Journal of Japan Academy of Psychiatric and Mental Health Nursing
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Philosophy of Regional Migration Support: Embodiment towards Policy and Practice
Yuko Shiraishi
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2021 Volume 29 Issue Supplement Pages 1-5

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Ⅰ  はじめに

学会参加者の皆様,日本精神保健看護学会第30回学術集会へご参加いただき誠にありがとうございます.

本来であれば,皆様方に福岡に来ていただき,福岡の観光やおいしい地元料理を堪能していただきたかったのですが,2020年初頭からの新型コロナウイルス感染拡大に伴い,オンラインでの学会開催となりました.しかし,様々な方々の応援によりこの学会をWEB開催できたことを嬉しく思います.

WEB学会ならではのメリットもたくさんあります.実際の学会であれば,重なったプログラムのどちらかを選ぶという選択に迫られますが,WEB学会であれば,オンデマンドで好きな講演を視聴することが出来ます.

是非そのメリットを活かしてこの学会を堪能していただけることを願っております.

今回の学会のテーマは,地域移行支援の哲学―政策と実践への具現化(embodiment)―というテーマを挙げました.

本来ならば,今年2020年は2回目の東京オリンピックが開催される華々しい年になる予定でしたが,新型コロナウィルス感染拡大のため東京オリンピックは来年に延期されました.

Ⅱ  前回の東京オリンピックから現在までの精神医療福祉の展開

遡って1回目のオリンピックが開催された1964年はどのような年だったでしょうか?私もうっすらとTVで開会式や競技を見た覚えがあります.日本国中の人が「ニッポンがんばれ!」と選手にエールを送り,国中が沸き立っていました.そして,その10日前には,オリンピック開催に合わせて,東海道新幹線の開業があり,子供たちも「夢の超特急」といって喜んでいました.まさに,戦後の高度経済成長の象徴がこの東京オリンピックだったのです.

しかし,光あるところには影があります.1964年の3月に日本の精神医療の歴史の中でも有名なライシャワー事件が起こりました.

ライシャワー駐日大使を刺した少年が精神科受診歴があり,この事件に政治的な背後関係はなく「精神病者の発作的凶行だった」と認識されると,「精神病者の野放し状態をなくせ」というキャンペーンがマスメディアをとおして急拡大していきました.また,同年4月には,国家公安委員会において「精神障害者の早期発見のための警察官による家庭訪問」「精神障害者のリストの整備」などの方針が決定され,東京オリンピックに向けて精神障碍者の洗い出しを行ったということも聞きました.

このライシャワー事件を経て改正された精神衛生法が,治安的な制度と地域精神衛生の推進といういわば対立的な内容をそれぞれ補強することになったと言われています.こうしたフレームのもとでは,「精神科病院」は,社会治安を保持することに必要な「隔離施設」なのであって,その不足は「社会治安」維持にとってあってはならないこととされ,その後精神病院の急増と精神病者の隔離政策が進んでいきました.精神病科床数は,昭和30年当時約4万床であったのが,昭和39年では約14万床に増加,昭和38年6月から昭和39年6月までの1年間で約1万6,000床増となっています.1960年代は,「大いなる閉じこめ」へと大きく進んだ時代でした.病床数増加を指図した国庫補助政策,医療法特例により一般病院に比べはるかに少ない医療スタッフの配置が容認されたことなどを背景に「精神病院ブーム」と呼ばれるほどの病床数急増を導いたのです.現在でも,先進諸外国と比べて病床数や平均在院日数は群を抜いて多くなっており,その名残が見られます.

その後,精神科病院の急増における隔離収容主義の問題や「宇都宮病院事件」など精神障碍者に対する人権無視が疑われる事件があり,わが国においても精神障碍者の人権や社会復帰についての議論が持ち上がりました.

平成16年には「精神保健医療福祉の改革ビジョン」が打ち出され,「入院医療中心から地域生活中心へ」というスローガンのもと,条件が整えば退院可能とされる約72,000人の精神科入院患者について,10年のうちに退院,社会復帰を目指すという方針が打ち出されました.かつての隔離・収容主義からみれば具体的な数値的目標が挙げられており非常に進歩していると思いますが,私は「ここのどこに哲学があるのか?」と疑問を持ちました.

Ⅲ  看護師にとって哲学とは何か?

そこで本講演のテーマである哲学って何?という問題です.なかなか日常生活の中で哲学をするという機会を持たない私たちですが,今回少しだけ哲学について考えてみたいと思います.

20世紀の最も重要な哲学者とされるウィトゲンシュタインは,哲学について次のように語っています.哲学の目的は思考の論理的明晰化である.哲学は学説ではなく,活動である.思考は,そのままではいわば不透明でぼやけている.哲学はそれを明晰にし,限界をはっきりさせねばならない.

つまり,哲学とは「人の思考を究明し,明晰化(言語化)する役割を果たすもの」ということです.でもまだまだ難しいですね.

もう少し簡単な言葉で言うと「相対的な現代で「絶対の真理」ではないけど,できるだけだれもが納得できる本質的な考え方.そうした物事の“本質”を洞察することこそが,哲学の最大の意義」とされています.

つまり,物事の本質は何かを見極め,それを明確化し,言語化することが私たちにとっての哲学ではないかと思います.私達看護師は「看護の本質って何?」と考え続け,それを明確化し,言語化することが重要なのだと言えます.

Ⅳ  具現化(embodiment)とは?

本テーマのもう一つのキーワードである具現化(embodiment)という言葉も重要な言葉です.「具現化」は形には見えない理想やアイデア,考えや目標を実際のものとして表すこととされていますが,カナダのマギル大学のゴッドリーブ博士は,全体論と具現化に関して, 状況的認知主義の視点と現象学的視点の視点がある.と述べています.状況的認知主義とは,「人間の認知は,頭の中の記号操作の結果(表象主義)ではなく,人間を取り巻く状況(人,物)との積極的な交流を通して成立している.人間は,状況に働きかけることによってはじめて,状況の中に意味を見いだす.」ことと言われています.

現象学的視点は,ベナーとルーベルの『現象学的人間論と看護』によると「人間とその体験を外からモノとして観察し説明するのでなく,内側から(当事者の視点から)あるがままに記述し理解しようとするもの」と説明されています.

つまり,具現化とは,人が自分を取り巻く状況(人,物)との積極的な交流を通し,状況に働きかけることによって,状況の中に意味を見いだし,人間とその体験を当事者の視点からあるがままに記述し理解しようとするための行為といえるかもしれません.

Ⅴ  精神保健における哲学の具現化

私は精神医療保健における哲学を具現化したのがバザーリアだと思います.

彼は,パドヴァ大学医学部卒業後,13年間助手として働き,ゴリツィアの精神病院の院長に選ばれる,1968年夫人フランカとアメリカ留学.そこで,ケネディ下で解放の途にあったアメリカの精神医療を観察します.その後1971に年トリエステの精神病院院長に就任し,病院改革を推進しました.

その後様々な困難がありながらも,1978年には第180号が成立し,精神病院(マニコミオ)が廃絶され,精神医療は地域にゆだねられました.今ではイタリアにおける精神病院の数は,非常に少なくなっています.

バザーリアに影響を与えたのはサルトルの哲学と言われています.サルトルは実存主義を提唱し,サルトルにとっての存在とは,神的なものでも超越者でもなく,完全性も真理もない,ただ存在はある,とした,いわゆる無神論的実存主義と言われるものです.

無神論的実存主義の考え方として,「もし無から万物を創造した神が存在するならば,神は自ら創造するものが何であるか(本質)を分かっているから,すべてのものは現実に存在する前に,神によって本質を決定されていることになる.この場合は,本質が実存に先立つ.しかし,逆に神が存在しないとすれば,すべてのものはその本質を決定されることなく,現実に存在することになる.この場合は,実存が本質に先立つことになる.」ということでサルトルは,後者の世界認識を打ち出した人です.

そのため,彼の哲学は人間は,あらかじめ本質を持っていない.人間は自分の本質を創る自由を持っている.それゆえに,その責任はすべて自分に返ってくる.人間は自由があるけれども自ら選んだ方向へ「自己」を拘束され,「自由」に伴う「責任」を負うというものです.そして,選択という責任を負った人生を自発的意思により主体的に生きることが大切だ!そして,この責任を持った自由は誰にも侵されないものであるとしています.

バザーリアは,このサルトルの考えを受け,自由こそ治療だ!という哲学を持ち,そして自由を持つ人間が精神病という病があるとしてもその責任を負う生き方をしなければならないと考えたのです.

Ⅵ  バザーリアの哲学にもとづいたイタリアにおける精神保健の改革

その哲学を具現化し,バザーリアは様々な改革に着手しました.施設内での改革としては,窓の鉄格子の除去を行いました.これは,絶望に打ちひしがれた患者にとって,鉄柵はあたかも牢屋の内側からだけ外の世界をのぞかせるものだという考えに基づいています.また,拘束衣の廃止を行いました.これは「患者の自由を縛り付ける権利は誰にもない」という考えに基づいています.医療者の白衣着用の廃止は,「白衣をまとった医師と看護師は,最も権威的な権力の象徴だ」という考えにもとづいています.患者中心の自治集会(アッセンブレア)の開催は,「それまで異論を唱えることなく,何事にも従うように仕込まれていた患者の思考や判断を自立させる必要性がある」という考えに基づいています.こうした改革により,患者も専門職も,目に見える「精神病院」の存在だけでなく,各々の頭の中に精神病院があることの意識化と開放をもたらしました.

病院外においても様々な改革に着手しました.町中での住居の確保,給付金の支援などの経済的支援策を打ち出し,労働共同組合を作りました.これは誰もが働いて生活するためのお金を得る必要があると考えたからです.また地域との文化活動を促進し,文化的交流を行いました.また24時間オープンの精神保健センターを開設しました.そこには,精神保健センターは,疾患ベースのサービスではなく,「(市民として生きる)価値をベースとしたサービス」を行うだれもが市民として当たり前に受ける権利があるという哲学がありま‍す.

そのような施設内外での改革を通して政治的な取り組みもしながら,1978年には,精神科病院を廃止する法案である「180号法」が制定されます.バザーリアに批判的な人々は,「精神病院がなくなると患者の犯罪が増える」と新聞は騒ぎ立てましたが,トリエステでは鉄格子の門が開け放たれ,病院が閉鎖されてからは〈狂人〉たちが引き起こす暴力事件は劇的に減少したと言われています.彼は,「狂気との共存」を提唱し,『「狂気」は社会秩序を乱す「問題」ではなく,悩み苦しむ私たちの「体験」の一部なのだ.患者は専門家の支援のもとで自分の狂気と共存できるのだ.』と言いました.私にはこの狂気との共存という言葉がとてもしっくりきます.

日本で精神障害者に関する哲学を具現化しているのは,皆さんもご存知の「べてるの家」だと思います.べてるには様々な理念がありますが,この中で「苦労を取り戻す」「悩む力を取り戻す」などは,サルトルやバザーリアの哲学にも通じるものだと思います.私たち医療者が彼らの当たり前の苦労や悩む力を奪ってはいけない,彼らの自由に伴う責任を引き受けてはならないということがわかります.

Ⅶ  リカバリーの概念と哲学

ここでリカバリーという概念が重要になってきます.リカバリーのプロセスについてレーガンは,4つの段階を示しています(図1).1つ目は希望で,自分が回復するイメージや具体的にどうなりたいかのビジョンを持つこと,2つ目は,エンパワメントの段階で,情報にアクセスでき,様々な場面で選択できることを誰かから激励されるステップ,3つ目は,責任の段階で,何かにチャレンジして具体的な失敗から学ぶステップです.この段階がべてるの家での苦労を取り戻すということに当たるかと思います.4つ目は,生活の中の有意義な役割の段階で,病気とのかかわり以外の現実の生活の中での役割を持つようになること,としています.そしてこの4つの段階を通して,回復に至るプロセスを示しています.そのプロセスの中で,支援者は当事者を引っ張る役目ではなく伴走者としての役割が求められています.

図1

リカバリーのプロセスと伴走者としての支援者

私たちはバザーリアのように急進的に社会や法律を変えることはできないかもしれません.しかし,精神に障害を持つ人々と関わるとき,その人達が地域で暮らすことを支援するときに,自分に対して「なぜ精神障害を持つ患者さんが地域で暮らすことが必要なのか」を問う必要があると思います.

その答えは一つではありません.例えば「政策だから?」「医療費抑制のため?」「障害があっても地域で暮らすことが当たり前だから?」などいろいろ出てくると思います.しかし本質的で自分にしっくりくる考え方を自分の中に落とし込んで実践に活かすことが大切ではないでしょうか?

Ⅷ  我が国における精神保健福祉における哲学の具現化への試み

精神障碍者福祉施策について厚労省は様々な施策を行っています.平成16年の「精神保健医療福祉の改革ビジョン」では,「入院医療中心から地域生活中心へ」という方策が示され,今後10年間で社会的入院患者7万人の解消を図ることも示されました.しかし,なぜ?という疑問への答えはありませんでした.平成21年には改革ビジョンの中間報告を行っていますが,社会経済的損失や目標値の再設定など,ここでも患者さんの視点からではない報告に終始しているという印象です.

そして,平成29年には,厚労省から「これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会」報告書が提出され,「精神障碍者が,地域の一員として,安心して自分らしい暮らしができるよう,医療,障害福祉・介護,社会参加,住まい,地域の助け合い,教育が包括的に確保された「精神障害にも対応した地域包括ケアシステム」の構築を目指すという理念が示されました.

厚労省は2019年には精神障害にも精神障害にも対応した地域包括ケアシステム構築のための手引きを作成し,その中で地域共生社会を目指していくということを提言しています.地域共生社会とは,制度・分野の枠や,「支える側」「支えられる側」という従来の関係を超えて,人と人,人と社会がつながり,一人ひとりが生きがいのある役割を持ち,助け合いながら暮らしていくことのできる,包括的なコミュニティ,地域や社会を作るという考え方としています.そしてそれを実現するための専門職のアプローチとして,一人ひとりの生が尊重され,複雑かつ多様な問題を抱えながらも,社会との多様なかかわりを基礎として自律的な生を継続していくことを支援する機能の強化と専門職による対人支援は「具体的な課題解決を目指すアプローチ」「つながり続けることを目指すアプローチ(伴走型支援)」が重要だとしています.この内容はだいぶん哲学が加味されたものになったのではないかと思います.

Ⅸ  看護師が哲学を具現化するには?

看護師が哲学を具現化するには,状況的認知主義として,患者とその環境を含む状況への能動的関与と意味づけを行うこと,現象学的視点として患者とその周囲を含めた背景を,自分自身とのかかわりの中での具体的な現実の中であるがままにとらえることが重要です.そして,その人の生きてきた経験をじっくりと聞くことで,その経験の意味を考え,患者と向き合っている看護師である自分自身を問いながら一緒にできることを考えていこうという,二人以上の行為主体が共同して共有された主観的世界を作りあげている様である間主観性を持つ必要があると考えました.

看護に哲学を取り入れるために必要なことを私なりにまとめると,まずものごとの本質を見極める視点をもち,それを具現化できる理論とスキルを身に着ける必要があるということ,それから新しい精神医療に関する支援を具現化するためには,看護師はいつも自問し続ける必要があるということです.そしてウィトゲンシュタインが言うように実践者は哲学者であることが重要ではないかと思います.こうしたことを今回の学会ではテーマにしております.

僭越ながら皆様方が地域精神保健の本質とは何かを考える機会になればと思っております.

 
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