Journal of Japan Academy of Psychiatric and Mental Health Nursing
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Materials
Experiences in Overcoming Difficulties of Children of Mothers with Mental Illness
—Narratives from Members of a Self-Help Group
Satoko IgaKeiko YokoyamaMakiko Morita
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2024 Volume 33 Issue 1 Pages 138-146

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Abstract

本研究は,精神疾患のある母親をもつ子ども(以下,子ども)たちの語りから,子どもたちが子ども時代の困難をどのように乗り越えてきたのか,その経験が子どもたちの人生にどのように影響しているのかを明らかにすることを目的とした.セルフヘルプグループに集う成人した4名の子どもを対象に,ライフストーリー研究法を用いて,彼らの経験の語りを分析・解釈を行った.

子ども時代,子どもたちは心に蓋をし,その瞬間を生きてきた.大人になるとその経験はトラウマや孤立感,自身の感情に気付きにくい等の生きづらさとなった.彼らは仲間と出逢うことで孤立感から解放され,自己の経験を語ることで自分の人生を捉え直し,生きづらさを乗り越えようとしていた.

子どもたちの成人後の生きづらさからの回復には,仲間と出逢い自己の経験を語ることや,親の精神疾患を理解することが必要であり,支援者は,子どもたちの伴走者として共に歩み,家族全体を視野に入れた支援が必要である.

Translated Abstract

This study clarified how children of mothers with mental illness (hereafter referred to as “children”) overcome their childhood difficulties, and how these experiences affect their lives. Using the method of life story research, the experiences of four adult children who meet in self-help groups were analyzed and interpreted.

During childhood, children lived in the moment, repressing their own feelings. In adulthood, these experiences of living in the moment and repressing their own feelings became traumatic and isolating, hindering recognition of their feelings.

The children were able to free themselves from isolation after interacting with their peers, re-assessing their lives, and overcoming their difficulties by sharing their experiences.

Supporters should serve as guardians for these children moreover, they should provide support for the entire family.

Ⅰ  緒言

日本における精神障害者数は419万人を超え(内閣府,2022),そのうち子どもを出産し育てる年代である20歳以上65歳未満の精神障害者数は全体の約54%を占める.さらに,精神科病院外来における統合失調症慢性期女性患者についての調査では,45例中40%が出産の経験し,結婚歴のある20例中90%が出産の経験があることが報告されている(下山,2005).このことから,精神疾患をもつ母親とその子どもは相当数いることが推測できる.

精神疾患のある親をもつ子ども(以下,子ども)に関する先行研究では,子ども時代の困難として,親の精神症状による奇行や無関心等から,恐怖心や怒り,不安,羞恥心等を感じると共に,周囲との関係性の阻害や,経済的困窮に陥ることもあること等が明らかになっている(田野中ら,2016田野中,2019).さらに,当たり前の生活習慣を知らないことで自信がもてないことや,親の意向に囚われてきたことで自分のために生きられない等,成人後も生きづらさが続くことや(田野中,2019),精神科医療機関における子ども支援の実践が報告されている(大野・上別府,2015).一方,精神疾患をもつ親に関する先行研究には,統合失調症慢性期の母親の子育ての問題や,精神疾患のある母親への支援(下山,2005)に関する研究がある.このように,子どもの困難や精神疾患のある親に焦点をあてた先行研究は散見できるが,子どもたちが子ども時代の困難をどのように乗り越え生きてきたのか,その経験が子どもたちの人生にどのように影響しているのかに焦点を当てた研究は見当たらなかった.

親の養育態度は子の成長・発達全般に影響を及ぼす(奈良間・丸,2012).一般的に,養育者が子を愛し,その存在を尊重,受容し,子の発するシグナルに応答的な安心できる安全基地としての役割を果たすことで,子は安定した愛着を形成し,考えや感情,行動の探求ができるといわれている(真島,2001).しかし,精神疾患をもつ親の,子どもが発したシグナルへの応答性の低下や過剰な反応,暴言,奇行によって,子どもの安定した発育経過が困難となり,子ども自身も精神疾患のリスクが高いといわれている(Rasic et al., 2014).

現在,精神疾患のある親をもつ子どもたちへの支援が広がりつつある.民間団体による子ども支援では,『ぷるすあるは』が,子ども向け絵本や心理教育ツールの制作・普及活動を行っている.また,子どもたち自身が支援者の協力を受け,『精神疾患の親を持つ子どもの会』を設立し,子どもの集いや家族学習会等を行っている.公的な子ども支援では,助産師・保健師による新生児訪問・乳幼児健診・育児相談,児童相談所での相談・一時保護,保育所での子育て支援,学校での教育相談があるものの,支援希求者の把握,継続支援,他機関の連携,支援者への教育体制が課題となっている(横山・蔭山,2017).

子どもたちの主観的な経験を知ることは,子ども支援への理解をさらに深めると考える.そこで,本研究は,精神疾患のある母親をもつ大人になった子どもたちが,子ども時代の困難をどのように乗り越え,その経験が子どもたちの人生にどのように影響しているのかを明らかにすることで,今後の子ども支援への示唆を得たいと考えた.本研究では,子育ての約9割が母親主体である(文部科学省,2020)ことから,子どもと関わる時間が多い母親に焦点を当てることとした.

Ⅱ  研究目的

精神疾患のある母親をもつ大人になった子どもたちが,子ども時代の困難をどのように乗り越えてきたのか,さらに,その経験が子どもたちの人生にどのように影響しているのかを明らかにする.

Ⅲ  研究方法

1. 研究デザイン

本研究は,子どもたちの主観的な経験を読み解こうとするため(桜井,2016),ライフストーリー研究法を選択した.

2. 研究協力者

研究協力者は,18歳までに精神疾患のある母親に育てられた経験のある20~40歳代で,子どものセルフヘルプグループ(以下,SHG)に所属し,支援者の研修会等で経験を語ったことのある4名とした.

3. データ収集期間

2020年2月~2020年8月

4. 研究協力者のリクルート方法

研究者は,データ収集前の8ヵ月間,SHGの集いに参加し,メンバーとの関係づくりを行った.SHGの代表者に研究の説明をし,同意を得た後,代表者からメンバーへ研究説明書の配布を依頼した.研究説明書を読み,研究協力の意思がある者から連絡を受けた.過去の辛い経験を想起する可能性が考えられたため,SHGにて自己の経験を語ったことがある者を対象とした.

5. データ収集方法

研究協力者に,非構造化インタビューを2回ずつ,プライバシーが確保された個室で行い,許可を得てICレコーダ―に録音した.1回あたりのインタビュー時間は53~98分,1回目平均91分,2回目平均66分であった.1回目のインタビュー開始時に「これまでの精神疾患のある母親をもつ子どもとしてのご経験について話を聞かせてください」と言葉をかけ,研究協力者が自由に語る内容の聴取を基本とした.2回目は,1回目のインタビューで聞き取れなかった点や,内容に関する不明な点を聴取した.

6. 分析方法

インタビューをもとに逐語録を作成した.逐語録から,①子ども時代の経験,②子ども時代の困難をどのように乗り越えてきたのか,③その経験が子どもたちの人生にどのように影響しているのか,について語られた内容をまとめ,それぞれのライフストーリーを再構成した.ライフストーリーの内容ごとに小見出しを付け,小見出しごとに分析・解釈を行った.さらに,4人の語りを統合し,分析・解釈を行った.研究の過程において,ライフストーリー研究法や精神科看護実践に精通する研究者からスーパービジョンを受け,研究の妥当性を確保した.

7. 倫理的配慮

本研究は,埼玉県立大学倫理委員会(承認番号195015),城西国際大学倫理委員会(承認番号 04F190044)の承認を得た.研究協力者には,研究目的と方法,研究協力を拒否する権利,途中辞退する権利,研究協力の拒否や途中辞退をした場合も不利益は被らないことを説明し,書面にて同意を得た.

Ⅳ  結果及び解釈

1. 研究協力者の紹介

子どもたちの母親は,3人(B, C, D)が統合失調症,1人(A)はうつ病・パニック障害だった.インタビューのデータ表記は斜体とし,沈黙1秒を・,データ中の( )は筆者による補足,文中のデータ部分は「斜体」で記した.

1) A 20歳代後半 男性 精神保健福祉士

Aの母親は18歳の時に姉を,その三年後にAを出産した.姉の父親と自分の父親は異なり,Aは自分の父親のことを知らない.母親がパニック発作を起こした時は,「手を繫いで,一緒にスゥハァ」し,「それが自分の役割だった」.現在,Aは,精神保健福祉士として働きながら,精神疾患のある親をもち成人した子どもたちのSHGの代表を務めている.

2) B 20歳代後半 女性 看護師(精神科病院)

Bの母親は小学校二年生の時に統合失調症を発症した.父親は,「お酒に逃げ」「話を聞いてくれる対象ではなかった」.中学二年生になると,学校の先生が嫌になり不登校になった.高校三年生の頃,母親の病気を調べ,「自分もこうなるんじゃないか」「お母さんを良くしたら,自分がもしなっても大丈夫」と考え,看護の道へ進んだ.Bは,看護師をしながら,SHGの副代表を務めている.

3) C 40歳代前半 女性 英語の講師

Cの母親は,Cが産まれる前に統合失調症を発症した.両親は,父親の実家近くに住んでいたが,「お嫁さんが裸で走り回ってる」と,近所の人から実家に連絡が入ったことから,引っ越すことになった.母親は,「薬の副作用」によって,「なんかちょっとおかしい」と分かる風貌であったが,誰も母親の病気を口にしなかった.Cも「言ったらあかんこと」と察し,母親の病気の話はしなかった.Cは,父親が,「母を理解して援助してる覚えがない」と語った.Cは,英語の講師をしながら,メンタルヘルススクールで心理学を学んだ.

4) D 30歳代後半 女性 看護師

Dの母親には幻聴や独語があった.母親は,感情の起伏が激しく,怒り出すと暴言や暴力が酷かった.母親方の祖父母と二世帯住宅で暮らしていたが,「お母さんが病気だっていう話もできなくて.タブーみたいな」状況だった.母親の症状が「酷くなるのに」,父親は問題から逃げていたため,家庭内にDが「頼れるところはなかった」.Dは,虐待児への支援をするために,看護師の道へ進んだ.母親は数年前に他界したが,他界後もしばらく母親への恐怖は変らず続いていた.

2. 子ども時代の経験

1) 明るい自慢の母親の死への不安

Aが小学生になって友だちから苛められた時,母親は,「あなたには,私とお姉ちゃんとおばあちゃんっていう味方がいるから一人じゃないよ」と言ってくれ,そんな母親を「明るくて,すごく自慢の母親」と語った.明るい自慢の母親であったが,父親と言い争うことが多く,Aが中学生の時,大きな出来事が起きた.

A:リストカットをしているお母さんがいて,血の付いた包丁が落ちている.で,義理のお父さんが止血している.(中略)始まりはやはりそこで・・・(中略)この人は,いつか死ぬんじゃないかみたいな不安感があって.

当時の光景は,Aの人生を揺るがす起点となる衝撃であった.Aは,「(母親が)泣いている時に話を聞」き,「朝まで話が続く時も」あった.高校二年生の時,母親から精神疾患であることを告げられ,初めて,「精神疾患っていう枠組みの中で,お母さんが具合悪いんだっていうことを」理解した.

2) 突然モンスターに豹変した母親への衝撃

Bは,母親が統合失調症を発症した経験を次のように語った.

B:裸で暴れるお母さんが,私を連れて外に行こうとしてたから.しかも,お風呂上がりでびしょ濡れの状態で.その時は,ちょっとモンスターみたいになっちゃってました.(中略)お兄ちゃんと二階の押し入れの中に隠れて.それで一回探しに来て開けたんですよね.お父さんに掴まれながら「どこにいんだぁ」みたいな.(中略)この辺(口の周り)がアザだらけになっていて.笑いながら「お父さんにチョコボールグリグリされた」とか言って・・

Bは,実際とはかけ離れ,モンスターの様に変貌した母親の姿に衝撃を受けた.

しばらく経ち,病状は落ち着いたものの,何もできない母親となった.父親が母親に対し,「寝てばっかりでだらしねぇ」と言っていた際,Bも一緒に「だらしない」,「ブタだぁ」と言っていたことに対し,今も「罪悪感」を感じていた.

3) 面倒を見てもらえない苦痛

Cは,核家族の家庭で誕生した.統合失調症に罹患していた母親はCの面倒を見られなかった.Cは,祖母や親戚から聞いた経験を,次のように語った.

C:赤ちゃんの時は,泣くでしょ.泣きだしたら子どもって,止まらないじゃないですか.で,母はどうしたらいいか分からないので,押し入れに入れて,そのまま泣きやむまで放置しているっていうのをずっとしてたよ,って.

母親は,いつも座って壁を見つめ,Cが「お母さん」と呼んでも返事がなかった.当時の経験について,言葉を詰まらせながら,次のように語った.

C:耳に入ってない・・ここにいてるけど,目にも入っていない(中略)私が「ここにいてるよ」っていうのが,「家に帰ってきたよ」とか「いてるよ」っていうのが,彼女の現実の中にはないん・・やなぁっていう・・感じ・・.

Cは,返事をしてくれない理由が分からず,「無視されている」と感じていた.

4) 身の危険を感じるほどの恐怖感

母親は,Dが2歳の時に統合失調症と診断を受けた.Dが小学校高学年になると,3歳年上の姉と母親との激しい喧嘩が毎日のようにあった.包丁を持ち出す等,「いつか,殺人事件が起きるのではないか」と,毎日不安でいっぱいだった.生きていることが辛く,「早く死にたい」とずっと思っていた.さらに,姉が大学進学のために家を離れた頃の経験を,次のように述べた.

D:家で暴れて叫んでいることが増えた母に対して,身の危険を感じるようになり,殺意まで感じるようになった.

子どもが母親への殺意を感じる経験は,壮絶なものであったと考える.その後,Dは,「自分の人生を生きたい」と思い,家を出る選択をした.

3. 困難を乗り越える経験

1) この瞬間だけを生きる

子ども時代,Bは,「その時が楽しいだけで生きてたから.それで良かったんです.(中略)その時間がすごく楽しくて,だから将来なんて考えなかったし,過去も考えなくてすむし」と語った.Dも,「次の瞬間,自分がどうなるか分からへん」という思いから,その瞬間,瞬間を生きていた.このように,彼らは,辛い過去や未来への不安を回避するために,今,この瞬間だけを生きてきた.

2) 自分の気持ちを感じないように心に蓋をする

母親を呼んでも返事をしてもらえなかったCは,感情が「麻痺」したかのように,「厚い膜に覆われているような感覚」で過ごすことや,心を「仮死状態,フリーズ状態にして生き延び」た.母親に恐怖を感じていたDも,「感じたこと,思ったことを全てその場で,瞬間冷凍するみたいなことを,ずっとやっていて,自分の気持ちを感じないように」,心に「蓋」をして「生き延び」てきた.彼らは,心に蓋をすることで,受け入れ難い現実から自分の心を護っていた.

3) 家以外の場所で過ごす

Aは,高校時代に通っていた学校について「家とは別世界だった.家のこと忘れている訳じゃないけど」と語り,Dも「学校や放課後に友だちと遊ぶことで気持ちを発散できた」と述べていたことから,子どもたちが多くの時間を過ごす学校は,母親から離れ,気持ちを解放できる居場所であった.他方,Cは,母親の方が「自分では育てられへんから,育ててもらおう」と考えて,教会の日曜学校に通うと共に,学校が長期休みの時は祖父母に預けられ,休日の殆どを家以外の場所で過ごした.Aは,高校時代のバイト先について,「お母さんと離れる時間でもあるから凄く良い」と評価した.このように,母親から物理的に距離をとることは,子どもの安寧を保つために必要な対処であったことが伺えた.

4) 周囲の大人たちの何気ない気遣いに助けられる

子ども時代にご飯を食べさせてくれる等,「そっと」「気に掛けてくれた」友だちの母親は,Aが「第2の母みたいな感じ」と語る程,大きな存在であった.母親に恐怖を感じていたDは,「父の兄弟の家に遊びに行ったり,泊めてもらったりすることが,母からの暴力や暴言から解放される唯一の時間」だった.さらに,「近所のオバちゃん」が助けてくれたことを想起し,「みんながみんな,無視するわけではないっていうのは,今になって思う」と語った.Bは,当時は気付かなかったが,世話になった人として,中学校の先生を挙げた.このように,子どもたちの身近には気に掛けてくれる大人がいた.大人たちの気遣いは,ささやかであっても彼らの記憶に残り,大人になってからも思い出せる程であった.

5) 自分の人生を生きる

高校卒業後,母親の精神症状が酷くなり,追い詰められたDは,知人が紹介してくれた精神科の看護師経験をもつ女性の支援を受け,家から離れることで辛い状況を脱した経験を,次のように述べた.

D:この方との出逢いが私の人生を大きく変えてくれました.(中略)初めて真剣に向き合ってくれる大人に出逢い,自分と向き合えるようになりました.

その後,母親の症状が悪化し,女性と一緒に役所へ相談に行ったが,「未成年の娘がきても無理だ」と相手にされず,父親は何も助けてくれなかった.Dは,その時,「何とかしたいって思いと,自分の人生を生きたい」と強く感じた.Dは,母親を支援に繋げるために,父親に向き合って欲しいと願いながら,自分の人生を歩み始めた.Aは,働き始めてから母親と暮らした一年間を,「僕が潰れたら終わりだっていう環境は,死ぬ程大変だった」と語った.大きな重圧を感じたAは,母親に生活保護を受けてもらい,離れて暮らし始めた.母親の愛情を感じられずに育ったCは,海外支援を学ぶために高校二年生から海外へ6年間留学した.同じく進学を契機に家を出たBは,「親と別に暮らすようになってから距離ができた」という.Aが家を出るタイミングが4人の中で一番遅かった.これは,母親の発病が4人の中で最も遅く,母親の愛情を実感しやすかったことや,他の3人とは母親の病気が異なることが影響していると考えられた.

6) 仲間と繋がり,困難を乗り越える

AとBは仲間と出逢い,理解し合えたことに「衝撃」を受けた.そして,仲間との居場所を心地良く感じ,そうした集まりを組織しようと,支援者と共にSHGを設立した.仲間と繋がった子どもの経験として,孤独感から解放される経験等,(1)~(5)が語られた.

(1) 孤立感から解放される

Cは,「最初,SHGに行った時,わぁ,いてるわって」「自分だけ悲劇のヒロイン」と思っていたが,仲間と出逢い,孤立感から解放された.同様にAも,「みんな辛いんだ.(自分は)悲劇のヒロインじゃないんだ.」と話した.

SHGは経験を語り合う場である.Bは,SHGでの活動で,「誰かのためになるなんて,自分にもできることがあるっていう存在価値みたいなのを感じられて(中略)ちゃんと伝わるから,当事者で話すメリット」と,気持ちを理解し合える仲間の存在は大きいことを知った.また,Dは,「しんどさはあるんですけど,自分の中の色んなものが・・抱えていたものが出せた」.SHGで過去の経験を語ることは,時に辛さはあるものの,彼らの人生を捉え直す契機ともなっていた.

(2) 人を信頼する

子ども時代,「大人なんか信用できない」と感じていたBは,成人後も人を信用できずにいたが,「ちょっとずつ(自分と)向き合おうって思ってるのは,仲間がいるからできること」「信じても良い人はいるから.信じる力をもたなきゃ」と語った.仲間を「信じて頼ってみる」ことで,人を信じられつつあり,「昔の自分よりちょっと人間らしい」と,自分を肯定する過程にいた.Aは,SHGの支援者の助言を受けて,仲間を「信用できるように」なった.Bは,困った時に支援者が「味方でいてくれて」「大切にしてれた」経験を,嬉しそうに語った.そんな支援者をDは,「すごく信頼できる」と評価した.子どもと共に歩み,必要な時に子どもを支える支援者は,「信頼できる」伴走者であった.

(3) 自分を大切にする

Aは,SHGの参加者アンケートに,「自分の人生がこれから始まります」と書いてあるのを見て,「人の変化に寄り添えるし,それが自信に繋がってる」と語った.さらに,「存在消すボタンがあったら僕はいつでも消すつもりだった.希望があまりもてなかったけど,それは過ぎた話で,もうちゃんと責任があるから生きたい」と,希望が持てるようになっていた.その瞬間を生きてきた彼らにとってSHGは,「生きたい」と未来に向かって歩む糧となっていた.

最近になってBは,子ども時代に大人が「必要な時に私を助けてくれなかった」ことに気付いた.「今まではしょうがないって目をつぶって片付けてきたけど,そうじゃなくって,私はその時,助けてもらいたかった」と「思えるようになった」と語った.これまで,自分の気持ちに気付かなかったが,人を信頼して助けを求めたかったことに気付いたのである.子ども時代の自分の気持ちに耳を傾け,自分を大切にできるように成長していた.

(4) 子ども時代を生きなおす

Cは大人になって,母親への「猛烈な怒り」を自覚した.その頃,同じ言動を繰り返す母親に対し,認知症検査のための病院受診を勧めると,いつも「でも」「だって」を連発していた母親が素直に従った.このエピソードをSHGで話すと,「お母さん自身も認知症という病名の方が統合失調症という病名より受け入れ易かったのかな.お母さんは自分の状態をどう感じてらっしゃるの?」と聞かれ,「初めて彼女(母親)を,感情を持つ人間」として捉え,怒りが軽減した.そして,母親が亡くなる最期の11ヵ月間の出来事を,次のように語った.

C:なぁなぁ,母ちゃん,ヨシヨシしてって言って,なら,ニッコーって笑いながら黙ってしてくれて.なんかね,こぅ,ひとつ引っかかっていたものが,落ちた・・・(中略)大好きって言ってって.言ってもらったりして,人には言えないようなことやけど,生きなおしっていうか,ちっちゃい時,自分が足りひんかったところを,最期に埋めてくれて,逝ってくれた.

Cが成人後に感じた怒りは,子ども時代に満たされなかった,母親に甘えたい欲求が形を変えて表出されたのであろう.Cは,この甘えたい欲求を,成人後に埋めることができた経験を「生きなおし」と語った.

(5) トラウマを実感し向き合う

Dは,仲間と話をしていて,「自分の中にもトラウマがあるなって・・実感した場面があったりして.あっ,そうか,知ってみても良いのかな」と気付いた.また,一人暮らしの時に,Dの家に母親が押しかけ,防犯ブザーを断りもなく取り付けたエピソードを仲間に話すと,「お母さんすごく優しいですね」と言われ,迷惑に感じていた母親の行動が,自分のためであったことに気付かされた.さらに,娘から「ママだいすきー」と言われたり,仲間が「お母さんが好き」と話すのを耳にして,「あっ,好きになっても良いの?」と気付き,母親を受け入れつつあった.このように,仲間と話すことが,トラウマを自覚し,それまでの経験を捉え直すきっかけとなっていた.母親の良い面が徐々に想起されることによって,凍り付いた心が少しずつ溶け,トラウマの解消へ向かう姿が見られた.

7) 精神疾患を学ぶことで,母親を理解する

Bは,看護師専門学校の授業で知った家族会で「アドバイスもらったり相談したりして助けられ」た.Cは,「SHGの学習会や同じ境遇で育った女性とのやりとりで,母の病気や私の気持ちについて気付きの連続」だった.母親の疾患を学び,「初めて母と病気」「分離し」,「病気を理解するイコール彼女を理解することやから,その部分を理解してあげるのはすごい大事」と語った.さらに,生まれてから親の疾患を学ぶまで40年近く母親を理解できずに過ごしてきたCは,「最初にすれ違わずにすめば,健常者とそんなに変わらない関係性をもてたと思う」と,子どもの頃に母親の疾患を理解することの重要性を語った.

4. 子ども時代の困難を乗り越えてきた経験による人生への影響

Bは,「必要な時に私を助けてはくれなかった」と,最近になって子どもの頃の自分の気持ちに気付いた.Cは,大人になってから母親に甘えたい気持ちに気付き,Dは,娘や仲間との関わりを通して母親への愛情や母親から受けた愛情に気付いた.子どもたちが,心に蓋をしながら,この瞬間だけを生きてきた経験は,自身の感情に気づきにくいという生きづらさとなっていた.さらに,Dが母親への恐怖を「瞬間冷凍」してきた経験は,「トラウマ」となって表れていた.子どもの頃,BとDの家庭では,母親の病気の話は「タブー」だった.Cは,母親の病気の話は「言ったらあかんこと」と察し,Dは,「SOSを発信するどころじゃない」「普通のフリをするので精一杯」であった.AとCが,仲間と出会うまでの自分を「悲劇のヒロイン」と語っていたことからも,母親の病気の話ができず,「普通のフリ」をしていた経験は,孤立感を生んでいたと言える.

子ども時代の困難を乗り越えてきた経験は,生きづらさを生むばかりではなかった.孤立感等の生きづらさがSHGを設立する強い動機となり,子どもたちは仲間と繋がり,生きづらさを乗り越え成長していた.

Ⅴ  考察

1. 生きづらさを乗り越える

先行研究では,子ども時代の経験の青年期以降の影響として,自信欠如や自身の発達の遅れを自覚する苦しみ,人間不信,自分のために生きられない辛さが明らかになっている(田野中,2019).本研究では,子ども時代の困難を乗り越えてきた経験が,自身の感情への気付きにくさやトラウマ,孤立感等の生きづらさを生むだけでなく,その生きづらさが,仲間と繋がる要因となり,さらに,仲間の中で生きづらさを乗り越え成長する姿が明らかとなった.

子どもたちは,自分の気持ちを感じないように心に蓋をしながら,この瞬間だけを生きていた.Bowlby(1988/2018)は,自分を拒否する母親への反応として,防御的な感情の凍結を発達させる,と述べている.子どもたちは,幼い脆弱な自分の心を護るために,防衛機制を働かせてきたと考えられる.子ども時代に助けてほしかった気持ちや,母親に甘えたい気持ち,母親への愛情に気付いた経験の語りから,子ども時代を生き抜くための経験が,自身の感情に気付きにくいという生きづらさとなっていたと考える.さらに,子ども時代の困難を乗り越えてきた経験は,孤立感やトラウマとして表れていた.これらの生きづらさは,SHG設立への強い動機となり,子どもたちはSHGの仲間の中で生きづらさを乗り越え成長していた.生きづらさが彼らの援助希求能力を高めているとも捉えることができ,子どものもつ力であると考える.

2. 精神疾患のある親をもつ子どもへの必要な支援

小児期・児童期における親からの暴言,暴力,ネグレクト,親の精神疾患や自殺企図をする人との同居等の体験は,逆境的小児期体験(Adverse Childhood Experience:以下,ACE)とされ,成人後の身体疾患や精神疾患,適応障害等の生きづらさを生じる可能性が高いことが明らかになっている(Felitti et al., 1998).Aの母親のリストカット,Bの突然豹変した母親への恐怖,Cの母親が返事をしてくれない経験,Dの母親からの暴力は,トラウマ体験であり,ACEであったと考える.しかし,子どもたちは,トラウマを抱えながらも逞しく成長していた.Tedeschi, & Calhoun(2004)は,非常に辛い出来事による苦しみや,精神的なもがきの中から,人間としての成長,心的外傷後成長が経験される,と述べている.子どもたちの成長を信じ,SHGの支援者のような,「信頼できる」伴走者としての視点を取り入れた支援が必要だと考える.

子どもたちは,SHGで孤立感から解放され,自己の経験を語ることで人生を捉え直し,トラウマや母親への猛烈な怒り等の生きづらさを乗り越えようとしていた.人は,自己を語ることで人生の物語が修正,更新される(野口,2002).子どもたちが仲間と繋がり,自己の経験を語ることができる支援が必要である.また,Riessman(1965)は,SHGの機能として,ケアする側も人を援助することで利益を得ている,と述べている.子どもたちは,仲間をケアしながら自身も回復していたことから,トラウマやACEからの回復には,SHGの機能を活用した,仲間との関わりが必要である.

2023年4月,日本では,こども家庭庁が新設され,ヤングケアラー(本来大人が担うと想定される家事や家族の世話等を日常的に行っている児童)の早期発見・支援が動き始めた(こども家庭庁,2023).親の精神症状に寄り添っていた子どもは,ヤングケアラーの役割を担っていたと言え,ヤングケアラーへの支援は,精神疾患のある親をもつ子どもへの支援にも繋がる.さらに,ヤングケアラーであり,成人後も生きづらさを生じる可能性の高い,ACEサバイバーでもある子どもへの支援は,成人後も継続する必要がある.

母親のことを役所に相談した子どもは,未成年だったため話を聞いてもらえなかった.さらに,学校の先生に親のことを相談できた者は1人もいなかった.これは,子どもたちが支援の対象として見られていなかった日本社会の実態とも言える.現在,スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー等による,問題を抱える生徒や環境への働きかけによって(文部科学省,2016),学校内外の専門職が連携し,子どもに寄り添った支援の拡充が進められている.支援者は,家族全体を視野にいれ,子どものSOSを受信・応答する姿勢が必要である.

昨今,子育てが社会の公共的・共同的な営みから,親の私的な営みとなった(滝川,2018).核家族化した環境での精神疾患をもつ親の子育ては,その精神症状によって平坦ではないことは容易に想像できる.子どもたちの語りから,親の育児不安や,ネグレクト等の虐待として捉えられる経験もあったが,精神疾患のある親による子への不適切な対応の背景には,精神症状の影響があることを理解することが必要である.こうした状況を回避するために,子どもたちは,学校やバイト先等の安心できる居場所を求めていた.そうした子どもの身近には,学校の先生や隣人等,気に掛けてくれる大人が居り,彼らがSOSを発信しなくとも,手を差し伸べてくれていた.蔭山ら(2021)の調査によると,子どもたちは,親戚や隣人に助けられた経験が多いことが明らかとなっているが,本研究でも同様の結果が得られた.子どもにとって,親以外の信頼できる大人の存在が重要である.専門家だけでなく子どもの身近にいる地域の人々が日常的に子どもを気に掛け,寄り添い続けることが大切な支援であることが示唆された.

子どもたちは,精神疾患を学ぶことが親の理解に繋がっていた.「最初にすれ違わずにすめば,健常者とそんなに変わらない関係性をもてたと思う」との語りから,親の精神疾患を学ぶことは,母子の愛着形成にも影響を及ぼすと考えられ,子どもの発達に合わせた介入が必要である.

海外では,イギリスにおける精神障害者とその家族も含めた支援を行うメリデン版訪問家族支援(吉野・小松・長江,2018)や,スウェーデンにおける,身近な相談相手としてのコンタクトパーソンや,当事者のニーズに焦点を当てたパーソナルオンブズマン制度がある(石田,2013).子どもたちの語りから,父親も母親への対応に困っていたと推測できたことから,これらのような家族全体を包括した支援や,身近な信頼できる支援者が必要だと考える.

本研究は,母親に焦点を当てており,今回得られた知見について,父親やきょうだい等,さらに家族全体に視野を広げて検証していくことが今後の課題である.

Ⅵ  結論

子ども時代,子どもたちは心に蓋をし,その瞬間を生きてきた.大人になるとその経験はトラウマや自身の感情に気付きにくい等の生きづらさとなった.成人した子どもの生きづらさからの回復には,仲間と出逢い自己の経験を語ることや,親の精神疾患を理解することが必要であり,支援者は,子どもたちの伴走者として共に歩み,家族全体を視野に入れた支援が必要である.

謝辞

本研究にご協力をくださいました研究協力者の方々に感謝申し上げます.また,桜井厚先生には,専門家のお立場よりご指導頂き御礼申し上げます.

本論文の内容は,第31回日本精神保健看護学会学術集会,第28回日本家族看護学会学術集会において発表した.本研究は,埼玉県立大学大学院に提出した修士論文に加筆・修正を加えたものである.

著者資格

SIは研究の着想から論文の作成の全過程に貢献した.KY,MMは研究プロセス全体への助言と分析及び論文構成に貢献した.

利益相反

本研究における利益相反は存在しない.

文献
 
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