2022 Volume 64 Issue 3 Pages 249-255
症例は67歳女性.胃穹窿部に約3cm大の粘膜下腫瘍(submucosal tumor,SMT)を指摘され経過観察されていた.定期検査で増大傾向を認めたため,精査予定であったが,心窩部痛と黒色便を認めたため当科へ紹介され入院した.上部消化管内視鏡検査で,胃穹窿部SMTが十二指腸側に脱出している所見を認め,ball valve syndromeと診断した.内視鏡的整復が困難で開腹腫瘍切除術が施行された.病理検査は消化管間質腫瘍(gastrointestinal stromal tumor,GIST)であった.胃穹窿部GISTによるball valve syndromeは比較的稀であり,文献的考察を加え報告した.
Ball valve syndromeは,胃内の腫瘤や粘膜が十二指腸側に脱出し,幽門輪に嵌頓する病態で,腹痛・嘔吐・腹部膨満・食欲不振などの症状を呈する病態と定義される 1).Ball valve syndromeをきたした腫瘍の発生部位では幽門前庭部が最も多く,今回の症例のように穹窿部腫瘍がball valve syndromeをきたすことは比較的稀である 2).今回,胃穹窿部に発生した消化管間質腫瘍(gastrointestinal stromal tumor,GIST)によるball valve syndromeの症例を経験したので報告する.
患者:67歳,女性.
主訴:心窩部痛,黒色便.
既往歴:高血圧症,虫垂炎術後.
家族歴:特記事項なし.
生活歴:飲酒なし,喫煙なし.
現病歴:20XX-10年頃に近医で約3cm大の粘膜下腫瘍(submucosal tumor,SMT)を胃穹窿部に指摘された.潰瘍形成や辺縁不整などの明らかな悪性所見を認めなかったため,CT検査や超音波内視鏡検査(EUS)などの精査は施行されず,1~2年毎に内視鏡による経過観察が行われていた.20XX年5月上旬,定期の上部消化管内視鏡検査で,胃穹窿部SMTは約5cm大へと増大傾向を認めたため,当院へ紹介予定であった.その頃より,食後の心窩部不快感を自覚していた.5月下旬心窩部痛が出現し,4日後に黒色便を認めたため,近医を受診した.上部消化管内視鏡検査が施行され,胃穹窿部SMTが十二指腸側に脱出・嵌頓していたため,精査加療目的に当院へ紹介され入院となった.
入院時現症:身長149.6cm,体重46.8kg,血圧150/80mmHg・脈拍75回/分 整,意識清明,結膜:貧血・黄疸なし,胸部:著変なし,腹部:心窩部に圧痛を認めたが腹膜刺激症状はなし,下腿浮腫なし,皮疹なし,直腸診で黒色便を認めた.
入院時検査所見(Table 1):貧血やBUN/Cre比の上昇なし.CRPの上昇は認めず,低蛋白血症も認めなかった.
入院時検査所見.
腹部造影CT検査:胃体上部から内腔へと突出する長径43mmの軟部濃度の腫瘤を認め,十二指腸球部へ嵌頓していた(Figure 1).腫瘤の内部は比較的均一に造影され,リンパ節転移や他臓器転移を疑う所見は認められなかった.
腹部造影CT検査所見.
冠状断像,胃の体上部に内腔へと突出する長径43mmの軟部濃度の腫瘤(矢頭)を認め,十二指腸球部へ嵌頓していた.
上部消化管内視鏡検査:入院3週間前に前医で施行された内視鏡検査では,胃穹窿部に約5cm大のSMTを認めていた(Figure 2-a,b).
上部消化管内視鏡検査所見.
a,b:発症3週間前.胃粘膜下腫瘍(submucosal tumor)は5cm程度に増大傾向で,茎部の延長も認めた.前庭部の短縮は認めず,送気下では腫瘍先端は体上部に留まっていた.
c,d:入院時.穹窿部後壁から粘膜が太い茎状に進展し(c),腫瘍は幽門洞へ引き込まれ,十二指腸に嵌頓していた(d).
入院時の内視鏡検査では穹窿部大彎側から粘膜が太い茎状に伸びて幽門洞へ引き込まれていた(Figure 2-c,d).十二指腸球部への内視鏡挿入は可能で,腫瘍先進部は球部に留まり,一部の表面粘膜にびらんと滲出性出血を認めた.
経過:胃穹窿部に発生したSMTの十二指腸球部への脱出・嵌頓によるball valve syndromeと診断した.鉗子などを用いて内視鏡的整復を試みたが,整復は出来なかったため,翌日に緊急手術を行った.上腹部正中切開で開腹し,十二指腸球部に嵌頓していた有茎性腫瘍を,Hutchinson手技の要領で胃内に還納し,用手的に嵌頓を解除した.その後,胃体下部前壁を長軸方向に切開し,胃穹窿部腫瘍を胃より挙上して全層切除し腫瘍を摘出した.
摘出標本所見:腫瘍の大きさは52×38×35mmで,粘膜面は部分的に潰瘍を形成し,潰瘍底に腫瘍が露出していた.割面は乳白色充実性で,所々に出血を伴っていた(Figure 3).
摘出腫瘍肉眼所見(固定標本).
径52×38×35mm.粘膜面は部分的に潰瘍を形成し,潰瘍底に腫瘍が露出していた.割面は乳白色充実性で,所々に出血を伴っていた.
病理組織学的所見:腫瘍は胃の固有筋層に連続しており,ヘマトキシリン・エオジン(Hematoxylin Eosin)染色では紡錘形の細胞質を有する細胞が線維束を形成し,錯走しながら増殖していた(Figure 4-a).切除断端は陰性で,剝離面への腫瘍の露出はなかった.免疫組織学的検査ではc-kit陽性(Figure 4-b),CD34陽性で,desminは陰性であった.Ki-67標識率は最も高い部位で約8%だった.核分裂像は3/50HPFであり,原発が胃であるため,modified-Fretcher分類で中リスクと診断された.
病理組織学的所見.
a:Hematoxylin Eosin(HE)染色強拡大,淡好酸性から淡明な紡錘形細胞質を有する細胞が線維束を形成し,錯走しながら増殖していた.核分裂像は強拡大50視野あたり3個みられた.
b:c-kit免疫染色,陽性.
術後経過:術後経過は良好で,術後7日目に退院した.術後24カ月再発なく外来通院中である.
本症例は胃の固有筋層由来のGISTが十二指腸に脱出し,ball valve syndromeをきたした症例である.Ball valve syndromeは,Hobbsら 1)により胃内の腫瘍が十二指腸に脱出し,幽門を閉鎖することで腹痛・嘔吐・腹部膨満などをきたす病態と定義されている.本邦では,堀ら 2)が胃隆起性病変の十二指腸脱出例を1950~2001年の50年間で143例集計しているが,その中でball valve syndromeと診断されているのはわずか10例に過ぎない.しかし,この10例以外のball valve syndromeと明記されていない症例で明らかに腹部症状を呈しているものが41.6%あり,実際の頻度はもう少し高いものと推測される 2)~4).発症平均年齢は67.2歳で,男女比は1:1.2で,腫瘍の局在は幽門前庭部が67.9%,体部25.2%,穹窿部6.9%と報告されている 2).つまり,ball valve syndromeは病変が幽門輪から離れるにつれてその頻度が低くなる 2).
安田ら 5)は,胃穹窿部の病変でball valve syndromeをきたした15例を検討し,全例が胃粘膜下腫瘍であると報告している.その特徴として,石川ら 3)は①前庭部病変と比較して腫瘍径が大きい,②粘膜下腫瘍で可動性に富む大彎前壁に存在する,③胃壁の支持組織が脆弱な小柄な高齢者に好発することを挙げている.腫瘤の重量と加齢に伴う支持組織の弛緩により,胃腔内に腫瘤が下垂することで蠕動の影響を受けやすくなり嵌頓する 6)と考えられる.安田ら 5),石川ら 3)が検討した報告例のほとんどが平滑筋腫あるいは平滑筋肉腫と病理診断されているが,うち10例は狭義のGISTの概念が提唱された1998年以前の報告であり,現在の基準ではGISTに含まれる可能性がある 3),5).
本邦で報告されたball valve syndromeをきたした胃穹窿部GISTの症例は,医学中央雑誌で「ball valve syndrome」,「GIST」をキーワードに検索すると(会議録除く),自験例を含め13例認めた(Table 2) 3),5),7)~16).これらの平均年齢は79.8歳と高齢で,男女比は女性が11例(84.6%)と女性の方が明らかに発症頻度が高かった.腫瘍径は平均50mmで,内視鏡的に整復可能であった症例は4例(30.7%)と少なかった 3),5),7)~16).また,悪性度分類で中リスクを認めたものは2例と少なかった 3),5),7)~16).
Ball valve syndromeを呈した胃gastrointestinal stromal tumor(GIST)の本邦報告例.
自験例では,年齢は67歳と他の報告例と比較すると若年であるが,身長は149cmと小柄な女性で,腫瘍長径は52mmと大きく,発生部位は大彎であり,石川ら 3)の特徴を満たしていた.また,本症例は発症の5年前と3週間前に上部消化管内視鏡検査を施行されていた.5年前の所見からすでに有茎性を認めていたが,大きさは3cm程度であった.3週間前の内視鏡検査では明らかに増大傾向を認め,茎部の延長も認めていたが,腫瘍先進部は送気下において穹窿部から体上部に留まっていた.また,内視鏡における送気下観察では前庭部の短縮などの形態異常や幽門の弛緩は認めなかった.
しかし,体型が小柄であったことから,胃収縮時には,幽門部に腫瘍先進部が到達するのに十分な茎の長さであったため,ball valve syndromeをきたしたと考えられた.従って,内視鏡送気下においてSMTが穹窿部から胃体上部に留まって観察されたとしても,腫瘍が大きい,有茎性,可動性があり大彎に存在,体格が小柄などの石川ら 3)の特徴を有する場合は,ball valve syndromeの可能性を考慮し治療を検討する必要がある.
Ball valve syndromeをきたすと腫瘍の嵌頓解除が困難なことから,精査が出来ずに緊急手術となる報告が多い 3),5),7)~16).術式は全例が胃部分切除であったが,開腹術が9例(69%)と多く施行されていた 3),5),7)~16).胃GISTは十分な切除断端をとった胃部分切除が基本術式であり,近年,低侵襲手術として腹腔鏡下胃部分切除術や腹腔鏡内視鏡合同手術(laparoscopic and endoscopic cooperative surgery,LECS)が普及してきている 17),18).
本例は,近医で約3cm大のSMTとして経過観察されていた.2014年に改訂されたGIST診療ガイドライン(第3版) 19)では,腫瘍径2~5cmのSMTは,CT検査,EUS検査による精査が推奨されている.必須ではないが,超音波内視鏡下穿刺吸引生検(endoscopic ultrasound guided fine needle aspiration biopsy,EUS-FNAB)を実施可能であれば施行し,GISTと診断された場合には外科手術を強く推奨するとしている.
5.1cm以上の腫瘍は手術適応とされ,開腹手術と比較して腹腔鏡下手術を積極的にすすめる根拠は乏しいながらも,腫瘍の部位,壁在性,悪性度,チームの経験に基づき個々に決定されるべきとしている 19).本例もEUS-FNABで事前にGISTと診断し,待機的に治療方針を決定出来た場合は,LECSなどを含め,より低侵襲で安全な治療を選択出来た可能性はあると考えられた.
Ball valve syndromeをきたし緊急手術を施行した胃穹窿部GISTの症例を経験した.穹窿部のGISTがball valve syndromeをきたすことは比較的稀ではあるが,腫瘍が大きく,有茎性で,可動性がある場合は,ball valve syndromeを発症する可能性を念頭におき治療戦略を検討する必要があると考えられた.
本論文内容に関連する著者の利益相反:なし