2020 Volume 69 Issue 3 Pages 463-467
鼻腔拭い液等の臨床検体からのイムノクロマトグラフィーを原理としたインフルエンザウイルス抗原の迅速検出キット(以下,迅速キット)は,多くの医療施設で使用されている。こうした迅速キットを用いた試験では結果として偽陰性が起こることは,よく知られている。一方で偽陽性反応も,まれではあるが起こる。今回我々は,迅速キットでA,B両型の陽性を示したものの,ウイルス分離及び遺伝子検査でインフルエンザウイルスが陰性で,その後,用いた臨床検体からRSウイルスが分離された事例を経験した。我々はこれを迅速キットの偽陽性反応と考えた。この偽陽性の原因について我々は,検体中に含まれる患者由来の抗体以外の何らかの成分が迅速キットで用いられているマウス由来の抗体に対し反応し,あたかもウイルス抗原が反応したかのような陽性ラインが出現したという仮説をたてた。そして,その証明を目的として,競合試験として当該患者検体に精製マウスIgGを反応させたのち迅速キットにかけたところ,陽性反応ラインは出現しなくなった。これにより,本例が患者由来の何らかの成分とマウス抗体との反応による偽陽性であったことが,強く示唆された。
An influenza virus rapid antigen detection test (RADT) based on the immunochromatography technique is prevalently used as the point-of-care testing (POCT) in many clinical settings. It is well known that this RADT kit sometimes shows false-negative results. On the other hand, a false-positive result also occasionally occurs. We encountered the case of a patient whose clinical nasal swab specimen was positive for both A and B influenza antigens as determined with the RADT kit used for rapid influenza diagnosis. However, the patient was found not to have influenza virus infection because the specimens were confirmed to be negative by virus isolation and genetic detection by PCR. Moreover, the RS virus was isolated from the specimens. Thus, we considered it as a case with a false-positive reaction occurring in the RADT kit. We considered the double-positive and false-positive cases as very interesting and explored the reasons for such cases. We hypothesized as follows: there was/were some material(s) other than the antigen in the specimen and it/they reacted with the mouse anti-influenza antigen monoclonal antibody used in the RADT kit, and it/they acts/act as if it/they was/were the influenza antigen exhibiting the two reaction lines that appeared at the A and B sites on the immunochromatography sheet of the kit. To prove it, the RADT kit was used again after the pretreatment of the specimen with an excess amount of the purified mouse IgG for the IgG to competitively react with the antibody on the reaction lines. As a result, the reaction became negative. These findings strongly suggest that the false-positive result was caused by the reaction of some material in the specimen with the mouse antibody used in the RADT kit.
感染症の診断や治療において,原因病原体の特定は非常に重要である。しかし,培地を用いた細菌の分離や培養細胞を用いたウイルスの分離には,専門的な手技や設備が必要であり,通常の医療現場でどこでも可能なわけではない。とくに後者は,実施可能な医療施設は本邦において極めて限られている。そうした状況の下,医療現場,とくに外来でのウイルス病診断は,医師の経験に頼る臨床診断に加え,迅速抗原検出キット(以下,迅速キット)検査がある感染症についてはそれによってなされていることが多い。現在,インフルエンザ・RS・アデノ・ヒトメタニューモウイルスなどの呼吸器系ウイルスや1)~4),ロタ・アデノ・ノロウイルスなどの消化器系ウイルスの検出で5),6),イムノクロマトグラフィーを原理としたラテラルフローのキットがひろく使われている。
これらの迅速キットは扱いが簡便で,5~15分という比較的短い時間で結果が得られるが,一方で検体採取手技が未熟なために抗原量が不足し偽陰性となる場合が少なからずある。またときに,原因は特定されない試験陽性かつPCR検査が陰性のために偽陽性が疑われることもある。今回我々は,当初迅速キット検査で陽性のバンドが出たことからインフルエンザと診断がなされたものの,その後の解析で偽陽性が強く疑われた症例を経験した。我々は,さらにこの偽陽性が生じた原因を検討したので,この症例を紹介するとともに解析の詳細を報告する。
誤嚥性肺炎の診断で入院した90歳台男性。入院中に発熱があり,インフルエンザが疑われ,2017年11月27日鼻腔拭い液検体を検査科に提出しインフルエンザウイルス抗原の迅速検出キット(イムノエース®Flu,タウンズ社)による検査が実施された。その結果,A型のバンドが薄く現われ,弱陽性の判定であった。一方,同日ウイルス分離を目的に迅速キットと同時に提出されていた鼻腔ぬぐい検体がヒト肺繊維芽由来(human embryo fibroblasts; HEF),ヒト喉頭癌由来(HEp-2),アフリカミドリザル腎臓由来(Vero),イヌ腎臓尿細管上皮由来(Madin-Darby canine kidney; MDCK),ヒト悪性黒色腫由来(MNT-1),アカゲザル腎臓由来(LLC-MK2)細胞に接種されていたが,そのうちHEp-2細胞で接種後5日目に細胞変性が認められRSウイルスが分離された一方,インフルエンザウイルスの分離が予想されていたMDCK細胞では,1週間経過しても細胞変性は認められず分離は陰性であった。再確認のために12月1日,患者から検体を再度採取し迅速キットの再検査を実施したところ今度はA型,B型ともに陽性バンドが出現する結果となった。ただし,反応バンドの濃さは,Bの方がAよりも明らかに薄かった(Figure 1A)。ウイルス分離の結果をもとにさらにRSウイルス抗原についても迅速キット(イムノエース®RSV,タウンズ社)検査を実施したところこちらも陽性であった(Figure 1B)。すなわち3種のウイルス抗原が同時に陽性となり,特別な事象が発生していることが想像された。そこで,迅速キット検査陽性のウイルスが検体中にあることを確認するために,当該検体についてインフルエンザウイルスとRSウイルスの遺伝子検索を実施した。検体から既報に従い,RNAを抽出しそこからcDNAを作成しそれぞれのウイルスの遺伝子に対する特異的プライマーを用いたリアルタイムPCRを試みた7)。その結果,インフルエンザウイルスはA,Bともに陰性であり,RSウイルスのみが陽性で,ウイルス分離と成績が一致した。以上の結果から本症例はRSウイルス感染であり,迅速キット検査におけるインフルエンザ抗原陽性については偽陽性であったと判断された。
A:インフルエンザウイルス,B:RSウイルス
今回問題となった迅速キットは,株式会社タウンズ製造の「イムノエース®Flu」であった。我々は,何がこの偽陽性反応の原因であったのかに興味を覚え,その機序の手掛かりを得ようとさらに検討を続けた。本キットはイムノクロマトグラフィー法を応用したラテラルフローのテストプレートを用いるものであり,同プレートで抗原を捕捉するためのテストラインならびに溶液中での抗原捕捉のために抗インフルエンザウイルス抗原マウスIgG単クローン抗体が用いられている。我々は,そのマウスIgGに対し検体由来の何らかの成分があたかも抗原の様に振る舞い反応していたことが,偽陽性の原因であったとの作業仮説(Figure 2)を立てた証明を試みた。もし,仮説が正しければ,検体をあらかじめ過剰なマウスIgGと反応させておけば,検体中の非特異的にマウス抗体と反応する成分がそれに吸収され,テストプレート中の抗ウイルス抗原マウス抗体との非特異的な結合はなくなるはずである。偽陽性を起こした当該検体のキット抽出残液90 μLに対し,精製マウスIgG(2 mg/mL,タウンズ社)を10 μL加えたのちテストプレートの試料滴下部に滴下し,10分後に結果を判定した。
上記の偽陽性成分の吸収あるいはマウスIgG間の競合試験の結果,11月下旬の検体と12月初旬の検体の両方とも,陽性ラインは出現しなくなった(Figure 3)。
A:11月下旬の検体,B:12月上旬の検体
それぞれ上段が検査対照として―PBSを添加した結果,下段がマウスIgGを添加した結果を,黒矢印は陽性ラインの位置を示す。
一方,これがIgG液の添加で検体中の偽陽性成分が希釈されたために起きた可能性を否定するため,インフルエンザウイルス陽性がウイルス分離により確認されている患者の臨床検体のキット抽出液に対し同様の試験を行っても,陽性ラインの出現に変化はなかった(data not shown)。以上の結果から,今回我々が経験した迅速キット検査でのインフルエンザA型,B型両陽性反応はともに,検体中に存在していたマウスIgGに反応する何らかの成分のために起きた偽陽性であったことが強く示唆された。
本件のようにインフルエンザウイルス抗原迅速検出キット検査においてA,B両陽性を示すような例は,どれくらいの頻度であるのか興味深い。そこで本施設で実施し,データとして残されている検査結果の記録を調べてみた。その結果,2017年までの10年間に実施した約15,000件のうち,A,B両陽性の記録が残っていたのは2例であったが,それらについての詳細なウイルス学的解析はなされていなかった。
今回の研究対象のようなマウスの単クローン抗体を用いた生物学的抗原アッセイ検査において偽陽性を引き起こす原因の一つとして,これまでヒトにおける異好抗体としての抗マウス抗体(human anti-mouse antibody; HAMA)の存在が考えられてきた。標識したマウスモノクローナル抗体を腫瘍マーカーやホルモンのプローブとして用いる免疫学的測定では,HAMAによる非特異反応が報告されている8),9)。本研究の対象となった患者の鼻腔拭い検体中にあったマウス抗体に反応した成分が,HAMAである証拠はないものの,鼻腔粘膜から漏出した抗体が検体中にあった可能性は否定できない。抗体であることを言うには,さらに検体からプロテインA等の抗体結合性物質をコーティングしたビーズによるパンニングで抗体成分を取り除いたあとの結果を見る必要があろう。本研究では検体を使い切ってしまったため,そこまでの解析はできなかった。
両陽性だがBのラインの方がAより明らかに薄かったことは,次のような説明で可能であろう。検体中のマウス抗体と反応する物質が,テストプレートの検体滴下部から入ってプレート中の反応系の中でまず浮遊している標識抗体に最初に出会ったのちAのテストライン上の抗体に捕捉されて消費される。次に,それによって当該物質の濃度が低下した浮遊液がBのテストラインに流れ着きそこの抗体に捕捉された。それを考えれば,最初から反応物質が検体中で低濃度でしか存在しない場合には,Aのテストラインのみが非特異的な偽陽性反応を示すことになる。我々の過去のデータではA,B両陽性は,かなり頻度が低かったものの,そうしたことがもし頻繁に起きているとすると,実際のAのみ陽性の結果の中には,もしかしたらある程度の偽陽性が含まれている可能性も否定できないことになる。その頻度については,A陽性例検体を多数集め,それらについてすべてPCRでウイルス遺伝子の存在を調べていくような仕事が必要であろう。
偽陽性は,この種の迅速キットであれば原理上どのメーカーでも,どのような種類の抗原であっても起こりうることである。たとえば,我々は当該検体についてその後アデノウイルス,ヒトメタニューモウイルス抗原迅速検出キットでも調べてみたが,それらもすべて陽性であった(data not shown)。だが,たとえ偽陽性を疑ったとしても,我々のような研究室ではない一般的な医療現場では,種々の検査法を組み合わせて解析できるような時間と機能を有することはまずない。たとえば,本例のようにそのままインフルエンザA,B両型陽性と診断され抗インフルエンザウイルス薬が処方されるのが一般的であろう。
本事例は,迅速キット検査には偽陽性があり得ること,臨床現場での診断においては迅速キット検査の結果のみに拘泥することなく,さまざまな要素を総合的に判断する必要があることを再認識させるものであった。
だが一方で,A型とB型の混合感染も理論上全くないわけではない。今後,偽陽性と混合感染の頻度を調べるような研究が望まれる。
本論文に関連し,開示すべきCOI 状態にある企業等はありません。