2015 Volume 2015 Pages 9-22
早くから地域統合に向けた動きが活発であった北アメリカやヨーロッパに比べ,アジアは長らく地域統合の後発地域といわれてきた。内外無差別的な自由貿易を目指したAPECがその非拘束性のゆえに頓挫したことがアジアにおける地域統合実現の難しさを印象づける結果となった。
しかし,21世紀に入るとアジアでも地域統合に向けた動きは活発化した。アジアにおける地域統合活発化の先鞭をつけたのはASEANであった。1990年代から動きはじめていたASEAN自由貿易地域(AFTA)が年を経るごとに自由化度を高めて充実していったほか,ASEANはアジアにおける自由貿易協定(FTA)のハブとなるべく,周辺諸国とのFTA締結を積極的に進めた。各国経済のグローバル化が進むなか,ASEANのこうした動きは地域統合に積極的でなかったアジア各国の背中を押した。ASEAN以外の域内主要プレーヤーである日本,中国,韓国,インドなどは相次いでFTAの推進に乗り出し,現在に至る。
アジアにおけるFTAは初期における二国間協定全盛の段階から広域FTAの実現を目指す段階へ移ろうとしている。アジアにおける広域FTAにはアメリカ主導の「アジア太平洋トラック」と,アジア諸国だけでの経済統合を目指す「東アジアトラック」の2つの大きな潮流がある。東アジアトラックにおける主導権をめぐっては自らをアジアのFTAハブと任ずるASEANとASEAN+6(日本・中国・韓国・インド・オーストラリア・ニュージーランド)を推進した日本,ASEAN+3(日本・中国・韓国)を推進した中国・韓国が互いに争ってきたが,近年では経済規模の拡大や自前のFTA網構築への積極姿勢が目立つ中韓と環太平洋経済連携協定(TPP)への傾斜を強める日本が対抗する構図が鮮明化している。中韓両国ともに外交面での影響力拡大や貿易ルール策定などにおいてもFTAの活用を試みており,その動向が注目される。
鄧小平による改革開放政策(1978年開始)と南巡講話(1992年)を契機に,中国は市場経済原理を導入して生産のインセンティブを高めるとともに,外資の活用が奨励された。この結果,閉鎖的な自給自足体制にあった中国経済は国際経済への関与を急速に深めていった。2001年のWTO(世界貿易機関)加盟は中国経済のさらなる対外開放とそれを活用した高度成長の原動力となった。世界経済が停滞傾向を強めるなか,中国は生産基地,そして近年では販売市場としての地位を確立し,2013年には1239億ドル(国際収支基準)と,単一国としてはアメリカに次ぐ投資を引き寄せるに至った。外資の活用が進むとともに,中国経済の貿易依存度も上昇した。1982年には9.2%にすぎなかった輸出の対GDP比は2013年には26.4%と,日米を上回る水準に達した。WTO加盟後10年あまりの対外開放と経済発展の経験を通じて,中国は自由化に対する自信を深めた。皮肉にも中国が加盟した頃からWTOは加盟国間の対立で合意導出のペースが鈍っていた。中国も他国と同様に自前での自由貿易網としてのFTA拡充策を採用し,着々と取り組んできた(表1を参照)。現在,中国は21カ国・地域との間で12のFTAを発効させているのをはじめ,妥結,交渉中,準備・研究中も含め何らかの形で推進されているFTAは36カ国・地域との間の22案件に上る。これらの相手先への輸出は中国の総輸出の49.2%(2014年基準)を占め,その市場規模は中国自身を含め世界GDP対比34.9%(2013年基準)に達する。後述する韓国ほどではないにせよ,FTAを通じた自前での自由貿易網の構築は着々と進んでいる。
(注) 「発効」相手先のカッコ内は,発効年。ASEANとのFTAについては,本番FTAとしての発効時期を記している。輸出シェア,対世界GDPシェア計算において,複数の推進区分に該当する相手先については,上位の推進区分により計算。対世界GDPシェアの計算では,中国自身は「発効」に含めた。ASEANとパキスタンの間では,既存FTAのアップグレード交渉が進行中。
(出所) 中国商務部FTAウェブサイト(http://fta.mofcom.gov.cn/index.shtml),JETROウェブサイト(中国のWTO・他協定加盟状況,http://www.jetro.go.jp/world/asia/cn/trade_01/),世銀データサイト(http://data.worldbank.org),World Trade Atlasなどを参考に筆者作成(いずれも2015年3月8日アクセス)。
中国が取り組む初のFTA案件となったのは中国・ASEAN FTAである。
2000年11月のシンガポールでのASEAN+3首脳会議において中国がASEANに対して共同研究の開始を提案した。中国はASEANに対するFTA提案に当たって,発効に先立って熱帯性農産物を含む「アーリーハーベスト」(特定品目の先行的関税減免)を実施してASEAN向けの市場開放を試行することやASEAN後発4カ国(CLMV)に対しては貿易自由化の実施を5年間猶予するなどの破格の条件を提示した。ASEANは当初中国のFTA提案に消極的だったが,農産物のアーリーハーベストなどの好条件を受けて態度を軟化,2002年11月のプノンペンでのASEAN+3首脳会議でアーリーハーベストの内容を定めた「包括的経済協力枠組み協定」を締結し,2004年からアーリーハーベストの実行を開始した。
その後,本番FTAとなる物品貿易協定が2005年7月に発効し,自由化完成時(中国とASEAN先行6カ国は2010年,ASEAN後発4カ国は2015年)までに物品貿易の9割を自由化することになった。2005年発効の協定では自由化対象とならなかった敏感品目および超敏感品目は,それぞれ2011年,2015年以降に段階的な関税引き下げ対象となり,このためのアップグレード協議が進行中である。物品貿易と並んで,サービス貿易協定,投資協定も締結されている。
中国・ASEAN FTAは,中国のFTAが持つ特質の多くを体現する。第1が,「小さく生んで大きく育てる」方式である。これはとくにASEANのように自由化に慎重な相手先とのFTAで顕著である。一括交渉で一気に高度な自由化を達成しようとせず,自由化に伴う自他の痛みを考慮して漸進的なアプローチを採用している。第2に,政治・外交ツールとしての側面である。中国のFTAでは地理的に近い国々を重視する傾向があるが,それは近隣国の戦略的重要性と密接な関連がある。当然,ASEANとの関係の維持・強化は中国にとってきわめて重要である。アーリーハーベストによる自国市場の先行開放という身を切るような譲歩を提示し,自由化に慎重で経済格差が大きいASEANの事情を最大限考慮して漸進的アプローチを採用するなど,ASEANとの善隣外交推進のための細心の配慮が見て取れる。これと関連し,第3には,貿易ルール決定における発言力確保のねらいが見える。2008年発効の中国・ニュージーランドFTAには,「東アジアトラック」の主導権をめぐって日本と対抗する意図が込められていた。また,「東アジアトラック」の老舗格であるASEANを取り込むことでその主導権をめぐる日本との競争を有利に進め,地域における貿易ルール決定が自国の利益に合致するよう誘導しようとの意図が読み取れる。また,地域における発言力強化を通じて,高度かつ拘束的な自由化ルールの施行を声高に叫ぶアメリカへの牽制もねらっていた。
中国・ASEAN FTAの直後に推進されたのは,中国と特殊な政治関係を持つ香港,マカオ,台湾など中華圏とのFTAであった。中国はこれら3地域への主権を主張するが,経済上はそれぞれ独立して運営されている。3地域はいずれもWTOに加盟していて関税区域としては中国本土とは別個の存在となっており,これら地域との貿易は他国と同様に関税賦課の対象となっていた。中国本土との経済自由化推進にあたっての必要性から進められたのが中華圏とのFTAである。
まず着手されたのが香港・マカオとの間の経済貿易緊密化協定(CEPA)で,2004年1月に発効した。台湾との間の両岸経済協力枠組協定(ECFA)はやや時間をおいて推進され,2010年6月に締結,2011年1月からアーリーハーベスト品目の関税減免が開始された。
中華圏とのFTAの特徴は,中国・ASEAN FTAと同様の漸進的開放姿勢と,同一国家内の経済自由化というにはふさわしくないほどの開放水準の低さである。香港・マカオとのCEPAではこれまでに10回にわたる補充協定を締結して小刻みにサービス,投資,貿易の分野での自由化を拡大してきたほか,台湾とのECFAでは台湾側での反発のため本番FTAの段階にはまだ至っておらず,アーリーハーベスト品目での試行段階にとどまっている。香港・マカオからの輸入については2006年から関税が全面撤廃されたことになっているが,実際には原産地規則やサービス提供者の定義の未整備により自由化は一部品目にとどまる。現在の自由化品目数は香港が1799,マカオが1313である(総品目数は8194品目)。台湾とのECFAでのアーリーハーベスト品目数は工業製品539品目にとどまる。
その後,中国のFTAには従来の戦略性重視に加えて,FTA網のさらなる拡充をにらんだ方面別の橋頭堡作りや経済的利益の獲得などの要素が加味されるようになっている。経済的利益の追求はまだ緒に就いたばかりであるが,こうした側面は今後ますます強調されていくと思われる。FTAに伴う市場開放をその影響を見極めながら徐々に行う漸進性についても,外交戦略や将来的な経済的利益との兼ね合いで大胆な開放を試みるケースが出はじめている。
中国の地域別FTA戦略における橋頭堡構築と目される案件としては,2006年発効の中国・チリFTAと2014年発効の中国・アイスランドFTAがある。
チリは南北アメリカへのFTA橋頭堡といえる。チリは積極的にFTAを結んできたことで知られており,FTAハブとして機能している。中国はチリとFTAを結ぶことによって同国のFTAハブ機能を中南米,ひいては北米方面への進出の足掛かりとすると同時に,周辺諸国とのFTA締結の先行事例としての活用を目論んだ。チリとのFTAに次いで,ペルー(2010年),コスタリカ(2011年)とのFTAが発効している。アイスランドは,ヨーロッパ方面でのFTA橋頭堡と目される。アイスランドの市場規模はごく小さいが,ヨーロッパ市場への足掛かりを築いた意味は大きく,未着手であるEUとのFTAをにらんだ案件とも考えられる。アイスランドとのFTAの署名は2013年4月であったが,スイスとのFTAはそのすぐ後の同年7月に署名され,両FTAとも2014年7月に発効した。
経済的利益の確保は最近の中国のFTAに見られるひとつの大きな特徴である。その典型的案件が,ニュージーランド,オーストラリア,韓国など先進諸国とのFTAである。
OECD加盟国とのFTAの初の案件は2008年発効の中国・ニュージーランドFTAである。ニュージーランドの経済規模は1858億ドル(GDP総額,2013年)とASEANの13分の1程度にすぎず,得られる経済的利益はさほど大きくない。しかし,先進国間のFTAと同様の高い開放水準の本格的FTAであり,より大きな市場を持つ先進国とFTAを締結する際のテストケースともいえる案件である。ニュージーランド側は2016年までに関税を全廃するが,中国側は2019年の自由化完成時までの関税撤廃率が97.2%,発効時の関税撤廃率は24.3%にとどまる。中国側での自由化完成時の関税撤廃率はそれまでのFTAに比べると格段に高く,先進国間のFTAと遜色ないレベルとなっているが,発効当初の開放水準はかなり低く,文字どおり「小さく生んで大きく育てる」式の設計となっている。また,ニュージーランド側での労働者受け入れやワーキングホリデーも特徴である。
経済的利益を追求する本格的FTAとしては,2014年11月に実質的合意に至った中国・オーストラリアFTAと2015年2月に仮署名された中韓FTAが挙げられる。オーストラリアと韓国はともに経済規模が1兆ドルを上回り(それぞれ1兆5600億ドル,1兆3000億ドル,2013年),輸出額もオーストラリア向けが391億ドル,韓国向けは1003億ドル(それぞれ2014年)と,単一締結先としてはこれまでにない大型案件となる。
オーストラリアとのFTAの詳細は未発表であるが,オーストラリアの政府発表および現地ABC放送の報道などによれば,中国向け輸出のうち発効当初に品目基準85%の関税が撤廃され,最終的には95%が撤廃対象となる。コメ,小麦,綿,砂糖については除外されるが,オーストラリア側の関心品目である乳製品,牛・羊肉の関税は最終的には撤廃される。主力品目の大幅な需要増が見込まれる中国市場でのゼロ関税の獲得はオーストラリアにとって魅力的で,ほぼ同時進行する日韓とのFTAよりも強い関心を寄せている。ニュージーランドとのFTAと比べても,発効当初の開放水準の高さが目を引く。オーストラリアは中国からの輸入品の95%について4年以内に関税を撤廃し,直接投資に対する審査対象基準を10億7800万豪ドルへと4倍に引き上げることにした。オーストラリアとのFTAについては,経済的利益の追求のほか,中国側の政治的な計算も働いているとされる。チベット問題や南シナ海問題などで対中批判的な立場を取る傾向の強いオーストラリアをFTAでの「大盤振る舞い」により経済面から懐柔するねらいがあるとの指摘も出ている。
中韓FTAは,開放水準の低い中華圏FTAを除くと,単一国としては最大の交易規模をカバーする本格的FTAである。中国の対韓輸出は約1000億ドルで,オーストラリア向け輸出の2.5倍強の規模である。しかし,中国・オーストラリアFTAに比べて開放水準は低い。中韓両市場での開放水準は関税及び貿易に関する一般協定(GATT)第24条のFTA要件(9割以上の自由化)を辛くも満たす程度で,自由化完成の時期も発効後20年とかなり遅い。自由化完成時の関税撤廃率は,韓国市場が品目基準92.2%,金額基準91.2%となる。中国の開放水準はさらに低く,関税撤廃率で品目基準90.7%,金額基準では85.0%にとどまる。OECD加盟国とのFTAとはいえ,市場開放に慎重な韓国の意向を汲んで,中国・ASEAN FTAと同様の漸進性が随所に目立つ。発効時の関税撤廃率は韓国側が51.8%,中国側が44.0%(それぞれ金額基準)だが,発効時に新たに免税となる品目は韓国側10.0%,中国側5.2%にとどまる。これにより,中韓両国とも発効時における市場開放の痛みを最小化しつつ,時間の経過とともにFTA発効の影響が漸増するよう設計されている。まさに「小さく生んで大きく育てる」FTAといえる。
筆者の暫定的試算によれば,発効に伴う関税引き下げにより,中国,韓国それぞれ7億ドル,72億ドルの輸出純増となる。これは,発効前の現状において韓国側が552億ドル(対中輸出の38%)の大幅な対中出超となっていることと,中国側の比較的高い関税水準,そして韓国側における輸出品生産に対する関税払い戻しなどによりFTAの効果が中国市場においてより顕著に表れる傾向があるためである。発効20年後においては,韓国の輸出純増幅が346億ドル(GDP対比2.65%)と拡大する一方,中国は11億ドルの輸入純増に転ずる。時間をかけながらも韓国にインセンティブを与える構図は中国・オーストラリアFTAと同様である。貿易の面では中国の得る利益は少ないが,中国は中韓FTAを韓国からの投資呼び込みに活用することで経済的実利を得ていく構えである。中国側統計によれば,2014年の韓国からの非金融直接投資は39億7000万ドルで,第5位の投資元(非中華・華僑圏としては日本に次いで第2位)であり,中国はFTAによる韓国製品の関税免除と投資関連条項に基づく措置などで韓国からの投資をさらに増やすことで経済的実利を確保することを目論んでいる。
中韓FTAは,オーストラリアとのFTAにも増して政治色の強い案件である。中国から見れば,同FTAは韓国を経済的に自国の影響圏内に取り込むためのひとつのツールといえる。中国側にとって,韓国に駐留する米軍の存在は自国の安全保障上の大きな脅威であり,韓国を自国の影響圏内に取り込むことには大きな意義があった。2004年9月の中韓通商長官会談でのFTA民間共同研究の開始合意が中韓FTAに関する具体的な動きの始まりとなったが,その前より中国側によるFTA締結に向けた働き掛けがあったとされる。当初,韓国側は農水産品や労働集約財での影響を恐れて中韓FTAの推進に消極的であったが,大企業を中心に同FTAの実現を求める声が強かったことと,2010年以降の朝鮮半島情勢の緊迫化に伴う対中傾斜のために,韓国側が中韓FTAに対して前向きとなった。2010年4月に韓国の李明博大統領が中韓FTAの推進を指示して以降,締結に向けたプロセスは急速に進んだ。両国首脳からは折に触れて交渉の加速を督励する発言が飛び出し,交渉過程では争点の調整を最小化しつつ早期妥結を図った感があった。かくして,2014年11月の交渉妥結,2015年2月の仮署名に至った。交渉開始から妥結までの所要期間は1年半であった。
中韓FTAが10年越しの取り組みの末に仮署名にこぎ着けた今,中国のFTA推進の次なる焦点はRCEP(東アジア地域包括的経済連携)と日中韓FTAである。
RCEPはその経緯からしてFTAをめぐる「東アジアトラック」の主導権争いと密接に関わってきた。RCEPはASEAN10カ国とその周辺6カ国(日本・中国・韓国・インド・オーストラリア・ニュージーランド)からなるアジア域内での広域FTAで,2013年5月から交渉が続けられている。かつてアジアにおけるFTA潮流のうちの「東アジアトラック」においてASEAN+3(日本・中国・韓国)を提唱する中国・韓国とASEAN+6(周辺6カ国)を提唱する日本とが主導権争いを繰り広げたが,2010年に菅直人首相が突如としてアメリカ主導の「アジア太平洋トラック」の旗艦格となるTPPへの参加検討を表明したのを契機に,それまで続いた主導権争いを止揚する雰囲気が生まれた。そこで日中両国が広域FTA競争の棚上げを2011年のASEAN+6経済相会議に共同提案し,これを受けてASEANが日本と中韓の提唱する2つの広域FTA構想を融合させた事実上の東アジア共同体ともいうべきRCEPを提唱したのであった。
かつて中国がASEAN+6を嫌ったのは,周辺6カ国のうちの日本,オーストラリア,ニュージーランドおよびインドによる対中包囲網と感じたからであった。これは中国がTPPをアメリカおよびそれに同調する諸国による包囲網として強く警戒するのと同一線上の認識であった。一連の広域FTAに関する中国の戦略のなかで中国が意図していたのは対中批判的なプレーヤーたちを「アジア太平洋トラック」から引き離し,自陣営に取り込むことであった。現在交渉が進行中のRCEPの交渉国はかつて日本が提唱したASEAN+6と重複するが,ニュージーランドとのFTAが発効し,韓国,オーストラリアとのFTAの発効が時間の問題となった今,周辺6カ国を対中包囲網と関連づける発想は今の中国からはほぼ消えつつある。現在の懸案は推進過程にある広域FTAを活用して対中批判的な姿勢を崩さない日本とインドを自陣営に引き寄せることであろう。
RCEPは東アジアトラックにおける広域FTA構想をめぐる日中の妥協の産物であったが,今やアジア諸国の多くは中国主導の広域FTAと認識するようになっている。オーストラリア,韓国とのFTA交渉を終えた中国がRCEPに注力するのは東アジアトラックにおける主導権を固めるためである。RCEPの実現は日本とインドを東アジアトラックに取り込んだことを印象づける。日本とインドの取り込みにはさらに重層的なアプローチが取られている。日本については日中韓FTAを並行することによって対応し,インドについては二国間FTA(研究段階で中断)や南アジア諸国へのFTA展開(中国・パキスタンFTAは発効,中国・モルジブFTAは研究開始)をカードとして持ちつつ対応していく構えである。
これまで中国のFTAについてやや詳しく見てきたが,以下では中国の広域FTA推進への同調姿勢を強めている韓国のFTAについて見ていくことにする。
韓国は1960~1990年代にかけての「漢江の奇跡」と呼ばれる輸出主導的な経済発展のなかで,GATT・WTOの構築した世界的貿易自由化の恩恵を一身に受けた。だが,1995年発足のWTOはほどなく機能不全に陥り,輸出の拡大を経済発展の原動力としてきた韓国としては,他の諸国と同様にFTAによる自前の自由貿易網構築の必要に迫られるようになった。そして,1998年に韓国はFTAを対外経済政策の一手法として採用し,日本およびチリとのFTAに着手した。
だが,FTA導入初期の推進速度は遅々としたものだった。日本とのFTAは対日貿易赤字増大の懸念や自動車など競争を強いられる業界からの反発によりブレーキがかかった。チリとのFTAは4年がかりで妥結に持ち込んだが,国内説明のまずさから国会批准に手間取り,推進開始後5年5カ月を経た2004年4月にようやく発効した。当時,韓国はFTA推進において日中の後塵を拝していた。こうした状況を打開すべく,2003~2004年にかけてFTA推進速度の加速を図るべく「FTAロードマップ」が打ち出された。ロードマップには複数案件の同時進行や,主要案件ごとの重要度などが盛り込まれ,その後のFTA急拡大の指針となった。
表2は韓国のFTAのこれまでの成果をまとめたものである。かつて自らを「FTA遅刻生」と呼んだ韓国は,日中を上回るペースでFTAを推進し,現在の発効案件は11件,相手先数は49カ国に上る。すでに輸出の43.1%がFTAでカバーできる状態となる。韓国ではしばしばFTAで自由貿易が達成された相手先の市場を「経済領土」と呼ぶ。自由貿易化により自国と同様の活動ができることを「領土」と表現したのだ。経済領土比,つまり,これら市場規模(GDP規模)の対世界比は61.1%に上る。FTAが発効した相手先としては,ASEAN,EU,アメリカなど主要な貿易相手が並ぶ。第1位の貿易相手である中国とも既述のように仮署名にこぎつけている。主要貿易相手や巨大な国内市場を抱える国を相手先に選ぶなど,経済的利益の獲得を念頭に置きながらFTAを推進してきた結果といえる。何らかの形でFTAが進行されている案件について輸出カバー比,および経済領土比を算出してみるとそれぞれ82.8%,89.0%となる。FTAの推進によって自前の自由貿易網を手中に収めるという韓国の壮大な目論見は現実のものとなりつつある。
(注) 「発効」相手先のカッコ内は,発効年。輸出シェア,対世界GDPシェア計算において,複数の推進区分に該当する相手先については,上位の推進区分により計算。対世界GDPシェアの計算では,韓国自身は「発効」に含めた。*欧州自由貿易連合。**南米南部共同市場。***2013年11月に「関心表明」。
(出所) 韓国政府FTAウェブサイト(http://www.FTA.go.kr),韓国国家統計ポータル(http://kosis.kr),世銀データサイト(http://data.worldbank.org)などを参考に筆者作成(いずれも2015年2月26日アクセス)。
韓国のFTAの特徴としては,推進過程での大統領のリーダーシップが強いことと国内対策が充実していることが挙げられる。これらを背景として交渉担当者は,アメリカ,EU,中国などの大国とも堂々と渡り合う交渉力を発揮してきた。これらはいずれも日本と対比して指摘される点である。
輸出拡大や韓国企業の投資権益保護,相手先との関係改善などのメリットが見込めるFTA案件についてはためらうことなく推進する。韓米FTAのように賛否が割れる案件や,中韓FTAのように大きな国内被害を被りかねない案件については,国政の責任者である大統領のリーダーシップが不可欠である。韓米FTAの場合には,農業での被害懸念と一部の根強い反米感情のため推進が危ぶまれていたが,当時の盧武鉉大統領は対米関係改善と輸出促進のためにあえて推進を決断した。また,同FTAの批准前には,ISDS(投資者-国家間紛争解決)条項によって外国企業が韓国政府の施策に干渉するようになる,あるいは健康保険,国営企業,公共入札,学校給食,水道など国民生活に直結するサービスの正常な運営が韓米FTAの規定によって妨害されるなどといった「毒素条項説」が流布されたことがあった。これに対して政府が毒素条項説には事実誤認が多いことなどを累次説明したうえで2011年11月に与党ハンナラ党が強行採決に踏み切ったが,そこには当時の李明博大統領の意向が働いたのは間違いない。中韓FTAに関しては,中国の北朝鮮に対する影響力を頼って「中国カード」を切ることにした李明博大統領の決断が挙げられる。中韓FTAに対しては,農業や労働集約産業での国内被害が懸念され,当初韓国の姿勢は前向きとは言えなかった。だが,2010年になると哨戒艦撃沈や延坪島砲撃などで朝鮮半島情勢が緊迫し,韓国としては北朝鮮の不穏な動きを抑えることが安全保障上の最重要課題となった。そこで韓国としては,中国が韓国に対して熱心に勧めてきた中韓FTA交渉に応じることで,中国の持つ北朝鮮への影響力に頼ろうとしたのであった。
国内対策としては,推進過程や発効後におけるFTA活用法提案やメリット広報をきめ細かく実施するほか,農業など大きな被害が予想される部門への補償の大枠をタイムリーに示すなど,関係者の不安をうまく和らげるのに長けている。韓国のFTA補償策としてしばしば取り上げられるのが,2004年に打ち出された119兆ウォン(約13兆円)規模の農村投融資計画である。これはもともとウルグアイ・ラウンド後の市場開放への対策(10カ年)であったが,韓国政府はこの計画をはじめとする既存の農業政策を精査し,FTA対策として使えそうなものを改めて「FTA対策」として焼き直したのが実態である。これを政策の使い回しとして批判する向きもあるが,厳しい財政制約のなか,類似施策の不用財源活用策として評価することもできよう。韓米,韓EU FTAのように大きな農業被害が予想される場合には,別途の国内対策(韓米20兆ウォン,韓EU2兆ウォン)が立案されている。
2013年に発足した朴槿恵政権は,歴代政権と同様にFTAに対しては推進姿勢を堅持しているが,FTAで被害を受けるいわゆるFTA弱者への対策を重視するのが特徴である。朴大統領の国内対策重視は2012年12月に実施された大統領選挙での韓米FTA論争で改めて明確に示された。野党の文在寅候補は毒素条項説に立脚して韓米FTAの破棄あるいは再交渉を主張したのに対して,朴候補は同FTAの存続とともにFTA発効に伴う被害の救済にとくに言及している。
朴政権発足後の2013年6月には今後のFTA政策の方向を示す新通商ロードマップが打ち出された。これはFTA国家戦略の10年ぶりの改訂となる。新ロードマップには選挙期間中に示された朴大統領のFTAに関する考えが網羅されている。まず,上述のようなFTA弱者救済が強調されているが,これは福祉拡大や経済民主化(財閥への経済力集中の排除と中小企業重視)といった朴政権の経済政策の基本方針と整合的である。個別案件としては中韓FTAの交渉加速にとくに言及したほか,広域FTAへの傾斜が特筆される。RCEPについては「積極参加」,日中韓FTAについては「推進」,TPPについても「踏み込んだ検討」としている。
韓国はそれまで,自国の存在がかすみがちとなる広域FTAをどちらかというと敬遠していた。新通商ロードマップで言及された広域FTAには多数の当事者が存在し,自国の事情を声高に主張するのは容易でない。TPPに関しては,コメ除外を勝ち取った韓米FTAをゼロベースで再検討させられる可能性がある一方で,日本とメキシコ以外の参加国とはすでにFTAを結んでいて経済的メリットが大きくないこと,TPPを包囲網と見る中国への配慮などから,これを敬遠する空気が強かったのは事実である。RCEP,日中韓FTAについては日本とのFTAを意味し,対国内説明に政治的負担が生じることなどから,これらについても積極的な推進姿勢を示してこなかった。
それにもかかわらず,韓国が広域FTAへの傾斜を余儀なくされた背景には,韓国のFTAがすでに相当進展し,新たに二国間FTAを結ぶ相手先が少なくなったという事情が挙げられる。しかし,より重要なのは,広域FTAが地域における貿易ルールを事実上決定するようになっていることである。外需依存の傾向が深まった韓国にとって輸出の拡大は死活問題だが,貿易ルールがどのように策定されるかが今後の韓国経済の消長を左右するといっても過言ではない。
これまで活発に繰り広げられてきた韓国のFTAの推進過程を,米中両国への対応という点で改めて整理すると,韓国が米中両国とのバランスを取りつつFTA政策を展開してきたことが浮かび上がる。これは韓国特有の米中バランス外交と相関するものであると同時に,韓国がアジアにおけるFTA潮流のなかで東アジアトラックとアジア太平洋トラックのどちらにウエートを置くかの問題でもあった。
現在交渉が進行中のRCEPの前身のひとつで中韓が提唱したASEAN+3は,その淵源をたどれば,1998年12月に金大中大統領が提唱した「東アジア・ビジョングループ」構想に行きつく。その後2006年から2010年にかけてASEAN+3と日本が提唱するASEAN+6は東アジアトラックにおける主導権をめぐる角逐を演じた。この間,韓国はASEAN+3の増勢のため中国を前面に立てた形となった。しかし,2003年に就任した盧武鉉大統領の離米的な「自主外交」がアメリカの不興を買い,安全保障の枠組みに軋みが生じるようになると,対米関係好転の観点から盧大統領が2005年秋に韓米FTAの推進を決断した。同FTAは紆余曲折の末,2011年11月に批准されたが,韓国は間髪入れず中韓FTAの推進を加速させる。2012年1月,李明博大統領の訪中の際,中韓首脳は同FTAの交渉開始で合意した。中韓FTAの推進は朴槿恵への政権交代を挟んで続けられ,2013年の新通商ロードマップでも優先課題として扱われたのは前述のとおりである。
中韓FTAが仮署名を終え,その発効が秒読み段階を迎えた今,韓国のFTAが米中バランスの観点からどちらの方向に向かうのか注目される。
アメリカ主導のTPPについては,慎重ながらも参加する方向である。朴政権はこれまで中韓FTAを大々的に推進する一方で,TPPに対しては概して距離をおいてきた。だが,その間2013年7月に日本はTPP参加を決断し,TPP交渉は事実上の日米交渉の様相を呈するに至った。WTOを大きく上回る高度の自由化を指向するTPP交渉をアジア太平洋地域における貿易ルールのベンチマークと見る向きが増え,ルール決定の場から外される危険性を感じ取った韓国としてはそうした状況を傍観できなくなっていた。
2013年11月にはTPPへの関心表明が行われ,TPP参加に向けた既参加国との事前協議も2014年3月の日本との協議を最後に一巡している。2014年7月にはコメの関税化を決めている。2014年末から2015年初にかけてTPP参加国の中でも強硬派と目されるカナダ,オーストラリアとのFTAが相次いで発効したが,これはTPPが既存FTAの内容にまで干渉しないことに着目した「TPP遅刻生」なりの算段と解釈できる。TPPへの遅参は自国の事情にそぐわない過度の自由化を押し付けられるリスクを伴うが,一部参加国とのFTAを結んでおけばルール決定に参加できる一方で,市場開放の負担は多少なりとも軽減されるからである。
中韓のFTAにおいて,日本をどう扱うかが重要課題となろう。両国とも日本との関係が悪化し,二国間FTAを推進しづらい事情がある。しかし,東アジアにおけるFTA網が徐々に整備されていくなかで,日本と中韓という主要プレーヤーがFTAを結んでいないことの違和感は時間の経過とともに増すばかりである。
RCEPや日中韓FTAの交渉を通じ,中国はTPPへの対抗上,日本を東アジアトラックに引き寄せようとしているが,日中対立が収束しない現実や,膨大な技術蓄積と巨大な内需市場を背景にした根強い自給性を持つ日本経済の特性から,韓国,オーストラリアを取り込んだ時のような手法が日本には通用しない。中国の経済規模のうえでの対日優位は高まる趨勢にあり,中国としては時間をかけて日本へのアプローチを試みるとみられる。日本としても少子高齢化で内需成長が停滞することを見据えて中国との経済連携の得失を冷静に見極めるべきであろう。
韓国については,韓EU FTAの影響で韓国市場における日本製の機械,自動車の苦戦が伝えられている。貿易構造が類似する韓国の積極的なFTA展開が日本に与える影響が現実のものとなっている。もっとも直接的な解法は日韓EPA(経済連携協定)を結ぶことだが,その推進は依然として困難で,現在動きのみられるRCEP,日中韓FTAもしくはTPP交渉を通じて日韓間の自由貿易ルートを開拓するのが現実的であろう。とりわけ,TPP交渉は韓国が地域における貿易ルール策定に関与する道を開くという側面にも留意する必要があろう。最近の報道では,韓国は2015年上半期中ともいわれるTPP日米交渉妥結を待ってTPPの内容を見極め,正式に参加宣言する意向と伝えられている。
RCEPと日中韓FTAの交渉は高水準の自由化を求める日本と開放に慎重な中韓との折り合いがついていない。中韓が高水準の自由化を受け入れるのか,日本が低水準の自由化を甘受するのか,あるいは日本が国内改革をさらに進めて改めて中韓に高水準の自由化を求めていくのか。日中韓それぞれの覚悟が試される年となる。
(国内客員研究員・亜細亜大学教授)