Folia Pharmacologica Japonica
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Kenzo Takahashi
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2024 Volume 159 Issue 6 Pages 351-352

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私が製薬企業での仕事を始めてから早40年が過ぎ去ってしまいました.勿論,私の根っこは薬理学ですが,研究所で新薬開発に31年間従事した後,セルフメディケーション事業(OTC医薬品,食品,化粧品)での研究開発に携わり,現在はまた古巣の新薬開発にも関わっています.その間,有用な新薬や売れる商品の研究開発は本当に容易ではないとつくづく実感しました.そんな製薬企業の一薬理研究者のつぶやきを前回の「アゴラ」では,「low-hanging fruitは美味しいか?」と題して寄稿させていただきました(日薬理誌 2013;142:97-98).「手の届く果実ばかりを追いかけていると,やがて成果が出なくなってしまう」という自分自身への戒めも含めた内容です.この度,光栄にも名誉会員に就任させていただいた関係で,2回目の寄稿の依頼を頂戴しましたので,新しい時代を切り拓いて行く若手研究者の皆さんに向け,私が最近考えていることをメッセージとして届けたいと思います.なお,「薬理研究のラストワンマイル」と題しましたが,私の薬理研究者としての終活の話ではありません.

皆さんも「ラストワンマイル」という言葉を耳にすることが多いと思います.元々は通信業界で使われ始め,「顧客にモノ・サービスが到達する最後の接点」として,現在は物流や交通業界で多く使われています.例えば,物流では大量の荷物が最も効率的で費用対効果に優れたネットワークを活用して拠点まで輸送されますが,そこから先の個々の顧客に確実に届けるまでにはドライバー不足や再配達などの非効率性を含め多くの課題が生じています.この「ラストワンマイル」をどのように解決するかという課題は,ゴール到達まであと一歩及ばない状況にあるような薬理研究,企業の立場で言えば「患者に新薬を届ける」ことがゴールとなる新薬開発にも当てはまるのではないでしょうか?

新薬開発のプロセスや技術には今,大きな変革の波が押し寄せています.従来の低分子化合物に加え,抗体や細胞,核酸,ペプチド,遺伝子などのモダリティの多様化が進むと共に,遺伝学や分子生物学,構造生物学などの発展や計算機の性能向上に伴い,特にAI技術が凄まじく進化しています.これまでもAI技術は,標的タンパク質・遺伝子の同定や候補分子のスクリーニング・最適化,安全性や薬物動態の予測などに活用され,新薬開発のプロセス短縮とコスト低減に貢献して来ましたが,昨今の生成AIやAlphaFold 3などのさらに強力な武器の登場がこれらに拍車をかけています.思い起こせば,私が旧来の方法を用いて合成された化合物のスクリーニングや薬効評価に勤しんでいた1990年代には「これから(21世紀)はPC上で化合物がデザインされ,評価も不要になる」との情報が製薬業界で飛び交っていました.当時の私は将来へのワクワク感と実現性への疑念が交錯していた状態でしたが,30年の時を経て全てがAI技術で解決する訳ではないものの,今まさにそのような時代を迎えていると感じています.

さて,上述したように,今やAI技術は新薬開発を効率的に支援する有用なツールであることは言を俟ちませんが,新薬開発の最終ステップである「患者さんに新薬を届ける」ことへの効果はまだ明らかになっていません.最近の論文では,過去10年間におけるAI技術由来の分子のPhase 1成功率は80~90%であり,従来の平均(50~60%)よりも高いことが報告されている一方で,Phase 2成功率は従来の平均(~40%)と同じレベルであったことも示されています.すなわち,臨床試験のボトルネックであり,その失敗要因の大部分が薬効とされているPhase 2においては,未だAI技術の効果が十分に発揮されていないのが実情のようです.今後,Phase 2以降の壁を乗り越え「患者さんに新薬を届ける」ためにはAI技術のさらなる進化と共に,ターゲットバリデーションを含む病態のより深い理解やバイオマーカーの設定,適切なモダリティの選択などが期待されますが,それを実現するのがまさしく薬理研究の真骨頂とも言えるのではないでしょうか.勿論,新薬開発は薬理以外にも基盤となる様々な専門的機能の集大成として成就するものですが,その中心的役割を薬理研究が担って欲しいとの思いから,今回敢えて「薬理研究のラストワンマイル」という造語を使いました.

では,どうやって「薬理研究のラストワンマイル」に立ち向かって行くのか? その解は,AI技術と薬理研究の協働を量と質の両面からレベルアップして行くことにあるのではないかと考えています.AIの強み(大量のデータや文献情報を迅速に処理し,パターンやトレンドを迅速に見つけ出す能力)と人間の強み(複雑な問題を解決するために新しいアイデアを生み出す創造性を発揮し,深い洞察や直感的な判断も行える能力)を補完的に組み合わせることにより,相乗効果として新しい価値が生まれ,「患者さんに新薬を届ける」成功率が向上することが期待されます.それ故に,これから特に若手薬理研究者の皆さんには,自らあるいはデータサイエンティストとの協働でAI技術を使いこなすこと,そして薬理研究者としての創造性,洞察力,直感力をより一層磨くことが求められます.然れば,どのようにしてそのような能力を磨き上げることが出来るのか? そこには安易なマニュアルやテクニックなどはありません.それらは身に付けたいと思って身に付くものではなく,解くべき課題に真摯に向き合い,多角的な視点からの仮設と検証,判断のサイクルを継続的に回して行く中で,結果として自然に身に付いている能力なのかもしれません.

最後に,これからの新薬開発を担う若手研究者の皆さんはどのように「薬理研究のラストワンマイル」に挑んで行くのでしょうか? Low-hanging fruitがなくなりつつある中,新薬開発の難易度が高まっていますが,同時に新しいモダリティやAIなどの技術革新が皆さんを新たな世界へと導いています.難しいけれど面白い,まさに研究者の好奇心がより強く擽られる時代になりました.「患者さんに新薬を届ける」ため,皆さんには新しい挑戦を続けて薬理研究の新たな扉を開いてくれることを期待してやみません.

 
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