Biwako Journal of Rehabilitation and Health Sciences
Online ISSN : 2758-1799
Print ISSN : 2758-1780
ORIGINAL ARTICLE
Study of the Original Japanese Names (Yamato Kotoba) of Human Internal Organs Appeared in the Japanese Classical documents
Toru Noda
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2024 Volume 2 Pages 25-38

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Abstract

現在,日本で使用される内臓に関する解剖学用語は,そのほとんどが古代日本にもたらされた漢方医学で用いられていた用語を基本として,それらに,後に新たに日本で発案された「膵」や「結腸」などの造語が加わったものである.そうした漢語による内臓に関する用語が伝わる以前の古代日本で使用されていた大和言葉による内臓に関する語彙を収集した.ヒトの内臓の名称について,江戸時代の国学者である本居宣長は,彼の著書である古事記伝の中で,上代では内臓は全て「キモ」と呼ばれていたと主張している.しかし平安時代に編まれた倭名類聚抄には,既にいくつかの臓器にそれぞれ異なる日本固有の大和言葉(和名)の名称があり,これらは「からぶみ(漢文)」由来とは考え難い.本稿では,こうした内臓に関する大和言葉による語彙を古事記,日本書紀,万葉集などを含む日本の多くの古典的文字資料から収集した.特に平安時代や鎌倉時代に編まれたいくつかの古辞書からの訳語には多くの内臓に関する語彙を記載されており,それらをいくつかの器官系に分類した.そして主要臓器については,人体模式図との対応を行った.また内臓のうち,特に,心臓,肝臓,小腸,大腸などの大和言葉については,それらを用いて精神や感情表現を強調する用法が古代から存在しており,和歌の枕詞にもなっている.こうした観点からも考察を加え,古代日本人の内臓観を考察した.

Translated Abstract

The present Japanese anatomical names of human body parts have been deeply influenced by the Kampo (traditional Chinese and Korean) Medicine. When this Kampo medicine was introduced to Japan, the classical Chinese terminology of human body based on the Kampo Medical Philosophy was also imported. Although Norinaga Motoori, the great Japanese historian in the Edo period, wrote in his commentary book of the Kojiki, namely Kojiki-den, that “Most Japanese people of the ancient time must call all the internal organs as one same word of ‘Kimo’, we can actually find the distinctive original Japanese names of each major organs, such as liver, kidney, spleen etc. in the classical dictionary compiled in Heian-period. In this study, the author collects the original Japanese name (Yamato Kotoba) of each internal organ in the Japanese classical documents, especially the ancient dictionaries complied in the Heian and Kamakura periods. These collected words of the internal organs were classified according to the several anatomical organ systems mostly used by the present anatomical textbooks, and also added some comments from the anatomical and linguistic viewpoint. This study would contribute to the understanding of the ancient Japanese language and the concept of the ancient Japanese people to the human body.

序論

海外からの医学的知識が日本にもたらされる以前,古代日本人が身体の各内臓をどのような言葉で表現し,またどのように認識していたかという問題は興味深い.本稿では,人の内臓についての古い大和言葉による名称を収集し,古代日本人が身体各部の内臓にどのような名称を与えていたか,また内臓をどのように捉えていたかを用例から検討しようとするものである.なお,ここで用いている「大和言葉」とは古事記や万葉集などの万葉仮名で表された身体名称や古辞書の身体の漢字に付された「カナ」で表された語,言い換えれば,和訓(日本語としての読み)を「大和言葉」としておく.

古代日本の文字資料の中では,人体の内部についての記述は,日本書紀における武烈天皇が妊婦の腹を裂いて胎児を観察したという記述以外,あまり例がなく,その後の鎌倉時代の軍記物語に描かれたいくつかの切腹の描写がそれに準ずるものであろう[1, 2].人体解剖の公の禁止令は江戸幕府になってから「腑分けの禁制」としてなされたが,それ以前は,奈良時代の律令の条文を含めて,公による人体の解剖を禁制は知られていない[3].ただ神社に伝わる祓の祝詞の中には解剖の禁止に相当する記述がある[4].すなわち,神道における罪には天津罪と国津罪があり,「生膚断ち」と「死膚断ち」が国津罪にあたる.人の生死にかかわらず,人体を切り開いて,その内部を観察することは,罪であり,許されないのだという一般認識があった可能性がある.また古代人が「死」や「血」などのケガレを忌避する傾向があったことも江戸時代以前の人体の内部についての詳しい記載が乏しい理由なのであろう.

ヒトの内臓の名称について,本居宣長は,古事記伝の中で「いはゆる五臓六腑の類を上代には凡て皆伎毛(キモ)と云しなり(各別に名あるは,後にからぶみの五臓六腑の名の字に就いて設けたるものなり)」と述べている[5].つまり,「上代では,内臓は全て「キモ」と呼んでいた.個々の内臓の名称は,当時の中国からの名称から付けられたものなのだ」と言っているのである.確かに,万葉集を見ても,「ムラキモ」という枕詞が使用されている歌が複数あり,この枕詞を,「群がるキモ」と解釈すれば,古代の人々にとって体内には複数のキモ(内臓)があって,それら全体の総称を「群肝(ムラキモ)」と呼んでいたのかと推測できる.しかし平安時代に編まれた一種の百科事典である倭名類聚抄には,既にいくつかの臓器に当時の日本固有の大和言葉(和名)と考えられる名称が記載されており[6],これらは「からぶみ(漢文)」由来とは考え難く,少なくとも辞書が編集された時以前に使用されていた語彙である.平安時代,そして鎌倉時代にかけて編まれた古辞書まで範囲を広げれば,当時の日本が隋や唐から伝わった多くの漢字の読みや訳語の中に内臓を含めた人体各部の大和言葉による名称を知ることができる.古代の日本に中国大陸や朝鮮半島から最新の医学がもたらされると,それまで固有の文字を持たなかった日本は漢字で書かれた多くの医学用語を受容するしかなく,漢語による人体各部の名称も外来語として受容せざるを得なかった.しかしこのようにして借用語としての各臓器名が伝わったものの,それが日本の固有語でどの臓器名に対応するか,またその解釈を日本人同士の共通の和訓として共有する必要性が生じたことからさまざまな古辞書が編まれたのであろう.本研究は古辞書に記載されている身体に関連した漢字の読みをおもな手掛かりとして,日本の固有語であった大和言葉による身体内部の語彙を収集し,検討しようとするものである.

図1 本稿での大和言葉(和訓)による臓器名の表記法

本稿の結果における大和言葉の記載した表記法を示している.まず大和言葉による和訓をカタカナ表記し,続いて対応する漢字,万葉仮名による表記が存在する場合,元の万葉仮名を小括弧内( )に記載,追加説明がある場合,併記する.続いて,文献略号,あるいは出典書名を隅つき括弧内【 】に記載,引用した文献の番号を大括弧内[ ]に続けた.同じ読みで異なる漢字表記のある出典がある場合,文献番号の後に同様に続けた.

方法

古代から用いられてきた大和言葉による内臓に関する語彙は,語彙全体から見ると特殊な語彙であり,いわゆる古事記や日本書記などの代表的な古典資料で遭遇する確率は低く,そのような作品のみから多くの身体語の語彙を収集することは困難である.むしろ平安から鎌倉時代にかけて編纂された古辞書に取り上げられた漢字の訳語から身体語を検索する方法で内臓に関する古代日本語の語彙を収集する方がより有効な方法と思われた.収集した身体語彙の分類方法については,例えば,平安時代の百科事典にあたる倭名類聚抄では,内臓にあたる箇所を藏腑類として,漢方医学が基礎とした陰陽五行説に基づくいわゆる五藏六腑に合わせて記載しているが,現代の解剖学では,各臓器の機能上の関連性を重視し,いくつかの臓器を器官系としてまとめて理解されている.そこで本稿では,収集した内臓に関する大和言葉を循環器系,消化器系,呼吸器系,泌尿器系,内分泌系,生殖器などの器官系に分け,記載した.

本研究で検索した主な資料は,新訳華厳経音義私記(奈良時代末期頃成立),新撰字鏡(901年頃成立,天治本,一部,享和本),倭名類聚抄(931年頃成立,元和古活字20巻本,一部,1827年成立箋注倭名類聚抄10巻本),三巻本色葉字類抄(1188年頃成立),字鏡集(1245年頃成立),類聚名義抄(1251年頃成立),身体和名集(1861年頃成立)などであり,その他の古典文学作品も一部取り入れた.時代表記については,年代が推定できるものは,古墳時代,飛鳥時代,奈良時代,平安時代,鎌倉時代,室町時代(南北朝,戦国時代,安土桃山時代を含む),江戸時代とし,それぞれの時代が確定し難い場合は,古墳時代,飛鳥時代,奈良時代,平安時代までは古代,鎌倉時代,室町時代までは中世,戦国時代,安土桃山時代,江戸時代までは近世と呼ぶことにする.

ただ,それぞれの語彙が記載されている具体的な用例,文例を挙げることは容易ではなく,どの程度,一般に使用されていたかも明らかではない.また内臓を表すと思われる古い漢字の中には,現在の本文書作成ソフトでは表現できず,割愛せざるを得なかったものもある.さらに古辞書には,現代では用いない多くの漢字が使用されており,それらを表記することが困難な場合があった.特に本来1字であるが,1字として表示できなかったものについては,偏(へん)と旁(つくり)を2字,あるいは,3字構成として横に併記し,(1字)の表記を加えた.

それぞれの語彙の記載方法については,まず語彙を器官系ごとにまとめ,各臓器名を見出しにした.それぞれの語彙には見出し番号を【用例1】のようにふり,臓器名を表すと思われる語の和訓にあたる読みを片仮名で表し,対応する漢字をあげ,その万葉仮名表記が存在するものには( )内に表記したが,カナ表記のみしか書かれていないものは万葉仮名を省略した.次に万葉仮名に続いて併記されている説明箇所は,意味の解釈上必要と思われるもののみ,適宜記載した.他の資料等で用例のあるものは,続けて用例を引用した.引用した上記資料については,【新】などの略号を付記した.同じ和訓でも異なる漢字表記のあるものは改めて漢字を記載した(図1).引用した資料の略号は,新訳華厳経音義私記は【華】,新撰字鏡は【新】,倭名類聚抄は【倭】,色葉字類抄は【色】,字鏡集は【字】,類聚名義抄は【類】,身体和名集は【身】を表し,それ以外の資料はそれぞれの書名を示した.上記の各資料の表記法にはそれぞれ特徴があり,中でも倭名類聚抄は各語の出典,反切,万葉仮名による表記があり,最も詳しい.新訳華厳経音義私記,および新撰字鏡は古い字体の漢字を多く掲載しているが,万葉仮名による和訓が付されているのは,その一部の漢字のみである.類聚名義抄,色葉字類抄,字鏡集は漢字辞典であり,多くの漢字に異体字を含む片仮名による和訓が付されている.身体和名集は江戸時代に書かれた書物で,漢字に片仮名による和訓が書かれているが,一部の身体語にはカナのみの表記である.したがって,上記の理由により,すべての語の表記には統一性が保てなかった項目もあることを断っておく.

結果

内臓は,漢方医学の影響から,五藏(臓)六腑と総称されることがある.これは胸腔や腹腔にある主要な内臓を陰陽五行思想にそって,独立した身体の機能の要素であるように当てはめた分類方法である.倭名類聚抄では,肝,心,脾,肺,腎の五藏には,それぞれ五行思想の木,火,土,金,水の要素を対応させ,木之精,火之精,土之精,金之精,水之精などとしている[6].しかし,現在の解剖学の分類方法は,機能的に関連する器官(臓器)をまとめ,心臓,血管系を含む循環器系,鼻から肺の肺胞に至る気道を呼吸器系,口から直腸までの消化管と付属する腺を含む消化器系,尿が生成される腎臓から体外に排泄される経路を含む泌尿器系,ヒトの受精から出産に関わる臓器を含む生殖器などという器官系分類を使用している.本稿でもこうした器官系に基づいた視点で記述することにする.なお,五藏六腑で用いられる「藏」は古い表現で,現代では「内臓」などのように「臓」で表されるが,本稿では,あえて引用する元の資料における記載に合わせて,「藏」と「臓」を区別した.

この「結果」では,内臓の名称と考えられるものを記し,紹介した語彙を基に派生した語,さらに比喩的,特に精神的な表現に転用された語については,【派生語】として区別し,それらが実際に使用されている実際の用例は【派生語用例】として,結果の通し番号に準じた番号を付した.

循環器系

倭名類聚抄には藏府類に,上記のように五藏として肝,心,脾,肺,腎を,六腑として,大腸,小腸,膽,胃,三焦,膀胱をあげている.この中で三焦だけは,特定の臓器の名称ではなく,胸腹部の臓器を上焦,中焦,下焦と三つの区分に分けた中空性臓器の総称名であるとも解釈される[7].ここでは現在の循環器に関係する心臓,血管,脾臓についての大和言葉を挙げる.

心臓

「心」は,五藏の一つとして記載されているが,倭名抄にはこの字の和訓は書かれていない.しかし,新撰字鏡,類聚名義抄,万葉集には「ココロ」と読める記載がある.

1 ココロ:心(己ゝ呂)【新】[8] 心,膓,胷,情【類】[9, 10] 心【色】[11] 心,腸【字】[12]【身】[13]

【用例1・1】【万葉集 4089】[14]

「鳴くほととぎす あやめ草 玉貫くまでに 昼暮らし 夜渡し聞けど 聞くごとに 心つごきて(許己呂都呉枳弖)うち嘆き」

【訳文】:ほととぎすだ.菖蒲を玉に貫く五月頃まで,昼の間ずっと夜も夜通し聞くけれど,聞くたびに胸がどきどきし,ため息まで出て,

この例の「心つごく」という表現は「心臓が動悸して」と考えられることから,「ココロ」という語は拍動する臓器としての心臓を指していると推測できる.「ココロ」は,現在では臓器の名称ではなく,「気持ち」,「意志」などの精神的な意味で用いているが,古くは心臓の意を含んでいたと考えられる[15].「ココロ」が心臓を意味したと考えられる派生語も散見される.

【派生語1・1】ココロハシリ:悸【類】[9]=心臓の鼓動が早く意識されること,動悸のこと.

【派生語1・2】ココロサキ:心前=胸,鳩尾(みずおち)【古事記 上巻】[16]【日葡辞書】[17]

【派生語1・2用例】「速湏佐之男命,命させる国を治らさずて,八拳須心前に至るまで,啼きいさちき.」

【訳文】:速湏佐之男命だけは,任命された国を治めないで,あごひげが伸びで心前に至るまで,啼きつづけた.

古事記の原文では,「心前」と書くので「ココロ」が心臓を表していたと考えられる.「ココロサキ」は,「ココロ」の先端や前,つまり,みぞおちあたりを表すと解釈する.

また「Cocorosaqi」として,日葡辞書にも胸,鳩尾(みずおち)を指す語彙として記載があるので,この語彙は室町時代頃まで使用されていた語彙と思われる.

【派生語1・3】ココロモト【平治物語 下巻】[18]【日葡辞書】[17]

「ココロモト」とも読める例は平治物語にある.「ココロモト」の「モト」は下の意味で,心臓の下を意味し,現在の「みぞおち」を指す言葉となったと思われる.

【派生語1・3用例】「彼刀をとりて,心もとにさしあて,うつぶッさまにふしければ,刀はうしろへ分けていづ.」

「Cocoromoto」という語も胸,鳩尾(みずおち)を表す語として日葡辞書に記載されている.

これら上記の「ココロ」に関わる語彙は臓器としての心臓の存在を意識したものと推測できる.

2 ムネ:胷,臆(牟祢)【華】[19] 胷,臆(無禰)【倭】[6] 心,臆,胸,胷【類】[9] [10] 胷【色】[11] 臆,胷【字】[12] 胷【身】[13]

「ムネ」は現代では,漠然と胸部を指す語であるが,下記の用例でも体表の胸部もその内部の肺や心臓も含むと考えられる.

【用例2・1】【万葉集 3767】[20]

「魂は 朝夕に賜ふれど 我が胸(牟祢)痛し 恋の繁きに」

【用例2・2】【万葉集 3034】[21]

「我妹子に,恋ひすべながり,を熱み(乎熱)」

「あが胸痛し」は精神的な苦痛であるのみならず,実際,心臓由来の胸痛である可能性はある.「ムネ」にも胸部(心臓を含む)を指す語と精神的な状況を表す語の二つの場合を含めると考えられる.

血管

3 チノスチ:脉,脈【字】[12] 読みから「血の筋」と解釈され,血管を意味すると思われる.

4 チノミチ:脈(血乃美知),脉(血道)【新】[8] 血脉(知乃美知)肉中血理也【倭】[6] 脈,脉,膖【類】[10] 血脉【色】[11] 脉,脈,膖【字】[12]

新撰字鏡の読みに「血道」とあり,また「肉中血理」とは,肉の中に見える血の流れる筋や模様の意味であることから,血管を表していることがわかる.

脾臓

5 ヨコシ:䯗,髖(与己志)【新】[8] 脾(與古之)【倭】[6] 䯗,脾【類】[10]【色】[11] 脾【字】[12] 腎,脾【身】[13]

「ヨコシ」は脾臓を指すと考えられるので,循環器系に含めた.「ヨコシ」がなぜ脾臓を指すのかについては,不明ではあるが,以下の解釈が可能と思われる.

① 倭名抄では,和訓の「與古之」には「與古之乃美知」という東西方向の横大路を表す語でもあり[6],それを考慮すると「ヨコシ」は,「ヨコ(横)+シ」と分解できる

② 新撰字鏡では,同じ読みの「䯗(与己志)」は腰や肩の骨をも表すことから[8],「ヨコシ」は,「ヨ+コシ(腰)」とも,また①を合わせて考慮すると,「ヨコ(横)+コシ(腰)」と分解できる.したがって,側腹部に位置する脾臓が「ヨコシ」と呼ばれる所以と考えられる.

【派生語5・1】ヨハコシ:脾【字】[12]

【派生語5・1用例】【古今著聞集 巻第十】[22] 相撲強力第十五

「法師なに心なくて,れいのやうにかの事くわだてんとて,またにはさまりたりけるを,其よは腰をつよくはさみてけり.」

「ヨハコシ」は「ヨワゴシ(弱腰)」とも通じ,やわらかな腰とも解釈すると,肋骨と腸骨の間のウェストの側腹部にあたる.上記の例は,女が下心のある法師の腹部を両足で挟み,締め上げている状況(胴絞)を表している.上記の「ヨコシ」が「ヨハコシ」の省略形と捉えると,実際の左の脾臓の位置とも一致するので,脾臓が「ヨコシ」と呼ばれる所以かもしれない.

呼吸器系

ここでは喉頭(声帯を含む)および肺についての大和言葉を挙げる.「ノムト」には呼吸器系の喉頭に当たる部分と消化器系の咽頭の両方を指すと考えられるので,消化器系にまとめて記載する.

喉頭(声帯を含む)

6 ノムトフエ:吭(乃無止布江),咽笛【倭】[6] 吭【類】[10] 吭【色】[11]

7 ノドブエ:咽笛【義経記】[23]

【用例7・1】

「さても武蔵は,彼に討合ひ,之に討合いする程に,咽笛(ノドブエ)打裂かれ,血出づる事は限りなし.」

8 フエ:喉【新】[8] 脬【類】[10] 臡【字】[12]

「ノムトフエ」は「喉(のど)の笛(ふえ)」と解釈できる.また「フエ」だけでも楽器の笛と同様の発声に関係した器官とみなし名付けたと思われる.

肺臓

9 フクヒシ 肺【字】[12]

10 フクフクシ:肺(布ゝ久ゝシ→布久ゝゝシの誤記か)【華】[19] 朐,脯,膎,胇(布久ゝゝ志)【新】[8] 肺【倭】[6] 肺【類】[10]【色】[11]【字】[12]

和訓の「フク」は息を吹く(フク)や膨(フク)らむなどと通じる.実際の人体から取り出した肺を直接,触診すると,「プクプク」した感覚があり,「フクフク」という語が,奈良時代には「プクプク」と発音されていたという説を考慮すると[24],この名称は,実際の臓器の形状をよく表した適切な擬態語でもある.人体解剖を経験したものの立場からいえば,この語彙は,体表からの胸部の観察から生まれたというよりは,臓器としての肺を直接,観察することから生まれたのではないかと思われる.

消化器系

漢方医学では内臓は,実質性器官の五臓と中空性器官の六腑に分けられる.五臓は肝,心,脾,肺,腎で,六腑は大腸,小腸,膽,胃,三焦,膀胱である.三焦の和名は「ミノワタ(美乃和太)」と読まれていることから推測すると,三焦は「三区分のワタ」と解釈したのであろうと思われる[6].ここでは,咽頭,胃,腸,肝臓,胆嚢について記述する.

咽頭

11 ノミト:喉(乃美土),咽(能美等)【華】[19]

12 ノムト:咽,喉(乃無止)【倭】[6] 月+毎(1字)嚨,吭,咽,胭,口+元(1字)【類】[10] 月+侯(1字),胭【字】[12]

「ノムト」は「ノム」+「ト」と分解でき,「飲む」という動詞と場所を示す「所」や出入りする「戸」や「門」という名詞の「ト」が結合した語と考えられ,食物や水を通す場所と解釈できる.「ノムト」の語には,現在でいう咽頭と喉頭が含まれると考えられる.解剖学では,口の奥で食道に続く部分を頭,そして甲状軟骨を含む,気管に続く部分を頭と区別している.漢字では「咽」と「喉」を区別しているが,同義の「嗌」,「嚨」をも含めて,古くは本来,これらの漢字は同じ意味であり,一般には区別されていなかったと推測されている[25].ただ近世になり,特に医学の領域では,現在のように食道側に「咽」を使い,気管側に「喉」を使うようになった[26].

13 クソフクロ:肚,月+胃(1字)【新】[8] 胃,肚,脬,胞,膓【類】[10] 胃【色】[11] 䐗,胃,胞,肺,脬,【字】[12]

屎(クソ)と袋(フクロ)を結合させた語と考えられる.消化管全体は,伸ばしてみると,ほとんど一本の柔らかい管状の構造であるが,胃と盲腸の部分が他の部分と異なり,直線ではなく,やや角度がついており,「フクロ」状に見える.従って,「フクロ」という表現から考察すると,胃と解釈するのが適当かと思われる.

14 クソワタ:䐗【類】[10] 䐗【字】[12]

15 クソワタフクロ:胃(久曽和太布久呂)【倭】[6]=胃の意

腸(小腸と大腸を含む)

16 オホワタ:月+毛(1字),脈(於保和太)【新】[8] 大膓,脈【類】[10] 䐾【字】[12]

17 オホハラワタ:胴【字】[12]

18 ハラワタ:膓(胎和多)【華】[19] 大腸(波良和太)【倭】[6] 膓,大膓,䐗【類】[10] 膓【色】[11] 腸,肺,肚,月+此(1字),戸+攵+月(1字)【字】[12]

【用例18・1】【義経記】[2]

「拳を握りて腹の中に入れて,膓(ハラワタ)緣の上に散々に摑み出して,」

19 ヒヤクヒロ:大膓【身】[13]

腸が長く,その長さが百尋もあるほどと誇張されて付けられた比較的新しい名称と考えられる.一尋はヒトが両手を広げた間隔を指し,約1.5 mに相当する.

20 フトワタ:大膓【医心方】[27]

21 ホソワタ:小腸(保曽和太)【倭】[6] 小膓【色】[11] 小膓【類】[10] 腶【字】[12]「ハラワタ」,「フトワタ」,「オホワタ」は大腸を,「ホソワタ」は小腸を指すと思われる.

22 ワタ:腸(和多)胵,膍【類】[10] 胵は鳥の内臓,膍は牛の胃を指すという.

「ワタ」は本来,湾曲しているもの,曲がりくねったものを表す語である.そこから曲がりくねった腸などの内臓を指すようになったと考えられる.

【用例22・1】【万葉集 804】[28]

「蜷の(美奈乃和多) か黒き髪に 何時の間か 霜の降りけむ」

蜷(ミナ)は,現在のカワニナなどの巻き貝を指し,その身は螺旋状に曲がりくねっていてワタと呼ばれ,それが黒いことから黒髪などの枕詞となったと考えられる.

肝臓

23 キモ:肝(岐毛)【華】[19]【新】[8]【倭】[6] 肺,膰【類】[10] 膰,臡,膽,肺【字】[12]

【用例23・1】【万葉集 3885】[29]

「わが肝(伎毛)も 御膾(みなます)はやし わが眩(美義)は御塩のはやし」

「キモ」にはさまざまな漢字の読みに当てられており,肝臓のみならず,内臓の総称とされていた可能性がある.この歌では鹿などの第一胃を指す眩「ミゲ」が区別されており,「キモ」は臓器としての肝臓を指すと思われる.また,肝(キモ)は,次の用例にあるように,古代から精神的な側面をも表す語彙でもあったことがわかる.

【派生語23・1用例】【日本書紀 巻第二十二】[30] 推古天皇

「即日に,山背大兄を召して教へて日はく,『汝は稚(キモワカ)し.若し心に望むと雖も,諠(とよ)き言うこと勿(まな).』」

この用例の訳はいずれの文献でも,「キモワカシ」とは,「(精神的に)未熟であると」いう意味に解釈している.小川氏は,この例を指して,「体内にある肝が人の精神作用と密接な関係を有するという考えが行われたことを示す」ものだと考察している[31].

琉球王朝の歌集である「おもろさうし」では「肝」,「心」にあたる語が,「キモ」,「アユ」,「アヨ」などと読まれる沖縄語独特の語彙が存在する.

24 アユ:肝【おもろさうし 第一】[32]

【用例24・1】

又 いせゑけり按司襲い,肝(アユ)が内は,嘆くな

又 いせゑけり貴み子よ,御肝(ギモ),内は,嘆くな

上記の文意は,どちらも「貴人よ,御痛なさいますな」という意味と解釈され,「アユ」も「キモ」も臓器の肝臓というよりは,精神的な心を表していると思われる.

25 ヤム:肝【新】[8]【倭】[6] 膰【類】[10]

「肝」を「ヤム」と読む例は上記の古辞書には数例認められるが,実際の用例は見当たらない.

胆嚢

26 イ:膽(伊)【倭】[6]

27 キモ:膽【身】[13]

「膽」は「キモ」とも「イ」とも読み,胆嚢を指していると考えられる.

泌尿器系

ここでは,腎臓,膀胱に関する大和言葉を挙げる.

腎臓

28 ムラト:腎(牟良斗)【華】[19](牟良登)【新】[8](無良止)水之精【倭】[6]【類】[10]【字】[12]

【派生語28・1用例】【万葉集 773】[33]

「諸弟らが 練りのむらと(ムラト)に 詐かれけり」

【訳文】:諸弟らの練達の心にだまされてしまった.

この歌では「ムラト」が,腎臓という意味ではなく,心の意味で用いられている.

膀胱

29 ユバリツボ:胱【類】[10] 脬【字】[12]

30 ユバリブクロ:膀,胱(由波利布久呂)【倭】[6]【類】[10] 脬【字】[12]【身】[13]

「ユバリ」は「ユ(湯に通ずる)」を「マル(排便,排尿する)」に由来する語で,尿の意.したがって,「ユバリツボ」や「ユバリブクロ」も尿壺,尿袋と解することができ,現在の膀胱を意味する.

【用例30・1】【日本書紀 巻第一】[34] 神代上 第五段 一書 第六

「伊奘諾尊,乃ち大樹に向かひて放 尿+毛(1字)(ユマリ)まる.」

【訳文】:伊奘諾尊は大樹に向かって放尿した.

図2 大和言葉による語と内臓の主な対応図(前面図)

上記の各器官を示す大和言葉を前面からの内臓略図と対応させた.大和言葉をカタカナ表記で,対応する臓器名を現代の解剖用語で示した.

生殖器

ここでは,内臓としての子宮,胎盤,羊膜絨毛膜,臍帯に関する大和言葉を挙げる.

子宮

31 コツボ:子壺(Cotçubo)【日葡辞書】[35] 子宮【身】[13]

【用例31・1】子宮【医心方 巻二十四】[36]

「皆由労傷血気冷熱不調 而受風寒客於子宮至+支(一字)胞内生疾」

医心方には,「子宮」の語は認められるが,対応する和訓はみられない.

32 コブクロ:子宮【病論俗解集】[37]

病論俗解集の子宮「シキウ」の項には「コツボ」と一緒に「コブクロ」の記載があり,これが書かれた江戸時代初期以前にもこれらの語彙が使用されていたことが推測される.膀胱を「ユバリツボ」や「ユバリフクロ」と呼んだように,子宮も同様の子壺や子袋のような表現を用いていたことになる.

胎盤(羊膜絨毛膜を含む)

33 エ(ヱ):胞「ヱナ」と同じ,胎盤の意

【用例33・1】【日本書紀 景行天皇】[38]「其の大碓皇子・小碓尊は,一日に同じ胞(エ)にして双(ふたご)に生(あ)れませり.」

「同じ胞」とは,同じ胎盤を共有している一卵性双胎を表しているのであろう.

34 ヱナ(エナ):褜【類】[10] 胞衣【色】[11] 胞【字】[12] 胞衣,紫河車【身】[13]

「胞」や「胞衣」を「ヱナ」と読む例は類聚名義抄や色葉字類抄に見られるが,「胞」を「ヱ」と読む確実な例は古辞書には見られなかった.紫河車とは胎盤を材料として作られた漢方薬の名称である.

35 コス:胞(子須)【新】[8] 「エナ」と同様の胎盤を指す語か不明.

36 コノヱ:膜(子乃兄)【新】[8]

37 タナシシ:膜,月+秦(1字)(太奈肉)【新】[8](太奈之々)肉内薄皮也【倭】[6]

「タナシシ」は倭名類聚抄では,肉内薄皮也とあるので,筋膜,あるいは,筋周膜に相当するものと考えられるが,新撰字鏡では,同じ「膜」の漢字の読みに「太奈肉(タナシシ)」,「子乃兄(コノヱ)」と併記されている.したがって胎児を包んでいる膜(解剖学では羊膜絨毛膜と呼ぶ)とそれに連続する胎盤も「膜」とされていた可能性がある.

徒然草には出産に際して,甑(コシキ)を落とすまじないについての記載がある[39].これは,胎児を出産後,後産として胎盤が滞りなく体外に排出できるように願うまじないで,平家物語には平清盛の娘の徳子が高倉天皇を出産した時に,御殿の屋上から甑を落としたという記載がある[40].これは胎児が子宮内でしいていたであろう「子敷き(コシキ=胎盤)」を同じ発音の甑に見立て,それを早く体外に落とすことを願って行ったまじないとする.

臍帯

38 ホソノヲ:胞【字】[12]

【用例38・1】【紫式部日記】[41]「御ほぞのをは殿の上.御乳つけは橘の三位.」

「ホゾ」は臍で,「ヲ」は緒なので,「ホゾノヲ」は臍帯を指す.

以上の主要臓器と大和言葉による臓器名との関係は,図234に示した.

図3 大和言葉による語と内臓の主な対応図(背面図)

上記の各器官を示す大和言葉を背面からの内臓略図と対応させた.大和言葉をカタカナ表記で,対応する臓器名を現代の解剖用語で示した.

図4 大和言葉による語と内臓の主な対応図(子宮,胎盤)

妊娠中の胎児と胎盤と羊膜絨毛膜との位置関係を示した.胎児は,臍帯で胎盤,羊膜絨毛膜とつながっている.胎盤からは羊膜絨毛膜が連続して,胎児全身を包んでいる.この略図から「エナ」を胎児の包んでいる「胞衣」と書く理由が理解できる.出産時には,まず外子宮口から飛び出た羊膜絨毛膜が破れ(破水),胎児が先に娩出され,続いて,胎盤と羊膜絨毛膜が一体となって,後産として排出される.

考察

大和言葉から見た古代日本人の内臓観

これまで主として古辞書を手掛かりとして,辿れる限りの古い大和言葉による臓器名を見てきた.一般の古代日本人が内臓とどれほどの接点があったのかについては想像するしかないが,医療事情が進んでいなかったことを考えると,少なくとも現代の日本人よりも多く死者に遭遇していたことは十分想像できる.また魚や犬猫などの動物,また家畜も人々の身近におり,これらの一部は食用になっていた可能性が高い.倭名類聚抄にも動物の内臓に用いる語彙も記載されており,家畜などの解体を専門的に行う人々も一定数存在していたと思われる.このような状況を鑑みると,一般民衆が知り,また使用した内臓に関する語彙も潜在的にはさらに多く存在していた可能性があると思われる.古代日本人がそうした臓器をどのように捉えてきたかを次のいくつかの視点から概観してみる.

① 内臓が人の心や精神を表す表現

② 内臓の名称をもちいた枕詞

③ 妙薬としての内臓

この「考察」において取り上げる語彙の多くは,既に「結果」で紹介した語彙を比喩的に精神的な表現として用いている派生的表現であるので,こうした表現は【派生語】とし,それらが実際に使用されている用例は【派生語用例】として,結果の通し番号に準じた番号を付した.

① 内臓が人の心や精神を表す表現

我々の精神状態を表すとき,単に「うれしい」,「悲しい」というのではなく,その感情の繊細さや程度の違いを表現する手段として,身体や内臓の状態を比喩として用いた表現が,既に古代の文字資料に見ることができる.特に上記の「ココロ」,「ムネ」,「ハラワタ」,「キモ」,「ムラト」には,それぞれの臓器が変化するほどに精神が影響を受けたような表現がある.

【派生語1・4用例】ココロアル(心ある)=配慮がある【万葉集 1366】[42]

「明日香川 七瀬の淀に住む鳥も 心あれこそ 波立てざらめ」

【訳文】明日香川のたくさんの瀬の淀に住む鳥も,深い心があればこそ波をたてないのだろう.

【派生語1・5用例】アカキ,キヨキ,ナオキココロ(明き,浄き,直き心)=心が晴明で,素直である.【続日本紀宣命 文武天皇即位の宣命】[43]

「天皇が朝廷の敷き賜ひ行ひ賜へる國法を過ち犯す事無く,明き,浄き,直き心を以て,(略)と詔(の)る.」

【派生語1・6用例】ココロアシキ(心悪しき)=性格が悪い【枕草子】[44]

「とり所なきもの,かたちにくさげに,心あしき人.」

【訳文】取り柄のないもの.顔かたちが憎たらしくて,性格が悪い人.

「ココロ」は,本来,臓器としての心臓を意味していたと思われるが,既に万葉集の時代から精神的な理解や性格などの人の精神的側面に対しても用いられていたことが上記の用例からわかる.また「ムネ」や「ハラ」は,現在でも,体表のみならず,「胸が苦しい」,「腹が痛い」など,それぞれの内部の臓器にも影響を受けたかのような表現のほか,さらに「胸糞悪い」,「腹立たしい」などの精神状態を表す表現も使われる.上記の万葉集における「ムネ」を用いた【用例2】では,「胸痛み」,「胸熱み」と内臓の感覚か精神的な感覚なのかがあいまいな表現であるが,やや時代がくだり,平安時代になると,「胸騒ぐ」「胸ふたがる」「胸つぶれる」など,内臓の状態を比喩的に用いた表現が多く見られるようになる.

【派生語2・1用例】ムネツブレ(胸つぶれ)=ひどく悩む,驚く【大和物語 第百三段】[45]

「さしのぞきて見れば,この家の女なり.胸つぶれて「こち来」といひて,文を取りて見れば,」

【訳文】のぞいて見ると,例の女の家の召使いの女である.胸がどきっとして,「こちらに来なさい」と言って女からの手紙を手に取って見ると,

【派生語2・2用例】ムネハシル(胸走る)=思いが走る.【落窪物語】[46]

「我身たゞいま人とひとしくてもがな報ひせん,と思ふ胸走る.」

【訳文】自分の身分が今すぐ人並みに同等でありたいよ,復讐しよう,と胸の思いが走る

「ハラワタ」や「キモ」は,内臓を代表する消化器であるが,古代から現代まで,これらの多くの精神状態を表現する派生語を生み出している点は注目される.現在でも使われる表現として,「ハラ」も含めると,「腹が立つ」,「腹が据わる」,「はらわたが捩れる」,「はらわたが煮えくりかえる」,「肝が据わっている」,「肝をつぶした」などの日常表現がある.

【派生語18・2用例】ハラキタナキ(腹汚き)=意地悪な 【うつほ物語 忠こそ】[47]

「おのれに代りて,腹汚き人につきて,あしき目見せたまふな.腹汚き人ありて,あしきこと聞こゆる人ありとも,いはむ人の罪になしたまへ.」

【訳文】もし腹黒い人がいて,忠こそのために悪いことをお耳に入れるようなことがあっても,そんなことを告げ口するほうが悪いのだとお思いください.

【派生語18・3用例】ハラアシク(腹悪しく)=機嫌が悪い,怒る【源氏物語 若菜下】[48]

「さすがに腹あしくてものねたみうちしたる,」

【訳文】とはいえ,おこりっぽくて,嫉妬を少しなさるところは,

【派生語18・4用例】ハラクロウ(腹黒う)=意地悪だ【蜻蛉日記 下】[49]

「『影もや見えつらむ』と思ふに,あさましうて,『腹黒う消えぬとものたまはせで』といへば,『何かは』と,候う人も答えて,立ちにけり.」

【訳文】「私の姿が見えていたのかもしれないわ」と思うとあきれてしまい「意地が悪いわ,消えたともおっしゃらないで」と言うと「なに,かまいません」と,そばにいる供人も答えて,かえって行ってしまいました.

中国の詩文には「断腸」という表現があり,現在の日本でも「断腸の思い」という悲しみの極致の表現として「腸が切れたような」という比喩表現が用いられることがあるが,唐代の漢詩では,自然などに深く感動した時にも用いられていたようである[50].これと類似する表現で,和語の「はらをきる」という用例が竹取物語や宇治拾遺物語に見られる[51, 52].こちらは笑いが止まらない,哄笑の例として用いられている.ひどく笑う際に,頻繁に腹部の筋を収縮させるために筋肉痛が起こり,「はらが切れた」ように感じられたということであろう.長沼によれば,唐から伝わった「断腸」と大和言葉の「はらをきる」という2つの表現は本来,互いに関連のない異なる表現であったが平安時代ごろに両者が混じり合って,大笑いをすることを表すときにも,「断腸」や「腹のわた切るる心地して」などの表現が生じたとしている[53].しかし武士の時代になると,いわゆる切腹が行われることで,滑稽な意味での「はらをきる」という表現が消滅していった.したがって,大笑いする際に「腹をきる」という表現は,本来,日本独自の自然な表現であったと考えられる.

【派生語18・5用例】ハラヲキル(腹を切る)【竹取物語】[51]

「これを聞きて,離れ給ひしもとの上は,腹を切りて笑ひ給.」

【訳文】これをお聞きになって,離縁された元の妻は,大笑いされた.

【派生語18・6用例】ハラノワタキルル(腹のわた切るる)【宇治拾遺物語 巻第十四】高階俊平が弟の入道,算術の事[52]

「いたく笑ひて,とどまらんとすれどもかなはず.腹のわた切るる心地して,死ぬべく覚えければ,涙をこぼし,」

日本の歴史の中で,自死する方法に注目してみると,奈良時代の大津皇子,山背皇子,長屋王などの自死の方法は首を括る縊死が多く,その頃の一般的な方法であったのかもしれない.しかし武士の時代になると,刀を使って腹部をかき切るものも出てくる.平家物語では,三位の入道も腹部を刀で刺して,うつ伏せになったのち,介錯されている[54].この辺りまでは自死が私的な死という印象を与えるが,次第に他者に示す行為としての自死という要素が現れてくる.木曽義仲の配下であった今井四郎兼平は,刀を喉に刺して自死し,自分の勇気ある死にざまを敵方に見せるようになる[55].さらに上の用例に挙げた義経記における忠信の切腹の場面では,自分がどれだけ勇猛な武士であるかを見せるためか,十文字の割腹をした後,「ハラワタ」を取り出して,敵方に見せている.「ハラワタ」までをも見せる行為は,その強固な自分自身の意思を表す意図もあるが,「ハラワタ」を含め,内臓は究極の自分自身であり,切腹はそれを相手に示す行為でもあると捉えていたのかもしれない.

【派生語23・2用例】キモキエ(肝消え)=気を失いそうになる.【竹取物語】[56]

「御子は我にもあらぬ気色にて,肝消えゐ給へり.」

【訳文】御子は茫然自失となり,気を失いそうになられた.

【派生語23・3用例】キモタマシイ(肝魂)=心,気力,胆力【古今著聞集 巻第十二】[57] 偸盗

「かかる中に,いづくに肝魂(きもだましひ)ありて案じつゞけけるにか,」

【訳文】このような状況で,どこに度胸があって,歌を考案し続けられたのだろうか,

【派生語23・4用例】【平家物語 巻第九】[58] 小宰相身投

「なさけのみちありがたかりしかば,見る人,聞くもの肝たましひをいたましめずといふ事なし.」

上記の「キモタマシヒ」には,「心」と置き換えられるような意味と物に動じない「胆力」という意味もある.ある辞典にはこの「肝魂」の説明として,「外界からの刺激に対する心内の意力」との説明がある[59].例えば,肝(キモ)試しのように,度胸を試す場合,「キモ」が単なる人の精神を表すというよりは,外からの身体への刺激を受け止める内面と考えられ,このような解釈も古代日本人の内臓観を考察する場合に非常に示唆的である.「キモタマシヒ」という語は,「キモタマ」という省略形を産み,現代の「肝っ玉」とつながっていると思われる.

こうした人間の精神状態と内臓の関係は,そもそも漢方医学の陰陽五行説でも触れられていて,怒りは肝臓,喜びは心臓,思考は脾臓,悲しみは肺臓,恐怖や驚きは腎臓に対応するとしている[60].ただし,漢方でいう五臓は,具体的な臓器というよりは,機能的な概念をそれぞれの臓器名に与えているということのようであるので,そのような古代中国の陰陽五行思想における臓器の捉え方と上記の日本での大和言葉による臓器名を用いた精神的な表現とはやや異なっている.

② 内臓の名称をもちいた枕詞

万葉集や古事記には,内臓を表す「キモ」と「ムラキモ」と言う語彙を用いた「キモムカフ」と「ムラキモノ」という枕詞が存在する.いずれも「ココロ」に懸かる枕詞である.

【派生語23・5用例】キモムカフ(肝向,岐毛牟加布)【万葉集 135】[61]

「別れし来れば 肝向かふ(肝向) 心を痛み 思ひつつ」

【派生語23・6用例】【万葉集 1792】[62]

「たどきを知らに 肝向かふ(肝向) 心砕けて 玉だすき」

【派生語23・7用例】【古事記 下巻】仁徳天皇 歌60 [63]

「大猪子が 腹にある 肝向かふ(岐毛牟加布) 心をだにか 相思はずあらむ」

【訳文】:せめて心だけでも私を思ってくれないだろうか.

こうした枕詞を持った歌では,表現したいことは「心」以下なので,枕詞を訳出する必要はないのであるが,特に【派生語23・7用例】の「腹にある」という表現から「肝(キモ)」は腹部内臓を指していることがわかる.その内臓でも,1,2では原文にも「肝」の字があるので,「キモ」は肝臓を表し,「心」に通じている臓器であるように想像できる.枕詞の「肝」が「向かう」対象が「ココロ」であるが,一つの解釈として,具体的臓器である「肝臓」から「心臓」に向かい,「心臓」が精神的な「心」と重なるという流れが考えられる.枕詞としての「キモムカフ」は,その語自体に大きな意味がないのかもしれないが,自分の気持ちが内臓の中を通って,ある方向に向かっているというイメージを誘い出し,歌全体に動的な印象を与える効果があるように感じられる.

【派生語23・8用例】ムラキモノ(村肝乃)【万葉集 5】[64]

「たづきも知らずむらきもの(村肝乃) 心を痛み ぬえこ鳥」

【派生語23・9用例】ムラキモノ(村肝乃)【万葉集 720】[65]

むらきもの(村肝乃)情(こころ)くだけてかくばかり わが恋ふらくを」

【派生語23・10用例】ムラキモノ(村肝乃)【万葉集 3811】[66]

「痛き我が身そ いちしろく 身にしみ通り むら肝の(村肝乃) 心砕けて 死なむ命」

上記のように,万葉集には「ムラキモ」を枕詞にしている歌が複数存在する.「ムラキモ」は,本居宣長が指摘したように,肝のみならず,実際,上記の古辞書には,肺,膽(胆嚢)も「キモ」という読みを持っていることから,「キモ」は,古くは内臓の総称名であった可能性はあろう.「ムラキモ」も「ココロ」を導く枕詞であるが,その「ココロ」の状態が「痛む」,「砕ける」など,心のネガティブな状態を導く点は「キモムカフ」という枕詞と共通する.したがって「ムラギモ」も「キモムカフ」と同様,本来は「ムラキモムカフ」という意味があったのかもしれない.さらに「キモ」と「ココロ」を組み合わせた「キモココロ」[67],「ココロギモ」[68]などの派生語彙も平安時代の文学作品に多く見られ,現代の「心を砕く」,「心を尽くす」などに通ずる表現となっている.

③ 妙薬としての内臓

猿の生肝が薬になるという話は広く,アジアの各地に残っている[69, 70].猿のみならず,人についても薬効があるという俗信が早くから中国から伝わったようである[71].古代日本人の内臓,特に肝臓や胆嚢に薬効に対する認識の中で,また今昔物語集にも胎児や美女の生肝が妙薬になるという話がある[72, 73].現代から見ると一見,異常とも思えるような話であるが,一方でその対象が動物になると,現代人はレバ刺しといって,生の肝臓を食している.古くは対象がヒトで入手困難なものであればあるほど,薬としての効果が絶大であると信じられているのであろう.

【派生語23・11用例】イキギモ(生肝)【沙石集 巻第五】[70] 学匠の蟻蟎の問答の事

「妻懐妊して,猿の生肝をねがひければ,山のほとりに猿ありける所にゆきて,」

浄瑠璃や歌舞伎の「摂州合邦辻」では,毒に苦しむ男に寅の年,寅の月,寅の日,寅の刻に誕生した女の,肝臓の生血を与えると毒の効果が消滅し,たちどころに元の状態に回復するという話[74]があるなど,かなり古くから,特別な巡り合わせに生まれた女性の肝臓は他の臓器で代用できないような特別の効力を持つ臓器とみなされるような俗信があったようだ.

上記の①,②,③で見たように,「ムネ」,「ココロ」,「キモ」,「ハラ」等の内臓には,いずれの語彙もおそらく本来は,それぞれの臓器を表した表現が,喜怒哀楽や人への配慮などの精神的表現へと広がり,用いられてきたことがわかる.特に平安時代に書かれた文学作品には,内臓の状態を比喩的に用いた用例を多く認めた.しかしこのような精神的な表現があるからという理由で,古代日本人が「キモ」,「ハラ(ワタ)」を精神の所在としていたと判断して良いのだろうか.上記の用例などを見ると,「キモ」,「ハラ(ワタ)」は外からの言葉などを受け止め,反応する受動的臓器とも解釈できる.上記の「肝稚し」,「肝消す」や現代でも用いる「肝試し」,「太っ腹」などもそのような観点から見てみるとある程度納得できる.

現代でも上記のように内臓を表す語彙を用いた多くの表現は継承され,用いられているが,古代人の内臓への認識は,現代人のそれとは異なるように思える.現代では,コミュニケーションに関わる感覚器は頭部に集中してあり,脳によって思考,判断,行動が制御されているとされている.このような認識を持たない古代人は人の心の中が,外見からは見えないものであるように,外から見えない精神的なものは内臓にあると感じたのではないだろうか.実際,外からのコミュニケーションに関わる自己への刺激は内臓感覚の変化となって自覚され,次に思考認識されるという具合である.古代日本人が,万葉集や古事記に用いた「キモムカフ」という枕詞を生み出した背景には,このような(外部からの刺激)→(キモ,ハラワタを含むキモ)→(ココロ)という直感的で,感覚的な流れがあるのではないかと推測する(図5).

図5 「キモムカフ」の枕詞の一解釈

肝のみならず,膽(胆嚢)も「キモ」という読みを持つ代表的臓器である.体内の諸臓器の状態が心(ココロ)に作用することを「向かふ」と呼んだと想定すると,外からの刺激に対して,まず「キモ」が反応し,最終的に「ココロ」が意識されるという過程が想像される.

謝辞,その他

本稿の一部は第128回日本解剖学会学術集会で発表した.

本研究はJSPS科研費 JP17K18497の助成を受けたものである.また該当する利益相反はない.

文献
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  • [50]   中原 健二(1984)唐詩における“断腸”:読詞のための覚え書き. 小樽商科大学人文研究 68: 122–138
  • [51]   阪倉篤義校訂(1970)竹取物語(岩波文庫).岩波書店,p. 34
  • [52]   中島悦次校注(1960)宇治拾遺物語(角川ソフィア文庫).角川書店,p. 343
  • [53]   長沼 英二(2014)和語成句の漢訳表現:「はらをきる」と「断腸」. 表現研究 100: 40–49
  • [54]   梶原ら校注(1999)平家物語 2(岩波文庫).岩波書店,p. 104
  • [55]   梶原ら校注(1999)平家物語 3(岩波文庫).岩波書店,p. 258
  • [56]   片桐洋一校注(1994)竹取物語(新編日本古典文学全集;12).小学館,p. 34
  • [57]   西尾ら校注(2019)古今著聞集 下(新潮日本古典文学集成 新装版)p. 94
  • [58]   梶原ら校注(1999)平家物語 3(岩波文庫).岩波書店,p. 364
  • [59]   志田ら編(1980)類語の辞典 上「きもだましひ(肝魂)」の項(講談社学術文庫).講談社,p. 460
  • [60]   喜多 敏明(2002)五臓六腑.In:日本東洋医学会学術教育委員会編 入門漢方医学.南江堂,p. 52
  • [61]   佐竹ら校注(2013)万葉集 1(岩波文庫).岩波書店,p. 144
  • [62]   佐竹ら校注(2014)万葉集 3(岩波文庫).岩波書店,p. 88
  • [63]   中村啓信訳注(2009)古事記 新版(角川ソフィア文庫).角川書店,p. 184
  • [64]   佐竹ら校注(2013)万葉集 1(岩波文庫).岩波書店,p. 56
  • [65]   佐竹ら校注(2013)万葉集 1(岩波文庫).岩波書店,p. 416
  • [66]   佐竹ら校注(2014)万葉集 4(岩波文庫).岩波書店,p. 272
  • [67]   中野幸一校注(1999)うつほ物語 1(新編日本古典文学全集;14).小学館,p. 67
  • [68]   松村博司校注(1964)大鏡(岩波文庫).岩波書店,p. 266
  • [69]   ヒシゲジャルガル(2016)日本とモンゴルの動物語説話の比較対照研究:仏教経典から説話までの展開:「五色の鹿の事」説話を中心に.千葉大学大学院人文公共学府研究プロジェクト報告書(ONLINE ISSN 2434-8473)URL: https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/100370/BA31027730_303_p025_KHI.pdf(閲覧日2023/5/4)
  • [70]   筑土鈴寛校訂(1943)沙石集 上巻(岩波文庫).岩波書店,p. 219
  • [71]   本田 義央(2011)説話集編纂者の説話理解:猿の生肝の説話を題材として.比較論理学研究 9(広島大学比較論理学プロジェクト研究センター研究成果報告書),pp. 69–62
  • [72]   森正人校注(1996)今昔物語集 5(新日本古典文学体系;37).岩波書店,p. 348
  • [73]   今野達校注(1999)今昔物語集 1(新日本古典文学体系;33).岩波書店,p. 378
  • [74]   山本吉之助 摂州合邦辻 合邦庵室(義太夫狂言を読む).URL: http://kabukisk.com/yukahon8.htm(閲覧日2023/5/4)
 
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