The Journal of Inamori Kazuo Studies
Online ISSN : 2436-8261
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ARTICLES
The Research Topics on Kazuo Inamori and KYOCERA from the Perspective of Japanese Business History
Yongdo Kim
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2022 Volume 1 Issue 1 Pages 73-92

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Translated Abstract

From the perspective of Japanese business history, it is of significance to research Kazuo Inamori because he was the entrepreneur of the “eras” of the Showa era and the Heisei in the sense that he made small enterprise grow greatly throughout the Showa era, succeeded in new businesses, revived company that had fallen into a slump, and trained young entrepreneurs in the Heisei era. Moreover, research on Inamori also have great significance in that it is a representative example of establishing managers, which is one of the main types of top managements in postwar Japan.

As a study of Japanese business history, it is also of great significance to elucidate the historical background and conditions of creating and introducing the Kyocera’s unique management method, Amoeba management because Kyocera is a successful company in leading industry of postwar Japan. In addition, as Kyocera is a representative of “V-Type” companies with excellent adaptability to environment, it is very useful to research the history of Kyocera.

As research subjects on Inamori, it is very important to clarify empirically the relationship between the management philosophy of Inamori, the Kyocera Philosophy, and management style of Kyocera. It is significant to examine the attributes Kyocera’s board members over the long periods of the time as well.

Furthermore, with regard to the business structure and the organization of Kyocera, and interfirm relationships between Kyocera and its customers, there remain a lot of important research topics.

1. はじめに

京セラの企業成長を導いた稲盛和夫が戦後日本の代表的な企業家であるということを否定する人はいないだろう。京セラは1950年代末の創業以来、良好な収益率と高成長を維持してきた優良企業である。

こうした稲盛和夫と京セラについて史料を収集・発掘・保存・提供すると共に、関連研究を深めるために稲盛和夫研究会が発足し、同研究会が主催する第1回シンポジウム(2021年8月26日)も開催された。同シンポジウムで筆者は「日本経営史からみた稲盛和夫・京セラ研究の意義と課題」というタイトルで報告を行った1。本稿はその報告を基に整理したものである。

本論文の構成についてであるが、まず2で、日本経営史の一環としての企業家稲盛研究の意義、3では日本経営史からみた京セラ研究の意義について検討する。4と5では、先行研究の成果を踏まえて、及び今後の稲盛についての研究課題、京セラについての研究課題を提示する。

2. 日本経営史の一環としての企業家稲盛研究の意義

(1) 時代の企業家

戦後日本経済の発展をけん引した重要な動力が日本企業の活動にあったことは間違いない。しかし、それだけでなく、シュムペーターが説くように、経済の均衡点をジャンプさせ、経済発展を生み出す重要な主体は企業家であり、戦後日本も例外ではなかった。従って、日本経営史においても企業家が重要であり、戦後日本の代表的な企業家の一人である稲盛和夫についての研究の意義は大きい。

稲盛和夫は、正に戦後日本経営史の主役の一人であったといえる。昭和時代の高度成長期と安定成長期(第1次オイルショックから1980年代後半)はもちろん、90年代バブル崩壊以降の「平成」にも企業家として活躍した。

まず、稲盛は、1950年代末に新会社、京セラの創業に主導的に携わり、後発として参入した京セラを一般電子部品業界の最頂上の企業に育て上げた。稲盛は、明確な経営理念をもって、全員参加経営を志向した上、値決め=経営者の役割を果たした点で2、昭和の代表的な企業家である松下幸之助と類似する企業家であった。

また、稲盛は、2つの面で平成の代表的な企業家でもある。1つは、日本的経営が機能不全に陥り、日本の経営者の活力が後退した1990年代以降に例外的に革新を貫いた経営者であった3。平成期に、新企業を作り出し、新市場を発見、開拓し、結果的に企業を成長させ、新産業を作り出した企業家である。具体的に、それまでの京セラの事業とは違う無線通信事業で第二電電(KDDIの前身)の立ち上げに携わり、同社の成長に貢献した4。既存の権威に「おもねらない姿勢」でNTTへ挑戦した企業家活動である。さらに、稲盛は、経営不振に陥っていたJALの経営再建にも取り組み、2010年代に同社を経営再建の軌道に乗せた5。平成時代に「賢慮のリーダーシップ」を発揮した企業家活動の担い手であったのである6

もう1つ、稲盛を「平成」の代表的な企業家といえる理由は、「盛和塾」を設立し、長年それを続け、次世代の企業家、社会のリーダーを育てることに貢献したことにある。正に社会への発信を通じた企業家活動であり、昭和時代に、松下政経塾を設立して、社会のリーダーの育成を図った松下幸之助の活動に類似している。この点で、松下を「昭和」の代表的な企業家といえるのであれば、稲盛は「平成」の代表的な企業家ということができよう。企業家稲盛についての研究意義をここからも見出せる。

(2) 戦後の代表的企業家タイプの研究としての意義

戦後日本の有力な企業家はいくつかの類型に分けられる。内部昇進のサラリーマンが経営を担う、いわば経営者企業の「俸給型(サラリーマン)経営者」、特定個人が創業し、経営を担う「創業型経営者」、そして、一族の所有が強い同族企業の「オーナー経営者」などである。

戦前に比べ、戦後日本の大企業では、一番目の俸給型経営者の割合が多くなったものの、創業型の経営者も少なくなかった。特に、小企業から成長した企業には創業型経営者が多い。戦後日本を代表する創業型経営者の一人である7といえる。

つまり、稲盛は、京セラという「スタートアップ企業」、「ベンチャー企業」の立ち上げに携わって、同社を成長に導いた創業型経営者であり、「ベンチャー経営者」である。稲盛も主力のタイプの企業家の事例として稲盛研究の意義を見出せるのである。

(3) 企業家と企業経営の関連から

企業家史研究が重要である理由の1つはその企業家が企業を成長させ、経済・社会に大きなインパクトを与えたことにある。稲盛は、「近現代の日本経済社会の発展に大きく貢献した電気関連産業において、企業家個人の哲学に基づいてダイナミック・イノベーションを果たした人物の一人」8であるとされる。それゆえ、企業家個人の経営哲学が生き物の企業の成長をどのように導いたかを明らかにする意味でも、企業家稲盛の研究の意義が主張できる。

その際、企業家のどのような活動が企業成長、経済への貢献を可能にしたかが重要なポイントになるが、特定の経営方法やオペレーションの仕組みが企業家によって作られ、導入、運営されたことが重要である場合が多い。

京都や近隣地域に所在する企業の中で、好業績を記録した企業が少なからずあり、その地域は「京阪バレー」、また、それらの企業の経営方式はそれぞれ「京都モデル」、「京様式経営」と名づけられる。これらの企業の経営には、とりわけ企業家の役割が大きかった。つまり、これらの企業では、「独自の哲学を持つ個性的な創業者」が「強力なトップリーダーシップ」を基に「経営理念を重視する経営」を行っている9。京セラも「京都モデル」、「京様式経営」の代表的な企業であり、稲盛和夫の哲学・原則の社内共有に基づく精神面の強さが京セラの高収益の源泉になった10。アメーバ経営、「時間当り」11採算の適用など、京セラ独特の経営方法、経営手法が施されたが、それは稲盛によって本格的に導入されていた。経営方法・オペレーションの仕組みとの関連から、企業家を分析する重要性があるのである。ここからも、日本経営史の一環としての稲盛の研究の意義を見出すことができる。

3. 日本経営史からみた京セラ研究の意義

(1) 戦後日本のリーディングインダストリーの成功企業

次に、日本経営史からみた京セラ研究の意義をみておこう。なによりも、京セラは戦後日本のリーディングインダストリーであるエレクトロニクス産業(電子産業)における代表的な成功企業である。電子産業は自動車産業と共に戦後日本のリーディングインダストリーであり、電子部品産業はその電子産業の一角をなした。主に、専門電子部品企業として、京セラは、高度成長期、さらに安定成長期にかけて成長を続け、中小のスタートアップから大企業になった。例えば、創業後3年目の1962年には売上高(単独)1億円規模だった同社は、10年後の72年には売上高100億円を超え、80年には1,000億円を突破し、2000年には連結売上高1兆円に達した。収益性も高く、創業以来、ほぼ毎年10%以上の売上高利益率を記録し続け、60年代後半~80年代前半には同利益率が20%台~30%台の高水準を維持し(表1)、「無借金」経営を続けた。

表1  京セラの業績推移(1959年~2000年)
単位:100万円、%
会計年度 売上高(a) 税引き前利益 売上高利益率
連結 単独 連結 単独 連結 単独
1959 26 3 11.5
1960 50 8 16.0
1961 81 11 13.6
1962 119 23 19.3
1963 161 18 11.2
1964 248 28 11.3
1965 298 31 10.4
1966 644 190 29.5
1967 1,044 222 21.3
1968 1,921 711 37.0
1969 4,419 1,629 36.9
1970 7,002 2,244 32.0
1971 6,852 1,999 29.2
1972 11,255 3,557 31.6
1973 23,882 8,373 35.1
1974 20,805 6,172 29.7
1975 29,633 9,811 33.1
1976 48,651 40,189 17,965 14,749 36.9 36.7
1977 46,740 38,683 12,606 1,109 27.0 2.9
1978 59,408 50,342 14,939 13,446 25.1 26.7
1979 114,165 81,914 29,763 24,093 26.1 29.4
1980 145,721 100,567 28,538 24,966 19.6 24.8
1981 158,060 101,845 32,759 27,273 20.7 26.8
1982 173,472 133,230 43,257 34,581 24.9 26.0
1983 251,180 246,660 62,230 50,650 24.8 20.5
1984 325,719 283,285 82,278 70,632 25.3 24.9
1985 279,103 246,680 42,934 39,443 15.4 16.0
1986 276,192 242,579 37,843 32,932 13.7 13.6
1987 300,409 271,165 50,369 41,791 16.8 15.4
1988 338,704 299,211 61,237 48,306 18.1 16.1
1989 421,032 303,760 71,573 52,930 17.0 17.4
1990 461,233 330,891 65,239 55,629 14.1 16.8
1991 453,499 317,070 57,978 40,785 12.8 12.9
1992 431,599 300,550 49,192 36,435 11.4 12.1
1993 427,698 300,621 68,380 39,971 16.0 13.3
1994 498,566 353,653 81,179 52,173 16.3 14.8
1995 647,155 474,548 163,769 116,431 25.3 24.5
1996 714,765 524,030 116,425 95,668 16.3 18.3
1997 725,312 491,739 105,380 63,617 14.5 12.9
1998 725,326 453,595 61,800 51,855 8.5 11.4
1999 812,626 507,802 97,468 66,140 12.0 13.0
2000 1,285,053 652,510 400,222 47,384 31.1 7.3

注:各会計年度は3月決算。

出所:京セラ株式会社(2010b)、597–598頁。

無論リーディングインダストリーに属していたからといって、高成長、良好な収益性が保証されるわけではない。むしろ、安定成長期に、同業種内の企業間業績格差は広がった12。同じ産業でも成長する優良企業とそうでない企業がはっきり分かれたのであり、京セラは明らかに前者の企業に含まれる。創業後、長期にわたって高成長を続けると共に、高収益性を記録したことから、京セラについての研究の意義を見出せるのである。

(2) 「京様式経営」、「京都モデル」、「京阪バレー」の企業としての京セラ

1990年代の不況下、多くの企業が業績不振に苛まれる中で、京セラは好業績を出し続けており(表1)、日本の大企業の中で占める地位も上昇した。例えば、資産額で、京セラは日本企業の中で90年の76位から2001年の38位に上昇した13

前述したように、京都や近隣地域の企業の中で、好業績を記録した企業が少なくなかった。自信を喪失した日本企業を再生する解、あるいは日本経済復活のカギをそこで探り、同地域を米シリコンバレーになぞらえて、「京阪バレー」と名づけ、また、その企業群の経営を「京様式経営」、「京都モデル」と呼ぶようになった14。ローム、日本電産、村田製作所、日東電工、任天堂、キーエンスと共に京セラもその代表的な企業である。

これらの企業は好業績の源泉になる経営上の特徴があるとされる。例えば、「京阪バレー」には「即断即決のオーナー型」の企業が多く、「キャッシュフロー」を重視し、「特化型」の事業展開を行っている15。「京様式経営」では、「独自の哲学を持つ個性的な創業者」が「キャッシュフロー会計、実力主義などの合理的経営」を行い、「自主独立路線で自己資本比率が高い」16。また、「京都モデル」の企業は、「市場志向性の高い製品や技術をスピーディに創造する経営システム」を構築しており、経営者の「強力なトップリーダーシップ」の下に「経営理念を重視する経営」がなされている17。不況期を切り抜けてきた優良企業の独特な経営方式を明らかにする上で京セラの研究がもつ意義を見出すこともできるのである。

(3) 京セラのアメーバ経営の研究意義

アメーバ経営は日本的経営システムの1つであり、世界に発信すべき日本的経営システムの典型例といわれる18。京セラはこのアメーバ経営システムを自ら造り出し、初めて導入、運営した企業であり、アメーバ経営はその後、多くの日本企業に普及され、その効率性が証明されている。

こうしたアメーバ経営はトヨタ生産システムとの相違点も少なくない。例えば、京セラのアメーバ組織は、自律的組織単位であると同時に事業として完結した単位となっている自律連結型組織である。それに対して、トヨタの組織は自律分散型組織に含まれる19。そこから、アメーバ経営は京セラの特殊性が強く現れる経営方式といえる。

しかし、他方では、京セラのアメーバ経営は他の優れた日本企業の経営システムと多くの共通点を有しているといわれる。また、余剰生産能力が創出され、機会損失として認識し回避するメカニズムが内包されている点では、トヨタ生産システムとの共通点をももつ20

このように、日本の優れた経営方式としての特殊性と一般性をもつアメーバ経営の重要性からも戦後日本経営史研究上の京セラ研究の意義が主張できるだろう。日本経営史の研究として、京セラが生み出した独特な経営システムを創出、導入した歴史的な経緯や実態を解明することの意義は大きいのである。

(4) 「V型」適応パターン企業の研究としての意義

加護野・野中・榊原・奥村(1983)によれば、京セラは「V(Venture,ベンチャー)型」適応企業の代表例21である。それゆえ、環境適応に優れた企業としての京セラについての研究意義がある。

加護野・野中・榊原・奥村(1983)は、戦略と組織編成という2つの次元から、企業を4つの適応パターン(類型)に分類する。すなわち、横軸に組織編成に関するグループ・ダイナミクスとビュロクラティック・ダイナミクスを取り、縦軸に戦略に関するオペレーション志向とプロダクト志向を取った4つの象限を持つマトリックスを示し、それがそれぞれH(Human Relation,ヒューマン・リレーション)型、V型、B(Bureaucracy,ビュロクラシー)型、S(Staff,スタッフ)型の4類型の適応パターンの企業を表すという。

H型の適応パターンはグループ・ダイナミクスによる組織編成とオペレーション志向の組み合わせであり、V型の適応パターンはグループ・ダイナミクスによる組織編成とプロダクト志向に対応するものである。B型の適応パターンはビュロクラティック・ダイナミクス組織編成とオペレーション志向の組み合わせであり、S型の適応パターンはビュロクラティック・ダイナミクスとプロダクト志向の組み合わせに対応する22

H型とV型は主に日本企業の適応パターンであるのに対して、B型とS型が主に米企業のそれである。それゆえ、日本企業はグループ・ダイナミクス、米企業はビュロクラティック・ダイナミクスの企業が多いことになる。加護野らによれば、H型の代表的な日本企業は、松下電器、トヨタ、サントリー、レナウン、花王石鹸が挙げられ、V型適応パターンの代表的な企業としては京セラとTDKがあげられる23。また、京セラのようなV型適応企業は、予測不可能な大きな変化が断続的に発生する環境に適合しているとされる24

4つの環境適応タイプはいくつかの側面で重要な違いがあり、京セラなど「V型」適応は以下のような特徴をもつとされる25。①組織的統合と情報プロセッシングの手段について、「V型」適応では、チームやタスク・フォースの形成によって組織的統合と情報処理が行われ、集団間のゆるやかな統合が各集団や個人が能動的に変化を創始するための手段となっている。また、頻繁な相互作用と価値・情報の共有がなされる。②影響力の分布と組織形態に関して、アメーバのような企業内各チームは高度の自律性をもっているため、「V型」適応企業は「小さなチームの連合体」である。③知識・情報の蓄積のパターンについて、「V型」では知識や情報の蓄積は個人あるいはチームの学習活動に依存している。④トップ・マネジメントのリーダーシップについて、「V型」ではトップが強固で企業家的なリーダーシップを発揮する。前述した「京都モデル」の特徴と重なる。⑤機会や脅威への対応方法として、「V型」では機会や脅威に能動的に対処しており、製品イノベーションが実験主義的に行われる。⑥環境適応の鍵と競争優位に関して、「V型」適応企業では製品の独自性が環境適応の鍵になるため、技術や製品へのコミットメントが形成される。また、競合相手をイノベーションで先行することによって、競争優位が確立される。従って、⑤の特徴と合わせると、「V型」適応企業は、新製品開発に重点をおき飛躍的で革新的な変化を生み出すことによって環境適応を図る企業といえる。⑦情報志向と価値志向に関して、「V型」では、鮮度の高い技術情報や顧客情報が重視され、リスクへの挑戦が支配的な行動規範となる。

京セラが創業後に、どのような理由と論理でどのようなプロセスを経てこうした特徴をもつ「V型」適応企業になったかを明らかにすることは、戦後日本企業の成長と環境適応の関連を解明する上で重要な研究上の意義をもつといえる。

4. 日本経営史からみた稲盛研究の課題

(1) 稲盛の経営哲学と京セラの企業活動の関連

それでは、企業家稲盛、そして京セラについての研究を進める上で、日本経営史からみた重要な分析課題はどのようなものがあるか。

まず、企業家稲盛についての研究課題として、第1に、企業家稲盛の経営哲学と経営活動の関連を解明することが挙げられる。

企業家の経営理念や経営哲学は多様な形で経営活動の中で実践される。例えば、稲盛も松下も明確な経営理念と志をもち、これを企業経営において実践したとされる26。それによって、企業家の経営理念、経営哲学が企業活動に影響する。

しかし、企業家と企業経営の間の関係はストレートなものではなく、企業家の経営思想や経営哲学が企業活動に反映される部分とそうでない部分があるはずである。それゆえ、企業家稲盛の経営哲学、経営思想が京セラの企業活動にどのように影響し、実行されたかを明らかにすることが実証的に解明される必要がある。

① 稲盛の経営哲学と京セラの企業戦略の関連

具体的に、企業戦略の設計は企業活動の方向性と深く関わり、その戦略の設計には企業家の役割が重要である。実際、濱田は、ベンチャー経営者の典型例として、稲盛が多角化による成長戦略を推進した戦略的意思決定を高く評価する27。そこには企業家の経営哲学が影響したはずであるが、稲盛の経営哲学が京セラの企業戦略の設計・設定にどのようにつながったかは詳らかでない。また、戦略の設定と実行間にどのような相互作用が行われ、それが稲盛の経営哲学とはどう関連しているかも明確でなく、実証的に明らかにすべき研究課題である。

② 稲盛の経営哲学と京セラの経営方式・企業文化の関連

京セラでは、京セラフィロソフィとアメーバ経営が二本柱となっており、両者が車輌の両輪で、お互いに相まって同社を前進させたとされる28。また、後者のアメーバ経営は前者の京セラフィロソフィをベースにつくられ、さらに、前者の経営哲学をもとに行われているといわれる29。京セラの哲学、企業文化に支えられる形で同社の独特な経営方式が実現され、機能してきたといえる。こうした京セラフィロソフィ及び同社の企業文化は企業家稲盛の経営哲学を反映しており、それゆえ、稲盛の経営哲学が強く影響したとみてよかろう30

しかし、企業家の経営哲学が企業内、企業の構成員にどのように浸透したかについては、必ずしも明らかでない。これがまず重要な研究課題として挙げられる。実際、企業構成員が自然に創業者の経営哲学を理解してくれたとは思えない。例えば、京セラフィロソフィは「人間として正しいことを正しいままに追求する」ことであり、「従業員」を中心におき、それを価値判断の基礎としているものであるとされる31。こうした抽象的な哲学を企業構成員が自然に理解して実践することは期待しにくい。稲盛自身も「みんなが私の言っていることを理解してくれない」時期があったと証言している32。そのため、経営哲学の社内への浸透には企業家自身の努力、工夫が必要であった。例えば、稲盛は、「全従業員に経営者マインドを持ってもらい、経営者と同じ意識レベルで働いてもらえるために、全社の実態に関する情報をできるだけ開示」した33

また、京セラフィロソフィは単にトップダウンで組織全体に浸透したのではなく、現場の組織構成員がフィロソフィを咀嚼する過程で自ら試行錯誤をしながら経営管理プロセスに刻まれたとされる。しかし、この試行錯誤を含める、経営哲学の浸透過程が解明されていない。それゆえ、経営哲学が企業の構成員にどのように浸透したかが解明すべき研究課題になるのである。

次に、京セラフィロソフィが同社の経営方式の実現にどう結びついていたかも詳らかになっていない。従って、稲盛の経営哲学と京セラの経営方式の関連を明らかにすることがもう1つの重要な研究課題になる。

先行研究では、稲盛の経営哲学が社内で浸透し、定着した京セラフィロソフィがアメーバ経営を十全に機能させ、実行する上でプラスの貢献をしたことが強調される。例えば、京セラフィロソフィは、京セラ内の経営管理報告体系と相互作用しながら、アメーバ経営を機能させたとされる34。また、各アメーバは徹底した独立経営であり、利己的な意識が芽生えるとバラバラになりがちであるが、こうしたアメーバ間の利害対立、アメーバと他組織間の利害対立というリスクに歯止めをかける役割を果たしたのが京セラフィロソフィであったことが強調される35。それに、すべての組織構成員が経営に参画するプロセスがアメーバ経営であったといわれる。アメーバ経営の真髄は全員参加経営にあり、全員参加経営の実現がアメーバ経営の重要な目的でもあった36。こうした全員参加経営を可能にしたのが京セラフィロソフィであった。つまり、京セラフィロソフィ、「経営理念」、価値観を従業員が共有することによって、従業員と経営者、従業員相互間の信頼関係が構築され、このことで従業員の経営者意識を高め全員参加経営の実現が可能になった37

ところが、京セラフィロソフィ内には矛盾が常に存在する可能性がある。例えば、澤邉が正確に指摘するように38、大家族主義と市場基準競争主義、理想主義と現実主義の間の矛盾が存在する。こうした矛盾が従業員に対して問題を顕在化させ、同時に問題解決の機会を提供するというプラスの結果をもたらす場合もあるが、必ずしもそのようないい結果をもたらすとは限らない。京セラフィロソフィをどのように解釈し、どのように実践しようとするかによって、アメーバ経営の運営は一様でなくなる。京セラフィロソフィが同社の経営方式の実現とどう絡んでいたかを現場の記録と証言に基づいて解明する課題が浮き彫りになる。

(2) 京セラのトップマネジメントの属性分析

企業家稲盛に関わるもう1つの研究課題は、京セラのトップマネジメントの属性とその変化を実証することである。

稲盛の経営哲学を社内に浸透させ、それを具体的な事業活動で実現する上で重要な担い手は役員であった。企業成長のための組織能力の蓄積の仕方を決める重要な主体も役員である。それに、企業戦略の設計には企業家だけでなく、役員も深く関わる上、戦略の実行に際しても役員の役割が重要である。こうした役員の行動特性と役割をとらえる上で、役員属性の分析が1つの手がかりになる。

他方、創業当初、稲盛の強いリーダーシップをもとに経営が行われたが39、後の時期、つまり、稲盛が経営トップの座を退いてからは、稲盛の経営への直接的な影響力が小さくなり、経営の主導権が稲盛個人から役員集団へと移った。さらに、企業成長に伴い、役員数が増える40と共に、増加した役員集団の属性も変化し、それが京セラの経営の変化に影響したはずである。つまり、その役員集団の構成と属性の変化が、経営の変化の重要要因になった可能性が高い。従って、京セラの経営にどのような変化があったかを解明する重要な手がかりを役員構成の変化、役員属性の変化に求めることができる。京セラの役員属性の変遷を分析することが研究に値するのである。

5. 日本経営史からみた京セラ研究の課題

次に、日本経営史の研究状況からみた、京セラについての実証課題を検討しておこう。事業構造に関わる研究課題、企業組織に関わる課題、企業間関係に関わる課題に分けて、順を追ってみておこう。

(1) 事業構造:多角化の実態と論理

京セラの成長と共に、同社が携わる事業数も増えてきた。多角化である。創業時の京セラを支えていたのはブラウン管の絶縁用セラミック部品事業であったが、その後、他社が開発を断った商品の開発を引き受けるなど積極的に多角化を行った41

時期別の京セラの多角化の展開をみれば、1960年代のセラミック製品の時代から、70年代早々から、多角的、多面的展開を行った。70年代のセラミック関連製品多角化の時代、80年代の情報通信機器・電気通信事業への進出の時代を経て、90年代には移動体通信機器への展開の時代に入った42。2000年代以降には、ファインセラミック応用品関連事業や情報機器関連事業への多角化を積極的に行っている(表2)。その結果、売上高の事業別構成で、部品事業が6割を占めるものの、電子機器や情報通信事業の構成比も高くなった。

表2  京セラ(連結)のセグメント別売上高構成(1997年~2017年)
単位:%
会計年度 1997 2000 2005 2010 2015 2017
ファインセラミック部品関連事業 6.8 7.2 6.2 4.9 5.9 6.9
半導体部品関連事業 19.7 18.5 10.8 13.1 14.3 17.3
ファインセラミック応用品関連事業 5.9 7.1 8.0 14.6 18.2 15.8
電子デバイス関連事業 29.1 33.4 22.3 18.6 18.6 20.3
その他、調整及び消去 0.6 0.7
(部品事業計) 62.1 67.0 47.3 51.3 57.0 60.2
通信機器関連事業 23.5 20.7 21.3 17.6 13.4 10.2
情報機器関連事業 7.4 6.9 20.4 21.6 21.8 22.8
光学機器関連事業 7.0 4.8 3.0
その他、調整及び消去
(機器事業計) 37.9 32.4 44.7 39.3 35.2 33.0
その他の事業 1.4 10.0 11.6 11.3 9.7
調整及び消去 −0.8 −2.0 −2.1 −3.5 −3.0
合計 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0

注:各会計年度は3月決算。米会計基準

出所:京セラ株式会社『有価証券報告書』。

京セラの多角化の道は大きく2つであった。1つは外部の企業を買収するか、資本参加することであり、もう1つは、最初から新事業を立ち上げることであった。

まず、前者の企業買収、あるいは資本参加については、技術面や市場面でそれまでの事業と関連をもつ事業への関連多角化のケースもあるが、倒産の危機に瀕していた企業を買収するケースも少なくなかった。その場合、結果的に、買収された企業の業績が好転し成長した例もあるものの、戦略的な多角化とは評価しにくいケースも少なくなかった。例えば、太陽光発電事業は、複数企業間の共同開発から、他企業が手を引いた結果、京セラ単独の事業化になったケースである。また、CBラジオ市場の変化のために危機に瀕した、電子機器メーカーのサイバネット工業に79年に資本参加したことも、京セラの戦略的な意図が明確でない行動であった。他に、業績不振に陥ったカメラメーカーのヤシカが京セラに救済を求め、京セラが同社をグループ会社として取り込んだ。稲盛は京セラのセラミックやエレクトロニクス技術とヤシカのメカトロニクス技術を融合することで、新領域を開拓することを企図していたとするが43、同買収が事前の意図された戦略に基づいた多角化であったかについては疑問が大きい。また、2000年の複写機器三田工業の買収についても同じことがいえる。経営危機に陥った三田工業は稲盛に「支援」を要請し、京セラがその要請を受け入れ、同社を京セラの100%子会社とした(「京セラミタ」に社名変更44)。その後、同社の業績は回復し、2002年3月には、予定より7年も早く更生計画を終了し、優良企業へと生まれ変わった。買収した企業の業績は好転したものの、同買収が京セラの成長戦略の一環としての多角化であったかについては疑問が残る。多くの企業買収を行い、多角化を進めてきた京セラで、その戦略や論理については不明な点が多い。今後の重要な研究課題に値する。

他方、京セラ社内から新事業を立ち上げ、拡大していく形の多角化行動も少なくなかった。宝石事業への進出のような、既存事業との関連が弱い多角化もあったものの、新事業への進出の多くは、既存事業との技術面、あるいは市場面で関連性のある事業への多角化であった。例えば、71年11月に滋賀工場に回路部品事業部を発足させ、厚膜ハイブリッドIC事業を開始したこと、75年にフィルタ事業部を発足させ、SAW(Surface Acoustic Wave、弾性表面波)の事業に取り組んだこと、75年3月に振動子事業部を発足させ、水晶振動子事業を開始したこと45などが代表的である。また、創業以来培ってきたセラミック技術を生かして、75年に人工骨などのバイオセラミック分野、自動車用エンジン部品事業へも進出した46。従って、京セラ自ら新事業を立ち上げて多角化する場合は「なぜ多角化を行った」かの多角化の論理が明確に観察できる。しかし、多角化の論理は多角化の成功の論理と同じではない。なぜ多角化を行ったかが分かったとしても、なぜその多角化の行動が成功になったかあるいは失敗に終わったかの理由を別に解明しなければならない。京セラの多くの多角化行動の成果を分けた理由と論理を解明する必要があり、これが京セラの事業構造に関連するもう1つの重要な研究課題である。

(2) 組織:アメーバ組織

① 部門別採算制度のプロフィット・センター

京セラのアメーバ組織はその優れた成果で知られる。それゆえ、研究者からの注目を集め、アメーバ組織、アメーバ経営についての研究が蓄積されてきた。ここでは、先行研究の検討を踏まえて、京セラのアメーバ組織についての今後の研究課題を抽出しておこう。

アメーバ組織が、末端の班や係のみならず、課、部、事業部、事業本部、というように階層的に構成されており、さらには会社全体を1つの大きなアメーバとして捉える見方もあるが47、一般的には、少人数で構成される小さな集団とみる。すなわち、大きな組織を(製品別、工程別に)小さな組織、例えば、セラミック製品の製造工程である原料工程、成形工程、焼成工程、加工工程の4工程別に分割した、独立採算制の最小単位組織をアメーバという。

表3でアメーバ数を当時の京セラの従業員数で割って単純計算すれば、数十名程度の規模であった。ただ、組織によって規模のばらつきがあり、小さい場合には、職場の1つの工程を担当する3名が1つのアメーバとなって、大きい場合は50名からなっていた48

表3  京セラのアメーバ数及び規模
単位:人
会計年度 従業員数(a) アメーバ数(b) アメーバ当り従業員数(a/b)
1959–60 36 2 18.0
1960–61 56 2 28.0
1961–62 87 2 43.5
1962–63 105 2 52.5
1963–64 160 2 80.0
1964–65 185 2 92.5
1965–66 223 5 44.6
1966–67 341 8 42.6
1967–68 462 14 33.0
1968–69 535 17 31.5
1969–70 855 21 40.7
1970–71 1,265 80 15.8
1971–72 1,303 78 16.7
1972–73 2,073 115 18.0
1973–74 2,670 130 20.5
1974–75 2,316 126 18.4
1975–76 2,785 137 20.3
1976–77 3,033 151 20.1
1977–78 3,144 175 18.0
1978–79 3,712 216 17.2
1979–80 4,554 269 16.9

出所:青山(1987)、214頁;潮(2010)、129頁。

京セラでアメーバ組織が本格的に導入されたのは時間当り採算制度と同じ時期であったとされる49表3で確認できるように創業時から2つのアメーバ組織がつくられていたが、60年代前半にはほとんど増えず、60年代後半以降増加している。時間当り採算制度は60年代前半に導入され、稲盛が社長になって全社に普及したとされることから、本格的にアメーバ組織が普及したのは60年代後半からであったといえる。

このアメーバ組織は市場に直結した部門別採算制度が運営される単位組織であり、アメーバ部門別採算制度の確立がアメーバ経営の第1の目的であった50。その際、部門別採算はアメーバ利益と同じ意味であり、従業員給与、経営者報酬、そして内部留保から構成された51。つまり、部門別採算は「通常」の付加価値と同じなのである。

こうしたアメーバ利益の計算において、京セラのアメーバ経営の特徴が現れる。すなわち、従業員給与、あるいは労務費は費用・経費に含まれるのではなく、アメーバ利益の一部になっており、アメーバ利益が経営者と労働者に帰属することを示しているのである52

逆に、通常の総利益の計算では費用に含まれない自己資本利子がアメーバ利益の計算では費用として控除されている。例えば、各アメーバは自分が保有する設備、自分が管理する資産に対して社内金利(=資本コスト〈簿価の年率6%の金利償却費〉)を負担する53

アメーバが部門別採算制の組織単位である以上、アメーバリーダーの経営責任も明確化される。アメーバ組織がそれぞれの業績責任、利益責任を負うことになり、リアルプロフィット・センターとして1つの中小企業のように、自主的に事業を展開している54。伝統的管理会計でプロフィット・センターは事業部で、工場内の各組織単位はコスト・センターとして位置づけられることと対照的である。

「各アメーバの損益計算書」が月ごとに「全社的に公表される」ため、他アメーバとの比較が可能になり、各アメーバの長は何をしなければならないかを常に考えざるを得なくなる。よって、各アメーバのリーダーは、「自分も経営者の一人」という意識をもつようになる。そうなると、リーダーに経営者としての責任感が生まれてくるので、業績を少しでも良くしようと努力する「経営者意識」が芽生え、経営者意識をもつ人材が育成される55

また、部門別採算制はアメーバ間の競争を促進するが56、それによって、各アメーバの自己利害主張の強化とアメーバ間の利害対立の可能性も高まる。それゆえ、京セラでは如何にこうした利害を調整し、利害対立を緩和したかを解明することがアメーバ組織についての重要な実証研究課題になる。

他方、アメーバ組織を部門別採算制の単位組織にすることによって、アメーバごとの実績がタイムリーに把握できる上、製造部門も利益計算ができ、利益管理が可能になる。アメーバ経営が全社的利益管理システムとして機能するのである57。従って、アメーバ経営は、アメーバ間の利益管理の連鎖を通じた全社利益の最大化が図られるPCM(Profit Chain Management)の方式とみることができる。

ただ、このPCMの仕組みがうまく機能するためには、全社の各レベル間コミュニケーションが活発であることがカギになるが58、京セラでは実際にどうであったかを明らかにする必要があり、これも実証研究の課題になる。

② 全社事業部制組織との関連

全社組織との関連については、アメーバ組織を事業部制組織の延長線上に位置づけ、事業部制を発展させた組織形態とみる先行研究が多い59。例えば、クーパーによれば、京セラが成長し、企業規模が拡大すれば、事業部制下の各事業部自体も大きくなり、それに伴う組織上の問題点に対して、アメーバ組織を増やし、かつアメーバシステムを強化することによって対応した60。事業部制の発展の延長線上にアメーバ組織、アメーバ経営があったとみるのである。

しかし、「アメーバ組織を事業部制組織との関連で位置づけるのは適切ではない」と問題提起する論者もいる。例えば、上總・澤邉(2005)は、アメーバ組織は「職能部門別組織の下で、製造部門や営業部門の下位組織として展開」されたものであり、「職能部門別組織が発展した組織として位置づけるべきである」と主張する61。京セラのアメーバ組織と全社組織との関連が明確ではないのであって、従って、これも実証的に解明すべき課題に値する。

また、一般に、戦後日本大企業では「職能別事業部制」をとる企業が多かったとされるが、こうした組織体系と比較して、アメーバ組織を組み込んだ京セラの組織をどう特徴づけるかも研究課題になる。

それに、前述したように、各アメーバは自主的に事業を展開するが、しかし、他方では全社組織によってその自主性が制限され、限定された範囲での自主性をもったといわれる62。従って、各アメーバ組織がどれほど自主的な活動を行い、どこまで、どのようにその自主性が制限されたかも実証的に明らかにする必要がある。

(3) 企業間関係

京セラは創業後、積極的に多角化を進める中でも、一貫して企業を顧客とするBtoB事業に軸をおいてきた。初期には事業のほとんどが部品事業であり、その後、機器事業の比重を高めて、表2でみるように、全社売上高の3分の1も占めるようになった。しかし、主な顧客が企業である点では変わりはない。さらに、京セラの場合、その部品と機器の顧客企業向けの受注生産型事業が多かった。従って、特定需要企業の信頼を獲得し、長期的な関係を結ぶことが重要であった。企業間関係の「組織的」な側面が重要であったといえる。

他方で、京セラの主力事業の電子部品では、標準部品も多い。その標準部品は不特定多数の需要企業に見込み販売され、また、京セラは大規模の企業集団にも属していないため、こうした集団に属する需要企業もない。その結果、顧客企業との間にはドライな市場関係が結ばれる。

従って、京セラの販売活動をめぐる企業間関係は、市場的な側面と組織的な側面を共にもっており、その両側面が絡み合っている可能性が高く、その絡み合いの様相を分析することが重要である。特に、系列、グループ取引が多い日本企業で、組織的な長期相対の企業間関係が強いといわれることから、京セラの企業間関係の特殊性と一般性を解明することの意義は大きい。

また、創業初期、まだ企業規模が小さく、市場内での地位が低かった段階で、京セラは主要な顧客企業との間で「下請的」な取引企業の立場であった。それゆえ、顧客企業との取引の際の交渉力が圧倒的に弱かった。しかし、その後、京セラが技術力を高め、急速に成長を続け、市場内の地位を高めることによって、取引交渉力は急速に高まり、大手顧客企業との取引関係も対等なものに変化した。こうした交渉力の変化が、京セラと顧客企業間の企業間関係にどのように影響したか、また、その変化の中で、特に、創業初期の企業間関係の経験が、その後新市場開拓や新顧客獲得にどのようにつながったかを解明することが興味深い研究課題である。

他方、1970年代初頭までは、京セラの主な市場は国内であり、国内企業との取引関係が圧倒的に重要であった。しかし、表4でみるように、輸出が急速に伸び、70年代半ばを境に海外需要が国内需要を凌駕するようになった。輸出市場の需要企業との関係がより重要になったのである。

表4  京セラの輸出額と対全社売上高比重(1965年~1975年)
単位:100万円、%
年度 京セラの輸出額 輸出額の対全社売上高比重
1965 28 19
1966 95 15
1967 165 16
1968 270 14
1969 871 20
1970 1,436 21
1971 1,975 29
1972 4,204 37
1973 10,078 42
1974 13,369 64
1975 14,104 48

国内市場での日本企業同士の企業間関係と、海外市場での顧客企業との関係は当然違いが出てきたはずである。従って、国内での日本企業同士の企業間関係と、海外での外国企業との企業間関係の共通点と相違点を解明すること、そして、国内の需要企業との企業間関係の経験が輸出市場での企業間関係にどう影響して、どうつながったかを実証的に分析することも研究に値する。

6. おわりに

日本経営史研究からみて、戦後日本の代表的な企業家の一人である稲盛和夫についての研究の意義は大きい。まず、昭和期を通して中小企業を成長させ、平成時代には新事業で新企業を成功させると共に不振に陥った企業を再生させ、また後進の企業家を養成したという点で稲盛は「時代」の企業家であった。そこにまず企業家稲盛の研究の意義がある。また、戦後日本の主力のタイプの1つである創業型経営者の代表例である点でも、稲盛研究の意義を見出すことができる。それに、企業家個人の経営哲学と個別企業特有の経営方法、経営手法との関連を解明できることからも、日本経営史の一環として稲盛についての研究の意義を見出せる。

また、京セラは戦後日本のリーディングインダストリーの成功企業であり、「京様式経営」、「京都モデル」、アメーバ経営という独特な経営方法を具現した企業である。従って、日本経営史の研究として、京セラの独特な経営システムを創出、導入した歴史的な経緯や実態を解明することの意義は大きい。また、京セラは環境適応に優れる「V(ベンチャー)型」企業の代表例であり、それゆえ、戦後日本企業の成長と環境適応の関連を解明する上で重要な研究上の意義をもつといえる。

次に、日本経営史からみた、稲盛についての研究課題としては、企業家稲盛の経営哲学、京セラフィロソフィ、京セラの企業活動の関連を解明すること、また、京セラのトップマネジメントの属性とその変化を解明することが挙げられる。

京セラについては、同社の事業構造、組織、企業間関係に関わる研究課題が重要である。第1に、事業構造については、多くの企業買収を行い、多角化を進めてきた京セラで、その戦略や論理については不明な点が多い。今後の重要な研究課題に値する。また、京セラ社内から新事業を立ち上げ、拡大していく形の多角化で、その成果を分けた要因についての分析が残されているもう1つの研究課題である。第2に、京セラの組織については、アメーバ組織間の利害調整、あるいは利害対立の緩和の仕組みやメカニズム、またアメーバ組織と全社事業部制組織との関連などを実証的に解明することが重要であるように思われる。第3に、企業間関係については、同社の販売活動における「市場的」な側面と「組織的」な側面の関連を実証的に分析すること、同社の成長に伴う取引交渉力の変化とその影響を分析すること、国内需要企業との企業間取引と、輸出市場における需要企業との企業間取引の間の関連及び、両者間の相違点と共通点などを実証的に分析することが重要な研究課題になる。

(1)  同シンポジウムでの筆者の報告について多くの参加者から貴重なコメントを頂いた。感謝の意を表したい。

(2)  長谷川(2011)

(3)  橘川(2011)

(4)  稲盛は、1984年にウシオ電機、セコム、ソニーなどとの合弁で第2電電企画(DDI)が設立された際に会長に就任し、87年の関西セルラー電話の設立にも携わった。

(6)  Takeuchi(2014)Nonaka and Takeuchi(2019)は、知識創造経営のSECIモデルの適用例としてJALの再生を取り上げ、稲盛の「賢慮のリーダーシップ」を論じており、善の判断、本質の把握、「場」の創造、本質の伝達、「政治的」力の行使、実践的賢慮の育成を賢慮のリーダーシップの6つの実践ととらえる。

(7)  加護野(1998)

(8)  高橋(2020)

(11)  京セラでは単位組織の成員一人の1時間当たり付加価値を「時間当り」と呼んでいる。この「時間当り」は人件費を除くすべての経費を総生産から控除した差引売上を総労働時間で割ったものである(稲盛、2010、10;加藤、1979、222–223)。

(16)  末松(2002)

(18)  廣本・挽(2010)、26、29頁。

(19)  廣本(2004)、595–596頁;廣本・挽(2010)

(20)  廣本・挽(2010)、54頁;上總(2017)

(21)  加護野・野中・榊原・奥村(1983)加護野(1983)島本(2005)も、京セラを「V型」適応企業に似通う企業とみる。すなわち、京セラを「日本におけるテクノロジー」ベンチャー企業のケースとして位置づけ、人材、設備、資金、情報等経営資源を連鎖的に確保し、変化の激しい経営環境にフィットさせることで急成長したとする。

(24)  それに対して、H型は小さな予測不可能な変化が継続して発生している環境に適合し、S型は予測と分析が可能な変化が発生する環境に、B型は変化の小さい安定的な環境にそれぞれ適合しているとされる(加護野、1983、52)。

(26)  長谷川(2011)、289頁。

(27)  濱田(2002)

(28)  京セラ(2010a)、77頁;長谷川(2011)、287頁。

(29)  森田(2010)、261頁;加護野(1998)、375頁;長谷川(2011)、287頁。

(30)  Cooper (1995), pp. 306–307.

(31)  谷・窪田(2010)、221頁;加護野(1998)、375頁;澤邉(2010)、93頁。

(32)  森田(2010)、271頁。

(33)  森田(2010)、271–272頁。

(34)  Cooper (1994), p. 9; Cooper (1995), pp. 108, 306.

(35)  長谷川(2011)、288頁;Cooper(1995)、p. 282;廣本・挽(2010)、33–34頁;京セラ(2010a)、12頁。

(36)  上總(2010)、74頁;長谷川(2011)、289–290頁。

(37)  森田(2010)、271頁;加護野(1998)、375頁。

(38)  澤邉(2010)

(39)  稲盛が京セラの社長になったのは1966年であったが(京セラ、2010a、80)、すでにそれまでも実質的に経営トップの役割を果たしていたとみて間違いない。

(40)  1959年4月の創業時、京セラで取締役以上の役員は4名にすぎなかった(宮木男也代表取締役社長、青山政次取締役専務、稲盛和夫取締役技術部長、西枝一江取締役)(島本、1998、114–115)。

(41)  加護野(1998)、366頁。

(42)  島本(1998)、102頁;京セラ(2010a)、142頁。

(43)  長谷川(2011)、285頁。

(44)  2012年には京セラドキュメントソリューションズに社名変更した。

(45)  京セラ(2010a)、120–124頁。

(46)  加護野(1998)、378頁。

(47)  谷(1999)、47頁;三矢(2003)

(48)  Cooper(1995)、pp. 303、305;加藤(1979)、222頁;加護野(1998)、373頁。

(49)  京セラ(2010a)、78頁。

(51)  上總(2010)、74頁。

(52)  上總(2010)、70頁;澤邉(2010)、96頁。

(53)  上總(2010)、71–72頁;潮(2010)、134頁。

(54)  京セラ(2010a)、78頁;稲盛(2010)、8頁;Cooper(1995)、pp. 197、281、303;加護野(1998)、373頁;廣本(2004)、583頁。Cooperは各アメーバ組織が小規模であることに着目してアメーバ組織をマイクロプロフィット・センター(microprofit centers)とみる(Cooper、1995、第5部)。

(55)  森田(2010)、261、267–268頁;加護野(1986)加藤(1979)、223頁。

(56)  澤邉(2010)、99頁。

(57)  森田(2010)、258頁;谷(1999)、47頁;廣本・挽(2010)、47頁。

(58)  Cooper(1994)、p. 6;Cooper(1995)、pp. 108、281、311;上總・澤邉(2005)

(59)  Cooper(1994)長谷川(2011)、289頁。

(60)  Cooper (1995), p. 304.

(61)  上總・澤邉(2005)、99頁。

(62)  Cooper (1994), p. 9.

文献一覧
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