2018 Volume 60 Issue 7 Pages 1405
【要旨】一般的な病理組織診断には,一定の労力と時間を要するし,それが診断ないし治療の選択を遅らせることがある.本研究グループは,ヒトのがん診断を迅速かつ非侵襲的に行う質量分析デバイスを開発した(MassSpec Pen).MassSpec Penは診断標的部の分子を十分に回収するために,組織表面に小さな水滴を放出し,質量分析計へ送り出すようになっている.本研究では,ex vivoの解析としてヒトから採取されたがん組織切片(20検体)とがん患者から得られた非腫瘍および腫瘍組織(253検体)を用いてMassSpec Penの診断精度を検証した.がん組織は,乳癌・肺癌・甲状腺癌および卵巣癌が対象となった.結果,感度は96.4%,特異度は96.2%,正診度は96.3%と非常に高かった.同様に,甲状腺腫瘍の良悪性鑑別や肺癌の組織型の鑑別にも有用であった.特に,一つの検体内で腫瘍非腫瘍境界部分についてのスペクトラムをみると,両特性が混在する結果が得られたことも,がんの存在診断の正確性を支持するものである.また,マウス生体内での実験により非侵襲性が確認された.今回の結果から,MassSpec Penは実臨床(外科領域の術中)における生体内外の癌存在診断に利用可能となる可能性が示された.
術中迅速病理診断の短所である時間および診断の限界に関し,質量分析法を応用することにより,がん組織の取り残しの回避,手術時間の短縮に貢献しうる技術となりうるということが期待される機器である.癌存在診断に分子生物学的手法を用いることは,近年の研究テーマとしては最先端のトピックスとして挙げられる.例えば,蛍光試薬を用いて癌巣を可視化する方法や血中遊離DNAやmicroRNAの検索により画像診断では可視化不能な病変の検出などが試みられている.質量分析を用いた迅速診断に関してもいくつか研究開発は進められており,その長所は組織採取から数分でアウトカムが得られるという迅速性と高い診断精度にある.消化器内視鏡領域においては,原則的にはモニター上に可視化された情報から臨床診断を行うことが原則であり,機器開発により顕微内視鏡といえる世界まで可能性は拡大してきている.一方で,胆膵領域のように可視化できる範囲に関する技術的限界を有する病変に対する存在診断のように克服すべき課題があるのも事実である.質量分析による質的診断の発展により,非常に予後の悪い胆膵癌の超早期存在診断への可能性も開ける可能性が期待される.実際,技術開発については内視鏡スコープで実用可能な検体採取用のプローベの開発もなされているようである 2).
本論文の注目点は,その精度のみならず,簡便性の高い使い捨てタイプのペン型の機器で試料採取できるところにある.もちろん,質量分析計の大きさ,既存の病変プロファイルの妥当性,試料採取における体内条件の相違に対するロバスト性の確認など,臨床での実用を考慮した際にはまだ検討を要する部分が在るかもしれない.一方で,近年の人工知能の隆盛を考慮すれば当然既存の課題が比較的迅速に解決される可能性もあり,今後の開発が期待される診断モダリティーのひとつと思われる.