Yearbook of Asian Affairs
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2015 Volume 2015 Pages 467-486

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2014年のティモール・レステ 司法関係官の解雇事件とティモール海の石油問題に揺れる

概況

2014年は,ティモール・レステが内政,経済,外交の各方面で新たな展開を経験する年となった。内政面では,2013年に成立した与野党協調体制が継続し議会運営が安定した一方で,元独立運動指導者の帰還に伴う政情不安がみられた。また2014年後半には,ティモール海の石油問題に関連して,政府と国会がすべての外国人司法関係官を解雇する事態が発生した。経済は,これまでの安定した成長が減速傾向にある。とくにティモール・レステ政府の最大の収入源である石油に関して,生産量の減少や価格の下落,開発交渉の難航などの問題を抱えていることから,石油収入に依存しない経済構造への移行が急がれている。外交面では,悪化している隣国オーストラリアとの関係に改善がみられず,石油・ガス資源をめぐって対立が目立つ形となった。他方でインドネシアとは良好な関係をアピールしたほか,ポルトガル語諸国共同体(CPLP)の首脳会議の議長国開催も成功裏に終え,多国間外交での活躍を強調した1年となった。

国内政治

「コンセンサスの政治」の継続

2013年2月シャナナ・グスマン首相とマリ・アルカティリ元首相,タウル・マタン・ルアク大統領が会談を行い,各派の協力の下で政治の安定化を目指す「コンセンサスの政治」を宣言した。グスマン首相とアルカティリ元首相の確執は根深く,両者の和解は不可能と考えられていたことから,この会談は驚きをもって迎えられた。同時にこの会談は,グスマン首相が率いるティモール・レステ国民再建会議(以下CNRT)と,アルカティリ元首相を実質的な指導者とするティモール・レステ独立革命戦線(以下フレテリン)との協力体制につながった。

2014年の国会運営は,この「コンセンサスの政治」の継続を印象づけるものであった。2014年1月の本会議の冒頭では,アルカティリ元首相が「互いの違いを乗り越え……前進する」ことを宣言し,グスマン首相も各派が協調して国づくりを進めることの重要性を強調した。1月24日には13日間に及ぶ審議を経て,約150億ドルの2014年度国家予算が全会一致で承認された。国家予算が全会一致で承認されたのは,2002年に始まったティモール・レステの国会史上初めてのことであった。なお2015年度の予算案については,国会での一般予算の審議が12月4日から始まり,12月18日にやはり全会一致で承認されている。

最大野党フレテリンが,CNRT率いる与党連合に一定の譲歩を示すようになったことから,国会審議はその後も大きく荒れることなく展開した。2007年以来与党連合が数度にわたり提出していたメディア法も,フレテリンの協力の下で議会を通過することとなった。ただし10月下旬に起こった外国人司法関係官の解雇決議では,多くのフレテリン議員が反対票を投じており,また閣僚の汚職問題をめぐってはフレテリンが与党連合を追及する構えをみせている。さらに12月に入ってからは,2007年から2014年の間の17億ドルの開発予算の使い方に関して,政府に説明を求める声がフレテリンから出ている。

CNRTとフレテリンの協調は,議会の外でも維持されている。コンセンサスの政治が宣言された2013年,西ティモール(インドネシア)側にあるオエクシ県にティモール・レステ社会市場経済特区(ZEESM)を建設すること,および,その長官にアルカティリ元首相を指名することが大臣委員会で決定された。2014年4月にグスマン首相をはじめとする閣僚がオエクシを訪れた際には,アルカティリ元首相やフレテリン議員も同行し,さらに6月にはアルカティリ元首相が経済特区の長官に任命されている。

退役軍人問題の再燃

ティモール・レステでは,ティモール・レステ民族解放軍(以下ファリンティル)の兵士として対インドネシア戦に参戦した人々(いわゆる退役軍人)の処遇がしばしば問題になってきたが,2014年もこの問題に揺れた年であった。2013年末,かつてのファリンティルの指導者の1人であったパウリーノ・ガマ (通称マウック・モルック)が,長年の滞在先であったオランダから帰還した。およそ30年ぶりに帰還したマウック・モルックは,1980年代,ファリンティルに内部抗争と苛烈な暴力があったとし,現政権を「権威主義的」であると批判した。マウック・モルックはメディアを利用しながら,自らが組織したマウベレ革命会議(KRM)への支持を求めると同時に,首相の辞任と国会の解散を要求し続けた。

グスマン首相は,こうしたマウック・モルックの動向に重大な関心を寄せた。2013年11月,首相はディリ市内で「討論会」を催し,1980年代のファリンティル内部の対立や暴力を否定し,同時に近い将来に政界を引退する意思を表明した。また2014年2月にはティモール・レステ国営テレビで5時間に及ぶ演説を行い,年内の最重要案件であるポルトガル語諸国共同体(CPLP)会議を終えた9月か10月頃に首相を退任するつもりであること,自らの引退に際しては長老委員会を設立し後進による国家運営を「見守る」意向があることを明らかにした。

マウック・モルックは,元ファリンティル兵士で,1990年代からサグラダ・ファミリアと呼ばれるグループを率いてきたコルネリオ・ガマ(通称エリ・セティ)の実弟である。エリ・セティは,独立闘争における功績が正当に評価されていないとして不満を持つ退役軍人や,独立後も生活に改善がみられないと考える人々の間で根強い人気があり,このエリ・セティがマウック・モルックと行動を共にしたことは,マウック・モルックの急速な影響力拡大に寄与した。またマウック・モルックの活動には,同じく退役軍人であるアントニオ・アイタハン・マタックがティモール・レステ民主共和国大衆民主会議(CPD-RDTL)を率いて合流した。KRMやCPD-RDTLのメンバーは,2013年末から2014年初頭にかけて,首都ディリや第2の都市バウカウでたびたびデモを行った。デモは暴力を伴うものではなかったが,KRMやCPD-RDTLのメンバーが普段から軍服を着用し,軍隊式の行進を行ったことから治安に対する不安を呼ぶこととなった。

これに危機感を強めた国会は,3月3日,KRMとCPD-RDTLの活動を停止させるための警察および軍による「必要な行動」を認める決議を全会一致で採択し (国会決議第5番),これに則り警察と軍が東部のバウカウ県とヴィケケ県に展開された。3月10日,バウカウ県ラガにおいて,警察とKRMのメンバーとみられる武装した集団との間での銃撃戦が発生し,警察官2人が負傷した。3月14日,マウック・モルックとエリ・セティが警察に出頭することに同意し,マウック・モルックは収監され,エリ・セティは自宅拘禁となった。4月2日,政府は臨時大臣委員会を開き,警察と軍が行う「民主的憲政秩序を守るための活動」を承認し,支援することを決定した(大臣委員会決定第8番)。その後KRMとCPD-RDTLのメンバーの一部が投降し,その他のメンバーがこの地域を去ったことで事態は収束に向かった。

メディア法をめぐる攻防

2013年8月,政府は,国内のジャーナリズムを「適切に準備された,倫理的に責任のあるものとする」ために,メディアの規制に関する法案を大臣委員会において決定した。このメディア法案は,その後国会に提出され,2014年5月に賛成多数で可決された。しかしこの法案に対しては,報道の自由,表現の自由を制限する可能性があるとして,批判が相次いだ。とくに問題とされたのは,この法案がメディアは「国民の文化,価値,アイデンティティを振興」し,「平和と社会的安定,調和と国民の連帯を促進」し,「質の高い経済政策とサービスを支援し,後押しする」ことと定めている点,および,法によって設置された報道評議会でインターンシップを修了し,免許を受けた者のみがジャーナリストとして活動できる,としている点であった。

法案に対する批判が相次ぐなか,ルアク大統領は7月,民主共和国憲法に示された大統領権限に基づいて本法案への署名を拒否し,憲法審査のために法案を上訴(最高)裁判所に送付した。上訴(最高)裁判所は8月,メディアの「義務」を謳っている点,法に抵触したジャーナリストへの科料を定めている点などを指摘しながら,本メディア法にはティモール・レステ民主共和国憲法に違反する条文があると判断した。その後,法案は国会に差し戻され,違憲とされた条項の一部を削除する形で再度可決されることとなった。11月,ルアク大統領は,新たに提出された法案を上訴(最高)裁判所に送付,再度の憲法審査を要請した。これに対して,12月11日,上訴(最高)裁判所は,違憲とされた項目がいまだ削除されていないことを指摘して再度違憲としている。

地元紙スアラ・ティモール・ロロサエ(STL)によれば,アドリアノ・ナシメント副首相は外国人裁判官が参加した上訴(最高)裁判所判決は正当性に欠けるとし,外国から国益を守るためには一定の報道規制が必要であるとして,引き続きメディア法の必要性を主張している。

外国人司法関係官の一斉解雇

2014年のティモール・レステの内政を締めくくる重大事件は外国人司法関係官の一斉解雇であろう。2014年10月,ティモール・レステ国会と政府は,裁判官と司法アドバイザーを含む,国内のすべての外国人司法関係官を解雇する旨を決定した。この決議は,ティモール海のバユ・ウンダン油田で操業しているコノコ・フィリップス社(本社アメリカ)への課税権問題をめぐって,ディリ地方裁判所でティモール・レステ政府側が敗訴したことを受けたものとされる。

10月24日,国会は非公開の臨時審議を開き,政府に司法セクターの「適切な監査」を行うことを求め,検察庁,公選弁護人事務所,反汚職委員会,司法訓練センターを含む国内司法制度のなかで働いているすべての外国人職員との契約の終了を要求する決議を賛成多数で可決した(国会決議第11番)。また政府は,同24日に臨時大臣委員会を開き,司法システムを監督するための専門家委員会を設置すること,関係各省庁に「国益のために」司法制度のなかにいる外国人アドバイザーとの契約を終了するか更新しないよう求めることを決定した (大臣委員会決定第29番)。さらに10月31日,大臣委員会は8人の外国人司法関係官(5人の判事,2人の検事,1人の反汚職委員会捜査官)を名指しして,これらの外国人司法関係官の査証もしくは労働許可を取り消し,この8人に対して48時間以内にティモール・レステから退去することを求める決定をした。またこの際に移民局・警察・治安軍にこれを執行する権限を与えている(大臣委員会決定第32番)。

こうした国会と政府の一連の決議に対し上訴(最高)裁判所長官は,各地方裁判所に10月24日の国会決議と大臣委員会決定が法的な効果をもたないことを伝え,すべての判事に通常どおりの業務を遂行し続けるよう指示した。さらにティモール・レステ司法判事最高会議は,10月24日と31日に出された国会決議と大臣委員会決定が法的に無効であることを宣言し,国会と政府にこれらを取り消すよう求めた。また野党フレテリンは臨時の会議を開き,政府と首相に対して「自らの権限を越えて活動したり」「司法の専門家の活動を妨げたり,制度間に紛争を生じさせるような決定を控える」よう求める緊急のアピールを行った。

10月24日に2つの決議が出された時,上訴(最高)裁判所に3人,ディリ地方裁判所に2人,バウカウ地方裁判所に1人,スアイ地方裁判所に1人,計7人の外国人裁判官がティモール・レステ国内で働いていた。10月31日の大臣委員会決定第32番を受けてポルトガルの政府機関が6人のポルトガル国籍の裁判官に対しティモール・レステからの出国を指示し,その後他国出身の判事も含めすべての判事がティモール・レステを去った。検察庁では4人の外国人検察官が雇用されていたが,まず大臣委員会決定第32番の中で名指しされた2人が出国し,続いて残りの2人も出国した。公選弁護人事務所には外国人は雇用されていなかったが,反汚職委員会では1人の外国人捜査官が働いており,決定第32番の後ティモール・レステを出国した。司法訓練センターは,契約期間終了となる2014年12月までにすべての外国人スタッフの仕事を停止させる措置をとった。

ティモール・レステ法律家協会はこうした一連の動きを「国益を守るもの」であり理解できるという立場をとったが,国際機関,メディア,NGOなどは懸念を表明した。ガブリエラ・クナウル国連特別報告者は「一連の決議は司法の独立に対する深刻な介入である」ことを指摘し,決議を「再考する」ことをティモール・レステ政府と議会に勧告した。また司法モニタリングプログラム(JSMP)は,一連の決議が,裁判所と裁判官の独立を保障し,司法・行政・立法の分立を定めたティモール・レステ民主共和国憲法に抵触する恐れがあること,司法関係官の評価,任命,罷免に関わる手続きを定めた関係法,外国人の出入国に関する規則を定めた移民と難民に関する諸法といった,既存の国内法と矛盾する恐れがあること,「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(国際人権規約B規約)に抵触する恐れがあることなどを挙げて懸念を表明した。

またこの問題による,司法業務一般への影響が懸念されている。外国人裁判官は全国で任用されている29人のうち7人と約4分の1を占めており,突然の解雇により業務の引き継ぎがほとんど行われなかったことから法廷審理に影響が出ている。また訓練担当官を外国人に頼ってきた司法訓練センターでは,2014年11月から予定されていた訓練プログラムが延期されることになった。

経済

物価・財政・経済計画

2014年,ティモール・レステ経済は,減速傾向となった。非石油部門における実質経済成長率は,2010年9.5%,2011年14.7%であったが,2012年には7.8%,2013年5.4%,2014年6.6%となった(IMF推計)。2011年までの高い経済成長率が大規模な公的支出に支えられていたのに対し,近年は家計消費と民間セクターの投資に支えられている。年次インフレ率は,2011年13.2%,2012年の10.9%,2013年の9.5%から,2014年には2.5%と推移しており,安定傾向にある(IMF推計)。インフレ率が低下傾向にあるのは基幹通貨であるアメリカ・ドルがインドネシア・ルピアなど主要貿易相手国の通貨に対して高騰し,これにより国内での輸入品の価格が下落したためである。とくに2007年以降の高いインフレ率の原因となってきた食品と非アルコール飲料が値下がりしたこと,国内産食品供給が増加し輸入食品が減少したことは,インフレ率の低下に貢献した。

石油収入とティモール海開発

現在ティモール海で石油生産が行われているのは,コノコ・フィリップス社が開発・運営するバユ・ウンダン油田(2004年生産開始)とENI社(本社イタリア)が開発・運営するキタン油田(2011年生産開始)の2つである。石油生産に関わる税金とロイヤルティ収入は,石油基金を通して国家予算に組み込まれるが,2011年の法改正により基金の運用が柔軟化された。現在石油基金は,50%を利子付きまたは利子に相当する収益のある投資先に当て,50%は上場企業に対する株式投資を行うことができるようになっており,一定の条件を満たせば5%までは戦略的な投資も可能になっている。現在,財務省が基金の運営・管理に責任を負い,ティモール・レステ中央銀行が財務省の同意の下で運用を行う体制となっている。

運用益を除いた石油収入の総額は,2011年32億4000万ドル,2012年に35億6000万ドル,2013年に30億4000万ドルであったが,2014年は18億1700万ドルであった。2014年は,石油生産の減少と石油価格の下落とが重なったため,低迷することとなった。2011年に基金の運用が開始されてから,運用益は2011年2億2000万ドル,2012年4億ドル,2013年8億7000万ドル,2014年5億2700万ドルとなっている。基金から国庫への引き出しは,2011年11億ドル,2012年15億ドル,2013年7億3000万ドルで,2014年には7億3200万ドルとなった。2005年の設立時に2億5000万ドルであった石油基金の積立金は,税金とロイヤルティ収入に加え,運用益による増資が進んだことで,2011年に93億ドル,2012年118億ドル,2013年149億ドル,2014年には166億ドルと増加している(財務省報告)。

ティモール海の東端に位置し,一部が共同石油開発地域(JPDA)にあるグレーター・サンライズ油田には,バユ・ウンダン油田やキタン油田の数倍の石油・液化天然ガスの埋蔵量があることが知られており,この油田の開発が始まればティモール・レステにさらに多くの収入をもたらすと期待されていた。しかし,グレーター・サンライズ油田を含むJPDAをめぐっては,ティモール・レステとオーストラリアとの間で2006年に署名された「特定海事アレンジメント協定」(CMATS)に関して両国が係争を抱えることになったため(詳細は後述),開発の具体的な計画は進んでいない。現在稼働中の油田のうち,バユ・ウンダン油田は2021年までに石油生産が終了するとされている。2014年には国家予算の89%が石油関連収入で賄われているが,今後の石油減産を見据えて石油依存型経済からの脱却が急がれている。

新しい経済動向

民間セクターの成長を促す必要が指摘されるなか,2014年は,企業誘致や投資促進のための施策が目立つ年となった。ハイネケン・アジア・パシフィック社(本社シンガポール)の醸造工場建設が決定したほか,ペリカン・パラダイス社(本社シンガポール)のホテル建設も決定した。またディリ=デンパサール(バリ)間にガルーダ・インドネシア航空が就航したほか,ティモール・レステとインドネシアを結ぶ新たな定期船便の就航も模索されている。

また2014年は,西ティモール(インドネシア)側にある飛び地オエクシ県で,社会市場経済特区(ZEESM)のパイロット・プロジェクトが始動した年でもあった。これは,2011年に発表された戦略開発プラン(2011-2030)が「地域開発回廊」と「国民戦略区域」を指定し,オエクシを含む拠点地域での重点的な経済開発を計画したことに始まる。税制上の優遇措置や特別関税を設けた経済特区を建設し,国内外からの投資や企業誘致を促すことを目指している。この計画には2014年度には680万ドル,2015年度には8200万ドルの予算が投じられる。また外国からの投資を扱う窓口機関として「インベスト・ティモール・レステ」の設立が決定されている。

またもうひとつの新しい経済的なトレンドとして,移民労働がある。2010年の統計によれば,2010年時点で少なくともティモール・レステの人口の1.4%に当たる1万6800人が海外に居住しており,その多くが移民労働者であるとされる。移民労働者によるティモール・レステへの海外送金は2006年には非石油GDPの1.4%に当たる500万ドルであったが,2011年には非石油GDPの12%に当たる1億3000万ドルへと急増している。ティモール・レステの商品輸出品第1位であるコーヒーの輸出高は2006年に約800万ドル,2011年には約1200万ドルで,移民労働力はコーヒーをしのぐティモール・レステの「第1の輸出品目」となった。

ティモール・レステでは,職業訓練・雇用政策担当国務省が中心となって,雇用問題・失業対策の一環として移民労働を進めてきた。とくに韓国とオーストラリアとは移民労働の政府間協定を結んでいる。韓国へは2008年のプロジェクト開始以来,2011年に400人,2012年に500人,2013年に280人を送っており,2014年時点では1358人が韓国で働いている。2014年11月7日,職業訓練・雇用政策担当国務省が国際移住機関(IOM)と共同で移民労働の問題に関する会議を開催し,透明性の高い移民労働システム構築のため,移民労働に関する行動計画の検討に入った。国連ミッションの撤退などで国内の雇用機会が失われ失業率が高止まりするなか,ティモール・レステでは今後も移民労働が増えることが見込まれている。

対外関係

オーストラリアとの対立関係

2014年は,石油・ガス資源の採掘権,課税権問題をめぐって隣国オーストラリアとの冷え込んだ関係が継続する年となった。2013年4月23日,ティモール・レステは2006年にオーストラリアとの間で結ばれた「特定海事アレンジメント協定」(CMATS)の無効確認を求めてハーグ常設仲裁裁判所(PCA)に申し立てを行った。しかし公判手続きの直前になって,オーストラリア治安情報機構(ASIO)がティモール・レステ側の法廷代理人の事務所に対して家宅捜索を行い,同代理人が裁判の初公判に提出する予定であった関係書類などを押収した。さらにASIOはティモール・レステ側の証人としてオランダに渡航予定であったオーストラリア機密情報局(ASIS)の元職員のパスポートを押収した。

これに対し政府は2013年12月17日,オーストラリアを相手取って国際司法裁判所(ICJ)に訴えを起こした。2014年1月に予備審理が行われ,2014年3月3日, ICJはオーストラリアに対し,押収した文書や電子データおよびその複製を開封せずにおくこと,ティモール・レステ政府とその司法アドバイザーとのやり取りを妨害しないことなどを命じた。ティモール・レステ政府はこの判決に対し歓迎の意を表明した。

その後政府とオーストラリア政府は仲裁手続きと訴訟手続きを一旦停止し,交渉再開の準備を始めることで合意した。政府は,ティモール海条約(2003年発効)とCMATS(2007年発効)で棚上げされていた海域の境界画定の交渉を再開したい考えで,「国際法に則って」両国の海岸線から等距離の場所に境界を設定することを主張している。一方オーストラリア政府は,オーストラリア側の大陸棚の端,すなわちティモール・レステ案よりさらにティモール島に近い位置に境界の画定を主張している。境界の位置によって大規模な石油埋蔵量を有するグレーター・サンライズ油田の開発権をどちらが得るのかが決まることから,両者の溝は埋まらず,交渉の開始自体が遅れている。こうした状況のなかで国会は10月24日,オーストラリアに対して両国の間で「確定的な海域の境界を画定するために」「交渉の即時開始」を求めた。

インドネシアとの友好関係

オーストラリアとの関係が改善されなかった一方で,もう一方の隣国であるインドネシアとは良好な関係が維持された。2月にはグスマン首相がジャカルタを訪問し,スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領,プルモノ・ユスギアントロ防衛大臣と会談を行っている。ユスギアントロ防衛大臣との会談では,軍事演習,国境線パトロールなどについての協力関係が確認され,またインドネシアからの軍備購入の詳細も話し合われた。8月にはユドヨノ大統領がティモール・レステを訪問している。10月にはグスマン首相が,ユドヨノ大統領が発起人を務め,開催7回目となるバリ民主主義フォーラムに出席し,ユドヨノ大統領との親密ぶりを顕示した。この際,グスマン首相は,「相互的な敬意と,良き隣人関係,相互利益の原則に基づいて,インドネシアとティモール・レステとの二国間関係を促進した」として,インドネシア政府よりインドネシア最高勲章(Bintang Repbulik Indonesia Adipurna)を授与されている。 10月20日のジョコ・ウィドド・インドネシア新大統領の就任式にはルアク大統領が出席しており,両国の友好的な雰囲気は継続している。

CPLP首脳会議開催とCPLP外交

ティモール・レステにとっての2014年のもっとも重要な外交上の成果は,第10回ポルトガル語諸国共同体(CPLP)会議を議長国として開催し,これを成功裏に終えたことであろう。CPLPは,ポルトガル語を公用語とする9カ国からなるが,その第10回目の全体会議が7月17日から23日,ティモール・レステの首都ディリで行われた。会議にはポルトガル,ブラジルのほか,アフリカ諸国を中心としたCPLP諸国の首脳,大臣が集まった。財務大臣委員会,閣僚会議に続いて,首脳会議が行われた。最終日23日にはディリ宣言が採択され,ティモール・レステを今後2年間議長国とすることが合意され,1週間にわたった日程が終了した。

CPLPの開催を機に,ティモール・レステはCPLP加盟各国との二国間関係の強化にも力を入れた。5月下旬から6月中旬にかけては,グスマン首相兼防衛相がポルトガルとアフリカを中心にCPLP諸国を歴訪し,ルアク大統領からのCPLP首脳会議への招待状を届けた。7月にはCPLPに集まった各国首脳や外務大臣とディリで二国間会談を行い,サントメ・プリンシペとカーボ・ベルデとは普通パスポートに関する査証免除の協定を結んでいる。

こうしたなかでも,ポルトガルとの関係強化はティモール・レステにとってもっとも重要な課題であった。CPLP閉幕翌日の7月24日には,ティモール・レステとポルトガルの二国間会合が行われ,グスマン首相とコエーリョ・ポルトガル首相が教育,司法関係,財政,保健,防衛と安全保障など多岐にわたる項目での協力関係を確認している。またこれに先立つ2月4日から8日には,グスマン首相兼防衛相,ソアレス法務大臣,ピント防衛担当国務長官がそろってポルトガルを訪問し,経済的・文化的な側面での協力関係を話し合ったほか,「軍事技術協力に関わる枠組みプログラム2014-2016年」に署名し,両国の軍事領域における技術協力関係を確認している。11月には,ブランコ・ポルトガル国家防衛大臣が来訪し,国軍兵士に対するポルトガル語教育の強化が両国の関係およびCPLP諸国間の関係強化にとって重要である旨が確認され,ポルトガルによる語学指導員の派遣などが合意された。

多国間機構を通じた外交

ティモール・レステは近年,多国間機構,とくに地域機構を通じて,他の小国や発展途上国との外交を活発化させている。アフリカ・カリブ・太平洋グループ(ACP,2003年加盟)やポルトガル語圏アフリカ諸国とティモール会議(PALOP-TL,2007年加盟)への参加はその例である。2013年5月から2014年8月には,アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)の議長国を務めるなど活躍の場を広げている。また2013年8月には,太平洋諸島開発フォーラム(PIDF)の設立に共同創設国として関わっている。2014年6月,フィジーで行われたPIDFの第2回首脳会議にはロベルト・ソアレスASEAN担当国務長官が出席しており,太平洋の小国とのつながりを強めている。

こうしたなかでもポスト紛争国20カ国の連合体であるg7+は,ティモール・レステが積極的に関わってきた多国間機構のひとつである。ティモール・レステは,2010年のg7+設立に当たって重要な役割を担い,初代議長国を務めている。また2013年2月には,ディリで2015年以降の開発アジェンダに関する国際会議(通称ディリ国際会議)が開かれ,g7+諸国を中心に,太平洋諸国・アフリカ諸国などの政府代表やNGO代表が集まった。2012年10月に行われたg7+の首脳会合では,g7+の加盟国であり,大地震に見舞われたばかりのハイチに対し100万ドルの援助を申し出た。2013年11月から2014年2月には,g7+加盟国であるギニアビサウに対して2回目の選挙支援ミッションを派遣し,さらに2014年8月には大臣委員会で同国の公務員の給与支払いを支援するために600万ドルの供与を決定している。10月の臨時大臣委員会では, 100万ドルを予定していたエボラ出血熱支援を200万ドルに増額し,リベリアなど,エボラ出血熱の影響を受けたg7+加盟国に支援を行うことを決定している。

こうした多様な多国間組織を通じた外交の一方で,ティモール・レステが2011年3月に加盟申請を行ったASEANに関しては,加入実現の目途は立たないままである。ASEAN加入の障害としては,シンガポールの強硬な反対に加え,ティモール・レステがミャンマーに大使館を設置していないことも影響を与えているとされる。ティモール・レステは近年,経済の安定的成長傾向や国家構築の進展具合といった側面でASEAN加盟基準に近づきつつあると考えられていたが,経済成長の停滞のほか,外国人司法関係官の解雇事件などにより,加盟が遠のく可能性も指摘されている。

2015年の課題

2015年に入りティモール・レステの国内政治に大きな動きがあった。2月5日,グスマン首相がルアク大統領に辞表を提出し,引退を正式に表明した。2月13日にグスマン首相およびCNRTがルイ・アラウジョ元保健大臣を首相に推薦し,2月16日にアラウジョ新内閣が発足した。新内閣には,ピレス財務大臣をはじめ汚職疑惑のあった閣僚が含まれていない一方,グスマンは「計画と戦略的投資担当大臣」として政権内に残ることになった。今後新政権におけるグスマンの役割が注目される。

2014年10月の外国人司法関係官の一斉解雇は,脆弱なティモール・レステの司法制度にとってさらなる打撃となる可能性があり,メディア法に関する議論ともあわせて,民主的なガバナンスの先行きを注視する必要がある。これらの問題は石油の採掘権・課税権問題,ティモール海開発に関わるオーストラリアとの長年の難しい交渉とも密接に関わっているため,事態は複雑である。また石油の採掘権をめぐるオーストラリアとの交渉に見通しが立たず,石油価格の下落とも関わって石油基金が目減り傾向をみせていることから,新たな収入の確保が模索されている。長期的には石油に依存した経済構造からの脱却が目指される。

(大東文化大学講師)

重要日誌 ティモール・レステ 2014年
  1月
8日 国会本会議が始まる。
9日 シリントーン・タイ王女,来訪。
20日 国際司法裁判所(ICJ)で対オーストラリア訴訟の予備審理開始 (~22日)。
22日 オーストラリア,ティモール・レステの法定代理人から押収した書類の返却拒否。
24日 国会,2014年度国家予算を承認。
31日 グスマン首相,イギリス,ポルトガル,インドネシア歴訪開始 (~2月11日) 。
31日 首相,ペレイラ大臣委員会統括大臣,E.ピレス財務大臣,A.ピレス石油・天然資源大臣,イギリス訪問 (~2月4日) 。
  2月
1日 ギニアビサウ選挙支援ミッション(第2フェーズ)開始 (~4月17日) 。
4日 首相,ソアレス法務大臣,ピント防衛担当国務長官,ポルトガル訪問 (~8日) 。
9日 首相,インドネシア訪問(~11日)。
26日 ロペス土地・不動産担当国務長官,インドネシア大使と会談。
27日 シメネス上訴(最高)裁判所長官,辞職。
  3月
3日 ICJがオーストラリアに対し押収文書を開封しないよう命じる。
3日 国会,治安維持に必要な行動を警察および軍に認める決議を採択。
10日 バウカウ県で武装集団と警察の間で銃撃戦が発生。
14日 マウック・モルックとエリ・セティが警察に出頭。
30日 首相,マレーシア,オーストラリア,中国歴訪開始(~4月14日)。
30日 首相,マレーシアを公式訪問。
31日 大臣委員会,東部2県の治安安定化のため警察と国軍への支援を表明。
31日 グテレス外務・協力大臣,欧州連合(EU)と国家財政管理に関する協定に署名。
  4月
2日 大臣委員会,治安維持のための警察と軍の活動を承認する決定。
3日 首相,オーストラリアのパースを訪問(~5日)。
6日 首相,中国を公式訪問(~14日)。アルカティリ元首相,グテレス外務・協力大臣,テメ国家行政機構大臣らが訪問団として参加。
17日 首相,アルカティリ元首相らオエクシ県を訪問 (~25日) 。
24日 ピント防衛担当国務長官と国軍のスタッフがインドネシア訪問団を迎える。
26日 サビノ農業・水産大臣,訪日 (~5月2日) 。
27日 バリでティモール・レステとインドネシア高官会合(~28日) 。
  5月
2日 大臣委員会,東部2県での治安部隊展開の延長を決定。
5日 日本から三ツ矢外務副大臣,来訪。
6日 メディア法案国会で可決。
19日 アフリカ・カリブ・太平洋諸国グループ(ACP)代表が来訪。
22日 首相,ポルトガル,アフリカ5カ国,シンガポール歴訪開始 (~6月13日) 。
25日 首相,ポルトガルに到着。
27日 ネパール平和・復興省訪問団が来訪。
29日 首相,トーゴ訪問。
29日 首相,トーゴで第3回g7+閣僚級会議に出席。
  6月
1日 首相,赤道ギニア訪問。
4日 首相,サントメ・プリンシペ訪問。
9日 ソアレスASEAN担当国務長官,ASEAN地域フォーラム高官会合に出席。
23日 ソアレスASEAN担当国務長官,太平洋諸島開発フォーラム(PIDF)第2 回首脳会合に出席。
26日 アルカティリ元首相がオエクシ社会市場経済特区(ZEESM)長官に任命される。
  7月
14日 ルアク大統領,メディア法案を上訴(最高)裁判所に送付。
17日 ディリでポルトガル語諸国共同体(CPLP)会議開催 (~23日) 。
17日 CPLP協力フォーカル・ポイント会議開催 (~18日) 。
21日 CPLP財務大臣会合開催。
22日 CPLP大臣会議開催。
23日 第10回CPLP首脳会議開催。ディリ宣言採択。
24日 首相,コエーリョ・ポルトガル首相と会談。
29日 コエーリョ・ポルトガル首相が出席し国家登記システムの開業式。
  8月
9日 ティモール・レステ,南西太平洋ダイアログ会議の議長国を務める。
9日 ASEAN閣僚会議とASEAN地域フォーラムにオブザーバー参加。
14日 メディア局,国際会議を開催。
21日 上訴(最高)裁判所,メディア法案を違憲と判断。
25日 ユドヨノ・インドネシア大統領,来訪 (~27日) 。
  9月
15日 首相,オーストラリア,メルボルン訪問 (~20日) 。
17日 大臣委員会,インベスト・ティモール・レステの設立を決定。
21日 首相,ニューヨーク滞在(~27日)。
27日 ジャマイカと国交樹立。
  10月
1日 ベラルーシ共和国と国交樹立。
2日 大臣委員会,エボラ出血熱支援の増額を決定。
10日 首相,第7回バリ民主主義フォーラム出席。
10日 首相,インドネシアより最高勲章を授与される。
15日 2014年度一般予算の補正予算承認。
20日 大統領,ジョコ・ウィドド第7代インドネシア大統領の就任式に出席。
23日 アメリカ合衆国との間で第5回二国間防衛協議が行われる (~24日) 。
24日 国会,司法の適切な監査を求める決議を採択。
24日 大臣委員会,外国人司法関係官の契約終了を求める決定を採択。
29日 首相,ドバイで第10回イスラム経済フォーラムに出席 (~31日) 。
29日 シン・インド特命全権大使,来訪。
31日 大臣委員会,外国人司法関係官の国外退去を求める決定を採択。
  11月
7日 職業訓練・雇用政策担当国務省が国際移住機関(IMO)と合同でセミナー開催。
13日 大統領,メディア法案を上訴(最高)裁判所に送付。
17日 ソアレス法務大臣,ポルトガル訪問 (~21日) 。
25日 ブランコ・ポルトガル国家防衛大臣,来訪 (~26日) 。
25日 政府,ハイネケン社,ペリカン・パラダイス社の誘致に関する合意に署名。
25日 政府,ポルトガル・ブラガ市と行政的地方分権に関する協力協定締結。
25日 CPLPフォーカル・ポイント会議がアンゴラで開催 (~27日) 。
  12月
4日 在マレーシア・ウクライナ大使,来訪。
9日 ペレイラ国務長官,モナコ訪問 (~11日) 。
11日 上訴(最高)裁判所,メディア法案を再度違憲と判断。
18日 国会,2015年度国家予算を承認。

参考資料 ティモール・レステ 2014年
①  国家機構図

(出所) 大臣委員会資料,および筆者の調査による。

②  シャナナ・グスマン内閣閣僚名簿(2012年8月8日発足,2014年末現在,カッコ内は所属政党)
②  シャナナ・グスマン内閣閣僚名簿(2012年8月8日発足,2014年末現在,カッコ内は所属政党)(続き)
③  立法,司法ほか要人名簿

主要統計 ティモール・レステ 2014年
1  基礎統計
2  国内総生産および産業別成長率
3  政府予算活動
4  国際収支(2010~2014年)
 
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