Journal of Japan Academy of Psychiatric and Mental Health Nursing
Online ISSN : 2432-101X
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ISSN-L : 0918-0621
Original Articles
The Patients Who Use Their Body to Express Their Emotion
Participant Observation in a Closed Psychiatric Ward
Yuri Fushimi
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2022 Volume 31 Issue 2 Pages 10-18

Details
Abstract

本研究は,特有な関わりづらさがあり,原因がはっきりとしない身体症状を訴え続ける患者との関わりのプロセスから,なぜ患者は身体を通して訴えるのか,その背景には何があるのかを考察することを目的とした参与観察を用いたフィールドワークによる質的記述的研究である.研究参加者は精神科病院に長期入院している女性患者2名である.フィールドワークを1年間で全50回行った.身体を通して訴える患者の特有な関わりづらさには不安定なアタッチメントパターンがあった.彼女らの語りから,その背景には外傷体験による孤立無援感があることが分かった.身体症状が持つ意味として,【人を近づける方法】【入院していることへの意味づけ】があった.私との関わりの中で,彼女らは【語りの変化】【受動性から能動性へ】【感情表出】の変化がみられ,関わりの中での私の役割として【そばに居続けること】【証人】【身体ケアを含めた時間を決めた関わり】があった.

Translated Abstract

This was a qualitative descriptive study based on fieldwork using participant observation. It examined why patients complain of physical symptoms and what underlies their complaints. This was done through the process of interacting with patients who continue to complain of physical symptoms that are difficult to relate to and whose causes are uncertain. The study participants were two female patients who had been in a psychiatric hospital for a long time. Fieldwork was conducted a total of 50 times over a year. The specific difficulty in relating to the patients who complained of physical symptoms could be attributed to their unstable attachment patterns. Their narratives indicated that what underlay these patterns was a sense of isolation and helplessness generated by their traumatic experiences. The implications of their physical symptoms involved “ways to draw people closer to them” and “making sense of being in the hospital.” In the course of their interactions with me, they displayed “changes in narratives” and changes in “emotional expressions” “from passive to active;” my role in these interactions was “to continue to be there for them,” “to be a witness,” and “to provide timely interventions for physical care and other needs.”

Ⅰ  はじめに

現在,65歳以上の長期入院精神障害者は増加傾向にあり,死亡による退院が増加傾向となっている(厚生労働省,2014).千葉(2015)は,長期入院患者について,「長期入院になっていても入院治療の必要性が高い患者たちが大半を占めている」と述べ,その長期入院患者層は「重度かつ慢性の人たち」と「身体合併症治療が必要な人たち」,「介護状態の人たち」(p. 19)としており,身体的な問題を抱えている患者が長期入院の大半となっている.このように,精神科病院の入院の多くを占めている長期入院患者は,精神と身体ともに重症化していることが多く,精神と身体をともにみていくことが課題となっている.

精神と身体にまたがる疾患として,身体表現性障害がある.嵐(2011)は,身体表現性障害と慢性疼痛への看護の実践と研究の文献レビューを行ない,身体化について,身体状態に影響する心理的因子の理解の変遷により,身体医療と精神医療の狭間で捉え方に混乱がみられること,治療の場により多様な診断や治療・看護が存在し,患者は受診を繰り返し,医療者も他科のコンサルテーションを要する等,その対応に苦慮していることを指摘している(p. 5).これらから,繰り返し身体症状だけを訴える患者への治療や看護には特有の難しさがあることがわかる.このような身体症状を訴え続ける患者たちは,身体症状を訴えることが中心で率直に心情を表現することが少ない.そのため,看護師は,患者が何かしら伝えたいことがあるのでは‍ないかと感じとるが,患者の心情や困難さを把握で‍きず,結果的にケアの手立てを見失ってしまうこと‍になる.そのため,患者の病状はなかなか安定せず‍に入院期間も長くなり,長期入院患者の一部となっている.

今回,研究のフィールドとした病棟にも,原因不明の身体症状を訴えている患者が数名おり,特有の関わりづらさがあった.しかしフィールドワーク(以下,FWとする)を重ねるごとに,その患者たちと私との関係が変化していき,私は次第に,身体症状を訴える患者たちは,私に何を伝え,何を求めようとしていたのか,身体を通して訴える背景に何があるのだろうかという疑問を抱くようになった.本研究では,身体症状を訴え続ける患者たちとの関わりのプロセスからこうした問題について考えていく.

Ⅱ  研究目的

精神科病院に長期入院中で,身体を通して訴える患者との関わりを通して,その関わりのプロセスを記述しながら,なぜ,患者は身体を通して訴えるのか,その背景に何があるのかを考察する.また,そのような患者への看護としてはどのような関わりがありうるのかについても考察する.

Ⅲ  研究方法

1. 研究デザイン

本研究は,参与観察を用いたFWによる質的記述的研究である.また,本研究では「現場の人々がどのようにして日常的な活動をおこない,どのようなことがその人たちにとって重大な意味をもち,また何故そう思うのかなどについて,内側の観点から観察」(Emerson, Fretz, & Shaw, 1995/1998, p. 24)した.加えて,フィールドワークが「調べようとする出来事が起きている『現場』に身をおいて調査をおこなう時の作業一般を指す」(佐藤,2006,pp. 38–39)と定義されていることに準拠して研究を進めた.

2. 研究参加者の概要(研究参加者は仮名)

研究参加者は,身体症状を訴え続け,その身体症状の原因がはっきりとしていない患者たちのうち,研究参加に同意した女性患者2名である.

1) 歩けない患者:花田さん

花田さんは50代後半の統合失調症の女性で,4年以上,フィールドとした病院に入院している.両親を相次いで亡くし,ヘルパーを利用しながら単身生活を送っていたが,腰痛や手足のしびれ,全身の関節痛を訴え始めるようになった.精密検査では問題なかったが,徐々に歩行が困難となり入院となっている.今では手足の筋力の低下や尖足がみられ,なんとか捉まり立ちができる程度で,常時,車椅子を使用している.ベッドにいる時は体幹拘束,車椅子では車椅子ベルトと,常に拘束されている状態だった.

2) 不思議な身体像を持つ患者:稲見さん

稲見さんは60代後半の統合失調症の女性で,25年以上,フィールドとした病院に入院している.夫と娘との3人で暮らしていたが,夫は依存症であり,家庭内でのトラブルが続き,30代より入退院を繰り返すようになった.今回の入院中に離婚し,娘は夫が引き取っている.稲見さんは「足に楔が入っていて痛い」「肺が引っ張られていて痛い」などの身体の痛みを訴えている.また,毎日のように鼻血を出していて,過去に耳鼻科受診も行っているが原因がはっきりしないまま今日に至っている.稲見さんが語る身体像は「幻聴装置機で膨らませる」などといった内容で,非生物的で機械で動かされているようだった.

3. 研究期間

2014年9月からの一年間で計50回のFWを実施し‍た.

4. データ収集および分析方法

毎週1回,日勤帯に病棟に入った.フィールドとした病棟は,60床の男女混合慢性期療養閉鎖病棟で,研究者が勤務をしている病棟ではない.原則としてカルテの記載や医療的な処置を伴う看護業務は行わなかったが,研究参加者の求めに応じて,爪切り,マッサージ,ドライヤーがけの手伝い,散歩などを行うことがあった.FWと並行して週に一度,90分間のデブリ―フィング・セッションで報告した.デブリーフィング・セッションとは,精神保健看護学の教員と大学院生らが参加するグループスーパービジョンの場である.具体的には参与観察で得られたデータから,患者と研究者の反応,二人を取り巻く臨床状況などが分析,解釈され,次の仮説が立てられる.患者や研究者の反応を分析すると同時に,研究者の強い情動によって生じる観察の歪みや解釈の偏りが検討され,データの信用性が確保されるよう図られている.

フィールドノーツには,その日の臨床状況も含めて,研究者が観察し,参与した出来事を記載した.今回の研究は2人の研究参加者との関わりに焦点を絞ったものではあるが,その関わりの場面を解釈する上では,病棟全体の雰囲気や患者たちの様子,病棟スタッフのかかわり方の特徴などのデータが必要だと考えたためである.FW終了後,フィールドノーツを何度も読み,研究参加者の場面を全て抽出し,その場面に研究参加者の反応や変化,研究者との関係の変化などのテーマを抽出しコーディングをした.そのコーディングをしたものをもとに,研究者との関わりのプロセスを時間的経過に沿って再構成した.

Ⅳ  本研究における倫理的配慮

日本赤十字看護大学研究倫理審査委員会の承認(第2014-118)を受け,病院長,看護部長,病棟師長および病棟スタッフ,主治医に対し,文書と口頭で説明を行った.FWを始めるにあたり,患者へ研究者としてきていることを患者全体に説明するとともにポスターを作成し周知できるようにした.研究参加者については,研究倫理審査委員会で承認された後に,病棟スタッフと主治医の許可を得てから研究参加者へ口頭と文書で説明し,原則として署名による同意を得た.研究への参加はあくまでも自由意思によるものであり,参加を拒否することができ,それによって不利益を被らないこと,参加に同意したあとでもいつでも同意を撤回することは可能であり,その際にも不利益は被らないことを説明した.得られたデータは厳重に管理し研究目的以外には使用しないこと,研究成果を学会などで発表する場合があること,個人が特定できないよう全て仮名もしくは記号化して記述し,具体的な情報は文脈に影響のない限り改変することを約束した.

Ⅴ  結果

FW全50回は,毎週決まった曜日の日勤帯(8時45分~17時)で行い,変更することはなかった.

1. 身体を通して訴える患者の反応の特徴

1) 花田さんの場合

a) 花田さんの様子―繰り返す確認行為

花田さんはいつも大部屋のベッドで体幹拘束をされていると,ベッド柵につかまって起き上がり泣きそうな顔で廊下を見ていた.私が行くと,毎回,「今日は体操?体操の名前はなんだっけ?」と,その日の日課の内容と時間を確認してきた.そして,繰り返し担当看護師の名前の確認をし,ノートやティッシュボックスのあらゆるところに書き続けていた.次第に花田さんは,私に,ノートに日課や担当看護師の名前を書いて欲しいと頼んでくるようにもなった.私は花田さんに言われてノートにそのまま書き続けていたが,何度も続くとうんざりしていた.

b) 私との関わりの中での変化―期待に反する相手からの反応への怒り

私は,日課や看護師の確認ばかりする花田さんに,少しずつうんざりする気持ちを伝えてみるようにした.ある朝,いつものように挨拶をすると,花田さんはそれに答えることもなく「今日はお風呂でしょ.あと,なんだっけ?見てきてよ.あそこに書いてあるから」と,ホールに貼ってある日課表を見てくるように言ってきた.私は,花田さんに使われているような気がして「なんだろうね.いつも,お風呂とリハビリ体操じゃなかった?」と言って日課表を見に行こうとしなかった.すると,花田さんは私へ怒鳴って,「見てきてよ!」といったので,私が「車椅子に座った時に見に行くのは?」と提案してみた.すると花田さんは,「(目を丸くして,大きな声で)見てきてよ.お風呂までに何があるのかを知りたいのよ.いいじゃない」と言い募ってきたので,「そんな大きな声で言わないで.恐い」と正直に伝えてみた.花田さんは口をとがらせながら,「そんな大きな声で言っていないわよ」と言うのだった.

c) 私の関わりに対する反応―必死のしがみつき

花田さんは確認行為に答えない私に怒鳴るようになっていった一方で,私が花田さんのところへ行くことを控えていると,涙を浮かべながら私のところへくることもあった.例えば,私が花田さんの部屋へいくことを控えていると,その日の帰りの挨拶の時,ホールに車椅子に座った花田さんが私のところへ来て,涙を浮かべながら「仲間に入れてくれますか?」と話しかけてきた.私が「仲間?」と聞くと,花田さんは「A病院の仲間に入れてくれますか?また,お部屋に来てくれる?」と言うのだった.私がこの日,いつものように花田さんの部屋に行かなかったことで,花田さんは,私が去っていくような不安を感じていたのか,私に見捨てられないように必死にしがみついているようだった.

2) 稲見さんの場合

a) 稲見さんの様子―近づきにくさ

稲見さんと初めて話した翌週,私がホールで朝の挨拶に回っていると,稲見さんは私のところに来て,胸元の名札を覗きこんで「桜田(研究者の仮名)さんだ」と笑って言って去っていった.その日,帰りの挨拶をしに稲見さんの部屋に行くと,稲見さんはベッドに座っていて「桜田さんね.私とは遊んでくれないの?」と聞いてきた.私が「ゲームじゃなくても,お話でもぜひ」と答えると,稲見さんは「そうね.私ね,忙しいから」と断るのだった.私は,稲見さんが私の存在を気にしているように感じていたが,稲見さんの言葉の端々には刺を感じて近寄りにくさがあった.

b) 私との関わりの中での変化―子供のようになる

ある日の朝,私が朝の挨拶に回ると,稲見さんはベッドの上で膝を組んで座り,ズボンの裾をまくり上げて両膝を出していた.稲見さんは「今日ね,つまずいて転んじゃった.足がギシギシするの.先生を呼んで.桜田さんが」と言った.私は先生を呼ぶことはできないと言うと,稲見さんは「先生に診てもらいたいの.複雑骨折しているかもしれない」と言って,私へ「先生を呼んで」と言い続け,無言で両膝をさすった.私は稲見さんの姿を見ているうちに,自然と稲見さんの右膝を触っていた.私が「右膝は熱はないね」と言うと,稲見さんはニコニコして「こっちを触って」と私の手を左膝に動かした.この時初めて,私は稲見さんの身体に触れた.稲見さんが私の手をとって自分の左膝に動かした時には驚いたが,嫌な感じはせず,稲見さんのことを子供のように可愛らしく感じた.初めて,稲見さんが私に素直に甘えてきたように思えた.

c) 私の関わりに対する反応―近づくと離れる

私と稲見さんの距離が縮まったかと思うと,稲見さんは私を遠ざけることを繰り返した.例えば,私が研究参加の依頼をした時には,稲見さんから「受けないから.私のお話はだめよ」と言われた.しかし,稲見さんはこの後も「虐められている」などと話し続けたのであった.別日に,再び稲見さんへ研究参加についての説明をすると,稲見さんはニヤッと笑って「サインはしないわよ.だめよ」と言った.私が「何か気になることがあるの?」と聞くと,稲見さんは「サインすると,名前が流れるから」と言い,「終わりまで桜田さんとお話していられないかもしれないのよ.だから,だめなのよ」と語った.それまで稲見さんは私へ「桜田さんが論文をまとめるのを手伝っている」と言っていたため,私は稲見さんに裏切られたように感じ途方にくれる思いだった.私が,再び,稲見さんへ研究参加依頼をすると,稲見さんは「論文いいわよ.私がA病院で虐められていることを書いていいわよ.書いてなくして」と言って研究参加に同意した.稲見さんは,私との別れによって傷つくことを恐れているようだっ‍た.

2. 語りからみえてきた参加者の背景

花田さんと稲見さんは,私との関わりの中で,これまでのことを語るようになっていった.花田さんは両親が相次いで亡くなったことを語り,しかも孤独な状態で母を看取っていたのである.そして,その両親との関係については,父親は,「若い頃,暴力を振るう人」であり,両親が幼い頃からよく喧嘩をし,父親からは暴力をふるわれたこともあったという.その中で,花田さんは両親を必死に繋ぎとめながら生きてきたようである.

稲見さんはある日,父親について「お父さんはよく働いてね.帰ってきてから晩酌に付き合ったの.その後,3時まで勉強していたの.優等生だったから」と語った.この語りに見られるように稲見さんは,父親からの妻のような役割期待に沿う形で優等生を演じて,そうすることで両親から見捨てられないように生きてきたようである.

3. 私との関わりの中での2人の変化

私は,花田さんとは散歩をし,稲見さんとは午後に部屋で二人で話しながら,簡単なマッサージなどのかかわりをFWの際に行った.その中で2人の変化が見られた.

1) 語りの変化

花田さんは自宅で歩くことが出来なくなった時のことを「なんとか近所のおばちゃんに電話をしたの.おばちゃんが来てくれて,すぐに行くよって」と,近所の人に連絡をして駆けつけてもらったことを語った.花田さんは孤独だと思っていたが,実は自分を助けてくれる人がいて,人との繋がりがあったというストーリーも語るようになっていった.また,私へ一緒に過ごすことを求める一方で,「この手でやってきて苦労してきたの」と言いながら,「証人になってくれる?」と語った.

稲見さんは家族について,自分は母の恋人の子どもで二卵性であることや娘は2人いて,その1人は亡くなって外国でダンサーに転生しているといった混乱する内容を語っていた.FWを重ねていくと,稲見さんは「娘は面会にきたことがある」「私ね,退院できないのよ.ずっと入院していないといけないのよ.お母さんも弟も帰ったら怒るの」と,混乱する話の中にもリアリティある内容が語られるようになった.そして,両親と一緒に料理した懐かしい思い出や別れた娘が結婚の報告のために面会にきてくれたことが,入院生活を送っている稲見さんの支えとなっていると語るようになっていった.

2) 受動性から能動性へ

花田さんは,誰かのサポートを待つというスタンスから,徐々に自分から動くという能動性を示すようになっていった.花田さんは診察にくる医師へ「拘束,外して」とはっきりと希望を言うようになった.そして,FW最終日の時には,ベッドの上では体幹拘束を外されるようになったことに対して「リラックスできますよ」と言っていた.

3) 感情表出

二人の研究参加者は,少しずつ感情を素直に表出できるようになっていった.花田さんは身体だけでなく心も楽じゃない,看護師へ言いたくても言えないときには歯がゆい感じがすると語り,「自分に苛つく」「歯がゆい」と感じていることを言葉として表現するようになった.私との別れの時には,私が花田さんへ特別待遇をしていただけでなく,花田さんも私へ特別待遇をしていて,その特別な関係の中で気分が軽くなったりムカムカしたりといった様々な感情を体験していたことを語った.

稲見さんも,最初は,私には優等生の側面しかみせず「怒るのもどうかと思うのよ」と言って感情を見せることはなかったが,FWを重ねるにつれて,自分以外の家族は優秀であると語った時には,自分だけが家族から取り残されてしまったことを,涙を浮かべながら悔しいと語っていた.また,他の患者が家族と面会している光景を見て,自分の家族と重ねながら素直に羨ましいと表現するようにもなっていた.

Ⅵ  考察

1. 身体症状が持つ意味

1) 人を近づける方法

私は,花田さんと稲見さんが身体症状を抱えていることで2人に惹きつけられた.花田さんがいつも泣きそうな表情で歩けずにベッドにいると,求められているように感じていた.稲見さんは,私へ不思議な身体像を語っていたため,私は稲見さんに近寄りがたさを感じながらも興味が引かれた.彼女らは素直に人に近づくことができないが,身体症状によって無意識のうちに人を近づけていたといえる.西村(2007)は「〈病い〉は,その傍らにいる他者を引き寄せる.そうであれば,他者に気遣われ,苦しみを感じ取られ,手を差しのべられることともに,病むという経験は形作られていると言える」(p. 64)と述べている.つまり,彼女らは,身体症状を示すことによって,ほとんど無意識のうちに人を自分に近づかせ,自分の苦しみを感じ取ってもらい,自分のことを分かってほしいという思いを伝えていたのである.

2) 入院していることへの意味づけ

また身体症状は,精神科病院に長期に入院していることを自分に納得させる手段ともなっていた.稲見さんは「退院できないのよ.ずっと入院していないといけないのよ.お母さんも弟も帰ったら怒るのよ」と語っていた.家には自分の居場所がないと感じる一方で,高齢な母親の面倒をみてくれている家族へこれ以上の迷惑をかけられないという負い目もあり,入院し続けなければいけないとの諦めがあった.そのような稲見さんは,「自分の身体は珍しいから,生体解剖死をすれば家族にお金が入る」と語り,自分を犠牲にして家族2人を守っていると語った.つまり稲見さんには,自分が不思議な身体像であるために家族にお金が入って役立つという自己犠牲的なストーリーがあり,家族を守るために入院をしていると意味づけていたのである.

2. 外傷体験による孤立無援感と不安定なアタッチメント・パターンからくる関わりづらさ

花田さんは孤独に母を看取り,父親から暴力を受けていた.その中で両親を必死に繋ぎとめながら生きてきたのである.稲見さんは,父親から妻としての役割を求められ,見捨てられないようにその期待に添うように必死に生きてきていた.

彼女らにとってこうした家族との体験は外傷体験になっているのではないだろうか.Herman(1992/1999)は「世界の中にいて安全であるという感覚,すなわち〈基本的信頼〉は人生の最初期において最初にケアをしてくれる人との関係の中でえられるものである.人生そのものと同時に発生するこの信頼感はライフサイクルの全体を通じてその人を支えつづける」(p. 76)と述べている.花田さんと稲見さんは両親との関係の中には基本的信頼を得られず,いつも安全であるという感覚がないまま生きてきたのである.このように安全感がないままに生きてきた花田さんと稲見さんは,それでも生きていくために必死に両親や夫を自分に繋ぎとめようとしてきた.しかし,彼女らはそれにもかかわらず,家族との死別や離別を繰り返し体験した.必死に繋ぎとめていたものを喪失することは,彼女らにとって,さらなる外傷体験になったのである.Herman(1992/1999)は,外傷的事件は「個人と地域社会とをつなぐ意味と感情的紐帯とのシステムに対して」(p. 75)打撃を与えるという.つまり,人は外傷体験によって自分は誰とも繋がっていないのではないかという孤立無援感を抱きやすくなるのである.彼女らには外傷体験によって,誰も自分のことを助けてくれないのではないかという孤立無援の恐怖がつきまとっていたのではないだろうか.

また私は,二人と関わっていくにつれ,特有の難しさがあることに気づいた.それは彼女らとの間に親密さが生まれ距離が縮まってきたと思うと,私へ怒鳴ったり嫌なことを言ってくるということである.私は,彼女たちが私を近づけたいのか遠ざけたいのか分からなくなり,その場を去るというパターンが繰り返された.

「愛着理論」を生み出したBowlbyは,幼児期におけるアタッチメントの問題と成人期における症状,たとえば,抑うつ,広場恐怖,および精神病質的障害との間に関連性があるとして,安定したアタッチメントと不安定なアタッチメントを基本的に区別した.不安定なアタッチメントは,親の死や離婚といった親による養育の断絶に起因するとし,これには「不安性抵抗アタッチメント」と「不安性回避アタッチメント」の2つのパターンがあるという(Holmes, 1993/1996, pp. 109–110).

花田さんの場合は,「不安性抵抗アタッチメント」がより強かったと思われる.「不安性抵抗アタッチメントのパターン」とは,子どもが援助を求めたとき,親が関われるか,応答的であるか,または援助的であるかどうかについて不確かであり,この不確実さゆえに,子どもはいつも分離不安の傾向があり,母親にすがりついたり,外界の探索に不安を感じている(Bowlby, 1988/1993, p. 158).つまり,しがみつきのパターンである.花田さんは,毎朝,泣きそうな顔で担当看護師を待ち続け,私に繰り返し担当看護師の名前を確認しノートに書くことを求め,私がそれに応えないと怒鳴る一方で,私が花田さんの部屋へ行くことを控えると涙を浮かべて「また,お部屋に来てくれる?」と言いに来ていた.花田さんは自分を保護してくれる人から見捨てられるのではないのかという恐怖と怒りがあり,怒鳴ることで自分から離れていくことを引き止めて絆を取り戻そうとしていた.そして,自分が一人になってしまうのではないかという不安から,私や看護師,病院にしがみついていたのである.しかし,泣いたり怒鳴ったりすることで,人は花田さんから離れてしまい,その結果,ますます孤独感を増大させていたのである.

一方,稲見さんの場合は,「不安性回避アタッチメント」の傾向が強かったと思われる.「不安性回避アタッチメントのパターン」の子どもには,人との距離を保ち,他の子どもをいじめる傾向がある(Bowlby, 1988/1993, p. 161).このパターンの子どもたちは離別において苦悩の明白な徴候を示すことが少なく,母親の挙動に対して警戒心が強くなり,遊びは抑制される(Holmes, 1993/1996, p. 134).つまり相手の様子を伺いながら近づきながらも,拒絶されることを恐れて相手が嫌がることをして距離を保とうとするのである.例えば稲見さんは,研究参加の依頼をした時には,それまで論文をまとめる手伝いをしていると言っていたにも関わらず「だめよ」と断ることもあった.そこには,私との別れによって傷つくことや,私が稲見さんのことを拒否することを恐れているようであった.稲見さんもまた人からの愛情を求めているにもかかわらず,人との距離が近づくと自分が拒絶されてしまうことを恐れて,嫌われることをしてしまうのである.その結果,相手に不快な思いをさせてしまうため,相手からの拒絶は現実のものとなり,自分は愛されない人間であると思って孤独感を増大させてしまうのである.

3. 私の役割

私との関わりの中で花田さんと稲見さんは,これまで述べたような変化があり,そのプロセスの中では,私には以下の役割があったと考えられる.

1) 【そばに居続けること】と【証人】

この一連の関わりを振り返ると,まず,私は彼女たちのそばに居て向き合い続けることができていた.私は関わりづらさを抱きながらも,彼女らの所へ行き続け,彼女たちと関わっていく中で感じたことや彼女らが私に言いたいことについて考えながら,率直に話し合うことを心がけていた.その中で,彼女たちは,徐々に感情を表現し意思表示をするようになっていった.例えば花田さんは,「拘束を外してほしい」と医師へはっきりと意思表示するようになり,FW最終日にはベッドの上では拘束が外されることとなった.Schwing(1940/1966)は精神病者への関わりについて「『母の体験』を通して彼らは手の届く範囲に達し得た」と述べ,「母の体験」となる母なるものの主要な特質は,「相手の身になって感ずる能力,他のひとの必要とするものを直感的に把握すること,そしていつでも準備して控えていること」(pp. 40–41)と述べている.また,小玉(2013)は,看護援助の対人関係は,看護師の側からみると「①相手の身になる,②そのときどきの相手の表現を受けとめる,③ナースが自らを表現する」(pp. 70–71)といった構成になると述べている.つまり,患者との対人関係においては,患者の元に行き,そばに居続けて,向き合っていくことが不可欠なのである.

また花田さんは,私へ一緒に過ごすことを求める一方で,「この手でやって苦労してきたの」と言って「証人になってくれる?」と語った.つまり,私に証人になることを求めてきたのである.それは,私へこれまでの自分の人生の証人になってほしいと求めているようにも感じられた.稲見さんは,私が研究参加の依頼をした時には「虐めをなくすように書いて」と言って,自分のことを論文に書くことを求めていた.それは,過酷な入院生活を耐え抜いた自分がここに存在していると証明してほしいということを求めているようだった.彼女らは,私へ一緒に過ごすことだけでなく,私に証人役を求めていたのである.

Herman(1992/1999)は「治療者は証人役と同盟者役を演じる.治療者がそばにいてくれるからこそ,被害経験者は口に出せないことを口に出せるのである」(p. 273)と述べている.私が彼女らと一緒に居続けることによって,彼女らはこれまで蓋をしていた感情の蓋を開けるのである.

彼女らは感情の蓋を開けることが出来るようになると,語りの変化がみられるようになった.彼女らの語りは,これまで断片的にあったことが繋がり,別の側面からも出来事を見ることができるものとなっていた.野口(1999)は「語ることによって,さまざまな出来事や経験や意味が整理され配列されて,ひとつのまとまりをもつようになる.文化的象徴体系,個人的経験,社会関係といったさまざまな源泉を背景にもつ意味が取捨選択されて,ひとつの物語が構成される.そして,このような物語こそが,個々の経験に具体的な輪郭を与える枠組みとなる」(p. 942)と述べている.彼女らは私と語ることで,これまでの断片的であった出来事を繋ぎ合わせ,自分のライフストーリを統合させていったのである.そして,これまでの人生や体験に自分なりの意味づけを行っていた.外傷的記憶は「言葉を持たず,また静止的であり,被害経験者の最初の事件報告は繰り返しが多く,紋切り型で,感情が混じらない」という(Herman, 1992/1999, p. 273).つまり,外傷体験があると,それに対する感情は蓋をされるのである.彼女らは,能動性を取り戻すと同時に,現状と向き合い,これまでの体験を振り返ることで,その感情を素直に言葉にして表現できるようになったのである.

それとともに,彼女らは能動性を取り戻していた.Herman(1992/1999)は,心的外傷の体験の中核は無力化と他者からの離断であるため,「回復の基礎はその後を生きる者に有力化を行い,他者との新しい結びつきを創ることにある.回復のための第一原則はその後を生きる者の中に力を与えることにある」(p. 205)と述べている.つまり,外傷体験から回復するには,回復の主体として,自己決定を行う力や積極的にことを始める力を取り戻していくことが必要なのである.今回,彼女らが能動性を取り戻したことは,このような力を取り戻す兆しとなっているのかもしれない.

2) 身体ケアを含めた時間を決めた関わり

私は,彼女らと一定の決まった時間を過ごし,その中で散歩やマッサージなどの身体ケアを行った.花田さんは,病室や病棟ホールで話すよりも散歩へ行って話す時の方が安心して話していた.この一定の決まった時間を一緒に過ごすことは,上述した一緒に居続けることの保障ともなり,彼女らに安心感を与え,「抱っこ」する環境になっていたのではないだろうか.Winnicott(1965/1977)は「抱っこ」は物理的侵害からの防護だけでなく,人格が統合されていく過程で,人格が解体されてしまいそうな幼児を統合させていく機能があるという(pp. 43–47).つまり,私と一定の時間を過ごすことは,彼女たちにとって,バラバラになりそうな自分を保護され支えられているようだったのではないだろうか.私と一定の時間を一緒に過ごすことは,2人にとってその時間を私と必ず一緒に過ごせるという安心感と,人との繋がりを感じて保護されているような感覚をもたらしたのではないだろうか.

こうした関わりに加えて,私は花田さんには爪切りやドライヤーがけの手伝いなどの身体ケアを行い,稲見さんには痛みを訴えた足をさするなどの身体的接触を行った.身体的接触は非言語的なコミュニケーションとなり,私が彼女らの気持ちを理解する機会になっていた.稲見さんが転んで両膝を打撲した日,両膝を私に見せてきた時,私は自然と稲見さんの膝をさすっていた.そして稲見さんは,自分が触れて欲しいと思っている腫れた膝に私の手を動かした.その時,私は,稲見さんは私に甘えたいという気持ちを伝えてきたように感じた.この稲見さんが私に甘えたいと思っていると感じ取れた感覚は,稲見さんのことを理解していくきっかけとなった.Anzieu(1985/1993)は「共通皮膚は,互いを結びつけながら,両者のあいだに直接的なコミュニケーション,相互的感情移入,密接な一体化を確保している.両者の感覚,情緒,心的イメージ,生命のリズムの共鳴して震える一枚の垂れ幕とも言える」(p. 105)と述べている.つまり,身体的接触はお互いの思いを伝えあい,その時に感じたことをもとに,相手への理解を深めていくことができるのでる.彼女たちに触れた時に私の中で沸き起こった感情は,彼女たちへの理解を深めることを可能にしていた.

Ⅶ  おわりに

身体症状を訴え続ける患者は,孤立無援感を抱くと同時に,人との繋がりを求めている.そばに居続けることや身体ケアによる身体的接触は,患者が人との繋がりを感じさせるきっかけとなり,それが安心感へと繋がっていくのである.そのため,患者の関わりづらさがあっても,まず一緒に過ごし,訴える身体症状への身体ケアを行っていくことが,身体症状を訴え続ける患者への看護の突破口になっていくと考えられる.

本研究は,参与観察という研究手法によって,身体を通して訴える患者の内側からの観点から,なぜ身体を通して訴えるのか,その背景にあるものを導きだせたものといえる.しかし本研究は,研究参加者が2名に基づく分析であるという限界があり,今後は同じような身体症状を強く訴える患者でも同様の現象が生じるのか,あるいは,身体症状の訴えが少ない患者ではどうなのかなど,さらに研究参加者を拡大して考察していくことが課題である.

謝辞

本研究にご協力いただいた患者の皆様,病院スタッフの方々に,深く感謝申し上げます.本論文は日本赤十字看護大学に提出した修士論文の一部に加筆,修正を加えたものであり,日本精神保健看護学会第27回学術集会において発表した.

著者資格

FYは,研究の着想およびデザイン,論文の作成,データ収集と分析を行った.最終原稿を読み,承認した.

利益相反

本研究における利益相反は存在しない.

文献
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