内閣発足。閣僚25人宣誓。 |
| 11日 | ダール財務相,2012/13年度経済白書発表。 |
| 12日 | 財務相,2013/14年度予算案発表。 |
| 15日 | クエッタでシーア派女子学生の通学バスが爆発。少なくとも14人死亡。その後,死傷者搬送先の病院での立てこもり・銃撃で少なくとも30人死亡。LeJが犯行声明。 |
| 15日 | バローチスタン解放軍(BLA),ズィアラートにあるジンナー記念邸宅を攻撃して破壊。 |
| 18日 | KP州マルダーンで自爆テロ。州議会議員など少なくとも34人死亡。 |
| 18日 | アフガニスタン・ターリバーン,カタールに和平交渉の連絡事務所を開設。事務所にはハッカーニー・ネットワーク(HN)も関与。 |
| 21日 | KP州ペシャーワルのモスクでシーア派を狙い自爆テロ。少なくとも15人死亡。 |
| 21日 | パキスタン中央銀行(SBP),政策金利を9.5%から9%に引き下げ。 |
| 23日 | ギルギット=バルティスタン州ナンガー・パルバットの登山者ベースキャンプを武装勢力が攻撃,外国人登山者ら10人死亡。TTPがワリーウッ・ラハマーン殺害への報復であると犯行声明。 |
| 24日 | ムシャッラフ前大統領,国家反逆罪で訴追へ向けた準備が開始される。 |
| 29日 | キャメロン英首相,来訪(~30日)。 |
| 29日 | 政府,循環債務問題解決のため,独立系発電会社(IPPs)に3420億ルピー支払い。 |
| 30日 | クエッタ,シーア派モスク近くの自爆テロにより少なくとも28人死亡。 |
| 30日 | KP州ペシャーワルで,治安当局を狙った車爆弾で少なくとも17人が死亡。 |
| 7月 | |
| 3日 | 首相,中国訪問(~7日)。習近平国家主席と会談。就任後初の外遊。 |
| 8日 | アルジャジーラ,ビン・ラーディン殺害に関するパキスタン政府の独立調査委員会の報告書を報道。政府と軍を無能と批判。 |
| 19日 | KP州カラクでイスラーム聖職者党ファズル派(JUI-F)主導により,聖職者がラマダーン期間中の女性単独での買い物禁止令を出す。 |
| 22日 | マレーシア連邦土地開発公社,パーム農園事業への投資をパキスタン投資庁(BOI)に提案。 |
| 22日 | 政府,循環債務問題解決のため,国営電力関連会社に1380億ルピー支払い。 |
| 26日 | KP州パーラチナールの市場で爆発。少なくとも57人死亡。 |
| 29日 | KP州デーラ・イスマーイール・ハーンでTTPが刑務所襲撃。250人が脱走。 |
| 30日 | 大統領選挙。マムヌーン・フサインが第12代大統領に選出される。PPPは選挙をボイコット。9月9日,宣誓し大統領就任。 |
| 31日 | ケリー米国務長官,来訪(~8月1日)。 |
| 8月 | |
| 5日 | 商業向け電気料金引き上げ。 |
| 6日 | LoC付近での襲撃により,インド兵士5人が殺害される。以後パ印両軍の小衝突(~24日)。両軍兵士,民間人の犠牲者は少なくともそれぞれ10,8人。 |
| 8日 | クエッタで,殉職警官の葬儀を狙った自爆テロ。少なくとも38人死亡。 |
| 13日 | 潘基文国連事務総長,来訪(~14日)。無人機攻撃に関して,「国際法の範囲内で運用されるべき」とアメリカを非難。 |
| 13日 | 連邦議会下院,LoCでのパ印小衝突で,インドを非難する抗議声明を満場一致で承認。 |
| 19日 | 首相,就任後初の国民向け演説。 |
| 20日 | 対テロ法廷は,ムシャッラフ前大統領を故ブットー元首相の警護を指示しなかった殺人罪の容疑で起訴。 |
| 20日 | インラック・タイ首相,来訪(~21日)。 |
| 21日 | ウェルー世銀副総裁(南アジア担当),来訪(~24日)。首相と会談。向こう10カ月15億㌦の支援に言及。 |
| 22日 | 下院・州議会議員補欠選挙。PML-Nの勝利。 |
| 26日 | カルザイ・アフガニスタン大統領,来訪(~27日)。新政権発足後初。 |
| 9月 | |
| 1日 | インドネシアとの特恵貿易協定(PTA)発効。 |
| 4日 | IMF,3年間で66億ドルの融資(拡大信用供与措置:EFF)を承認。7日,第一次トランシュにあたる5.4億ドルを供与。 |
| 5日 | 米無人機北ワジーリスタン攻撃。サンギーン・ザドラーンHN司令官ら6人殺害。 |
| 9日 | 政府と軍の高官会合,TTPとの和平対話開始に合意。 |
| 14日 | SBP,政策金利を9.5%に引き上げ。 |
| 16日 | 首相,トルコ訪問(~18日)。 |
| 21日 | 政府,アフガニスタン・ターリバーンのナンバー2,ムッラー・アブドゥル・ガニー・バラーダルを表向き「釈放」。 |
| 22日 | KP州ペシャーワルのキリスト教会で自爆テロ。少なくとも85人死亡。 |
| 23日 | 首相,アメリカ訪問。第68回国連総会(ニューヨーク)出席のため。26日,安倍首相と会談。29日,パ印首相会談。 |
| 24日 | バローチスタン州アーワーラーンでマグニチュード7.7の地震。少なくとも515人死亡。 |
| 27日 | KP州ペシャーワルで政府職員が乗ったバス爆破。少なくとも19人死亡。 |
| 29日 | KP州ペシャーワルで車時限爆弾により少なくとも40人死亡。同市では1週間に3度目の大型テロ。 |
| 10月 | |
| 1日 | 消費者向け電気料金を引き上げるも,最高裁の反対に遭い,4日に取り下げ。 |
| 3日 | 政府,パキスタン製鋼公社(PSM)とパキスタン航空(PIA)の半民営化を承認。 |
| 5日 | LoC付近,インド側からの攻撃により,子供2人が犠牲になったことをきっかけに,パ印小衝突(~28日)。両軍兵士,民間人の犠牲者は少なくともそれぞれ4,5人。 |
| 11日 | マラーラ・ユースフザイ,オバマ大統領と会談(ワシントンDC)。 |
| 11日 | 米国務省,ラティーフ・マフスードTTP司令官拘束を発表。アフガニスタン政府は和平交渉を頓挫させると強く抗議。 |
| 18日 | アメリカ,3.22億㌦を同盟支援資金(CSF)として拠出。 |
| 20日 | 首相,アメリカ訪問(~23日)。ケリー国務長官,オバマ大統領と会談。 |
| 28日 | 首相,イギリス訪問(~11月1日)。第9回世界イスラーム経済フォーラム出席のため。キャメロン英首相,カルザイ・アフガニスタン大統領と会談。 |
| 11月 | |
| 1日 | ハキームッラー・マフスードTTP最高指導者,米無人機のFATA北ワジーリスタン攻撃により死亡。 |
| 5日 | 「ハトフⅨ」発射実験。 |
| 6日 | ムシャッラフ元大統領に保釈命令。 |
| 7日 | TTP,最高指導者にモウラーナー・ファズルッラーを選出。 |
| 8日 | ジャリール・アッバース・ジーラーニー,総選挙後空席であった駐米大使に任命。 |
| 10日 | ジャービル・クウェート首相,来訪(~12日)。 |
| 10日 | ナスィールッディーン・ハッカーニーHN幹部,イスラマバード郊外の自宅で殺害される。 |
| 13日 | SBP,政策金利を10%に引き上げ。 |
| 14日 | 首相,スリランカ訪問。英国連邦政府と連邦諸国による首脳会議出席のため。 |
| 17日 | 首相,タイ訪問(~19日)。 |
| 21日 | 米無人機,KP州ハングーでイスラーム神学校を攻撃。HNナンバー2,スィーラージュッディーン・ハッカーニーら殺害。 |
| 23日 | KP州与党PTIの活動家,米無人機攻撃を非難する意図で駐アフガニスタンNATO軍向けの物資補給路を妨害。 |
| 24日 | エティサラート社が,2005年の国営パキスタンテレコム社(PTCL)の26%株式買収代金のうち,資産譲渡に関する係争のため8億㌦の支払いを拒んでいるとの報道。 |
| 26日 | 首相,カラチ原発の起工式に出席。総工費95.9億㌦は中国の援助による。 |
| 26日 | アズィーズ首相特別顧問(事実上の外相),ガスパイプラインに関連しイラン訪問。 |
| 27日 | 首相,次期陸軍参謀長にラーヒール・シャリーフ,新国防相にハージャ・ムハンマド・アースィフ電力石油相(兼任)を任命。 |
| 29日 | キヤーニー陸軍参謀長退役。シャリーフ新陸軍参謀長就任。 |
| 30日 | 首相,アフガニスタン訪問。カルザイ大統領と会談。 |
| 12月 | |
| 7日 | 首相,「青年向けビジネス融資」プログラムを立ち上げ。娘のマリヤムが名誉委員長に。 |
| 8日 | フサイン大統領,マンデラ元大統領の葬儀出席のため南ア訪問。 |
| 8日 | バローチスタン地方議会議員選挙。 |
| 9日 | ヘーゲル米国防長官,来訪。首相,シャリーフ新陸軍参謀長と会談。 |
| 11日 | チョウドリー最高裁長官退官。12日,タサッドゥク・フサイン・ジーラーニー,新最高裁長官に就任。 |
| 12日 | EU,GSP-Plusをパキスタンに供与を決定。テキスタイル製品などが2014年1月から3年間無関税に。 |
| 12日 | シャハバーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相,訪印。実兄ナワーズ・シャリーフ首相によるシン印首相への訪パ公式招待を伝達。 |
| 23日 | IMF,EFF第2次トランシュにあたる5.535億㌦を供与。 |
| 23日 | 国税庁,政治家の半数近くが所得税を適切に払っていない旨報告。 |
| 23日 | エルドアン・トルコ首相,来訪(~24日)。 |
| 30日 | アシュラフ・ジャハーン,カラチのイスラーム法廷判事に就任。イスラーム法廷では史上初の女性判事。 |








