2020 Volume 2020 Pages 521-544
2019年のスリランカは,4月の同時多発テロおよび11月の大統領選挙などにより,政治的な混乱や停滞が顕著だった。イースター祭に合わせたイスラーム過激派による教会・高級ホテル爆破は2009年の内戦終結以来のテロで,スリランカを震撼させた。その後の捜査は迅速であったものの5月にはムスリム商店への大規模な襲撃事件が発生した。11月の大統領選挙では,ゴタバヤ・ラージャパクサが治安強化を掲げ,サジット・プレマダーサとの一騎打ちを制して第8代大統領に就任した。ゴタバヤの兄で元大統領のマヒンダは首相に就任した。
経済は,イースター・テロの直撃を受け通年のGDP成長率は4年連続して前年を下回り2.3%となった。テロ直後の5月,観光客数は70%減と大幅に落ち込んだ。観光業以外のセクターにもテコ入れが必要なことから,中央銀行は5月と8月に政策金利を引き下げ,さらに9月にはすべての民間銀行に貸出金利の引き下げを求めた。経済は低迷したものの7月に世界銀行は,スリランカを上位中所得国に分類した。
外交で注目されたのは,アメリカとの地位協定(SOFA)やミレニアム挑戦公社(MCC)の受け入れだった。ゴタバヤの大統領就任により中国との関係が強化されるのではないかと危惧されたが,ゴタバヤが就任後最初の訪問地に選んだのはインドであった。さらに中国に対しては2017年に締結したハンバントタ港の租借契約見直しを求めるなど,必ずしも中国一辺倒でない姿勢を見せた。
2018年10月の政治危機(『アジア動向年報2019』参照)後は,マイトリパーラ・シリセーナ大統領とラニル・ウィクレマシンハ首相の亀裂は修復不能であることが明らかであった。大統領の任期満了までの間,政府の機能不全状態が続くと予想された。そのようななかで発生したのがイースター・テロであった。
4月21日の日曜日午前9時前後,イースター礼拝が行われていた教会およびコロンボの高級ホテルを対象とした同時自爆テロが発生した。その捜査の過程で同日午後にコロンボの住宅地2カ所でも自爆テロが発生した。さらに4月26日東部州カルムナイで実行犯のアジトとおぼしき住宅で銃撃・自爆があり,子供を含む15人が死亡した。死者は全部で260人,負傷者は400人以上に上った。死者には自爆テロ犯8人,40人の外国人,45人の子供が含まれる。
スリランカでは2009年までスリランカ政府とタミル・イーラム解放の虎(LTTE)が26年間内戦状態にあり,コロンボもテロ攻撃の対象となった。しかしLTTEのテロの対象は政府要人や重要施設であり,また同時に複数の場所への襲撃というのも例がないことから,社会に衝撃が走った。
その後の捜査は進展が速かった。今回の犯人らが,インド南部の組織に接触した形跡があったため,インドの情報機関が事前に詳細な情報を複数回にわたり治安当局にもたらしていたからである。具体的には4月4日,11日,事件の48時間前および数十分前にも,インドからスリランカ当局に情報がもたらされた。その情報を基に,警察は21日午後の早い段階で犯人の自宅などを捜査した。
首謀者とみられるザフラン・カシムは1985年に東部カッタンクディで生まれ,若い頃から過激な思想を唱え,伝統的なイスラーム教学校や協会を何度も追放されてきた。インドに渡った記録も残っている。自爆テロおよび捜査の過程で死亡したり逮捕されたりしたのは,ナショナル・タウフィード・ジャマア(NTJ)のメンバーであるザフランの家族,コロンボの裕福な商人一家およびジャマティ・ミラトゥ・イブラヒム(JMI)のメンバーらであるとされる。どちらの組織も事件後活動禁止処分とされた。ザフランの家族は,26日の事件で両親,兄弟2人,義理の姉妹が死亡した。コロンボの商人一家は,父親が逮捕され,息子2人はホテルで自爆し,シャングリラホテルで自爆した犯人の妊娠中の妻は幼い子供3人を巻き添えにして自宅で自爆した。彼ら以外のメンバーにはイギリス,オーストラリアで学んだ若者がいた。
事件そのものが衝撃的だったのはもちろんだが,スリランカ国内ではこの事件を防げた可能性があったとして政府の対応が問題視された。2018年10月の政変以降,大統領と首相の間で治安関連の情報が共有されておらず,また12月以降は,首相および国防国務大臣が国家安全保障会議(NSC)に招かれていなかったことが明らかになっている。テロを受けて4月23日に開催された緊急国会で首相と国防国務大臣はインドからもたらされた情報について知らされていなかったと述べた。26日には大統領がメディアに対し自分も知らなかった,爆発はコロンボの政府関係者からではなくソーシャルメディアで知ったと述べ,国防次官と警察長官に責任があるとして両者を辞任させている。一方で,サラット・フォンセーカ陸軍元帥は,大統領はNSCで15回以上も報告を受けたはずだ,と主張している。
このような政府内の足並みの乱れは大統領と首相の対立に起因する。事件直後に首相が緊急会議を開催しようとしたものの,大統領が私的な海外旅行中であることを理由に,出席を拒まれる事態も発生した。また,首相は非常事態宣言の即時発出を主張したが,結局国防大臣を兼務する大統領が許さず,23日0時から発動された。
一方,カトリック枢機卿のマルコム・ランジットは事件直後からキリスト教徒に対して抑制を呼びかけた。イスラーム教指導者はテロ実行犯の葬儀に関与しない旨を宣言し,女性信者らに顔を隠すベールの着用をやめるよう自主的に呼びかけるなど,協力的でもあった。スリランカに避難していたパキスタンのアフマディ派の人々が滞在先を追い出されるなどの事案が発生したものの,危惧されていたキリスト教とイスラーム教徒の住民間の宗教対立は発生しなかった。
しかし捜査の過程でモスクやムスリムの住宅から刀や刃物などが多数押収されたことから,一般のムスリムに対しても新たな疑念が生じた。それでも事件以降約2週間はムスリムを対象とした暴力行為は最小限にとどめられていた。
ところが5月5日にネゴンボで三輪車の運転手同士の口論からムスリムとシンハラ人がけんかになり,その後外出禁止令が発令されたものの,ムスリムの住宅やモスクが破壊される事件が起こった。直後にマルコム枢機卿がネゴンボ入りし,モスクを訪問するなど事態の鎮静化につとめた。それでも12~14日にかけて再びチラウを中心とする北西部州およびガンポラ近辺でムスリムの店舗やモスクが襲撃され,破壊・放火された。ムスリム住民のFacebookへの「1 day u will cry tomorrow」(明日おまえは泣くだろう)という書き込みにシンハラ住民が反応したとされる。
目撃者によると,暴徒のなかに近隣住民は少なく,多くは見慣れない若者で酩酊状態にあり,ムスリム所有の店舗や住宅,およびモスクだけを選択的に襲撃した。外部から何者かによって動員されたと疑われている。また,外出禁止令下で警備にあたっていたはずの軍や警察が,暴徒の破壊活動を止めなかったともいわれている。
4月21日の事件の発生直後から,事件を政治的に利用する者が現れるのではないかと危惧されており,すぐに国会の内外で事件発生を防げなかったことに対する責任のなすりあいや非難合戦が始まった。政治家の非難合戦や国会の混乱にとどまらず,その後もイスラーム教徒の大臣の辞任を求める仏僧のハンガー・ストライキ,それを受けたイスラーム教徒の大臣らの辞任など緊張した状態がしばらく続いたことから,社会の緊張緩和を目的にソーシャルメディアが政府によってブロックされた。
今回のテロは最悪の事態をひき起こすのではという懸念につながった。この暴動が,シンハラ人がコロンボのタミル人を襲撃した1983年7月の「暗黒の7月」を連想させるからである。この事件をきっかけにスリランカは26年間の内戦に突入した。イースター・テロは国際的にも注目される大事件となり,その後のシンハラ人による反ムスリム暴動も多民族国家スリランカに長期にわたってより深刻な影響を及ぼすのではないかと危惧されている。
イースター・テロに関して10月23日に国会に提出された国会選任委員会(PSC)の報告書は,事前情報を生かすことができなかったとして軍の諜報機関(SIS)の責任が最も大きいと指摘している。報告書は治安維持に関わる国防次官,警察長官,諜報部の幹部らの責任とともに,大統領,首相,国防国務大臣,法務長官などの政治的責任についても明確に言及している。なかでも国防大臣を兼務する大統領は政治的責任を果たしていないとして批判された。一方で,PSCのメンバーは,統一国民党(UNP),タミル国民連合(TNA)および人民解放戦線(JVP)議員であり,シリセーナ大統領批判が過ぎるという評価もなされている。
PSCは国会に最終報告書を提出したものの,さらなる調査が必要だと指摘している。それは,大統領選挙実施を見据えて何者かが意図的に情報に対応せず,混乱や不安感を高め,そうすることによって有利な状況を作り出したのではないかという点についてである。また,ザフランとIS(「イスラーム国」)との関係や,スリランカでこのようなテロ事件が発生した理由についても詳細は不明のままである。
大統領選挙:候補者選出までの経緯11月の大統領選挙に向けて最も早く立候補の名乗りを上げたのは,スリランカ大衆戦線(SLPP)のゴタバヤ・ラージャパクサであった。一方でUNPからはサジット・プレマダーサが擁立され,一騎打ちとなった。しかし,候補者選出は,シリセーナ大統領らスリランカ自由党(SLFP)がどちらを支持するかを含め立候補者登録の直前まで紆余曲折を経た。
SLPPはマヒンダ・ラージャパクサ元大統領を党首とする政党であるが,マヒンダは第19次憲法改正によって3選禁止が定められており,出馬できない。2019年3月に一族内で話し合いが行われ,ゴタバヤでいったん決まったものの,懸念があった。ゴタバヤは,かつて国防次官の地位にあって強権を振るった人物であり,ジャーナリストやNGOは,彼を言論の自由を抑圧する中心人物と見なした。マンガラ・サマラヴィーラ財務大臣は国民のなかにはゴタバヤ恐怖症があると揶揄した(シンハラ語で“バヤ”は恐れるを意味する)。
ゴタバヤには,立候補に向けてもう1つクリアしなければならない壁があった。第19次改正憲法は,二重国籍者は大統領に立候補できないと定めており,スリランカとアメリカの二重国籍を持つゴタバヤの出馬が疑問視されていたのである。しかし2019年4月にアメリカ国籍を離脱したことでSLPPからの出馬が決定した。とはいえ国籍問題への疑念は,なかなか晴れなかった。9月末にアメリカが発表した国籍離脱者のリストにゴタバヤの名前が掲載されていなかったのである。そして,そもそも2005年にスリランカ国籍を再取得して二重国籍になった際の手続きに問題があるとして,立候補登録の直前になって市民活動家から訴えがあり,控訴院で審議することになった。ゴタバヤは2005年に兄のマヒンダが大統領に就任した際,国防省次官に就任するためにアメリカから呼び戻された。その際にスリランカ国籍が与えられたが,組閣前で担当者が不在だったことから,本来の担当者ではなく大統領自身が署名したという点に問題があるとされた。もし原告の主張が正しければ,ゴタバヤの出馬資格がなくなることから,バックアップとしてマヒンダとゴタバヤの兄のチャマル・ラージャパクサ前国会議長が政党の支援を得ない独立系の立候補者として急きょ選挙供託金を支払うという緊迫した場面も見られた。2日間の審査が行われ,10月4日に原告の訴えは棄却され,ゴタバヤは7日に立候補届を無事提出することができた。
ゴタバヤは国防次官として行政面から内戦終結を支えたテクノクラートである。かつては陸軍に所属し,退役後はアメリカ国籍をとり,アメリカで暮らしていた。内戦中は国防次官として作戦の遂行を支えた。内戦後はコロンボの都市開発に辣腕を振るった。ゴタバヤが内戦終結や内戦後の復興に貢献したことは確かであるが,その一方で内戦終結前後の戦争犯罪や人権侵害,ラージャパクサ一族への過度な権力集中の中心にいたともいわれている。
一方でUNPからはサジット・プレマダーサが8月に立候補宣言をしたものの,UNP党首のラニルがこれを認めるまでに時間がかかった。ラニルは自らが大統領にふさわしいとして頑なにサジットを候補者に選出することを拒んだためである。これまでラニルを支えてきた幹部らも,ラニルではゴタバヤに勝てないと予想しサジット支持を表明した。ラニルは,政治家としての知識・経験や家柄などは申し分ないものの,国民の支持は低い。とくに大票田である農村での支持が低いため,UNP幹部らはラニルの説得を試み,結局,UNPの中央委員会において全会一致でサジットが選出された。UNPは過去2回の大統領選挙において党外の候補者(2010年サラット・フォンセーカ[軍人],2015年シリセーナ[SLFP幹事長])を擁立したことから,党内からの候補者擁立が望まれていた。
サジットは,1993年のメーデー集会時にLTTEの爆弾テロで死亡したラナシンハ・プレマダーサ元大統領の息子である。ゴタバヤが国防次官としての実績を示したのに対してサジットは,住宅開発大臣としての貢献を主張し,また道半ばで死亡した父親の意志を継ぐことも強調した。
一方,シリセーナ大統領はSLFPの独自候補を擁立するか,UNPあるいはSLFPから分かれたSLPPと組むかの選択を迫られた。とはいえラニルとは亀裂があるためUNPと組むことはあり得ない。またSLPPとは選挙に用いるシンボルで折り合いをつけることができずにいた。もともとSLPPのメンバーはほとんどSLFP出身である。大統領はSLFPの支持の有無が勝敗を決めると主張して,SLPPに対して強気な姿勢を示し,SLPPの「蓮のつぼみ」でもなく,SLFPの「手のひら」でもない別のシンボルへの変更を求めた。しかし,SLPPは頑として「蓮のつぼみ」のシンボルを譲らなかった。スリランカの選挙においてシンボルは政党のイメージと結びついており非常に重要である。そこで大統領は,急遽UNPとの会合を持ち,選挙協力の可能性を探ったが,結局大統領がラニルとは組めないという理由で実現しなかった。立候補受付の直前になりSLFPはSLPPのゴタバヤ(蓮のつぼみ)を支持することになった。
大統領選挙には35人が立候補した。この数はスリランカの大統領選挙史上最多で,なかには最有力候補の支持者を分断させるため,立候補したと思われるケースもある。たとえばタミル人とムスリムの支持を得ているサジットの票を減らすために有力なタミル人やムスリム政治家が立候補し,ゴタバヤの票を減らすために元軍人のマヘーシュ・セナナヤケが立候補した。
大統領選挙の約1カ月前の2019年10月11日にゴール県エリピティヤで村議会選挙が行われた。2018年2月に実施されるはずであったが延期されたものである。シンハラ人が有権者の圧倒的多数を占める地域でのこの時期の選挙は,大統領選挙においてシンハラ人がどちらを支持しているかを示すものとして注目された。結果は28議席中SLPPが17議席を獲得し,大勝した。
選挙キャンペーン・開票結果ゴタバヤは10月9日にアヌラーダプラから,サジットは10日にゴールフェイスからキャンペーンを開始した。ゴタバヤ側は,次期首相に任命する予定のマヒンダも集会に出席して,党内の結束力を示した。一方候補者を決めるのに時間がかかったUNPのキャンペーンは準備不足が否めなかった。またサジットは次期首相に関しては未定と述べ,UNPの党首ラニルとの確執を露呈した。
ゴタバヤが訴えたことは,スリランカは単一国家(Unitary State)であること,仏教優先を守ること,治安を維持することなどであり,また汚職のない効率的な政府の実現も強調した。一方サジットはゴタバヤとマヒンダというラージャパクサ兄弟が,再び独裁的な手法をとるのではないかと警告した。
10月上旬に行われたエリピティヤ村議会選挙でSLPPが快勝し,大統領選挙でもゴタバヤ側が過半数を軽く上回ると思われたが,タミル政党やムスリム政党がサジット支持を表明するなど,選挙運動の後半になりサジットが追い上げを見せた。そのため1回目のカウントでは過半数をとる候補者は現れず,スリランカの選挙史上初めての2回目カウント(投票時,有権者は好ましい候補者1人か,順位を付けて複数を選ぶこともできる。1回目のカウントでは1人だけ選んだ投票用紙と1位を付けた投票用紙をカウントして候補者の得票数とする。最上位の候補者の得票数が過半数に満たなかった場合,上位2人で再カウントを行う。その方法は,得票3位以下の候補者に1位を付けた投票用紙を集め,その投票用紙のなかで2位に上位2人,この場合はゴタバヤかサジットを選んだ投票用紙の数をそれぞれカウントして,1回目の得票数に追加する)が行われるのではないかとの予想がなされるなど接戦が報じられた。投開票は同日中に行われ,2015年の大統領選挙では,1位のシリセーナと2位のマヒンダの差は約45万票と僅差であったのに対して,今回はゴタバヤが2位のサジットに130万票の差をつけて圧勝した。
有権者は,シリセーナ大統領とラニル首相による政権の混乱や,不安定さに辟易し,有言実行の強い政府を選んだのだ。ゴタバヤは,内戦を終結させただけでなく,戦後の都市開発も担った。26年間の内戦中,未整備だった鉄道や道路,港湾開発に取り組んだ実績が評価されたといえる。そして多くの有権者,とくに4月のテロを経験したシンハラ人はマヒンダ政権時の専制的な支配への懸念があるとはいえ,治安維持や安全を選択したのである。駆け引きばかりの政党政治に疲弊した人々にとってもゴタバヤのテクノクラートとしての実績は,その手法はかなり強引なところがあるものの,信頼できるポイントになった。サジットを支持したのは,コアなUNP支持者やラージャパクサ一族による専制的な支配に嫌悪感を示す人々だった。
タミル人やムスリムの多く居住する北部や東部の県では,表1にあるようにサジットが支持された。内戦末期の2009年,ゴタバヤはタミル人の民間人を巻き込んだLTTE撲滅戦略を強行し,多くの犠牲者を出したことからタミル人のゴタバヤ支持票が少ない,という説明もあり得るが,それでは2010年の大統領選挙でタミル人が,UNPから出馬したフォンセーカ陸軍司令官を支持した理由の説明ができない。フォンセーカは,軍司令官として現場で作戦の指揮を執っておりタミル人にとっては決して好ましい候補ではなかったはずだ。ではなぜタミル人は2010年にはマヒンダではなくフォンセーカに,2019年にはゴタバヤではなくサジットに投票したのか。タミル人は少数派に政治的配慮を行う可能性があるUNP側の候補者を選んだとみるべきである。ここでいう政治的配慮とは,自治権の拡大を意味する。ゴタバヤは,北部・東部の経済的開発には積極的だが,政治的解決については「シンハラ人の支持が得られない」として可能性を排除した。
(注)サジットが過半数を獲得した県に網掛け。
(出所)スリランカ選挙管理委員会(https://elections.gov.lk/web/en/presidential-elections-results-2019/)より筆者作成。
ムスリムの多く居住する東部でもサジットが支持された。ゴタバヤは,ムスリムに対して過激な主張と行動を繰り返す仏僧集団ボドゥバラセーナ(BBS)とのつながりがあると考えられており,ゴタバヤに投票することはできなかったとみられる。
投票の翌日に勝利宣言し,18日にアヌラーダプラで宣誓を行ったゴタバヤの就任後の動きは素早かった。債務繰り延べ,香辛料の輸入規制,雇用対策(低所得家庭の10万人を雇用),政府支出の削減,付加価値税(VAT)の15%から8%への引き下げ,長雨の影響による農産物価格高騰への対処など,矢継ぎ早に政策を実施した。
このほか大統領は,キャンペーンで強調していた公共セクターの効率化のために運転免許証交付センターなどへの抜き打ち訪問を行った。ほかの大臣も大統領の影響を受けて担当する機関に効率化を働きかけており,ゴタバヤの素早い対応を評価する向きが強い。
行政の効率化や経済成長など,就任後のゴタバヤ政権に対する国民の期待は大きいものの,ゴタバヤ政権にはマヒンダ政権の強権のイメージが付きまとうことから懸念も指摘されている。就任後間もない11月27日,スイス大使館の現地職員が何者かに拉致された,とスイス外務省が発表した。マヒンダ政権時に白いバンに乗った何者かが,反政府的なジャーナリストやNGO職員を拉致するという噂があったが,その再来かとメディアや国際社会は色めき立った。しかし後に,職員の偽証だった可能性が高いことが判明した。とはいえ,チャンピカ・ラナヴァカ前メガポリス大臣が2016年の交通事故に関して逮捕されるなど,ゴタバヤによる政治的報復ととれる動きもみられた。
このほか,ゴタバヤはシンハラ仏教徒の圧倒的な支持を得ていることから,仏教関係者らの要求の高まりに応えざるをえないのではないかとの懸念がある。また能力重視の人事を行うと主張していることに,党内のベテラン議員から反発も表明されている。
2019年のGDP成長率は農林水産業が0.6%(対前年比,以下同じ),鉱工業が2.7%,全体の57.4%のシェアを持ち成長をけん引してきたサービス業が2.3%と振るわず,全体としては2.3%と4年連続して南アジアで最低となった。
農業では,マハ期(9/10月~3/4月),ヤラ期(4/5月~8/9月)のコメ生産量はそれぞれ対前年同期比28.2%増,0.9%減,ココナツ17.6%増となったが,漁業は5.5%減であった。サービス業のうち特に観光セクターには4月のテロの影響が直撃し,5月の観光客数は対前年比70%減となった。その後徐々に持ち直し12月の観光客数は対前年比4.5%減にまで回復したものの,通年では18%減となった。通信やITセクターはそれぞれ17.2%,13.1%増となったが,GDPに占める割合はそれぞれ0.5%,0.2%でしかない。
支出別(市場価格)ではGDPの約7割を占める個人消費が対前年比6.8%増,政府支出が8.1%増,固定資本形成が-5.9%となった。
財貿易は,車両の輸入を制限した結果,車両輸入額は48.2%減となり,輸入額全体も10.3%減,輸出が0.4%増とわずかながら増えたことから,貿易赤字額は前年の103億4000万ドルから80億ドルに減った。観光収入(通年)は18%減となり,海外在住の労働者からの送金も対前年比4.5%減の67億ドルにとどまった。しかし5月にIMFの拡大信用供与措置(EFF)からの入金,6月にはソブリン債の発行もあり6月末の外貨準備は89億ドルと5.1カ月分の輸入を賄うまでとなった。その後,外貨準備は徐々に減っているが,危機的な状況にはない。
中央銀行は,テロ後の停滞に対応する景気刺激策として2019年5月と8月,さらに2020年1月にも政策金利を0.5ポイントずつ引き下げた。2019年下半期に雨が続き食料品(とくに野菜)価格が高騰したものの,物価上昇率が4~6%の許容範囲内だったことから,規模の大きい金利政策を複数回発動する余地があった。
新政権の経済政策2020年1月3日に国会で行われたゴタバヤ大統領の政策方針演説は経済政策について多くの時間を割いた。2つの柱があり,1つは効率的な公共セクターを確立し,経済的安定性および平等な機会を提供すること,もう1つは既存の地理的資源,天然資源,人的資源の有効活用である。
各セクターの概要は以下のようになっている。公共セクターの効率性に関しては汚職のない透明な組織を実現し,国内産業の活動を保護し経済活動を円滑にするとしている。地理的資源に関しては,スリランカを南アジアの商業ハブにするという元大統領マヒンダの政策を引き継ぐことを明言した。商業ハブとして外資を誘致するためには国内インフラの整備,特に国内の道路・鉄道ネットワークを構築し,コロンボの過度な都市化の進行を止めることも意識されている。天然資源については,鉱物資源や農業,漁業資源などの高付加価値化が必要であると強調している。人的資源に関しては特に強調され,高等教育・技術教育の拡充,就職市場のニーズを満たすような大学教育内容の変更,教員養成学校と看護学校による学位授与を可能にするためのレベルアップ,そしてすべての学校での英語教育の強化などがあげられている。
このほか,ゴタバヤ大統領からは「経済政策が効果をもたらしているか,必要としている人々に届いているか,的確な指標を用いて判断する」という発言もあった。これは,かつてマヒンダ政権下で中国の融資を受けて行われ,十分な効果をもたらさなかった大規模インフラ建設への反省とも受けとれる。
就任早々に行われた対策に加え,大統領は縁故ではなく「知識と適切な資格をもつ」人の任用,公的機関への抜き打ち調査を行っており,確かにこれまでの政治家と違うのではないかと国民は期待している。しかし経済政策の優先度が最も高いとされた人的資源の開発は効果が出るまでに時間がかかる。また「クリーンで効率的な国有セクター」を実現するというが,何年も非効率な働き方をしてきた公務員の意識改革をどのように行うのかという点も,注目してゆく必要がある。
スリランカと中国の関係は,中国が「一帯一路」戦略を発表する2014年よりもかなり前から強化され,スリランカは中国の「真珠の首飾り」戦略の重要なパーツであった。もっともその後,スリランカは中国との関係見直しを宣言したものの,すぐに中国に回帰するなど両国関係はめまぐるしく変化した。
新政権には,中国との関係を強化するのではないかという懸念があったものの,ゴタバヤは大統領就任直後,中国とのハンバントタ港99年リース契約(2017年7月に調印)についてインド人ジャーナリストのインタビューに答え,「前政権は港を99年間リースすると決めた。中国は良い友人で,スリランカは開発のために中国の支援が必要ではあるが,取引は間違いだったといわざるをえない」と述べ,再交渉の可能性を滲ませた。
これに対して中国外務省は,「ハンバントタ港を含む我々の協力関係は,平等の立場で話し合い,双方両得の精神に基づいている」と応答した。在コロンボ中国大使館報道官も,「ハンバントタ港は完全にスリランカによって所有・管理されており,港に関する承認や決定はスリランカによって行われている」,「合弁であり,スリランカによって承認されている」と述べた。その後マヒンダ首相が,新華社に対して大統領の発言は間違って引用されたと弁明し,スリランカと中国は問題を解決できると語った。
アメリカとの関係:軍事的・経済的な関係強化の兆しアメリカとは,軍事的な関係を強化した。2017年8月,両国政府は内戦中の2007年に締結した物品役務相互提供協定(ACSA)を更新した。これは,アメリカ軍が同盟国の軍隊との間で物資や役務の相互利用を行う枠組みを定める二国間協定である。これに基づき2018年8月にカトナヤケ空港とトリンコマリー空港で,同年12月には再びカトナヤケ空港で両軍による訓練が行われた。さらに2019年1月にはカトナヤケ空港およびトリンコマリー港でスリランカ軍によるアメリカ軍への物資補給や燃料供給などが行われた。その際にアメリカ側はトリンコマリーを「ハブ」であると表現している。野党は更新の際に内容が大幅に見直され,8ページの協定だったのが,80ページになっている点,およびアメリカ軍がACSAに基づいて行動することに,懸念を表明した。その主な根拠はスリランカに利益が少ないこと,アメリカが関与するトラブルに巻き込まれかねないことであった。そして,2019年に政治的に問題視されたのは,地位協定(SOFA)である。これが合意されるとアメリカの軍人がスリランカで自由に活動できることになる。スリランカにはかつてのインド平和維持軍(IPKF)の苦い経験がある。SOFAは前政権とアメリカの間で最終合意する予定だったが,議論は新政権に持ち越された。
さらに,ラニル前首相は任期中,アメリカとミレニアム挑戦公社(MCC)を通じて4億8000万ドルの資金援助契約を結ぼうとした。内容はコロンボとトリンコマリーをつなぐ道路と土地登録の整備であった。なかでも後者は,記録に土地所有者の名前があっても本人がいなかったり,また,所有者不明の土地があったりと,開発事業の妨げとなっていた土地所有の問題解決には欠かせない。この問題の解決はUNPが2002年に発表した開発戦略「リゲイニング・スリランカ」でも強調されていることから,UNPにとっての悲願といえる。しかし,野党側は外国企業などに土地を買い叩かれるとして反対した。
インドとの関係:中国を意識し,良好な関係を維持インドとは良好な関係が続いている。ゴタバヤの大統領就任直後にどこよりも早くインド首相のモディがメッセージを送った。続いてインド外相が来訪し,ゴタバヤも大統領としての初の外国訪問先にインドを選んだ(11月29~30日)。
インド訪問時,ゴタバヤはThe Hindu紙のインタビューに答えている。インドとの関係について,「一貫性を保つ」「インドに対してできることとできないことを正直にいう。できることはすぐに実行する」と述べ,両国の複数の政権幹部間で緊密に連絡を保ち,インドの懸念を払拭すると強調した。
前政権時に締結したプロジェクトについては「様式を変更する必要がある。今回の訪問で話し合った。すべてについて調査したわけではないが,スリランカにとって重要なプロジェクトに関しては早急に進める」と語っている。
タミル問題に関しては,「自由と政治的権利は憲法ですでに保障されている」との見解を示し,「シンハラ人は誰も北部の開発,雇用創出に反対しない。しかし政治的な問題は違う」と,経済成長をもたらすことに重点を置き「5年後の北・東部の発展」を期待してほしいと述べた。スリランカにとってインドとの良好な関係の維持は中国とのバランスをとるためにも,また国内政治の安定を保つためにも重要であり,慎重に進める必要がある。
2020年4月下旬に国会議員選挙が実施される予定である。UNPが分裂下にあるなかでSLPPが優勢とみられており,SLPPが憲法改正に必要な議席の3分の2を獲得できるのかどうかが注目される。またゴタバヤは,選挙改革や大統領の権力強化,独立した司法制度の確立などを意図しているが,能力主義に基づく人事に不満を持つ地方組織や草の根の協力がどれほど得られるかが焦点となる。
ゴタバヤ政権に国民は経済発展を期待している。ゴタバヤが主張する市場の効率化,制度の透明性の確保,人的資源の開発は長期的には国内起業家らを刺激し,成長を後押しすると考えられるが,短期的にどれほど成果を示せるか,また国外投資家にどれほどアピールできるかは不透明な部分も多い。
対外的には,印・中のバランスだけでなく,アメリカとの関係も考慮しなければならなくなった。さらに2020年の国連人権理事会で2015年の共同決議(内戦末期の戦争犯罪や人権侵害に対処する)を取り下げたことで国際社会においてスリランカへの不信感が高まった。ゴタバヤ政権は対外関係で難しい舵取りを迫られている。
(地域研究センター)
1月 | |
6日 | マータラ=ベリアッタ間(26km)鉄道試験運転。 |
8日 | カル・ジャヤスーリヤ国会議長,マヒンダ・ラージャパクサを野党リーダーと承認。 |
15日 | マイトリパーラ・シリセーナ大統領,フィリピン訪問。 |
15日 | メガポリス省,金融シティの埋め立てが終了したと発表。 |
16日 | プッタラムで100kgの爆薬発見。 |
11日 | ラニル・ウィクレマシンハ首相,専門家パネル作成の新憲法に関する報告書を国会に提出。 |
17日 | 大統領,2015年1月15日~2018年12月31日間の汚職や不正に関する大統領調査委員会を任命。 |
21日 | カトナヤケ空港でアメリカ軍と物資の供給訓練実施(~29日)。 |
23日 | 大統領,シンガポール訪問。 |
27日 | 日本の海上自衛隊,スリランカのハンバントタ沖海空域でスリランカ軍と共同訓練を実施。 |
30日 | 税関職員ら,P・S・M・チャールス長官人事に抗議してストライキ開始。2月5日まで継続。 |
2月 | |
3日 | モルディブのソーリフ大統領来訪(~5日)。 |
5日 | 薬物疑惑の中心人物マーカンドレ・マデシュ,ドバイで逮捕される。 |
5日 | ブッディカ・パティラナ産業・工業副大臣,国会で動物性油脂の混入した粉ミルクが輸入されていると報告。 |
6日 | 大統領,判事の任命に関し憲法委員会が年功に基づいていないと批判。 |
9日 | 野党リーダーのマヒンダ,インド訪問。 |
15日 | 薗浦健太郎・内閣総理大臣補佐官,来訪。 |
20日 | UNPの懲罰委員会,ランジャン・ラマナヤケ高速道路・道路開発国務大臣を召喚。政治家の親族が薬物使用と発言。 |
3月 | |
4日 | ビンギリヤ輸出加工区の建設開始。 |
5日 | マンガラ財務相,2019年予算を提出。 |
11日 | 日本国際協力機構(JICA)とスリランカ政府,都市交通システム整備事業で300億4000万円を上限とする円借款貸付契約を締結。 |
13日 | 大統領,ケニアに出発(~17日)。 |
21日 | 国連人権理事会でスリランカ提案の決議承認。内戦後の和解プロセスを2年延長。 |
24日 | セイロン電気局,停電のスケジュール発表。 |
24日 | ハンバントタで石油精製施設起工式。 |
24日 | 観光大臣,5月1日より39カ国の観光客に6カ月間到着ビザ発給を無料にすると発表。 |
25日 | 前中銀副総裁P・サマラシリおよびPTL社チェアマンのジェフリー・アローシウス,中央銀行の国債売買をめぐる汚職事件で逮捕される。 |
4月 | |
7日 | ゴタバヤ・ラージャパクサ,『サンデーリーダー』の編集者ラサンタ・ウィクレマトゥンガ殺害の件でアメリカで提訴される。 |
8日 | マータラ=ベリアッタ間鉄道開通。 |
9日 | SLFP幹事長ダヤシリ・ジャヤセーカラ,最高裁に大統領の任期については6年ではなく5年と確認済みだが,開始時期について2015年1月なのか第19次憲法が成立した6月なのか再確認を要求。 |
17日 | ゴタバヤ,アメリカ大使館で国籍離脱の誓約書に署名。 |
21日 | コロンボおよびネゴンボ,バティカロアなどでホテルや教会をターゲットとした同時多発テロ発生。260人死亡。 |
22日 | コロンボのバスターミナルで起爆装置87個発見。 |
22日 | 政府報道官,外国の情報機関よりテロの警告があったと認める。 |
23日 | 午前0時より非常事態宣言。 |
23日 | IS(「イスラーム国」),アマク通信で犯行声明(ビデオ公開)。 |
23日 | ルワン国防副大臣,テロはクライストチャーチ襲撃に対する報復であると国会で報告。 |
26日 | カルムナイで銃撃と自爆。民家から子供6人を含む15人の遺体発見。 |
26日 | 大統領,NTJとJMIを活動禁止に。 |
28日 | 大統領,イスラーム教徒の女性が顔面を覆い隠すベールの禁止を発表。 |
29日 | IS指導者バグダディ,スリランカのテロを称賛するビデオ公開。 |
5月 | |
5日 | イスラーム聖職者200人を含む外国人600人を国外追放。 |
5日 | ネゴンボで緊張,外出禁止令発出。政府,FacebookなどSNSをブロック。 |
12日 | チラウで反ムスリム暴動発生。これ以降北西部州およびガンポラ県で14日まで継続。 |
13日 | 大統領,アジア文明会議に出席するため訪中(~16日)。 |
14日 | 政府,NTJほか2つの団体の活動禁止を官報で発表。 |
16日 | 野党議員ら,イースター・テロを支援したとしてリシャード・バディユディーン工業・商業大臣に対する不信任動議を国会議長に手交。 |
16日 | マヘーシュ・セナナヤケ軍中将,大臣からテロ容疑で拘束されている人物について釈放するよう要請があったと会見で語る。 |
16日 | 外相,訪米しマイク・ポンぺオ国務長官と会談。 |
21日 | JVP,政府に対する不信任動議を提出。 |
23日 | 法廷侮辱罪で有罪判決を受けたボドゥバラセーナ(BBS)のニャーナサーラ,釈放される。 |
24日 | クルネーガラの医師モハメド・シャフィ,患者の同意なしに多数の不妊手術をしたとして逮捕される(7月25日釈放)。 |
28日 | スリランカ,日本,インド,コロンボ港東コンテナターミナル建設に署名。 |
31日 | アトゥラリエ・ラタナ師(国会議員),キャンディの仏歯寺前でハンスト。 |
31日 | 中銀,政策金利を0.5ポイント引き下げて8.5%に。 |
6月 | |
3日 | アザト・サリー西部州知事,M・L・A・M・ヒズブッラ東部州知事およびすべてのムスリム大臣辞任を表明。 |
6日 | プジット前警察長官,ヘマシリ前国防次官,国会選任委員会(PSC)で証言。 |
6日 | 11人のSLFP議員,シリセーナに大統領選出馬を要請。 |
7日 | 大統領,緊急閣議を招集。PSCの停止を求め,今後閣議を開催しないと宣言。 |
9日 | モディ印首相,来訪。 |
11日 | マヒンダ,UNPがムスリム・コミュニティを政治的に利用していると批判。 |
13日 | 大統領,タジキスタンに出発。 |
19日 | 日本とスリランカ,在留資格「特定技能」を有する外国人材に関する制度の適正な実施のための基本的枠組みに関する協力覚書(MOC)に署名。 |
26日 | 大統領,薬物関連犯罪者の死刑執行に署名。 |
28日 | 土地法案,国会に提出される。 |
7月 | |
1日 | 世界銀行,スリランカを上位中所得国に分類。 |
2日 | 前国防次官のヘマシリ・フェルナンドと前警察長官のプジット・ジャヤスンダラが,イースター・テロを防げなかったとして逮捕される(9日,保釈)。 |
5日 | 最高裁,薬物関連犯罪者の死刑執行の一時停止命令発出(~10月30日)。 |
8日 | 中国のフリゲート艦,コロンボ港に到着。 |
11日 | 政府に対する不信任動議92(統一人民自由連合UPFAとJVP)対119で否決。13人は棄権。 |
17日 | アメリカ大使,スリランカに軍事基地を建設する意図はない,と発言。 |
23日 | スリランカ税関,イギリスに廃棄物入りのコンテナ返送を求める。 |
23日 | ポートシティをコロンボ市の一部とする法案が国会を通過。 |
24日 | 警察,イースター・テロとISとの直接的な関連性は見つけられず。 |
26日 | 原田憲治防衛大臣政務官,大統領と会談。 |
8月 | |
7日 | 大統領,カンボジア訪問。 |
11日 | SLPP総会でマヒンダ,党リーダーに就任。マヒンダ,ゴタバヤを大統領選挙立候補者に指名。 |
12日 | サジット・プレマダーサ,バドゥッラで大統領選挙立候補者に名乗り。 |
12日 | シャヴェンドラ・シルヴァ,軍司令官に就任。 |
12日 | 仏教のアマラプラ派とラーマンニャ派,統合に調印。 |
22日 | 中央銀行,金利を0.5ポイント引き下げ。 |
23日 | 国防省,非常事態宣言を延長しないと表明。 |
9月 | |
6日 | 大統領,シンガポール政府に対して前中央銀行総裁のアルジュナ・マヘンドラン引き渡しを要求する書類に署名。 |
9日 | 大統領,国営テレビのルーパヴァヒニを国防省傘下に移管。 |
16日 | 首相,大統領調査委員会(PCoI)で農業省に関する不正利用について証言。 |
16日 | 中国建設のロータスタワー,一部オープン。全面オープンは2020年。大統領,セレモニーで不透明な資金の流れを指摘。 |
18日 | 選挙管理委員長,大統領選挙は11月16日に実施すると発表。 |
19日 | 緊急閣議で執行大統領制廃止について話し合い。 |
22日 | イースター・テロ調査委員会任命。 |
24日 | 中央銀行,すべての民間銀行に対して貸出金利引き下げを求める。 |
25日 | 国連,シャヴェンドラ・シルヴァの軍司令官就任に抗議してスリランカ軍から国連平和維持軍部隊の受け入れを縮減すると発表。 |
26日 | UNPの作業部会,全員一致でサジットを大統領選挙候補者に選出。 |
26日 | 2015~2018年の汚職や不正に関するPCoI報告書,大統領に手交。 |
30日 | 控訴院,ゴタバヤの市民権に関する審議の日程を決定。 |
10月 | |
4日 | SLFPオーガナイザー会議。 |
4日 | 控訴院,ゴタバヤの国籍問題に関する訴えを棄却。 |
5日 | ゴタバヤ,大統領選挙立候補用紙に署名。 |
9日 | コロンボ高等裁判所,プジットとヘマシリの再逮捕を命令。 |
9日 | ゴタバヤ,刑務所にいる元軍人に恩赦を与えると発言。 |
10日 | SLPPとSLFP,大統領選挙に関する協力合意に署名。 |
10日 | サジット,ゴールフェイスで集会。 |
11日 | エリピティヤ村議会選挙実施。SLPPが快勝。 |
17日 | パラーリ空港オープン。 |
21日 | 大統領訪日。22日の即位礼正殿の儀に出席(27日帰国)。 |
23日 | イースター・テロのPSC最終報告,国会に提出される。 |
29日 | 閣議,アメリカの援助スキーム・ミレニアム挑戦公社(MCC)による4億8000万ドルを承認。 |
30日 | ポートシティの446ha,都市開発局(UDA)に移管。UDAより一部の土地116haがCHECポートシティ社にリース。 |
31日 | SLFP,SLPPなどを含む17政党によるスリランカ人民自由連合(SLPFA)結成。 |
11月 | |
1日 | 統一国民戦線(UNF),チャンドリカ・クマラトゥンガ元大統領と選挙に関して覚書締結。 |
3日 | ランカ・タミル連邦党(ITAK),サジット支持を表明。 |
6日 | 国立建物調査機構(NBRO),コロンボの大気汚染はインドの影響との見解を示す。 |
7日 | 南部高速道路の一部開通。 |
9日 | 2005年にスウェーデン女性が殺害されたロイヤルパーク事件の死刑囚に対する恩赦書類を刑務所局が受理。 |
10日 | ラージタ・セナラトネ元保健大臣,「白いバン」に関する会見開催。 |
13日 | 大統領選挙運動,最終日。 |
16日 | 大統領選挙,投票。 |
17日 | ゴタバヤ勝利宣言。 |
18日 | ゴタバヤ,アヌラーダプラで宣誓。 |
19日 | インド外相来訪。 |
21日 | ラニル,首相辞任。マヒンダ,首相に就任。 |
22日 | 新閣僚15人,就任。 |
27日 | スイス外務省,現地スタッフ女性が25日に何者かに誘拐されたと報告。 |
27日 | 新内閣,広範な減税を発表。 |
27日 | 大統領,国務大臣35人,副大臣3人を任命。 |
29日 | 大統領,インド訪問。 |
12月 | |
1日 | 元駐スリランカ中国大使の呉江浩,王毅外相の代理として来訪。 |
1日 | パキスタン外相,来訪。 |
1日 | 政府,付加価値税(VAT)を15%から8%に引き下げ。 |
3日 | 国会を閉会,再開は1月3日。解散は3月31日と発表(実際の解散は3月2日)。 |
5日 | ラニル,サジットを野党リーダーに指名。 |
5日 | 大統領,モルディブ外相と会談。 |
5日 | 高僧ら,UNPに対し仏僧を侮辱する国会議員を候補者にしないよう,要請。 |
8日 | 首相,大統領の「中国と再交渉」発言は意図が誤解されていると説明。 |
9日 | スリランカのクリケット代表チーム,2009年のラホールでのテロ攻撃以来10年ぶりにパキスタン入り。 |
12日 | 茂木敏充外相,来訪。13日大統領および外相らと会談。 |
16日 | スイス大使館職員,逮捕。 |
18日 | チャンピカ・ラナヴァカ前メガポリス大臣,2016年の交通事故で逮捕される。 |
19日 | 北部州知事にP・S・M・チャールスを任命。 |
19日 | 外務省,国連人権理事会の共同決議見直しを表明。 |
24日 | 中央銀行総裁に元コロンボ大学教授のW・D・ラクシマン就任。 |
27日 | ラージタ・セナナヤケ前保健大臣,「白いバン」に関する記者会見の件で逮捕。 |
(出所)Presidential Secretariat(https://www.presidentsoffice.gov.lk/index.php/cabinet-ministers/?lang=en).
(注)1)暫定値。2)労働力人口は15歳以上。3)2015年11月より基準年が2013年に変更された。年末の対前年比。
(出所)Central Bank of Sri Lanka, Annual Report 2019, KEY ECONOMIC INDICATORS.
(注)1)改定値。2)暫定値。
(出所)Central Bank of Sri Lanka, Annual Report 2019, Appendix TABLE 9.
(注)1)改定値。2)暫定値。
(出所)Department of Census and Statistics, National Accounts Estimates of Sri Lanka-Provisional Estimates for the Year 2019. Table 3 : A10.
(注)1)暫定値。
(出所)Central Bank of Sri Lanka, “Press Release-External Sector Performance”(各月版より作成)。
(注)1)暫定値。
(出所)Central Bank of Sri Lanka, Annual Report 2019, Appendix TABLE 89.
(注)1)暫定値。
(出所)Central Bank of Sri Lanka, Annual Report 2019, Appendix TABLE85, 86.