2018 Volume 60 Issue 3 Pages 215-222
症例は65歳,男性.糖尿病性腎症による慢性腎不全のため他院で維持透析を行っていた.2016年8月黒色便を認め,上部消化管出血の疑いにて当院紹介.上部消化管内視鏡検査にて胃前庭部から湧出性出血と胃全体に白色の微細顆粒所見を認めた.アルゴンレーザーによる止血術を行い止血し得た.炭酸ランタンを長期服用しており,生検にてランタン沈着症と診断した.ランタン沈着は腸上皮化生を背景とする粘膜に比較的多く認められた.出血症状を呈する胃ランタン沈着症の報告はまれで,炭酸ランタンを投与する際に注意を要する.胃ランタン沈着症の長期的な影響はわかっておらず,多数例での検討が必要である.
炭酸ランタンは慢性腎不全患者における高リン血症の治療薬である.一般的に高い安全性と忍容性を有している 1)~4)とされる.最近炭酸ランタンの長期服用者において,胃粘膜にランタン沈着を認めたとする報告 5)~19)が散見されるが,出血症状を契機に診断された症例 13)はまれである.今回筆者らは黒色便を契機に上部消化管出血が疑われ,上部消化管内視鏡検査(EGD)を施行し,胃粘膜からの出血症状を呈する胃ランタン沈着症と診断し得た症例を報告する.
症例:65歳,男性.
主訴:黒色便.
既往歴:慢性腎不全,糖尿病,高血圧,C型慢性肝炎,大動脈弁狭窄症,腎癌.
家族歴:特記すべきことなし.
現病歴:37歳時よりネフローゼ症候群にて通院中.56歳時より他院にて維持血液透析中.
58歳時から高リン血症に対して炭酸ランタンを内服中.他にボグリボース,ランソプラゾール,バイアスピリン,リマプロスト,アロプリノール,沈降炭酸カルシウム,オルメサルタン,インスリンを投与中.2016年8月,透析中に全身倦怠感,血圧低下,黒色便を認めた.上部消化管出血の疑いにて当院紹介.入院となった.
入院時現症:血圧136/67mmHg.脈拍101/分.
結膜:軽度の貧血を認める.黄疸なし.
腹部:軟,腫瘤を触れず.圧痛なし.腸雑音は正常.
入院時血液検査所見:Hb9.9g/dlと軽度の貧血を認めた.BUN 41mg/dl,Cr 6.73mg/dlであった.血清ヘリコバクターピロリ抗体は5.4IU/ml,便中ヘリコバクターピロリ抗原は陰性であった.
上部消化管内視鏡検査:前庭部小彎から湧出性の出血を認めたが,びらん・潰瘍所見を認めず,明らかな血管増生所見を認めなかった(Figure 1).アルゴンレーザーによる焼灼術(ERBE社製アルゴンプラズマ凝固装置APC300,高周波出力60W,アルゴンガス流量2L/min)にて止血術を行い止血し得た.胃全体にわたり白色調の微細顆粒が散在,集簇していた(Figure 2-a,b).前庭部での顆粒所見は体部の所見に比して著明で,顆粒は斑状や環状を呈した.NBI(narrow band imaging)拡大観察では微細顆粒状の白色変化部位は,円形で幅の整った腺窩辺縁上皮で囲まれた窩間部が開大し,窩間部には口径不同のない,形状均一な軽度拡張した血管所見が認められた(Figure 3).窩間部は周囲に比して白色調を呈し,上皮下に沈着物の貯留が示唆された.背景粘膜は萎縮粘膜様であり,ヘリコバクターピロリ(HP)血清抗体値は5.4IU/ml,便中HP抗原は陰性であったことから,HP既感染粘膜と診断した.十二指腸粘膜に異常所見は認められなかった.
上部消化管内視鏡.前庭部から湧出性の出血を認める.血管増生所見は認められない.
上部消化管内視鏡(白色光).
a:胃体部小彎の遠景像.全体に白色の微細顆粒が散在,集簇している.背景粘膜は萎縮粘膜様.
b:胃角部から前庭部小彎の遠景像.白色微細顆粒は斑状,環状の形態を呈し集簇している.
上部消化管内視鏡(NBI中拡大像).胃体部.白色の顆粒が明瞭となる.背景粘膜は畝状を呈し,萎縮粘膜様.
円形で幅の整った腺窩辺縁上皮に囲まれた微細顆粒状構造を認める.窩間部は開大し,窩間部には口径不同がなく,形状均一でやや拡張した血管が認められる.
下部消化管内視鏡検査:全大腸を観察したが粘膜面に異常所見は認められなかった.
腹部単純CT:胃内腔面に全体に淡いhigh density areaを認めた.動脈硬化を全身に認めた.
病理組織学的所見(Figure 4-a~c):前庭部小彎,体部小彎から生検を施行した.いずれの部位にも粘膜固有層間質に単核から多核の組織球の集簇を認めた.組織球の胞体内に微細な顆粒状,針状,網目様などの褐色の沈着物を認めた.以上の所見から炭酸ランタンを服用中の患者であり,胃ランタン沈着症と診断した.前庭部には背景に腸上皮化生が存在した.胃体部には背景に偽幽門腺化生を伴うものの,腸上皮化生は認めなかった.沈着物は前庭部には体部に比較し多数認められた.
病理組織学像.
a:前庭部の生検所見.腸上皮化生を伴う幽門腺粘膜.軽度から中等度の慢性炎症細胞浸潤を認める(HE染色×40倍).
b:aの黄色枠の拡大像.粘膜固有層間質に多数の組織球の集簇を認める.組織球内には赤褐色調の顆粒状,網目状の物質を認める(矢印)(HE染色×200倍).
c:胃体部小彎の生検所見.偽幽門腺化生を伴う腸上皮化生を伴わない胃底腺粘膜.中等度の慢性炎症細胞浸潤を認める.前庭部と同様な赤褐色調の物質を認める(矢印).前庭部粘膜と比して,ランタンの集積は乏しい(HE染色×100倍).
診断後炭酸ランタンの服用は中止した.酸分泌抑制による酸による粘膜刺激の改善を期待し,ランソプラゾール(15mg/日)からボノプラザン(10mg/日)の投与へ変更した.アルゴンレーザーによる焼灼術後,出血部位は潰瘍化し,止血が得られた.第14病日退院となった.ランタンの内服中止後7カ月後にEGDを施行したがランタン沈着を呈する内視鏡所見に変化は認められなかった.アルゴンレーザーによる焼灼部位は瘢痕化していた.
透析患者においてはリン排泄能が低下しており,高リン血症を呈する.高リン血症は動脈硬化を進行させ,心血管イベントや生命予後に影響を与えるとされる 20),21).高リン血症の治療薬としては様々な薬物が使用されているが,炭酸ランタンはカルシウム非含有リン吸着薬であり,本邦では2009年から市販されている.炭酸ランタンは腸管内でリン酸と結合し,極めて高い難溶性のリン酸ランタンとなり消化管から吸収されず,糞便とともに排泄されるとされている.炭酸ランタンの消化管から血中への吸収率は0.002%未満とされる 22).吸収されたランタンは骨や肝に沈着することは従来から報告されているが,臓器症状を呈することはないとされる 1).胃粘膜への沈着の可能性についてはラットを用いた検討にて,経口投与された炭酸ランタンが,長期間胃内に検出されたとの報告がある 23).
最近慢性腎不全患者において胃粘膜にランタン沈着の報告 5)~19)が散見されるようになった(Table 1).出血を呈した症例は,医学中央雑誌にて「ランタン」,「消化管出血」をキーワードに,PubMedでlanthanum carbonate, gastrointestinal bleedingをキーワードに検索(検索期限は無制限)したが1例 13)のみしか報告がない.自験例は黒色便を契機にEGDを施行し,胃粘膜からの顕性出血症状を呈していた点が,従来の臨床症状を呈していない報告とは異なり,注目すべき点である.自験例の出血の原因としては他に胃前庭部毛細血管拡張症(GAVE;Gastric antral vascular ectasia),アミロイドーシス,好酸球性胃腸症が鑑別として挙げられる.GAVEは胃前庭部にび漫性の毛細血管拡張を呈する比較的まれな病態である.多くの場合背景疾患を有するとされ,本症例の基礎疾患である慢性腎不全,大動脈弁狭窄症などが原因として挙げられている 24).内視鏡所見ではGAVEに特徴的な血管拡張像は認めなかった.また病理組織学的にアミロイドの沈着は認めず,有意な好酸球浸潤所見も認めていないため,アミロイドーシス,好酸球性胃腸炎は否定した.自験例ではバイアスピリンを服用していたが,明らかなびらん・潰瘍所見を認めず,アスピリンの影響は否定的であった.胃粘膜からの出血原因として,ランタンが多量に沈着することにより粘膜の脆弱性をきたした可能性,血流うっ滞や阻血により粘膜障害をきたした可能性 10)が考えられた.アルゴンレーザーでの止血術後にランソプラゾールからボノプラゾンの内服に変更し,炭酸ランタン内服を中止以後,出血症状は認めなかった.しかし炭酸ランタン中止後7カ月後に施行したEGDではランタン沈着所見に改善は認めなかった.浪江らの報告でも中止後8カ月を経過しても内視鏡所見,腹部CT所見は残存していた 5).一方でランタンの休薬によって,組織所見の改善とともに嘔気症状などの消化器症状の改善 8),出血症状の消失13)が認められた症例もあり,長期的な炭酸ランタン沈着の経過については一定しない.自験例においては,ランタン沈着所見が不変であるのにも関わらず出血所見が消失した理由として,推測の域をでないが,ランソプラゾールから,より酸分泌抑制作用が強いとされるボノプラザンに変更したことにより,ランタン沈着によって脆弱化した粘膜への酸による刺激が軽減されたことも理由の一つと考えた.胃ランタン沈着が,出血をはじめとする臨床症状の原因になりうる病態か否かについては,今後も自験例の経過観察,多数例の検討が必要である.
胃ランタン沈着症の既報例.
胃におけるランタン沈着症の内視鏡所見としてTable 1に示すように,「胃粘膜襞に沿った白色肥厚」,「環状の白色肥厚」,「多数の微細な白色点」,「びらん」,「ポリープ」,「潰瘍」などが報告されている.自験例でも既報例と同様に,多数の微細な白色顆粒状所見,斑状・環状の白色顆粒状所見を認めた.白色顆粒状所見は粘膜固有層間質での組織球の集簇を反映する所見で,ランタン沈着症に特徴的な所見とされる 11).胃粘膜に白色顆粒を呈する疾患として腸上皮化生,白色扁平隆起,腺腫が挙げられる.NBI拡大観察でランタン沈着症は前述した特徴的な所見を呈し,他疾患との鑑別は比較的容易と考えられる.また黄色腫のNBI拡大像はランタン沈着と同様な所見を呈するが,白色光での色調の違いから鑑別が可能である.ランタン沈着の発症機序は現在のところは不明であるが,胃粘膜の萎縮の有無,腸上皮化生や慢性腎不全に伴う胃粘膜の透過性亢進の関与が推察されている 11),15),17).Jiら 25)は共焦点レーザー顕微鏡内視鏡を用い,胃の腸上皮化生粘膜においては,HP感染の有無,除菌治療の既往に関わらず,細胞間壁の透過性が上昇することを証明している.また,Yabukiら 15)は3例の胃ランタン沈着症を認めた外科的胃切除例を検討し,腸上皮化生の分布領域とランタン沈着領域が関連している可能性を指摘しており,Banら 17)も生検検体において,胃ランタン沈着所見は,再生性変化・腸上皮化生・腺窩上皮過形成粘膜において優位に認められたと報告している.自験例において前庭部小彎の生検所見では腸上皮化生が認められ,ランタン沈着所見が顕著に認められた.一方で体部小彎の生検所見では腸上皮化生が確認されず,ランタン沈着も前庭部に比し,比較的少量と考えられた.内視鏡所見の白色顆粒状所見,白色斑状・環状所見も前庭部から胃角部に顕著であった.自験例の内視鏡所見,病理組織学的所見からも,腸上皮化生を含む背景粘膜所見がランタン沈着の程度に関係している可能性が示唆された.
内視鏡所見の程度の差は,炭酸ランタンの総投与量,服用期間にも関与していると予想されるが,中には3-4カ月という短期間の服用期間のみで発症した報告 15),17)もある.ランタンの吸収には消化管内のpHも影響するとされ 23),胃内のpHはランタンの沈着に関して重要な因子と考えられる 10).Shitomiら 19)はランタンがpH1-2の環境下では容易に溶解し,pH 7の環境下にすると直ちに結晶化することを実験的に証明している.酸分泌抑制薬服用の有無,HP感染の有無がランタン沈着に影響を与える可能性は否定できない.浪江らの検討 5)ではプロトンポンプ阻害薬,H2ブロッカー服用の有無とランタン沈着との関連はなかった.HP感染の有無については,既報例でHP感染に関する記載のある症例を検討すると,自験例を含めた38例中1例 9)のみが陽性であり,他はすべて陰性症例であった.HP現感染の状態が胃へのランタン沈着に防御的に働いている理由として,Shiotomiら 19)はHPはウレアーゼによってアンモニアを生じ周囲のpHを上昇させランタンが溶解しにくくなる可能性,HPによって生じた著明な炎症が組織球浸潤を妨げている可能性を挙げている.胃内pH,HP感染の有無とランタン沈着の関連については,さらに多数例を集積し検討する必要がある.
Banら 17)も言及しているが,炭酸ランタンをリン吸着剤として選択し服用を開始する際には,背景粘膜,HP感染の有無を検討することが,ランタン沈着症の発症を予測する意味で有用である可能性がある.
黒色便を契機に内視鏡検査が施行され,胃粘膜からの出血を呈する胃ランタン沈着症を経験した.
本論文内容に関連する著者の利益相反:なし