2019 Volume 2019 Pages 435-458
2016年に発足したアウンサンスーチー(以下,スーチー)率いる国民民主連盟(NLD)政権は,5年の任期の折り返し点を迎えた。
国内政治では,体調不良のティンチョー大統領に替わり,3月にウィンミン新大統領が就任した。11月の補欠選挙では,少数民族居住地域で支持が薄いNLDが議席を若干減らした。次期総選挙に向けては,少数民族政党統合や1988年民主化運動時の学生指導者たちによる政党設立などの動きがあった。和平プロセスは,全国停戦協定に新たに2組織が署名したものの,7月の第3回「21世紀のパンロン会議」の後,別の2組織がプロセスへの参加中断を表明した。年末には国軍が北部・北西部における一方的停戦を宣言したが,ロヒンギャ問題で混迷を深めている西部のヤカイン(ラカイン)州では,ヤカイン民族武装勢力が台頭し,国軍の停戦宣言の対象外ともされて事態が悪化した。ロヒンギャ迫害に関する取材中に逮捕されたロイター通信記者の裁判は,9月に第一審で有罪判決が下された。
経済は高い成長を続けているが,失速気味であり,6%台前半の成長率が見込まれている。海外からの投資額が半減した一方,貿易は輸出の伸びが大きく,貿易赤字幅が減少した。為替はチャットが20%近い大幅の下落をした。政府は,持続的発展計画の策定,新会社法の施行,経済関連省庁の再編などを行い,一定の評価を受けた。
対外関係では,ロヒンギャ難民のバングラデシュへの大量流出の問題で,ジェノサイドであるとの国際的非難を浴び,ミャンマー政府はこれに強く反発した。他方,ミャンマー政府の立場を支持する中国との関係が緊密化し,年の後半に「一帯一路」構想下での大規模プロジェクトの具体化に向けて進展が見られた。バングラデシュからのロヒンギャ難民の帰還は年内に開始されなかった。
3月下旬,かねてより体調不良の報じられていたティンチョー大統領が辞任し,直後に下院議長を辞したウィンミンが両院合同の連邦議会によって新大統領に選出された。しかし,スーチー国家顧問が依然として政権の指導的立場を占め続けており,大統領の役割は限られている。新下院議長には副議長であった無所属のT・クンミャッが,新下院副議長にはNLDのトゥントゥンヘインが就任した。
執政府では,経済関連省庁で閣僚交代や組織改編があり,実務経験の豊富な人材が登用された。1月,ウィンカイン建設大臣兼電力・エネルギー大臣の兼任が解かれ,ベテラン建設技官のハンゾーが建設大臣に就任した。また,5月には不正疑惑で反腐敗委員会の調査対象となっていたチョーウィン計画・財務大臣が辞職し(のちに同委員会は収賄の証拠はなかったと発表),長年にわたって国営銀行業務に携わったソーウィンが後任に就いた。11月には,新たに投資・対外経済関係省が設立され,その長にタウントゥン連邦内閣府付大臣が異動した( 「経済」の項目参照)。後任の連邦内閣府付大臣には,ミントゥ同副大臣が就いた。
補欠選挙と各政党の動き現政権下での2度目の補欠選挙が11月3日に開催された。今回は現職議員の死亡と辞職によって空席となった13議席(上院1,下院4,地方議会8)が争われた。補選は議会の議席配分の大勢に影響を与えないものの,2020年の次期総選挙が近づくなかで,目下の政治動向を観測するための材料として注目される。
2015年総選挙では,上記の13議席のうち11議席をNLDが占め,残り2議席をシャン民族民主連盟(SNLD)とヤカイン民族党(ANP)が獲得していた(下院シャン州ライカ選挙区とヤカイン州議会ヤテーダウン第2選挙区)。しかし,今回の補選でNLDの獲得議席数は7つに留まった。国政選挙では,下院の4選挙区で2015年と同様の結果となり,NLDが3議席,SNLDが1議席を維持したものの,上院のカチン州第2選挙区で連邦団結発展党(USDP)が勝利し,NLDが議席を1つ減らした。地方議会選挙では,ザガイン管区域議会とヤンゴン管区域議会でUSDPが,またチン州議会でチン民主連盟(CLD)が,それぞれ1議席ずつNLDから奪った。ヤカイン州議会ヤテーダウン第2選挙区では,ANPが無所属候補に議席を譲った(ヤカイン州情勢は別項で後述)。
NLDは,全国民の「結集した強さ(スーパウン・インアー)」を2018年の標語とし,ミャンマーのあらゆる民族,あらゆる地方を代表しうる全国政党であるとの自負をもって,すべての選挙区に候補者を送り込んだ。しかし,前年の補選同様,多数派ビルマ民族の多く住む「管区域」部でNLDへの支持が厚く,少数民族の存在感が大きい「州」部でNLDへの支持が薄いという傾向がみられた(USDPが議席を獲得したザガイン管区域とヤンゴン管区域の選挙区は,それぞれ少数民族と公務員が多いという点で,管区域部の特殊事例といえる)。近年,政府・与党とその支持者のあいだでは,スーチー国家顧問の父親でミャンマー独立の英雄であるアウンサンをナショナル・シンボルとして顕彰する活動(伝記映画製作や銅像設置など)が盛んだが,少数民族の多く住む地域では,銅像設置が地元住民からの反発を招く事例が複数報告されており,NLDの自己主張と現実との乖離が浮き彫りになっている。
NLDとは対照的に,野党第一党のUSDPが採った戦略は,少数民族政党が強勢であったりNLDと拮抗していたりする一部選挙区への候補者擁立を控えるというものだった(下院シャン州ライカ選挙区,チン州議会マトゥピ第1選挙区,ヤカイン州議会ヤテーダウン第2選挙区)。これらの選挙区では,地元の少数民族政党や無所属候補者が勝利した。他方で,少数民族政党の側でも,これまで単独の強力な少数民族政党が存在していなかった諸地域において,同一の民族名称を冠した複数の政党が合併し,当該地域内での第三極を形成しようとする動きがみられた。具体的には,カチンの3政党,チンの3政党,カレンの4政党,モンの3政党がそれぞれ,2020年総選挙を見据えて年内に合併に合意した。今回,カチン州やチン州の選挙区で開催された補選では,合併政党の登録こそ間に合わなかったものの,合併予定の少数民族政党間で一定の選挙協力がみられた。
2020年総選挙に向けたもうひとつの注目すべき動きとして,1988年民主化運動を先導したかつての学生たちによる新党設立がある。同運動は,それまで四半世紀つづいたネーウィン軍事独裁政権を民衆の決起によって終焉させた画期的出来事として,ミャンマー国民に記憶されている。当時,重要な役割を担った学生運動の指導者たちは,政治囚としての長期の収監を経て,2012年にテインセイン政権の恩赦で釈放されたが,その後は政党に属さず,NLDと一線を画する活動をおこなってきた。しかし,運動30周年の節目となる本年,元学生指導者のコーコーヂーらが中心となって政党を設立した(ただし,最も著名な指導者ミンコーナインは同党に加わらず,在野の立場を維持した)。この新党は登録の際,「8888」(ビルマ語では「8が4つ」を意味する「シッレーロン」)を党名に用いようとした。1988年民主化運動では,当初の学生主体の運動が,8月8日に全国規模・国民規模に拡大したため,その年月日から8888という数字が現在でもとりわけ象徴的な意味合いをもつ。しかし,8888は全国民の象徴であり,一政党が用いるのは不適切だという批判が多数寄せられたため,新党は改名を余儀なくされ,最終的には「人民党」として登録された。人民党は改名による登録の遅れもあって今回の補選には参加しなかったが,2020年総選挙でのひとつの注目点となるだろう。
和平プロセスが停滞するなかで国軍が停戦宣言NLDが州部で支持を得られない背景には,政権発足以来,最優先事項として少数民族武装勢力との停戦・和平実現に取り組んできたにもかかわらず,進展が芳しくないことがある。和平プロセスは,前USDP政権が8つの少数民族武装組織と締結した全国停戦協定(NCA)を基本的枠組みとして進められてきた。2月には,NLD政権になって初めて新規のNCA署名が実現し,新モン州党(NMSP)とラフ民主連合(LDU)の2組織が加わって署名組織の数は10に増えた。しかし,依然として多くの有力な武装組織がNCAに未署名であること,各地で戦闘が継続していること,署名組織との政治対話も進みが遅いことなど,問題は山積している。
数度の開催延期の後,7月11日から6日間にわたって第3回「21世紀のパンロン」会議が開かれた。「21世紀のパンロン」会議は,政府・国軍・政党と全NCA署名組織との政治対話の場として設けられたもので,今回は14事項で合意に至った。前年5月の第2回会議で合意された37事項を含めて計51事項がこれまでに合意されたことになる。とはいえ,軍事・安全保障や連邦制のあり方などの最重要事項がいまだ議論されていないうえに,初日の演説でミンアウンフライン国軍最高司令官が少数民族武装組織の側に内戦継続の責任があるとの発言をし,会議中にも国名変更や和平プロセスへの女性の参加比率割当といった論点で国軍が強硬な反対姿勢を示したため,署名組織は不信感を募らせた。10月から11月にかけて,署名組織のうちでも有力なカレン民族同盟(KNU)とシャン州復興評議会(RCSS)が,和平プロセスへの参加を中断すると発表した。
他方で,前年に「連邦政治交渉協議委員会」(FPNCC)という組織連合を形成した7つの未署名組織は,中国の仲介によって政府との非公式協議を継続し,7月の第3回「21世紀のパンロン」会議にもオブザーバー参加した。FPNCCはNCAの枠組みの修正を要求しており,まだ政府・国軍との妥協点に至ってはいないが,同会議において各組織と国軍指導層との個別会談が実現した。さらに,年末になって大きな展開があった。12月12日,FPNCCに加盟するミャンマー民族民主連盟軍(MNDAA),アラカン軍(AA),タアン民族解放軍(TNLA)の3組織(北部同盟を自称)が,政府の交渉窓口である和平委員会と中国雲南省の昆明で協議した後,和平プロセスに参加する意向を表明した。これを受けて和平委員会は同日,3組織との2者間停戦協定締結およびNCA署名に向けて取り組んでいくと発表した。同月21日には,国軍が3組織への応答として,2019年4月30日までの4カ月間,北部および北東部の戦闘地域において一切の軍事行動を取らないという一方的停戦を宣言した。上記3組織は数年来,国軍と激しい戦闘を繰り返しており,国軍が3組織の和平プロセスへの参加を認めなかったことがプロセス全体の阻害要因となっていた。そのため,政府と国軍が3組織の意向を受け入れ,しかも国軍が異例の一方的停戦を宣言するというニュースは,多くの人々を驚かせた。
ヤカイン情勢:難民帰還遅滞,アラカン軍台頭,エーマウン新党バングラデシュ国境に近いヤカイン州北部では,近年,ムスリムのロヒンギャ民族と州の多数派である仏教徒のヤカイン民族との対立が深刻化して不安定な状況が続いており,政府・軍の関与や難民の国外流出,諸外国や国際機関の思惑も絡んで全国的・国際的な関心の的となっている。とくに前年の2017年後半には,武装勢力であるアラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)による国境ポスト襲撃の後,国軍が苛烈な掃討作戦を展開するなかでロヒンギャ難民のバングラデシュへの大量流出が発生し,ミャンマーは国際的非難にさらされた。2018年初頭には,バングラデシュ側の難民数が約100万人にも上るという未曽有の事態となった。ミャンマー政府は国際社会からの批判に反駁しながら,独自の調査委員会を組織したり,バングラデシュ側と協議して難民帰還準備を進めたりしたが,年内に難民帰還の目途は立たなかった( 「対外関係」の項目参照)。衛星画像の解析などに基づくロイター通信の報告によると,政府は複数の村落でロヒンギャが以前住んでいた家々をブルドーザーで一掃し,そこに治安組織の駐屯地や新しい住居を建設して仏教徒の移住を奨励するとともに,帰還する難民たちをまとめて隔離するための再定住区を建設しているという( Reuters,2018年12月18日)。
他方で,州内ではヤカイン民族の独自の民族性を主張し,同民族の権利向上を訴える運動が盛り上がりをみせ,NLD主導の政府(連邦政府および州政府)や国軍との緊張が高まった。かつてのヤカイン王国の都ムラウウーで1月16日,開催が予定されていた王国滅亡233周年記念集会が行政によって直前に中止され,抗議のために行政庁舎へと押し寄せた数千人の市民に対して警察が発砲,7人が死亡する事態となった。前日の15日には,同様の記念集会がヤテーダウンで開催されたが,州の代表的政治家で現職下院議員のエーマウンはその会場で武装蜂起によるヤカイン民族の主権回復を促す演説をしたとされ,18日に国家反逆罪などの容疑で逮捕された。その後,同月30日には,ムラウウーでの事件発生時に同郡の行政長であった人物(事件後に異動)が何者かに殺害された。また,2月24日には州都シットウェで3つの爆弾が爆発した。両事件の真相は明らかになっていないが,反政府武装勢力AAの関与が疑われた。AAは比較的新しい組織であり,2009年にカチン独立軍(KIA)の援助のもとに設立され,カチン州の翡翠鉱山へのヤカイン人出稼ぎ労働者をリクルート対象として, KIA,MNDAA,TNLAなどとともにミャンマー北部・北東部を拠点に活動してきた。しかし,2015年以降は西部のヤカイン州や隣接するチン州南部にも活動範囲を拡げ,ヤカイン州住民から一定の支持を得ているとみられる。2018年末には,この地域でAAと国軍の激しい衝突が生じた(国軍の一方的停戦宣言は北部・北東部を対象としたもので,ヤカイン州・チン州は対象外)。
2020年選挙に向けた政治情勢にも動きがあった。州内で高い人気を誇る政治家エーマウンは,前年末に自らが党首であったANPを離党したが,1月に逮捕された後,裁判中に新党のヤカイン前衛党(AFP)を設立した。11月3日の補選には政党登録が間に合わなかったが,ヤカイン州議会ヤテーダウン第2選挙区に自身の息子ティンマウンウィンを無所属候補として出馬させ,ANPの候補者に勝利した。ANPは2010年総選挙後に2つの主要民族政党が合流してできた政党で,2015年総選挙では州内の選挙区で圧倒的な強さをみせ,国政の第3党,州議会の第1党となった。しかし,2017年には党内の不和からヤカイン民主連盟(ALD)が分離し,次いで党首エーマウンが離党していた。新党AFPの設立により,このままいけば2020年総選挙では3つの民族政党が競い合うことになる。
ロイター通信記者に有罪判決NLDが政権を握ってから,予期に反して言論の自由に対する抑圧的状況が生まれていることがしばしば報告されている。なかでも,ヤカイン州北部でのロヒンギャ迫害を取材していたロイター通信のミャンマー人記者2人――ワロン記者とチョーソーウー記者――が,国家機密法違反の容疑で逮捕・起訴され,裁判で有罪判決を受けたことは,国際社会からも注目される象徴的な事例となった。
両記者が調査していたのは,国軍がARSA掃討作戦を展開した2017年9月にインディン村で起きたロヒンギャ10人の超法規的殺害についてである。同年12月,取材対象の警察官とヤンゴンのレストランで面会した直後に,両記者は国家機密を含む文書を所持していたとの理由で逮捕され,2018年1月に起訴された。国際社会が言論弾圧だと非難するなかで裁判は進められ,4月20日の予備審問では,検察側の証人として出廷した警察官の1人が,ロイター記者の逮捕は警察によって仕組まれたものだったと検察に不利な証言をした(同警察官はその後,警察官懲戒法に基づいて罷免・収監された)。しかし,9月3日の第一審判決では両記者に禁錮7年の有罪判決が下され,弁護側は11月に上訴した。
法廷の外側では,ロイター通信が 2月8日,逮捕された記者たちの取材に基づくインディン村事件についての詳細なレポートを「ミャンマーの虐殺」と題してウェブに掲載し,軍人と仏教徒住民によってロヒンギャ10人が殺害されたと報じた。これに先立つ1月10日には,国軍が自らの調査結果を発表し,一部の軍人・警察官と村民が「10人のベンガル人テロリスト」を殺害したと認めていた。さらに4月10日には,国軍は関与した7人の軍人を免職したうえで10年の懲役刑に処したと発表した。交戦規定外の殺害を国軍が公式に認め,軍人に処分を下すのは異例のことである。しかし,国軍の説明では,10人の殺害はあくまでも非常事態におけるテロリストへの対処であったことが強調されるとともに,ロイター記者の裁判は機密文書の保持に関するものでインディン村の事件とは直接関係がないという立場が貫かれた。政府の示した見解も国軍と同様のものであった。
会計年度の始期が従来の4月から10月へと変更された。2017/18年度が3月に終了した後, 4月から9月までの半年間の変則的な2018年度を経て,10月から新しい2018/19年度へと移行した。毎年6月頃から9月頃まで続く雨季には経済が停滞するため,雨季明けの10月に年度の開始を合わせたのが変更の理由とされる。しかし,喫緊の課題が数多くあるなかで,混乱を招く恐れのある年度変更を優先させて断行したことに対しては多くの批判が出た。
実際のところ,経済は高い成長を続けているが,失速気味である。実質GDP成長率は,落ち込みをみせた2016/17年度の5.9%から2017/18年度の6.8%へと一度は回復したものの,2018年度から2018/19年度にかけて若干の低下が見込まれている。国際通貨基金(IMF)の調査チームは12月,2018年度の年換算成長率を6.2%,2018/19年度の成長率を6.4%と予測した(IMF Press Release No.18/472, December 2018)。同月,世界銀行(世銀)の調査チームも2018年4月から2019年3月までの成長率を6.2%と予測した(World Bank Group, Myanmar Economic Monitor, December 2018)。IMFも世銀も,本年の前半にはミャンマーの2018年度から2018/19年度にかけての成長率を約7%と見積もっており,年末までにその予測を大幅に下方修正したことになる。下方修正の理由のうち,重要なものとして投資の減少と観光の伸び悩みが挙げられるが,これらは前年半ばからのロヒンギャ問題でミャンマーの国際的評判が著しく低まったことと関係しているだろう( 「対外関係」の項目参照)。
とはいえ,IMFと世銀は,ミャンマー政府の後述の対策を評価し,さまざまなリスクを指摘しつつも,中長期的にはミャンマーの成長率が回復に向かうと予測している。なお,国連貿易開発会議(UNCTAD)は3月に,ミャンマーが後発開発途上国(LDC)の卒業要件を満たしたと発表した。2021年に再度要件を満たせば2024年に卒業となる。
投資の減少と対策投資企業管理局(DICA)によると,2018年の暦年の対内直接投資は認可ベースで195件(前年比16.7%減)34億4000万ドル(同56.3%減)であり,新規の外国投資は大幅に減少した。ロヒンギャ問題の影響に加えて,8月の会社法施行(制定は前年末)を待っての投資控えもあり,とくに年の前半には投資が低調であった。
このような状況下で,政府は次々に投資促進策を打ち出した。制度面では近年,ミャンマー投資法や会社法といった基礎的な法整備が進んでいたが,5月の政府通達により,これまで内国企業保護の立場から外資導入に慎重であった卸売り・小売り分野において,100%外資による投資が一定条件下で認められた。8月に施行された新しい会社法は,外資が35%以下の企業を内国企業として定義しており,同法の施行が外資流入の呼び水になることが期待されている。11月には,中央銀行が,外国銀行の地場銀行向け融資に対する規制緩和を実施した。
また,8月に政府は,ミャンマーが平和で繁栄した民主的な国家になるための長期的なヴィジョンを示す「ミャンマー持続的発展計画」(MSDP)を発表した。MSDPは,従前のさまざまな政策や制度に一貫性をもたらし,省庁横断的な政策の優先順位付けや調整を可能にすることが謳われており,国連の「持続可能な開発目標」(SDGs)とも整合する28の戦略と251の行動計画から構成される。
組織面では,6月にミャンマー投資委員会(MIC)が再編された。従来は,チョーウィン計画・財務大臣がMIC委員長を兼ねていたが,同大臣の辞任後,タウントゥン連邦内閣府付大臣がMIC委員長に就任し,委員の数が11人から13人に拡充された。計画・財務大臣とMIC委員長の職務を分離して前者の負担を軽減するとともに,外交官としての経験が豊富なタウントゥンを後者の任に就けることで,国際社会への訴求力を高めるのがねらいとみられる。就任後,タウントゥンMIC委員長は国内外で積極的に投資促進セミナーを開催し,ミャンマーの投資環境は改善されたと主張した。とくに香港には6月と10月の2度にわたって訪問し,その都度,林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官とも会談しており,香港を投資元として重要視する姿勢が示された。
さらに政府は,10月発表のミャンマー投資促進計画のなかで省庁横断的な組織を設立する必要性を説いたが,早くも11月19日には同計画を具体化し,計画・財務省傘下にあったDICAと対外経済関係局の2部局を新たに投資・対外経済関係省として独立させ,タウントゥンMIC委員長を同省の大臣に据えた。
拡大・多角化する貿易貿易は輸出入ともに増加したが,とくに輸出の伸びが大きく貿易赤字幅が減少した。商業省によると,2017/18年度の輸出総額は148億5000万ドル(前年比23.8%増),輸入総額186億9000万ドル(同8.6%増)であった。輸出の伸びが輸入を大きく上回り,貿易赤字幅は前年から26.4%減少した。2018年4月から12月までの9カ月間(2018年度半年間と2018/19年度第1四半期)の数値をみると,輸出総額124億8000万ドル(前年同期比16.9%増),輸入総額144億ドル(同5.5%増)で,貿易赤字幅は前年同期から35.5%減少した。貿易規模の拡大に若干の鈍りがみられるものの,貿易赤字幅減少の傾向は強まっている。
2017/18年度の輸出総額に占める主要品目輸出額の割合は,中央統計局(CSO)によると,天然ガス23.6%,縫製品17.5%,コメ7.7%,卑金属6.2%,豆類5.5%,翡翠5.1%であった。従来,ミャンマーの輸出は近隣国への天然ガス輸出に依存するところが大きかったが,近年は縫製品輸出が急速に拡大している。縫製品の輸出額とその輸出総額に占めるシェアは,2015/16年度の8億6000万ドル(7.7%)から,2016/17年度の18億8000万ドル(15.7%)を経て,2017/18年度に25億9000万ドル(17.5%)に達した。世銀チームによると,この傾向は2018年度にも続いている(世銀,前掲報告書)。
ミャンマー最大の貿易相手国は依然として中国であり,貿易全体の3割以上を対中国貿易が占めている(以下,商業省発表値)。2017/18年度の対中国貿易のシェアは輸出総額の38.4%,輸入総額の32.6%であった。2018年4~12月の数値では,それぞれ31.2%,32.2%であり,輸出における対中国貿易の割合が低下した。これは,縫製品輸出の拡大に伴ってアメリカやヨーロッパ諸国,日本などへの輸出が急増し,貿易相手の多角化が進んだためである。とくに欧州連合(EU)は,2013年に武器禁輸以外の経済制裁を解除して以来,ミャンマーに対して一般特恵関税を適用しており,ミャンマー製品の主要な市場のひとつとなってきた。輸出総額に占めるEU向け輸出(加盟国への輸出額の合計値)のシェアは,2015/16年度3.1%,2016/17年度6.9%,2017/18年度11.0%と順調に増加した。2018年4~12月には,EU向け輸出は17.6%にもなり,国別輸出額で第2位であるタイ(シェア18.6%)に迫る勢いである。しかし,ロヒンギャ問題などでの人権侵害を重くみたEUは,ミャンマーへの一般特恵関税適用を撤回する可能性があると10月末に発表した。適用撤回となれば,貿易の拡大・多角化の傾向にブレーキがかかることは必至だろう。
チャットの記録的下落,インフレ,最低賃金改定為替は,年の前半は1ドルおよそ1330~1360チャットの範囲内で緩やかに推移したが,6月後半以降,チャットが急速に下落し,9月第3週には1ドル約1600チャットに至った。20%近い記録的な下げ幅となったチャット下落は,アメリカの金融政策などの国際的要因と外貨準備高の低さなどの国内的要因の双方によると考えられている(世銀,前掲報告書。なお,IMFによると2017/18年度の外貨準備高は49億1000万ドル)。6月当初の下落は,アメリカでの利上げ加速の観測が浮上したことによるものと考えられ,8月半ばまでチャットの動きは東南アジアの他の通貨と似た動きを見せていた。8月13日に中央銀行がより完全な変動相場制への移行を企図して,従来定めていた許容変動幅(基準レートからプラスマイナス0.8%)を廃止して以降,チャット相場の動きがいっそう不安定になり,10月半ばになってようやく1ドル1550チャット前後の水準に落ち着いた。
チャットの下落はインフレにも拍車をかけた。インフレ率は2016/17年度に6.7%,2017/18年度に4.0%と低下傾向を示していた(CSO発表の消費者物価指数から計算)。しかし,世銀チームによると,2018年度に急速にインフレが進んだ。月ごとの前年比インフレ率は,4月の5.9%から8月には8.2%にまで上昇した(世銀,前掲報告書)。
毎年の物価上昇を受けて,最低賃金が改定された。最低賃金策定委員会は1月2日,全国一律で日額4800チャットとする案を発表し,2カ月間の意見募集期間と集まった意見の検討,政府による承認を経て,5月14日には,前述の案のとおりに新しい最低賃金が適用された。従来の最低賃金から33%の引き上げとなる。また,この間の4月には,国家公務員の給与が10~20%引き上げられた。
前年に発生したバングラデシュ側へのロヒンギャ難民の大量流出を受けて,ミャンマー政府はバングラデシュ政府と難民の帰還に向けた話し合いを続けたが,年内には公式の帰還事業は開始されなかった。当初,両国は前年11月の合意に基づき,難民帰還に向けた共同ワーキンググループを設置し,1月23日に難民の帰還事業を開始する予定であった。ミャンマー政府が受け入れ準備は整っていると主張する一方で,ほとんどの難民は国籍付与や安全確保・生活保障などの条件が整わないかぎり帰還を望んでおらず,国際社会も慎重な対応を求めたために帰還は延期された。6月6日,ミャンマー政府は国連開発計画(UNDP)および国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と難民受け入れプロセスでの協力に関するMoUを締結し,国連の関与に道が開かれた。バングラデシュとも閣僚の往来などによって議論が重ねられ,二国間での解決を後押しする中国の仲介で10月末に開催された共同ワーキンググループ会合で,両国は改めて11月15日から帰還を開始することに合意した。まずは485家族2260人を1日150人ずつのペースで送還するという計画であった。しかし,やはり自発的に帰還を望む難民がいないとの理由で,バングラデシュは難民の送還を行わず,年末に同国での選挙が控えていることもあって,帰還事業は次年に先送りにされた。
難民流出を引き起こした状況の真相解明を求める国際的な圧力も依然として大きかった。4月末から5月初めにかけて来訪した国連安保理の視察団は,ミャンマー政府関係者の案内でヤカイン州を視察し,さらなる調査の必要性を指摘した。前年に国連人権理事会が組織した実情調査委員会は,ミャンマー国内への入国許可を与えられなかったが,バングラデシュ側難民キャンプでの聞き取り調査などにもとづいて,8月27日,ヤカイン州北部でのジェノサイド,ならびにヤカイン州,カチン州,シャン州での人道に対する罪および戦争犯罪の容疑で,国軍最高司令官ミンアウンフラインを含む国軍指導者に対する調査と訴追を求めた(完全版の報告書は9月18日に提出)。これと関連して,個人による戦争犯罪などの国際犯罪を裁く独立した常設裁判所である国際刑事裁判所(ICC,オランダのハーグに所在)が,ロヒンギャ問題についての管轄権を有するかどうかが論点となった。バングラデシュはICC設置を定めたローマ規程の締約国だが,ミャンマーは非締約国のためである。4月にICC検察局は管轄権の有無についての裁定を同予審裁判部に要求しており,9月6日に予審裁判部は管轄権を有するとの判断を示した。
その他の国際社会の動きとしては,6月25日にEUとカナダが同時に,ヤカイン州での深刻な人権侵害に関与したとして軍・警察の将校7人に制裁を発動した。また,国連人権理事会実情調査委員会の報告が発表された8月27日には,ソーシャル・ネットワーキング・サービスのFacebookが,ミンアウンフライン国軍最高司令官のものを含む約70のアカウントやページを削除した。人権侵害に関与した人物や団体のサービス利用を禁止したのみならず,「一見,独立した個別のニュースや意見ページに見えるものを利用して,ひそかにミャンマー国軍のメッセージを後押ししている」とみなされた多くのアカウントやページが削除され,年末までに削除数は600以上にまで増加した(同社ウェブサイト)。さらに,スーチー国家顧問がASEANサミットに出席するためにシンガポールに発った11月12日,国際人権NGOのアムネスティ・インターナショナルは2009年に同氏に授与していた「良心の大使賞」を剥奪した。
ミャンマー政府は,ジェノサイドであるとの国際社会からの批判やICCの関与に強硬に反対する一方で,外国人を含む自前の諮問委員会や調査委員会を組織することで,真実解明と問題解決に前向きに取り組んでいる姿勢を示そうとした。しかし,前年12月に政府の諮問機関として設置されたヤカイン州勧告実施諮問委員会(委員長:スラキアット元タイ副首相,外国人5人とミャンマー人5人の10人で構成)では,発足間もない1月に,政府との意見対立からビル・リチャードソン委員(元アメリカ・ニューメキシコ州知事)が辞任し,国際社会からは諮問委員会の中立性に疑義が呈された。また,5月末に政府は,同諮問委員会の助言に沿って,ヤカイン州での人権侵害についての独立調査委員会を設置する意向を表明した。この独立調査委員会の委員選定を含むヤカイン問題での対応については,外国人の関与に消極的な国軍と政府とのあいだで見解の相違があり,調整が行われた模様である。6月8日開催の,正副大統領,国家顧問,国軍正副司令官,上下院議長,内務大臣,国防大臣,国境大臣,国家顧問府付大臣,国際協力大臣などが出席する最高レベルの会議では,ヤカイン州問題に関係して,国連機関とのMoU締結や独立調査委員会の人選などについて協議されたという。結局,後者の人選には2カ月を要し,7月30日に外国人2人,ミャンマー人2人からなる委員会が設立された(委員長は,ロザリオ・マナロ元フィリピン外務副大臣)。
対中国関係の緊密化国際社会がミャンマーに圧力をかけるなか,中国はミャンマー政府の立場を支持し続け,ミャンマーと中国の二国間関係は緊密の度合いを強めた。国際外交の舞台で,中国による保護が際立ったのは,11月にシンガポールで開かれたASEANサミットである。ロヒンギャ問題について,アメリカのペンス副大統領やマレーシアのマハティール首相がスーチー国家顧問を厳しく非難したのと対照的に,中国の李克強総理は二者会談でミャンマー政府への支持を改めて強調した。
両国の緊密な関係は,年間を通じてなされた多角的かつ頻繁な要人の相互訪問に表れている。とくに中国側からミャンマーへの渡航が目立ち,外交部の孫国祥アジア担当特使は4回(2月,5月,7月,11月),中国共産党の宋濤・中央対外連絡部部長は2回(4月,11月)来訪した。ミャンマー側からは,ミンスェ副大統領が9月に南寧での中国・ASEAN博覧会に出席したのが最もハイレベルの訪問となった。さまざまなレベルの二国間協議では,主に治安維持・和平プロセスでの協力と経済協力について話し合われた。治安維持については,中国から趙克志公安部長と魏鳳和国防部長の来訪(それぞれ5月と6月),ミャンマーからチョースェ内務大臣の訪中(7月)があったことに加えて,双方の外務省と軍の高官が出席する2プラス2高級協議がネーピードーと昆明で1回ずつ開催された(1月,12月)。国軍と少数民族武装組織との戦闘が継続する国境地域の不安定な状況が,両国の治安維持面での協力の背景にある。
5月12日,シャン州北部の中国国境の町ムセーをTNLAが襲撃し,戦闘で3人の中国人を含む約20人が死亡した。中国はこうした事態が起きたことに遺憾の意を表しつつ,他方で孫国祥アジア担当特使を通じたFPNCCと政府・国軍との仲介や,昆明など中国領内での両者の会談場所の提供,ミャンマー政府の和平プロセス担当部署への多額の寄付金贈与などによって和平プロセスへの関与を深めた。また,両国国境からは遠く離れたヤカイン州とロヒンギャ難民の問題についても,中国はミャンマーとバングラデシュを仲介する重要な役割を担った。6月に中国の王毅・国務委員兼外交部長は,ミャンマーの国家顧問府付大臣とバングラデシュの外務大臣をともに北京に招き,会談の場を設けた。また,9月のニューヨークでの国連総会開催中にも,中国の先導で両国の非公式協議がもたれた。
シャン州のムセーからヤカイン州のチャウッピュー経済特区へとミャンマーの国土を斜めに横断する線は,中国にとって戦略的重要性を持つ。前年に中国が「一帯一路」構想の下で提唱した「ミャンマー・中国経済回廊」(CMEC)は,この線を基軸のひとつにする。本年の後半には,CMECを含む一帯一路関連事業の具体化に向けて著しい進展が見られた。9月9日,北京で両国政府はCMEC建設に関するMoUを締結した。その内容は詳らかになっていないものの,構想の内には数十億ドル規模の巨大プロジェクトが複数含まれていると言われる(Frontier,2018年9月26日)。10月には両国国鉄がムセー=マンダレー間の鉄道建設調査に関するMoUを締結し,11月にはミャンマー政府が中国中信集団とチャウッピュー深海港建設に関する枠組み協定を締結した。ミャンマー国内では,経済発展の推進力としてこれらのプロジェクトに期待が集まる一方で,中国に多額の債務を負う危険性に警鐘が鳴らされてもいる。CMECに関するMoU締結直後の9月11日,ミャンマー政府はスーチー国家顧問が委員長を務める「一帯一路関連事業遂行指導委員会」を設置した。同委員会の役割は,諸プロジェクト実施の際の政府機関相互の調整と統括にある。逆境のなか,経済発展の機会を捉えて事態を好転させられるか,同委員会の舵取りが注目される。
4年目を迎えるNLD政権は,2020年総選挙に向けて,国民に成果を問われる年になる。とくにNLDへの支持が薄い少数民族居住地域では,国軍の停戦宣言を梃に和平プロセスを進展させられるかが重要だが,ヤカイン州での事態の悪化など展望は明るくない。
また,ロヒンギャ問題で国際社会から厳しい視線が向けられ続けるなかで経済発展の軌道を上向けるためには,中国の提供する経済協力が絶好の機会となるが,過大な負債を回避し,環境や国民の福祉など多方面に配慮することで持続可能な発展を目指す必要がある。
(地域研究センター)
1月 | |
2日 | 最低賃金策定委員会,最低賃金を日額4800チャットとする案を発表。 |
9日 | ミンスェ副大統領,カンボジア訪問(~11日)。第2回メコン―ランツァン協力首脳会議に出席。 |
10日 | 国軍,ヤカイン州インディン村での軍人などによる交戦規定外の殺害を認める。 |
11日 | 日本の河野太郎外相,来訪(~13日)。 |
15日 | ネーピードーでバングラデシュとの難民帰還共同ワーキンググループ第1回会合,開催(~16日)。 |
15日 | ラオスのトーンルン首相,来訪(~16日)。 |
15日 | ヤカイン州ヤテーダウンでヤカイン王国滅亡233年記念集会,開催。 |
16日 | ヤカイン州ムラウウーで警察が抗議デモに発砲し,7人死亡。 |
17日 | 第3回ミャンマー中国2プラス2高級協議,ネーピードーで開催。 |
18日 | ヤカイン州の政治家エーマウン,国家反逆罪の容疑で逮捕。 |
20日 | ロシアのセルゲイ・ショイグ国防相,来訪(~22日)。軍事協力協定締結。 |
23日 | ロイター記者2人の裁判,ヤンゴン管区域北部県裁判所で開始。 |
23日 | ティンチョー大統領,健康診断のためにシンガポール訪問(~26日)。 |
23日 | バングラデシュとの前年11月の合意に基づく帰還開始予定日。帰還始まらず。 |
24日 | アウンサンスーチー(以下,スーチー)国家顧問,インド訪問(~27日)。第25回ASEAN・インド・サミットに出席。 |
25日 | 国家顧問府,勧告実施諮問委員会のビル・リチャードソン委員の辞任を発表。 |
30日 | 元ムラウウー郡行政長,殺害。 |
2月 | |
3日 | ミャンマー・中国経済回廊閣僚級会合,北京で開催(~7日)。チョーウィン計画・財務相が参加。 |
6日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,シンガポール訪問(~10日)。 |
8日 | ロイター通信,ヤカイン州インディン村でのロヒンギャ10人の虐殺に関するレポートをウェブに掲載。 |
11日 | イギリスのボリス・ジョンソン外相,来訪(~12日)。 |
13日 | 新モン州党(NMSP)とラフ民主連合(LDU),全国停戦協定(NCA)に署名。 |
13日 | スーチー国家顧問,中国の孫国祥アジア担当特使と会談。 |
15日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,タイ訪問(~16日)。受勲のため。 |
15日 | チョースェ内相,バングラデシュ訪問(~17日)。バングラ側は8000人強の難民のリストをミャンマー側に手交。 |
16日 | カナダ,ロヒンギャ迫害に関与したマウンマウンソー元少将に制裁。 |
24日 | シットウェで3つの爆弾が爆発。 |
3月 | |
8日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,シンガポール訪問(当日)。第15回ASEAN国防軍最高司令官非公式会合に出席。 |
9日 | ミャンマー・中国・バングラデシュ電力貿易イニシアティヴ3カ国会議,開催。 |
14日 | ミンスェ副大統領,モロッコ訪問(~21日)。クラン・モンタナ・フォーラム出席。 |
15日 | 国連貿易開発会議,ミャンマーが後発開発途上国の卒業要件を満たしたと発表。 |
16日 | スーチー国家顧問,オーストラリア訪問(~20日)。ASEAN・オーストラリア特別首脳会議に出席。 |
21日 | ティンチョー大統領,辞任。 |
28日 | 中国の何厚鏵・全国政治協商会議副主席,来訪(~4月1日)。 |
30日 | ウィンミン大統領,就任。 |
30日 | ヘンリーヴァンティウ副大統領,ベトナム訪問(~4月1日)。第6回大メコン圏サミットに出席。個別会談はベトナム,中国。 |
31日 | ヤンゴン管区域政府,郊外再開発のための新ヤンゴン開発会社を設立。 |
4月 | |
9日 | 国際刑事裁判所検察部,ロヒンギャ問題の管轄権有無について裁定要求。 |
10日 | 国軍,ヤカイン州インディン村の事件に関与した軍人7人を免職し,10年の懲役刑に処したと発表。 |
11日 | ウィンミャッエー社会福祉・救済・復興相,バングラデシュ訪問(~13日)。ミャンマー閣僚として難民キャンプ初視察。 |
17日 | 大統領恩赦で囚人8541人解放。 |
19日 | スーチー国家顧問,ベトナム訪問(~20日)。 |
20日 | ロイター記者の裁判の予備審問で,検察側証人の警察官が逮捕は警察によって仕組まれたものだったと証言。 |
21日 | ヤンゴン管区域フラインターヤー郡区のゴミ処理場で大規模火災。 |
23日 | 韓国の金鉉宗・通商交渉本部長,来訪(当日)。 |
24日 | 中国の宋濤・党中央対外連絡部部長,来訪(~25日)。 |
24日 | タウントゥン連邦内閣府相,ロシア訪問(~28日)。 |
26日 | ウィンミン大統領,シンガポール訪問(~28日)。第32回ASEANサミット出席。 |
29日 | 政府,公務員給与を4月から10~20%引き上げると発表。 |
30日 | 国連安保理視察団,来訪(~5月1日)。 |
5月 | |
8日 | インドネシアのウィラント政治・法務・治安担当調整相,来訪(当日)。 |
8日 | 中国の趙克志公安部長,来訪(~10日)。 |
9日 | 商業省,一定条件下で卸・小売り分野への100%外資による投資を認める。 |
10日 | インドのスシュマ・スワラージ外相,来訪(~11日)。 |
12日 | シャン州中国国境の町ムセーをタアン民族解放軍が襲撃。3人の中国人を含む約20人が死亡。 |
14日 | 政府,最低賃金を日額4800チャットに決定・施行。 |
17日 | ミャンマー・バングラデシュ難民帰還共同ワーキンググループ第2回会合,ダカで開催。 |
18日 | 中国の王正偉・全国政治協商会議副主席,来訪(~22日)。 |
22日 | 中国の孫国祥アジア担当特使,国家顧問および国軍最高司令官と会談。 |
25日 | チョーウィン計画・財務相,辞任。 |
31日 | 政府,ヤカインでの人権侵害についての独立調査委員会設置の意向を表明。 |
6月 | |
6日 | 政府,国連開発計画および国連難民高等弁務官事務所と難民受け入れプロセスでの協力に関するMoU締結。 |
6日 | 第2回ミャンマー・EU経済フォーラム,開催。 |
8日 | ヤカイン問題について協議する政府の最高レベル会議,開催。 |
10日 | チョーティンスウェ国家顧問府相,日本訪問(~13日)。 |
12日 | 国連のクリスティン・バーゲナー事務総長特別顧問(ミャンマー担当),初来訪(~21日)。 |
13日 | ホセ・ラモス・ホルタ元東ティモール大統領,来訪(~16日)。 |
14日 | ウィンミン大統領,タイ訪問(~16日)。第8回エーヤーワディ・チャオプラヤ・メコン経済協力戦略会議サミット参加。 |
14日 | アメリカのマシュー・ポッティンジャー国家安全保障会議上級部長,来訪(~16日)。 |
15日 | 中国の魏鳳和国防部長,来訪(当日)。 |
16日 | ミャンマー投資委員会(MIC),再編。 |
25日 | EUとカナダ,ロヒンギャ迫害に関与した軍・警察の将校7人に制裁。 |
25日 | マンウィンカインタン上院議長,中国訪問(~29日)。 |
27日 | タウントゥンMIC委員長,香港で「一帯一路」サミットに参加(~29日)。 |
28日 | チョーティンスウェ国家顧問府相,中国の北京で中国外交部長とバングラデシュ外相と三者会談。 |
7月 | |
3日 | 訪中中のチョースェ内相,北京で第6回法執行・安全保障協力閣僚級会議に参加。 |
7日 | 中国の黄坤明・党中央政治局委員兼中央宣伝部部長,来訪(~10日)。 |
10日 | 国連の徐浩良事務次長補,来訪(~12日)。 |
11日 | 第3回「21世紀のパンロン」会議,開催(~16日)。 |
19日 | チョーティン国際協力相,インドで第10回デリー対話に参加(~20日)。別途,インド外相と会談。 |
23日 | ラオスのサルームサイ・コンマシット外相,来訪(~24日)。 |
26日 | スーチー国家顧問,カレン州の洪水被害地を慰問。大雨で全国的な洪水被害。 |
31日 | 大統領府,ヤカインの人権侵害問題についての独立調査委員会のメンバーを決定。 |
8月 | |
1日 | 新会社法,施行。 |
6日 | 中国のバヤンチョル吉林省党委書記,来訪(当日)。 |
6日 | 日本の河野太郎外相,来訪(当日)。 |
9日 | バングラデシュのアブル・ハサン・マームード・アリ外相,来訪(~12日)。 |
13日 | タイのドーン・ポラマットウィナイ外相,来訪(~15日)。国交樹立70周年記念。 |
13日 | 中央銀行,基準為替レートからプラスマイナス0.8%の許容変動幅を廃止。 |
16日 | ヤカイン州勧告実施諮問委員会(スラキアット委員長),最終報告書を政府に提出。 |
19日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,ロシア訪問(~26日)。 |
19日 | スーチー国家顧問,シンガポール訪問(~22日)。 |
27日 | 国連人権理事会の実情調査委員会,ヤカイン州北部でのジェノサイドほかの容疑で国軍指導者を調査・起訴すべきと報告。 |
27日 | Facebook,国軍最高司令官などのアカウント削除。 |
28日 | ウィンミン大統領,ネパール訪問(~31日)。第4回「環ベンガル湾多分野経済技術協力」(BIMSTEC)サミットに出席。 |
28日 | 政府,ミャンマー持続的発展計画を発表。 |
9月 | |
3日 | ロイター記者2人に禁錮7年の有罪判決。 |
6日 | 国際刑事裁判所予審裁判部,ロヒンギャ問題の管轄権を認める。 |
9日 | 北京でミャンマー・中国経済回廊建設に関するMoU,締結。 |
10日 | ミンスェ副大統領,中国訪問(~14日)。南寧で第15回中国・ASEAN博覧会などに参加。 |
11日 | 政府,一帯一路関連事業遂行指導委員会を設置。 |
11日 | スーチー国家顧問,ベトナム訪問(~13日)。ASEAN世界経済フォーラム,出席。 |
16日 | 中国の丁仲礼・全国人民代表大会副委員長,来訪(~18日)。 |
18日 | 国連人権理事会の実情調査委員会,完全版報告書を提出。 |
19日 | イギリスのジェレミー・ハント外相,来訪(~20日)。 |
24日 | チョーティンスェ国家顧問府相,アメリカ・キューバ訪問(~10月9日)。ニューヨークで第73回国連総会に出席。 |
10月 | |
1日 | 日本人・韓国人観光客へのビザ免除,中国人観光客への致着ビザによる入国許可,開始。 |
5日 | スーチー国家顧問,訪日(~10日)。第10回日メコンサミットに参加。 |
10日 | ミンアウンフライン国軍最高司令官,ラオス訪問(~13日)。 |
11日 | 選挙管理委員会,ヤカイン前衛党の結党を承認。 |
11日 | ウィンミン大統領,インドネシア訪問(~12日)。バリでのASEAN指導者会合に出席。 |
16日 | 香港でミャンマー投資促進セミナー,開催。タウントゥンMIC委員長が参加。 |
18日 | 政府,ミャンマー投資促進計画発表。 |
22日 | 中国とムセー=マンダレー間の鉄道建設調査に関するMoU締結。 |
27日 | カレン民族同盟(KNU),和平プロセスへの参加を中断。 |
29日 | ミャンマー・バングラデシュ難民帰還共同ワーキンググループ第3回会合,ダカで開催(~30日)。 |
31日 | EUのモニタリング調査団,一般特恵関税待遇の取り下げもありうると発表。 |
11月 | |
1日 | シャン州復興評議会(RCSS),和平プロセスへの参加中断を表明。 |
3日 | 補欠選挙,開催。 |
5日 | シンガポールのヴィヴィアン・バラクリシュナン外相,来訪(当日)。 |
5日 | ロイター記者の弁護士,上訴。 |
6日 | 中国の宋濤・党中央対外連絡部部長,来訪(~7日)。 |
8日 | 政府,中国中信集団(CITIC)とチャウッピュー深海港建設の枠組み協定締結。 |
8日 | 中央銀行,外国銀行の地場銀行向け融資に対する規制緩和。 |
9日 | 中国の孫国祥アジア担当特使,国家顧問と会談。 |
12日 | スーチー国家顧問,シンガポール訪問(~16日)。ASEAN,APEC関連会議出席。 |
12日 | 国際人権NGOのアムネスティ・インターナショナル,スーチーに2009年に授与していた「良心の大使賞」を剥奪。 |
15日 | バングラデシュとの10月末の会合で決められた難民帰還予定日。帰還始まらず。 |
19日 | 政府,新たに投資・対外経済関係省を設立。タウントゥン大臣就任。 |
26日 | 中国の寧吉喆・国家発展改革委員会副主任,来訪(当日)。 |
29日 | スーチー国家顧問,ネパール訪問(~12月2日)。アジア太平洋サミット参加。 |
12月 | |
3日 | 中国の陳豪・雲南省党委書記,来訪(~4日)。 |
10日 | インドのラーム・ナート・コーヴィンド大統領,来訪(~14日)。 |
12日 | 中国の昆明で政府和平委員会(PC)と北部同盟3組織の協議。後者は和平プロセスを進めるために政府と協力すると表明。PCはこれら3組織と2者間停戦協定締結,NCA署名に向けて対話を続ける意向を表明。 |
12日 | オーストラリアのマリズ・ペイン外相,来訪(~13日)。 |
13日 | 国連の徐浩良事務次長補,来訪(当日)。 |
16日 | チョーティン国際協力相,ラオス訪問(~17日)。第4回メコン―ランツァン協力閣僚級会議に参加。中国と個別会談。 |
18日 | 第4回ミャンマー中国2プラス2高級協議,中国雲南省の昆明で開催。 |
21日 | 国軍,北部および北東部の戦闘地域において4カ月間の一方的停戦を宣言。 |
(出所)連邦議会ウェブサイト,各種報道より作成。
(注)政党はNLD:国民民主連盟,USDP:連邦団結発展党,MNP:モン民族党。
(出所)各種報道より作成。
(注・出所)資料③に同じ。
(注)2017/18年度までは4月始まり。2018年度は4~9月の半年間。2018/19年度は10月始まり。人口は,アジア開発銀行の推定値。籾米生産高と消費者物価指数は中央統計局(CSO)の数値。為替レートは2017/18年度以前はCSOの数値,2018年度と2018/19年度はそれぞれ中央銀行の4~9月,10~2月の基準為替レート平均値。
(出所)Central Statistical Organization, Statistical Yearbook 2017; Selected Monthly Economic Indicators, April 2018; Asian Development Bank, Key Indicators for Asia and the Pacific, 2018; Central Bank of Myanmar, Reference Exchange Rate History Website(http://forex.cbm.gov.mm/index.php/fxrate/history).
(注)2010/11年度生産者価格に基づく。2015/16年度以前はCSOの数値,2016/17年度以降はADBの数値。
(出所)Central Statistical Organization, Statistical Yearbook 2017; Asian Development Bank, Key Indicators for Asia and the Pacific, 2018.
(注)…データなし。
(出所)Asian Development Bank, Key Indicators for Asia and the Pacific, 2018.
(注)…データなし。
(出所)Asian Development Bank, Key Indicators for Asia and the Pacific, 2018.
(注)国境貿易を含む。1)2018年度は会計年度変更による移行年度のため4~9月の6カ月間。2)2018/19年度の数値は10~12月の3カ月間のみ。
(出所)Ministry of Commerce website(http://www.commerce.gov.mm/).
(注)国境貿易を含む。2017/18年度以前はCSOの数値。出所が異なるため,輸出入総額が表5と若干異なる。2018年度以降は商業省ウェブサイトの数値。1)各項目の合計と総額に誤差あり。2)2018年度は会計年度変更による移行年度のため4~9月の6カ月間。3)2018/19年度の数値は10~12月の3カ月間のみ。
(出所)Central Statistical Organization, Selected Monthly Economic Indicators, June 2016; April 2018; Ministry of Commerce website(http://www.commerce.gov.mm/).