2024 Volume 159 Issue 3 Pages 156
低酸素応答研究で大きな業績を上げた欧米科学者3名に,ノーベル生理学・医学賞が贈られてから5年目の節目を迎えている.この研究領域の勢いは続いており,ノーベル賞以降も多くの論文が発表されている.基礎的な分子メカニズムを明らかにする研究に加えて,これまでに蓄積された知見を創薬に結びつけようとする動きが加速してきている.低酸素応答の中心的経路として位置づけられているのが,プロリン水酸化酵素PHDと低酸素誘導性の転写因子hypoxia-inducible factor(HIF)を主軸としたPHD-HIF経路である.①PHDはHIFのαサブユニット(HIF-α)を水酸化する.②水酸化されたHIF-αはユビキチン化され,分解される.③低酸素下ではこの反応が抑制され,HIF-αが安定化し,転写因子として機能する.PHD-HIF経路の骨子は,この三つのステップにある.これらのステップに介入し,HIFの活性をコントロールできれば,疾患の治療に結びつくと考えられる.HIFの安定化はその標的遺伝子の発現を増やす効果がある.例えば,エリスロポエチンの発現を増やすことができれば,貧血治療へと結びつくことが期待される.逆にHIFの抑制は,その標的遺伝子の発現を低下させ,例えば,抗腫瘍効果が期待される.
HIFを活性化する薬として,PHDの阻害薬(HIF-PH阻害薬;roxadustatなど)が開発され,その臨床応用が進んでいる.一方,HIFを阻害する薬の研究は,その特徴的な分子構造から二つの主要なαサブユニット(1α,2α)のうち,HIF-2α阻害薬(belzutifan)の開発が先行し,米国では既に承認されている.本邦でもそう遠くない将来,承認されることが期待されている.本特集は,2022年12月に開催された第96回日本薬理学会年会(横浜)で企画したシンポジウム「低酸素応答を標的とした治療薬・創薬の最前線」の演者の方々に,その発表内容をまとめていただく形で組ませていただいた.特集の中ではまず,HIF-PH阻害薬の最新の動向について南学正臣先生(東京大学大学院医学系研究科)に,HIF-2α阻害薬について中村英二郎先生(国立がん研究センター中央病院)に,執筆していただいた.ところで,ヒトのPHDにはPHD1,2,3の三種類が存在している.HIFを水酸化するためだけに三つもPHDが必要なのだろうか? このような疑問から,もしかするとPHDにはHIF以外の基質も存在するのではないかと早い段階から考えられてきた.PHDの新たな基質としてイオンチャネルを同定したのが森 泰生先生(京都大学大学院工学研究科)であり,本特集では,低酸素応答におけるイオンチャネルの制御機構について執筆していただいた.HIF-PH阻害薬はHIFを活性化するので,がん患者への使用には注意が必要であることが添付文書に明記されている.一方で,HIFにはさまざまな標的遺伝子が存在することから,その使用ががんに対して一概に促進的に作用するとは言えない可能性も考えられる.その可能性について,特に腫瘍血管の形成に焦点を当てて,松永慎司先生(大阪公立大学医学研究科)に執筆していただいた.
本特集は,低酸素応答関連分子の活性化・抑制につながる化合物の作用機序とその応用性,さらに,これらの薬物開発の裏側にまで言及した,低酸素応答を標的とした治療薬・創薬の現状を俯瞰する内容になったのではないかと思う.シンポジウムでの講演内容をアップデートし,「最前線」の内容に仕上げていただいた執筆者各位に感謝を申し上げる.本特集が,低酸素応答研究をすでに進めている研究者にも,低酸素応答に関心を持ち,これからこの領域の研究に着手しようと考えている研究者にも,その研究を進める一助となれば幸いである.
2024年4月