The journal of law, the Postgraduate Course of Kansai University
Online ISSN : 2436-4924
Print ISSN : 0286-8350
統合失調症の治療のため精神科病院に任意入院した患者が無断離院をして自殺した場合において、上記病院の設置者に無断離院の防止策についての説明義務違反があったとはいえないとされた事例
最高裁令和5 年1 月27日第二小法廷判決(令和3 年(受)第968号 損害賠償請求事件)判タ1511号123頁
[in Japanese]
Author information
JOURNAL FREE ACCESS FULL-TEXT HTML

2024 Volume 2024 Issue 104 Pages 31-45

Details

  • 目  次
  • 事実の概要
  • 判  旨
  • 評  釈
  •  Ⅰ 本判決の意義
  •  Ⅱ 従前の判例および議論状況
  •   1 .医療水準に関する判例の展開
  •   2 .医療水準と医師の説明義務
  •   3 .小  括
  •  Ⅲ 本判決の検討
  •   1 .医療水準と本件病院における無断離院防止策
  •   2 .本件病院における自殺危険性
  •   3 .患者の意思
  •   4 .ま と め

【事実の概要】

Aは、平成7 年頃から複数の精神科病院に入通院していたところ、平成8年8 月、Yの設置する病院の精神科(以下、「本件病院」という)を受診し、統合失調症と診断された。以後、Aは、本件病院において統合失調症の治療を受けるようになり、平成21年7 月までの間に、合計6 回にわたり、任意入院をした。入院中、Aが自傷行為や自殺企図に及んだことはなく、無断離院をしたこともなかった。

Aは、平成21年11月26日、統合失調症の治療のため、本件病院に7 回目の任意入院(以下、「本件入院」という)をした。

Aは、本件入院に際して、主治医から、本件入院中の処遇につき、原則として、本人の求めに応じ、夜間を除いて病院の出入りが自由に可能な処遇(以下、「開放処遇」という)となるが、治療上必要な場合には、開放処遇を制限することがある旨等が記載された書面を交付された。

本件病院の精神科においては、任意入院者は、原則として、入院後しばらくの間病棟からの外出を禁止されるが、その後、症状が安定し、主治医において自傷他害のおそれがないと判断したときは、本件病院の敷地内に限り単独での外出を許可されていた(以下、「院内外出」という)。そして、本件病院の病棟の出入口は、常時施錠されており、単独での院内外出を許可されている任意入院者が院内外出をするときは、鍵を管理している看護師にその旨を告げ、看護師が上記出入口を開錠するなどして、当該任意入院者を病棟から出入りさせていた。また、本件病院の敷地は、門扉が設置された1 箇所を除き塀で囲まれていたが、門扉は、平日の日中は開放され、その付近に守衛や警備員はおらず、監視カメラ等も設置されていなかった。

Aは、本件入院当初、病棟からの外出を禁止されていたが、平成21年12月1 日から、単独での院内外出を許可された。その後、主治医の判断により、単独での院内外出を禁止される期間もあったが、平成22年6 月16日には、再び単独での院内外出を許可された。

Aは、平成22年7 月1 日、看護師に対し、本件病院の敷地内の散歩を希望する旨を告げて病棟から外出し、そのまま本件病院の敷地外に出た後、本件病院の付近の建物から飛び降りて自殺した。なお、Aは、本件入院中、自殺企図に及んだり、希死念慮を訴えたりすることはなかった。

以上の事実関係において、Aの相続人であるXは、本件病院がAの自殺を防げなかったのはAとの診療契約上の安全配慮義務違反に当たると主張して、Yに対し、安全配慮義務違反を理由とする債務不履行に基づく損害賠償を請求した。

第一審(高松地裁平成31年3 月26日判決)は、本件入院中、Aが自殺を図る具体的・現実的危険性があったとは認められず、Aが自殺に及ぶことの危険性があったとはいえないとし、X主張の安全配慮義務違反を否定し、Xの請求を棄却した。Xは、Aが本件入院をする際に、本件病院においては無断離院の防止策が十分に講じられていないことをAに対して説明し、本件病院のほかに、無断離院防止策を講じている病院と比較して、入院すべき病院を選択できる機会を保障すべき義務があったにもかかわらず、これを怠ったと主張して、説明義務違反を理由とする債務不履行に基づく損害賠償請求を予備的請求として追加し、控訴した。

原審(高松高裁令和3 年3 月12日判決)は、「Aが自殺を図る具体的・現実的危険性があったとは認められない」とし、X主張の安全配慮義務違反を否定した。予備的請求については、「AとYとの間の本件診療契約においては、Yが本件病院施設において講じていた無断離院防止策の有無・内容は、契約上の重大な関心事項になっていたということができる」とし、「本件病院の医師は、本件診療契約上の債務に付随する信義則上の義務として、Aに対し、本件病院においては、平日の昼間は、門扉は開放され、その管理をしておらず、特段の無断離院防止策を講じていないため、院内単独外出許可を受けた患者自身で無断離院をしないように注意しなければ、無断離院して自殺事故の危険性があることを説明して、Aが本件病院のほかに、無断離院防止策を講じている病院と比較して、入院すべき病院を選択できる機会を保障する義務を負っていたと解するのが相当である」と判示し、Xの請求を一部認容した。Yが上告受理申立て。

【判  旨】

破棄自判。

「任意入院者は、その者の症状からみて医療を行い、又は保護を図ることが著しく困難であると医師が判断する場合を除き、開放処遇を受けるものとされており、本件入院当時の医療水準では無断離院の防止策として徘徊センサーの装着等の措置を講ずる必要があるとされていたわけでもなかったのであるから、本件病院において、任意入院者に対して開放処遇が行われ、無断離院の防止策として上記措置が講じられていなかったからといって、本件病院の任意入院者に対する処遇や対応が医療水準にかなうものではなかったということはできない。また、本件入院当時、多くの精神科病院で上記措置が講じられていたというわけではなく、本件病院においては、任意入院者につき、医師がその病状を把握した上で、単独での院内外出を許可するかどうかを判断し、これにより、任意入院者が無断離院をして自殺することの防止が図られていたものである。これらの事情によれば、任意入院者が無断離院をして自殺する危険性が特に本件病院において高いという状況はなかったということができる。さらに、Aは、本件入院に際して、本件入院中の処遇が原則として開放処遇となる旨の説明を受けていたものであるが、具体的にどのような無断離院の防止策が講じられているかによって入院する病院を選択する意向を有し、そのような意向を本件病院の医師に伝えていたといった事情はうかがわれない。

 以上によれば、Yが、Aに対し、本件病院と他の病院の無断離院の防止策を比較した上で入院する病院を選択する機会を保障すべきであったということはできず、これを保障するため、Yが、Aに対し、本件病院の医師を通じて、上記3 (筆者注:本件病院においては、平日の日中は敷地の出入口である門扉が開放され、通行者を監視する者がおらず、任意入院者に徘徊センサーを装置するなどの対策を講じていないため、単独での院内外出を許可されている任意入院者は無断離院をして自殺する危険性があること)の説明をすべき義務があったということはできない。そうすると、本件病院の医師が、Aに対し、上記説明をしなかったことをもって、Yに説明義務違反があったということはできないというべきである。」

【評  釈】

Ⅰ 本判決の意義

本件は、統合失調症の治療のため精神科病院に任意入院をした患者が、入院中に無断離院をして自殺した場合において、精神科病院の設置者に無断離院の防止策についての説明義務違反があったとはいえないとされた事例である1

本判決は、統合失調症患者の自殺事案という特殊な事例に関して医師の説明義務の有無を判断した初めての事例であり、基本的には医療水準として未確立な療法について医師に説明義務があったか否かが争点となった平成13年判決の判断枠組みを用いたという点で重要な意義を有する。

Ⅱ 従前の判例および議論状況

判例は、結果回避義務としての説明義務(療養方法の指導としての説明義務ともいわれる)の判断基準については、医療水準をその基準として判断してきた2。そして、医療水準として未確立である療法は、原則として、医師の説明義務の範囲には含まれないとされてきた。例えば、診療当時、光凝固法が先駆的研究家の間でようやく実験的に試みられ始めたという状況等を理由に、医師が光凝固法の存在を説明し転医を指示する義務はないと判示した最三判昭和57年3 月30日裁判集民135号563頁(高山日赤病院未熟児網膜症事件判決)や、光凝固法が当時の臨床医学の実践における医療水準としては未熟児網膜症の有効な治療法として確立されていなかったこと等を理由に医師の説明義務を否定した最二判昭和61年5 月30日裁判集民148号139頁等がある。このように、医師の説明義務の範囲は、原則として、医療水準3として確立しているか否かによって画定されてきたといえる。

以下では、医師の説明義務に関する判例について検討する前に、まず、医療水準に関する判例の展開について概観する。

1 .医療水準に関する判例の展開

判例上、医師の注意義務の程度を示した最一判昭和36年2 月16日民集15巻2 号244頁(東大輸血梅毒事件判決)4およびその注意義務の基準を示した前掲した高山日赤病院未熟児網膜症事件判決5を経て、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」が医師の過失判断の基準であることが確立した。しかし、これらの判決が医療水準の具体的内容について述べていなかったことから、学説上、医療水準を判断する際に、当該医師または医療機関の置かれている具体的事情を考慮すべきでないとする立場(絶対説)6とそれらの具体的事情を考慮すべきとする立場(相対説)7による議論が展開された。この点について最高裁判所としての判断をはじめて示したのが、未熟児網膜症への罹患を理由とする債務不履行に基づく損害賠償請求において医療機関に当時の医療水準を前提として注意義務違反があるか否かが争点となった最二判平成7 年6 月9 日民集49巻6 号1499頁(姫路日赤病院未熟児網膜症事件判決)(以下、「平成7 年判決」とする)である。

平成7 年判決は、東大輸血梅毒事件判決および高山日赤病院未熟児網膜症事件判決を引用した上で、医療水準は、「当該医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべき」とし、「すべての医療機関について診療契約に基づき要求される医療水準を一律に解するのは相当でない」と判示した。すなわち、医療機関の性格、所在地域の医療機関の特性等を医療水準の判断要素として考慮すべきであることを明らかにし、従前の学説により議論されてきた相対説の立場を採用した8

2 .医療水準と医師の説明義務

以上のように、従前の判例は、医療水準として未確立な療法については、医師の説明義務を否定していた。こうした中、乳がんの手術に当たり、当時医療水準として未確立であった乳房温存療法について医師に説明義務があったか否かが争点となった最三判平成13年11月27日民集55巻6 号1154頁(以下、「平成13年判決」とする)において、医療水準として未確立であった乳房温存療法について医師に説明義務が認められた。以下、平成13年判決の判断枠組みについて検討する。

平成13年判決は、「一般的にいうならば、実施予定の療法(術式)は医療水準として確立したものであるが、他の療法(術式)が医療水準として未確立のものである場合には、医師は後者について常に説明義務を負うと解することはできない」とし、一般論として、医療水準が未確立である場合には、医師は説明義務を負わないと判示した従前の判例の立場を確認した。

しかし、平成13年判決は、医療水準として未確立な療法について医師に説明義務があったと判示し、医師の説明義務の範囲の拡張にかかるいくつかの考慮要素を挙げている。たとえば、当該療法が少なからぬ医療機関において実施されており、相当数の実施例があり、これを実施した医師の間で積極的な評価がなされていること、患者が当該療法の適応である可能性があること、そして、患者が当該療法の自己への適応の有無、実施可能性について強い関心を有していることを医師が知ったことである。さらに、平成13年判決は、説明義務により保護される利益に焦点を当てて、「乳がん手術は、体幹表面にあって女性を象徴する乳房に対する手術であり、手術により乳房を失わせることは、患者に対し、身体的障害を来すのみならず、外観上の変ぼうによる精神面・心理面への著しい影響ももたらすものであって、患者自身の生き方や人生の根幹に関係する生活の質にもかかわるものであるから、胸筋温存乳房切除術を行う場合には、選択可能な他の療法(術式)として乳房温存療法について説明すべき要請は、このような性質を有しない他の一般の手術を行う場合に比し、一層強まるものといわなければならない」とする。すなわち、乳がん手術が、女性の生き方や人生の根幹に関係する生活の質に影響をもたらすものであるため、術前の患者の自己決定権を保障することが望ましく、他の一般の手術と比べて説明すべき要請が強まるとする9

以上のように、平成13年判決は、医療水準として未確立な療法について医師に説明義務が認められるか否かについて判断を下す際にいくつかの考慮要素を挙げており、これらの考慮要素を総合的に勘案すれば、例外的に医師の説明義務の範囲が拡張される可能性があることを示した。とりわけ、平成13年判決では、手紙10の存在が重要であったことが指摘されており、医師が患者の意思を知っていたことが重要な判断要素となっていると考えられる11

3 .小   括

判例は、医療水準を、結果回避義務としての説明義務の判断基準としている。すなわち、医師の説明義務の範囲は、原則として、当該療法が医療水準として確立しているか否かによって画定されることになり、医療水準として確立している場合には医師の説明義務が肯定され、医療水準として未確立である場合には医師の説明義務が否定される。

しかし、平成13年判決は、医療水準として未確立である療法についても、例外的に医師の説明義務の範囲が拡張される可能性があることを示した。その判断枠組みとしては、説明義務により保護される利益に焦点を当てて、医師の説明義務の要請が強まるということができるか否かが問題となり、患者の意思が重要な判断要素となっていると考えられる。

Ⅲ 本判決の検討

1 .医療水準と本件病院における無断離院防止策

医師の説明義務の範囲は、原則として、医療水準として確立しているか否かによって画定される。したがって、本件では、無断離院防止策として徘徊センサーの装着等の措置を講ずることが本件入院当時の医療水準として確立していたか否かがまず問題となる。

この点について、本判決は、「本件入院当時の医療水準では無断離院の防止策として徘徊センサーの装着等の措置を講ずる必要があるとされていたわけでもなかった」とし、これらの措置は医療水準にない措置であったと判示している。本判決が認定したように、本件入院当時、無断離院の可能性が高い患者に対しては、院内の移動に際して付添いを付けたり、徘徊センサーを装着したりするといった対策を講じている精神科病院が存在した。しかし、多くの精神科病院が、無断離院防止策としてこれらの措置を講じていたわけではない。そうすると、無断離院防止策としてこれらの措置を講ずることが相当程度普及しているとはいえず、本件病院で無断離院防止策としてこれらの措置を講じていることを期待することが相当とは認められない。これらの事情を考慮すれば、本判決が医療水準にない措置であったと判示したことについて異論はないであろう。

したがって、本件の主たる争点は、医療水準にない措置についての説明が診療契約上の説明義務の範囲に含まれるか否かであるということができ、本事案は、医療水準として未確立な療法について医師に説明義務があったか否かが争点となった平成13年判決と類似しているといえる12。それゆえ、平成13年判決と同じ判断枠組みを用いることが正当化されうる。

2 .本件病院における自殺危険性

本事案の争点が平成13年判決の争点と類似しているとしても、医師が「本件病院と他の病院の無断離院の防止策を比較した上で入院する病院を選択する機会」を保障すべきであったか否かについて別途検討する必要がある。本件では、その前提として、他の病院と比較して本件病院における自殺危険性が高いか否かが問題とされている。

この点について、本判決は、「任意入院者が無断離院をして自殺する危険性が特に本件病院において高いという状況はなかった」と認定している。その理由として、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第37条第1 項の規定に基づき厚生労働大臣が定める基準(昭和63年4 月8 日厚生省告示第130号)第5 の1 ⑶の定めや、無断離院防止策として徘徊センサーの装着等の措置を講ずることは医療水準にない措置であったことから、本件病院の任意入院者に対する処遇や対応は医療水準に適うものであること、また、本件入院当時、多くの精神科病院でこれらの措置が講じられていたわけではないことや本件病院では無断離院をして自殺することへの防止が図られていたことを挙げている。

このように、本判決は、客観的事情に基づいて、自殺危険性を認定している。もっとも、医師の説明義務の範囲は、原則として、医療水準として確立しているか否かによって画定されるため、無断離院防止策としてこれらの措置を講ずることが医療水準にない措置である以上、患者の意思とはかかわりなく、医師の説明義務は否定されることになる。しかし、本判決は、次に述べるように、患者の意思にも着目し、Yの説明義務を否定している。

3 .患者の意思

以下、患者の意思に関する本判決の考慮の仕方について、平成13年判決の考慮の仕方との比較検討を行う。

平成13年判決は、いくつかの考慮要素を総合的に勘案すれば、例外的に医師の説明義務の範囲が拡張される可能性があることを示した。とりわけ、患者の意思については、「患者が当該療法(術式)の自己への適応の有無、実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合」と述べている。すなわち、平成13年判決は、患者の意思を考慮するに当たり、患者が強い関心を有していたか否かと、患者が関心を有することを医師が知っていたか否かについて判断している。そうすると、患者が強い関心を有していたとしても、そのことを医師が知らなかった場合には、医師に説明義務が認められる可能性は低いと考えられる。これに対して、本判決は、患者の意思について、「Aは、本件入院に際して、…具体的にどのような無断離院の防止策が講じられているかによって入院する病院を選択する意向を有し、そのような意向を本件病院の医師に伝えていたといった事情はうかがわれない」と認定している。すなわち、本判決は、患者の意思を考慮するに当たり、患者が意向を有していたか否かと、患者がその意向を医師に伝えていたか否かについて判断している。そうすると、患者が、具体的にどのような無断離院の防止策が講じられているかによって入院する病院を選択する意向を有していたとしても、その意向を医師に伝えていなかった場合には、医師に説明義務が認められる可能性は低いと考えられる。

このように対比すると、本判決が、患者が自らの意思を医師に伝えていたか否かについて判断していることから、医師が患者の意思を知っていたか否かを判断する平成13年判決とは考慮の仕方を異にするように見えなくもない。しかし、患者が自らの意思を伝えていた事情が伺われないということは、医師が患者の意思を知っていたことを裏付ける事情がないということであって、考慮の仕方の違いを示すものとはいえない。

さらに、本判決の患者の意思の考慮の仕方は、原審のそれとも異ならない。原審は、患者の意思を考慮するに当たり、まず、Aが、本件病院における無断離院防止策の有無・内容に関心を有していたか否かについて判断し、その上で、本件病院の医師らは、「これまでのAの本件病院の入通院歴に照らせば、…Aが、本件病院における無断離院防止策の内容に重大な関心を持っていたことを認識していた」として、医師が患者の意思を認識していたか否かについて判断しているからである。しかし、本判決と原審の間では、患者が意思を有しているか否かについての事実認定に違いが生じた。すなわち、原審は、Aは、統合失調症の症状が再発したために自ら本件病院を外来受診して本件入院に至ったこと、本件入院中に、他の入院患者とトラブルになり、自ら希望して保護室に入室したこともあることから、「本件病院に入院していれば適切に自己の症状を管理してくれるのではないかと期待していたと推認することができる」とし、Aにとって、「本件病院における無断離院防止策の有無・内容が重大な関心事項であった」と認定したのに対して、本判決は、そもそもAはそのような意向を有していなかったとした。

以上のように、本判決が、患者の意思を考慮するに当たり、患者が意向を有していたか否かと、患者がその意向を医師に伝えていたか否かについて判断したことは、平成13年判決の考慮の仕方とも、原審の考慮の仕方とも違いはないと評価することができよう。

4 .ま と め

本判決は、基本的には平成13年判決の判断枠組みを用いて、医師の説明義務を否定したものである。すなわち、医師の説明義務の範囲は、原則として、医療水準として確立しているか否かによって画定されるが、無断離院防止策として徘徊センサーの装着等の措置を講ずることが医療水準にない措置であるため、患者の意思とはかかわりなく、医師の説明義務は否定されるところ、本判決は、平成13年判決が挙げた考慮要素のうち、とりわけ、重要な判断要素となった患者の意思にも着目して、医師の説明義務を否定した。

もっとも、本判決は、説明義務により保護される利益には言及していない。本判決の説明義務により保護される利益は、生命維持のための自己決定であるが、女性の生き方や人生の根幹に関係する生活の質に影響をもたらすものであるため医師の説明義務の要請が強まるとした平成13年判決と同様の考慮が働くか否かについては明らかではない。この点は、医師の説明義務の有無を判断する際に重要な判断要素となる可能性があり、今後、検討を進めるべき論点である13

いずれにせよ、本判決は、医療水準として未確立な療法にかかる医師の説明義務に関する判例に一事例を加えるものとして重要な意義を有する。医療水準を超えて医師に説明義務を課すことについては慎重な配慮が必要であることを考慮すれば、妥当な判断であったといえよう。

Footnotes

1 本判決の評釈として、山城一真「判批」法教512号115頁(2023年)、林誠司「判批」Watch 33号83頁(2023年)がある。

2 野田寛『医事法 中巻(増補版)』446-447頁(青林書院、1994年)。

3 ここにいう医療水準は、一連の未熟児網膜症訴訟を契機として確立した医師の過失判断の基準であり、岐阜地判昭和49年3 月25日判時738号39頁(高山日赤病院未熟児網膜症事件第一審判決)および長崎地判昭和49年6 月26日判時748号29頁(長崎市民病院未熟児網膜症事件第一審判決)の判断理由を検討する中で、松倉豊治により提唱されたものである(松倉豊治「未熟児網膜症による失明事例といわゆる『現代医学の水準』」判タ311号61頁以下(1974年))。

4 この判決は、輸血による梅毒への罹患を理由とする不法行為に基づく損害賠償請求訴訟において、人の生命および健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるとし、医師の注意義務違反を認めた。

5 この判決は、未熟児網膜症による失明を理由とする不法行為に基づく損害賠償請求訴訟において、医師に要求される最善の注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であるとした。

6 松倉・前掲注(3)64-65頁。

7 加藤一郎「医師の責任」川島武宜編『我妻先生還暦記念 損害賠償責任の研究(上)』519頁(有斐閣、1957年)、遠藤賢治「医療水準と過失―判例を追って―」自正28巻10号23頁、27-28頁(1977年)、中路義彦「判批」ひろば33巻2 号55頁、58頁以下(1980年)、山田卓生「医療水準と医療慣行」判タ447号39頁、41頁以下(1981年)、中谷瑾子「判批」判評286号(判時1055号)191頁、193頁(1982年)、野田寛「判批」判評369号(判時1321号)208頁、212頁(1989年)。

8 もっとも、患者側の具体的事情も考慮すべきか否かについては、平成7 年判決からは明らかではなく、検討の余地があった。この点について、学説上は、患者側の具体的事情による相対化を否定するものではないとの立場で一致している。たとえば、稲垣喬「判批」判タ884号59頁、66頁(1995年)、山口斉昭「「医療水準論」の形成過程とその未来―医療プロセス論へ向けて―」早誌47巻361頁、364頁(1997年)、田中豊「判解」最判解民事平成7 年度(下)549頁、572頁(1998年)など。

9 今野正規「判批」北法55巻5 号191頁、205頁(2005年)は、乳がんのほかにも「生活の質」に影響するものである場合(たとえば、子宮がんなど)には、本判決と同様の考慮が働く可能性があると分析している。

10 患者が、手術前に、医師に対し交付したものであり、乳がんと診断され、生命の希求と乳房切除のはざまにあって、揺れ動く女性の心情の機微を書きつづったものである。

11 石崎泰雄「判批」首法47巻1 号165頁、179頁(2006年)、大村敦志「判批」法教362号117頁、121頁(2010年)。

12 本判決が、徘徊センサーの装着等が医療水準として「未確立な」措置であったとは述べていないことから、本事案は、平成13年判決の事案とは性質を異にするように見えなくもない。しかし、本事案と平成13年判決の事案は、医療水準として要求されていない措置および療法が問題となっているという点で変わるところはなく、区別する理由はないと考えられる。

13 林・前掲注(1)86頁は、平成13年判決の説明義務は、「人生の根幹に関する生活の質」の維持を目指した決定を保護するものであり、本判決の説明義務は、「生命維持」を目指した決定を保護するものであるから、平成13年判決と性質を異にすると分析している。この見解は、説明を受ける側(患者)から見た保護される利益の性質の違いに着目して本判決と平成13年判決を区別していると考えられ、この点は重要な指摘である。一方、無断離院防止策は、患者の人権を制限する側面を有するため、患者の生活の質に影響をもたらす可能性がある。そうすると、平成13年判決と同様の考慮が働くと考えることも可能かもしれない。

 
© 2024 Author
feedback
Top