2024 Volume 159 Issue 4 Pages 185-186
巻頭言「アゴラ」欄への寄稿は今回2回目になる.前回は「人間万事塞翁が馬」と題して,とかく電気機器いじりが好きだった静岡の少年が,紆余曲折のすえ薬理学者になり,現職に着任するまでの経緯を紹介した(日薬理誌 2018;151:1-2).今回は,読者の皆様にとって多少なりとも役に立つ内容にせねばと知恵を絞り,研究には切っても切れない「論文」について考えを述べたい.
先日,日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞された湯川秀樹教授が,実は生涯で3報しか論文を書いておられなかったという都市伝説的な話を聞いた.湯川教授の業績は万人が認めるところであり,論文数と業績の価値に何ら関係はないという理屈に納得できるが,我々凡夫の悲しいところで,論文数が研究者の価値と密接に関係していることを否定できない現実も受け入れなければならない.学内の昇任,教授選や科学研究費の獲得あるいは大学・研究機関のランキングに論文数は如実に関係してくる.そもそも科学研究費という名目ではあるものの,国民の税金で研究した成果を,広く万人が知り得るようpublic domainに載せるべきという倫理的な考えには異議を唱えられない.
当薬理学講座では,10年ほど前に,研究活動の指針となる独自のポリシーを策定した.講座員と議論に議論を重ねた上,北海道大学名誉教授の角皆静男先生(2015年12月8日逝去)が書かれた「研究者にとっての論文十ヶ条」を参考にすることにした.文字通り研究者の論文に対する姿勢を説いたものだが,第2条に「データのみ出して論文を書かない者は,テクニシャンである」,第3条には「データも出さず,論文(原著論文)を書かない者は,評論家である」という極めて厳しいことが書かれている.角皆先生はさらにヒートアップする.「論文を書かない研究者は,ネズミを捕らないネコと同じである!」.後年,「先生,最近のネコはネズミを捕りませんよ」と揶揄されたという逸話もあるが,ここでは話がややこしくなるので割愛する.論文十ヶ条については,すでに多くの先生が随所で紹介されているし,私自身も学内誌の巻頭言(東邦医学会雑誌 2020;67(1):1-2)で紹介している.いずれにしても論文十ヶ条は研究者にとって極めて重要な内容なので,機会を見つけて是非ともご一読いただきたい.そもそも人事評価をはじめとするさまざまな評価には皆が納得できる何らかの指標が必要だし,その意味で論文数は反論のない客観的指標のひとつになる.
3度の三冠王に輝いた落合博満選手が「俺はホームランを狙わなかったら4割は打てる」と言ったとか言ってないとか.確かにプロ野球ファンにとって華やかなホームランは見たいが,ホームランか三振だけでは困る.理想的には,コンスタントにヒットを打つことで打率を稼ぎながら,ここというところで特大のホームランを放つというのが良いが,そうは上手くゆかないのも世の常だ.研究の世界に話を戻せば,世界が注目する画期的な研究テーマに取り組み,何十年に一度結果が出るか出ないかというホームラン狙いも悪くはない.しかし,結果として論文が1報も書けなかったでは,昇任や栄転の機会に恵まれず,本人も将来に対する不安を募らせることになる.一方,論文数は確かに多いのだが,失礼ながら毒にも薬にもならない研究成果をコツコツと雑誌に投稿して打率を稼ぐことに終始していれば研究者としての魂が疲弊する.当講座では,このようなジレンマを解決すべく,取り組む研究課題を,(1)定期的に論文発表できる研究(打率を稼ぐ研究),(2)大型競争的研究助成金獲得を目指す研究(打率,打点を稼ぐ研究),(3)ユニークな発想に基づく研究(ホームラン狙いの研究)の3つに分類し,講座員はこの3つを並行して進めるよう推奨している.
(1)定期的に論文を発表できる研究:いわゆる超一流雑誌に掲載される見込みは薄いが,定期的に論文発表が可能な研究である.国家主導の研究プロジェクト(国プロ)や大企業の医薬品開発の根幹部分に,独自の研究分野を確立すれば研究費を継続的に獲得することができ,定期的に論文を発表できる.講座としてそのような専門研究分野をひとつでも持てば,所属する講座員は心に余裕をもって,大型研究費を狙ったり,論文になるかどうかわからない冒険的・探索的研究にも挑戦することができる.簡単に言えば,ガリガリ君で知られる赤城乳業が,ガリガリ君ソーダ味がコンスタントに売れ続けているが故に,毎年新しく◯◯味というチャレンジングな製品を市場に出せるみたいなものだ.
(2)大型競争的研究助成金獲得を目指す研究:研究者であればAMEDの大型研究助成金を獲得したいものだが,読者の方々もご承知のように,そう簡単には採択されないものだ.これを実現するため,当講座では,世の中で喫緊の課題とされるテーマに即した研究を推奨している.その様な研究は社会貢献に直結するという理屈で大型競争的研究助成金を獲得できる可能性が比較的高い.
(3)ユニークな発想に基づく研究:期待できる成果が見込めるかわからないが,研究者の知的好奇心が掻き立てられるユニークな発想の研究にも積極的に取り組んでいる.当然ながら多くは失敗に終わっているが,中には特許が成立して製品化され,ロイヤルティー(royalty)を生み出した研究もある.
研究結果を論文にすることの重要性については,先に述べたので繰り返しになるが,私が大学院生の頃,当時信州大学医学部薬理学講座教授を務めておられた千葉茂俊先生から「行った実験は全て論文として発表するものだ.私はずっとそうしてきた」と厳しく指導を受けた.ただ,頭では分かっていても実践することは難しい.できない言い訳はいくらでも思いつく.私に限らず多くの研究者は,研究者であると同時に大学教員としての仕事や診療など多忙な業務に忙殺される.そのため研究を一時的に中断せざるを得ない状況に陥る場合もあるが,時間がたつと自分が何をやっていたのかすっかり忘れてしまい,「そんなことやってたかなぁ・・・?」となることが多い.とはいえ,個人の頑張りには限界があり,だからこそ個々の研究の進捗状況を正確に把握できるようにシステム化することが重要である.東邦大学に赴任してからは,そのような事態を避けるために,「論文投稿進捗データベース」や「研究進捗データベース」を作って,毎週,講座員全員で進捗を確認している.講座員はデータベースに自由にアクセスでき,進捗状況を書き込むことができる.このような作業を緻密かつ継続的に行うことで,研究計画の立案から,実施,論文化,学会発表,論文投稿,改訂,受理,印刷公表まで,研究者個人の力量に依存することなく,講座員が互いに補完的に協力しあえる体制が構築できる.さらに,論文の図表に用いた生データ追跡システムの立ち上げ,論文公表までに使用・作成した書類(主にハードコピー)の一括管理,引用文献PDFの講座内での共有化を行いデータの「traceability」を徹底した.データ管理に有用なだけでなく,必要な情報を検索する際における時間節約効果は絶大である.
本稿では,角皆静男先生の名言「論文を書かない研究者は,ネズミを捕らないネコと同じである!」に従い,まずは研究成果を論文化することの大切さを述べた.また,研究の原資すなわち研究費を獲得する作戦に言及し,くわえて,研究者個人の力量だけでなく講座全体として協力し研究から論文化までを達成する手段として,研究データや関連情報の一元管理法を紹介した.データのtraceabilityを徹底することで,後に結果に整合性が取れない場合にも,どの段階に誤りがあったのかを容易に確認できるシステムづくりは極めて大切である.講座が一丸となってチームとして研究を進め,人類共有の知的財産(特許に限らず知識という意味)である研究成果を論文という形で共有できるよう皆様の活躍を期待して筆を置く.