2023 Volume 32 Issue 2 Pages 60-66
私が新卒で配属されたのは,小児専門の精神科病院,東京都立梅ヶ丘病院でした.児童または思春期の精神科病棟に入院してくる子どもたちは,そのほとんどが不登校やひきこもり傾向にありました.子どもだけでなく家族も孤立していました.最初に受け持ったのは,学校ではさみを振り回したり,4階の窓から物を投げたり等の危険・迷惑行為により学校での受け入れ困難となったADHD(Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder)の男の子でした.母子家庭で経済的に苦しく,母親は転職を繰り返していました.母子密着が激しく,それが高じてか,虐待の疑いがありました.ただ,とてもユーモアにあふれていて,病棟スタッフをいつも笑わせてくれるムードメーカーでもありました.次に受け持ったのは,虚言癖がある高機能自閉症の男児でした.母親はブランド品を身につけ,高級車で面会に来るのですが,親の本音が見えず妙な違和感を覚えました.
社会で居場所がない子どもと大人との出会いは,当時の私にとっては衝撃的な経験でした.同時に,不登校・ひきこもり傾向ではあっても,病棟では活き活きと子どもらしさをみせてくれる姿もまた,非常に印象的でした.この時,もっと精神看護を学びたいと思い,大学院への進学を志しました.
そこで,大学院への進学の準備をしながら,精神科クリニックで訪問看護師として働き始めました.病棟という特殊な環境しか知らなかった私は,訪問看護を通してその人の生活の場に入ってケアするということを始めて経験し,精神症状があっても力強く生きている人たちが地域には沢山いることを知りました.これは,私にとっては,病棟で看護をしていた時には得られなかった発見でした.一方で,そうした人たちは,理解されることが難しく,地域で居場所を失いやすい状態で,必要としている支援にたどり着けていない人も多いのではないかと考えるようになりました.今では,精神疾患の診断の有無に関わらず,社会から孤立し,心の健康に不調をきたし,生きづらさを抱えて助けを必要としている人が沢山いると思っています.
「生きづらさ」という言葉を最近よく耳にするようになりました.生きづらさを抱える人は,精神疾患患者ばかりではありません.社会には生きづらさを抱える人たちがたくさんいて,彼らは,ちょっとした支援があれば,地域で自分らしく生活できるのです.生きづらさを抱える人たちが,地域で自分らしく生活するための支援とは何か?それは,「精神看護」なのか?精神看護は,精神疾患がある人のケアだけでなく,心の健康の維持・増進を含みます.生きづらさが,心の健康と関連があるのなら,生きづらさは精神看護の対象といえます.
生きづらさへの精神看護を考える前に,精神看護を描く試みについてお話ししたいと思います.自分が臨床経験の中で実践してきたことの,何が精神看護だったのか?というのが私の研究の原点です.大学院に進学する少し前に,萱間先生が書かれた「精神分裂病急性期の患者に対する看護ケアの意味とその構造」(萱間,1991)という論文を読み,看護ケアを記述することができるということに,感動しました.それ以来,私は,目には見えない心のケアを,その営みに関わる人々の語りで言語化することをライフワークとして取り組んできました.
精神看護を描く際に,私が採用した研究方法は,Grounded Theory Approach(以下,GTA)です.GTAは,質的研究の手法の一つで,データから帰納的分析を積み重ねることで,概念的枠組みや理論を創造することに焦点をあてるという点が特徴です.インタビューや参加観察を通して得られたデータをもとに比較分析を継続的に行うことによって,対象となる現象の意味を見出しカテゴリーとして概念化していきます.私は,大学院でGTAを学び,その後も自己研鑽を重ねながら,細々と研究を続けてきました.臨床家へのインタビューは,いつも新鮮で,とても楽しいものです.今日は,「精神看護を描く」という事に関連してGTAを用いて実施した2つの研究を紹介したいと思います.
一つ目は,児童・思春期精神科病棟の熟練看護師の看護実践を体系的に示した研究です.この『子どものこころを育むケア』(船越,2020)は,本質的な問題に取り組むことと,治療的な信頼関係を構築することの2つで構成されています(図1).『本質的な問題に取り組む』では,児童・思春期精神科病棟に入院中の子どもが抱える問題の解決に向けて,熟練看護師は,3つの段階的なプロセスでケアを行っていました.まず,表出されている子どもの問題行動に対処し,次に,言動の奥に隠れている本質的な問題を把握し,最後にその本質的な問題に踏み込んでいました.子どもの本質的な問題に取り組むためには,子どもと良好な関係性を構築することが不可欠ですが,患者が子どもの場合,大人である看護師との関係性は特殊です.特に,児童・思春期精神科病棟に入院する子どもは,愛着(アタッチメント)の形成や表現が適切でない場合や大人に対する不信や憎悪を感じている場合も珍しくありませんので,看護師は,子どもである患者との間で良好なアタッチメントを発展させることが求められるという特徴があります.
子どものこころを育むケア
そこで,『治療的な信頼関係を構築する』では,まず,看護師が特定の子どものアタッチメントの対象となり,次にアタッチメントを形成する.そして,そのアタッチメントを他のスタッフへと拡大させる.最後に,普段から子どものアタッチメント対象を引き受けられるように準備しておく,という4つのプロセスがありました.治療的な信頼関係を構築するために,看護師は,子どもに対する自分の愛着の深まりと,子どもとの心的距離との間で適当なバランスをとる必要があることも分かりました.
二つ目は,ひきこもり状態にある本人および家族を対象に熟練支援者が行う訪問支援のプロセスを明らかにした研究です(Funakoshi et al., 2022).ひきこもり支援では,本人が相談に訪れることは稀で,親の相談から始まります.本人が相談に来ない,親が家に来て欲しいと言う,という理由で訪問が始まることが多いのですが,いくら訪問しても本人には会えず,親も支援者もあきらめるということがおこっていました.その一方で,積極的に訪問を行って本人の社会参加につなげている,神業をもった支援者もいました.
熟練支援者は,『ひきこもり本人の社会参加への動機づけ』と『社会とのつながり』の二つの側面に注目して働きかけることで,自分なりの社会参加のあり方を見出すことを支援していました(図2).支援機関につながるまで,ひきこもり状態にある本人は,「何もできず,生きる価値がないという絶望」を抱き,社会の中で完全に「孤立」していました.家族等から相談を受けた支援者は,ひきこもりの背景にある課題の見立てや家族の力量を評価し,ゴールまでの見通しを立てた上で,危機介入や家族支援などを行い,本人に働きかけるための環境を整えていました.危機介入や家族支援によって,ひきこもり本人は家族との関係性を再構築することができるようになっていきます.こうした間接的な支援は,ひきこもっている自分に対して「このままではいけないという葛藤」を喚起させるというねらいもありました.
熟練支援者が行う訪問支援のプロセス
支援者は,訪問支援の開始を家族から提案してもらったり,会えなくても定期的に訪問したりするなど,会いたいというサインを送ることで,本人との直接の関わりを持とうとしていました.そして,本人との接点を継続的なものにする中で,本人とつながる特定の支援者として,生きづらさを受け止め安心できる場を訪問の中で作っていき,本人が「自分にもできることがあるかもしれないという希望」をもてるようになり,自分の希望や困りことを支援者に表現できるように働きかけていました.
支援者は,支援チームやひきこもりを経験した仲間を巻き込みながら,本人の日々の生活上の困りごとや希望に対応することで,少しずつ活動範囲・関係性を拡大させていました.また,社会とのつながりを拡大していく際には,人の役に立つ喜びを感じることができるように工夫していました.社会の中で役割をもち,自分なりの「社会参加」のあり方を見出すことができた時は,訪問支援は終了し,社会とのつながりが維持されるように見守っていました.
この研究を通して,会えない訪問をただ続けるだけを避けるためには,訪問支援は対象者の綿密なアセスメントに基づいて戦略的に実施することが必要なこと,特に訪問支援を開始する時は,訪問の次の見通し,つまり,訪問によって本人を地域のどの社会資源につなげたいのかという見通しを立ててから,会いたいというサインを送ることがポイントだと分かりました.
こうした研究を通して,目に見えない心のケアを描くということは,可能で,必要なことだと私は思うようになりました.次に,ケアの対象である「生きづらさ」をより理解するために,生きづらさと関係が深い社会的孤立について,先行研究の知見と現在私が取り組もうとしている支援についてお話したいと思います.
社会的孤立とは,「家族やコミュニティとはほとんど接触がない」という客観的な状態を意味し,仲間づきあいの欠如あるいは喪失による好ましからざる感情(主観)を意味する孤独(loneliness)とは区別されます(Townsend, 1968).友人,職場の同僚,その他社会団体の人々(教会,スポーツクラブ,カルチャークラブなど)との交流が,「全くない」あるいは「ほとんどない」と回答した割合が日本は15.3%で,OECD加盟20カ国で最も高い割合となっています(OECD, 2005).
社会的孤立は,ライフサイクルのどのステージで顕在化するかによって,問題の取り上げられ方が異なります.例えば,学童から青年期には,不登校・ひきこもりの他に,ヤングケアラーやネット依存,いじめ,などとして捉えられます.私が研究テーマとして取り組んでいるひきこもりは,この社会的孤立の一つといえます.最新の内閣府の調査(2023)では,ひきこもり状態にある15歳から64歳は146万人(2.03%)と報告されています.
社会的孤立に陥りやすい人は,マイノリティ,心身の不調,高齢,男性,未婚,育歴が低い,収入が少ないとするシステマティックレビュー(Tibiriçá, Jester, & Jeste, 2022)があります.社会的孤立の状態にある人は,心身の不調を抱え,仕事がなく,収入が少ない人といえそうです.また,社会的孤立は,心身の健康に悪影響を及ぼすことが,複数の研究で報告されています.
社会的孤立は,世界的に注目されています.2018年,イギリスが孤独問題担当国務大臣を設置したことは,ちょっとしたニュースになりました.日本は,2021年2月 イギリスに次いで世界で2番目となる孤独・孤立対策担当大臣が誕生し,内閣官房に「孤独・孤立対策担当室」が設置されました.
社会的孤立状態にある人への効果的な援助として最も一般的な介入のタイプは認知行動療法といわれています.マインドフルネスを用いた介入やインフォーマルなソーシャルサポートも有効だとされています.私は,マインドフルネスを用いた介入の一つであるCompassion Focused Therapy(以下,CFT)が不登校やひきこもりを経験した人とその家族が,生きづらさを和らげるのに効果的ではないかと思い,介入研究を実施しました(船越ら,2020).CFTは,自己と他者への慈しみの心を育むことで,恥と自己批判の気持ちを緩和し,社会へコミットする動機付けを促す心理療法です.CFTは,不安・抑うつ気分の軽減,well-beingの向上や社会不安をもつ人々の社会適応の促などが報告されています(Kirby, Tellegen, & Steindl, 2017;Henderson, 2010).
この研究では,ひきこもり状態にある人の母9名,過去にひきこもり状態を経験した者1名を対象に,120分/回のCFTを用いたグループアプローチを6回実施し,介入前後での自己への慈しみと不安について評価しました.参加前後での比較については,状態不安は,統計的な有意差はなかったが,全ての回でプログラム参加後は参加前よりも低下していました.初回参加前と最終回参加後のセルフ・コンパッションと特性不安の得点を比較してみましたが,統計的な有意差は認められませんでした.
介入内容については,「やや不満」と答えた者もいましたが,多くが「とても満足」または「やや満足」と回答してくれました.自由記述をみると,「マインドフルネスについては,「瞑想に集中できすごく心地よい時間でした.」という意見がある一方で,「現実的ではなく,私には,難しかった.」という意見もありました.この研究は,CFTが社会で孤立し,生きづらさを抱える人への支援として有用だという手ごたえをもたらしてくれました.
そこで,2022年から月1回,地元の古民家を改造したカフェで,「つながるコンパッションCAFÉ」を開くことにしました.不登校・ひきこもり等の社会的孤立を経験した人やそのご家族が,立場や役割を超えて,お互いに学び合い,変化し,成長する場をめざしています.始めてちょうど1年になりました.毎回5~7名程度のひきこもり・不登校経験者とその家族が参加してくれています.生きづらさを感じる人が,生き方を学ぶという発想でやっていますが,これはとても大切なことなのではないかと感じています.
「つながるコンパッションCAFÉ」は,対面でのリアルな関りを大切にしていますが,社会的孤立の支援においては,デジタルツールの活用が注目されています.14~24歳の若者を対象としたデジタルでの持続的な質の高い社会的つながりは,抑うつや不安の減少につながるという研究もありますが,高齢者に対しては孤独感を軽減したといえるほどエビデンスが蓄積されていないようです.ただ,社会的支援,社会的つながりが増えるなど社会的孤立一般に関連してプラスの影響を与えると言われています.
私は,こうしたデジタルツールの使用がひきこもり支援において有効かを2020年に調査しました.ひきこもり支援において,中間的・過渡的な社会参加の場として「居場所」への通所が重要であるといわれていますが,外出への恐怖や対面でのコミュニケーションへの不安から定期的な通所が困難な人が多いのが現状です.そこで,兵庫県が行っている「ひきこもり状態にある者を対象とした電子媒体を活用した居場所の開設」事業を利用し,2020年10月~2021年3月の半年間に実施されたオンライン居場所の参加者に対して,居場所終了後にWEB上での自記式アンケート調査を行いました(船越・Yong・関口,2021).
そして,オンライン居場所高満足群24名(55.8%)と低満足群19名(44.2%)を比較しました.その結果をみますと,年齢については,高満足群の平均が26.9歳,低満足群の平均が42.7歳,不登校・ひきこもりが始まった年齢は,それぞれ11歳と18.5歳でした.高満足群の方が,統計的に有意に現在の年齢及び不登校・ひきこもり開始年齢の平均値が低いという結果でした.同様に,高満足群と低満足群で,活動の範囲と無理なく関われる人の範囲,精神的健康等でも違いが見られました.活動の範囲については,高満足群は「就労・就学はしていないが自由」と「就労・就学はしており自由」を合わせて8割を越えていたのに対して,低満足群は「近所」が約3割を占めていました.無理なく関われる人の範囲は,高満足群は「誰とでも」が最も多かったのですが,低満足群は「特定の家族または支援者」が最も多いという結果でした.精神的健康については,低満足群の全員が気分障害・不安障害のリスク状態にありました.オンライン居場所に参加したきっかけは,高満足群は支援機関・自助グループからの紹介が多いという特徴がみられました.
これらのことから,オンライン居場所は,ひきこもり支援において満足度が高い方法であり,就労・就学はしていなくても自由に活動でき,無理なく関われる人が複数いる20歳代を中心とした若者の社会参加への支援として特に有用であるといえそうです.支援機関・自助グループからの紹介で参加したことが高い満足につながったと考えられることから,個別相談や訪問支援等と組み合わせた利用が効果的な可能性があります.
また,この研究を通して,オンライン居場所は単にリアルな居場所の準備段階ではなく,それ自体が新しい交流のあり方だということがみえてきました.
社会的孤立,特にひきこもり状態にある人への支援について,お話してきましたが,ここで病棟看護に話を戻したいと思います.私が生きづらさを抱える人と最初にであったのは,児童・思春期精神科病棟でした.そこには,不登校・ひきこもりを経験した子どもたちが沢山いました.
児童・思春期精神科病棟の入院治療において,看護師が行う支援は,子どもへのケアだけでなく,集団への関わり,他職種との連携や親への対応など多岐にわたっています.しかし,児童・思春期精神科看護は,基礎教育では,ほとんど取り上げられていないこと,専門性が高く他の診療科での看護経験が生かされにくい特徴があることから,看護実践能力の習得が難しいといわれています.私が関心をもったのは,良い看護,つまり質の高い看護実践とは何か,それは客観的に測れるのか,という点です.質の高い看護実践が明らかとなり,それを客観的に評価できれば,看護の質を向上させるためにどうすれば良いかが見えてくると考えたのです.
最初に,児童・思春期精神科病棟における看護実践向上のためのコンピテンシー・モデルの開発に取り組みました.コンピテンシーとは,ある職務や状況において,高い成果・業績を生み出すための特徴的な行動特性のことです.コンピテンシーを段階的にモデル化したものをコンピテンシーモデルといいます.この研究では,児童・思春期精神科看護におけるコンピテンシーを,「児童または思春期の子どものメンタルヘルスに対する看護の場において,効果的な看護実践を導く看護師の思考や行動の特性」と定義し,アセスメント,援助の基盤づくり,援助行動,協働,専門能力の開発の5つの領域に分類しました.そして,コンピテンシーモデルとして,看護師の経験年数に応じた4段階の到達目標を設定し,さらに,そのコンピテンシーが示す具体的な看護師の行動を,行動指標として整理しました.行動指標は,領域ごと,レベルごとに,一覧で表しました.
行動指標は,到達目標を達成できているかどうか評価をする際に参考とするものです.
次に,質の高い看護実践がもたらすアウトカムを明らかにするための研究を行いました.この時,質の高い看護実践と関連がある要素として,医療事故について検討することにしました.つまり,看護師としての経験年数が長い者は,質の高い看護を実践し,医療事故は少ない,という仮説を検証しました.その結果,経験豊富な看護師は,実践能力が高く,医療事故をおこしにくいことは分かったのですが,医療事故は,実践能力以外の要素が大きいという可能性が示唆されました(Funakoshi, & Miyamoto, 2021).
この時は,看護実践の質を測るものとして,児童・思春期精神科看護に特化した評価指標がなかったため,病棟看護全般の卓越性自己評価尺度を用いました.そこで,児童・思春期精神科看護に特化した看護実践能力を定量的に評価できる指標が必要と考え,先に紹介したコンピテンシーモデルを基盤とした「子どものこころのケア実践尺度」を開発しました(Funakoshi et al., in press).
子どものこころのケア実践尺度を使って分析してみると,児童・思春期精神科病棟での経験年数が3年以上,精神的健康が良好,過去一年間にインシデントを経験している人は,実践尺度が高得点,つまり,看護実践能力の高いという特徴がみられます(船越・宮本・土谷,2019).インシデントを経験している人の方が,経験していない人よりも,統計的に有意に尺度得点が高いというのは不思議な結果ですが,経験豊富で優秀な人ほど困難なケア場面に対応する機会が多いからと考えるとこの結果は頷けます.病棟看護全般の卓越性自己評価尺度を用いて,パス解析を行った時に,看護実践能力の高さの,医療事故の少なさへの影響は大きくなく,他の要因が影響していると考えられたことも辻褄があいます.
長く神戸で活躍され,昨年亡くなられた精神科医 神戸大学名誉教授の中井久夫先生は「医者が治せる患者は少ない.しかし,看護できない患者はいない.息を引き取るまで,看護はできるのだ」という言葉を看護師向けの教科書に書かれています(中井・山口,2004).私は,社会的孤立への支援を考えるようになって,「看護できない患者はいない」というフレーズを何度も思い出すようになりました.孤独や生きづらさを治療することはできなくても,ケアすることはできると思うのです.
そもそも,精神保健看護は,薬物療法が始まる以前から,心の病を患ったことによって地域社会から拒絶された人々を癒し,生活の援助を行ってきました.精神保健看護には,多様性と包摂性の実現に向けた実践の積み重ねが十分あると思います.「生きづらさ」が注目される今,こうした実践の積み重ねから,大きな貢献ができるのではないでしょうか.私たちは,社会から,生きづらさを感じる人々から,さらなる貢献を期待されているのではないでしょうか.
実践の科学である看護学は,ケアを可視化し,ケアの社会的臨床的意義をエビデンスで示し,支援枠組みを構築して社会実装することを目指しています.そうすることで,人々の健康に寄与することができるのです.孤独を感じ,生きづらさを抱える人たちに何ができるか.多様な背景をもち,多様な環境にある人々を包摂する社会の実現に向けて,精神保健看護が果たせる実践は何かを皆さんと一緒に探求したいと思っています.実践は,語ることで意味付けられ,実践と実践がつなぎ合わさることで新しい実践が生まれます.今日と明日の学術集会を通して,参加された皆さんが,自分の実践を語り,他者の実践に耳を傾けることは,新しい実践を切り開く小さいけれど大きな一歩になると信じています.
※ご紹介した研究については,WEBサイト「子どもと若者のこころのケアと看護」https://capsychnurs.jp/にて情報発信をしています.