Yearbook of Asian Affairs
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2015 Volume 2015 Pages 537-568

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2014年のインド 第16次連邦下院選挙とナレンドラ・モディ政権の成立

概況

2014年4,5月に連邦下院選挙が行われた。2004年から政権の座にあったインド国民会議派(以下「会議派」)率いる統一進歩連合(UPA)が政権にとどまれるかどうかが注目された。UPA政権は政権後半に経済成長の減速,インフレの高進,相次ぐスキャンダルの発覚,そしてグジャラート州首相ナレンドラ・モディ率いるインド人民党(BJP)の攻勢などから次第に人々の信頼を失っていった。これらの要因が,会議派の歴史的大敗とBJP率いる国民民主連合(NDA)の大勝という結果につながった。モディ政権は内外から投資を呼び寄せるべく経済改革,行政機構の刷新などを積極的に進めている。一方,BJP連合政権の成立でヒンドゥー主義諸勢力は勢いを増している。国際関係においては,パキスタンとの関係は停滞が続いているが,経済改革に積極的なモディ新政権が各国から期待を寄せられていることもあって,新政権の外交は比較的順調な滑り出しをみせている。

経済に関しては,モディ首相率いる新政権に対する高い期待が大きく先行しながら,成長率の減速と急速な物価上昇という深刻な状況からは抜け出しつつある。新政権の下で経済改革が一段と加速するのではないかという市場の期待を背景に,株価は1年を通して上昇を続ける一方,各種の経済指標も前年度と比較して改善する傾向を示している。新政権の経済政策に目を向けると,外国直接投資(FDI)による外資出資比率に関する規制の緩和,土地収用や労働に関連する法律の改正,物品サービス税(GST)の導入などの実現へ向けての動きを見せ始めている。ただし,与党勢力は連邦下院で過半数を占めているとはいえ,連邦上院では過半数に遠く及ばないため,市場が期待するような経済改革が順調に進んでいくかどうかは不透明である。与党内はもちろん,野党勢力とも合意形成を図っていくことがモディ政権には求められている。

国内政治

第16次連邦下院選挙とインド人民党率いる国民民主連合政権の成立

連邦下院選挙が2014年4月7日から5月12日にかけて10回に分けて行われた。今回の選挙戦は会議派にとって不利な情勢のなか行われた。2012年9月にはママタ・バナジー西ベンガル州首相率いる全インド草の根会議派(AITC)が,総合小売業への外国直接投資の投資上限を51%まで引き上げようとする政府と対立してUPAから脱退した。また2013年3月には,タミル・ナードゥ(TN)州のドラヴィダ進歩連盟(DMK)党首M・カルナニディは,内戦期間中のスリランカ政府によるタミル人の人権侵害を十分追及していないと連邦政府を批判しUPAから離脱した。会議派の選挙協力体制の構築も中途半端であった。たとえば,ビハール州では2013年10月以降,民族ジャナター・ダル(RJD)と人民の力党(LJP)は会議派との選挙協力を求めてソニア・ガンディー総裁と接触を重ねたが,会議派が協力を決めたのはRJD だけであった。LJPはBJP陣営に加わることになる。会議派は2013年12月の州議会選挙ではチャッティースガル州,マディヤ・プラデーシュ州,ラージャスターン州でBJPに敗れ,デリーではBJPおよび庶民党に敗れていることから,不人気は明らかであり,選挙協力は不可欠であったが,効果的な協力関係は打ち立てられなかった。

マンモーハン・シン首相は2014年1月3日には,選挙の結果に関わらず首相を続けることはないと明言し,また1月16日に会議派運営委員会はソニア・ガンディーの息子で副総裁のラーフール・ガンディーが選挙を指導することを決めたが,会議派は選挙に勝った場合,誰が首相になるか明言しなかった。BJPが2013年9月に早々とモディを首相候補として積極的なキャンペーンを行っていたことと比較すると,その姿勢はいかにも受け身であった。また,UPA政権は選挙を意識したとみられる利益供与的な政策決定も行ったが大きな効果はなかった。たとえば,2014年2月28日には連邦政府公務員の物価手当の引き上げを実施した。また,3月2日には北部9州でジャート・カーストを「その他後進階級」(OBCs)と認定し,分割が決まったアーンドラ・プラデーシュ(AP)州で分割後の新AP州を財政や交付金などで優遇措置を受ける「特別カテゴリー州」の範疇に入れる方針を明らかにした。しかし,これらの政策は広範な不満に対する回答とはならなかったことが選挙で明らかになる。会議派は3月8日に最初の候補者リストを発表し,26日に選挙綱領を発表した。

BJPの選挙戦はグジャラートのモディ州首相を中心として展開した。モディ州首相はグジャラート州の経済開発を加速した強力かつ有能な指導者と評されるが,一方,強硬なヒンドゥー民族主義者としても知られる。世論調査では2013年以降,全国的政治家としてのモディ州首相の人気はマンモーハン・シン首相やラーフールの人気が低下するのと反比例して急速に上昇した。選挙で勝てる顔としてモディはBJP党内で急速に影響力を強め,2013年9月には党全国執行委員会によって首相候補として承認される。

選挙協力体制もモディを中心に展開された。強硬なヒンドゥー民族主義者であるモディを嫌ってジャナター・ダル(統一派)(JD[U])は2013年6月にNDAから離脱した。しかし,BJPは,マハーラーシュトラ州のシヴ・セーナーやパンジャーブ州のアカリー・ダルなど従来からのNDA協力政党に加えて,2014年2月27日にはビハール州でLJPと,そして,4月5日にはAP州のテルグ・デーサム党(TDP)と選挙協力を結ぶなど,地方政党との連係を巧みに打ち立てた。また,3月3日にはウッタル・プラデーシュ(UP)州元首相でOBCs出身のカリヤーン・シンの再入党を許しOBCs層への気配りを行うなど,中間的諸階層へのアピールを強める一方,29日には選挙区の割り当てに従わなかったジャスワント・シンらを党から除名するなどの引き締めを,モディが中心となって行った。

BJPの選挙綱領は第1回の投票日である2014年4月7日に発表されたが,そこでは経済改革の加速によりインドを成長軌道へ復帰させること,国家統合強化のために治安や防衛力を強化すること,独自の民生用原子力政策を堅持することなどが強調された。ヒンドゥー民族主義政党としての従来からの主張であるジャンムー・カシミール州の独自性を保証した憲法第370条の廃止,全ての宗派に適用される統一民法典の制定,UP州アヨーディヤーにおけるラーマ寺院の建立なども掲げられたが,選挙戦ではこれらの主張は積極的には打ち出されなかった。

今回の選挙でも,インド共産党(マルクス主義)など左派勢力やUP州の社会主義党,JD(U)などを中心として反会議派,反BJPのいわゆる第3勢力を結集しようとする動きはあったが,大きな影響力はなかった。選挙では「モディ旋風」と称されるモディ人気が顕著であり,5月16日の一斉開票によって明らかになった結果は,表1のとおりBJPの大勝となった。

表1  第16次連邦下院選挙における主要政党の実績

(注) 1)選挙対象議席の定数は543である。これに加えてアングロ・インディアンから2人が大統領によって指名される。

2)全国政党:連邦下院選挙または州議会選挙で少なくとも得票率6%以上の州が4つ以上あり,かつ,連邦下院選挙で4議席以上を獲得した実績があること,または,連邦下院選挙で少なくても3つ以上の州から合計2%以上の議席を獲得した実績がある政党である。

州政党:連邦下院選挙または州議会選挙で少なくとも得票率6%の実績があり,州議会選挙で最低2議席を獲得した実績があること,または,州議会選挙で少なくても3%の議席,または,3議席を獲得した実績がある政党である。ただし全国政党は除く。

登録非承認政党:過去の実績がないことなどから政党として正式に承認されていないが,登録されている団体。

3)全国政党はすべて,州政党と登録非承認政党については最低4議席を獲得したもののみ示した。

4)「UPA」,「NDA」はそれぞれ,今回2014年の選挙時にUPA,NDAに所属していたことを示す。

5)*ナショナリスト会議派党は2014年9月25日に会議派と袂を分かった。

(出所) インド選挙委員会ウェブサイトの掲載データより(http://eci.nic.in/eci/eci.html)。

BJPは31%の得票率で過半数の282議席を得たが,それはモディ人気を示すと同時に,BJPの選挙協力体制がきわめて効率的に働いたことを示すものであった。NDA全体で545議席中336議席を確保した。地域的には北部・中部を中心とするヒンディー語地域,そして西部で圧勝した。一方,会議派は19.3%の得票率で44議席と歴史的惨敗を喫した。5月19日の会議派中央運営委員会では,インフレと腐敗が敗北の要因であったとマンモーハン・シン首相が述べた。しかし,同委員会は選挙戦の失敗を認めるも,ソニア・ガンディー総裁とラーフール・ガンディー副総裁の辞任は認めなかった。会議派はネルー・ガンディー家出身の両氏の求心力を失うわけにはいかなかったからである。モディは連邦首相に就任するため5月22日にグジャラート州首相を辞任し,後任に同州では初の女性州首相となるアーナンディベン・パテールが就任した。

国民民主連合政権と政局の展開

モディを首相とするNDA政権は5月26日に発足した。就任式では南アジア地域協力連合(SAARC)諸国およびモーリシャスの首脳が初めて招待された。組閣は首相も含めて閣内大臣24人,閣外大臣22人,計46人と,2013年12月時点での第2次UPA政権がそれぞれ31人,47人,計78人であったことから比べればコンパクトな政権となった。主要な閣僚人事ではBJPからはラージナート・シンBJP総裁(党総裁は後に辞任)が内務大臣,アルン・ジェートリーが財務大臣,スシマ・スワラージが外務大臣に就任した。一方,NDA内の他党からは閣内大臣としてLJP党首のラーム・ヴィラース・パースワンが消費者問題・食糧・公共配給大臣,TDPのアショク・ガジャパティ・ラージュ・プサパティが民間航空大臣,シヴ・セーナーのアナント・ギーテが重工業・公企業大臣,アカリー・ダルのハルシムラト・カウル・バダルが食品加工業大臣に各々就任した。モディ旋風で大勝したことからモディ色が強まるのではないかと考えられたが,長老のL・K・アドヴァーニやM・M・ジョーシーなどは閣僚から離れ世代交代は進んだものの,比較的バランスのとれた構成であると評された。

「最小の政府・最大のガバナンス」を掲げ発足したモディ政権は,前UPA政権の体制を大きく変革した。効果的な政策決定に資するかどうか疑問視されていた「国家諮問評議会」などは廃止され,UPA政権期に任命された各種委員会の長や高級官僚などは交代を迫られた。一連の組織改革の特徴として指摘されることは,「首相府」に権力が集中する傾向であった。また州知事も前政権に任命された州知事が交代を迫られ,7月14日にはUP州,チャッティースガル州,ナガランド州,西ベンガル州,グジャラート州などで,ベテランBJP党員が新州知事に任命された。党人事ではモディ首相の腹心のアミット・シャーがBJP総裁に指名され(7月9日),モディ首相の党への影響力は強まった。

新政権は矢継ぎ早に改革を推し進めている。最初の予算案は7月8日に鉄道予算が,10日に一般予算が上程された。治安・防衛支出が大きく増額されたが,概して慎重な財政運営,継続性が重視された予算となった。予算案では防衛産業へのFDI上限の引き上げなどが盛り込まれたが,FDI比率の上限を上げて,外資を呼び込もうとする政策はその後より明確になる。行政機構の刷新で象徴的なのは,歴代会議派政権で重要な役割を果たした計画委員会の廃止である。8月15日の独立記念日にモディ首相は計画委員会の廃止を宣言した。計画委員会は関連する国家開発評議会とともに廃止され,代わりに両者を統合して「政策委員会」(NITI Aayog)が2015年1月1日に発足した(予算案と政策委員会については後述)。

汚職の追放に関しても進展があった。9月27日には,1996年に告訴された全インド・アンナ・ドラヴィダ進歩連盟の党首でTN州首相のJ・ジャヤラリターなど3人の不正蓄財疑惑に関して,特別裁判所は蓄財を汚職によるものと認め懲役4年の有罪判決を下した。TN州では公正な審理が難しいとの最高裁の判断から,裁判はカルナータカ州ベンガルール(11月1日に「バンガロール」から改名)へ移送されて行われていた。同州首相は判決を受けて収監された。ジャヤラリターの収監という事態を受けて,新しい州首相にはO・パンニールセルヴァムが29日に就任した。ジャヤラリターは最高裁に保釈を請願し,10月18日に保釈された。

また,最高裁が10月28日にインド国民が海外に保有する銀行口座のうち課税逃れのブラック・マネー口座とみられるもののリストを提出するよう政府に命令したことから,政府は翌29日に627人のリストを最高裁に提出した。BJPは選挙綱領で海外銀行口座にあるブラック・マネーを摘発しインドに呼び戻すとしていたが,政権就任後は必ずしも積極的ではなかった。最高裁の命令は海外のブラック・マネー摘発に政府を動かすことになった。

一方,BJPが政権に就いたことでヒンドゥー民族主義勢力の動きが活発化し,さまざまな問題を引き起こしている。とくにUP州では動きが活発である。7月26日にはサハーランプルでムスリムと他のコミュニティの間で3人が死亡する暴動が発生したが,8月26日のメーラト県長官の報告は,原因として県の治安当局の怠慢とともにBJP国会議員による言動がコミュニティ間の緊張を高めたことを指摘した。また,12月8日にはアグラでヒンドゥー民族主義組織が約350人のムスリムをヒンドゥー教へ改宗させたとして騒ぎが広がり緊張が走った。BJP自体はこの事件には関与していないとされるが,ヒンドゥー民族主義組織によるムスリムやキリスト教徒のヒンドゥー教への強引な改宗運動は緊張を高めた。宗派間の緊張が高まるなか,12月12日にはUP州知事がヒンドゥーとムスリムの間で長年問題となっているアヨーディヤーのモスク跡にラーマ寺院を建立する運動に関して,建立が好ましいと発言したことから,ムスリムや会議派から厳しい非難を浴びた。

アーンドラ・プラデーシュ州の分割とテーランガーナー州の創設

AP州北西部のテーランガーナー地域は州都ハイデラバードを除けば後進的であるとの認識から,従来から自治を求める運動があった。2001年には新州設立を求めてテーランガーナー民族会議(TRS)がK・チャンドラセーカル・ラーオによって設立された。新州設立運動は2009年以降過激化し,分割反対派との衝突などによって混乱が続いた。このような事態を受けてUPA政権が新州創設を承認したのが2013年12月であった。憲法に従って大統領は新州設立の法案をAP州議会の審議に付したが,これに対して州議会は,2014年1月30日にK・K・レッディー州首相(会議派)が主導し新州創設を拒否する決議を採択した(以上『アジア動向年報2014』参照)。このような混乱と反対運動にもかかわらずUPA政権は連邦議会で新州創設法案を2月20日までに通過させ,3月1日には大統領の承認を得て新州の創設が決定された。

AP州分割・新州設立の過程でもっとも大きなダメージを被ったのは与党会議派であった。会議派は2月11日にAP州分割に反対し政府不信を表明したシーマンドラ地域(テーランガーナー地方以外のAP州)の連邦下院議員6人を党から追放した。これに対してレッディー州首相は抗議のため19日に辞表を提出し,3月6日に新党を結成した。州首相辞任や州の分割をめぐり治まらない混乱,および連邦下院選挙と州議会選挙の実施のためにAP州は3月1日に大統領統治の下に置かれる。中央政府は分割後のAP州を中央からの資金交付などで恩恵を受けられる「特別カテゴリー州」に分類するよう3月2日に計画委員会に指示するなど懐柔を試み,また,分割に備えて3月11日には2つの新州会議派の総裁を発表した。しかし,政治的ダメージはあまりにも甚大であった。

連邦下院選挙と同時に行われた州議会選挙では,シーマンドラ地域でBJPと協力関係を打ち立てたTDPが,テーランガーナー地域でTRSがそれぞれ勝利し,会議派は大敗した。6月2日にはテーランガーナー州が発足し,初代の州首相にK・チャンドラセーカル・ラーオが就任した。シーマンドラ地域の新AP州ではTDPが勝利し6月8日にチャンドラバーブー・ナイドゥを首班とし,BJPからの2人を含む19人の大臣で州政権は発足した。

ナイドゥは選挙後の5月30日にはモディ首相と会談し,分割による負担を軽減するため新AP州を特別カテゴリー州に指定するよう要求した。また8月25日にもモディ政権に対して新AP州への経済援助の履行を求めた。州分割に伴い,ハイデラバードは今後10年間両州の共同州都とされ,新AP州は10年のうちに新州都を建設することとなった。なお,新州都建設に関してはナイドゥ州首相は11月25日からの訪日中,安倍首相と会談し(28日),州都建設に日本の協力を求めた。

州議会選挙の動向

BJPは北部・中部のヒンディー語地域や西部では連邦下院選挙の勢いを保ったが,他の地域では総じて各州の地域政党が強みを発揮した。

連邦下院選挙と同じ5月16日に開票された州議会選挙は,次のような結果となった。AP州(定数294)では,既述のようにTDPが大勝したが,獲得した116議席の大部分はシーマンドラ地域の議席であった。テーランガーナー地域ではTRSが63議席,会議派が21議席を獲得した。しかし両党ともシーマンドラ地域では1議席も獲得できなかった。州分割の余波を受け,会議派は連邦下院選挙,州議会選挙とも惨敗に終わった。オディシャ州(定数147)では地域政党のビジュー・ジャナター・ダルが117議席を獲得し圧勝した。それに対して会議派は16,BJPは10議席を得るにとどまった。州首相には4期目となるナヴィーン・パトナイクが就任した。シッキム州(定数32)ではシッキム民主戦線が22,シッキム革命戦線が10議席を獲得した。会議派が唯一勝利したのはアルナーチャル・プラデーシュ州(定数60)で会議派は42,BJPが11議席を獲得した。

10月に入ってもBJPの勢いは続いた。19日に開票されたハリヤーナー州議会選挙(定数90)では,BJPが47,インド国民民衆党19,会議派15議席という結果となり,BJPが初めて州政権を樹立した。26日にマノーハル・ラール・カッタルが州首相に就任した。19日に同日開票されたマハーラーシュトラ州(定数288)でもBJPは躍進し122議席を獲得した。シヴ・セーナーは63,会議派42,ナショナリスト会議派党41議席であった。BJPは過半数を得られず,協力関係にあったシヴ・セーナーとも連邦政府の大臣職の割り当てをめぐり対立が生じたため,31日に就任したD・ファドナヴィス州首相のもと議会の信任を確保することができるかどうか危ぶまれた。しかし,ナショナリスト会議派党が閣外からBJP政権を支持することを決定したため,11月12日に行われた州議会信任投票では信任を得ることに成功した。なお,BJPとシヴ・セーナーはその後関係を修復し,12月5日にシヴ・セーナーは州政府に加わった。

12月にはジャールカンド,ジャンムー・カシミール両州で州議会選挙が行われた。23日に開票が行われたジャールカンド州(定数81)では,主要政党に関してはBJPが37,ジャールカンド解放戦線19,ジャールカンド開発戦線(民主主義)8,会議派6議席という結果となった。BJPは選挙協力を行った全ジャールカンド学生連盟(5議席獲得)の協力を得て政権を樹立した。州首相にはラグーバル・ダスが就任した。

同日に開票されたジャンムー・カシミール州議会(定数87議席)選挙では,ジャンムー・カシミール人民民主党(PDP)が28,BJPが25,ジャンムー・カシミール民族協議会15,会議派12議席という結果となった。同州をめぐっては,5月27日にBJPの中央政府の新閣僚ジテンドラ・シンがその特別な地位を保障した憲法第370条の廃棄を示唆したのに対して,州首相オマル・アブドゥッラー(当時)が激しく反発するなど中央と州は緊張を抱えていたなかでの選挙であった。BJPはジャンムーなどヒンドゥー教徒多住地域で多くの議席を獲得した。過半数を制する政党が現れなかったため政権樹立は難航している(2015年3月1日にPDPとBJPの連立政権が成立)。

アッサム州ボドランドにおける分離主義過激派の襲撃事件

アッサム州ではボドランド独立を目指す武装闘争により,2014年にも多くの犠牲者が出た。「ボド」はアッサム州西部の平野部に住む先住部族民であるとされる。この地域は植民地期から植民地経営のためサンタルなどの他の部族民やベンガルのムスリムが流入してきた歴史があり,土地や雇用をめぐって民族対立が生じ,1980年代後半にはたびたび暴力事件が起こった。このような背景からボド民族の「自治」を求める運動が過激化し,一部は武装闘争に転じた。1993年に中央政府,アッサム州政府,および全ボド学生組織との間で合意が交わされたが事態の収拾には至らなかった。その後,中央政府,アッサム州政府,そして武装組織の「ボド解放の虎」の間で2003年に協定が結ばれ,州西部のブラフマプトラ河北部4県に重なる「ボドランド領域県」(BTAD)に「ボドランド領域協議会」が設立された。協議会の選挙は2005年に行われた。ただし,BTADにおけるボドの人口は3割にも満たず,ボド以外の諸民族は協定に必ずしも賛成していなかった。また協定に参加しない武装組織もいた。そのなかで問題となっているのが,「ボドランド民族民主戦線(ソングビジット派)」(NDFB[S])である。

NDFB (S)は1986年に設立された「ボド防衛隊」がその前身である。同組織は1993年の合意を拒否し,1994年には「ボドランド民族民主戦線」(NDFB)と改名するが,2000年代以降は過激化して他のボド運動組織をも攻撃するようになる。中央政府はNDFB を2002年に禁止団体に指定したが,NDFBは2005年5月には中央政府の呼び掛けに応じて停戦協定を結ぶ。この停戦に反対する分派のなかから2012年に現れたのがNDFB (S)である。NDFB (S)は,同じく分離主義武装組織である「アッサム統一解放戦線」(ULFA)や「ナガランド民族社会主義評議会(イサク・ムイヴァー派)」と連携しつつ,ミャンマーなどにキャンプを構え武装闘争を続けているとされる。NDFB (S)はムスリムや他の部族民に対してたびたび襲撃を繰り返してきた。2014年に入ってからは5月2日にNDFB (S)はBTADで住民を襲撃し40人の犠牲者を出した。政府は事態に対処するため軍を展開し,外出禁止令を出した。また12月23日から翌日にかけてもNDFB (S)による襲撃事件が起こって72人が犠牲となり,大量の避難民が発生した。これに対して中央政府は25日に断固たる対処を表明し,同派を禁止団体とする処置を5年間延長した。治安部隊や警察は12月から2015年1月にかけてNDFB (S)のメンバーの逮捕に全力を挙げている。

経済

マクロ経済の概況

2015年2月9日にインド統計・事業実施省中央統計局(CSO)が行った発表によると,2014/15年度(2014年4月~2015年3月)のインドの実質GDP成長率は7.4%と予想されている。2012/13年度に5%台前半に落ち込んだ経済成長率は,前年度の6.9%をさらに上回り,7%台半ばまで回復することが見込まれている(表2)。

表2  実質GDP成長率の推移(%)

(注) 2011/12年度を基準年としている。GDP成長率は市場価格表示のGDPに基づいて算出されている。各部門の成長率は基本価格表示の粗付加価値に基づいて算出されている。

(出所) インド統計・事業実施省中央統計局(CSO)のプレスノート(2015年1月30日付,同2月9日付)に基づき作成。

生産部門別にみると,鉱工業とサービス業では,それぞれ鉱業と商業・ホテル・運輸・通信を除いて,すべての部門で成長率が前年度を上回っている。一方,農林水産業の成長率は1.1%と前年度の3.7%に比べると低調である。これは,雨季に当たる6~9月の降雨量が例年に比べて12%ほど少なく,モンスーンが不良だったことが影響しているものと考えられる。ただし,雨季終盤の9月の降雨量が例年を8%上回ったことが好材料となり,冬作(ラビ)の穀物生産で挽回が図られるとの期待も出ている。なお,2015年2月18日にインド農業省が発表した予測では,2014年7月から2015年6月までの1年間の穀物生産量は2億5707万トンとなっており,過去最高の生産量となる2億6557万トンを記録した前年度(2013年7月~2014年6月)から3%程度の減少にとどまる見通しである。

ただし,上記の実質GDP成長率の予測値には注意が必要である。インドでは,2014/15年度からGDPの算出方法が大幅に変更され,経済活動の国際比較を可能にするために国際連合が定めた基準である国民経済計算に準拠するようになった(詳細については,2015年1月30日付のCSOのプレスノートを参照)。さらに,実質GDPを計測する際の基準年も2004/05年度から2011/12年度へと更新された。そのため,2014/15年度のGDP成長率の予測値として7.4%という予想をはるかに上回る数字がCSOから発表されると,算出方法の変更によって成長率が実態よりも高く出るようになったのではないかという疑念が広まった。実際,2014/15年度のGDP成長率については,2014年7月に政府が公表した『経済白書2013/14年度』では5.4~5.9%,同8月にインド準備銀行(RBI)が公表した年次報告書では5.5%など,軒並み5%台の数字が予測値として示されていた。また,CSO によるGDP成長率の予測値とその他の経済指標との間にもあまり整合性はみられない。たとえば,鉱工業生産指数は前年度に比べて改善しているものの,成長率は2.1%と依然として低い水準にとどまっている。

新しい算出方法に基づくGDPをめぐっては,政策立案者の間でも困惑が広がっている。インド財務省の主席経済顧問を務めるアルヴィンド・スブラマニアンは,「GDP成長率の数字には戸惑っている」と率直に認めたうえで,「この数字に基づいて政策立案を行うことには注意が必要である」と述べている。また, RBIのラグラム・ラジャン総裁も「現時点でインド経済が難局から抜け出したとするデータはいかなるものであれ,重視しすぎるようなことはない」と慎重な姿勢を示している。新しい算出方法に基づくGDPの評価が定まるまでには,まだしばらく時間がかかりそうである。

下落傾向にあるインフレ率

インドのインフレ率は比較的安定した水準で推移しており,全般的に下落傾向にある。図1は,消費者物価指数(CPI)と卸売物価指数(WPI)の変化率(前年同月比)を2013年7月から2014年12月の期間にわたって示したものである。当初は,CPIが10%前後,WPIが7%前後というかなり高い上昇率で推移していたが,2013年11月頃から下落傾向に転じると,2014年7月以降にはそのペースをさらに加速させていった。2014年12月時点でのCPIとWPIの上昇率は,2013年7月時点と比較すると,ともに5~6ポイントほど低くなっている。

図1  消費者物価指数と卸売物価指数の変化率

(出所) インド準備銀行(RBI)のDatabase on Indian Economyに基づき作成。

インフレ率が低下した要因を検討するために,WPIの変化率を主要構成項目ごとに分解したのが図2である。この図から以下の点を読み取ることができる。第1に,食料品の価格上昇率は2013年末から翌年初めにかけて急激に下落し,その後も徐々に低下している。第2に,WPIに占めるシェアが最も大きい製造品(食料品は除く)の価格上昇率は比較的低い水準で安定的に推移しており,2014年末には2%を切っている。第3に,国際的な原油価格の落ち込みが大きな要因となり,燃料・電力の価格上昇率は急速に低下しており,こうした傾向は2014年6月以降とりわけ顕著である。

図2  卸売物価指数の主要構成項目の変化率

(注) 各項目が卸売物価指数全体に占めるウェイトは,食料品が24.3,製造品(食料品以外)が55.0,燃料・電力が14.9である。食料品以外の一次産品(WPIに占めるウェイトは5.8)は省略している。

(出所) 図1に同じ。

このようにインフレ率が全般的に下落傾向を示す一方で,物価水準について注目すべきポイントがいくつかある。まず,CPIとWPIの上昇率はともに下降線をたどっているものの,一般市民の生活との関連性がより強いCPIの上昇率は,依然として5%前後の水準にある。さらに,図1から明らかなように,CPIとWPIの上昇率には一貫して大きな乖離が存在し,前者が後者をつねに上回っている。2014年12月の時点で,CPIとWPIの上昇率の間には5ポイント弱の開きがある。なお,この点に関しては,卸売から小売を経て消費者に至るまでの流通の過程でさまざまな取引費用や税金がかかっていること,さらには,CPIとWPIでは各構成項目のウェイトが異なることなどが,原因として指摘されている。

インフレ抑制に重点を置く金融政策

RBIのラジャン総裁は,2013年9月5日の就任以来,物価上昇の抑制を重視する姿勢を明確に打ち出してきた。まず,就任して間もない2013年9月20日には,アメリカの連邦準備銀行が量的緩和の継続を決めたことを受けて,代表的な政策金利であるレポレートを7.25%から7.5%へ25ベーシスポイント引き上げる措置を速やかに実行し,引き下げまたは据え置きを予想していた市場をおおいに驚かせた。これに続いて,2013年10月29日と2014年1月28日には,2回にわたって25ベーシスポイントずつレポレートの引き上げを実施した。その後は,2015年1月15日にレポレートが8%から7.75%へ引き下げられるまで,約1年間にわたって政策金利は維持された。前節でみたように,2014年に入ってインフレ率は全般的に下落傾向を示すようになったが,インフレ対策に主眼を置くRBIの金融政策の方向性は終始一貫していた。

しかし,その一方で,インフレ抑制を重視するRBIの姿勢はNDA政権や産業界からは歓迎されておらず,ラジャン総裁に対する批判を生む原因ともなっている。各種の世論調査の結果から,BJPを中心とする政権が誕生する可能性が盛んに取り沙汰されていた2014年4月には,政策金利の高止まりが経済状況を悪化させているという批判や,さらには,ラジャン総裁の解任論までがBJPの主要メンバーの口から出るようになった。また,これに相前後して,政策金利の高止まりによって企業の借り入れコストが増大し,結果としてインドの産業全体が悪影響を受けているとして,政策金利の引き下げを求める声が産業界からも盛んに出るようになった。

新政権が成立した5月以降になると,あからさまな批判はみられなくなったものの,NDA政権と産業界から利下げを求める発言は依然として続いている。たとえば,インドを代表する業界団体のひとつであるインド商工会議所連合会(FICCI)は「2015年中に少なくとも75ベーシスポイントの(レポレートの)引き下げが必要である」(2015年2月3日付プレスリリース)との考えを表明している。このように,政策金利をめぐる議論は大きな政治問題へと発展する可能性があるため,物価動向とともに注視していく必要がある。

なお,2014年4月2日の記者会見でラジャン総裁は,インフレ率の指標としてCPIよりもWPIに重きを置いてきたこれまでのRBIの方針を転換し,CPIをより重視して金融政策を行うという新たな指針を明らかにしている。CPIがWPIを上回っている現状を考えると,この方針転換はRBIがインフレ対策により力点を置くようになったことのひとつの表れであるといえるだろう。

高まる期待と急上昇する株価

新政権に対する市場の期待の高さを反映して,インドの代表的な株価指数であるムンバイ証券取引所(BSE)のSENSEXは1年を通して上昇を続け,そのたびに最高値を更新していった。とくに,資本財,不動産,石油・ガスなどに関連する企業の株価が大幅に値上がりしており,新政権の下でインフラ整備と経済改革が一段と進むのではないかという市場の期待がその背景にある。

SENSEXは,2007年12月に2万ポイントを突破したが,世界規模の景気後退のあおりを受けて,2009年3月には8000ポイントを割り込む水準にまで下落した。その後,同指数は大幅に回復したものの,1万5000ポイントから2万1000ポイントの間で値動きを繰り返す時期がしばらく続いた。ところが,2014年3月に入って,連邦下院選挙でのBJPの優勢が各種世論調査によって判明すると,同指数は一転して上がり始め,さらに,5月16日の開票日直前にBJPの大勝を予想する出口調査の結果が明らかになると,2万4000ポイント目前まで急上昇した。SENSEXはその後も順調に上がり続け,2015年1月30日には2万9844.16ポイントという最高値を更新し,3万ポイントの大台に迫る勢いをみせている。また,もうひとつの代表的な株価指数であるナショナル証券取引所(NSE)のS&P CNX NIFTYも,同じ日に8996.60ポイントの最高値を記録している。

新政権による最初の予算

モディ政権にとって初めてとなる2014/15年度の鉄道予算と一般予算が,7月8日と10日にそれぞれ国会に上程された。前節でもふれたように,政権交代によって経済改革が一気に前進するのではないかとの期待が連邦下院選挙前から高まっていたこともあり,予算の内容に注目が集まった。ところが,実際に蓋を開けてみると,大胆な政策転換が試みられている訳ではなかったため,新政権の予算は期待されたほどの内容ではなかったとの失望の声が一部で上がった。

2014/15年度予算で注目されるポイントとして,以下の点が挙げられる。第1に,財政赤字の対GDP比については,2014/15年度に4.1%,2015/16年度に3.6%,さらに2016/17年度に3%と段階的に削減していくことが示された。ただし,食料,燃料,肥料に対する補助金の総額は2兆5139億ルピーとむしろ前年度を上回っている。第2に,一部分野での外国直接投資(FDI)の拡大である。具体的には,保険部門と防衛部門へのFDIの上限を現行の26%から49%に引き上げる方針が示された。これに加えて,鉄道関連の特定分野(高速鉄道システムもこれに含まれる)で100%のFDIを認める方針も明らかにされた。その一方で,2012年に大きな政治問題に発展した総合小売業の外資への開放については,今回の予算では一切ふれられていない。第3に,国防費として過去最高となる2兆2900億ルピーが計上された。この点に関連して,近年インドは世界最大の武器輸入国となっているという点に留意しておくべきである。第4に,前政権が2月に提出した暫定予算案に盛り込まれていた,6月30日までの期限付きの一部の耐久消費財などに対する物品税の引き下げ措置が2014年末まで延長された。

経済政策の面でのもうひとつの動きとして,計画委員会に代わる新たな組織である「政策委員会」が2015年1月1日に発足したことが挙げられる。計画委員会の廃止については,2014年8月15日の独立記念日にモディ首相が行った演説ですでに表明されており,政策委員会の設置はそれを受けての措置である。ただし,現時点では,計画委員会が行ってきた業務がどの程度まで継続されるのか,さらに,計画委員会とは違う新たな業務を担うのかなど,政策委員会の役割についてははっきりしない点が数多くある。政策委員会の実質的なトップにあたる副委員長(委員長は首相)には,コロンビア大学教授のアルヴィンド・パナガリヤが就任した。

その他の目立った動きとしては,関連法案の改正による労働規制の緩和,国内製造業の振興を目指したキャンペーンである「メイク・イン・インディア」の立ち上げなどが挙げられる。

土地収用法をめぐる新たな動き

インドの工業部門の発展を妨げる要因のひとつとして,土地収用の問題が頻発しているという点がよく挙げられる。実際,経済特区(SEZ)の開発,個別企業向けの工場用地の整備,高速道路や発電所といったインフラ建設などが行われる過程で,土地収用に反対する地元住民や活動家との間で暴力を伴う激しい衝突が起こり,その結果,計画自体が頓挫してしまう事例がインド各地でみられる。

たとえば,2007年には,西ベンガル州ノンディグラムでSEZの建設予定地の土地収用に対する抗議活動が活発化したため,左翼政党からなる州政権は計画の撤回を余儀なくされた。しかし,その後も抗議活動の勢いは一向に衰えず,州警察の発砲によって14人もの死者が出るなど,多数の死傷者を出す大惨事となった。また,2008年には,同じく西ベンガル州シングールでタタ自動車の超低価格小型車「ナノ」の生産工場用地の土地収用をめぐって反対運動が巻き起こり,最終的にタタ自動車は予定地での操業を断念するに至った。いずれの場合も,地元住民への説明や補償内容が不十分なものでしかなかったにもかかわらず,土地収用の手続きが強行されたことが激しい反発の引き金になったといわれている。

独立以前に制定された「1894年土地収用法」(以下,旧土地収用法)の改正やそれに代わる新たな法律の制定が,政治的議論の対象として大きな注目を集めるようになった背景には,このように土地収用問題が表面化してきているという事情がある。ただし,土地収用に関する新たな法的枠組みが必要であるといっても,その具体的な内容をどのようなものにするかというのは一筋縄ではいかない難しい問題である。そのなかでもとくに厄介なのが,インドの工業化を促進するためには土地収用手続きをより迅速化する必要がある一方,土地収用に伴って立ち退きを迫られる住民の権利や利益を十分に保障しなければならないという2つの課題の間でいかにバランスをとるかという問題である。そのため,土地収用に関する新たな法的枠組みをめぐる議論は,この点を中心にして行われている。

2013年9月4日,旧土地収用法に代わる新たな法律として,「2013年土地収用・生活再建・再定住における公正な補償と透明性に関する権利法」(以下,新土地収用法)が両院を通過し,2014年1月1日に施行された。第2次UPA政権の末期に成立したこの法律には,旧土地収用法とは異なり,土地収用に関する規定だけでなく生活再建と再定住に関する規定も盛り込まれている。さらに,新土地収用法の特徴として,以下の点を指摘することができる。第1に,民間企業のための土地収用については土地所有者の80%以上から,官民連携(PPP)のための土地収用については土地所有者の70%以上から,それぞれ同意を得ることが必要とされている。第2に,立ち退きに伴う補償額は,都市部では土地の市場価格の2倍,農村部では土地の市場価格の4倍と定められている。第3に,土地収用が実施された場合に影響を受ける世帯の特定と土地収用が及ぼす影響を算定するための社会影響評価の実施が義務づけられている。

新土地収用法についてはさまざまな論点が提起されたが,全体的にみれば,立ち退きを強いられる土地所有者をより手厚く保護する内容になっていることは確かである。そのため,新土地収用法の規定はあまりにも厳しすぎるという批判が産業界や関係省庁を中心に出ていた。こうした声を受けて,モディ政権は,冬期国会が閉会した直後の12月31日に新土地収用法を改正する大統領令の公布に踏み切った。土地所有者からの同意および社会影響評価の実施について,防衛や農村部のインフラ開発をはじめとする5つの分野が免除されるなど,大統領令は新土地収用法に比べてより産業界寄りの内容になっていると指摘されている。

大統領令の是非と経済改革

新土地収用法を改正した上記の大統領令は,憲法第123条の規定に基づいて公布されたものである。大統領令とは,議会閉会中に発生した緊急を要する事態に対処するために大統領によって公布される法令のことであり,通常の法律と同等の効力を持つ。ただし,あくまでも時限的な立法措置にすぎないという点で,大統領令と通常の法律との間には決定的な違いがある。具体的には,大統領令は次の国会が開会されてから6週間で失効することが定められている。

大統領令の公布をめぐって議論が巻き起こるということは,これまでにもたびたびあった。それは,大統領令を公布するという決定を実際に下しているのは政府であり,議会での審議を経ることなく立法措置を行うための手段として,大統領令が政府によって都合よく利用されてきたためである。そして,2014年5月の就任直後から2015年1月までの約8カ月の間に10回にわたって大統領令の公布に踏み切ったモディ政権に対しても,民主主義のプロセスを軽んじているとの批判が出ることとなった。

非難の声がとくに大きくなったのは,冬期国会が閉会した直後の12月末から翌年1月にかけて,6つの大統領令が立て続けに公布された時期であった。そのなかには,新土地収用法を改正した上記の大統領令,8月に最高裁によって取り消された石炭鉱区の割り当てを新たに行うための仕組みを定めた「炭鉱(特例)大統領令」,保険部門へのFDIの上限を現行の26%から49%にまで引き上げる内容を盛り込んだ「保険法(改正)大統領令」など経済活動と密接に関連する内容のものが含まれている。こうした政権側の動きに対して,プラナブ・ムカルジー大統領が,公布される大統領令にはどのような意味で緊急性があるのかを関係閣僚に直接問い質すという一幕もあったことが報じられている。

その一方で,このような動きを経済改革に対するモディ政権の真剣さを示すものとして積極的に評価する意見が,メディアや一部の論者の間でみられた。ただし,すでに述べたように,大統領令は次の国会が開会されてから6週間で効力を失うという規定がある。その上,NDA政権は連邦上院では過半数に遠く及ばないため,大統領令が次の国会でそのままの形で法案として上下両院を通過する可能性は低いと考えられる。モディ政権が着実に経済改革を進めていくためには,与党内はもちろんのこと,野党勢力との合意形成を図ることが必要である。

対外関係

パキスタンおよび周辺国との関係

パキスタンとは関係改善が進まず,経済交流も停滞気味である。両国は1月18日には貿易規則を緩和することにより,パンジャーブのワガ国境における貿易貨物の通過手続きの円滑化,ビジネスマンへのビザ発給手続き簡略化,および,パキスタンが輸入制限している1209品目(ネガティブ・リスト品目)を5年間かけて規制撤廃することなどを取り決めた。しかし,インドはこの取り決めが十分に実施されていないとして,2月12日にはアーナンド・シャルマ商工大臣のパキスタン訪問予定を取りやめた。これに対してパキスタンのナワーズ・シャリーフ首相は従来から懸案となっているインドへの最恵国待遇付与を延期すると3月24日に発言するなど,関係改善は進んでいない。パキスタン側ワガでは11月2日に61人の死者を出す自爆テロ攻撃によって一時的に国境が閉鎖される事件が起こった。

両国関係が順調に発展しない基本的要因はジャンムー・カシミール州の領有権問題,カシミール地域の「実効支配線」(LoC)を挟んでの軍事衝突や越境テロ,そしてカシミールの自治を求める運動とインド政府の対立など,いわゆるカシミール問題で解決の方向性がみえないからである。

モディ政権は就任式に南アジア諸国首脳を招待し周辺国との関係を重視する姿勢をみせたが,5月27日に行われたモディ首相とパキスタンのシャリーフ首相との話し合いでは大きな進展はなかった。印パ両国ともカシミール問題については政治的に譲歩の余地は少なく,関係改善の大きな障害となっている。

2014年もLoCを挟んでの銃撃,砲撃戦,ゲリラの越境テロが発生し,関係改善を阻害している。インド側カシミール地域では一定規模以上のゲリラの越境攻撃やテロは新聞で確認されるだけでも,3月28日,4月8日・22日,5月25日,9月2日,10月13日,12月5日に起こっている。またLoCを挟んでの砲撃戦が8月中旬から26日にかけて,そして10月6日にあり,多くの避難民を生み出した。

両国は上述のモディ首相就任時の会合での取り決めにより,6月25日には平和的関係構築のため非公式会合を再開したが,両国間の不信感は解消されなかった。8月12日にジャンムー・カシミール州を訪問したモディ首相は,パキスタンが「テロの代理戦争」を行っていると発言した。これに対して,翌日にはパキスタン外務大臣は根拠がないとして反発した。同月18日にはパキスタン高等弁務官がカシミールの自治権運動を行っている全党自由会議と接触したことで,モディ政権がイスラマバードで8月25日に予定されていた外務次官級会談をキャンセルするなど信頼感の醸成にはほど遠い。

新政権の他の南アジア諸国に対する姿勢は,最初の外遊先としてモディ首相が6月15日にブータンを訪問したように,「善隣外交」に積極的との印象を与えるものであった。ネパールに関しては7月26日にはインド・ネパール合同委員会が23年ぶりに開催され,1950年平和友好条約の改訂が合意されて信頼関係を深めた。ネパール訪問中のモディ首相は8月3日にネパールの開発のため支援を強化することを強調し,また,9月4日には両国はデリーで送電,電力売買に関する暫定協定に署名した。スリランカとの関係ではスリランカのタミル人政策へのTN州の反発,漁船拿捕,中国の影響力の拡大などが懸念事項である。インドは基本的にスリランカおよびインド洋の現状維持を指向しており,12月1日にスリランカで開かれた会議では,国家安全保障審議官のドヴァルが中国の進出を念頭に置いてインド洋は「平和の海」であり続けるべきと発言した。

中国との関係

中国との関係はカシミールのラダック地方を通るLoCをめぐる対立など緊張要因はあるものの,両国とも基本的には安定的関係の維持を優先させている。選挙中の2月22日にモディが中国は拡張主義的政策をとっていると批判したにも関わらず,モディ政権発足後,両国とも関係強化の働きかけに積極的である。

6月8日には習近平国家主席の特使として王毅外相が来訪し,翌日にプラナブ・ムカルジー大統領,モディ首相と会談し,両国は「自然なパートナー」であると友好関係を強調した。ハミド・アンサリー副大統領が北京を訪問中の6月30日には,中国の投資を呼び込むためのインドでの工業団地建設,および,洪水防止のため中国がインドに水位データを供給することなどに関して覚書(MoU)が締結された。9月17日には習近平国家主席が来訪し,中国の対インド投資の拡大など経済関係強化を確認して,13の協定に署名した。またLoCの問題について協議を行った(18日)。軍事交流も引き続き実施され,11月17日にはインドのプネーで対テロ合同訓練が行われている。

LoCをめぐる両国間の緊張に関しては,2013年に両国部隊のにらみ合いが大きな問題となったが,2013年10月に「国境防衛協力協約」が署名され緊張緩和のメカニズムが整備された。LoCを挟んでの緊張はしばしば起こっており,事態悪化を避けるために2014年も引き続き協議が行われた。2月10日から翌日にかけてデリーで,4月27日から29日にかけても北京で協議が行われた。9月にもラダック地方東部で部隊のにらみ合いが起こったが,9月27日までに両国とも部隊を9月1日の位置に復帰させた。両国はデリーで行われた「国境問題協議調整作業メカニズム」(2012年設置)を通じて,10月17日には緊張を緩和することで合意した。

アメリカとの関係

モディ政権の成立でアメリカとの関係は進展しつつあるようにみえる。アメリカは2002年に起こったグジャラート州の宗派暴動による少数派への人権侵害に当時のモディ州政権が関与したとして2005年以降ビザを停止するなどモディとは関知しない政策をとっていたが,連邦下院選挙でBJP政権が成立することを見越して2月13日にはナンシー・パウエル大使がモディと会談するなど関係構築にむけて準備を進めた。アメリカには戦略的関係の強化とともに,経済関係の強化,とくに停滞している民生用原子力協力の推進などで新政権に対して大きな期待があったからである。後者については2008年に民生用原子力協力協定が締結されたが,原子力災害の時にメーカーに大きな責任を負わせる2010年の原子力損害賠償法が障害となり事業が進んでいない(この問題については2015年1月25日に来訪したオバマ大統領と原子力災害に備え新たな保険機構を設立することで合意が成立)。

戦略的関係強化への方向性に大きな変化はない。7月24日から30日にかけて合同海軍演習「マラバール」の一環としてインド,アメリカの海軍,および日本の海上自衛隊との間で太平洋において演習が行われた。また,8月8日には来訪したアメリカのヘーゲル国防長官はモディ首相と会談し,アメリカ撤退後のアフガニスタン問題など地政学的問題について意見交換し,また,インド軍の近代化や兵器の共同開発を提案するなど,関係強化の試みが行われている。

懸案であったモディ首相の訪米は9月末にようやく実現した。モディが首相となり外交官ビザの対象となったことで対処された。9月26日に国連総会へ出席のため訪米した後,28日から10月1日にかけてアメリカ公式訪問となった。モディ首相はオバマ大統領と会談し,両国の関係を「次のレベル」に上げることを確認した。共同声明では貿易や投資とくにインドのインフラ部門への投資を大幅に拡大する措置を講じること,エネルギー供給,とくに民生用原子力分野での協力の推進,防衛協力,対テロ協力,技術協力などを推進することが確認された。ただし,インドは対IS(「イスラーム国」)連合に加わることには同調しなかった。

両国関係の進展は多くの面に効果を及ぼしている。たとえば,WTOの貿易円滑化協定締結交渉はアメリカなどに対するインドの反対のため7月31日には協定を採択できなかったが,11月13日には両国で共通理解が得られたとして同協定締結の障害が取り除かれた。

日本,ロシアとの関係

日本との関係は順調に推移した。1月6日には防衛相としては4年ぶりに来訪した小野寺防衛大臣がアントニー国防相と会談し,自衛隊とインド軍の交流をさらに進めることに合意した。1月25日には26日の共和国記念日の主賓として安倍首相が来訪し,経済,安全保障の分野で戦略的パートナーシップを促進することで合意した。また,8月31日にはモディ首相が日本を訪れ,9月1日に両首脳は戦略的グローバル・パートナーシップの強化を宣言し,日本は5年間で2兆1000億ルピーの投資をすることを表明した。しかし,インドが強く求めている原子力協力での進展はなかった。

ロシアとの関係も順調に推移した。7月15日には両国の海軍は日本海で合同軍事演習を行った。また12月10日にはプーチン大統領が,ロシアが併合したクリミアの指導者セルゲイ・アクショーノフを同行して来訪した。モディ首相とプーチン大統領は会談し,原発事業や防衛面での協力強化を確認している。

2015年の課題

就任1年目のモディ政権は,連邦下院で過半数を得たことや経済が回復基調にあることから,比較的順調であるといえるだろう。2015年の課題は,上向きつつある経済を安定した成長軌道に乗せるべく,政治的安定を維持することができるかどうかという点にある。実際,NDAは連邦上院で過半数を制しておらず,立法においては主要野党との協力が不可欠である。こうした意味でも,就任後初めてとなる本格的な予算案である2015/16年度予算の内容が注目される。また,投資を呼び込もうとする諸外国に対して良いイメージを保つために,ヒンドゥー民族主義団体の過激化への対処など社会の安定を維持することが必要であろう。

(近藤:地域研究センター研究グループ長)

(湊:地域研究センター)

重要日誌 インド 2014年
  1月
1日 「土地収用・生活再建・再定住における公正な補償と透明性に関する権利法」が施行。
3日 マンモーハン・シン首相,連邦下院選挙の結果如何にかかわらず首相を続けることはないと明言。
6日 小野寺防衛大臣が防衛相として4年ぶりに来訪。
10日 インド人家政婦の労働ビザを不正取得したとして逮捕された前ニューヨーク・インド総領事館副総領事D・コブラガデ氏,外交官免責特権により帰国。
10日 環境・森林省,オディシャ州でのヴェーダンタ社のボーキサイト採掘申請を不許可,韓国ポスコ社の鉄鉱石採掘申請は許可。
17日 来訪した韓国の朴槿恵大統領,ポスコ社事業の環境クリアランスがおりたことに満足の意。包括的経済連携協定の拡充希望。
25日 安倍首相来訪。経済,安全保障分野で戦略的パートナーシップを促進することで合意(~27日)。
28日 インド準備銀行(RBI),レポレートの7.75%から8%への引き上げを発表。この措置に応じて,リバースレポレートとマージナル・スタンディング・ファシリティも25ベーシスポイントずつ引き上げられ,それぞれ7%と9%となる。
30日 アーンドラ・プラデーシュ(AP)州議会,州分割を拒否するK・K・レッディー州首相の決議を採択。
  2月
7日 連邦内閣,テーランガーナー州創設法案を承認。
9日 カシミール地域において2001年12月の国会議事堂襲撃事件で死刑に処せられたアフザル・グルの1周忌。3日間のゼネ・スト。混乱が広がり数百人逮捕(~12日)。
13日 グジャラート州首相ナレンドラ・モディ,N・パウエル駐インド米大使と会談。駐インド米大使との会談は,2005年にアメリカ政府がビザの発給を停止して以来9年ぶり。
14日 「人民ローク・パール」法案がデリー首都圏議会で否決。州首相A・ケジュリワル辞任。大統領統治下に(17日)。
17日 UPA政権,暫定予算案を国会に上程。6月30日までの期限付きで,一部の耐久消費財などに対する物品税の引き下げ措置が盛り込まれる。
27日 アッサム州ダッラン県で暴力事件。25カ村で外出禁止令。
  3月
1日 大統領,AP州再編成法案,および,AP州に対する大統領統治を承認。
6日 AP州の分割に抗議して辞任した前州首相K・K・レッディー,新党結成。
11日 チャッティースガル州スクマ県でマオイストの襲撃によって中央警察予備隊(CRPF)など16人死亡。
29日 インド人民党(BJP),連邦下院選挙で選挙区の割り当てに従わなかったジャスワント・シンとスバーシュ・マハリヤを除名。
31日 日本政府,1月の日印首脳会談での合意に基づいて,5件のプロジェクトへ総額2519億6600万円を限度とする円借款の供与を発表。
  4月
2日 RBIのラジャン総裁,インフレ率の指標としてCPIよりもWPIに焦点を当ててきたこれまでのRBIの方針を転換し,CPIをより重視する新たな指針を明らかにする。
7日 第16次連邦下院選挙投票開始(5月12日まで10回に分けて行われる)。AP州,オディシャ州,アルナーチャル・プラデーシュ州,シッキム州の州議会選挙も同時実施。
11日 選挙委員会,宗派間の憎悪を扇動したとしてBJPのアミット・シャーとウッタル・プラデーシュ(UP)州政権閣僚のアーザーム・カーン(社会主義党)の集会禁止措置。
12日 チャッティースガル州バスタール県でマオイストの地雷により,CRPF隊員,選挙スタッフなど14人が殺害される。
21日 最高裁,2012年10月からゴア州で全面禁止されていた鉄鉱石の採掘を,年間2000万㌧を上限に許可する暫定措置を発表。
27日 北京でインド,中国間の「実効支配線」(LoC)での紛争防止のため調整メカニズムの強化を協議(~29日)。
  5月
2日 アッサム州ボドランド領域県で「ボドランド国民民主戦線」(ソングビジット派)(NDFB[S])がムスリム住民を襲撃。40人死亡。軍が出動し外出禁止令布告。
16日 第16次連邦下院選挙開票,BJP大勝。州議会選挙は,AP州ではテルグ・デーサム党,AP州テーランガーナー地域ではテーランガーナー民族会議,オディシャ州ではビジュー・ジャナター・ダル,アルナーチャル・プラデーシュ州では会議派,シッキム州ではシッキム民主戦線が勝利。
17日 ビハール州首相ニティシュ・クマール(ジャナター・ダル[統一派])(JD[U]),選挙敗北の責任をとって州首相を辞任。J・R・マンジー(JD[U])が新州首相に(20日)。
19日 会議派中央運営委員会,統一進歩連合(UPA)の失敗を認めるも,ソニア・ガンディー総裁とラーフール・ガンディー副総裁の辞任は認めず。
22日 ナレンドラ・モディがグジャラート州首相辞任。アーナンディベン・パテールが州首相に就任。同州で初の女性首相。
26日 モディを首相として国民民主連合(NDA)政権発足。周辺諸国首脳,就任式に出席。
27日 BJP新閣僚ジテンドラ・シン,憲法第370条の廃棄に言及。ジャンムー・カシミール州首相オマル・アブドゥッラー反発(28日)。
  6月
2日 テーランガーナー州が発足。初代州首相にK・チャンドラセーカル・ラーオ。
2日 第5回インド・フランス空軍合同訓練がジョドプルで開始(~13日)。
3日 RBI,法定流動性比率の23%から22.5%への引き下げを発表(14日から実施)。
15日 モディ首相,最初の外遊先としてブータンを訪問。
20日 鉄道省,運賃を大幅値上げ。反発が強く,2等運賃の一部区間の値上げ取りやめ(24日)。
25日 マハーラーシュトラ州政府,マラータに16%,ムスリムに5%の留保制度を創設することを発表。7月9日に州知事承認。
25日 A・ジェートリー財務相,一部の耐久消費財などに対する物品税の引き下げ措置の年内継続を発表。
27日 AP州東ゴダヴァリ県でインドガス公社のパイプライン爆発。村人18人死亡。
30日 ランガラジャン委員会,インドの全人口の29.5%は貧困線以下の消費水準であるとする内容の報告書を計画委員会に提出。
  7月
5日 チャッティースガル州バスタール県の50村,世界ヒンドゥー協会(VHP)の扇動により,キリスト教など非ヒンドゥーのミッションの立ち入りを拒否。
8日 NDA新政権,鉄道予算上程。
9日 『経済白書2013/14年度』が公表される。2014/15年度の実質成長率を5.4~5.9%と予想。
9日 モディ首相の腹心,アミット・シャーがBJP総裁に指名。
10日 NDA新政権,一般予算上程。治安・防衛関連予算大幅増。
15日 モディ首相,ブラジルでのBRICS首脳会議に出席(~16日)。会議は新しい開発銀行の設立を合意。
15日 インドとロシア,日本海で海軍合同軍事演習開始(~19日)。
15日 「インド電気通信規制庁(改正)法」両院通過(7月18日公布)。
21日 マハトマ・ガンディー全国農村雇用保証法の規則が一部改められる。
24日 インド,アメリカ,日本,合同海軍演習「マラバール」の一環として太平洋で演習を開始(~30日)。
26日 23年ぶりにインド・ネパール合同委員会開催。1950年平和友好条約改訂に合意。
30日 マハーラーシュトラ州プーネ県で地滑りのため153人が死亡。
30日 「1948年工場法」「1961年徒弟制度法」「1988年労働法(特定事業所における報告書提出,記録維持の免除)」の改正案を内閣が承認。
31日 WTO,インドの反対のため貿易円滑化協定を採択できず。
31日 ラージャスターン州議会,労働争議法,工場法など4つの労働関連法の改正案を可決(11月7日に大統領による承認)。
  8月
5日 RBI,法定流動性比率の22.5%から22%への引き下げを発表(9日から実施)。
6日 連邦下院で野党,宗派間の暴力の増加を審議することを要求し混乱。
6日 鉄道部門の一部と防衛部門への外国直接投資の上限をそれぞれ100%と49%に引き上げることを内閣が承認。
12日 ナガランド州の武装集団,アッサム州ゴラガート県ウリアムガート地区襲撃。11人死亡,1万人避難。中央政府,紛争を話し合いで解決するよう両州に要求(20日)。
15日 独立記念日の演説で,モディ首相,計画委員会の廃止を宣言。これを受けて,計画委員会に代わる新組織「政策委員会」(NITI Aayog)が,2015年1月1日に発足。
16日 アッサム州,洪水被害拡大。30万人被災。
25日 最高裁,1993年から2011年の石炭鉱区の割り当ては違法との判断を示す。
26日 印パ両国間でLoCを挟んで8月中旬から断続的に続いた砲撃の応酬が停止。
31日 モディ首相,訪日(~9月3日)。戦略的グローバル・パートナーシップ強化を確認。日本,5年間で2.1兆ルピーの投資を表明。
  9月
14日 ジャンムー・カシミール州で洪水被害拡大。18.4万人が軍により救出。
17日 習近平国家主席来訪。中国の対インド投資の拡大など経済関係強化を確認し,13の協定に署名(18日)。
24日 インドの火星探査機,火星周回軌道に到達。
25日 製造業の振興を図るためのキャンペーン「メイク・イン・インディア」のイベント,ニューデリーで開催。
27日 特別裁判所,タミル・ナードゥ州首相J・ジャヤラリターと側近3人の不正蓄財疑惑に対し懲役4年の判決,同州首相収監(10月18日に保釈)。O・パンニールセルヴァムが州首相に就任(29日)。
28日 モディ首相訪米(~10月1日),オバマ大統領と会談。防衛や技術面での協力拡大に合意。
  10月
2日 「清潔なインド計画」(Swachh Bharat Abhiyan)開始。
6日 カシミール地域のLoCでパキスタン軍の砲撃により5人死亡。パキスタンもインドの砲撃で4人死亡と報道。
8日 インド商工省,日本からの投資を促進するための特別チーム「Japan Plus」の設置を発表。
10日 児童の福祉,教育に尽力してきたカイラーシュ・サティヤールティー氏,ノーベル平和賞受賞決定。パキスタンのマラーラ・ユースフザイさんと同時受賞。
18日 経済関係閣僚委員会,ディーゼル燃料の価格規制を撤廃する方針を発表(19日から実施)。
19日 州議会選挙開票。ハリヤーナー州ではBJPが過半数を獲得。マハーラーシュトラ州でBJPが第1党に。
21日 「炭鉱(特例)大統領令」公布。
26日 ハリヤーナー州首相にマノーハル・ラール・カッタル就任。初のBJP政権。
28日 最高裁,中央政府にブラック・マネーとみられる海外銀行口座をもつ個人名義の公開を命令。政府,627人のリストを最高裁に提出(29日)。
31日 マハーラーシュトラ州,BJPのD・ファドナヴィスが州首相就任。ナショナリスト会議派党の支持を受け信任投票を乗り切る(11月12日)。
  11月
15日 モディ首相,オーストラリアのブリスベンでのG20サミットに出席(~16日)。
17日 インドと中国,プネーで対テロ合同訓練を開始。
25日 モディ首相,カトマンズでの南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会合に出席(~27日)。
26日 「徒弟制度(改正)法」両院通過(12月8日公布)。
27日 ジャンムー地方に越境ゲリラ侵入。銃撃戦で市民も含め10人死亡。
28日 「労働法(特定事業所における報告書提出,記録維持の免除)改正法」両院通過(12月10日公布)。
28日 訪日中(25日~)のナイドゥAP州首相,安倍首相と会談。
  12月
5日 マハーラーシュトラ州でBJPとシヴ・セーナー関係修復。内閣拡大でシヴ・セーナーが入閣。
8日 タミル人の利益を無視し,ヒンドゥー民族主義を押しつけているとして,復興ドラヴィダ進歩連盟,NDAから脱退。
8日 UP州アグラでムスリム約350人がヒンドゥー教に改宗する騒ぎで混乱が広がる。
10日 ロシアのプーチン大統領来訪(~11日),モディ首相と会談。原発事業や防衛面での協力強化を確認。併合されたクリミアの指導者セルゲイ・アクショーノフ同行。
12日 西ベンガル州政府の閣僚マダン・ミトラ(全インド草の根会議派)汚職容疑で中央捜査局により逮捕。
19日 物品サービス税(GST)の導入に向けて,「憲法(第121次改正)法案」を下院に上程。
23日 アッサム州でNDFB (S)による襲撃事件により72人死亡(~24日)。
23日 州議会選挙開票。BJP,ジャールカンド州議会選挙で勝利。ジャンムー・カシミール州議会選挙ではジャンムー・カシミール人民民主党が第1党。BJPは第2党に。
25日 NDA政府,クリスマスに「良きガバナンスの日」を設定。
26日 「炭鉱(特例)大統領令」再公布。
27日 「保険法(改正)大統領令」公布。
29日 マハーラーシュトラ州で6000人の「その他後進階級」が仏教徒に改宗を届け出。
31日 「土地収用・生活再建・再定住における公正な補償と透明性に関する権利(改正)大統領令」公布。

参考資料 インド 2014年
①  国家機構図(2014年12月末現在)
②  連邦政府主要人名簿(2014年12月末現在)
③  国民民主連合閣僚名簿(2014年12月末現在)
③  国民民主連合閣僚名簿(2014年12月末現在)(続き)

主要統計 インド 2014年
1  基礎統計
2  生産・物価指数
3  国民所得統計1)
4  産業別国内総生産(実質:2011/12年度価格)1)
5  国際収支
6  国・地域別貿易
7  中央政府財政
 
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