2018 Volume 67 Issue 5 Pages 760-765
インド北部のガンジス川流域は胆嚢がん多発地域である。しかし,その発症機序は十分に解明されていない。本研究の目的は,ガンジス川流域の住民が日常的に飲食に使用している水の汚染状況を調査し,胆嚢がん発症要因解明の手掛かりを得ることである。2017年9月,インド北部のバナラシ市に滞在中に,市内のガンジス河の河川水,公共水道水(1カ所),公共井戸水(2カ所),及びバナラシ市内及び近郊の胆嚢がん患者宅の井戸水(4カ所)を採取した。簡易水質検査法により10項目(鉛,細菌,農薬,鉄,銅,硝酸塩,亜硝酸塩,塩素,pH,硬度)の水質検査を行い,各々の結果を我が国における水道水質基準と比較した。水道水質基準を超えていた項目は,細菌,鉄,硝酸性窒素であった。細菌は,患者宅の井戸水3カ所で,鉄は,水道水,公共井戸水2カ所,患者宅井戸水2カ所で基準値以上を示した。硝酸性窒素は,市内井戸水1カ所で基準値より高値を示した。鉛,農薬,銅,亜硝酸性窒素,塩素,pH,硬度の値は全て基準範囲内であった。今回の調査で,患者宅の井戸水は細菌汚染(75%,3/4)と鉄の濃度が高い(50%,2/4)ことが判明した。細菌感染が胆嚢がん発症と関係していることが報告されていることから,患者宅井戸水を汚染している細菌種についての詳細な検討が必要である。
インドは胆嚢がん多発国の1つである。特に北部や中部地域で発生率が高いことが報告されている1)。これまでに,インドにおける胆嚢がんの発症要因はいくつか報告されている2)が,明らかにされた要因のみでは発症機序を完全に説明できるまでに至っていない。
我が国における胆嚢がん死亡率は,1983年~1987年には男女とも新潟県が1位であった。Yamamotoら3)は,疫学的研究手法を用いて胆道がん(胆嚢がん及び肝外胆管がん)の標準化死亡比の分布を調べ,越後平野または河川流域に集積性が高いことを明らかにした。その後の調査により,この地域集積性は胆嚢がんによることが明らかとなった。さらに,地域集積性を規定する要因を調べ,胆嚢がん死亡率と農薬使用量との間に正の地域相関関係が認められることを明らかにした3)。その後の新潟県における胆嚢がん死亡率は,要因と考えられた農薬の使用が禁止された1996年以降,減少傾向を示し,現在では全国平均に回帰しつつある4)。
これらの知見は,胆嚢がん発症に関わる環境要因を明らかにし,その対策を講じることで本症罹患率や死亡率を低下させることが可能であることを示している。
インドでは,北部のガンジス河流域で胆嚢がんのみならず多くのがんが多発している5)。インドにおける胆嚢がんの罹患率が河川流域で高いという事実は,かつて新潟県の信濃川流域で胆嚢がんが多発していた状況と近似している。そこで,2017年にバナラシ・ヒンドゥー大学を訪問する機会を利用して,この地域で飲料水として使用されている水の水質調査を行うこととした。具体的には,バナラシ市内の公共水道水,公共井戸水,およびバナラシ市内及び近郊に居住している胆嚢がん患者宅の井戸水を採取,検査し,その結果を日本における水道水質基準6)と比較した。
本研究の目的は,インド北部で胆嚢がんが多発している要因を解明する手掛かりを得るために,ガンジス川流域の住民が日常的に飲食に使用している水の汚染状況を調査することである。
2017年,9月10日から14日まで,インド北部のウッタル プラデーシュ州のガンジス河沿いに位置しているバナラシ市(北緯,25度20分;東経,83度0分)に滞在中にFigure 1に示す地点7)~9)で採水を行った。
採水地点
試料として,バラナシ市内では,ガンジス河の河川水,公共水道水1カ所,公共井戸水2カ所で滅菌容器に40 mL程度を採水した。採取した試料は,冷蔵状態でホテルに持ち込み,直ちに検査を行った。さらに,バナラシ・ヒンドゥー大学で胆嚢がんと診断され,同大学で術後経過観察中の4名の患者宅(バナラシ市内,及びその近郊)の井戸4カ所で飲料水を採取した。採取した試料は患者が冷蔵状態でバナラシ・ヒンドゥー大学に持参し,水質検査に供するまで外科学教室の冷蔵庫中に保存した。受領した試料は,室温放置で室温まで戻し,その後検査を行った。
試料採取後24時間以内に水質検査キット(Complete Water Analysis Test Kit cwa 1000, TEST ASSURED, USA)を用い,鉛,細菌,農薬,鉄,銅,硝酸性窒素,亜硝酸性窒素,塩素,pH,硬度の10項目の検査を行った。さらに,河川水の化学的酸素要求量(COD)の測定は,パックテストCOD(共立理化学研究所,東京)を用いて行った。いずれの項目もキット添付の使用説明書に記載された方法を厳守し,反応時間経過後に色調表の色と比較して濃度を求めた。
Table 1にガンジス河の河川水の水質検査結果,及び我が国における河川水の環境基準10),並びに水道水質基準6)を示す。市内水道水はガンジス河の水を原水とし,浄化後に水道水として供給されていることから原水の検査も合わせて行った。我が国の河川水の人の健康の保護に関する環境基準10)では27項目の基準値が設定されているが,このうち,本研究で測定出来た項目は鉛と硝酸性窒素および亜硝酸性窒素の2項目のみであった。また,河川の生活環境保全に関する環境基準では,生物化学的酸素要求量(BOD)の基準値が設定されているが,インドでの測定は不可能であったことから,その代用として湖沼で基準値が設定されている化学的酸素要求量(COD)の測定を行った。ガンジス河の水からは,鉛,鉄,銅などの金属が検出された。細菌は陽性を示したが,農薬は痕跡程度の結果であった。また,硝酸性窒素も検出されたが,その濃度は低かった。亜硝酸性窒素と塩素は検出されなかった。pHは9のアルカリ性を示し,硬度は50~100 mg/Lであった。また,CODは 4 mg/Lであり,CODパックテストによる水質基準11)をもとに,「少し汚れた水」と判定された。
検査結果 | 環境基準10) | 水道水質基準6) | |
---|---|---|---|
鉛 | + | 0.01 mg/L以下 | 0.01 mg/L以下 |
細菌 | + | 100 CFU/mL以下 | |
農薬 | 痕跡 | 1mg/mL以下 | |
鉄 | 1 mg/L | 0.3 mg/L以下 | |
銅 | 1.3 mg/L | 1.0 mg/L以下 | |
硝酸性窒素 | 2 mg/L | 10 mg/L以下 | 10 mg/L以下 |
亜硝酸性窒素 | − | 0.04 mg/L以下 | |
塩素 | − | 0.4 mg/L以下 | |
pH | 9 | 5.8~8.6 | |
硬度 | 50~100 mg/L | 300 mg/L以下 | |
COD | 4 mg/L |
本法による測定範囲:鉛,0.015 mg/L以上;細菌,100 ppb以上;鉄,0~5 mg/L;銅,0~3 mg/L;硝酸性窒素,0~50 mg/L;亜硝酸性窒素,0~10 mg/L;塩素,0~10 mg/L;pH,4~12;硬度,0~400 mg/L;COD,0~8 mg/L以上
米国における飲料水の最大許容濃度(検査キットに添付された資料参照):鉛,0.015 mg/L;細菌,100 CFU/mL;鉄,0.3 mg/L;銅,1.3 mg/L;硝酸性窒素,10.0 mg/L;亜硝酸性窒素,1.0 mg/L;塩素,4 mg/L;pH,6.5~8.5;硬度,50 mg/L
CODの判定基準11):きれいな水,1 mg/L以下;少し汚れた水,3 mg/L以下;汚れた水,5 mg/L以下,大変汚れた水,8 mg/L以下
Table 2に,市内の公共水道水,公共井戸水,及び患者宅の井戸水の水質検査結果を示す。水道水では,鉄の濃度が1 mg/Lを示し,水道水質基準値(0.3 mg/L以下)より高値を示した。また,検討した試料の中で唯一,塩素が検出されたが,その値は水道水質基準値以下であった。公共の井戸水2カ所では,何れも鉄が検出され,その値(0.5 mg/L)は基準値を超えていた。また,1カ所の井戸水では硝酸性窒素が基準値の2.5倍高い値を示した。患者宅の井戸水4カ所の内,3カ所の水から細菌が検出された。また,2カ所の水で鉄の濃度が1 mg/Lと基準値より高い値を示した。調査した7カ所の水では,鉛,農薬,銅,亜硝酸性窒素,塩素,pH,硬度は全て基準値以下,もしくは検出されなかった。
公共水道水 | 公共井戸水 | 胆嚢がん患者宅の井戸水 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
#1 | #2 | #1 | #2 | #3 | #4 | ||
鉛 | − | − | − | − | − | − | − |
細菌 | − | − | − | + | − | + | + |
農薬 | − | − | − | − | − | − | − |
鉄 | 1 | 0.5 | 0.5 | 1 | 1 | 0 | 0 |
銅 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
硝酸性窒素 | 2 | 7 | 25 | 1~2 | 7 | 0 | 0 |
亜硝酸性窒素 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
塩素 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
pH | 9 | 9 | 9 | 9 | 9 | 9 | 9 |
硬度 | 100 | 300 | 300 | 300 | 300 | 300 | 200 |
−:未検出。
pH以外の濃度はmg/Lで示す。
本調査では,インド北部で多発している胆嚢がんの発症要因解明の手掛かりを得るために,ガンジス河流域の住民が飲食に使用している水の汚染状況を調べた。我が国における水道水質基準値を上回った項目は,細菌,鉄,硝酸性窒素であった。なかでも,胆嚢がん患者宅の井戸水は細菌汚染と鉄が高濃度に含まれていることが明らかとなった。
河川水を水道水源とする地域の住民にがん死亡率が高いことは以前から指摘されている12)~14)。米国における研究では,消化器系や泌尿器系のがん死亡率が高いことが報告されている12)。日本での研究では,塩素処理で生じるトリハロメタンに注目し,男女とも肺がんとの関係13),男性の膵がん,肺がん,膀胱がんとの関係14)が報告されている。しかし,トリハロメタン類はがん発生の主要因ではなく,他の要因及びその交絡因子である可能性が示唆されている14)。
Yamamotoら3)は,新潟県の信濃川流域で多発している胆嚢がんの疫学的成因解明研究で,河川水の農薬汚染が原因であることを明らかにした。河川水の農薬汚染はそれを水源とする水道水汚染も引き起こしていた3)。本研究では,ガンジス河の河川水中から痕跡程度の農薬が検出されたが,水道水中からは検出されなかった。足立15)は,信濃川流域における農薬汚染は春の農作業シーズン(5月)に高濃度であることを報告している。インドの9月は,雨季(7月,8月)が終了し,乾季の初めに当たることから,ガンジス河の農薬汚染を証明するためには年間を通した調査が必要と考えられた。
公共水道水で水道水質基準値以上の値を示した項目は鉄のみであった。それ以外の項目は基準値以下か検出されなかった。ガンジス河の河川水から検出された鉛,細菌,農薬は水道水中からは検出されなかったことから,水道水とするための浄化の効果は明らかであった。塩素の濃度は3 mg/Lであり,我が国の「おいしい水研究会」で定めたおいしい水の水質条件(給水栓における残留塩素濃度は0.4 mg/L以下)16)よりも高濃度であった。これは,CODの結果からも明らかなように,水源であるガンジス河の河川水は病原微生物や病原微生物に汚染されたことを疑わせるような生物もしくは物質を含む恐れがあると考え,敢えて高濃度に設定されていると考えられた。
公共井戸水で水道水質基準値以上の値を示した項目は鉄と硝酸性窒素であった。Mohanら17)がバナラシ市の地下水4カ所を2010年の雨季(7月から8月)に調査した結果では,鉄の濃度は0.3~1.0 mg/Lであった。我々の研究は,9月の測定であるが,これまでの研究結果を考えると,本報告の鉄の濃度0.5 mg/Lはほぼ妥当な結果であると考えられた。この地域の井戸水の鉄の濃度は水質基準値上限かそれ以上であることが示された。さらに,Mohanら17)は,硝酸性窒素の濃度は0~25 mg/Lであり,4カ所の測定地点のうち,2カ所は20 mg/Lと25 mg/Lの濃度であったことを報告している。本研究でも2カ所の内1カ所の井戸水から25 mg/Lの濃度で硝酸性窒素が検出され,これまでの報告と同様の結果であった。
患者宅井戸水で水道水質基準値以上の値を示した項目は細菌と鉄であった。特に,細菌は4カ所の内3カ所の井戸水から検出され,患者宅の井戸水は細菌汚染の頻度が高いことが明らかとなった。しかし,本研究では簡易検査法を用いたため汚染菌名を明らかにすることができなかった。一方,鉄は4カ所の井戸水中2カ所から基準値以上の濃度で検出された。しかし,その濃度はバナラシ市内水道水や井戸水,あるいはMohanら17)が報告したバナラシ市内の地下水の濃度と近似していた。1 mg/Lの鉄濃度はこの地域の飲料水では一般的な濃度である可能性が示唆された。
感染症と胆嚢がんとの関係はこれまで多くの報告が認められる18)。インドでの報告でもSalmonella typhiやHelicobacter bili感染との関係が指摘されている2)。しかし,インド以外の国における研究では両者の関係を否定しているものもあり結果は一致したものではない。さらに,最近の胆嚢がん患者と胆石症患者の胆嚢胆汁中の細菌叢をメタゲノム解析した我々の調査では,胆石症患者に比べ胆嚢がん患者の胆嚢胆汁中からFurobacterium nucleatumが特異的に検出されている19)。しかし,これらの細菌が胆嚢がん発症と関係しているか否かの結論は出ていない。細菌感染と胆嚢がん発症との関係を明らかにするためには,患者宅井戸水を汚染している細菌叢の解明が必要であると考えられた。
鉄は,公共井戸水(2/2),患者宅井戸水(2/4)から水道水質基準値以上の濃度が検出された。過剰なヘム鉄摂取とコレステロール結石形成との関連が指摘されている20)。水道水中の鉄は非ヘム鉄として存在し,その吸収率はヘム鉄の10~20%に比べ2~5%と低い。しかし,比較的低濃度の鉄の持続的摂取は胆石形成を引き起こすかもしれない。インドでは,胆嚢がん患者の70~90%は胆石を有している21)ことから,両者の関係についてはさらなる研究が必要である。
硝酸性窒素の発生源は,施肥,家畜排泄物,生活排水等であるといわれている22)。これが基準値以上を示した水は,過去にし尿,下水などによる汚染があったことを意味している。ヒトと動物が共生しているバナラシ市内には,放し飼いの動物があちこちで見られる。ヒンドゥー教では,牛は“聖なる牛”として崇められており,牛のし尿の垂れ流しがあちこちで認められる。このため,井戸水中の硝酸性窒素の汚染源として,牛のし尿の可能性が考えられた。井戸水へのし尿混入を防ぐためには公共井戸周辺の環境整備が必要であろう。
本研究にはいくつかの限界がある。第1に,用いた方法が簡易検査法であったため,各項目の正確な値が得られなかった点である。また,キットの製造国である米国の基準に合わせてあるため,我が国の水道水質基準とは異なる濃度設定となっている点である。しかし,我々の結果は,判定時間を厳守し,複数人で結果を判定したことからほぼ妥当な結果が得られたと考えられる。第2は,本研究では9月のみの測定であったが測定時期を変えることで異なる結果が得られる可能性がある。我が国で信濃川の河川水の農薬汚染を調査した結果では,春(5月)の農作業シーズンは農薬の濃度が高く,それ以外の時期では低い結果が報告されている15)。本研究でもガンジス河の河川水から農薬が痕跡程度検出されたことから,年間を通して水質調査することによりその汚染状況をより正確に把握できると考えられた。
本稿を要約すると,簡易検査法によりガンジス河流域のバナラシ市内の公共水道水と公共井戸水,並びに市内及び近郊に居住している胆嚢がん患者宅の井戸水を検査し,我が国における水道水質基準と比較した結果,基準値を上回った項目は,細菌,鉄,硝酸性窒素であった。感染症と胆嚢がんリスクとの関係が報告されていることから,患者宅井戸水を汚染している細菌種名を明らかにすることが必要である。
胆嚢がん患者宅の井戸水採取にご協力いただいた,バナラシ・ヒンドゥー大学,外科学教授,Dr. Puneetに感謝申し上げます。
本論文に関連し,開示すべきCOI 状態にある企業等はありません。