2023 Volume 65 Issue 12 Pages 2371-2381
私が,2010年以来,アジアの発展途上国で実際に内視鏡調査に出かけた国は13カ国である.これらの国での内視鏡検査の経験を紹介し,さらにブータンにおける胃癌撲滅対策について概説する.これらの国では,内視鏡検査を受けられるのは大都市に限られており,胃癌の発症率と死亡率に大きな差はなく,胃癌は今でも不治の病と考えられている.Helicobacter pyloriに関する理解も医師も含めて不十分で,早期胃癌という概念すら浸透しておらず,早期胃癌を見たことがない,という国がほとんどであった.日本のように,多くの胃癌は早期で発見され,内視鏡的に治療が行われ,さらにすべてのH. pylori感染胃炎患者に内視鏡検査を行った上で除菌治療を行うことが常識になっている国は皆無である.日本では,胃癌死亡率が徐々に減少していることからも,この日本モデルはぜひ世界に浸透していかなければいけない.そこで,まずブータンという人口わずか80万人の国をモデル国として,迅速にH. pylori診断や抗菌薬耐性を診断できる系を確立させ,全成人住民を対象に,感染診断を行い,抗菌薬耐性を考慮した除菌治療,さらには内視鏡検査も取り入れた胃癌撲滅プロジェクトをブータン政府と共同で開始した.まずは内視鏡医の育成が急務で,常にブータンに内視鏡医を派遣して指導を行いたいと考えているので,興味のある方は連絡していただきたい.
Since 2010, I have visited 13 developing Asian countries for endoscopic surveys. I present my experiences in these countries and outline the projects for eradicating gastric cancer related death in Bhutan. In these countries, access to endoscopy is limited to large cities, and there is no significant difference between the incidence and mortality rates of gastric cancer; therefore, gastric cancer is still considered incurable. The role of Helicobacter pylori is poorly understood, including among physicians, and the concept of early-stage gastric cancer is not widely accepted. In most countries, people have never seen early gastric cancer. In contrast, most gastric cancers are detected at an early stage and treated endoscopically and all patients with H. pylori-infected gastritis have access to endoscopic examination followed by H. pylori eradication therapy in Japan. This Japanese model should be introduced to the rest of the world because of the gradual decline in gastric cancer mortality rate it has produced in Japan. We have established a system to rapidly diagnose H. pylori infection and antimicrobial resistance in Bhutan, a country with a population of only 800,000, and launched a gastric cancer eradication project in collaboration with the government of Bhutan. The first step is to train endoscopists. There is an urgent need to train endoscopists, and we are always willing to send endoscopists to Bhutan to provide endoscopic skills; therefore, you may contact us if you are interested.
私は2010年ごろからアジアを中心に各国に出かけて,自ら上部消化管内視鏡検査を行い,胃粘膜生検組織を採取,Helicobacter pyloriを培養してその遺伝子を調べるという分子疫学研究を続けている 1).研究テーマは大きく二つあり,一つは,世界における胃癌の地域差をH. pyloriの病原因子の違いで説明しようとするもので,もう一つは,H. pyloriを用いた人類の移動の歴史の解明である.アジアで実際に内視鏡調査に出かけた国は13カ国になる(Table 1).本総説では,10年以上にわたる海外での内視鏡検査の経験を紹介し,さらにブータンにおける胃癌撲滅対策について概説する.

内視鏡検査を行ったアジア諸国.
発展途上国に共通であるのが,内視鏡検査を受けられるのは首都などの大都市に限られるということである.ブータンでは,2010年当時は,国内で内視鏡検査を施行できる医師が1名しかおらず(現首相のLotay Tshering医師),内視鏡システムも首都ティンプーに旧式のオリンパス製機器が1台あるだけで,しかも故障で使えない状況であった.そのため,機器一式をタイおよび日本から運び込み検査を行う必要があった.ブータンに関しては後で詳しく述べる.
ブータンとまでいかなくても,タイ,ベトナム,モンゴル,インドネシアでも,地方都市には内視鏡設備は存在せず,首都から機器一式を運び込んで検査を行った.いずれも大都市(タイ:バンコク,ベトナム:ハノイ,ホーチミン,インドネシア:ジャカルタ,スラバヤ,モンゴル:ウランバートル)では,特に私立病院では,日本と変わらない最新の設備が備わっており,地域格差は歴然としていた.日本のようにどこにいても同様の医療が受けられる国は極めて少ないことを思い知った.
例えば,タイで初めて内視鏡検査を行ったミャンマーとの国境域にあるマエソットでは,小学校の体育館を借りて,そこに卓球台を診察台替わりにして検査を行った.タイでは,バンコクにあるチュラロンコン大学が中心となって,医療スタッフが数カ月に一度全国各地を回って健康診断を行うシステムが確立されており,その検査項目にオプションとして内視鏡検査も取り入れていた.数日で数百名の内視鏡検査を行う必要性から,体育館や病院の大会議室を臨時内視鏡室に変えて3~6台の内視鏡機器を設置して検査を行った(Figure 1).

タイ地方都市での内視鏡検査風景.
タイの地方都市では,数カ月に一度バンコクのチュラロンコン大学が中心となって内視鏡検査を施行している.数日で数百名に検査を行うため,体育館や病院の大会議室を臨時内視鏡室に変えて3~6台の内視鏡機器を設置して行うことが多い.写真はタイ,ミャンマー国境域にあるラノンの病院での風景である.下の写真ではドイツSTORZ社のポータブル内視鏡機器を用いている.内視鏡機器のない地域では,ポータブル内視鏡機器も有用と思われる.
ベトナムでは,北部中国との国境域の少数民族が住む地域(ラオカイ)やラオスとの国境に近いやはり少数民族の住む地域(ダクラック)で検査を行ったが,内視鏡設備を持つ病院は存在せず,それぞれハノイおよびホーチミンから機器一式を運び込んだ.モンゴルでは,首都ウランバートル以外に4カ所で内視鏡検査を行ったが,いずれの病院も設備がない,もしくはかなり旧式の機器が1台あるだけという状況で,首都で内視鏡機器をレンタルして運び込み検査を行った.インドネシアでは,通常の内視鏡診療が先端医療と考えられており,かなりの重装備をして手術室で検査を行っているところが多かった.また検査代も日本の感覚では10万円以上するため,一般市民が簡単に受けられる検査ではなかった.当然地方都市には設備が充実しておらず,例えば日本国土ほどあるインドネシア領パプア島に1台しか内視鏡設備がないという状況であった.
なお,日本人である私が海外で内視鏡検査を行うための手続きは,国によってかなり差があった.ブータン,ベトナム,ミャンマー,タイ,バングラディシュ,カンボジアでは,日本の医師免許の英文版を見せるだけで自由に検査が可能,ネパール,モンゴル,スリランカ,インドでは,さらに日本消化器病学会や日本消化器内視鏡学会の専門医認定証の英文版も必要であった.またインドネシア,ラオス,マレーシアでは,臨床許可にはかなりの日数が必要ということもあり,自らは胃粘膜検体採取に特化して,スコープを握ることはしなかった.ただラオスでは,内視鏡医が不足しており,日本人から技術を学びたいという意欲が高く,今後は内視鏡指導も含んだ共同研究を行いたいと考えている.
内視鏡スコープの消毒に関しては,自動洗浄機が備えられてある病院は少ないものの,多くの国では一応世界標準の内視鏡洗浄が行われていたが,バングラディシュの状況は悲惨であった.現状はわからないが,2014年当時,首都ダッカのダッカ医科大学病院では,内視鏡検査終了後いったんスコープを外して洗浄するという基本操作すら行われていなかった.すなわち,検査が終わるとそのままスコープを検査台の下に置かれたバケツの水に数秒浸け,その後,消毒液の入ったたらいに,やはり数秒浸けるだけで,全洗浄工程1分以内というレベルであった.また驚いたことに,その消毒液は患者ごとに取り換えるわけではなく,1日中同じで,浸けるとかえってスコープが汚染されるのではないかと思われるレベルであった.われわれの疫学調査の際にはきちんと洗浄してもらうようにしたが,消毒液がもったいないとかいろいろと難癖をつけられていたので,その後どこまで改善されているかは疑わしい.
また,生検鉗子は使い捨てのものを日本から持参して胃粘膜検体採取を行い,菌培養が目的であるので,再利用は認めなかったが,私が訪れた13カ国すべてで生検鉗子は調査の後には再利用されていた.確かにガス滅菌を行うなど適切な処置を施せば,一度で捨ててしまうのはもったいない気がする.発展途上国では,この「もったいない」という観念が根強く,口腔内麻酔に関しても何も行わない国もあり,バングラディシュでは,キシロカインスプレーをわずかに吹きかけるだけで(最後までノズルを押さない),キシロカインゼリーもスコープにわずかになぞる程度で,私が自分でキシロカインを使おうとすると内視鏡技師から不快な顔をされた.ちょっとカルチャーショックであったのは,ダッカ医科大学病院では,上部消化管内視鏡検査を二人法で行っていた.術者の医師より,むしろ内視鏡技師の助手の方がスコープをひねったりして主導権を握っているようで,私が行う際にも,最初は助手が勝手にひねったりしてやりにくかったが,そのうち彼は手を添える程度になった(Figure 2).

バングラディシュでの内視鏡検査風景.
バングラディシュでは,驚いたことに上部消化管検査を二人法で行っていた.私は内視鏡技師が強引にスコープを動かすのを阻止しようとして,何とか10例ほど行った時点で彼もスコープを動かすのはあきらめて手を添える程度になった.左は,私の講座で博士号を取得したHafeza Aftab先生(愛称Rosie)で,現在はダッカ医科大学の教授となっている.
以上,アジア諸国では,まだ内視鏡診療は大都市地域でのみしか普及しておらず,H. pyloriに関する理解も医師も含めて不十分である国がほとんどであった.また,早期胃癌という概念すら浸透しておらず,早期胃癌を見たことがない,という国がほとんどであった.なお,これらはアジアに限ったことではなく,私がアジア以外で内視鏡検査を経験した,ドミニカ共和国,ケニア共和国,コンゴ民主共和国でも同様であった.実際,日本と韓国を除いた国では,胃癌の発症率と死亡率に大きな差はなく,胃癌は今でも不治の病と考える国がほとんどである.日本のように,内視鏡診療が発達して多くの胃癌は早期で発見され,内視鏡的に治療が行われ,さらにすべてのH. pylori感染者に内視鏡検査を行った上で除菌治療を行うことが常識になっている国は皆無である.日本では,胃癌死亡率が徐々に減少していることからも,この日本モデルはぜひ世界に浸透していかなければいけない.ただし,発展途上国では,日本モデルを真似る経済力が伴っていないことも事実である.
H. pyloriは病原性によって大きく2種類に分かれる 2).一つは,毒性の弱いタイプで,最も知られた病原遺伝子cagAが欠損しており,このタイプはほとんどがcag pathogenicity island(cag PAI)と呼ばれるタイプⅣ型分泌機構を構成する遺伝子群も欠損し,さらに他のよく知られた病原因子であるVacAやOipAも産生しない.二つ目は,cagA,cag PAIを保有し,VacAやOipAも産生するタイプである.ただcagAには,構造上東アジアに多く見られるタイプ(東アジア型)とそれ以外に見られるタイプ(欧米型)があり,前者の方が病原性が強いと考えられている.さらにcagAには繰り返し配列があり,その繰り返し数が多いと病原性が高くなると考えられている.日本のH. pyloriは,沖縄を除いてほぼ100%が東アジア型cagAを保有する強毒性菌であり,沖縄には15%程度ずつcagA陰性菌や欧米型cagA菌が見られる 3).出かけた13カ国の中では,ほぼ100%東アジア型cagA菌であったのが,ブータンとベトナム(ダクラック地域を除く)のみで,次いで東アジア型cagA菌が多く見られたのはタイであったが,それでも3割弱で,他の国々では東アジア型cagA菌は非常にまれであった.東アジアに属し,胃癌発症率・死亡率ともに世界1のモンゴルで東アジア型cagA菌はまれで,約8割が欧米型cagA菌で2割弱が毒性の弱いcagA陰性菌であったことには驚いた 4).
しかし,病原性と胃粘膜炎症や萎縮の程度には有意に正の相関が認められた.ブータンでは日本で見られる以上に,高度活動性炎症所見や高度萎縮性胃粘膜を認めた.どの国でもcagA陰性菌感染胃粘膜の炎症や萎縮は軽度で,木村・竹本分類でOタイプはほぼ皆無であった.モンゴルでも,内視鏡的所見としては炎症や萎縮はさほど認めず,胃癌が多い理由はH. pyloriの病原性とは別にあることが示唆された.実際,モンゴルの胃癌は噴門部など上部にあることが多く 5),われわれの最近の報告では胃内に棲むH. pylori以外の細菌叢(特にエンテロコッカス属)が胃癌に関与している可能性を示唆している 6).
日本だけで内視鏡診療を行っていると,H. pylori感染の有無や木村・竹本分類は視覚的に容易に判断できるが,cagA陰性菌感染胃粘膜では判断に迷う例もあることも留意すべきである.
日本モデルが実際に発展途上国で通用できるのか否かには興味があり,出かけた13カ国でぜひ検討したい国がブータンであった 7).ブータンは,北は中国(チベット),南はインドと国境を接するヒマラヤ山中の人口80万人程度の小国で,国民総生産ではなく,国民総幸福量(Gross National Happiness:GNH)で国民の精神面での豊かさを考えている幸福というイメージを持つ国である.初めて内視鏡を用いた疫学調査を行ったのは2010年で,タイの共同研究者チュラロンコン大学のVarocha Mahachai教授(現バンコク病院部長),Ratha-Korn Vilaichone医師(現タマサート大学教授),ラジャビチ病院のThawee Ratanachu-ek部長とともに出かけた.ブータンのカウンターパートは,ジグミ・ドルジ・ワンチュク国立病院(Jigme Dorji Wangchuk National Referral Hospital:Jigme Dorji Wangchukは,先先代国王)の外科医であるLotay Tshering医師で,国内で内視鏡検査を施行できるのは彼一人であった.タイからペンタックス製の内視鏡機器3システムを持ち込み,首都ティンプーの他,プナカ,ワンドゥの3カ所の病院で,わずか4日間で約400名に内視鏡検査を行った(詳しい報告は文献8),9)参照).この検査の結果,7割以上がH. pyloriに感染し,1.3%に胃癌(いずれも進行胃癌),消化性潰瘍患者も12.6%に認めた.H. pyloriの遺伝子型はすべて毒性の強い東アジア型で,しかも病原因子cagAの繰り返し配列は,胃癌症例に多く見られる繰り返し数の多いタイプが半数以上を占めていた.また薬剤耐性は,日本とは異なり,82.9%の菌がメトロニダゾール耐性を示し,一方,日本で耐性菌の急増が問題視されているクラリスロマイシンに対する耐性株は1例も認めなかった.その後も,Lotay Tshering医師およびタイのグループと一緒に,2014年に東部トンサ,ブムタン,2015年には西部ハーで総計約800例に内視鏡検査を行ったが同様の結果で,われわれは,ブータンは世界で最も胃癌多発国であると考えている 10),11).世界の癌統計データベースであるGLOBOCANの最新版(GLOBOCAN 2020)によると,ブータンは,胃癌死亡率世界3位で,発症率と死亡率はほぼ同程度である.またブータン国内において,癌死亡率の1位が胃癌である(2位は子宮頸癌)が,臓器別癌死亡率の1位が胃癌である国はブータンのみである.ブータンでの内視鏡検査の普及率や内視鏡検査のできる医師数を考えるとさらに胃癌は多いと考えられる.
2015年当時内視鏡検査ができる医師は6名程度に増えていたが,皆,我流で検査を行っているレベルであった.このような状況を踏まえ,できるだけ組織的に内視鏡指導を行う必要があると考えた.幸いウィーン医科大学消化器内科の鴨川由美子医師,福岡大学筑紫病院内視鏡部の八尾建史教授も協力してくれ,2016年,鴨川医師を理事長として「特定非営利活動法人 胃癌を撲滅する会」(HIGAN)を発足させ,最初のターゲット国としてブータンを選び内視鏡指導を行うこととした(www.higan-npo.com)(八尾教授と私は理事).内視鏡指導では,八尾教授が考案したSystematic screening protocol for the stomach (SSS)という標準化した系統的に胃内の観察ができるシステムを取り入れた 12).これにより,胃内の観察漏れが大幅に防げることがわかった.また,彼が考案したe-Leaning systemを取り入れた 13).これは,100症例分の画像に対して連続してクイズ形式で胃癌の診断能をトレーニングするコンテンツを含み,早期胃癌症例をほとんど経験したことがない医師にも,実際に早期胃癌に出くわした際に診断の迷いが少なくなるものである.彼は,拡大内視鏡検査の権威であるが,発展途上国では,まずは白色光観察が重要であると考えた.現地においては,Train the trainer course(TTTコース)を行っていった.ここでのTTTは,レクチャー,ハンズオン,症例に対する議論を含めた取り組みである.
これらの活動を正式に行うには,ブータン政府の協力が必要であり,2017~2018年に何度も保健大臣とも面談を行ったが,あまり協力的ではなかった.転機となったのは,2018年11月7日で,私が長年共同研究を行ってきたLotay Tshering医師が首相になったことであった.保健大臣も疫学専門であった医師が就任され,流れは一気に変わった.首相からは,胃癌撲滅を目指すH. pylori除菌ガイドラインの作成を依頼され,ブータン政府としても,第12期5カ年計画の中で,Health Flagship Programを打ち立て,胃癌,子宮頸癌,乳癌の予防を最重点課題と決定した.
2019年にHIGANから応募した国際協力機構(Japan International Cooperation Agency:JICA)草の根技術協力事業が採択され,まずは人口2,000名足らずの村(ダワカ地区)で,18歳以上の全住民を対象に血清抗H. pylori抗体,ペプシノーゲンを測定した(実際には12歳以上の小児も混じったが).1,163名でデータを得られたが,Population based studyにもかかわらず,H. pylori感染率は7割を超えた.また2019年10月からブータンに在住されていた阪口昭医師が205例に内視鏡検査を実施してくれた.3例(1.5%)は胃癌で,消化性潰瘍も27例(13.2%)と多く,2010~2015年にかけて国内5カ所の病院で行った調査と差はなく,胃癌大国であることを再認識した.まだ詳しい解析は行っていないが,その後も阪口医師が内視鏡検査を継続してくれ,ダワカ村で計5名の胃癌(内3名は早期胃癌)が見つかったとのことである 14).コロナ禍の中でもダワカプロジェクトが成功したのは,阪口医師が現地で精力的に内視鏡検査を行ってくれたおかげである.本プロジェクトでは,原則H. pylori感染者には日本式の7日間除菌を行ったが,除菌率は8割程度であった.2015年までの調査ではクラリスロマイシン耐性菌は存在せず,ブータンでクラリスロマイシンが使用されるようになったのは2018年以降であるにもかかわらず除菌成功率が低く,服薬コンプライアンスに問題があると考えた.なお,阪口医師がブータンの内視鏡事情について本学会誌で詳しく述べておられるので参考にしてほしい 14).
これらのことから,大分大学としても,ブータンの政府や大学とともに胃癌撲滅活動をさらに進めたいと考え,まずは大分大学とブータン唯一の医科大学であるケサール・ギャルポ医科学大学との間で大学間協定を締結した(2019年12月).さらに大型研究資金の獲得を目指し,国立研究開発法人日本医療研究開発機構(Japan Agency for Medical Research and Development:AMED)の,地球規模保健課題解決推進のための研究事業 慢性疾患国際アライアンス(The Global Alliance for Chronic Diseases:GACD国際協調公募)に応募,「ブータンにおける国家的胃癌予防戦略のための実装および臨床効果の検討」というタイトルで研究資金(総額約3,080万円)を獲得した(2020年度~2023年度:研究代表者;山岡).本事業は,ある村を定めて,H. pyloriと胃癌の理解に関する教育を住民に行ったり,服薬指導を行ったりする群としない群に分けて効果を見る実装研究である.コロナ禍のため,現地入りが困難であったが,私は2022年8月末に3年ぶりの渡航を果たし,10月から東部の2村で事業を開始している.
さらに,AMEDとJICA共同の事業である地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(医療分野国際科学技術共同研究開発推進事業)(Science and Technology Research Partnership for Sustainable Development:SATREPS):開発途上国のニーズを踏まえた感染症対策研究(感染症分野)にも,「ピロリ菌感染症関連死撲滅に向けた中核拠点形成事業」というタイトルで採択され,活動を始めた(2021年度~2026年度:総額4億9,800万円:研究代表者;山岡).本事業は,研究色も強く,迅速なイムノクロマトキットを用いたH. pylori診断法を開発して,現地での技術移転を行う,迅速に抗菌薬耐性を測定できるキットを開発して,テーラーメイド治療を実現する,といった目標を掲げている.しかし同時に内視鏡検査指導も目標の一つであり,八尾建史教授や大阪国際がんセンターの上堂文也先生などと連携して,TTTなどをさらに充実するシステムを構築中である.また,現地での内視鏡室の様子を,内視鏡スクリーンと術者の手技を同時にインターネットで日本の施設に送り遠隔指導ができるシステムも九州大学国際医療診療部の森山智彦准教授の協力のもと構築した.
SATREPS事業に関しては,2022年8月末に現地でキックオフ会議を開催,日本側は私の他,大分大学北野正剛学長,JICAブータン所長などが列席,ブータン側は保健大臣,ケサール・ギャルポ医科学大学学長,王立疾病管理センター所長(大分大学で博士学位取得)などが出席,首相官邸ではLotay Tshering首相と今後の共同事業についての意見交換を交わした(Figure 3).さらに,首相自らが理事長となって,ブータン消化器内視鏡学会を設立することも決定した.学会を作ることにより,北野学長が理事長であるアジア太平洋消化器内視鏡学会(Asian Pacific Society for Digestive Endoscopy:APSDE)の24カ国目のメンバーとなり,学会からの公式な内視鏡検査指導が受けられるようになった.なお,首相からは,内視鏡検査指導に関して,単発的にWebinarやTTTなどを行うことも重要であるが,ぜひ常に1名以上の内視鏡医がブータンに滞在して,系統的に内視鏡指導を行ってほしいと頼まれた.われわれはその申し入れを快諾し,北野学長のイニシアチブのもと,大分大学医学部消化器内科講座村上和成教授とも相談し,まず一人目として,消化器内科の水上一弘准教授を派遣することとし,2023年3月から2カ月間現地での指導が開始された.上堂文也先生のグループからも派遣希望者が数名おり,首相の希望通り,常に日本人内視鏡医を滞在させる計画である.SATREPS事業は5年計画であり,常に人材を募集しているので,興味のある方はぜひ連絡していただきたい.

SATREPS事業のキックオフ会議など.
右上は,キックオフ会議の様子.会議に先立って,大分大学とケサール・ギャルポ医科学大学との間で大学間協定の締結式も行った.2019年12月に協定は締結していたが,やはり実際に会って行う計画があり,いったんは2020年に予定されていたがコロナ禍で延期となり,この日となってしまった.
左上は,締結式の夜,保健大臣が自宅に招待してくださった時の集合写真.左から,大分大学の小川領一准教授,Kinzang Tsheringケサール・ギャルポ医科学大学学長,筆者,北野正剛学長,Lotay Tshering首相,山田智之JICAブータン事務所長,オリンパスインド社の菊本直さんとインド人,Guru Prasad Dhakal医師(彼はブータンで唯一の内科医で内視鏡検査ができる医師).
下は,首相官邸を訪問した際の写真で,左から山田所長,北野学長,Lotay Tshering首相,筆者,小川准教授.
ブータン政府としても,胃癌撲滅事業は最優先課題の一つであり,Health Flagship Programとしては,全国民(成人)にH. pylori診断を行い,陽性者には除菌治療を行う,さらに40歳以上の陽性者には内視鏡検査も行う,という方針を打ち出している.すでに全国民に対するH. pylori診断はほぼ終了し,除菌治療も古典的3剤療法(プロトンポンプ阻害薬,クラリスロマイシン,アモキシシリン;2週間)でほぼ全国を網羅している.われわれの想像をはるかに超える早いペースであるが,便中抗原キットを用いたH. pylori陽性率が5割程度とわれわれのデータよりかなり低く,精度の検定が必要である,また,除菌成功率も8割程度にとどまっており,除菌判定を行っていない地域も多い,など問題も山積しており,ぜひSATREPS事業と共同で,より安価で精度の高いキットの導入,アプリを用いた服薬指導などを徹底させたいと考えている.内視鏡設備に関しては,ブータン政府は,全国10カ所にペンタックス社製の機器を導入したが,内視鏡検査を行える医師は16名に増えたものの,3地域(首都ティンプー,ゲルフ,モンガル)の基幹病院にしか勤務しておらず,土日を利用して,ガストロキャンプと称して地方で検査を行っている状況である.以上,首相の素晴らしい迅速な行動力のおかげで,検査や治療などは一気に進んでいる状況であるが,精度管理,内視鏡医の質の担保がなされていない状況であり,私としては危機感を感じている.
そのためにも,内視鏡医の育成は急務で,また首相がわれわれに望んでいることは,すべての外科医に,次いですべての総合内科医にいたるまで,基本的な上部消化管内視鏡検査をできるようにしてほしいということである(基本的にブータンでは外科医が内視鏡検査を行っている).ただ,ブータンでの内視鏡事情に最も詳しい阪口医師によれば,彼らのモチベーションは人にもよるが全体としてはあまり高くなく,それは外科医が他の仕事にも忙しいことが主因であるが,阪口先生に頼り切って,内視鏡検査のほとんどを彼に任せていたようである.そのため,水上一弘准教授には,あくまで彼らに内視鏡のスコープを握らせて指導する形にしてほしいとお願いした.もともとSATREPS事業では,医療行為が禁止されており,そうするしかないという制限もあったのだが.ただ,この点は首相も納得がいかず,ぜひスコープを握って指導をしてほしい,万が一の医療事故などの際にもブータン政府が全責任を持つと言われているため,現在JICAなどと医療行為の有無に関して交渉している.なお,2023年4月に国際医療協力局,医療技術等国際展開推進事業,タイトル「ブータン王国における内視鏡を用いた消化器疾患の早期診断と治療」が採択され(年間1,200万円:研究代表者;山岡),本事業の範囲では,ブータンにおいて堂々と治療行為も含めた医療行為ができるようになったことは喜ばしい.
さて,八尾教授とも,如何にすれば,ブータン医師のモチベーションをあげることができるかについて常に議論している.コロナ禍の間も胃癌を撲滅する会が中心となってオンラインで3カ月に一度TTTを実施,8名の医師に対して指導を行っているが,参加しない医師も多く,毎回彼らに症例を提示させているが,提示してくれるのは数名の同じメンバーのみである.また,徐々に早期胃癌という概念を理解してくれるようになったのはありがたいが,どう見ても一目で良性びらんとわかる症例でも生検を行っているなど問題点が多い.そこで,思いついたのは,彼らに世界最先端の拡大内視鏡,NBI(Narrow Band Imaging:狭帯域光法)内視鏡システムを導入すれば,診断能力も高まり,モチベーションがあがるのではないかという結論であった.幸い,SATREPS事業では,年間1億円の資金があったので,オリンパス社製,EVIS X1 ビデオシステムセンターCV-1500システム一式(拡大内視鏡GIF-XZ1200を含む)を導入することにした.オリンパスインド経由で購入したが,なんとインドでもまだ導入されておらず,南インド発の設置となった.
2023年3月27日,ティンプーの国立中央病院にて,日本側は,私の他,現地入りしていた水上准教授,八尾建史教授,JICAブータン所長などが列席,ブータン側は保健大臣,ケサール・ギャルポ医科学大学学長らが出席して,最先端内視鏡機材の引渡し式が行われた(Figure 4).式典には偶然同時期に現地を訪問して,内視鏡的逆行性膵胆管造影法(ERCP),内視鏡的乳頭括約筋切開術(EST)を行っていたラジャビチ病院のThawee Ratanachu-ek医師も出席してくれた.彼は,首相の依頼で,2015年のわれわれとの調査以降も定期的に現地でERCP,ESTなどを行っていた.阪口医師が赴任された2019年当時は,国内でERCPができる医師はLotay Tshering首相のみで,首相になってからも週末は外科医として診療を行い,阪口医師は首相と一緒にERCP,胆管結石の除去や胆管金属ステントの留置を行っていたとのことである.その後海外でERCPの修業をしてきた医師2名が加わったとのことであるが,阪口医師が2年間の滞在の後,帰国した後は,高度な治療が必要な時にはThawee Ratanachu-ek医師を呼んでいたとのことである.今後は,広く上部消化管に限らず,全消化管領域での内視鏡検査・治療技術の指導を日本としても行っていく必要があると考えた.

最先端内視鏡機材の引渡し式.
上は,引渡し式の集合写真.真ん中が,Dechen Wangmo保健大臣で,左は病院専属の僧侶で,式典の際にお経を唱えてくれた.その左から,山田智之JICAブータン事務所長,水上一弘准教授,オリンパスインドの仲出川亮さん,そしてブータンの外科医で,今年には日本でも内視鏡教育を受ける予定のSonam Dargay医師,保健大臣の右から筆者,八尾建史教授,Kinzang Tsheringケサール・ギャルポ医科学大学学長,タイのThawee Ratanachu-ek医師.左下のように,内視鏡機器は飾り付けられて設置されている.右下は,スピーチをする筆者.
翌3月28日には,この新しい機器のデモンストレーションを行った(Figure 5).なんと最初の被験者は保健大臣で,Lotay Tshering首相も見学に訪れてくれた.また,デモンストレーションの様子は,インターネットで日本でも見られるようにした.モニターには2画面が表示され,1画面は内視鏡像,もう1画面は術者の手元が映るように設定,今後の遠隔ライブデモが可能であることを確認することができた.

最先端内視鏡機材のデモンストレーションの様子.
内視鏡検査を行っている担当の医師,内視鏡技師,看護師などもすべて集まり,新しく寄贈したCV1500と拡大内視鏡GIF-XZ1200を用いてデモンストレーションが行われた.八尾建史教授のデモンストレーションをLotay Tshering首相(下の右端)やDechen Wangmo保健大臣(上の右端)も見学している.SATREPSでは医療行為が禁止されているため,今回八尾教授は別予算(GACD)での訪問となった.
以上,ブータンを中心に,アジアでの内視鏡診療の実際をできるだけ臨場感を持って説明した.ただ,ここに書いたことは,私がH. pylori研究の一環として,現地に出向いて内視鏡検査を行った際の私見であり,若干の偏見などがあるかもしれない点は理解していただきたい.またTable 1でもわかるように例えばバングラディシュでの体験も8年以上前のことであり,現状はかなり変わっているかもしれない.コロナ禍で,清潔・不潔の考え方がかなり改善した可能性が高い.ただ,日本における内視鏡診療とはかなり異なることを理解していただければ幸いである.
本論文内容に関連する著者の利益相反:なし