2016 Volume 2016 Pages 159-178
2015年の香港では,前年末まで続いた道路占拠のデモ「雨傘運動」で運動参加者が撤回を求めた行政長官選挙方法案が立法会で審議されたが,民主派の反対により否決された。民主派が「ニセ普通選挙」と呼んで強く批判する,民主派の立候補を事実上不可能にする普通選挙の導入は阻止されたが,普通選挙の実現時期の見通しはまったく立たなくなってしまった。行政長官が「雨傘運動」を率いた学生団体の思想を批判したり,学生団体が路線対立から分裂したり,香港大学副学長人事が政治的理由から滞ったりと,学術界を中心に「雨傘運動」の余波は続き,政界でも新たな路線の模索が続けられている。そのようななかで,11月の区議会議員選挙では若者の当選が相次ぎ,世代交代の予感が高まっている。
中国経済の減速に加え,中国大陸からの観光客への香港市民の反感の高まりから,大陸観光客の香港訪問の規制が強化され,大陸からの香港訪問客数は返還後初めての前年割れとなった。小売業は苦戦し,不動産価格も下落に転じている。アジア最大の富豪・李嘉誠が本社機能をケイマン諸島に移転すると,大陸のメディアが繰り返し李嘉誠の批判を掲載するなど,香港財界と大陸との関係にも微妙な変化の兆しが見られる。香港経済の新たな活路を求めて,香港政府は「イノベーション・科学技術局」を新設し,「再工業化」を目指している。
対外関係においては,アジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加を目指すなど,中国の国際戦略と歩調を合わせる動きが目立った。9月3日の抗日戦争勝利70周年記念行事には香港からも代表団が参加し,香港も急遽当日を休日とする異例の対応をした。
2017年予定の次期行政長官選挙について,2007年末の全国人民代表大会常務委員会(全人代常務委)の決定では普通選挙導入を可とするとされたが,2014年8月31日,全人代常務委は具体的な選挙方法について,普通選挙に出馬するためには,中央政府寄りの者が多数を占める1200人の「指名委員会」において過半数の指名を受けることを要件とし,出馬できる候補者の数も2~3人に限ると決定し,民主派の出馬を事実上不可能とする決定を下した。この「8.31決定」の撤回を求めた道路占拠の「雨傘運動」は2014年の12月まで続いたが,中央政府は一切譲歩しなかった。「8.31決定」の枠組みに基づく普通選挙の具体的方法の策定と,立法会での審議が,2015年前半の香港政治の焦点となった。
1月7日,香港政府は選挙方法の諮問文書を発表した。香港政府は,指名委員会の内訳,指名委員会を選出する選挙の投票権を誰に付与するか,過半数の票を得る候補者が出なかった場合の決選投票実施の可否などについて,市民の意見を容れて検討することができるとした。一方,民主派が求める,一定数の市民の署名などの方法で立候補を可とする「市民による指名」については,「8.31決定」に基づかない方法での普通選挙は非現実的であると批判した。
このため,民主派は,当初から諮問には応じない態度をとった。公民党の梁家傑立法会議員が「北朝鮮の金正恩すら普通選挙で選ばれている」と発言するなど,候補者が限定された普通選挙には意味がないというのが民主派の多くの者の見解であった。3月9日,民主派全立法会議員27人は,「8.31決定」に基づく普通選挙は偽物であり,必ず否決するとの共同宣言を発表した。
4月22日,林鄭月娥政務長官は立法会で行政長官選挙の実施方法案を発表した。政府案によれば,1200人の指名委員会において,120人以上の推薦を集めた者が同委員会での投票対象となり,委員はそれぞれの候補者について支持または不支持を選択し,最多で3人までの普通選挙に進む候補者を選抜するとされた。民主派は集団で退席し,抗議の意思を示した。
香港基本法の規定によれば,選挙方法の改正案には立法会で3分の2以上の賛成が必要であり,70議席の立法会では,親政府派全議員の賛成に加え,計算上民主派から4人以上の賛成が必要であったが,香港政府の説得工作は困難を極めた。
説得のひとつの方法は,「8.31決定」に抵触しない範囲での小幅な譲歩であった。陳弘毅香港大学法学部教授は,普通選挙の段階で白票が過半数に達した場合,選挙は無効とされ,指名委員会が臨時行政長官を選出して空白を埋めるという案を提案した。陳弘毅はこの制度の導入により,指名委員会は候補者を指名する際に民意を無視できなくなると,その意義を強調した。民主派の一部はこの案に興味を示したが,民主派の主流からは十分な支持を得ることはできず,中央政府関係者からもこの案に批判的な意見が相次ぎ,実現しなかった。
2017年の選挙方法についての政府案を今回受け入れれば,政府が2022年以降の選挙をより民主的な方法に改良する可能性を約束することも,民主派説得の方法としては考えられた。1月28日,民主党員の狄志遠はラジオ出演し,北京を訪問して中央政府の関係者と話し合い,「8.31決定」の撤回は不可能との感触を得たとして,今回は政府案をまず受け入れるべきと主張した。同様に民主党員の黄成智も4月6日に政府案支持を表明した。しかし,民主派の主流はこれを拒み,民主党は党の方針に反したとして7月16日に黄成智を除名した。狄志遠・黄成智は9月27日,新団体「新思維」を結成して民主派を離れた。
香港政府にとっての最後の頼みの綱は民意であった。一般市民の間では,たとえ候補者が制限されたものでも,1人1票の普通選挙が行われるのであれば政府案に賛成するとの意見の者が少なくなかった。しかし,香港政府・学術団体・メディアによってさまざまな世論調査が行われたが,政府案賛成は多くの調査で5割強に留まり,民主派に方針転換を迫るほどの圧倒的な民意は形成されなかった。
結局,6月18日の立法会で,政府案は民主派から1票の賛成も得ることができず,否決された。これにより,2017年の行政長官普通選挙は幻と消えた。民主派は彼らにとって受け入れがたい「ニセ普通選挙」を否決することができたが,普通選挙実現のタイムテーブルは白紙に戻ってしまった。民主化の最終目標である普通選挙の実現時期はまったく見通せない状態となってしまった。
「雨傘運動」参加者の検挙年明け早々から,警察は「雨傘運動」の関係者に対して出頭を求め,学生指導者・民主派の立法会議員などを次々と検挙した。1月24日には,後に「雨傘運動」に発展した「セントラル占拠行動」を提唱した戴耀廷香港大学副教授ら発起人3人も,警察の出頭要請に応じ逮捕されたが,聴取の後同日中に釈放された。12月16日に香港政府が明らかにしたところによれば,「雨傘運動」に関連して逮捕された者は955人であり,このほかに48人が運動の終了後に警察に逮捕されている。11月30日までに216人がすでに起訴されており,うち177人は裁判を終え,74人が有罪判決,40人が保護観察の処分を受けた。罪状は違法集会の組織・招集・参加や暴行などさまざまである。
一方,10月15日には,2014年10月15日に「雨傘運動」に参加していた民主派政党・公民党メンバーの曽健超に対して集団暴行を加えた警察官7人が,事件発生から1年を経て傷害罪で起訴されている。同日には被害者の曽健超も警察官襲撃などの罪状で出頭を求められた。
梁振英行政長官の「香港民族論」批判と中央政府の「香港独立」批判1月14日,梁振英行政長官は毎年恒例の施政方針演説を行った。梁振英はその冒頭部分で,香港大学学生会が発行する機関誌『学苑』の特集「香港民族命運自決」や,同会が発刊した『香港民族論』を名指しし,これらの書物にある香港が「自立・自決の活路を探すべき」との主張について,「間違った思想に警戒せざるをえない」と述べ,学生を強く批判した。香港政府の長が,年に1度の重要演説において,学生の出版物を取り上げて批判するのは極めて異例のことである。
この背景には,「雨傘運動」を中央政府に対抗する「香港独立運動」の一環とみなし,「国家の安全」に対する脅威と考える中央政府の発想がある。国務院香港マカオ弁公室(港澳弁)の王光亜主任,中央政府駐香港連絡弁公室(中連弁)の張暁明主任など,中央政府関係者はしばしば「香港独立」に対する警戒の必要性を強調した。3月6日には,香港地区選出の全国人民代表大会メンバーと北京で会談した張徳江全人代委員長は,香港独立論や「都市国家自決論」などの近年の香港での議論を強く批判し,国家の主権・安全・発展の利益を守ることは明確な一線であり,越えてはならないと述べた。4月15日の『人民日報』海外版は,香港独立の活動は近年ますますはびこっており,去年にはそれがさらに公然化・具体化していると指摘し,「都市国家論」を主張する嶺南大学講師の陳雲や,2月27日にイギリスで政党として登録された「香港独立党」などを挙げ,香港独立への具体的な行動・組織が誕生しているとして,警戒の必要性を強調した。
もっとも,こうした活動が言論のレベルに留まり,支持者も限られているという事実は香港では常識であり,大陸でも香港問題の専門家の間では理解されている。後に中連弁の法律部長に就任した王振民清華大学教授は8月29日の講演で,独立を求めることは香港の主流の価値観ではないと述べている。このため,実際に香港独立を阻止するための具体的な法律や政策を作る動きは活発ではない。1月,全人代常務委が「国家安全法」の審議を行うと,共産党寄りの労組・工連会の理事長で,香港地区選出全人代メンバーである呉秋北が,国家安全法を香港に適用することを提案した。しかし,香港では親政府派からもこの提案に対する支持は広がらなかった。また,一部メディアは香港政府が「反香港独立立法」を目指していると報じたが,梁振英行政長官は4月8日,これを明確に否定した。
「雨傘運動」を率いた学生組織「学連」の分裂「雨傘運動」では8大学の学生会の連合組織「学連」が指導的役割を果たしたが,政府から譲歩を引き出せなかったことで学生から批判も受けた。2月9~13日,香港大学では学生投票が行われ,その結果,香港大学学生会は学連からの脱退を決めた。香港理工大学・香港浸会大学・香港城市大学の学生会も学連脱退を決めた。
学連は過去数十年にわたり,学生団体の中心的存在として民主派の政治団体とともに社会運動に参加してきたが,6月4日に民主派団体「香港市民支援愛国民主運動連合会」(支連会)が開催した毎年恒例の天安門事件追悼集会への参加を初めて見送った。中国よりも香港の民主を重視すべきと考える支連会に若者の間で近年反発が強まっており,香港大学学生会は支連会が掲げる「民主的中国の建設」とのスローガンに同意しないとの理由で,支連会の追悼集会に参加せず,同じ時間帯に香港大学で独自の集会を開催し,「香港を守ることこそが我々のすべき事だ」とのスローガンを叫んだ。支連会の集会の参加者は主催者側発表で13万5000人,警察発表で4万6600人と,前年(主催者側発表18万人以上,警察発表9万9500人)を大きく下回った。
香港大学の人事をめぐる混乱1月,中国共産党よりの『大公報』『文匯報』の2紙は,民主派に近い政治的立場の陳文敏前法学院長が,人選を担当する学内委員会によって副学長に推薦されると報じた。2紙は陳文敏が法学院長在任当時「セントラル占拠行動」を主唱した戴耀廷法学院副教授から大学宛ての匿名の寄付を受け取ったことや,政治活動に没頭して学術を疎かにしたことなどを列挙し,陳文敏を批判する記事をその後連日掲載した。
2月12日には『蘋果日報』紙が,公民党の郭栄鏗立法会議員らが大学関係者から聞いた話として,梁振英行政長官や行政会議のメンバーが,副学長人事の決定権を持つ校務委員会に対して,陳文敏の副学長就任を否決するよう求めていると報じた。行政長官側は直ちに報道を否定したが,校務委員会は寄付金問題の未解決などを理由に,副学長人事の決定を長期にわたり先延ばしした。陳文敏自身も,副学長就任を辞退するよう求める圧力をかけられたことを証言し,自身の政治的な立場を理由に人事が遅れていると述べた。7月28日の校務委員会では,空位となっている首席副学長が着任するまで本件の決定を先送りにするという前例のない決定がなされ,これに怒った学生が会議室に乱入し,もみ合いとなり校務委員が軽傷を負う事態を招いた。
香港大学内では,教師や学生が陳文敏を支持する署名などの運動を次々と展開した。9月1日には香港大学卒業生組織が緊急会合を開き,陳文敏の副学長就任を早期に実現するよう求める動議を可決したが,結局9月29日の校務委員会は陳文敏の副学長就任を否決した。
11月には校務委員会の主席も任期満了となったが,梁振英行政長官に近い行政会議メンバーの李国章が主席候補として有力との情報が流れると,学内で大きな反発が起きた。10月25日には,卒業生団体と教職員組合が共同記者会見し,李国章がかつて教育局長を務めた際,各大学の自主性を尊重しない強硬な態度をとったことなどを理由に,李国章の校務委員会主席就任に強く反対すると表明した。卒業生組織や学生団体も相次いでアンケートを行い,李国章に反対の意見が圧倒的多数であったが,香港政府は12月30日,李国章を校務委員会主席に任命した。
区議会議員選挙11月22日,区議会議員選挙が行われた。「雨傘運動」後初めて行われた全香港規模の選挙であったため,運動後の民意を知るひとつの目安として注目された。
区議会は香港18区それぞれに設置され,合計431の民選議席がすべて小選挙区によって選出される。各選挙区の人口は平均で1万人あまりであり,面積も極めて狭小であるため,争点は主にコミュニティ規模の話題に集中し,政治性は薄く,組織票を持つ親政府派に有利とされている。今回の選挙も,選挙前の報道なども低調で盛り上がらず,順当に親政府派が勝利するとみられていた。
予想と大きく異なったのは,香港区議会議員選挙史上最高の47.01%を記録した投票率であった。明確な争点を欠くなかでの投票率の上昇は,「雨傘運動」を経た香港市民が政治への関心を増大させたことも一因と考えられる。
選挙結果を全体で見れば,親政府派が合計298議席を得てすべての区で過半数を占め,勢力分布に大きな変化はなかったが,親政府派・民主派とも,立法会議員を兼務する大物が落選した。民主派では民主党の何俊仁前主席,民協の馮検基元主席が落選した。両名の選挙区では,親政府派が重点的に議席獲得を目指していた。両名は現職区議会議員の枠から立法会議員に選ばれており,同枠から次期立法会議員選挙に出馬する権利を失った。
他方親政府派は,最大政党である民建連の2人の立法会議員が落選した。このうち,24年間区議会議員を務めた鍾樹根議員は,「雨傘運動」に参加して政治に目覚めたという無所属で無名の新人の徐子見に敗れた。親政府派の古株議員に対し,少なからぬ市民が不満を持っていることが明らかになった。
徐子見を含め,「雨傘運動」に参加後初めて選挙に挑戦した新人は「傘兵」と称された。50人以上の「傘兵」が出馬し,当選は8人に留まったが,資金・組織・知名度で劣る若者が複数当選したこと自体,大いに注目された。古株が多く落選し,新人多数が当選したこの選挙は,香港政治に今後世代交代の波が来ることを予感させた。
「銅鑼湾書店」関係者が相次ぎ失踪10月から12月にかけて,香港島の小型書店「銅鑼湾書店」の経営者や従業員など関係者5人が相次いで失踪した。
銅鑼湾書店は,中国大陸で発行を許されない「禁書」を多数扱うことで知られる。親会社の「巨流」はこの種の書籍を多数発刊してきた出版社で,習近平国家主席の若い頃の女性関係についての書籍の出版を計画していた。5人のうち,巨流の株主で銅鑼湾書店経営者のひとりでもある李波は,12月30日に香港の自宅から自社倉庫に向かったまま失踪しており,大陸の公安関係者が密かに香港に来て,李波を連れ去ったとの強い疑念がある。「一国二制度」を無視する行為が大陸当局によってなされた可能性に対し,香港は大いに衝撃を受けると同時に,これによって香港の言論の自由が萎縮することも懸念されている。
1月9日,香港最大の企業グループ・長江実業の主席で,「アジア一の富豪」とも称される李嘉誠が記者会見し,傘下企業の大規模な改組を発表した。グループの中核企業で,不動産大手の長江実業と,港湾業を中心とする複合企業・ハチソンワンポア(和記黄埔)を合併し,不動産業務に特化した「長江実業地産」(長地)と,それ以外の業務を行う「長江和記実業」(長和)の2つの新会社に再編したうえで,長地と長和の本社登記地をケイマン諸島に移転するという内容である。
李嘉誠は,登記地の移転はビジネス上の便宜的問題であり,香港からの撤退ではないと説明しているが,李嘉誠は近年大陸に所有する不動産の売却を進めており,市場の先行きを李嘉誠が悲観しているのではないかと推測された。
李嘉誠が大陸の不動産市場から撤退を進めているとの噂は,大陸のメディアなどで大きく取り上げられた。9月12日,新華社系のシンクタンク「瞭望智庫」のウェブサイトに「李嘉誠を逃がすな」と題する文章が掲載され,「中国経済が正念場にあるときに,李嘉誠は中央政府がかつてインフラや不動産事業を大いに支援してくれたことを顧みず,中国を捨てて大いに投げ売りを続け,大陸市場に悲観的な感情を蔓延させており,道義を失っている」と李嘉誠を強く非難した。その後『証券時報』や,『人民日報』の公式微信アカウントでも李嘉誠の撤退を批判する文章が掲載され,李嘉誠は9月29日,大陸からの撤退を否定したうえで,これらの文章を「身の毛のよだつような語調」「文革的な発想が復活することはないと信じる」と批判した。
小売り・観光が不調,不動産は下落に転じる2015年の小売業の年間売上額は4752億香港ドルと,2014年に比べ3.7%減少した。貴金属・装飾品・時計・高級贈答品が15.6%,服飾品が7.2%,医薬品と化粧品が1.9%の減少などとなっており,デパートの売り上げも4.1%減少した。
その主な原因として,ここ10年あまり香港の小売業に大いに貢献してきた,大陸からの観光客の減少が考えられる。2015年の香港訪問客数は延べ5930万人で,2014年より2.5%減少した。なかでも大陸からの観光客数は4562万人と,前年比2.9%の減少となった。大陸からの観光客数が前年割れとなったのは返還後初めてのことである。その主な原因は,深圳戸籍住民に対する香港訪問マルチビザの規制である。これまで無制限であったマルチビザ所持者の香港訪問回数を,4月13日から週1回に限定した。近年香港では大陸での転売を目的に頻繁に大陸と香港を往復し,商店で大量に買い付ける行為が社会問題化しており,このビザの保持者がそうした活動に従事しているとされていた。混雑やマナーなどの社会問題は緩和が期待できるが,大陸での腐敗撲滅キャンペーンや景気の減速もあり,訪問客減少が続けば経済へのマイナス効果が懸念される。
長期にわたって高騰が続いてきた不動産価格も下落に転じた。住宅販売価格指数(1999年を100とする)は2015年1月の284.6から,9月には306.1まで上昇したが,11月には293.4まで下落した。
空港第三滑走路建設問題をめぐる論争3月17日,行政会議は機場管理局から提出された空港第三滑走路の建設資金調達案を可決した。建設費は香港のインフラプロジェクトとして史上最高額の1415億香港ドルを見込み,その捻出のため,機場管理局は出発旅客から1人180香港ドルの空港建設費徴収などを提案した。機場管理局は第三滑走路の経済効果が4500億香港ドルにのぼるとの試算を示し,建設の必要性を強調した。
しかし,第三滑走路の運用には近隣のマカオ・深圳の2空港との空域利用に関する協議が必須であるが,香港政府は2007年にすでに行われたとする協議の内容の公開を,戦略的な内容を含むとして拒否した。立法会議員や環境団体などから疑問の声が相次ぎ,市民による建設反対運動は2週間で5万人の署名を集めた。9月29日,機場管理局は空港建設費の徴収額を,短距離路線については90香港ドルに減額する修正提案を行った。
「イノベーション・科学技術局」新設,「再工業化」を掲げる11月6日,立法会財務委員会は新しい政府部門「イノベーション・科学技術局」設立に必要な予算を承認し,20日同局が正式に発足した。香港政府の13番目の局となり,理工大学の副学長などを歴任した楊偉雄が初代局長に就任した。
同局の設立は梁振英行政長官の悲願であり,梁振英はかつて,2012年7月1日の行政長官就任と同時に「科学技術・通信局」を設立することを計画していたが,正式就任前の6月に立法会にほかの議案に優先して政府の改組を審議するよう求めたことが強引と批判され,民主派の審議引き延ばしなどの妨害にも遭い,実現していなかった。
楊偉雄は就任にあたり,世界の最先端の研究機関と協力し,香港の「再工業化」を推進することなどを重点政策として挙げた。しかし,脱工業化が進み,第三次産業がGDPの9割を占める香港の「再工業化」には,疑問の声も強い。
2月,大陸で人気のある品物の買い付けのために頻繁に大陸と香港を往復する「運び屋」が多数訪れる新界のニュータウンを中心に,各地で「運び屋反対デモ」が展開された。インターネット上での呼び掛けに応じた若者を中心とする集団が毎週末のようにデモを行い,このうち2月9日の「光復屯門」と題したデモでは,屯門地区で大陸観光客が多数訪れるショッピングモールを400人が包囲し,警察との衝突で負傷者も出た。15日の沙田でのデモでは,警察がショッピングモールで催涙ガスを発射する事態も招いた。
買い物客や商店に罵声を浴びせるデモは,その手法や差別的な主張が非難され,大規模なものには発展しなかったが,「運び屋」や多すぎる大陸からの観光客に対する香港市民の反感はかなり広まっている。デモは間もなく鎮静化し,マルチビザ規制によって「運び屋」問題も緩和の傾向にあるが,11月22日の区議会議員選挙では「運び屋反対デモ」に参加した梁金成が多くの票を集めるなど,「運び屋」問題の影響はなくなってはいない。
香港のAIIB参加問題アジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設メンバーとしての参加意向表明の締め切りとされていた3月30日,陳家強財経事務・庫務局長は立法会特別財務委員会に出席し,すでに香港の参加意向書を提出したと述べた。民主党の単仲偕議員は,AIIBの本部を香港に設立するよう求めるかと質問したが,陳家強はその可能性を否定した。当初は本部を香港に設置するとの噂も流れていたが,デモが多発する政治リスクも香港が回避された原因となった可能性がある。梁振英行政長官は7月9日立法会で,香港がAIIB本部を招致する際に道路占拠は絶対にプラスにならないと述べた。
香港の参加に当たっては,香港がどのような身分で参加すべきかが議論になった。結局,香港は準備会合の段階から,香港として独自の代表団を構成するのではなく,中国代表団の一員としての参加となった。その背景には,同様に創設メンバーとしての参加を許されなかった台湾の問題もある。
6月29日,北京・人民大会堂でAIIBの設立協定調印式が行われた。香港からは中国代表団のメンバーとして曽俊華財政長官が参加した。
抗日戦争勝利記念日,異例の休日に香港政府は中央政府の要請に応じ,9月3日の抗日戦争勝利70周年記念日に式典などを行うことをすでに2014年に決めていたが,5月13日午前,北京の国務院が大陸で同日を臨時の休日とすることを発表すると,同日午後香港政府の労工・福利局は,市民が各種の記念活動に参加しやすいようにするとの理由で,香港でも9月3日を休日にすることを提案した。わずか4カ月弱先の日を休日化するとの提案は,香港では前例のないことであった。民主派からは政治的な意図の強い休日であるとの警戒心も表明され,これに北京寄りのメディアが,愛国心がないと批判を加えるという論戦も見られた。結局,7月9日,立法会は2015年に限り9月3日を休日とする法案を可決した。
9月3日の北京での軍事パレードは,梁振英行政長官が287人の香港からの代表団とともに参観し,香港では曽俊華財政長官が記念儀式を執り行った。
2016年の政治的な焦点は,9月に予定される立法会議員選挙である。2015年の区議会議員選挙では,民主派・親政府派を問わず,現職の大物議員が落選し,20代・30代の無名の新人が当選するという状況が目立った。香港市民は過去数年の民主化や大陸との関係をめぐる論争を経て,政治意識の高まりを見せており,このような変化に,1989年の天安門事件をきっかけに誕生した現在の大政党は十分に適応できているとは言いがたい。高い投票率と無党派層の増加が予想されるなか,各政治勢力がいかにして香港を取り巻く状況や,香港市民の意識の変化に対応し,支持を得られるかが問われる。
「選挙イヤー」には政党の政府に対する監視が強まり,要求が厳しくなる傾向がある。さらに,2017年に行政長官選挙も控え,政界ではさまざまな動きが始まると予想される。親政府派の敗北を避けるためには,政府が民意に適切に答えることが求められる。懸案の住宅難や貧困などへの対策を進め,政府への不満を鎮静化させられるかどうか,香港政府の手腕が問われる。
そのようななかで,心配されるのは経済情勢である。中国経済の不調・大陸観光客の減少などの影響は,徐々に香港経済に及ぶであろう。イノベーション・科学技術局の設立により,香港政府は金融・不動産などのサービス業に傾斜した経済の「再工業化」を目指すが,過去には董建華行政長官時代に実施したハイテク産業の導入は不調に終わっており,その実現も容易ではないであろう。
(立教大学法学部准教授)
1月 | |
5日 | 李克強総理は広州南沙を訪問,広東省に香港マカオとの「深度融合」を初めて要求。 |
7日 | 2017年行政長官選挙方法に関する2カ月間の政府の諮問期間が開始。 |
9日 | 長江実業李嘉誠主席が記者会見,長江集団の大改組と登記場所のケイマン諸島移転を発表。 |
14日 | 梁振英行政長官が施政方針演説,香港大学学生会が出版した『香港民族論』を強く批判。投資移民制度を廃止。 |
26日 | 国際ジャーナリスト連盟は2014年中国・香港報道の自由年報を発表,香港の報道の自由は厳しい圧迫を受けていると指摘。 |
28日 | 狄志遠元民主党副主席,行政長官選挙方法改革案の支持を表明。 |
2月 | |
1日 | 「セントラル占拠行動」以後初の民主派の大型デモが実施され,主催者側発表1.3万人,警察発表6600人が参加。 |
14日 | 香港大学学生会,学生投票により学連からの脱退を決定。 |
15日 | 沙田での「本土派」による密輸反対デモが警察と衝突,ショッピングセンター内で催涙ガスが使用される。 |
25日 | 曽俊華財政長官が2015/16年度の財政予算案を発表,2014/15年度の財政黒字を予想の91億香港㌦から638億香港㌦に大幅上方修正。 |
26日 | イギリス政府は2014年下半期の香港報告書を議会に提出,「セントラル占拠行動」は平和に行われたと歓迎。 |
27日 | 金融管理局は住宅購入の抵当ローン比率を従来の7割から6割に制限する不動産価格抑制策を発表。 |
3月 | |
1日 | 本土派組織「熱血公民」と「本土民主前線」が元朗で密輸反対デモを発動,33人逮捕。 |
6日 | イギリス議会下院外交事務委員会は中英共同声明実施30周年調査結果を発表,香港の強みは大陸からの政治的圧力から自由であることと指摘。 |
9日 | 民主派の27立法会議員全員が連名で,2014年8月の全人代常務委の決定に基づく行政長官普通選挙は偽物であり,必ず否決するとする宣言を発表。 |
17日 | 行政会議は空港第三滑走路の建設資金調達案を可決。 |
18日 | 標準労働時間委員会第11回会議,労使双方が労働時間の規制に合意。 |
4月 | |
1日 | 政府は経営難の亜州電視の放送免許の更新をしないことを決定。 |
13日 | 中国公安部は深圳住民の香港訪問マルチビザでの香港訪問を1週間に1回までに制限する措置を導入。 |
17日 | 民建連の主席に李慧琼立法会議員が就任。 |
22日 | 林鄭月娥政務長官,行政長官選挙方法改革案を発表。全人代常務委の決定の枠組みに沿い,立候補者を2~3人に制限。白票多数の場合の再選挙や指名委員会の企業団体投票の廃止を認めず。民主派は否決を明言。 |
27日 | 学連,支連会が開催する天安門事件追悼集会に参加しないことを表明。 |
5月 | |
1日 | 最低賃金が時給32.5香港㌦に引き上げられる。 |
4日 | 国務院は定年退職する曽偉雄に代わり盧偉聡副警務処長を警務処長に任命。 |
4日 | 魯平・元国務院香港マカオ弁公室主任が死去。 |
8日 | アメリカ議会香港訪問団が梁振英行政長官・立法会議員多数と会談,行政長官選挙方法改革案について肯定的発言。 |
13日 | 香港政府は9月3日の抗日戦争勝利記念日を休日とすることを提案。 |
21日 | 民主党中央常務委員会は緊急会議を開き行政長官選挙方法改革案を支持している黄成智の党籍凍結を可決。 |
22日 | 大陸・香港の証券監督当局,7月1日以降大陸と香港で登録されたファンドの相互越境販売解禁を決定。 |
26日 | マレーシアで天安門事件に関する講座に参加する予定だった黄之鋒学民思潮召集人が入国拒否される。 |
31日 | 支連会は天安門事件追悼デモを実施,主催者側発表3000人参加,警察は920人と推定。 |
6月 | |
4日 | 支連会の天安門事件追悼集会に主催者側発表13.5万人出席,2009年以来の低水準。警察発表4.66万人,2014年の9.95万人を大きく下回る。 |
14日 | 民主派の「全市民ニセ普通選挙拒絶デモ」,主催者側発表3500人,警察発表3140人参加。 |
18日 | 行政長官選挙方法改革案が立法会で否決される。親政府派が突然退席し賛成は8票のみ,民主派全議員と医学界選出の梁家騮立法会議員の28票が反対。 |
19日 | 行政長官選挙方法改革案否決にイギリス政府が失望を表明。 |
22日 | 湯家驊立法会議員,公民党の離党と立法会議員の辞職を発表。 |
29日 | アジアインフラ投資銀行(AIIB)設立会合,曽俊華財政長官が出席。 |
7月 | |
1日 | 民間人権陣線は7月1日デモに4.8万人参加と発表,2003年以降で3番目に少ない人数。警察は最高時で1.9万人と発表。 |
5日 | 民主党は独自に行った水質検査で一部の公共住宅の水道水から規定を超える鉛を検出したと発表。 |
8日 | ハンセン株価指数は一時前日比2138㌽安と史上最大の下げ幅を記録,終値は1459㌽安と史上4位の下げ幅。 |
9日 | 立法会は2015年に限り9月3日の抗日戦争勝利記念日を祝日とする法案を可決。 |
9日 | 梁振英行政長官は林鄭月娥政務長官が率いる全香港クリーン運動の実施を発表。 |
13日 | 梁振英行政長官,行政長官選挙方法改革案否決後初の北京訪問で張徳江全人代委員長と会談。 |
16日 | 民主党中央委員会議は行政長官選挙方法改革案に賛成の意思を示した黄成智の除名を決定。 |
17日 | 公共住宅の水道水鉛検出問題について,梁振英行政長官は調査委員会を設置し,原因を究明して公共住宅・民間住宅の水道水供給システムの再検討をすると発表。 |
19日 | 「セントラル占拠行動」以後初めての選挙となる大埔区議会補選で,民主派が支援する工党の郭永健が当選。 |
21日 | 国務院は梁振英行政長官の指名と提案に基づき,曽徳成民政事務局長・鄧国威公務員事務局長を免職。曽徳成の後任に劉江華政制・内地事務局副局長,鄧国威の後任に張雲正税関関長が就任。 |
22日 | 学民思潮はGoogleアカウントがハッカー攻撃に遭い1000人の個人情報が流失したと発表。 |
24日 | 親政府派政党・民建連代表団が9年ぶりの北京訪問,張徳江全人代委員長と会談。 |
28日 | 香港大学は校務委員会で,副学長の人選を先送りにする決定。一部の学生がこれを不満として校務委員会会場に闖入。 |
8月 | |
13日 | 公共住宅の水道水鉛検出問題について,梁振英行政長官は陳慶偉高等法院判事を主席とする調査委員会を設立。 |
20日 | 4月に無料テレビ免許を申請した「永升亜州」の邱達昌が「新亜電視台」開局の構想を発表。 |
21日 | 2014年2月に『明報』の劉進図前編集長を襲撃した実行犯2人にいずれも懲役19年の判決。 |
26日 | 馮巍国務院香港マカオ弁公室副主任が劉慧卿民主党主席ら5人と会食。行政長官選挙方法改革案否決後,初めての中央政府と民主派の接触。 |
9月 | |
2日 | 梁振英行政長官,抗日戦争勝利70周年記念行事への出席のため,代表団287人を率いて北京を訪問。 |
3日 | 抗日戦争勝利70周年記念行事を開催。 |
3日 | サッカーワールドカップ予選,中国対香港の試合が深圳で開催,0‐0の引き分け。 |
12日 | 張暁明中央政府駐香港連絡弁公室主任は香港基本法公布25周年シンポジウムで,香港の政治体制について,行政長官は行政,立法,司法の上に超然とする特殊な法的地位を持つと発言。 |
25日 | 習近平国家主席はアメリカのオバマ大統領と会談,新華社はオバマが香港問題に介入しないと約束したと報道。 |
28日 | 「雨傘運動」発生1周年記念日,支持派・反対派の双方の団体多数が金鐘地区で集会を開催。 |
29日 | 香港大学校務委員会は賛成8,反対12で陳文敏法学部長の副学長就任を否決。 |
10月 | |
5日 | 廉政公署は公職人員行為不適当罪で曽蔭権前行政長官を起訴。 |
10日 | 政府は2014年の貧困人口は96万人と発表。貧困率は14.3%,6年ぶりの低い水準に。 |
19日 | 大陸観光客とガイドが,買い物の強要をめぐるトラブルから殴り合いになり観光客が死亡。 |
23日 | イギリスのキャメロン首相が習近平国家主席と会談。キャメロンは習近平に香港が政治的自由と半自治状態を維持できるように促す。 |
11月 | |
6日 | 立法会財務委員会,イノベーション・科学技術局設立のための財政支出を可決。 |
12日 | 大陸の民間企業・恒大地産が湾仔のMass Mutual Towerを125億香港㌦で華人置業から購入。単位面積当たりおよび購入総額で史上最高。 |
17日 | サッカーワールドカップ予選,香港対中国の試合が香港で開催され,0‐0の引き分けに。一部の香港チームファンが中国国歌に対しブーイング。 |
20日 | イノベーション・科学技術局が成立,初代局長に楊偉雄が就任。 |
22日 | 区議会議員選挙投票日。投票率は史上最高の47.01%。民主派が議席を伸ばす。 |
30日 | 広州深圳香港高速鉄道の建設について,香港鉄路(MTR)と香港政府は,建設費を650億香港㌦から844.2億香港㌦に引き上げ,予算超過分を政府が負担し,最高額を超えた場合はMTRの負担とすることに合意。 |
12月 | |
9日 | エルシー・トゥ(杜葉錫恩)元立法評議会議員が死去,102歳。 |
9日 | 国連拷問禁止委員会,報告書で「セントラル占拠行動」に対して警察が過度の武力を行使したと批判。 |
14日 | 競争条例施行,談合と小売価格操作が違法化される。 |
17日 | 金融管理局は基本利率を0.25%引き上げ0.75%に。 |
23日 | 梁振英行政長官,習近平国家主席や李克強総理らと会談。 |
30日 | 行政会議メンバーの李国章,香港大学校務委員会主席に就任。 |
(出所) 「香港特別行政区政府機構図」(http://www.gov.hk/tc/about/govdirectory/govchart/)。 香港特別行政区司法機構(http://www.judiciary.gov.hk/tc/index/index.htm/)。