Yearbook of Asian Affairs
Online ISSN : 2434-0847
Print ISSN : 0915-1109
Trends in Countries and Regions
Singapore in 2022: The Rise of Lawrence Wong as the Next Prime Minister
Ryoichi Hisasue
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2023 Volume 2023 Pages 353-376

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2022年のシンガポール

概 況

政治面では,4月にリー・シェンロン首相の後継者がローレンス・ウォン(黄循財)財務相になったと公表され,この7~8年ほど続いた次期首相の選定問題が決着した。財政は赤字収支が継続して歳入拡大の必要性が増すなか,2023年からの物品サービス税(GST)増税実施が決定された。新型コロナウイルス対応では,第1四半期に感染者数が激増したものの,3月末から社会規制や旅行制限を段階的に撤廃して通常化を実現した。社会的自由の拡大は一進一退で,野党には対抗姿勢を強め,言論やネット空間への締め付けを継続したほか,麻薬関連犯罪者11人への死刑執行も相次いだ。一方で,8月にリー首相が男性間同性愛行為の処罰を規定した刑法377条A節の廃止を表明し,同性愛の受容には進歩がみられた。

経済面では,実質国内総生産(GDP)成長率が3.6%(改定値ベース)と大きく減速したが,消費者物価指数(CPI)は6.1%の大幅上昇となった。このため金融管理局(MAS)は年4回という異例のペースで金融を引き締めた。雇用市場は堅調だが,国民優先雇用政策から外国人向けビザ発給に制約が続いている。経済センターとしては,総合的な利便や機能に加え,新型コロナウイルス対策をいち早く緩和・撤廃し,成長に弾みがついている。高付加価値・創発型産業の育成にも引き続き積極的で,特に政府の脱炭素化目標に合わせた低炭素関連分野が伸びている。こうしたなかで,政府内からは原子力技術導入に言及する動きもみられた。

対外関係面では,米中対立継続のなかでの立ち位置が最重要課題だが,アメリカの長期的な国力および指導力低下や対外政策の不安定性というリスクを考慮し,域内外における利害関係国との集団的安全保障の強化も試みている。また,ロシアによるウクライナ侵攻には,国際法と主権国家を尊重する国際秩序によって存在を担保されている小都市国家として強い危機感を表明し,国連制裁を待たない独自の対ロ制裁を発動するなど,異例の強い姿勢で臨んでいる。

国内政治

リー首相後継者の決定

リー首相は4月14日にSNS上で,自身の後継者が49歳のウォン財務相に決着したと公表した。この次期首相の選定問題は7~8年ほど続いており,特に2018年11月に一度は内定したヘン・スイーキア副首相が,2021年4月に後継者を辞退すると突然の発表をして以降,国内外で政治的安定性や継続性に懸念を生じさせた。したがって,今回の発表はひとつの区切りをもたらすものであった。

ウォンは中産階級に生まれ,エリート校ではない普通の地元校に通った後,政府奨学金でアメリカに留学した。アメリカではウィスコンシン大学で学士,ミシガン大学で経済学修士,ハーバード大学ケネディ・スクールで行政学修士を取得後,1997年に通産省へ入省した。その後は財務省や保健省でも活躍し,2005年からは将来の最高指導層に相応しい人材かを試される,首相の首席秘書官に抜擢されて勤め上げた。2008年からはエネルギー市場管理局長官を務めた後,2011年の総選挙に出馬し当選した。2012年に文化・地域・青年相代行となり,2014年には正式昇格し,2015年に国家開発相,2020年に教育相を歴任した。また,同年設置の新型コロナウイルス対応省庁間タスクフォースでも,共同議長を務めた。

もっとも,ウォンはリー首相の後継者候補としては,年齢や経歴で先行していたヘン副首相,国軍出身のチャン・チュンシン(現教育相),官僚出身のオン・イエクン(現保健相)に比し,ほとんど取り沙汰されなかった。ところが,ヘン副首相による後継辞退表明後の2021年内閣改造ではウォンが財務相に抜擢され,一方で将来のナンバー2と目されたチャンは通産相から教育相に,運輸相のオンは保健相に異動した。従来からチャンはエリート然とした態度や発言が物議を醸すことも多く,オンは国民へのアピールや人気が不足する傾向にあった。一方で,ウォンはSNSやメディアへの積極的な露出を開始した。

ただし,次世代指導層「第4世代」内の意見集約は難航した。そこで3月に入ると,リー首相およびターマン・シャンムガラトナムとテオ・チーヒェンの両上級相は,引退したコー・ブンワン元運輸相に調整を委託した。コーは「第4世代」の閣僚に加え,国会議長に転じたタン・チュアンジン,全国労働組合会議(NTUC)総書記のン・チーメンの合計19人に,守秘を約束したうえで個別面談した。この結果,15人がウォンを支持すると判明し,4月14日には全閣僚と与党所属議員への報告・了承を経て,同日にリー首相が公表した。これを受けてウォンはSNS上に,「私を選んだ同僚たちの信頼に謹んで感謝する」「第4世代チームとともに全力で国民に尽くし,信頼と支持を勝ち取るため尽力したい」と記した。

ウォンが選出された背景には,(1)リー首相の推し進める脱「リー・ファミリー世襲」に適い,(2)国軍を政治要素にしないため軍出身のエリートではなく,(3)安定的に最低10年以上の長期政権を担える年齢で,(4)現実的で柔軟なバランス感覚を持つ人物,という要件を満たしていたことがある。しかし,彼の最高指導者としての器量は未知数である。特にウォンを除く「第4世代」の18人中3人が第一候補に挙げなかった事実や,首相候補として先んじていたチャン教育相やオン保健相との協働関係を考えれば,その統率力を首相就任前から問われるであろう。

なお,首相職の引き継ぎについてリー首相は,準備が整い次第だが慎重かつ着実におこなうべきと述べている。ウォン自身は,次期総選挙前にリー首相から禅譲を受けるか,あるいはリー首相の下で総選挙を戦った後に首相に就任するかの2パターンに言及している。政権側は,次期政権への実質的信任投票であった2020年総選挙で苦戦し,結果としてヘン副首相の後継者辞退につながった二の舞を懸念していると思われる。したがって,国民間でウォン次期首相のコンセンサスを十分に確立し,かつ国民の選挙感情に大きく影響する物価上昇を抑制する必要がある。いずれにしても,次期総選挙実施期限である2025年11月までに最善のタイミングを見計らいつつ,上記2パターンのどちらかで引き継がれるであろう。

事実上の後継者となったウォンは,6月の内閣改造で財務相兼任のまま副首相に昇格すると,同月28日には国民との社会契約や国の将来像を再検討・刷新する「フォワード・シンガポール」計画を発表した。また,さまざまな活動やメディアに登場し,次期首相として国民間のコンセンサスを固めている。11月には人民行動党(PAP)党大会で,書記長であるリー首相に次ぐ副書記長に選出され,党内の地位も固まった。さらに5月にインドネシア,9月にマレーシアとインドを訪問し,11月にはリー首相とG20に参加するなど,対外アピールも展開している。

2022年度予算案とGST増税開始への備え

2月18日,ウォン財務相は国会に予算案を提示した。2021年度の基礎的財政収支は259億3700万Sドルの赤字で,これに投資運用収益組入金(NIRC)などを加えても49億5300万Sドルの最終赤字となった。一方で,2022年度の歳入は817億5400万Sドル,歳出は1024億600万Sドルで,特別移転(Special Transfers)を加味した後の基礎的財政収支は228億4400万Sドルの赤字となり,NIRC補填後でも30億3700万Sドルの最終赤字になる見通しを示した。

2022年度の主な歳入は,法人税181億9300万Sドル(全体比22.3%),個人所得税139億8300万Sドル(同17.1%),GST127億9000万Sドル(同15.7%)とした。一方で主な歳出は,保健192億8800万Sドル(全体比18.8%),国防163億6200万Sドル(同16%),教育136億Sドル(同13.3%),運輸102億5300万Sドル(同10%),内務81億9000万Sドル(同8%),人材70億6400万Sドル(同6.9%),通産64億3200万Sドル(同6.3%)とした。

シンガポールの基礎的財政収支は恒常的な赤字状態だが,NIRCの補填などで緩和している。しかし,NIRC原資である政府投資公社(GIC),MAS,政府系投資持株会社テマセック・ホールディングスの運用益は,利回りが低下傾向にある。例えば,2021年度のGIC運用利回りは,過去20年間の年率換算実質利回りベースで4.2%(前年度比0.1%低下)となり,今後も低下が続くと予想されている。テマセックの2021年度純資産価値は過去最高の4030億Sドル(前年比220億Sドル増)となったが,株主総利回りは5.8%と過去10年平均の7%を下回った。

政府は,今後数年で財政収支を均衡させる考えだが,NIRCへの依存に限界があり,また国民への再分配で構造的な歳出増が避けられないなかでは,増税による歳入改善しか方法はない。このため過去2年は新型コロナウイルス流行による景気低迷で控えていたGST引き上げが,2023年1月に実施されることが決定した。

GSTは2021年度税収の全体比で21%を占め,法人税(30%),個人所得税(23%)に次いで大きい。現行7%から9%への引き上げは2025年までに実施予定であったが,リー首相は1月の年頭所感でその必要性に言及し,2月の予算案では2023年1月に8%,2024年1月に9%の段階的引き上げ実施を表明した。リー首相は「GSTを増税しないことは政治的に有利だが無責任」と述べ,急速な高齢化のなかで「医療費や社会福祉の支出が急増している」として理解を求めた。野党はインフレ下の増税は中低所得層に打撃を与えると反対したが,政府は総額80億Sドルの打撃緩和パッケージで対応可能としている。

なお,10月には改正所得税法が国会で成立した。このなかでは,2024年から課税対象所得50万~100万Sドルの高額所得者に対する税率が現行22%から23%に,同100万Sドル以上は現行23%から24%に引き上げられ,年間約1億7000万Sドルの歳入増を見込んでいる。これに先立つ8月にウォン副首相は,富裕・高所得層は応分の負担を求められるとの考えを述べた。

このように政府は,景気動向や社会的影響に配慮しつつも,少子高齢化の進展による中長期的かつ構造的な歳出増が避けられないなかで,今後も財政収支改善のため増税の取り組みを継続すると考えられる。

新型コロナウイルス関連規制の積極緩和

新型コロナウイルスへの対応は,2021年6月以降に「封じ込め」から「共存」へ方針転換し,社会規制を緩和した。ただしオミクロン株流行で2022年2~3月には新規感染者数が1万人を超える日が続き,最多は1日約2万6000人となった。しかし,オン保健相は「重症化率は低く共存可能」(2月8日),「一般的な感染症と大差ない」(2月14日)として,一部規制の再強化で機動的に対応した。

3月初旬に入ると感染者数は低下傾向を示し,29日には屋外でのマスク着用義務撤廃に加え,小規模集会人数の制限,出社率の規制,大型イベント参加者数の上限が緩和された。4月26日には上記項目の撤廃に加え,ワクチン未接種者の行動制限も大幅緩和された。6月後半から7月には新規感染者数が1万人を超えて再び増加したが,8月29日には公共交通や医療施設を除いた屋内でのマスク着用義務が撤廃され,10月10日にはワクチン未接種者の行動制限も全廃された。

外国からの入国も,経済センターとしての競争力強化のため積極的な受け入れを拡大し,最終的に実質自由化した。3月には,2021年9月に導入したものの同年12月に一時停止した「ワクチン接種済トラベルレーン」(VTL)を再開し,対象国も30数カ国に拡大した。4月1日からは,ワクチン接種完了者は出発国を問わず,入国時の隔離不要や短期滞在者向け旅行保険の加入義務撤廃を柱とする「ワクチン接種済渡航フレームワーク」(VTF)を開始し,同月26日からは入国前の陰性証明取得も不要となった。S・イスワラン運輸相は5月18日,今後に変異株ウイルスが出現しても国境開放は維持すると表明している。

このようにシンガポールは,もはや新型コロナウイルス流行はコントロール可能と認識しており,事後処理の動きも活発化している。例えば,対策司令塔の省庁間タスクフォースは年前半から,将来への教訓を得るため,これまでの政府対応の事後検証を開始している。会計検査院も,2020~2021年度の2年間に723億Sドルを投じたコロナ対策関連の財政支出・政府調達に関する監査を実施し,7月には3省庁での問題を指摘している。このほか,社会・経済活動が正常化するなかで,これまで実施してきた財政支援プログラムなども順次終了させている。

野党伸長への警戒

2011年と2020年の総選挙で躍進し,国会論戦でも活発な議論を提起している野党勢力に対し,「管理された野党の伸長」を望む政府・与党側は,ウォン次期首相の政権誕生を控えた次回総選挙もにらみながら,抑圧的姿勢を再開している。

政府側の基本姿勢として,オン保健相は1月に,内外諸課題に対応するには「強い政府」が必要で,シンガポールのような小国では2大政党制は成立しにくいとの認識を示している。リー首相も11月のPAP党大会の席上,国民がPAP統治の継続と野党の伸長を望むことは両立しないと述べている。さらに野党の失敗や国民への利益相反も指摘する必要があるとして,対抗姿勢をみせた。

国会では,最大野党「労働者党」(WP)のライシャ・カーン前議員が,2021年に国会で複数回の虚偽発言をした問題に関し,同党への追及が強まった。主に与党議員で構成する国会特権委員会は,プリタム・シン党首などWP執行部を数度召喚し,カーン前議員の虚偽発言の隠蔽を試みたと指弾した。2月10日には最終報告書を公表し,カーン前議員への罰金に加え,シン党首とファイサル・マナップ副書記長の偽証罪による刑事訴追を求めた。そして,2月15日には最終報告書に基づく国会決議が,圧倒的多数を占めるPAPの賛成で可決された。

もっとも,WPが地盤とするアルジュニード・ホーガン地区で,同党主導の地区委員会が利益相反をおこなったと政府から指摘された問題では,最高裁が下級裁判所の判決を修正し,WP側に沿った判断を下している。最高裁は,WP側が不適切な手続きや利益相反の可能性を認識していたが,その行動は「善意の結果」と認定した。司法の中立化が進むなかで,もはや政府はリー・クアンユー時代のように,司法を公然と野党抑圧の手段に利用することが難しくなりつつある。

一進一退の自由化

『エコノミスト』誌調査部門の「2021年版民主主義指数ランキング」(2月2日発表)で,シンガポールは世界66位の「欠陥ある民主主義」に分類された。建国以来の抑圧的な社会体制は徐々に自由化されているが,近年は一進一退である。5月26日にリー首相は自国の統治システムに言及し,「我々の社会にとって機能するものとなっている」「国民は国益と自らの幸福をもたらす議員,政党,リーダーに投票し,ゆえにPAPは強い支持を得ている」と正当化している。一方で,「世代が進めば環境も変わり,価値観や次世代への影響も変わる。その異なる期待や願望は政治観に反映される」として,PAPが変化に適応する必要性も強調している。

ただし現在のところ,報道の自由といった民主的社会の基礎要素には,「国境なき記者団」が発表した「報道の自由度ランキング」(5月3日発表)で180カ国中139位になったように,強い制約がある。同団体は,大手メディアが政府系資本に統制され,オンラインの独立系メディアも,2021年には政府に批判的なThe Online Citizen(TOC)が閉鎖に追い込まれたように,厳しい状態にあると指摘する。なお4月に裁判所は,閣僚への名誉棄損でTOCのテリー・シュー編集長と記者に3週間の禁錮刑を命じたが,その後シュー編集長は海外に移り,9月には台湾でTOCを再開した。

インターネット関連規制も継続し,7月には2021年成立の「外国人干渉対策法」(FICA)が施行された。これにより政府は,外国やその国内代理人の国内干渉・撹乱防止のため,SNSやインターネットサービスの運営者に情報開示,アカウント制限,コンテンツやアプリの削除を要請できるようになったが,TOCのような海外発ネットメディアへの干渉・濫用が懸念されている。また,11月に成立した「改正オンライン安全法」では,政府はSNSの運営者に「悪質」コンテンツの掲載停止を命令し,違反した場合には最大100万Sドルの罰金と国内での運営停止を科すことが可能となった。

11人の麻薬犯罪者への死刑執行が相次いだことも,内外で波紋を起こした。特に知的障害を持つとされるマレーシア人の死刑執行には,国連,マレーシア政府,欧州連合,国際人権団体などが反対し,国内でも市民集会が唯一許されているホンリム公園で400人規模の反対集会が2回も開催されて関心を集めたが,4月27日に刑が執行された。政府は,同死刑囚が知的障害者に該当しないことは裁判で証明されているとし,シャンムガム内相兼法相も国民の8割以上が死刑制度を支持し,重大犯罪の抑止力になっていると正当性を主張した。

もっとも,同性愛の受容では大きな進歩が見られた。シンガポールは「建国の父」リー・クアンユー元首相が同性愛を激しく忌避し,イギリス植民地期に制定された男性間同性愛行為を罰する刑法377条A節が存続するなど,同性愛に不寛容であった。しかし近年は,社会の間でLGBTQの人々を受容・尊重する意識が高まっていた。フランス系調査会社イプソスが5月末から6月初旬にかけて実施した世論調査では,同性愛を許容すると答えた人は45%で,特に18~29歳の若い世代では67%に達した。また刑法377条A節の存在には賛成44%,反対20%であったが,賛成割合は4年前の55%から大幅に低下した。

2月には最高裁で刑法377条A節の違憲訴訟判決があり,同法は違憲ではないが,もはや象徴的に存在しているに過ぎず,積極的執行は不能との判断が示された。3月にはシャンムガム内相兼法相も,同判決に沿った見解を示すと同時に,同条廃止には社会的合意への継続的議論が必要とした。この変化を受けてリー首相は,8月21日の演説で「現代の道徳観を反映し」,「大半の国民が同性愛を受容可能」として刑法377条A節の廃止方針を表明し,11月29日には国会で同法廃止案が可決された。国内では依然,伝統的な家族観や道徳観を持つ人々だけでなくキリスト教やムスリムの宗教保守層も多いなかで,政府が廃止決断を下したことは,小さな一歩だが大きな意味を持つ。

経 済

景気減速と物価上昇

景気動向は実質GDP成長率が3.6%(改定値ベース)と,2021年の8.9%から大きく減速し,一方でCPIの上昇は6.1%を記録して,2021年の2.3%を大幅に上回った。3月2日,ウォン財務相は国会で「経済成長率(の低下)とインフレ率(の上昇)という2つのリスク」を挙げ,加えてウクライナ情勢が世界経済に及ぼす影響に警戒感を示した。実際,経済成長は減速したがCPIや不動産価格の上昇ペースは早まったため,MASは年4回もの異例のペースで金融を引き締めた。

通産省は2月に経済成長率を年率3~5%と予測し,MASも4月のマクロ経済レビューで同予測を踏襲した。こうしたなかで各期の具体的な成長率をみると,第1四半期は,製造業が前期の大幅な伸びの反動から5.8%に減速した影響で,全体は4%の成長にとどまった。第2四半期は,製造業が6.1%,サービス業も4.8%と横ばいになり,全体で4.5%となった。第3四半期には,製造業が1.1%と減速した一方,サービス業が5.5%,建設業も8.1%と続伸し,全体で4%となった。これを受けてMASは,10月のマクロ経済レビューで成長予測を年3~4%のレンジに狭めた。第4四半期は,製造業が−2.6%と急減速し,建設業の10%の伸びとサービス業の4%の維持に支えられたものの,全体では2.1%と低下した。

一方で,前年から続くCPI上昇を受け,MASは毎年定例の金融政策決定時期(4月・10月)以外である1月25日に,Sドルレート誘導方向を引き上げる金融引き締めを実施した。しかし,第1四半期CPIは4.6%と高水準の上昇傾向が継続したことから,MASは4月14日に,Sドルレートの誘導方向をさらに引き上げると同時に政策バンド(変動幅)中点をSドル高方向に調節する,強めの金融引き締めを実施した。それにもかかわらず第2四半期CPIは5.9%と上昇が加速したため,政府は6月下旬に総額15億Sドルの国民向けインフレ対応支援策を発表し,7月14日には緊急の金融引き締めを再実施した。だが第3四半期CPIは7.3%とさらに上昇し,10月14日には本年4回目の引き締めを実施した。その後,第4四半期CPIは6.6%の上昇と若干は落ち着いたが,依然高水準で推移した。

シンガポール経済は,国内景気だけでなく国際景気にも強く左右される構造的特性を持つ。こうしたなかで,持続的な成長確保は国家自立,国民生活,そして雇用の維持には不可欠であり,一方で物価動向は国民の政権に対する信認に大きく影響する傾向がある。現政権には近い将来に次の政権誕生や総選挙実施という重要な政治イベントが控えており,慎重な経済運営が必要となっている。

国民優先雇用政策の継続

経済活動の正常化に伴い国民・永住権保有者の就労は堅調に推移し,入国規制の緩和や撤廃から外国人の就労も伸びた。このため失業率は,外国人を含む全体で2.1%(前年2.7%),国民・永住権保有者で2.8%(前年3.5%)に低下した。

もっとも,政府が標榜する国民優先雇用政策である「シンガポーリアン・コア」は継続している。ウォン財務相は2月18日の国会で,ホワイトカラーや専門技術職向け就労ビザ(EP)と中技能労働者向け就労ビザ(Sパス)の発行基準となる最低月給について,3年連続となる引き上げを発表し,9月1日から実施した。2019年比ではEPは約40%,Sパスは約30%の引き上げとなる。また,EPは2023年9月から「Complementarity Assessment Framework」(COMPASS)というポイント制審査の導入,Sパスは2023年と2025年の月給基準の再引き上げが決定しており,人材を国民に置き換えるための措置は当面継続する見込みである。

一方で,国民優先雇用政策とはほぼ重ならない単純労働者向け就労ビザ(WP)の人材は,新型コロナウイルス対策の入国規制から不足とコスト上昇が続いた。このため3月には建設,造船,加工製造分野で,新規人材の入国要件緩和や人頭税の還付延長が実施された。5月にはタン・シーレン人材相が,需要回復により人材不足の航空,旅行分野で臨時にWP雇用枠を追加すると表明した。同月には経済成長に貢献すると認定された企業にSパスやWPの発給上限を期間限定で上乗せする「戦略的経済優先性労働力スキーム」も発表され,12月に開始された。

このほか,8月にリー首相は世界的な超高度人材の獲得競争に遅れをとるリスクに警鐘を鳴らし,人材省はこれを確保および集積する新制度「外国ネットワーク・専門知識パス」(ONEパス)の2023年1月からの導入を発表した。これは業界に関係なく月3万Sドル以上の給与所得がある,あるいは科学技術,芸術文化,学問研究などで優れた実績がある超高度人材が対象で,ビザの発給数制限を設けないほか,EPや幹部・専門職向けビザ(PEP)よりも条件面で柔軟性を付与している。また,地元人材が不足している高度ハイテク専門家用に2021年に導入したテックパスを上記に統合する構想や,5年有効の特別EPを発行する計画もある。

政府は,外国人材は補完的存在で原則は国民優先雇用にあるとする一方,世界に開かれていることがシンガポールの競争力向上に不可欠と強調する。10月18日にウォン副首相は「繁栄継続には開放性の維持と同時に地元人材を育成する二重戦略を追求する必要がある」と述べている。もっとも『ストレート・タイムズ』紙が9月に実施した世論調査では,外国人労働者政策と地元人材保護政策のバランスを,国民・永住権保有者の約40%は適切,約44%は不適切と考えており,政府は引き続き国民からの圧力のなかで雇用・人材政策を進めることになる。

経済センターとしての競争力向上

近年の米中対立に加えて,新型コロナウイルス流行から国際的な経済活動が打撃を受けるなかで,シンガポールは2021年から先手を打って国内の社会活動や海外とのヒトの往来を再開し,経済センターとしての優位性が目立ち始めた。特に,香港が中国の「ゼロコロナ政策」に追随してヒトの往来を制限し続けた結果,資産運用分野などでシンガポールに向けてヒト,資本,ビジネスが流出した。

シティ・オブ・ロンドンの国際金融センター調査(1月発表)で,シンガポールはロンドン(61ポイント),ニューヨーク(58ポイント)に続く第3位(53ポイント)となり,6位の香港(39ポイント)を引き離している。また,Z/Yen・中国総合開発研究院の国際金融センター指数(9月発表)でも,香港を抜いて3位となった。このほか,『エコノミスト』誌調査部門の経営リスク安全度調査で,シンガポールは第1位に,香港は4位となった。この好機のなかで,MASは9月に「金融サービス分野移行転換構想2025」を発表し,デジタル化,環境保全・持続可能性,人材育成を柱にして「アジアの主要国際金融ハブ」を目指すと宣言した。

実際に金融機関やファンドでは,中国関連以外の部門やチームを香港からシンガポールに移す動きが顕在化し,シンガポールはアジアの国際金融機能における「もうひとつの選択肢」としての地位を確実にしつつある。また,中国本土の富裕層をはじめとした資金も,従来は安全と考えて拠点にした香港から,「中国との距離感」を意識してシンガポールにファミリー・オフィス(一族資産管理会社)を移し,自らも移住する流れが顕著となった。

このように地域内でシンガポールにビジネスが集積される潮流は,金融部門にとどまらない。近年ではアリババ,テンセント,バイトダンス,アイチーイー(iQIYI)といったIT関連や,シノバック,ウーシー・バイオロジクスといったバイオ関連の中国本土系大企業も,地域統括本部や事業部門をシンガポールに設置し,活発な巨額投資や人材獲得をおこなっている。これらの企業がシンガポールに積極的に進出するのは,シンガポール政府がITやバイオなどの分野を支援してきたことだけではなく,同国の経済センターとしての総合的な利便性や機能が認識され,かつ選好され始めたからにほかならない。

一方で,国内では物価や給与の高騰などからビジネスコストが上昇し,そのペースは香港を上回っている。さらに,香港は年後半に新型コロナウイルス規制を撤廃し始めており,これによって経済センターの機能や利便性をどの程度回復するのかも注目される。しかし,米中対立という地政学的問題の不可逆的進行から,文字通り「中国の一部」となった香港への信認低下は避けられない。こうしたなかで個人から大企業までのヒト・モノ・カネが,「中国との距離」を保つことが可能で,かつ利便性や独自性を磨くシンガポールに引き寄せられつつある。

低炭素関連産業の積極開発

高付加価値・創発型産業を経済成長の主柱のひとつにするシンガポールでは,特に近年,持続可能性というテーマを重視しており,なかでも注目されているのが低炭素関連産業である。この背景には,世界的課題である地球温暖化抑制のための低炭素化を技術革新や商機と捉え,これを推進する政府の目論見がある。政府の従来計画では,2030年までに炭素排出量をピークの6500万トンとし,その後20年間で半分に減少させ,今世紀後半に実質ゼロとすることを目標としている。ウォン財務相は2月に目標の厳格化を表明し,10月には2030年までの炭素排出量を6000万トンに圧縮し,2050年までに実質ゼロを達成すると述べた。

この政策目標の実現のため,すでに決定していた2024年からの炭素税の引き上げ幅は,現行税率の1トン当たり5Sドルから2024~2025年に25Sドル,2026年から先は45Sドル,2030年までに50~80Sドルで決着した。これは年2万5000トン以上の温室効果ガスを排出する全施設に課税され,税収は低炭素化の促進や企業・家庭への打撃緩和に用いられる。また11月8日には国会で,企業の炭素クレジット活用ルールや排出許容枠付与を定めた「改正炭素価格法」も成立した。こうした施策と同時に,政府は関連産業を積極的に育成しようとしている。

例えば,既存の国際金融機能と持続可能性関連のノウハウを掛け合わせたシナジーで「グリーン・ファイナンス」のハブとなり,独自の競争力を強化しようとしている。これを後押しするため,政府は環境型国債「グリーンSGS」を2030年までに350億Sドル分発行する計画を発表し,8月には公益事業庁が100億Sドル分の債券を発行した。この調達資金は,環境配慮プロジェクトへの資金提供枠組「グリーン・ファイナンシング・フレームワーク」に基づき配分される。このほか,シンガポールではすでに約280本,発行総額350億米ドル以上のグリーン・ファイナンス関連商品が上場・取引され,環境対応投資へのグリーン・ローンも約400億米ドル以上の残高となっている。

3月には,地場最大手銀行DBS,シンガポール取引所,スタンダード・チャータード銀行,テマセックの設立した炭素クレジット取引市場「クライメット・インパクトX」(CIX)が,オンライン取引を始動させた。炭素クレジット取引ハブとしての可能性は世界的にも注目されており,現在は世界で分散・断片化している炭素クレジットの管理や登録を集約する「クライメット・ウェアハウス」構築のため,12月には政府,世界銀行,国際排出量取引協会がシンガポールに本部を置く「クライメート・アクション・データ・トラスト」(CADトラスト)の設立を発表した。このほか,テマセックは6月に50億Sドル規模の低炭素化関連専門の投資会社「GenZero」を設立し,同分野の投資活動を牽引しようとしている。

低炭素のエネルギー事業も重点項目となっている。特に,国内の再生可能エネルギー発電に制約があるため,2035年までに全供給量の約30%を海外からの輸入で賄う計画が進行している。6月には政府系複合企業ケッペルの子会社が,ラオスで水力発電した電力をタイとマレーシア経由で輸入する事業を開始した。同月には民間企業サン・ケーブルによる,オーストラリアで太陽光発電・蓄電した電力をシンガポールに輸出する世界最大級の「オーストラリア・アジア・パワーリンク」が始動した。2024年に建設が開始され,2029年に全面稼働の予定である。しかし海外からの電力輸入は,例えばインドネシアからの供給計画が,両国の官民で順調に準備を進めていたものの,インドネシア側の国内充足優先のため7月に突如禁輸となって頓挫したように,安定供給確保という点でリスクがある。

日本の協力余地も大きい。例えば,最大の天然ガス輸入企業である政府系複合企業セムコープは,2050年までにエネルギー需要の半分を水素由来にする政府目標を達成するため,水素サプライチェーン構築に向け10月に日本のIHI,双日,国際協力銀行と戦略提携した。さらに大きな可能性として浮上したのが原子力発電である。3月にエネルギー市場監督庁は,世界の分断が進行してエネルギーや電力の輸入に障害が生じた場合,国内では2050年までに原子力発電で電力需要の1割を賄う可能性があるとの報告書を発表した。12月にはチー・ホンタ財務・運輸担当上級国務相も,2050年までの脱炭素化達成には,炭素クレジットの活用か,安全性や世論コンセンサスを確保したうえで原子力発電を導入する必要性に言及した。こうしたなかで,日本の技術や経験蓄積が協力できる可能性は高い。

対外関係

対米・対中外交のバランス維持

複雑化する米中関係の力学に挟まれたシンガポールは,その悪影響の高まりに神経を尖らせつつ,対立の構造化や長期化が避けられないことも理解している。リー首相は8月8日の演説で,「未来に嵐が発生しつつあり」「誤算や偶発が事態悪化につながる危険性がある」と指摘し,8月21日には「今後もアジア太平洋地域は地政学的対立が継続すると思われ」「現実を直視して急速な変化に備える必要がある」と警告した。ウォン副首相も11月6日の演説で,米中新冷戦の危険な世界は「概念上でも遠い先でもない目前の明らかな脅威」であり,「紛争や戦争の可能性は排除できない」と率直な危機感を示している。

もっとも,バランス外交を原則とするシンガポールは,米中の一方に明確に与するのではなく,大局的な安全保障はアメリカを軸とした多国間による既存秩序への依存を重視し,一方で中国とは経済関係を重視しつつも,近年の中国側による安全保障面でのアプローチには是々非々で付き合うスタンスを守っている。

3月後半に訪米したリー首相は,「アジア太平洋の継続的な平和,安定,繁栄にはアメリカの軍事力が極めて必要」「引き続きアメリカの軍事的プレゼンスを支援する」として,バイデン大統領やオースティン国防長官との個別会談でも二国間防衛協力を再確認した。ただしリー首相は,4月の『ウォールストリート・ジャーナル』でのインタビューで,アメリカとの関係は「一定の柔軟性を持ち,それを維持することがベスト」と述べている。そのうえで,「アメリカとは密接な協力関係にあり,アメリカの地域関与は良いことだが,シンガポールがアメリカの戦争に参加したり,逆に助けを期待したりする訳ではない」とした。

これはシンガポールが,アメリカの長期的な国力および指導力低下や対外政策の不安定性というリスクを意識している裏返しでもある。このためリー首相は5月26日の講演で,地域の平和安定維持には,アジア各国が域内外の利害関係国と集団的安全保障を強化し,紛争を制御するべきとの考えを示した。

これを裏付けるように,同日の岸田文雄首相との会談では,法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序の維持・強化や,防衛装備品や技術移転協定の交渉開始で合意した。また8月には海軍交流の一環で,シンガポール海軍のステルスフリゲート艦「イントレピッド」が横須賀に寄港している。このほか,マレーシアで開催された「5カ国防衛取極」(シンガポール,イギリス,マレーシア,オーストラリア,ニュージーランド)による「ベルサマ・シールド」(3月),アメリカとタイによる「コープ・タイガー」(3月),インドネシアで開催された13カ国による「スーパー・ガルーダ・シールド」(8月)などの多国間軍事演習に参加した。さらに欧州との軍事協力を推進し,インド太平洋に配備されたイギリス海軍艦2隻の寄港受け入れ(4月),フランスやドイツとの空軍共同訓練(9月)も実施した。

シンガポールは,アメリカの地域への役割や関与が,軍事に偏り過ぎている現状も懸念している。このためシンガポールは,アメリカが環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に代わる構想として2月に打ち出したインド太平洋経済枠組(IPEF)を歓迎し,5月にリー首相は「経済協力の積極的な取り組みはアジアでのアメリカの決意をパートナーに示す」と評価した。ン・エンヘン国防相も12月のアメリカでの講演で,「アメリカが安定のためアジアで軍事プレゼンスを高めることは支持する」が,「主に安全保障を前提としたアメリカのインド太平洋地域でのプレゼンスは,20世紀後半のように適切な道徳的正当性を持つであろうか」とも述べ,「アメリカはアジアと全世界で,経済分野の取り組みを強めるべき」と提案した。

一方で,中国との関係は安定的に推移した。リー首相は11月にバンコクで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の際に習近平国家主席と会談し,両国の「緊密かつ多面的」な関係発展を再確認したと述べた。この多面的という言葉には,中国の積極的アプローチで徐々に拡大する軍事交流も含まれる。6月にはン・エンヘン国防相と中国の魏鳳和国防相が対談し,二国間海軍演習の再開と定期実施,そしてASEAN・中国間の軍事交流や協力強化で合意している。

しかしシンガポールは,対中関係は経済協力を柱としたいのが本音である。このため11月1日に中国の韓正副首相がシンガポールを訪問して開催された,毎年定例の「二国間協力共同委員会」に力点が置かれた。ヘン副首相は「国際システムに組み込まれた中国の成功は中国と世界の双方に利益をもたらす」との考えを改めて強調し,金融,グリーン経済,スマート化技術,物流,航空,税務,規格など多分野で,19件の経済協力協定や覚書が締結・更新された。

上記のヘン副首相の言葉のとおり,シンガポールに望ましいことは,中国が追い込まれて暴走するのではなく,既存の国際秩序と妥協しながら発展を目指すことである。そのためにシンガポールは,多少なりとも米中間の対話や協力を増やす,あるいは衝突を減らす働きかけを続けている。ウォン財務相は4月のアメリカでの講演で,中国台頭を封じ込める困難や不利益を説いたうえで,米中の共通利害には継続的な相互協力が必要との考えを改めて示した。11月14日におこなわれたバイデン米大統領と習近平中国国家主席による対面での初の首脳会談についても,リー首相は「双方は率直に意見を交換して手の内を見せるべき」「双方が利害を理解し関係を前進させる意志と知恵が必要」と述べている。

ウクライナ問題での異例の対応

2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻について,外務省は即日,ロシアの行為は主権国家への正当な理由なき侵略とする強い非難声明を出し,同月28日の国連総会緊急特別会合でも強硬な対ロ非難演説をおこなった。さらに同日,バラクリシュナン外相は国連決議を待たずに独自の対ロ制裁を発動するという,過去に例のない方針を表明した。これを受けて,3月5日にはロシアの大手4銀行や特定企業との金融取引禁止を発表し,同月14日にはロシアの政府,中央銀行,特定銀行・企業の保有する資産や資金の凍結も実施している。

この明確かつ強硬な姿勢は,バランス外交を大原則にしており,またウクライナと特別な利害関係を持たない同国として,極めて異例な行動である。その理由は,国際法と主権国家の尊重によって存在を担保されている小都市国家として,国際秩序の大原則を破壊するロシアの行為は決して容認できないためである。リー首相は2月28日に「ウクライナの出来事はわが国にも重大な問題」としてロシアを強く非難し,バラクリシュナン外相も同日,ロシアの行動は「明白な国際法違反」としたうえで,「力こそ正義という考えがまかり通れば,わが国のような小国の存立や安全保障は脅かされる」と強い懸念を表明した。

シンガポールのもうひとつの懸念は,ロシアの行動を受けた中国の動向と考えられる。ロシアと実質的な同盟関係にある中国が,直接的・間接的に触発されて誤った行動に向い,あるいはロシアへの支援を際立たせて世界の大勢を敵に回すことで,東・東南アジアの安定性に悪影響を与えたり,ロシアと共に孤立の道を歩んだりすることは好ましくない。このため3月中旬,バラクリシュナン外相は「中国は静的かつ慎重で効果的な影響力をロシアに行使してほしい」と発言した。一方で,4月にリー首相は「アメリカは民主主義対権威主義という枠組みで,ウクライナをめぐって中国を孤立に追い込むべきではない」と警告している。

対マレーシア関係の推移

隣国マレーシアとの関係は密接で,10月25日にはアブドラ国王がシンガポールを公式訪問し,26日にはハリマ大統領やリー首相と会談して友好関係を確認している。また,隣接するジョホール州スルタンのイブラヒム・イスカンダル王も訪問中の7月20日にリー首相と会談し,双方の協力を確認した。このほか,マレーシアで11月に実施された国会総選挙を受けて就任したアンワル・イブラヒム首相には,同月24日にリー首相が祝意の書簡を送付し,これに対してアンワル首相もSNSに謝意と関係強化の意向を投稿した。

新型コロナウイルス流行以前,1日約30万人ともいわれた両国間の往来は,2020年以降に甚大な影響を受けた。これを正常化するため2021年11月からマレーシアにも適用されたVTLは同年12月に一時停止となったが,両国間の密接性を考慮して1月後半には他国に先駆けて再開されている。2月中旬には対象地域や渡航者数も順次拡大され,4月1日からは隔離・検査不要となった。

マレーシア側の事情で最終的に中止となったシンガポール=クアラルンプール間高速鉄道については,2021年11月にイスマイル・サブリ・ヤーコブ首相から再提案がおこなわれた。これを受けて3月にマレーシアのウィー・カシオン運輸相が協議再開の見通しを語り,同月クアラルンプールを訪問したバラクリシュナン外相も提案を待っていると述べた。この後,両国運輸省間で協議が開始され,8月にはイスマイル・サブリ首相が迅速に協議すると述べたうえで,新計画としてクアラルンプール=バンコク間,さらに中国との間を結ぶ可能性を示唆した。

両国間には懸念事項も浮上した。6月19日にマハティール・モハマド元首相が,長年にわたって両国が帰属を争い,2008年に国際司法裁判所(ICJ)がシンガポール領としたペドラブランカ島(マレーシア名プテ島)について,改めて領有権を主張すべきと公言した。同島をめぐっては2018年にマハティール政権がICJでの控訴を断念しており,同氏の発言の真意に対しシンガポールでは疑念が広がった。さらに10月13日にはイスマイル・サブリ首相が公式声明で,マハティール政権の控訴断念は過失か判断ミスとして,現内閣は新たな法的措置を講じると表明した。その後,アンワル新政権は領土問題に言及していないが,シンガポール側は,今後マレーシアがこの問題を他分野の両国間交渉に絡めることを警戒している。

このほかにも,6月1日にはマレーシアからの鶏肉が,同国内の供給不足解消のため禁輸となってパニックが生じた。シンガポールの鶏肉輸入先シェアでマレーシアは第2位(34%)であり,同国産はシンガポールで好まれる生体輸入された新鮮な鶏が多くを占め,名物料理のチキンライス(海南鶏飯)にも欠かせない。シンガポールの要請を受けて7月中旬には規制が部分緩和され,10月11日には全面解禁されたが,この一件はシンガポールが近年,意識的に改善に取り組んでいる食料安全保障の問題を,現実に突きつけるものであった。

2023年の課題

2022年は,近年最大の関心事であったリー首相の後継者問題が落着し,ウォン次期首相が率いる「第4世代」内閣という,将来への道筋が示された。PAPの圧倒的優位体制が継続するなかでは,このシナリオが覆る可能性はほぼあり得ない。しかし,2023年6~9月に予定されている大統領選挙において,何らかの予期しない事態が起こる可能性は否定できない。前々回の2011年選挙は,PAP系トニー・タンが独立系タン・チェンボク(現「前進党」党首)に得票率0.34ポイントの僅差で辛勝する事態となった。このため前回の2017年選挙では,予定された政権継承を安定的に進めるため,PAP系候補を確実に当選させるべく選挙ルールが改訂され,ハリマ・ヤーコブが無投票当選した。だが,これには国民から批判が起こり,再び同じような方法を使うことは難しい。

すでに与野党候補の下馬評は出始めているが,仮に景気・物価動向が政権・与党に逆風となる状況下で,野党が2011年選挙のようにPAPの消極的支持層を納得させ,その票を奪える候補を立てれば,意外な結果となる可能性もある。この場合,ウォン次期首相が継承した後の国家運営にも制約が生じる。なぜならば大統領は,象徴的および儀礼的役割に加え,憲法規定上は単独判断での国会解散や,国民投票の多数支持を得ていない憲法改正案の差し止めが可能なほか,大統領顧問会議を経て自らの判断で,国家準備金の引き出しを含む政府支出の差し止めや,司法,軍,治安などの長の任命ができるからである。

このため政権側は,大統領選挙を乗り切るためにも,国内安定を最重視する政策運営の姿勢をとらざるを得ないと考えられる。

(開発研究センター)

重要日誌 シンガポール 2022年
   1月
12日警察,改革党のチャールズ・ヨー前党首を背任および横領罪で逮捕。同氏は逮捕が政治的動機によるものと主張。
25日リー首相,インドネシアのジョコ・ウィドド大統領と同国ビンタン島で会談。
25日金融管理局(MAS),緊急の金融引き締めを実施。
   2月
6日ハリマ大統領,冬季五輪出席のため訪問した中国の北京で習国家主席と会談。
15日国会,労働者党(WP)前議員の虚偽発言に関し,同党幹部への刑事訴追要求を含む動議を可決。
18日ウォン財務相,国会で2023年の物品サービス税(GST)増税開始を含む2022年度予算案を公表。
25日リー首相,来訪中のベトナムのグエン・スアン・フック国家主席と会談。
28日最高裁判所,男性間同性愛行為を罰する刑法は違憲でないが執行不能と見解表明。
28日リー首相,ロシアによるウクライナ侵攻に強い非難を表明。
   3月
4日ガン通産相,2030年までに輸出総額1兆Sドル以上を目指すと表明。
5日外務省,対ロ経済制裁を発表。
7日教育省,小中学校の中間試験廃止などを含む教育制度改革案を発表。
14日MAS,ロシア政府や特定企業との金融取引禁止や資産凍結を指示。
21日バラクリシュナン外相,訪問先のイスラエルでテルアビブに大使館開設と発表。
22日エネルギー市場監督庁,原発導入の可能性を報告書で公表。
24日リー首相,新型コロナウイルスの動向や対策規制の緩和についてテレビで演説。
29日リー首相,訪米中のワシントンでバイデン大統領と会談。
29日保健省,新型コロナウイルス対策の各種規制を大幅緩和。
   4月
1日ワクチン接種済渡航フレームワークが開始。
14日リー首相,SNS上で次期首相候補がウォン財務相に決定と発表。
14日MAS,金融引き締めを実施。
19日リー首相,来訪中のニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相と会談。
21日裁判所,オンラインメディアThe Online Citizen(TOC)編集長と記者に閣僚への名誉棄損で禁錮刑判決。
26日保健省,新型コロナ対策の各種規制をほぼ撤廃。
27日法務省,知的障害が疑われる麻薬関連犯罪の死刑囚につき死刑執行と発表。
   5月
3日「国境なき記者団」,報道の自由度ランキングでシンガポールを139位と発表。
10日リー首相,米ASEAN首脳会議出席のため訪米。
10日内務省,海外紛争地帯での武装活動を計画した国民1人を拘束と発表。
16日中国の孫海燕新大使がシンガポールに到着。
17日内務省,インドネシアの著名イスラーム知識人の入国を阻止。
24日リー首相,民間主催の国際会議出席のため訪日。
26日岸田首相,リー首相と会談。
   6月
1日マレーシア政府,シンガポールへの鶏肉輸出を禁止。
6日リー首相,ウォン財務相が兼任のまま副首相に昇格する内閣改造を発表。
10日岸田首相,アジア安全保障会議出席のためシンガポール訪問。
11日岸田首相,ハリマ大統領やリー首相と個別会談。
21日ウォン財務相,総額15億Sドルの国民向けインフレ対応支援策導入を発表。
28日ウォン副首相,「フォーワード・シンガポール」計画を発表。
   7月
7日「外国人干渉対策法」が施行。
14日政変で国外退去したスリランカのラージャパクサ大統領,シンガポールに入国。
14日MAS,緊急の金融引き締めを実施。
20日リー首相,来訪中のマレーシア・ジョホール州スルタンのイブラヒム王と会談。
22日米空母ロナルド・レーガンが寄港。
   8月
1日リー首相,来訪中のペロシ米下院議長と会談。
21日リー首相,男性間同性愛行為の処罰を規定した刑法条文の廃止を明言。
24日ブルネイのボルキア国王が来訪。
29日保健省,屋内マスク着用義務を撤廃。
29日タン人材相,世界的超高度人材用ビザ「ONEパス」の2023年導入を発表。
   9月
1日人材省,外国人労働者向けビザEPとSパスの発行基準を引き上げ。
1日将来の国内中核コンテナターミナルとなるトゥアス港の第1期が開港。
7日リー首相,来訪中のフィリピンのマルコス大統領と会談。
19日ハリマ大統領,エリザベス2世女王の国葬参列のためイギリスを訪問。
27日リー首相,安倍元首相の国葬出席のため訪日。岸田首相と会談。
  10月
8日林外相が来訪し,両国間の防衛装備品技術移転協定の早期締結で合意。
10日保健省,新型コロナウイルスワクチン未接種者への行動規制を全廃。
13日マレーシアのイスマイル・サブリ首相,シンガポールとの領土問題で新たな法的措置をとると表明。
14日MAS,金融引き締めを実施。
25日ウォン副首相,二酸化炭素排出削減目標の引き上げを発表。
26日MAS,個人投資家保護に向けた暗号資産業界への規制導入。
26日リー首相,来訪中のマレーシアのアブドラ国王と会談。
28日国防省,サイバー領域防衛を担当するデジタル・諜報軍を創設。
31日MAS,官民での中央銀行デジタル通貨の実証実験計画を公表。
  11月
1日中国の韓正副首相が来訪し,二国間協力共同委員会を開催。
7日ウォン副首相,GST増税打撃緩和策の総額を80億Sドルに引き上げと発表。
8日国会,改正炭素価格法を可決。
8日国会,改正オンライン安全法を可決。
14日リー首相とウォン副首相,インドネシアで開催のG20サミットに出席。
14日リー首相,来訪中のドイツのオラフ・ショルツ首相と会談。
17日リー首相,バンコクでのAPEC首脳会議に合わせ,中国の習国家主席と会談。
17日テマセック・ホールディングス,破綻した暗号資産交換企業FTXへの全出資額を減損処理と発表。
26日人民行動党(PAP),ウォン副首相を副書記長に選出。
29日国会,男性間同性愛行為への刑法条文廃止案と,結婚定義の国会決定権を明記した憲法改正案を可決。
  12月
5日チー上級国務相,将来の原子力発電導入の可能性に言及。
7日政府,世界銀行や国際排出量取引協会と炭素クレジットデータの統合機関を設立。
13日リー首相,訪問先のドイツでショルツ首相と会談。

参考資料 シンガポール 2022年
① 国家機構図(2022年12月末現在)

(注)1)一院制,選挙区選出議員定数93(任期5年)。与党・人民行動党83議席,野党・労働者党9議席,欠員1議席。

② 閣僚名簿(2022年12月末現在)

主要統計 シンガポール 2022年
1 基礎統計

(注)人口関連データは6月末時点の年央値。総人口は居住権者(シンガポール国民と永住権保有者)と非居住権者(永住権を持たない定住者あるいは長期滞在者)から構成。失業率は居住権者+非居住権者の合計データ。

(出所)The Singapore Department of Statisticsウェブサイト(https://www.singstat.gov.sg)。

2 支出別国内総生産(名目価格)

(注)2021年の海外純要素所得および国民総所得は暫定値。2022年の全項目は暫定値。

(出所)Ministry of Trade and Industry, Republic of Singapore, Economic Survey of Singapore 2022.

3 産業別国内総生産(実質:2015年価格)

(注)2022年は暫定値。

(出所)表2に同じ。

4 国・地域別貿易額

(出所)表2に同じ。

5 国際収支

(注)IMF国際収支マニュアル第6版に基づく。したがって,金融収支の符号は(-)は資本流入,(+)は資本流出を意味する。2022年は暫定値。

(出所)表2に同じ。

6 財政収支

(注)2022年は暫定値。

(出所)表2に同じ。

 
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