2021 Volume 63 Issue 2 Pages 188-194
症例は37歳,男性.重症筋無力症に対して胸腺摘出術を施行され,その後は内服加療とされていた.今回,検診目的に施行した上部消化管内視鏡検査により胃体上部大彎後壁に20mm大の褪色調の陥凹性病変を指摘された.生検での病理組織診断により印環細胞癌と診断され,当科紹介となった.術前精査によりESDの適応拡大の早期胃癌と診断し,ESDを施行した.重症筋無力症に対するESD施行時の鎮静方法はベンゾジアゼピン系薬剤が禁忌であり,筋弛緩作用を有しない薬剤の使用が求められる.そこで,デクスメデトミジン,ペンタゾシン,ヒドロキシジンを併用し,良好な鎮静下に安全にESDを施行し得た.鎮静剤が限られる重症筋無力症患者において,デクスメデトミジンは内視鏡治療時の選択肢となり得ると思われ,ここに報告する.
ESDは治療時間が長く,患者の苦痛緩和のため鎮静が必須とされる1).また,患者の体動を抑え,良好な術中視野・操作性を確保することは,安全性の担保にもつながる.通常,ESD時の鎮静にはベンゾジアゼピン系薬剤が用いられることが多い1).一方,重症筋無力症(myasthenia gravis:MG)患者では神経筋伝達を阻害する作用の薬剤で筋無力症状が増悪する可能性があり,ベンゾジアゼピン系薬剤は禁忌とされる.今回われわれは,MG患者に対しデクスメデトミジン(dexmedetomidine:DEX)を主とした鎮静を行い,筋無力症状の増悪なく,ESDを安全に施行し得た.若干の文献的考察を加えて報告する.
患者:37歳,男性.
主訴:なし(ESD施行目的).
既往歴:経胸骨的拡大胸腺摘出術(32歳時).
現病歴:2013年に重症筋無力症を発症した.2014年に胸腺摘出術を施行され,その後はプレドニゾロン(PSL)と免疫抑制剤による内服加療を継続していた.2018年,検診目的に上部消化管内視鏡検査を施行され,胃体上部大彎後壁に20mm大の褪色調の陥凹病変を指摘された.生検での病理組織学診断により印環細胞癌と診断され,2018年6月,治療目的に当科紹介となった.当科での上部消化管内視鏡検査の再検(Figure 1)によりESD適応拡大病変と判断し,ESD目的に入院とした.
上部消化管内視鏡検査.
胃体上部後壁に20mm大の辺縁不整を伴う褪色調の陥凹性病変を認め,0-Ⅱcの所見であった.襞の癒合や陥凹内隆起,台状挙上所見は認められなかった.病変の肛門側には厚みがあるように観察されたため,肛門側の見上げの観察を加えたがわずかな側面変形がみられるのみであった.
上部消化管内視鏡検査(Figure 1):胃体上部後壁に20mm大の褪色調で辺縁不整を伴う陥凹性病変を認め,0-Ⅱcの所見であった.襞の癒合や陥凹内隆起,台状挙上所見は認められなかった.病変の肛門側には厚みがあるように観察されたため,肛門側の見上げの観察を加えたがわずかな側面変形がみられるのみであった.インジゴカルミン撒布によっても同様の変化であった.なお,病変部位より脱気による変形の評価は困難であった.Narrow band imaging拡大観察では背景粘膜と病変の間に微小血管構築像あるいは表面微細構造の急峻な変化により,demarcation lineありと診断した.送気での壁伸展は良好であり,深達度は粘膜内癌と診断した.なお,陰性生検は病変の口側・肛門側・前壁側,後壁側の4箇所より5mmのマージンを置いて施行した.
頸部~骨盤腔造影CT(外来で施行):明らかなリンパ節腫大は認められず,遠隔転移を疑わせる所見もみられなかった.
生検結果:陰性生検目的に施行した計4箇所の生検からは悪性所見は認められなかった.
入院時現症:身長174.4cm,体重80.9kg,血圧122/62mmHg,脈拍73回/分・整,体温36.7℃.複視あり,構音障害なし,嚥下障害なし.胸部正中に手術痕あり.心音・肺音に異常なし.腹部は平坦,軟,腸蠕動音正常,圧痛なし.徒手筋力検査は上腕二頭筋(4/4),上腕三頭筋(4/4),三角筋(4/4),腸腰筋(4/4).
入院時検査所見:白血球数9,000/μL(好中球90.3%)とPSL内服による白血球,好中球数の増加を認めた.また,総蛋白が6.6g/dLと軽度低下していた.抗ヘリコバクターピロリ抗体は28U/mL(正常:10U/mL未満)であった.
治療および経過:腫瘍径や深達度評価,生検結果よりESDの方針とした.未分化型癌であり,粘膜下層以深の浸潤により非治癒切除となる可能性もあったため,ESD術後に追加外科切除の可能性についても同意も得た.
術中の鎮静は,当院神経内科と麻酔科と相談の上,ご本人の希望により静脈麻酔を選択することになった.
ESD当日は,心電図,血圧,脈拍数,酸素飽和度(SpO2)のモニタリングに加え,通常は治療室近くに常備している救急カートを室内に用意した.また,呼吸不全が出現した際は速やかに気管内挿管を含めた呼吸管理が行える体制を整えた上で,筋弛緩作用を有しないDEXを主体に,ペンタゾシン,ヒドロキシジンを併用して鎮静と鎮痛を施行する方針とした.
ESD周術期経過(Figure 2):鎮静評価はRichmond Agitation-Sedation Score2)の他,特に不穏状態,粗大な体動(追加の薬剤投与や用手的制止を要する程度の体動),血圧低下(開始時と比較して30%以下の低下),脈拍低下(50回/未満),に注意3),4)しながら観察した.なお,有害事象対策として,血圧低下に対してフェニレフリン,ノルアドレナリン,徐脈に対して硫酸アトロピンも用意した.
ESD周術期経過.
デクスメデトミジン(DEX)は10分間の初期負荷投与後,維持量で持続投与とし,適宜増量投与した.ペンタゾシン,ヒドロキシジンも適宜追加投与した.処置中にDEXの副作用として徐脈や血圧低下がみられ,硫酸アトロピンの投与を要した.最終的には呼吸不全をきたすことなくESDを完遂し得た.
DEXは6μg/kg/時で10分間の初期負荷投与をした後,維持量(0.2μg/kg/時)で持続静脈投与とした.酸素は経鼻的に2L/分から投与を開始し,SpO2は95%であった.10分後にはRichmond Agitation-Sedation Scoreが0であったため,ペンタゾシン5mg,ヒドロキシジン塩酸塩25mg単回静注を追加した.SpO2が94%と低下傾向を示したため,酸素投与量を4L/分とした.その後,SpO2は安定し,98~100%で推移した.DEX投与開始12分後にESDを開始した.術中,DEX投与開始51分後(ESD開始39分後)にはDEXによる副作用と考えられる徐脈(32回/分)や収縮期血圧低下(77mmHg)が認められ,硫酸アトロピンでの対応を要した.DEX投与開始85分後(ESD開始73分後)には2L/分に漸減投与とした.経過中,鎮静が浅いと判断した際には,ヒドロキシジン塩酸塩25mgの単回静注とDEXの維持量の適宜増量とし,疼痛による体動が生じた際にはペンタゾシン5mgの単回静注も繰り返した.手技中,不穏状態,用手的制止を要する程度の体動は認められず,呼吸不全もきたすことなくESDを完遂した.
なお,ESD術中は線維化と出血により,剝離操作に難渋したが,152分間で一括切除が得られた.
術後もMGの筋無力症状の増悪なく経過し,第8病日に退院した.
病理組織学的所見では病変は平坦であり,術前に疑われた肛門側の厚みは認められなかった(Figure 3).内視鏡で褪色調として認識された陥凹部は低分化型腺癌と印環細胞癌が混在し,一部に中分化型腺癌が認められた(por2>sig>tub2)(Figure 3).内視鏡で病変と認識不能であった陥凹部以外にも癌が認められたが,粘膜が保たれたまま(Figure 4),粘膜筋板直下の粘膜下層を少量の癌が広範囲に浸潤していた(Figure 4).術前に範囲診断が困難であったのは非腫瘍粘膜が被覆していたためであった.ESD固定標本による最終診断は,Type 0-Ⅱc,43×43mm,por2>sig>tub2,T1b2(SM2,0.9mm),UL(-),ly1,v0,HM1,VM1の診断(Figure 5)であり,内視鏡的根治度C-2(非治癒切除)(eCuraC-2)であった.ESD術後1カ月後に開腹胃全摘術,D2郭清,空腸瘻を造設した.術後病理組織診断は,U,Post,Type 0-Ⅱc,43×43mm,por2>sig>tub2,pT2(MP),INFc,Ly1,V0,pPM0,pDM0,pN0,pStage IB,R0,であった(Figure 6).外科手術標本には脈管やリンパ管侵襲はなく,郭清したリンパ節にも転移は認められなかった.
ESD切除固定標本のルーペ像と主病巣の病理組織像.
病変は平坦であり,術前に疑われた肛門側の厚みはみられなかった.内視鏡で褪色調粘膜として認識された陥凹部は低分化型腺癌と印環細胞癌が混在し,一部には中分化型腺癌が認められた(por2>sig>tub2).黄色点線枠はFigure 4のルーペ像である.
ESD切除固定標本ルーペ像と癌浸潤部の病理組織像.
(左):Figure 3のルーペ像の黄色点線枠部分を示す.陥凹部以外は粘膜が保たれていた.黒色点線部の拡大部分が(右)である.
(右):(左)の粘膜下層の拡大図を示す.粘膜筋板直下の粘膜下層に少量の癌の浸潤が認められた.
ESD切除固定標本と病理マッピング像.
青線部分では粘膜内および粘膜下層に癌細胞を認め,赤線部分では粘膜下層のみに癌細胞を認めた.黄色点線はFigure 3のルーペ像と同一切片である.
外科手術標本の癌遺残部の病理組織像.
(左):癌は固有筋層に浸潤していた(黒色点線枠および黒矢印).
(右):黒色点線枠部分の拡大図を示す.
以後,現在まで1年8カ月が経過しているがCTや上部消化管内視鏡検査では明らかな再発はみられていない.なお,MG症状の増悪も認められていない.
今回われわれは,MGを基礎疾患に有する早期胃癌に対して,DEXを主体とする鎮静剤の使用により筋無力症状を呈することなく,安全にESDを完遂し得た1例を経験した.胃癌は特異な進展形式によりESDでは内視鏡的根治度C-2(非治癒切除)(eCuraC-2)であったが,ESD術中の鎮静・循環・呼吸管理は安全に施行可能であった.
MGは神経筋接合部のシナプス後膜上にあるいくつかの標的抗原に対する自己抗体の作用により,神経筋接合部の刺激伝導が障害されて生じる自己免疫疾患である5).神経から筋への刺激伝導に関与する機能蛋白質が障害されるため,易疲労性を伴う筋力低下がみられる6).嚥下障害,構音障害などの球麻痺症状や呼吸症状が急激に増悪し,全身の筋力低下・呼吸不全に至った状態をクリーゼといい,緊急処置を要する.クリーゼをきたす誘因として,感染,過労,抗コリンエステラーゼ薬増量,ステロイドの急速な減量,MG禁忌薬剤の導入,手術侵襲などが挙げられる7).MGが胸腺腫を合併することは良く知られているが,MGと悪性腫瘍発生の関連も報告されている.海外の大規模観察研究では,2,479例のMG患者を13~14年間経過観察し,221症例(8.9%)と決して低くない割合で胸腺外の悪性腫瘍が発生したと報告されている8).更に221例中,38例(17.2%)が消化器癌であったと報告されており,MG患者に発生した消化器癌に対してESDを施行する症例は稀ならず存在すると思われる.
ESDは治療時間が長く,患者の苦痛を軽減し,手技の安全性を確保するためにも良好な鎮静が不可欠である.2013年に作成された「内視鏡診療における鎮静に関するガイドライン」1)ではESDなどの内視鏡治療の際には,ベンゾジアゼピン系薬剤単独,塩酸ペチジンなどの鎮痛薬およびベンゾジアゼピン系薬剤と鎮痛薬の併用が推奨されている.ベンゾジアゼピン系薬剤ではミダゾラムやジアゼパム,フルニトラゼパムが広く使用されている9).これらは,中枢神経系において抑制系神経伝達物質であるGABA受容体を賦活化し,鎮静作用や抗痙攣作用を発揮する10).一方で,筋弛緩作用も有するためMG患者では禁忌とされる.
医学中央雑誌およびメディカルオンラインで,「重症筋無力症」,「鎮静」,PubMedで,「myasthenia gravis」,「sedation」,をキーワードに,1990年から2019年12月までの期間で検索したところ,内視鏡治療での報告はなかったものの,他領域での報告は散見された.
東條らはMG患者の歯科治療における静脈内鎮静でプロポフォールとDEXを使用することで良好な鎮静が得られたことを報告している11).また,勝見らはMG患者における帝王切開および胸腺拡大摘出術の周術期管理に,DEXを使用し良好に管理でき,呼吸器からの離脱・麻酔補助薬として有用であったと報告している12).
以上より,プロポフォールやDEXはMG患者の内視鏡治療において選択肢と考えられるが,現状ではプロポフォールは内視鏡施行時の鎮静剤としては保険適応外である.また,MG患者ではプロポフォールによって筋弛緩作用を示すことがあるとの報告もあり13),その使用には注意を要する.
一方で,DEXは2013年に「局所麻酔下における非挿管での手術及び処置時の鎮静」の適応が追加された.これにより,内視鏡治療領域での使用頻度も増えてきているものと考えられる.近年,DEXを主体とする鎮静によるESDの報告が散見2),3)されるようになった.
DEXはα2アドレナリン受容体の完全アゴニストであり,青斑核や脊髄が作用部位である.血圧低下や徐脈,冠動脈攣縮などの循環器系の副作用の出現には注意が必要だが,鎮静作用,鎮痛作用,交感神経抑制作用などを有し,呼吸抑制は軽微で,筋弛緩作用を伴わないため10),MG患者の鎮静に有用である可能性がある.本例は,DEX,ペンタゾシン,ヒドロキシジンを使用し,鎮静・鎮痛を行った.また,クリーゼに対応できる十分な体制を整えた上でESDを施行した.術中はDEXによる徐脈を認めたのみで,呼吸不全をきたさず,また,術後もMGの症状増悪はなく,通常のESD患者と同様の経過が得られた.鎮静剤が限られるMG患者において,DEXは内視鏡治療時の選択肢となり得ると思われた.今後,症例の集積により安全性を更に検討する必要がある.
MG患者に対して,DEXを使用し,良好な鎮静下に,安全にESDを施行し得た1例を経験した.
MG患者の鎮静ではベンゾジアゼピン系薬剤が禁忌であり,DEXを使用したESDが有効である可能性が示唆された.
本例は第107回日本消化器内視鏡学会九州支部例会で発表した.
謝 辞
鎮静剤使用に対して貴重なご意見を賜りました当院神経内科 望月仁志先生,病理所見に対して貴重なご意見を賜りました病理学講座腫瘍・再生病態学分野 木脇拓道先生に深謝致します.
本論文内容に関連する著者の利益相反:なし