2020 Volume 2020 Pages 571-592
2019年は,2018年から開始されたアメリカとターリバーンとの和平協議が大きく進展した 1年となった。ターリバーンはアフガニスタン政府との間で公式に直接協議を行うことを一貫して拒否する姿勢をみせる一方で,アメリカとは和平協議をカタールの首都ドーハにおいて複数回にわたり実施した。また,和平協議実施については関係各国がそれぞれ仲介役を担い協議を主催するなど,これまでになく積極的に関与する姿勢を鮮明にした。この結果,年末までにアメリカとターリバーン間での和平合意締結間近という状況にまで至った。
一方,国内においては2018年に実施された下院議会選挙をめぐる選挙不正疑惑に対する批判が高まりをみせ,ガニー政権と独立選挙委員会(IEC),独立選挙不服申立委員会(IECC)との癒着も取り沙汰されることとなった。このような状況下で,幾度も実施日が延期された大統領選挙が9月28日に実施された。しかし,選挙不正・不備が投票前から指摘されたため,暫定結果は12月22日になりようやく発表された。暫定結果においては,現職のガニーがかろうじて過半数の票を獲得したが,次点のアブドゥッラー行政長官は不正選挙を主張し,結果の受け入れを強く拒否する姿勢をみせた。結局,2020年3月に両者が同時に大統領就任式典を実施するなど,大統領選挙の結果をめぐる対立は政治的混乱に発展した。
経済的にはイランのチャーバハール港を経由したインドへの輸出が開始されるとともに,港へのさらなるアクセス改善を図るための鉄道を中心としたインフラ整備が進展した。しかし,政治不安や治安悪化に加えて依然として厳しい経済状況が続いており,薬物依存症も広がりをみせるなど社会情勢も深刻化している。
対外関係では,ターリバーンとの和平協議の進展を図るため,パキスタン,イラン,中国,ロシアなど各国が仲介役として積極的に役割を果たした。今後も安定化に向け,アフガニスタンと周辺国との協調関係は継続していくと考えられる。
2018年をとおして模索されたアメリカとターリバーンとの和平協議は,2019年には両者が複数回にわたる本格的和平協議を行い大きく進展した。すでに,2018年12月にアメリカ・ターリバーン間の直接協議が開始されていたが,2019年には定期的に開催され,協議日数も長いときには1週間以上にわたった。年頭の1月5日にはターリバーンの報道官がアメリカメディアに対して,2018年12月にアブダビで開催されたパキスタン,サウジアラビア,アラブ首長国連邦(UAE)の各国代表を交えて行われたアメリカ・ターリバーン和平協議がなおも継続していると述べた。当初,アメリカ側代表であるハリルザード和平担当特使は,ターリバーンとの和平協議をアメリカ,ターリバーン,アフガニスタン政府の三者間の直接交渉の場とすることを意図していたと思われる。しかし,現政権をアメリカの傀儡政権とみなすターリバーンが政府代表の参加を強く拒否したため,和平協議はアメリカ・ターリバーン間で行われ,アフガニスタン政府は蚊帳の外に置かれることとなった。毎回の和平協議はターリバーン政治事務所が位置するカタールの首都ドーハで行われるのが通例となった(表1)。1月21日から26日にかけての和平協議で両者は,駐留米軍撤兵計画とアフガニスタンをテロ組織の温床としないことを交渉の軸とすることとし,28日にハリルザード特使が和平協議の基本的枠組み合意について発表した。協議中の1月24日には2018年11月までパキスタンの刑務所で拘束されていたターリバーン共同創設者で,現在はナンバー2にあたるモッラー・アブドゥルガニー・バラーダル(以下,モッラー・バラーダル)が和平協議代表に就任し,その後の協議で重要な役割を果たすこととなった。
(出所)各種発表と報道に基づき筆者作成。
両者の和平交渉は関係各国によっても支持された。2018年11月にターリバーン代表団が初めて出席したモスクワ協議を主催したロシアも,2019年2月5日にターリバーン代表団が出席する国際協議を主催した。しかし,前述のようにターリバーン側が現政権との直接交渉を拒絶したため,この協議にはカルザイ前大統領を長とする「非公式代表団」約40人が出席した。ただし,この「非公式代表団」のメンバーは反ガニー大統領の政治家たちで占められており,国内の政治対立を象徴することとなった。このように,国際的にターリバーンが政治勢力として認知されるなか,直接対話を行うことのできない政府は危機感を強めた。2月10日にガニー大統領は国内の2カ所でターリバーンの事務所開設を認めると発表した。また3月11日には,ターリバーンとの和平協議について議論するため,4月に諮問ロヤ・ジルガ(全土から有力者を招集して開催される会議)を開催すると発表した。
ターリバーンと政府の直接協議が開催されるとの機運は幾度となく高まったが実現しなかった。政府や国民世論は,アフガニスタン主導によるターリバーンとの直接協議を通じた和平実現を最優先と考えている。しかし,政府とターリバーンとの直接協議が実現しないなかで,アメリカが先行して独自にターリバーンとの直接協議を進めることになった。また,以前からターリバーンをめぐる問題に深く関与してきたパキスタンも,2018年後半からはアメリカ・ターリバーンの直接協議の仲介役として積極的な役割を果たしてきた。このような一連の動向は,アフガニスタン側にとっては政府を無視する形で和平交渉が進められていることに他ならず,両国に対する自国への内政干渉との意識の高まりと同時に,人々の間で強い反発を招くこととなった。実際,3月14日にはモヒッブ国家安全保障担当補佐官がワシントンにおける講演において,政府を除外して独自にターリバーンと直接交渉を続けるアメリカのハリルザード特使を痛烈に批判するスピーチを行った。これを受け,アメリカ政府はモヒッブ補佐官の同席する会議を欠席すると表明するなど,ガニー政権とアメリカ政府は対立した。
いずれにせよ,ガニー政権としてはターリバーンとの直接協議開始のため,その手段を模索することとなり,4月7日には交渉チーム評議会を設置した。さらに,ドーハのアメリカ・ターリバーン和平協議に政府代表団を派遣する計画を公表した。アフガニスタンの政治家や有力者たちは,ターリバーンとの直接協議に参加することで自らの政治的影響力を高めることを意図し,競って参加者リストに名を連ねた結果,派遣する政府代表団は250人にまで膨れ上がった。しかし,この参加者リストを提示されたターリバーン側は,従来どおり政府との直接交渉自体を拒絶する姿勢をみせたため,4月19日に開始される予定であった協議自体が中止されることとなった。その後,ガニー大統領は4月28日から5月3日まで,国内の有力者たち約2000人を招集して和平協議について議論を行うロヤ・ジルガを開催した。これはターリバーンとの直接協議を進めるためであったが,アブドゥッラー行政長官ら有力政治家がボイコットを表明したことで,逆に政府内部の不協和音を内外に示す結果となった。
和平協議は5月1日からドーハにおいて再開されたが,同月28,29日には再びモスクワで協議が開催された。この際もカルザイ前大統領が率いる14人からなる「非公式代表団」がターリバーンと協議を行った。和平協議の前提条件として,政府側は停戦を求めていたが,ターリバーンはこれを拒否した。一方ターリバーンの指導者アーホンドザーダは6月1日に断食月明けの声明として改めて米軍撤退を求めた。同月29日からはアメリカ・ターリバーン和平協議が再開されたが,これに合わせてガニー政権は,「全アフガン和平サミット」と呼称するアフガニスタンの政治家や社会運動家から構成される非公式代表団を結成し,ドーハでターリバーンと対話を行う方向で調整を行った。その結果,7月8日から2日間の対話が実現し,これを受けて和平のためのロードマップも策定された。このように,政府・ターリバーンの直接協議に向けた機運が高まるなか,同月20日にはガニー大統領が数週間以内に全アフガン和平対話を開催すると発表した。しかし,ターリバーン報道官が28日に直接協議開始を否定した。
アメリカによる和平協議は引き続き8月3日から12日まで実施され,アメリカとターリバーンの双方が和平合意間近とする見解を示した。8月8日からはウズベキスタン外務省の公式招聘を受け,タシュケント,サマルカンド,ブハラをモッラー・バラーダル率いるターリバーン和平交渉団が訪問した。これは,ウズベキスタン政府による,アフガニスタン政府とターリバーンとの間の直接協議仲介のための活動の一環であり,両者の協議をサマルカンドで開催することをガニー大統領に提案した。さらに,同月22日には再びアメリカ・ターリバーンの和平協議が行われ,9月2日にはハリルザード特使が基本的合意に至ったとの見解を発表した。しかし,その直後の9月5日,カーブル近郊でターリバーンの攻撃によりアメリカ兵1人を含む兵士12人が殺害される事件が発生した。この事案を受けて,トランプ大統領は同月8日に予定されていたガニー大統領との会談をキャンセルするとともに,和平協議中断を決定した。
交渉中断を受けて,ターリバーン代表団はアメリカとの和平協議再開に向けた関係各国との意見調整のため,9月13日からモスクワ,同月17日からはテヘラン,さらには同月22日には北京を訪問して関係者たちと会談を重ねた。そして,10月5日にはイスラマバードでハリルザード特使とモッラー・バラーダル率いるターリバーン代表団が協議中断以来初となる会談を行った。その後ハリルザード特使はブリュッセルでイギリス,フランス,ドイツ,イタリア,ノルウェー,EU,国連の各代表と会談し,アフガニスタン和平のための共同声明を発した。さらに,同月24日にはアリス・ウェルズ南アジア・中央アジア担当米国務次官補がカーブルに来訪し,翌日25日にはモスクワで米,ロ,中,パキスタンの代表による協議が実施された。同月27日にはハリルザード特使が,リサ・カーティス米国家安全保障会議南アジア・中央アジア部長を伴いカーブルに来訪し,和平協議再開のための環境整備を行った。このような状況のなか,11月18日に政府が,ターリバーンの人質となっていたアメリカ人1人を含むカーブルのアメリカン大学教員2人と囚人数人との交換に応じた。同月21日にトランプ大統領は人質解放に向けて尽力したことについてガニー大統領に感謝の意を示すとともに,11月23日にはターリバーンとの和平協議を再開すべきとの考えを表明した。ターリバーン側も直後の25日にモッラー・バラーダルら代表団が和平協議再開について会談するため,イランを訪問しザリーフ外相と会談を行った。さらに,11月28日には感謝祭に合わせてトランプ大統領がアフガニスタンに初めて来訪し,バグラム空軍基地でターリバーンとの協議を再開すると明言した。そして,12月7日に約3カ月ぶりとなる和平協議がドーハで再開された。
協議が再開された12月に入っても,ハリルザード特使は関係各国との調整に奔走した。12月13日に同特使は,イスラマバードを訪問しパキスタンのクレーシー外相,バジュワ総参謀長らと会談した後,18日には和平協議とパキスタン訪問時の会談内容について報告するため,カーブルに来訪しガニー大統領と会談を行った。その結果,12月20日にはターリバーン報道官はアメリカが駐留部隊の全面撤退に応じれば,政府との間で「アフガニスタン人内部対話」を開始するとTwitterに投稿した。さらに28日には,アメリカとの和平合意後に一時的な停戦に応じるとの報道もあったため,アフガニスタン国民の間では政府・ターリバーン間の直接対話も間近との観測も流れた。しかし,12月29日にターリバーン報道官が一時停戦の意思はないと明言するに至り,今後の政府・ターリバーン間の直接協議については実施されるか否か不透明な状況となった。
以上のように,2019年を通じてターリバーンはアメリカとの和平交渉を重ねるとともに,周辺国など関係各国においても政治勢力としての認知度を急速に高めた。その一方で,基本的にはアフガニスタン政府をアメリカの傀儡政権とみなす従来の見解を一貫して変えておらず,直接対話には否定的な状況である。和平協議が行われている最中も,国内では軍・警察関連施設を中心に全土でターリバーンによる攻勢が相次いだ1年でもあった。この攻勢に対応するため,政府軍や外国駐留部隊は空爆を強化したが,空爆による市民の犠牲者も急拡大することとなり,人々の政府と駐留外国部隊に対する不信は頂点に達しようとしている。8月8日にターリバーンの指導者アーホンドザーダは犠牲祭への声明を発表したが,その内容が空爆による市民犠牲者数の増加に懸念を示す内容であったことは象徴的である。
議会選挙開票をめぐる混乱と大統領選挙により深まる対立2019年は2018年10月20日に実施された下院議会選挙の開票と,大統領選挙をめぐりさまざまな問題が噴出した1年となった。大統領選挙の立候補者登録は2018年12月22日に始まったが,12月30日に2度目となる投票日の延期が発表され,大統領選挙は7月20日に実施されることとなった。年始の1月7日には議会選挙において約230人が不正関与の疑いがあると検察が発表し,選挙への不信が高まるなかで結果公表が遅れていたカーブル州の下院議員選挙の暫定結果が1月14日になりようやく発表された。
選挙に対する不信はIECとIECCに対する厳しい批判につながり,2月1日には各地から議会選挙立候補者たちがカーブルに集結し,両委員会に対する抗議デモを行った。人々の不満の高まりを受けて,ガニー大統領はIECとIECCの全委員を解任し,直ちに不正関与の疑いで捜査が実施されることとなった。3月3日にガニー大統領はIEC・IECCの委員を新たに任命し,事態収拾を図った。しかし,3月24日にアリアナ・ニュースが,議会選挙において特定候補者の便宜を図るようにガニー大統領自身が促した文書の存在について報道した。さらに,翌日にはIECC前委員長のアリヤーイーが報道を受けて,議会選挙結果発表前に複数の特定候補者を当選と発表するようにガニー大統領から圧力を受けたと証言した。これにより,選挙不正疑惑はガニー大統領および政権そのものに対する不信感へと発展した。
議会選挙をめぐる不正疑惑への批判が高まるなかで,議会選挙の最終結果発表も大幅に遅延することとなった。しかし,ガニー大統領は4月25日に至り,議会選挙最終結果発表前にもかかわらず議会開会を宣言した。また,度重なる大統領選挙実施日の延期に伴い,選挙実施日がガニー大統領の任期満了日である5月22日を超過することが確実な情勢下で,政敵たちは任期満了後に暫定政権を設立すべきとの意見を提示した。これを受けて,ガニー大統領は最高裁の判断を仰ぐ形をとり,4月21日に最高裁は大統領任期を9月28日まで延期する裁定を下した。さらに,大統領は開会した議会下院の院内総務に最終結果発表前であるカーブル州選出議員を任命した。これらの独断先行ともいえるガニー大統領の動きに対して,議会や有力政治家たちが一斉に反発した。
結局,IECは大幅に遅延していたカーブル州の下院議員選挙最終結果を5月14日になり公表した。議会選挙における投開票の混乱を受け,IECは16日に,大統領選挙では投票時に生体認証システムを利用して,不正防止を図ることを発表した。ただし,当初大統領選挙と同時に実施する予定であった州議会・郡議会選挙,および治安事情のため実施が遅れていたガズニー州下院議員選挙については延期が発表された。開会したばかりの議会においても下院議長選出をめぐって議員たちの間で対立が深刻化し,さまざまな重要議題が山積するなかで,議長選出に40日以上を費やすこととなった。加えて,6月23日にIECは大統領選挙の有権者登録について10万件以上の不正登録が確認されたと発表し,公正な選挙実施に対する人々の疑念をさらに深めることになった。
このように選挙をめぐる問題や政局が混乱するなか,7月28日に大統領選挙キャンペーンが開始された。大統領選挙は実質的に現職のガニー大統領とアブドゥッラー行政長官の一騎打ちの様相を呈した。前回2014年の大統領選挙でも両者は決選投票に進み,結果的にガニー大統領が勝利した。しかし,選挙結果をめぐる対立の激化により政治的混乱が生じたことから,アメリカが仲裁に乗り出し,行政長官という首相相当職を新設するという妥協案により,ガニー政権が誕生することとなった経緯がある。
アメリカとターリバーンとの和平協議が進行するなかでの選挙であったが,8月6日ターリバーンは大統領選挙に関連する集会なども攻撃対象となると声明を発表した。実際,この後ターリバーンやIS(「イスラーム国」)による攻撃が頻発するようになり,8月18日にカーブルの結婚式場においてISが実行した爆弾テロ事件(80人以上死亡,182人以上負傷)にみられるように,市民の犠牲者数が増加した。また,投票日間近となった9月17日には,パルワーン州を遊説中のガニー大統領を標的としたターリバーンによる爆弾テロ攻撃が発生し,24人以上が死亡した。このような治安情勢の悪化により,IECは大統領選挙において開設予定であった7385の投票所を5373とする決定を発表し,約2000カ所の投票所の開設を見送ることとなった。また,治安悪化に伴い十分な選挙活動が困難になるなか,9月18日にガニー大統領は大統領宮殿に支持者たちを集めて自らの選挙キャンペーンを実施した。このような,権力乱用ともいえる行為に政治家だけでなく国民からも非難が殺到した。
9月28日に大統領選挙が実施されたが,翌日にIECが発表した投票率は2割弱と極めて低調であった。さらに,10月12日にはアブドゥッラー行政長官がIECとガニー陣営が組織的な選挙不正を行っていると主張するなど,選挙の正当性に対する疑惑が深まった。これを受けて,票の再集計作業が実施されるなどしたため暫定結果発表は幾度も延期され,12月22日になりようやく発表された。暫定結果においては,ガニーが得票率50.64%,アブドゥッラーが39.52%となり,ガニーが過半数を獲得した。しかし,アブドゥッラーやほかの候補者たちは選挙不正,不備を繰り返し主張しており,最終結果の確定と受け入れには紆余曲折も予測される。
2017年に開港したイランのチャーバハール港は,それまでパキスタンの港を経由した貿易に依存していたアフガニスタンの輸出入の構造を変化させるとして,高い期待を集めた。2018年に発動されたアメリカによる対イラン制裁においても,米国務省がチャーバハール港については制裁対象外とすることを発表したため,港へのアクセスを中心としたインフラ整備が進められた。2019年2月24日にはアフガニスタンから初めての輸出品が同港を通じてインドへ出荷された。直後の26日にはチャーバハールにインド,イラン,アフガニスタンの事業者たちが集まり,今後の経済的連携について意見交換を行った。6月23日に運輸省は同港経由でのインド行き船舶運用のため,国際海事機関へ登録申請を行い,インド向けの貿易活動を本格的に開始することを明らかにした。そして,9月4日に商業・産業省はブドウ約20トンのインドへの輸出が開始され,今後ザクロやリンゴの輸出も計画していると公表した。ただ,インドが担当し進められているチャーバハール港へと接続する鉄道建設事業をはじめとして,港開発自体が遅れているため,貿易量も想定より少ない状況にとどまっている。そのため,12月24日にはイランのザリーフ外相がインドを訪問し,インドのジャイシャンカール外相と会談した際にチャーバハール港開発強化で合意を交わしている。さらに,12月29日には同港へと接続するイラン=アフガニスタン間鉄道が2020年3月頃までに完成するとの見込みが示された。
2019年は前年の大旱魃の影響が続くなか,各地で大雨・洪水による被害が相次いだ。治安悪化による経済への影響も深刻で,とくに地方の荒廃に歯止めがかからない状況が続いている。そのため,4月16日にはヘルマンド州で経済的苦境に対するデモが発生している。さらに,5月8日に労働・社会問題省は国内で250万人以上が未就労状態にあると発表し,6月7日に公衆衛生省は人口の半数が貧困線以下の生活を強いられ,約200万人の子供が栄養失調状態にあると公表した。
厳しい経済状況に直面するなかで,薬物依存症が拡大の様相をみせている。とくに,ヘロインなどに代わり覚せい剤が広く流通し,女性の間でも乱用が横行し始めている。実際,1月11日にヘラート州薬物対策局は同州の6万人の薬物依存症の人々のうち,約13%が女性と報告した。薬物蔓延を抑えるため,米軍は薬物製造関連施設へ空爆を行う作戦を1年間にわたって集中的に実施してきたが,市民の犠牲者拡大と空爆による薬物生産・拡散防止への効果がほとんどみられなかったため,2月22日に同作戦を終了すると発表した。
今後の経済状況に影響を及ぼす可能性のある事案としては,地下水の枯渇にともなう水不足の問題,あるいはカーブルにおける深刻な大気汚染の問題が挙げられる。これらの問題については速やかな対応が必要との認識は共有されているものの,実際に効果的な対策はとられていないのが現状である。
2018年後半からイムラン・ハーン政権下のパキスタンは,アメリカとターリバーンとの和平協議を仲介する積極的役割を担ってきた。そもそも,ターリバーンの和平協議代表団を率いるモッラー・バラーダルは,2018年11月にパキスタンの刑務所から釈放された人物であり,ターリバーンに対するパキスタンの影響力は無視できないと考えられる。また,和平協議の仲介役としてのみではなく,6月22日にはパキスタン北部の保養地ブルバンにおいて,ターリバーン代表団と交渉を行った「非公式政府代表団」のメンバーであるアフガニスタンの有力政治家たちを招いて,パキスタン主導のアフガニスタン和平プロセス協議を主催した。7月22日に訪米したハーン首相はトランプ米大統領と会談した際にも,アフガニスタン問題解決は武力ではなく交渉によるべきとの見解を伝えている。これを受けて,トランプ大統領もパキスタンの役割を評価すると同時に,2017年に凍結・中断されていた支援の再開を検討すると述べるなど,米・パキスタン関係はアフガニスタン情勢を通じて正常化しつつあり,アメリカ国務省は12月23日に約2年ぶりにパキスタン軍がアメリカでの軍事訓練に参加することを認める決定を発表した。
また,ハーン首相は3月15日に行われた集会において,ターリバーンとの和平協議成立に備え,すべてのアフガニスタン人を代表する暫定政府を設立すべきであると述べた。しかしこの発言は,アフガニスタンの政治家たちから内政干渉として強い反発を引き起こすことにつながった。翌日には駐パキスタン大使に抗議がなされたが,3月25日には再びハーン首相により,ターリバーンを含む暫定政府を設立すべきとする意見が発せられるに至り,アフガニスタン政府は駐パキスタン大使を召還して厳重に抗議した。このような状況を憂慮したハーン首相は,4月24日にパキスタンがアフガニスタン政府とターリバーンとの和平協議を支援すること,およびアフガニスタンでの反パキスタン感情の高まりは和平プロセスを損なうとする声明を発表した。しかし,5月14日にアフガニスタン政府がガズニー州の戦いで殺害されたターリバーンメンバーのうち33人がパキスタン人であったと発表したことで,人々の反パキスタン感情がさらに高まることとなった。
一方,ハーン首相は2月25日にパキスタン国内に居住する約140万人の登録アフガン難民が銀行口座を開設することを許可すると発表した。これは,パキスタン在住のアフガン難民をパキスタン経済に積極的に活用しようという試みであり,難民の社会統合に寄与する政策であるといえる。ただし,アフガニスタン・パキスタン国境付近では,両国の国境警備部隊による小競り合いがたびたび発生した。さらには,11月6日にパキスタン軍が2017年中旬から建設を進めている国境フェンスが2020年末までに完成するとの発表を行なった。他方,両国の往来加速のため,トルハム国境を24時間通過可能とする式典が9月21日に開催され,ハーン首相やアフガニスタン東部で国境を接するナンガルハール州知事などが出席した。このように,パキスタンとの関係は,ターリバーンをめぐり連携が強化される一方,対立点も多く今後も紆余曲折が予想される。
対イラン関係:緊密化する政治・経済関係イランは2018年12月30日にターリバーン代表団の訪問を受け,イランのアラグチー外務副大臣はテヘランで会談を行い,アフガニスタンの国土の半分を実質的に統治するターリバーンがアメリカやアフガニスタン政府との間で和平協議を進めることを支持する声明を発表した。この会談を受けて,2019年1月5日にアラグチー外務副大臣がカーブルに来訪し,ガニー大統領を含む政府高官と相次いで会談した。また,4月25日にはイランのザリーフ外相がアメリカのみでターリバーンとの和平交渉を進めることに反対し,アフガニスタン政府を含めた和平協議実施を求めた。さらに,アメリカ兵死亡により一時的に和平協議が中断された直後の9月17日には,ターリバーン代表団がイランを訪問し,協議再開に向けて協力を依頼している。
また,アフガニスタンでは2020年予算にて原子力エネルギー研究施設の設立をめざす動きもみられた。このため,6月にはイランと原子力分野での協力を進める覚書を交わし,視察団がイランを訪問した。原子力分野での協力関係については,アメリカとの関係も考慮しなければならないため,今後どのように進展するかは不透明である。
イランはシリア,イラクで勢力が弱体化したISがアフガニスタンに流入し勢力を拡大しつつある点を憂慮している。そのため,12月17日にテヘランで開催された地域安全対話会合においても,イランの最高安全評議会のメンバーがこの点について懸念を表明している。
一方,2018年に再開されたアメリカによる対イラン制裁により,イラン経済に陰りがみえるなか,イランで働くアフガニスタン人にも多大な影響が出始めている。このため,2019年5月9日にアラグチー外務副大臣が約300万人にも及ぶイラン在住のアフガン難民に対し,アフガニスタンへの早期帰還を求めると述べた。1月8日の国際移住機関(IOM)の発表によると,2018年1年間でのイランからの帰還難民数がすでに80万人以上という記録的数字に達しており,今後さらに帰還難民が流入した場合の社会的影響も懸念される。そのようななかで,先述したチャーバハール港の開発関連事業はアフガニスタン経済活性化の起爆剤として,アフガニスタン側の期待が高まっている。また,ザリーフ外相は5月にパキスタンを訪問した際に,グワーダル港とチャーバハール港は相互補完的に協力関係を強化すると述べており,今後の地域経済への影響が注目される。
対中国関係:強まる政治的プレゼンス中国は2016年初頭に始まった4カ国調整協議以来,ターリバーンとの和平協議の重要な局面でたびたび仲介役を担ってきた。2019年はアメリカとターリバーンとの和平協議が進展をみせたが,その最中の4月25日にはモスクワにおいて米,ロ,中によるアフガニスタン和平について議論する3カ国協議が開催されている。さらに,6月17日にはターリバーン代表団が北京を訪問し,駐留外国部隊の撤退問題やアフガニスタン政府を含む包括的協議開始のための前提について中国側と直接議論を交わしている。また,和平協議が中断すると9月22日にモッラー・バラーダル率いるターリバーン代表団が北京を訪問し,中国のアフガニスタン問題担当特使と会談している。中国はアフガニスタン政府とターリバーンとの間の直接協議開始に向けても積極的関与を続けた。その結果,10月28日から2日間,北京において両者の直接協議の場である「アフガニスタン人内部対話」会合が開催されることが同月22日に決定したが,10月25日にモスクワで開催された米,ロ,中,パキスタンによる協議の結果延期された。その後も11月3日にガニー大統領が王毅外相と電話会談を行い,中国が北京でターリバーンとの直接交渉を行うことで合意した。
2019年を通じて複数回にわたり実施されたアメリカとターリバーンとの和平協議は,2020年2月29日にドーハにおいて署名式典が実施され合意に至った。和平合意に至ったことは20年近くに及ぶ戦争状態終結に向けた一定の成果といえる。しかし,関係各国が実現に向けて腐心したアフガニスタン政府とターリバーンとの直接和平協議は実現しなかった。和平協定には135日以内に駐留米軍を現在の1万2000人から8600人に削減し,14カ月以内に全面撤退するという内容が含まれている。これは,ターリバーンが終始一貫して要求してきた点であることから,ターリバーンにとって外交的勝利ともいえる。他方,政府内部は議会選挙や大統領選挙の実施状況にみられるように,もはや政府の正当性確保に疑問符がつく状態が継続している。また,米軍・NATO軍の支援を受けながらも,政府軍とターリバーンとの戦闘は一進一退という互角の状況にある。このような現状に鑑みて,駐留部隊が全面撤退した場合には,全土での本格的内戦が勃発する危険性もありえる。
和平協定署名に先立つ2020年2月18日にIECは大統領選挙の最終結果を発表した。この結果,ガニー大統領は過半数の票を獲得し,決選投票を経ることなく再選を果たした。一方,ガニー政権とIECなどによる選挙不正を強硬に主張するアブドゥッラーは,自らが当選したと宣言し,さらに3月9日にはガニーとアブドゥッラー両者がそれぞれ大統領就任式典を実施するなど事態は混乱したが,2020年5月17日,両者は和解の合意文書に署名した。
国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)が2020年2月に公表した2019年年次報告書によると,2019年の市民死傷者数は1万392人(死者は3403人,負傷者6989人)と2014年以来で最小の数字となった。しかし,ISの影響力が減退しISによる被害者が減少する一方で,ターリバーンによる被害者は増加した。さらに,全体の死傷者数は減少する一方で,政府軍や米軍の空爆による市民の被害者も増加している。
アメリカとターリバーンは和平合意を果たしたが,政府との和平の進展はいまだに五里霧中という状態にある。また,政府内部の腐敗と権力闘争の激化にも歯止めがかかっていない。国内の安定と治安が依然として懸念されるなか,今後のターリバーンの動向と政府の対応が注目される。
(日本学術振興会特別研究員PD)
1月 | |
3日 | ペンス米副大統領がFOXニュースのインタビューで駐留米軍の半数に相当する7000人を撤退させる予定と述べる。 |
3日 | パキスタンがアフガニスタン人に対する入国時取得可能ビザの発給停止を発表。 |
5日 | ターリバーン報道官が2018年末からのアメリカとの和平協議が継続していると述べる。 |
8日 | ターリバーンが政府代表団の出席に反発し,翌日からドーハで開催予定の和平協議への欠席を発表。 |
14日 | 独立選挙委員会(IEC)がカーブル州の議会下院選挙暫定結果を発表。 |
18日 | ハリルザード米和平担当特使がパキスタンを訪問しターリバーンとの和平協議についてクレーシー外相と会談。 |
20日 | 大統領選挙立候補受付が終了。 |
21日 | ドーハで米・ターリバーン和平協議が開始(1月26日まで6日間)。 |
24日 | ガニー大統領がモハッケク第二副行政長官を大統領令により解任。 |
24日 | モッラー・バラーダルがターリバーンの和平協議代表に就任。 |
27日 | 薬物対策省を内務省に吸収合併。 |
28日 | ハリルザード米特使がターリバーンとの和平協議の基本的枠組みで合意と発表。 |
2月 | |
1日 | カーブルで議会選挙の投開票に関連してIECと独立選挙不服申立委員会(IECC)への抗議デモが発生。 |
5日 | モスクワでカルザイ前大統領を長とする非公式代表団がターリバーンと和平協議。 |
10日 | ガニー大統領がターリバーンの事務所を国内に設置することを認めると発表。 |
10日 | 独立地方行政局(IDLG)が新たに5州を創設する計画を発表。 |
11日 | ムジャッディディ元大統領が死去。 |
12日 | ガニー大統領がIECとIECCの全委員を解任。 |
18日 | ハリルザード米特使が来訪し,ガニー大統領と会談。 |
21日 | ガニー大統領がトルクメニスタン大統領との間で両国の戦略パートナーシップを締結。 |
25日 | ドーハで米・ターリバーン和平協議(途中2日間の中断を含め3月8日まで)。 |
3月 | |
3日 | ガニー大統領がIECとIECCの新委員を任命。 |
7日 | カーブルでハザーラ指導者を偲ぶ式典を標的としたテロ事件。 |
7日 | グテーレス国連事務総長が政府とターリバーンとの直接交渉の早期開始を要求。 |
12日 | ハリルザード米特使がターリバーンとの間の合意草案作成に至ったと発表。 |
13日 | ガニー大統領が「サーダト」をエスニック集団として承認すると発表。 |
14日 | モヒッブ国家安全保障担当補佐官が,首都ワシントンにおいてハリルザード米特使による政府を除外した形でのターリバーンとの和平協議継続を批判。 |
20日 | IECが大統領選挙を9月28日実施へと延期すると発表。 |
30日 | ドスタム第一副大統領の車列に対してターリバーンが攻撃。 |
4月 | |
1日 | ハリルザード米特使が来訪。 |
7日 | ガニー大統領がターリバーンとの直接交渉開始のため,交渉チーム評議会を設置。 |
11日 | ターリバーンが国内で当面の間,世界保健機関(WHO),赤十字国際委員会(ICRC)の活動を休止するように要求。 |
19日 | ターリバーンが政府代表団の和平協議への参加を拒否したため協議延期。 |
21日 | 最高裁が5月22日までの大統領任期について9月28日までの延期を認める判断。 |
25日 | モスクワで米,ロ,中によるアフガニスタン和平に関する3カ国協議が開催。 |
25日 | ガニー大統領が2018年議会選挙最終結果発表前にもかかわらず議会開会を宣言。 |
28日 | カーブルでターリバーンとの和平交渉について協議するため,和平諮問ロヤ・ジルガ開催。 |
5月 | |
1日 | ドーハで米・ターリバーン和平協議再開。 |
3日 | 和平諮問ロヤ・ジルガが終了。 |
14日 | IECがカーブル州の議会下院選挙最終結果を発表。 |
16日 | IECが大統領選挙の投票において,生体認証システムを導入すると発表。 |
22日 | ガニー大統領の任期満了日,13人の大統領選立候補者が即時退任を要求。 |
22日 | ハリルザード米特使が,アメリカ議会上院外交委員会の非公開ヒアリングに出席。 |
28日 | モスクワにおいて政府非公式代表団,ターリバーンが参加しての和平協議。 |
29日 | IECはガズニー州下院議員選挙,および州・郡議会選挙の実施を延期すると発表。 |
31日 | ターリバーン幹部が和平合意後について包括的政府設立を要求。 |
6月 | |
1日 | ターリバーン指導者のアーホンドザーダが断食月明けのメッセージにて,改めて米軍撤退を要求。 |
14日 | ガニー大統領がビシュケクで開催の上海協力機構サミットにおいて和平協議に時間を要するとの見解を報告。 |
17日 | ターリバーン代表団が北京を訪問し,駐留外国部隊撤退が政府との包括的協議実施の前提と明言。 |
22日 | パキスタンのブルバンにおいて,アフガニスタンの有力政治家たちが出席し,パキスタン主催のアフガニスタン和平協議開催。 |
23日 | IECは大統領選挙に関連して10万件以上の不正有権者登録があったと発表。 |
25日 | ポンペオ米国務長官がカーブルを電撃訪問。 |
27日 | ガニー大統領が2日間の日程でパキスタンを公式訪問。 |
29日 | ドーハで第7回米・ターリバーン和平協議開始。 |
29日 | 約40日間の論争を経て,議会下院議長にラフマーニーが選出。 |
7月 | |
3日 | ガニー大統領がカンダハール空港をアフマド・シャー・ドゥッラーニー空港と改名することを発表。 |
8日 | ハリルザード米特使がターリバーンとの協議において大きな進展と発表。 |
8日 | 政治家・社会活動家など非公式政府代表団がターリバーンと直接対話開始。 |
9日 | 非公式政府代表団とターリバーン間対話において和平のためのロードマップ策定。 |
20日 | ガニー大統領は関係者全員が参加しての包括的和平対話が数週間以内に開始の予定と発表。 |
25日 | カーブルでIS(「イスラーム国」)によるテロ事件。50人以上が死亡。 |
28日 | 大統領選挙キャンペーン開始。 |
29日 | ポンペオ米国務長官はトランプ大統領が2020年11月の次回米大統領選挙までに駐留部隊兵員の削減を望んでいると述べる。 |
31日 | ターリバーンは次回協議にてアメリカとの和平合意を締結するとの認識を発表。 |
8月 | |
1日 | 米メディア,駐留米軍が数千人規模で削減予定とする報道。 |
3日 | 米・ターリバーン和平協議再開(~12日)。 |
3日 | 国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)は7月の市民死傷者数が1500人以上と過去2年間で最悪の数字と発表。 |
5日 | ハリルザード米特使は3日間の和平協議について素晴らしい進展と述べる。 |
6日 | ターリバーンが大統領選挙キャンペーンを攻撃対象と明言する声明発出。 |
8日 | ウズベキスタン外務省がモッラー・バラーダルを長とするターリバーン代表団を公式招聘。 |
8日 | ターリバーン指導者のアーホンドザーダが犠牲祭向けの声明において,米軍の空爆により市民の犠牲者が出ていることを非難。 |
10日 | 外務省がウズベキスタン政府によるターリバーンの公式招聘について批判。 |
16日 | ターリバーン指導者アーホンドザーダの弟がパキスタンのクエッタのモスクでの爆弾テロによりで死亡。 |
18日 | ISがカーブルで結婚式を標的とした爆弾テロ。80人以上死亡,182人以上負傷。 |
21日 | ダールルアマーン宮殿の修復完了式典が挙行。 |
21日 | 米兵2人がターリバーンとの戦闘で死亡。 |
22日 | ドーハで第9回米・ターリバーン和平協議開始。 |
25日 | IECが大統領選挙における約2000カ所の投票所を閉鎖予定と発表。 |
31日 | サーレフ副大統領候補,パキスタンの政府・軍がターリバーンを支援と批判。 |
9月 | |
2日 | ハリルザード米特使はターリバーンとの和平協議において基本的合意に至ったと発表。 |
2日 | カーブル中心部のグリーンゾーンにおけるターリバーンの攻撃で市民16人以上死亡。 |
3日 | 汚職防止司法局は2018年10月の議会選挙における不正に関与したとして,IEC,およびIECCの前委員たちに対して禁錮5年の判決。 |
4日 | 商業省がブドウ20トンをチャーバハール港経由でインドに輸出開始と発表。 |
5日 | カーブル近郊でターリバーンが爆弾テロ攻撃。米兵1人を含む12人が死亡。 |
8日 | 5日の米兵死亡を受けて,ガニー大統領とトランプ米大統領との会談が中止。米・ターリバーンとの和平協議も中断。 |
12日 | 米下院外交委員会がハリルザード米特使にターリバーンとの和平協議について公開の場で説明するよう召喚状を送付。 |
13日 | ターリバーン代表団がモスクワを訪問し,ロシアのカーブロフ大統領特使と会談。 |
14日 | トランプ大統領がオサーマ・ビン・ラーディンの息子をアフガニスタン・パキスタン国境で殺害と発表。 |
15日 | ターリバーンが赤十字国際委員会(ICRC)の国内での活動再開を許可と発表。 |
16日 | ガニー大統領とアブドゥッラー行政長官のテレビ討論が予定も,大統領は欠席。 |
17日 | ターリバーン代表団がイラン訪問。 |
17日 | 国連安全保障理事会において,UNAMAの1年間の活動継続が全会一致で承認。 |
18日 | ガニー大統領が大統領宮殿に支持者を集めて選挙集会開催。 |
19日 | ナンガルハール州において政府・米軍による空爆で市民50人以上が死亡。 |
19日 | ポンペオ米国務長官が政府の腐敗や汚職を批判し,支援の中止・凍結を発表。 |
22日 | モッラー・バラーダルを長とするターリバーン代表団が北京を訪問。 |
22日 | ヘルマンド州での政府軍の空爆で市民40人以上死亡。 |
26日 | ターリバーンが支配地域におけるWHOのワクチン接種活動再開を認める。 |
28日 | 大統領選挙投票日。 |
29日 | IECは投票率を2割弱と発表。 |
10月 | |
4日 | グテーレス国連事務総長が過去4年間で3500人以上の子供が犠牲になっているとして懸念表明。 |
5日 | イスラマバードでハリルザード米特使とターリバーン代表団が協議中断以来初となる会談を実施。 |
8日 | 国家安全保障局(NDS)はアル・カーイダ南アジア司令官が先月死亡と発表。 |
12日 | アブドゥッラー行政長官がIECとガニー政権による組織的選挙不正を主張。 |
14日 | カイユーミー財務相代理,米研究所から多額給金受領の疑惑が報道される。 |
18日 | ナンガルハール州のモスクでの爆弾テロ事件。市民69人以上死亡。 |
19日 | IECが大統領選挙の暫定結果発表予定日の延期を発表。 |
20日 | エスパー米国防長官がカーブルを電撃訪問。 |
21日 | ミラー駐留米軍司令官が,前年末に駐留部隊の兵員2000人を削減したため,1万2000人が駐留と発表。 |
22日 | ブリュッセルでハリルザード米特使がアフガニスタン和平について各国代表と会談。 |
23日 | ラッバーニー外相代理が辞任。 |
24日 | アリス・ウェルズ米国務次官補がカーブルに来訪。 |
25日 | モスクワでアフガニスタン和平について米,ロ,中,パキスタン代表が会談。 |
27日 | ハリルザード米特使,カーティス米国家安全保障会議(NSC)南アジア・中央アジア部長が来訪。 |
27日 | IECは大統領選挙暫定結果発表が11月14日まで遅れると発表。 |
30日 | ターリバーンが人質解放と引き換えに囚人を釈放するよう政府に要求。 |
30日 | イドリス・ザマーンを外相代理に任命。 |
11月 | |
1日 | IECが大統領選挙について生体認証システムにより,有効投票数の算出と票再集計を行うことを発表。 |
3日 | ガニー大統領が中国の王毅外相と電話会談。 |
18日 | ターリバーンがアメリカ人1人を含む人質2人を解放。囚人解放と交換。 |
20日 | 米国務省は中国のアフガニスタン和平における役割を評価する声明。 |
21日 | トランプ大統領が人質・囚人交換によるアメリカ人解放についてガニー大統領に謝意を述べる。 |
25日 | ターリバーン代表団がイランを訪問しザリーフ外相と会談。 |
28日 | トランプ大統領が就任以来アフガニスタンに初来訪。バグラム空軍基地でターリバーンとの協議再開を明言。 |
29日 | カーブルでアブドゥッラー行政長官の支持者たちが選挙不正を訴えるデモ行進。 |
12月 | |
4日 | ジャララバードでペシャワール会の中村哲医師ら6人が殺害。 |
7日 | 約3カ月ぶりにドーハで米・ターリバーン和平協議が再開。 |
11日 | ターリバーンがバグラム空軍基地近くを攻撃。これを受けて和平協議が中断。 |
13日 | ハリルザード米特使がパキスタンを訪問しクレーシー外相,バジュワ総参謀長と会談。 |
15日 | IECが7州で再集計を実施。 |
16日 | アブドゥッラー行政長官がIECに全州の票再集計を要求もIECCが拒否。 |
18日 | ハリルザード米特使がカーブル来訪。ガニー大統領と会談。 |
22日 | IECが大統領選暫定結果を発表。 |
22日 | ターリバーン代表団がパキスタン訪問。 |
27日 | 大統領府が和平合意後に政府代表交渉団のリストを公表すると発表。 |
29日 | ターリバーン報道官が一時停戦の意思はないと明言。 |
(注)2004年1月4日採択のアフガニスタン憲法に基づき作成,その後の推移により修正。
(注)1)財務相(代理)と兼任。
2)アブドゥッラー行政長官は2019年の大統領選挙結果受け入れを拒否し,自らが大統領に当選したと宣言した。3月11日にはガニー大統領により行政長官府の閉鎖が宣告されたが,ここではそれ以前の状況を考慮して行政長官・および第一・第二行政副長官について記入し,ガニーを大統領として記載した。
(出所)各省庁ウェブサイトを参考に筆者作成。
(注) *はこの1年間に新たに着任した州知事である。5州で知事が交代した。
(出所)Afghanistan Onlineのウェブサイトを参考に筆者作成。
(注)1)2018/19年度人口は,推計。2)為替レートはカーブル自由市場の年平均値。
(出所)National Statistics and Information Authority, Afghanistan Statistical Yearbook 2015-16, 2016-17, 2017-18, 2018-19; NSIA ウェブサイト。
(注)在庫変動と統計誤差(いずれも推定値)を除く。
(出所)表1に同じ。
(注)1)2002/03年度を基準とした実質価格。ケシ(Poppy)栽培を除く。輸入品に課される税を除く。
(出所)表1に同じ。
(注)1)2018/19年度の国際支援については統計がない。
(出所)表1に同じ。
(注)輸出の「その他」にはウズベキスタン・トルクメニスタンが,輸入の「その他」にはイラクがそれぞれ含まれる。
(出所)表1に同じ。