Journal of Information and Communications Policy
Online ISSN : 2432-9177
Print ISSN : 2433-6254
ISSN-L : 2432-9177
Privacy Protection in Public Spaces under the Constitution of Japan
With Reference to Relevant Arguments in United States Constitutional Law
Atsushi Umino
Author information
JOURNAL FREE ACCESS FULL-TEXT HTML

2020 Volume 3 Issue 2 Pages 103-126

Details
要旨

我が国では、憲法上のプライバシーの保護のあり方に関して、自己情報コントロール権という考え方が通説化した結果として、物理的な空間との関係が考察から捨象される傾向にあった。ところが、近年のGPS捜査判決は、「公道上」と区別される「個人のプライバシーが強く保護されるべき場所や空間」を明示しつつ「私的領域に侵入されることのない権利」(私的領域不侵入確保権)を導き出したことにより、当該関係に着目する契機を与えた。特に、公的空間におけるプライバシーの保護の具体的なあり方については、一見すると自己矛盾的にも聞こえる未解明の問題である。我が国では、米国法上形成された衆人環視法理やパブリックフォーラム理論等が定着しておらず、公的空間におけるプライバシーが保護されやすい法的土壌が備わっているものの、当該プライバシーは判例上必ずしも積極的に保護されてきたわけではない。しかし、プライバシーの保護法益の主な内実が、大別して、①私的空間それ自体の保護、②私生活における一定の平穏な状態の保護、③私生活の相当部分を明らかにし得る私的情報等の不当な取得、利用等に対する脅威からの保護、に集約され、特に前記③については情報が生成又は取得された空間を問わず妥当し得ることにかんがみると、公的空間においても各人のプライバシーが手厚く保護される余地が認められる。そこで保護される客体は、空間それ自体だけでなく、当該空間において醸成され、又は当該空間と密接に結びついた一定の私的領域である。この私的領域は、物理的な空間としては公的空間及び私的空間の双方にまたがり、私生活の平穏に対する干渉や私生活の相当部分の把握を伴い得る形での私的情報等の利用可能性等から「隔離」された精神的・観念的な領域をも含む。かかる私的領域への不侵入こそがプライバシーの保護の核心であり、よって空間のみを基準としてプライバシーの保護のあり方を考えることには一定の限界があると考えられる。前述の意味での私的領域の保護に符合する「私的領域に侵入されることのない権利」が定立されたことの意義の一つは、従前の判例上必ずしも積極的に肯定されてこなかった「公的空間におけるプライバシーの保護」の余地を明確化するとともに、公的空間か私的空間かを問わずに問題となり得る「私的情報等の不当な取得、利用等に対する脅威からの保護」という命題の(憲法上の要請としての)重要性を浮き彫りにしたことにあるように思われる。

Abstract

As privacy protection under the Constitution of Japan is often equated with ensuring rights to control personal information irrespective of its available spaces, the relationship between privacy and physical spaces has almost been discarded in Japan’s legal arguments. Indeed, Japanese case laws had largely been negative in privacy protection in public places despite the fact that the public observation doctrine and the public forum theory developed in the United States have not taken root in Japanese constitutional law. However, a recent case law over GPS investigation has highlighted the relationship by establishing the “rights not to be intruded into private spheres” based on Article 35 of the Constitution, along with the distinction between “public roads” and “places and spaces where individual privacy is strongly protected.” The substance of privacy stems from multiple elements including private spaces themselves, a state of calm in private lives, and private information that might unveil a considerable portion of private activities. Since the latter two elements are generally applicable regardless of places, privacy can be protected not only in private but also in public spaces. Thus, the object of protection includes not only spaces themselves but also “private spheres” that are developed in such spaces or closely tied to them. These spheres cover both public and private spaces as well as some spiritual and conceptual areas that are free from interventions in the state of calm in private lives as well as an extensive acquisition and usage of private information by public authorities. It implies that ensuring non-intrusion into such private spheres is a core of constitutional privacy protection. Therefore, considering privacy only from the perspective of physical spaces inevitably has some limitations. Given these factors, it would be fair to mention that the “rights not to be intruded into private spheres” have shed light on the importance of protection of such spheres, through which the possibilities of privacy protection in public spaces and the importance of safeguarding private information have been clarified.

1.序論

近年の判例(GPS捜査判決)2は、いわゆるGPS捜査3について、その被制約利益の核心をプライバシーと捉えつつ4、日本国憲法(以下、「憲法」という)35条1項から「住居、書類及び所持品」に準ずる「私的領域」に「侵入」されることのない権利(以下、「私的領域不侵入確保権」という)を定立し、当該捜査が「侵入」に該当するとした。プライバシーに関する利益については、それまでの判例では、基本的に憲法13条に根ざす「個人の私生活上の自由」5の一環として捉えられてきたのに対し、新たに私的領域不侵入確保権という憲法上の権利が憲法35条1項から直接導き出されたことが特徴的である。

ここでいう「私的領域」の内実に関して、明確な定義は示されておらず、学説上の議論も成熟していないが、少なくともGPS捜査判決のいう「個人のプライバシーが強く保護されるべき場所や空間」がこれに含まれることについては異論がないと言ってよかろう6。この空間は、公共の場としての「公的空間」とは区別された「私的空間」と捉え得る。それゆえ、同判決は、かかる私的空間を意識しつつ、憲法上のプライバシーの保護(以下、「プライバシー保護」という)のあり方を検討しているということになる。

一方、プライバシー保護をめぐる憲法学説に目を向けると、「自己に関する情報(自己情報)のコントロール」がプライバシーの保護法益であるとする考え方(以下、「自己情報コントロール権説」という)7が通説化している。この自己情報コントロール権説の核心は、憲法13条の規定に基づき、各人の人格的自律(道徳的自律)ないし心身の基本に関わる「プライバシー固有情報」に対しては、公権力による取得・利用・開示といった一連の行為が原則として禁止されるという思想にある8。よって、公権力による各人の「自己情報」の収集・取得、利用・分析、提供・開示等の行為がプライバシー保護の文脈において問題となるが、当該情報が流通する空間に関しては問題とされていない。

GPS捜査判決以前の主な最高裁判所の判例においても、プライバシー保護との関係において、公的空間や私的空間という概念は特段援用されていない。そのため、物理的な空間とプライバシー保護との関係が曖昧になってきた。このような状況の中で、GPS捜査判決は、車両の位置情報に関して「公道上のもの」と「個人のプライバシーが強く保護されるべき場所や空間に関わるもの」とを区別しつつ、問題となったGPS捜査が後者を含めて個人の所在や移動状況の把握を可能とすることを「個人のプライバシーを侵害し得るもの」という判断に結びつけた。これは、プライバシーに関わる同種の情報であっても、それが把握される物理的な空間に応じて、公権力による取扱いの意味合いが異なり得るということを示唆するものであり9、当該空間とプライバシー保護との関係を追究する必要性を示す新たな契機となるように思われる。

もとより、プライバシーの原始的な概念が「個人の私生活上の自由」に根ざして形成されてきた事実10にかんがみれば、プライバシーと当該自由との連関を完全に断ち切ることは困難であろう。そして、一般に私生活の主たる拠点が住居その他の特定の空間である以上11、プライバシー保護の具体的なあり方は、空間又は空間内における個々の場所・場面に応じて異なる部分を有するはずである。特に、私的領域不侵入確保権との関係も踏まえ、①私的空間以外の空間(公的空間)においてプライバシーはどの程度保護されるのか、②プライバシー保護との関係における公的空間と私的空間との規範的な区別はどの程度有意であるのか、が問題となろう。

他方、アメリカ合衆国(米国)の関連する議論をみると、米国憲法上のプライバシーの保護(以下、我が国の場合と同様に「プライバシー保護」という)と空間との関係、特に公的空間におけるプライバシー保護のあり方に関して、一定の議論の蓄積が見られる。かかる議論は、主に米国憲法修正4条の規定(以下、単に「修正4条」という)12に基づく判例法理に関するものであるが、後述するとおり、同条の解釈論は私的領域不侵入確保権の解釈論と整合性が高く、我が国の公的空間におけるプライバシー保護について検討するうえで参考になると思われる。

以上を踏まえ、本稿は、プライバシーと空間との関係に着目しつつ、特に公的空間におけるプライバシー保護のあり方に焦点を当て、米国の関連する議論を参考にしながら考察を加え、得られる示唆を摘示することを目的とする。憲法解釈論としてのプライバシー保護のあり方がその考察の主眼であるため、私人間における(私法上の)プライバシーの保護については措く13。蛇足ながら、文中の意見にわたる部分は筆者の私見であり、その所属組織の見解とは一切無関係である。

2.プライバシー保護を踏まえた空間の意義

そもそも空間とは、各種の活動が行われる物理的な場所ないしスペースのことであり、本来は広範かつ包括的・一体的に観念され得るものである。しかし、空間に人為的な意味づけが行われれば、特定の場所や場面として認識される。例えば、ある特定の公園が所在する空間は、物理的には周囲の環境と一体化した広大な空間を構成しているが、そこが公園の区画として人工的に(壁等により)仕切られることにより、特定の場所として観念されることとなる。それゆえ、空間は場所又は場面により観念上細分化され得る。

このとき、プライバシー保護との関係においては、不特定多数の者による共同的な利用が予定され、公権力による一定の管理・統制が必要となり得る場所の集合体としての「公的空間」と、主として特定の者による専属的な利用が予定され、公権力による介入が原則として排される場所の集合体としての「私的空間」とが区別され得る。判例の説く私的領域不侵入確保権からは、私的空間を含む「私的領域」において各人のプライバシーが適切に保護されるのは憲法上の要請であるという命題が導かれよう。

しかしながら、公的空間におけるプライバシー保護については、ともすれば自己矛盾的に聞こえるかもしれない。仮に「私的領域」が私的空間に収斂するのであれば、各人が私的空間を離れて「プライバシー保護を気にかけなくてよい」とされる公的空間に入った途端に、「公権力による監視を受忍しなければならない」14ということになり得る。実際、過去の裁判例においては、公的空間における防犯カメラによる定点的な「監視」は警察法(昭和29年法律162号)等が予定する行為であって、特別な根拠規定なく行い得るという旨が示されているし15、公的空間で行った活動に関する情報については「特別の事情のない限りプライバシーに係る情報として法的保護の対象とはならない」とも説かれている16。また、「人が他人から容ぼう等を観察されること自体は受忍せざるを得ない場所」における捜査活動としての撮影を認めるとともに、公的空間(公道上のごみ集積所)に排出された私人の不要物たるごみの領置の適法性を認めた判例もある17

一方、ネットワークを経由して各種の情報の発着信やコミュニケーションを行うための仮想的な「サイバー空間」を観念し、各人が個々の場所の特性を踏まえつつ行動する「実空間」と区別することも考えられる。サイバー空間は、不特定多数の者が利用し、これを包括的に管理する私人を有さない(少なくとも理論上、一定の範囲で公権力による統制の余地を残している)という点において、公的空間に近接する。一方、個々のネットワーク自体は電気通信事業者等の支配・管理下にあるため、サイバー空間は私的空間であるとも指摘されている18。いずれにしても、サイバー空間におけるプライバシーが問題となる場合、実空間の場合と異なり、各人がネットワークへのアクセスを行う具体的な場所を特定する実益がさほど大きくない。

それでは、「公的空間におけるプライバシー保護」は本当に成立する余地が乏しいのであろうか。総じて言えば、我が国においては、前述の裁判例に象徴されるように、公的空間におけるプライバシー保護の程度は必ずしも手厚いものとは考えられてこなかったように思われる。しかし、主に公道上での移動状況を追跡するGPS捜査が「個人のプライバシーを侵害し得るもの」と位置づけられていることからも示唆されるように、公的空間においてもプライバシーが問題となる局面は存在し得る。しかも、昨今ではGPS捜査以外にも、犯罪捜査等の目的で、公権力による情報通信技術等を活用した広範かつ行動監視的な情報の収集・取得(以下、「監視型情報収集」という)が広く行われつつある。監視型情報収集は一定の空間を利用して行われ、その性質の多様性に応じて、プライバシーが問題となる態様も複雑化している。

ところが、既述のとおり、従前の憲法学説上、公的空間においてどの程度プライバシーが保護されるのかという問題に対しては明確な解答が示されていない19。そこで、次節及び次々節において、この点に関する米国法上の議論を概観する。

3.米国法上の公的空間におけるプライバシー保護をめぐる主な議論

3.1.米国法上の議論の参照価値

米国法上のプライバシー保護をめぐる議論にはさまざまな潮流があるが20、その基軸となってきたのが、「不合理な捜索」等からの防御を定めた修正4条との関係におけるものである。これは、憲法13条に根ざすとされる自己情報コントロール権としてのプライバシー保護をめぐる議論とはやや異なる様相を呈している。しかし、以下の各点において、公的空間上のプライバシー保護のあり方を考えるうえで、参照価値が高いと考えられる。

第一に、米国法上、修正4条に基づき「プライバシーの合理的な期待」が保護されると解されているところ21、かかる解釈は、自己情報コントロール権説の思想に通底すると考えられる。なぜなら、自己情報コントロール権の保障を通じた「コントロール」が憲法上予定される範囲は必ずしも一義的ではなく、社会的な文脈等に依存すると解されていることを踏まえると22、当該範囲は、プライバシー保護の観点から当該コントロールが及ぶことが妥当と合理的に期待される範囲にほぼ符合すると考えられるからである23。なお、私人間におけるプライバシーの保護をめぐる事案ではあるが、我が国の判例においても「合理的な期待」への背反の有無が議論の焦点となったものがあり24、修正4条をめぐる議論との接点が見受けられる。

第二に、修正4条は憲法35条1項の「母法」25と位置づけられている。よって、修正4条の解釈論は、同条に基づくプライバシー保護と空間との関係をめぐる議論を含め、私的領域不侵入確保権の解釈論に極めて親和的である。

第三に、自己情報コントロール権説が考察の射程から排除してきた「空間との関係におけるプライバシー保護」のあり方に関して、米国では修正4条の文脈における複数の判例法理が生み出されている。一部の学説においては、政府により監視される空間(場所)こそが、「修正4条に基づく物理的な保護を検討するうえで判例上最も重要視されてきた要素」であるとも指摘されている26

3.2.米国法上の公的空間におけるプライバシー保護に懐疑的な理論の潮流

修正4条に基づき保護される「プライバシーの合理的な期待」は、プライバシーに関する直接の利益を有する者(以下、「当人」という)自身の「主観的期待」(当人が対象物を私的なものにしようとする行為を実際に示していたか)及び社会全体により肯定される「客観的期待」(主観的期待が合理的と認識され得るものか)の双方の充足により肯定されるという基準27に基づき判断されてきた。もっとも、近年の技術革新等に根ざす監視型情報収集の普及を背景として、当該基準を見直す動きもあるが28、今日においてもその実務上の支配的な性質は否定できない。

この基準の下では、各人が自らの行動をさらす公的空間におけるプライバシーについては、社会全体の視点において保護されることが合理的なもの(客観的期待が肯定され得るもの)とは認識されにくい。それゆえ、以下のとおり、公的空間におけるプライバシー保護を否定的に捉える複数の理論的な潮流が生み出されている。

第一に、大衆の目に触れ得る空間上のものに対してプライバシーの期待は認められないと解する「衆人環視法理」29である。これは判例法理であり、低空飛行の航空機により(裸眼でも観察可能な)土地を上空から監視する公権力の行為に令状を要しないと判断した判例30の姿勢に象徴される。かかる判断の理由として、他人の目に触れるものに対しては、自らの胸に秘めておこうとする意思が示されていないという旨が指摘されている31。その延長線上には、公道上のごみのように、私有財産等であっても大衆の面前におかれたものに対してはプライバシーの期待は認められないという解釈も導かれている32。また、ある州最高裁判所の裁判例においては、他人の視界にさらされる公的空間では、各人が自らのプライバシーの権利を放棄していると捉える考え方も提示されている33。これらは、公的空間(ないし公開されたもの)におけるプライバシー保護を事実上否定するものである34

第二に、道路、公園等の公共の場における言論活動を広く認める「パブリックフォーラム理論」である。これは、公的空間の一部を言論等に開かれた場所と捉えるものであり、衆人環視法理と同様に、判例上形成された理論である。もっとも、判例は当初、かかる場所の利用のあり方について、管理者である公権力が広範な裁量を有する所有権的な思想で捉えていた35。その後、公権力が大衆の集会等の用に供するうえでの管理の「信託(trust)」を受けることを前提としつつ、その範囲内で大衆の使用権は制限されるという考え方が示された36。やがて、道路、公園等以外の公的空間も視野に入れた「パブリックフォーラム」の観念が提示され、その下で、①言論や集会の実施が基本的に予定される道路等の伝統的(典型的)パブリックフォーラム、②言論等のために政府が明示的に開放する指定的パブリックフォーラム、③学校等、前記①・②以外の公物としての非パブリックフォーラム、といった区別が予定されている37

これらのうち、伝統的パブリックフォーラムにおいては、切実な公共の利益を確保する目的に沿って必要と認められるものでない限り、言論の内容に対する規制(以下、「内容規制」という)は禁止され、当該内容に中立的な時、場所、方法に関する規制(以下、「内容中立規制」という)も切実な公共の利益に資するために十分に調整されたものでなければならない。指定的パブリックフォーラムにおいては、合理的な内容中立規制は許容される一方、内容規制は切実な公共の利益を実現するために適切に設定されたものでなければならない。一方、非パブリックフォーラムにおいては、内容中立規制に加え、政策目的のために大衆への供用を留保することも許容されるという38

もっとも、パブリックフォーラム理論に対しては、学説上複数の観点からの批判が提示されている。まず、場所としてのフォーラムの概念が基礎づけられておらず、例えば公道上に設置される電柱の位置づけなど、「パブリック」の射程も曖昧であるという旨の批判である39。これによれば、公的空間における言論の自由に関して問題となるのは、特定の時及び場所での言論の利益が公共の利益とどのように調和され得るかであるとされる。また、一律的なパブリックフォーラムの位置づけは、米国憲法修正1条の規定(以下、単に「修正1条」という)40の中核的な保護法益となる言論(表現)の価値を度外視することとなるという旨の批判もある。すなわち、ある場所がパブリックフォーラムではないと位置づけられた途端に、言論の利益と規制により確保される公共の利益との不整合・不均衡に対する考慮が退けられ得るという41。さらに、伝統的パブリックフォーラム以外のフォーラムに対するアクセスのあり方について、政府に広範な規制権限が付与される結果、当該権限の強力な行使の許容が伝統的パブリックフォーラムにも波及しつつあるという旨の批判も提示されている。それによれば、これらのフォーラムにおいては、政府の選択する活動に親和的ではない言論の広範な禁止が容認されがちになっているという42

もとより、パブリックフォーラム理論は、一定の公的空間における公権力の公物管理権を制限し、それにより各人の言論の自由の保障を強化することを指向するものであって、当該空間におけるプライバシーの制約を正当化するもの、ないしプライバシー保護を否定するものではない。しかし、当該理論が援用される場合には、もっぱら言論の自由の保障に軸足がおかれる傾向にあった。それゆえ、反射的に、公的空間におけるプライバシー保護を希釈化するリスクを内包していた。実際、多くの判例は、私的空間ではプライバシー保護を重視する一方、公的空間では言論の自由を重視してきたとされる43。しかも、近年の判例は、言論の自由の保障範囲を拡張的に解し、当該範囲の枠外に位置づけられてきた一部の言論(侮辱的な言論等)の射程を見直しつつある44。そのような中で、ある行為が言論として修正1条の保障範囲内におかれると、それに対するプライバシー保護等の観点からの規制が厳格な審査を要求され、当該規制が断念に追い込まれることとなる可能性があるという45。一方、プライバシー保護を目的とした立法は、一般に特定の主題や見解等を問わない普遍的な適用を予定したものであるため、言論の自由との関係が見えにくい場合が多いとされる46

第三に、近年注目されている「記録する権利」をめぐる議論である。これは、修正1条に基づく権利として提示され、公的空間における私的な行動の記録を含め、記録という行為の(言論と併せた)積極的な保護を指向したものである。議論としては未成熟であるが、仮に各人の「記録する権利」が言論並みに保護されれば、その記録が公的空間において正当に行われる限り、当該空間において記録の客体となる他人のプライバシーは制約され得る。かかる権利を実務上明示しているのが、「修正1条は、公務員により公共財産に対して講じられる措置に関する情報を収集する権利、とりわけ公共の関心事に属する事項を記録する権利を保護している」と説き47、各人は警察の行動を録音・録画する権利を有するという旨を肯定する下級審の裁判例である48。また、各人の「記録する権利」が修正1条に基づく保護を受けるためには、当該記録が「何らかの表出型の目的をもって行われなければならない」という旨を説く裁判例もある49。これらの裁判例を踏まえた学説においても、修正1条から「記録する権利」を積極的に定立しようとするものが提示されている50。例えば、修正1条は核心となる言論の自由だけでなく、その保護に必要となる範囲で、付随する境界線的(penumbral)な権利をも保護するという観点から、「記録する権利」をその一環として位置づける試みはその典型である51

パブリックフォーラム理論や「記録する権利」をめぐる議論は、基本的に、公的空間における公共の利益を確保するための公権力の行為又は私人の言論その他の活動の保護を念頭においたものであり、それらがプライバシーの対抗法益(調整される法益)になっているということを示す。とりわけ、修正1条に基づく言論活動については、手厚い保護が予定されていることから、「プライバシー保護よりも表現の自由を優先させる」52傾向があるとも指摘されている。

第四に、近年の学説においては、公的空間におけるプライバシーの事実上の減少が指摘されている。すなわち、街頭に防犯カメラが設置され、その影像が高精度で解析されるなど、公的空間を利用した監視型情報収集が強化されるのに伴い、「群衆の中の匿名性」が失われ、当該空間におけるプライバシー保護の度合いが実質的に減退することとなる53。そこで、プライバシーが問題となる空間ではなく、個人に関する情報を生み出す行為に着目し、当該行為が公共的な重要性を有するものであると認められるか否かに応じて、それが肯定される場合にはその情報を「公的」なものとみなすという文脈的な区別が必要となるという考え方(以下、「情報発生源行為区別説」という)が提示されている。これによれば、例えば政府に対して請願を行う行為は公共的な重要性を有し、その署名者の氏名は「公的」な情報としてプライバシーの制約を受け得るという54。このように空間に関する規範的な区別を捨象する情報発生源行為区別説の下では、「公的空間におけるプライバシー保護」という問題をあえて追究する意義が乏しくなろう。

4.米国の主要判例にみる空間との関係におけるプライバシー保護の具体的なあり方

4.1.私的空間におけるプライバシー保護

既述のとおり、米国の判例では空間に応じたプライバシーの観念が相当程度根づいているが、その根底にあるのが、修正4条の明示する「住居」におけるプライバシーを強固に保護する思想である55。これは、各人が日常生活で妨害を受けずに安寧を享受できる利益を確保する観点から、公的空間における言論活動等よりも住居等における私生活の秘匿やその平穏の確保に対する利益を実質的に優位に立たせつつ56、他人の言論活動等に応じてその行動を変える必要がない状態の保護を指向するものである。それゆえ、修正4条に基づくプライバシー保護という意味合いには、物理的な空間と各人の行動との相関関係に対する考慮が含意されている57

例えば、Frisby事件判決58においては、住居付近における抗議デモを禁止する条例の適法性が肯定されている。すなわち、抗議デモが公共の関心事として修正1条の問題となることが前提とされつつも、住居におけるプライバシーの一環としての「望まない聴衆」の保護(欲しない言論を住居内に持ち込まれることのない状態の確保)が公共の利益として特定されている59。同様に、Ward事件判決60においても、公園でのコンサートの音量に関する市の規制が、重要な公共の利益に適切に資するものとして支持されている。その理由として、コンサートの音楽が近隣住民にとって「受け入れがたい雑音」となり得るという旨が指摘されている61。このように、判例は、プライバシーの利益の内実について、開放されていない私的空間の物理的な場所(ないし設備)としての保護(以下、「狭義の私的空間保護」という)だけでなく、一定の空間において他人に行動を妨害されない平穏の保たれた状態の保護(以下、「平穏状態保護」という)を含むものとして観念している。

4.2.公的空間におけるプライバシー保護

米国の判例がプライバシーを保護するのは、私的空間に限られない。衆人環視法理やパブリックフォーラム理論等にかかわらず、修正1条等に基づく対抗法益との関係において、公的空間におけるプライバシー保護の必要性が相当程度認められている。

まず、公権力による直接のプライバシー侵害が問題となった事案ではないが、公的空間におけるプライバシー保護の重要性を示唆する判例として、Estes事件判決62及びHouchins事件判決63が挙げられる。前者の判決においては、刑事裁判上の公判のテレビ放送は、米国憲法修正14条の規定64に基づく被告人の適正手続の確保に対する権利を剥奪するものとされている65。その理由として、当該放送がいたずらに世間の注目を集め、放送のための記録(録画)自体が関係者の言動を変え得ることから、事実特定の過程を阻害又は歪曲する要因となるという旨が説かれている66。これは、法廷という公的空間としての色彩を有する場所で被告人等の本来の言動がいたずらに妨げられない状態の確保、すなわち平穏状態保護の必要性を前提としているという意味において、当該空間におけるプライバシー保護を指向するものと位置づけ得るであろう。

一方、後者の判決においては、プレスが刑務所内にアクセスする特権を有するわけではなく、修正1条は政府の統御下にある情報源にアクセスする権利を保障するものではないとされている67。その前提として、刑務所内の囚人も一定の範囲でプライバシーに関する基本権を享有するという旨が指摘されている68。刑務所は、囚人という特定の者が専属的に利用するという意味では私的空間的な性質を有するが、公権力による管理・統制が予定されているという点において公的空間に近似する。それゆえ、この判決は、一定の範囲で、公的空間におけるプライバシー保護という側面を有すると言えよう。

次に、公的空間における各種の活動に対する公的規制又は公権力自身の捜査活動との関係においてプライバシー保護の必要性が示された判例は少なくない。例えば、Boos事件判決69においては、大使館の外縁500フィートの場所における3人以上の集会等の禁止を定めたコロンビア特別区法の正当性が肯定されている。この判決では、修正1条に基づき保護される活動が一定の場所及び方法で制約されることが正面から容認されつつ70、問題となった場所が公的空間であってもこれが妥当するという旨が示唆されている。

また、Hill事件判決71においては、妊娠中絶を行う医療施設の出入口付近におけるプライバシーを保護する州法(出入口から100フィート以内の場所で、びらの配布等を目的として他人に8フィート以内の範囲で同意なく接触することの禁止を定めるもの)の適法性が認められている72。この判決では、「放っておかれる利益」としての側面を有する「不要なコミュニケーションを避けることに対する利益」について、特に住居ではその重要性が高いものの、公的空間においても保護され得るという旨が説かれている73

さらに、Burson事件判決74においては、投票所の入口から100フィートの範囲内における選挙活動の禁止を定める州法の妥当性が承認されている75。その理由として、投票者のプライバシー保護が明示されているわけではないものの、「投票の秘密を確保する唯一の方法は、投票者の周囲のエリアへのアクセスを制限することである」とされつつ、投票者に対する脅迫や選挙の不正を防止する必要性が指摘されている76

加えて、我が国のGPS捜査判決にも影響を与えた77とされるJones事件判決78におけるScalia判事の法廷意見は、令状で定められた範囲を越えて行われた公道上のGPS捜査について、衆人環視法理からプライバシーの合理的な期待が否定される可能性を排する形で、修正4条にいう不合理な捜索に該当するものとされている79。もっとも、その主たる理由は、他人の車両へのGPS受信機器の装着という「私的空間への物理的侵入行為」の発生であり80、公的空間における監視それ自体ではない。同時に、公的空間における単発的な目視については(衆人環視法理に照らして)許容されるとも説かれており、GPS捜査の具体的な態様(実施期間等)に応じてプライバシーの侵害の有無が変わる可能性が示唆されている81。それゆえ、公的空間におけるプライバシー保護の必要性が全面的に肯定されたわけではないが、少なくとも衆人環視法理に対して一定の軌道修正を迫り得るものとなっている。また、同判決におけるSotomayor判事の同意意見は、伝統的な第三者法理(各人が任意に第三者に提供した情報に対してはプライバシーの合理的な期待が失われるとする法理)がデジタル時代に適合しないという旨を説いているが82、これは公的空間に近似する側面を有するサイバー空間に放たれた情報に対するプライバシーを肯定し得るものであり、公的空間におけるプライバシー保護の必要性を見いだす思想に親和的である。

5.公的空間におけるプライバシー保護の可能性とその限界

5.1.プライバシーの利益の要素

前節までの米国の議論を参考にしつつ、公的空間におけるプライバシー保護の可能性について考察する。当該議論からも示唆されるとおり、憲法上各人のプライバシーとして保護される利益の内実には、以下の異なる要素が複合的に含まれていると考えられる。

第一に、前述の「狭義の私的空間保護」、すなわち物理的な私的空間それ自体の保護である。これは、住居及びこれに準じた一定の私的空間について、公権力により正当な手続によることなく物理的に破壊されたり、無断で現状を変更されたりしないという意味でのプライバシーの利益である。かかる利益の保護は、修正4条と同様に、「住居」を保護する憲法35条1項が明示的に要請するものであり83、その核心にあるのがプライバシーである84。前述のとおり、Jones事件判決において法廷意見が直接問題としたのも、車両という私的空間の現状に無断で変更を加える行為であったし、GPS捜査判決において問題視された行為の一端も、プライバシーの侵害を可能とするGPS受信機器を車両に密かに装着する行為、すなわち狭義の私的空間保護に背馳する行為であった。

第二に、前述の「平穏状態保護」、すなわち一定の空間において公権力に私生活上の行動をいたずらに妨害されたり本来の平穏を奪われたりしない状態の最大限の確保である。これは、一次的には狭義の私的空間保護の実質的な効果として保護されるものであるが、厳密に私的空間における状態のみに限定されるものではない。私生活の局面が公的空間にも及び得ることを踏まえれば、所在する空間に関わりなく、身の周りの捜索等により当人の私生活上の平穏が奪われる可能性からの保護という要素も含まれると考えられるからである85。例えば、図書館内のような公的空間においても、不意に所持品の強制的な検査等を受けることとなれば、本来の平穏が奪われ得るであろう。

ただし、平穏状態保護の具体的な程度については、問題となる空間が公的空間であるか私的空間であるかに応じて異なり得るし、総じて私的空間において妥当しやすい利益であると言える。なぜなら、公的空間においては、ある者の平穏に対する利益が常に保たれるとは限らず、別の目的(表現活動等)に利用する他人の利益と衝突する可能性が高いからである。その場合、空間内で平穏な状態を期待する者の利益と表現活動等を行う者の利益とを衡量のうえ、前者の利益が優位に立つと認められる場合に限定されたうえでの保護(以下、「衡量保護」という)となる86。米国の指定的パブリックフォーラムの枠組みからも示唆されるように、ある空間における平穏等を確保する観点から、一定の行為規制が表現活動等の抑圧とは異なる目的から正当に行われ得る。その結果、公的空間においても、各人の表現の自由等が間接的・付随的に制約されつつ、関係者のプライバシーが保護される可能性が生じることとなる。

もとより、プライバシーの利益は、その強度が空間の性質に応じて変わり得るうえに、しばしば表現の自由と緊張関係に立つ。同時に、表現の自由の具体的な行使可能範囲も空間の性質に左右され得る87。すなわち、公的空間では「公共の福祉のため必要かつ合理的な制限」88の範囲内で「民主主義社会において特に重要な権利」89として表現の自由が手厚く保障される一方、私的空間では「管理権者の管理権」90や「私的生活を営む者の私生活の平穏」91との関係で当該自由が相当程度制約され得る92。もっとも、公道その他の公的空間上における表現活動の習慣・伝統がさほど豊富ではない我が国では、パブリックフォーラム理論的な思想がそのまま妥当する十分な土壌を欠くため、公的空間における「必要かつ合理的な制限」の範囲は比較的広く捉えられ得る。その結果、公的空間におけるプライバシー保護(衡量保護)が米国よりも強化される潜在性を秘めている。

これらのことは、問題となる特定の空間において、「管理権」や当該空間内に所在する者のプライバシー保護の観点からその利用を制限することが必ずしも内容規制とはならない(厳格な審査に服さない)ということを示す。それゆえ、公的空間におけるプライバシー保護のあり方については、狭義の私的空間保護が妥当しないからといってただちに平穏状態保護が「収縮」すると捉えるのではなく、そこで表現の自由等が制約される場合も視野に入れながら、個別的に検討を加える必要がある93。他方、私的空間においても、常に平穏状態保護が優位に立つとは限らず、一定の利益衡量に服する可能性がある。例えば、旅館の客室は私的空間として平穏状態保護が原則として妥当するが、旅館内の安全確保のための客室内点検を求める旅館経営者の「管理権」等を介して(当該管理権者等の承諾を得て)、公権力による一定の介入が正当に行われる余地がある。

第三に、当人の所在する空間を問わず、その私生活の一端を明らかにする要素を含むと認められる情報(以下、「私的情報」という)及び当該情報との結合等によりそれを助長し、又は私生活の推知に資することとなる情報(以下、これらを総称して「私的情報等」という)に関して、公権力による不当な取得、利用等の脅威から防御された状態の確保(以下、「私的情報等不当利用防御」という)である。これは、私的情報等の不当な収集・取得やその後の利用・分析等を通じて、当人の私生活ないし私的な行動の相当部分が継続的・網羅的に把握される可能性の発現防止に対する要請である。ある学説は、「国家による個人の把握」が現代社会において特に重要な問題となるとする観点から、「個人に関する情報の取扱い」をプライバシーの核心的な保護法益(の一つ)として位置づけているが94、その基底には私的情報等不当利用防御の思想があると思われる。判例も、「個人の私生活上の自由」の一つとして、「みだりにその容ぼう・姿態(中略)を撮影されない自由」95や「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」96を肯定しているが、これらは私的情報等不当利用防御の要素に親和的である。

具体的には、例えば、令状手続によらずに通信傍受を受けることのない状態の確保(犯罪捜査のための通信傍受に関する法律〔平成11年法律137号〕3条1項参照)は、通信の秘密(憲法21条2項後段)の保護とともに、個々の通信でやり取りされる情報の中に私的情報等が含まれ得ることを踏まえたプライバシー保護の必要性からも導かれる要請である。これは、ネットワーク上で発着信される情報の不用意な知得等の防止という観点から、当人の所在や通信傍受の場所の性質(公的空間か私的空間か)にかかわらず妥当する。

憲法35条1項にいう「住居、書類及び所持品」の射程にこれらに相当する一定の情報が含まれると捉える近年の学説の考え方97及びこれらに準じた「私的領域」への不侵入の要請を説くGPS捜査判決の趣旨を踏まえると、私的情報等不当利用防御は、当該条項の要請の一環として位置づけられると考えられる98。換言すれば、私生活の相当部分の様相が投影され得る態様で実施される私的情報等の取得及び利用等については、憲法35条1項にいう「侵入、捜索及び押収」の一類型である99と考えられる100

前述の通信傍受を含め、監視型情報収集の多くは、空間の壁を越えて私的情報等の利用ないし空間超越的・非物理的な「侵入」を試みるものである。かかる「空間超越的な侵入」とは、憲法35条1項の規定にいう「侵入」が住居等の空間への「物理的な侵入」を念頭におくことと異なり、必ずしも物理的な侵入を伴わずに私的情報等に無断でアクセスし、その内容を把握することを指す101。GPS捜査判決も、私的領域不侵入確保権を導く中で、私的領域への「侵入」の概念について、私的空間への物理的な侵入を超えた意味合いで用いていると考えられるところ102、それは「空間超越的な侵入」に符合するように思われる。

このような「空間超越的な侵入」が密かに行われるおそれが生じると、各人はそれが実施される範囲に関する想定を適宜修正するか、又はその修正に対応しつつ行動を変える(自律的な行動を断念する)必要性に直面する。それゆえ、私的情報等不当利用防御は、公権力による私的情報等の取得、利用等のあり方に応じて各人がこまめにその行動を変える必要がなくなるという自律を促進する効果(その意味で、予防的な効果)をもたらす。

前述の「空間超越的な侵入」の意義からも明らかなとおり、このような効果の発現は、必ずしも「私的情報等を生み出す空間又は取得される空間への公権力による物理的な侵入」からの保護を意味するものではない。実際、GPS捜査判決において問題となった車両(私的空間)へのGPS受信機器の装着(当該空間へのアクセスを要する行為)を通じた情報の収集のように、監視型情報収集を通じて私的情報等が収集・取得される場合、空間へのアクセスについては既に達成されていることも少なくない。

5.2.私的情報等不当利用防御と自己情報コントロール権説との相違

前述のプライバシーの保護法益のうち、私的情報等不当利用防御の側面については、情報の取扱いに着目しているという点において、自己情報コントロール権説の思想に親和的とも言えそうである。しかし、自己情報のコントロールと私的情報等不当利用防御との間には、以下の各点において、一定の径庭がある。

第一に、自己情報コントロール権説の下では氏名等の単純な個人情報103(「プライバシー外延情報」104と称される)の保護が不十分となる可能性があるが105、私的情報等不当利用防御はかかる情報が機微な私的情報と結合して利用される可能性も勘案し、一定の保護の網をかぶせるものである。すなわち、私的情報等不当利用防御においては、収集・取得対象となる情報が「プライバシー固有情報」であるかそれとも「プライバシー外延情報」であるかという二分法的視点を排除し、私的情報等の収集・取得やその後に予定される利用・分析等の行為が当人の私生活の相当部分の継続的かつ網羅的な把握に至り得る蓋然性(監視能力)を有していると認められるか否かを問題とする。よって、私的情報等の取得・利用がただちにプライバシーの侵害となるわけではないところ、自己情報コントロール権説は、特に「プライバシー固有情報」に関して、公権力による開示のみならず取得・利用も同様に禁止されることを原則と捉えている点において、正鵠を射たものとは言いがたい。

第二に、多様な私的情報等がネットワーク上(サイバー空間)を流通する今日において、そのコントロール(その実現のための無断での取得・利用・開示等の包括的な禁止)は物理的に不可能に近い一方、私的情報等不当利用防御はかかる「コントロール」に対応した私的情報等の利用等の全般的な抑止を指向するものではない。あくまで、私生活の相当部分の把握に結びつくと認められる形での不当な利用等が禁止されると解するものである。それゆえ、①機微な私的情報であっても、相当な理由に裏づけられた正当な手続に基づくものである場合にはその利用等は許容される、②前記①の場合でも、利用の結果として把握された情報の公開又は第三者への提供については別途の考慮を要する(当然に許容されるわけではない)、③私生活の相当部分の把握に至り得ると認められる形での私的情報等の利用等は、前記①の場合を除いて禁止される、④前記③で禁止される場合以外の形での私的情報等の利用等は、原則として許容される、ということを前提とする。

第三に、私的情報等不当利用防御において問題となる「私的情報等の利用等が当人の私生活の相当部分の把握に至り得ると認められるか否か」ということは、自己情報コントロール権説が問う「自己情報が当人によるコントロールの範囲を超えて流通等しているか否か」ということとは別問題である。前者は基本的に公権力の客観的な情報処理・分析能力を問いつつ、それに応じた一定の態様での私的情報等の把握を端的に禁止するのに対し、後者は当人の主観的・可変的な「コントロール」の及ぶ射程を観念しているからである。

5.3.表現の自由との関係からみたプライバシー保護

プライバシーの保護法益に(私的情報等不当利用防御に加えて)平穏状態保護という要素が含まれ、これが衡量保護の結果として公的空間においても妥当する余地があるということを踏まえると、公的空間における表現の自由との関係からみたプライバシー保護について若干敷衍することが有意であろう。周知のとおり、憲法学説において表現の自由は「優越的地位」を有すると解されているが106、仮に当該自由が常に「優越的」に保障されれば、一種の「規制緩和」の材料として機能し得ることとなる。すなわち、表現の自由の保護領域が拡張的に捉えられるほど、各人(ないし各企業)は各種の行為を「表現」と主張しつつその保護を求め、プライバシー保護のための規制を含む所要の規制から逃れようとする傾向が強まる可能性がある。

同時に、「記録する権利」をめぐる米国の議論から示唆されるとおり、プライバシーは、表現との関係だけでなく、表現を行うに当たって必要となると認められる付随的な行為(以下、「表現付随行為」という)との関係においても緊張関係に立ち得る。表現付随行為の射程については、必ずしも一義的に定まるものではないが、メッセージの表出に必要となる情報の収集や記録等の準備的な行為が該当する。

もっとも、表現そのものとは異なる表現付随行為が表現と同程度に保護されるとする解釈は、正鵠を射ていない。表現の自由の保障の核心は、実体的なメッセージを伝える表出行為(表現)にあるのであって107、表現付随行為のあり方を必ずしも直接問題とするものではないからである108。しかし、表現付随行為が表現に不可欠なものである限り、これを憲法21条1項の保護領域とは無縁のものと捉える考え方も合理的ではない。表現付随行為についても、対抗利益との比較衡量を経つつ一定の範囲で憲法上保護され、その範囲内で、プライバシーの利益も制約され得ると考えられる。それゆえ、プライバシー保護等の観点から表現付随行為を制約する規制(以下、「表現付随行為規制」という)に際しては、厳格な審査を経て初めてこれが許容されるものとなるわけではなく、問題となる空間の性質等も踏まえた個別的な利益衡量が求められる。

このとき、表現付随行為規制が実際に正当化されるためには、学説上支配的な内容規制・内容中立規制区分論の考え方109や米国の判例で採用されているオブライエンテストの考え方110に照らすと、少なくとも表現の抑圧を目的としたものであってはならないということになろう。ところが、表現付随行為は何らかの形で表現行為と密接に関わっているため、表現付随行為規制は表現の抑圧を目的とするものと認識されがちとなる111。特に、大衆に向けた表現の場として機能し得る公的空間における表現付随行為規制については、貴重な表現の機会を実質的に奪うものとして捉えられる可能性が高い。その結果、本来はプライバシー保護のうえで実効的な規制であっても、それが正当化される余地が必要以上に狭まり得る。したがって、公的空間におけるプライバシー保護(平穏状態保護)は、表現の自由の保障との関係上、潜在的に矮小化されるリスクを孕んでいる112

このことは、内容中立規制との比較においてより明らかとなろう。例えば、典型的な公的空間である公道上での街頭演説は正当に規制され得るが、それは街頭演説が周囲の環境に対して及ぼす負の影響(交通上の危険、騒音等)を本質的に有しているからである。当該規制については、内容規制ではなく内容中立規制の一環と位置づけることが容易であるし、判例も一般にかかる規制を「時、所、方法等」の合理的な制限と捉えている113。その背景には、街頭演説という表現(メッセージ)自体に規制の照準を定めることが、当該表現に伴い付随的に生じる交通等の非表現の要素に対する規制に狙いを当てることと、比較的明確に区別され得るという事情がある。

これに対し、表現付随行為は、表現の実施に向けた準備的な行為にとどまるため、一般に個々の表現から抽出される固有のメッセージを有しない。そのため、表現付随行為規制は、当該メッセージにその狙いを定めること(又は定めないよう取り計らうこと)が困難なものである。ゆえに、表現付随行為規制においては、表現の抑圧を意図しているのか、それとも表現から発生し得る害悪の是正・防止を意図しているのかの区別がつきにくい。特に、公的空間においては、後刻の表現活動(動画共有サイトへの投稿等)を前提としたビデオカメラによる撮影・録画等、各人のプライバシーを害し得る表現付随行為を公権力が規制しようとする場合、その真の意図が表現自体の抑圧にあると捉えられる可能性もある。その場合、プライバシーへの弊害を極小化するはずの当該規制が導入困難となり、それに伴いプライバシーが十分に保護されない結果を招くリスクがある。

また、表現のための準備的な行為が真に表現に不可欠であると認められるか否かということについても、空間の性質等に応じて変化し得る。例えば、情報の記録という行為は、一定の場所又は場面に根ざす特定の文脈においてのみ、その対抗法益との関係上問題となる。それゆえ、表現付随行為の保護のあり方は、プライバシー等の対抗法益との関係において流動的であるうえに、空間の性質に応じても不安定であるという「二重の可変性」を有している。かかる可変性に応じて、個々の公的空間においてプライバシーが保護される具体的な程度についても一義的には定まり得ないこととなる。

5.4.公的空間におけるプライバシー保護というアプローチの限界

これまでの考察を通じて、平穏状態保護(衡量保護)の観点からも私的情報等不当利用防御の観点からも、「公的空間におけるプライバシー保護」というアプローチ自体が一定の限界を抱えているということが浮き彫りになる。平穏状態保護の観点から保護されるプライバシーの内実は、各人が維持を期待すると認められる「私生活の平穏」という一定の状態である。当該状態は、当人が所在する空間により醸成される要素が大きいが、空間それ自体ではない。また、私的情報等不当利用防御の観点から保護されるプライバシーの内実も、私的情報等が生成・創出される空間(私的空間に限られない)の存在を前提としつつも、当該空間への物理的な侵入の有無にかかわらず、一定の態様での当該情報等の取得及び利用等それ自体の脅威を防御しようとするものである。

それゆえ、プライバシー保護の客体に関しては、空間それ自体もさることながら、その空間において醸成され、又は当該空間と密接に結びついた一定の「不用意に介入又はアクセスされることのない領域」こそが、その核心となると考えられる。その帰結として、公的空間においてもプライバシー保護に関する一定の余地が認められる。

この「不用意に介入又はアクセスされることのない領域」は、物理的・空間的にも精神的・観念的にも形成され、空間の側面に関しては公的空間及び私的空間の双方に広くまたがり得る。すなわち、一定の空間やそれを通じて醸成される状態への物理的な侵入又は介入はもとより、(私的空間又は公的空間で醸成される)私的情報等へのアクセスも排除されることが予定された領域であり、GPS捜査判決にいう「私的領域」という概念で包括することが可能であろう。この判決は、私的領域について、「個人のプライバシーが強く保護されるべき場所や空間」に加え、「個人の行動を継続的、網羅的に把握することを必然的に伴う」監視型情報収集の脅威から解放された観念的な領域も内包され得るものと捉えていると考えられるからである。かかる私的領域への不侵入こそがプライバシー保護の基軸であると考えられるが、この点について以下に敷衍する。

まず、私的情報等不当利用防御の下では、物理的な空間ではなく、公権力による一定の態様での私的情報等の利用可能性から「隔離」された私的領域が観念され、当該領域への正当な理由を欠く「侵入」(情報の取得及び利用等)の排除が予定されている。逆に、正当な手続に基づく場合のほか、かかる「侵入」に該当しない私的情報等の利用(すなわち、私生活の相当部分の把握に結びつかないと認められるもの)については、憲法上ただちに排除されるわけではない。よって、例えば、行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律(平成25年法律27号)2条5項にいう「個人番号」の適正な管理については、個人番号が「プライバシー外延情報」であるから憲法上許容されるのではなく(実際、機微な個人情報と結合して「プライバシー固有情報」に変わり得る)、当該管理が私生活の網羅的な把握等にただちに結びつかないと認められる限りにおいて容認され得るものと解する必要がある。実際、個人番号の利用は、今日的な行政事務の処理上、国民生活を支えるうえで不可欠の行為となりつつある。

また、監視型情報収集を通じた私的領域への「侵入」に際して空間が問題となる可能性があるのは、私的情報等の収集・取得の局面であって114、それが利用・分析される局面ではない。後者の局面に関しては、利用・分析が行われる空間がどこであれ、個人の私生活を丸裸にするほどの精緻な解析が行われたり、誤ったプロファイリング等を通じて実像とはかけ離れた人物像の創出が行われたりするおそれが生じ得ることが、「侵入」ひいては当人のプライバシーの侵害に結びつく115

一方、平穏状態保護の具体的なあり方については、前述のとおり、個々の空間の性質に応じて変わり得る。狭義の私的空間保護の要請に照らし、私的空間は平穏状態保護に本質的になじみやすい一方、公的空間における平穏状態保護は表現及び表現付随行為の保護や管理権者の「管理権」に伴う制約を受けやすい。また、私的空間の中には、住居をその典型とするように、公権力による不当な侵入の徹底的な排除が予定された「純正な私的空間(私的領域)」とでも言うべきエリアがあることは否定できない。

しかしながら、公的空間は、パブリックフォーラムとして常に「表現優位」でプライバシーの利益が劣位におかれる場となるわけではない。憲法解釈論上、パブリックフォーラム理論は複数の問題点を抱えているからである。具体的には、①伝統的パブリックフォーラムとされる空間でさえ、本来の設置目的は各人の表現ではなく、それぞれ管理権者(公権力)の「管理権」が及ぶため、本来の目的を阻害しない範囲内で表現活動が認められ得るにすぎない、②そもそも表現の自由は「国家からの自由」を基軸としているにもかかわらず、伝統的パブリックフォーラムとされる空間における表現が広範に許容される場合、実質的に公権力による「給付」としての「国家による自由」となって整合しない、③サイバー空間が表現の場として広く機能している今日において、「国家による自由」として実空間のパブリックフォーラムを認める必要性が低下している、④伝統的パブリックフォーラムや指定的パブリックフォーラムとして特定される具体的な空間(場所)の範囲が曖昧である、といった問題点である116

同時に、公的空間においては、衆人環視法理に基づき各人のプライバシーが当然に失われるわけでもない。プライバシーの概念が私生活との連関に根ざす中で、私生活の営まれる主たる局面が私的空間であるとしても、それは一定の範囲で公的空間にも及び得るからである。実際、我が国の判例においては、パブリックフォーラム理論も衆人環視法理も全面的に採用されるに至っていない117。そのため、我が国では米国に比べ、公的空間におけるプライバシーが比較的保護されやすい法的土壌が備わっている(5.1参照)。

既述のとおり、公的空間におけるプライバシー(平穏状態保護)は、表現の自由との関係上、本質的に矮小化される潜在性を秘める一方、米国の判例からも示唆されるように、手厚く保護される可能性をも秘めている。それゆえ、公的空間においても、各人の私的領域に平穏状態保護が及ぶ余地がある。

例えば、Burson事件判決で問題となったような投票所の入口付近の公的空間は、各人の投票先という秘匿が予定された情報(憲法15条4項にいう投票の秘密)の保護を確実にする観点から、一体的にその平穏が保護される必要性が認められる。このとき、当該空間全体の保護が、私的領域の確保に直結するものと捉え得る。これに対し、伝統的パブリックフォーラムとされる公的空間については、そこで機微な私的情報や秘匿性の高い情報が表出される機会が散発的にあろうとも、当該空間全体の保護が私的領域の確保に結びつくものと認められるわけではない。当該空間においては、その設置目的に応じて、日常生活における各種の健全な活動が予定されている中で、それらの活動の制約が当然に許容されるわけではないからである。

他方、もとより公的空間と私的空間との区別自体がやや相対的である118。Jones事件判決も示唆するとおり、今日の監視型情報収集に関する技術の高度化は、当該区別の相対化を助長している。伝統的な技術に限ってみても、例えば公的空間に設置された防犯カメラが特定の住居等の私的空間を継続的に撮影していた場合、そこで問題となるプライバシーの核心は、実質的に「私的空間におけるプライバシー」であると考えられる119。逆に、私的空間に設置された防犯カメラが公的空間及び私的空間の双方を継続的に撮影する中で、当人のプライバシーの侵害が問題となることもある120

さらに、前述のとおり複合的な性質を有するサイバー空間も、公的空間と私的空間との区別の相対化を象徴するものと言える。サイバー空間は、もっぱらネットワークの管理主体という側面からみる限り私的空間の一種とも言えそうであるが、不特定多数の者がアクセスするという意味では公共空間的な性質の濃い領域であり、そこでは実空間の壁を乗り越えてさまざまな議論等が展開される。しかも、当該議論等の性質は、実空間上の公的空間で交わされる議論の性質と著しく乖離するわけではない121。それゆえ、サイバー空間においては、展開される議論等の内容に応じて、発言者の匿名性や発言に関するプライバシー等が制約される場合がある。実定法上も、特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(平成13年法律137号)4条1項の規定に基づき、サイバー空間上の「特定電気通信」(同法2条1号)による情報の流通における発信者の情報は、一定の範囲で制限され得ることとなっている。

以上のように考える限り、プライバシー保護のあり方については、公的空間か私的空間かという空間の性質のみに応じて二項対立的に捉えることは妥当ではないと言える。問題となる空間の性質を踏まえつつも、それに収斂されない憲法上の「私的領域」を観念し、それに対する「侵入」の態様を考慮する必要がある。

5.5.「私的領域」の保護としてのプライバシー保護

前項までの考察を踏まえ、私的領域の具体的な内実を整理すると、以下の類型に大別される。私的領域への不侵入を(憲法35条1項に基づき)確保するという意味での公権力に対する統制が、プライバシー保護の要諦となり、その裏返しとして、各人は私的領域不侵入確保権を享有することとなるものと解される。

第一に、狭義の私的空間保護の要請に関わる領域として、住居その他の私的空間という各人の私生活に直接関わる物理的な領域である。空間に応じてプライバシー保護のあり方を考えることの主たる有意性は、この領域の一部を(平穏状態保護の要請も踏まえつつ)「純正な私的空間」として強固に保護する必要性を浮き彫りにすることにある。

第二に、平穏状態保護の要請に関わる領域として、一定の空間における「私生活の平穏」という状態を確保する意味における精神的な領域である。これは、当該空間に公権力を無断で立ち入らせつつ余計な干渉をさせることを排するという伝統的な「私生活秘匿権」としてのプライバシーの理解に近い122。私生活の平穏の維持が表現活動等を行う者の利益に関わる場合には、当該利益との権衡の中でこの領域が保護されることとなる。

第三に、私的情報等不当利用防御の要請に関わる領域として、私生活の相当部分の様相が投影される形での私的情報等の不用意な取得、利用等の行為からの隔絶という状態を確保する意味における観念的な領域である123。これは、情報の取得等の現場となる物理的な空間の性質を直接問うものではない。また、基本的に収集・取得対象の情報の範囲を厳密に問うものでもなく、収集・取得及びその利用・分析の態様が個人の私生活の相当部分をあらわにし得ると認められるものであるか否かを領域の主たる分水嶺とする124

ただし、私的情報等不当利用防御の要請は、一定の私的情報等を「公共的な重要性」に照らして区別する必要性をも内包する。すなわち、私的情報等のうち、政治家の行動データの一部等、公共の関心事と言い得るほど公共的な重要性が高いと認められるもの125については、基本的に私的領域の外におかれ得る(それ以外のものについては、当該領域の範囲に収まる)。公共的な重要性が高いと認められる私的情報等の利用等については、もっぱら私生活の様相の投影に資するものとなるわけではなく、民主政の意思決定のあり方、ひいては憲法21条1項の保障根拠の一つとされる自己統治に関わり得るからである126

このような私的領域の概念を前提とすると、プライバシー保護は、①私的空間としての物理的な私的領域の現状維持(狭義の私的空間保護)、②(表現の自由の保障等に対する要請との調整を経たうえでの)私生活上の平穏な状態が確保された精神的な私的領域の維持(平穏状態保護)、③私生活の相当部分を丸裸にされない(行動を継続的かつ網羅的に把握されない)ことが確保された観念的な私的領域への不侵入(私的情報等不当利用防御)、を内包すると捉えられる。膨大な私的情報等の容易な流通を実現する近年のインターネット(サイバー空間)の発展は、特に私的情報等不当利用防御の重要性を増大させつつ、公的空間・私的空間の二分論的な思想の有意性を低下させている。

他方、公的空間の「管理権」に着目すると、私的領域がもっぱら公物管理権を根拠として侵される(すなわち、私的空間への物理的侵入及びそれに伴う平穏状態の妨害や私的情報等の網羅的かつ継続的な取得等が不当に行われる)ことがないということは、憲法35条1項の規定の予定するところと考えられる。したがって、私的空間に所在する者はもとより、公的空間に所在する者の私的領域に対しても、正当な手続によらずに公権力が「侵入」することは排される。その限りにおいて、公物管理権の行使可能範囲は縮減される。

6.結論

憲法学説が本格的に論じてこなかった「公的空間におけるプライバシー保護」のあり方については、表現の自由の保障等に対する要請との関係から矮小化される潜在性を内包するが、同時に手厚く保護される可能性をも秘めている。それは、公的空間においても、各人の私的空間及び「不用意に介入又はアクセスされることのない領域」としての「私的領域」が存在するからであり、そこでは公権力による公物管理権の行使も制限され得る。

この私的領域の概念には、住居を典型とする私生活に直接関わる物理的な領域と、私生活の平穏の確保やその様相の相当部分が投影される形での私的情報等の取得及び利用等の行為から隔絶された状態の確保という意味における精神的・観念的な領域とが含まれる。かかる領域への「不侵入」を確保することこそが、プライバシー保護の核心である。そして、私的領域が公的空間と私的空間とにまたがる限り、もっぱら空間を基準としてプライバシー保護のあり方を一律的に考えることには一定の限界があるということになる。

判例上導かれた私的領域不侵入確保権は、その内実が必ずしも明らかにされていないが、前述の意味での私的領域の保護を指向した基本権として観念することが可能であろう。かかる解釈を前提とすると、私的領域不侵入確保権を定立することの意義の一つは、従前の判例上必ずしも積極的に承認されてこなかった「公的空間におけるプライバシー保護」の余地を明確化するとともに、公的空間か私的空間かを問わずに問題となり得る私的情報等不当利用防御の(憲法上の要請としての)重要性を浮き彫りにしたことにあると言えよう。

脚注

1 総務省行政評価局評価監視官。

2 最大判平成29年3月15日刑集71巻3号13頁。

3 車両等に持ち主の承諾なくGPS受信機器を取り付けたうえで、その所在を追跡しつつ位置情報を検索・把握する刑事手続上の捜査のことをいう。

4 伊藤雅人=石田寿一「車両に使用者らの承諾なく秘かにGPS端末を取り付けて位置情報を検索し把握する刑事手続上の捜査であるGPS捜査は令状がなければ行うことができない強制の処分か」『法曹時報 71巻6号』100-153頁(2019年)137頁参照。

5 最大判昭和44年12月24日刑集23巻12号1625頁、最判平成20年3月6日民集62巻3号665頁。

6 「私的領域」の概念について、「住居」等と同様の場所ないし空間として捉える考え方として、山本龍彦「GPS捜査違法判決というアポリア?」『論究ジュリスト 22号』148-155頁(2017年)149-150頁参照。一方、物理的な空間という意味合いだけでなく、それを超えて、個人の私生活に関わる各種の情報(の集積)としても観念されるという考え方として、堀江慎司「GPS捜査に関する最高裁大法廷判決についての覚書」『論究ジュリスト 22号』138-147頁(2017年)145頁参照。

7 佐藤幸治『現代国家と人権』(有斐閣、2008年)290-291頁・489-490頁参照。

8 佐藤・前掲(注7)490頁参照。

9 GPS捜査判決については、「空間の公私を問わず位置情報の把握自体がプライバシー侵害に当たるとする」見解とは一線を画していると評されている(伊藤=石田・前掲〔注4〕137-138頁参照)。

10 山本龍彦『プライバシーの権利を考える』(信山社出版、2017年)3-4頁参照。

11 ただし、私生活が行われるのは私的空間に限定されない。毛利透ほか『憲法訴訟の実践と理論:判例時報2408号臨時増刊』(判例時報社、2019年)102頁〔毛利透執筆〕参照。

12 U.S. Const. amend. IV.

13 もとよりプライバシーの概念は多義的であるが、自己情報コントロール権説の立場からは、「プライバシーの権利」は「自己の存在にかかわる情報を開示する範囲を選択できる権利」であるとされる一方、自己の生命・身体の処分や家族の形成・維持等に関わる「個人的事柄を自ら決定することができる」ことに対する権利は、「自己決定権」としてプライバシーの権利とは区別されると説かれている。佐藤幸治『日本国憲法論』(成文堂、2011年)182頁・188頁参照。もっとも、かかる「自己決定権」を「広義のプライバシーの権利を構成するもの」と位置づける有力な学説も提示されている。芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法 第七版』(岩波書店、2019年)128頁参照。このような意味での自己決定権は、これを人格的自律権と捉えるか否かはともかく、憲法13条に基づく幸福追求権の内実の一環をなすものと位置づけられる。しかし、本稿は、自己情報コントロール権説に懐疑的な立場(5.2参照)から、憲法上のプライバシー保護の内実について、各人が自己情報の開示範囲に対する「自己決定」の権利を有するものではなく、公権力による情報の適正な取扱い等に関する統制がその核心となると捉えている(5.5参照。その詳細については、紙幅の都合上、別稿に譲りたい)。ゆえに、前述の「自己決定権」について、これを「広義のプライバシーの権利」と位置づけることは正鵠を射ておらず、プライバシー保護とは切り離して捉えるべきものと考えられることから、当該権利については措く。

14 棟居快行「公共空間とプライバシー」『岩波講座 憲法2 人権論の新展開』193-225頁(岩波書店、2007年)197-198頁。

15 大阪地判平成6年4月27日判時1515号116頁参照。ただし、この裁判例は、公的空間においてプライバシーの利益が大きく制約されることを指摘しつつも、当該利益が完全に失われるわけではなく、監視の態様や程度によってはプライバシーの侵害が認められる可能性があるという旨に言及している。

16 仙台高判平成28年2月2日判時2293号18頁参照。

17 最決平成20年4月15日刑集62巻5号1398頁参照。

18 山本・前掲(注10)169頁参照。

19 公的空間を政治的意味に限定すればプライバシー保護の不成立を言い得るが、一般私人の行き交う場にまで拡大したうえでその不成立を主張するのは誤りであると説く学説として、棟居・前掲(注14)200-201頁参照。

20 山本・前掲(注10)24-27頁・31-43頁参照。

21 See Katz v. United States, 389 U.S. 347, 361 (1967) (Harlan, J., concurring).

22 佐藤・前掲(注7)500頁参照。併せて、山本・前掲(注10)63頁参照。

23 海野敦史「『プライバシーの合理的な期待』の法理の限界からみた監視型情報収集との関係における憲法上のプライバシー保護のあり方」『情報通信学会誌 36巻3・4号』63-73頁(2019年)68頁参照。

24 最判平成15年9月12日民集57巻8号973頁参照。

25 井上正仁『強制捜査と任意捜査〔新版〕』(有斐閣、2014年)159頁。

26 See Gilad Yadin, Virtual Reality Surveillance, 35 Cardozo Arts & Ent L.J. 707, 713 (2017).

27 See supra note 21.

28 その詳細について、海野・前掲(注23)64-67頁参照。

29 See United States v. Knotts, 460 U.S. 276, 281 (1983).

30 See California v. Ciralo, 476 U.S. 207 (1986). See also Florida v. Riley, 488 U.S. 445, 449-450 (1989).

31 See Ciralo, 476 U.S. at 215.

32 See California v. Greenwood, 486 U.S. 35, 40 (1988). かかる解釈の原点は、「たとえ住居・事務所内であれ、人が意図的に他人にさらしたものについては、修正4条の保護対象とならない」と説いた判例にある。See Katz, 389 U.S. at 351.

33 See Gill v. Hearst Publishing Company, Inc., 40 Cal. 2d 224, 230 (Cal. 1953).

34 有力な学説においても、衆人環視法理は、「各人が公的空間においてプライバシーを有するか」という問題意識を出発点とすると説かれている。See Joel R. Reidenberg, Privacy in Public, 69 U. Miami. L. Rev. 141, 144 (2014).

35 See Davis v. Massachusetts, 167 U.S. 43, 47-48 (1897).

36 See Hague v. Committee for Industrial Organization, 307 U.S. 496, 515-516 (1939).

37 See Perry Education Association v. Perry Local Educators’ Association, 460 U.S. 37, 45-46 (1983).

38 See id. See also Arkansas Educational Television Commission v. Forbes, 523 U.S. 666, 677-678 (1998).

39 See Geoffrey R. Stone, Content-Neutral Restrictions, 54 U. Chi. L. Rev. 46, 93 (1987).

40 U.S. Const. amend. I.

41 See Daniel A. Farber & John E. Nowak, The Misleading Nature of Public Forum Analysis: Content and Context in First Amendment Adjudication, 70 Va. L. Rev. 1219, 1224 (1984).

42 See Steven G. Gay, Reopening the Public Forum - From Sidewalks to Cyberspace, 58 Ohio St. L. J. 1535, 1536-1537 (1998).

43 See Margot E. Kaminski, Privacy and the Right to Record, 97 B. U. L. Rev. 167, 171 (2017).

44 かつては「保護されない言論」として位置づけられてきた範疇の言論についても、修正1条に基づく保護が及ぶことを前提としたうえで、「米国憲法上規制し得る内容」であるか否かを個別に問うアプローチが採られている。See R.A.V. v. City of St. Paul, 505 U.S. 377, 386 (1992).

45 See Kaminski, supra note 43, at 173.

46 See id. at 178.

47 See Smith v. City of Cumming, 212 F. 3d 1332, 1333 (11th Cir. 2000).

48 See American Civil Liberties Union of Illinois v. Alvarez, 679 F. 3d 583, 595-596, 601, 606 (7th Cir. 2012). もっとも、かかる権利が具体的に保護される射程については曖昧となっている。

49 See Kelly v. Borough of Carlisle, 622 F. 3d 248, 262 (3d Cir. 2010).

50 See Marc Jonathan Blitz, et al., Regulating Drones Under the First and Fourth Amendments, 57 Wm. & Mary L. Rev. 49, 84 (2015).

51 See Kaminski, supra note 43, at 185, 188-189. ここでいう「境界線的な権利」を導くアプローチ(「半影理論」とも称される)の端緒は、過去の判例(National Association for the Advancement of Colored People [NAACP] v. Alabama, 357 U.S. 449 [1958])で定立された「結社の自由及び結社におけるプライバシー」の保護について、これを修正1条の境界線的な権利と位置づけた判例(Griswold v. Connecticut, 381 U.S. 479 [1965])に求められる。See id. at 483-484. この判例においては、(自己決定権的な意味合いでの)プライバシーの権利についても、修正1条・3条・4条・5条・9条から導かれる境界線上の権利の一つとして位置づけられるという旨が示唆されている。See id. at 484-485. もっとも、かかるアプローチに対してはさまざまな批判が提示され、その後の判例においては基本的に継承されていない。当該批判の基軸となっているのは、米国憲法上の各関係条項から抽出される保護法益を足し合わせたとしても、その「総和」を超えた新しい権利を導きがたいというものである。See Stephen Kanter, The Griswold Diagrams: Toward a Unified Theory of Constitutional Rights, 28 Cardozo L. Rev. 623, 634-635 (2006).

52 佐々木秀智「インターネット上の私的事実公表型プライバシー侵害とアメリカ合衆国憲法修正第1条」『法律論叢 89巻6号』221-258頁(2017年)222頁。

53 See Reidenberg, supra note 34, at 148-149.

54 See id. at 155-156.

55 See Kaminski, supra note 43, at 207.

56 See Blitz et al., supra note 50, at 133.

57 See Kaminski, supra note 43, at 208.

58 Frisby v. Schultz, 487 U.S. 474 (1988).

59 See id. at 484-485.

60 Ward v. Rock Against Racism, 491 U.S. 781 (1989).

61 See id. at 796.

62 Estes v. Texas, 381 U.S. 532 (1965).

63 Houchins v. KQED, Inc., 438 U.S. 1 (1978).

64 U.S. Const. amend. XIV.

65 See Estes, 381 U.S. at 534-535.

66 See id. at 544-545.

67 See Houchins, 438 U.S. at 9, 15-16.

68 See id. at 5, n.2.

69 Boos v. Barry, 485 U.S. 312 (1988).

70 See id. at 331-332.

71 Hill v. Colorado, 530 U.S. 703 (2000).

72 See id. at 707-708, 719, 730.

73 See id. at 716-718.

74 Burson v. Freeman, 504 U.S. 191 (1992).

75 See id. at 211.

76 See id. at 206-208.

77 尾崎愛美「GPS捜査の適法性に関する最高裁大法廷判決を受けて(下)」『捜査研究 800号』2-11頁(2017年)4頁参照。

78 United States v. Jones, 565 U.S. 400 (2012).

79 See id. at 404-405.

80 See id. at 404. この判例は、政府が「情報を収集する目的で物理的に私有財産を占拠した」と認定しており、公的空間への物理的侵入行為については修正4条との関係で問題とならないと説いている。See id. at 411.

81 See id. at 412.

82 See id. at 417 (Sotomayor, J., concurring).

83 憲法35条1項にいう「住居」には、旅館の客室等、「人が私生活の保護について合理的期待を抱く場所」が広く含まれるものと解されている。佐藤・前掲(注13)324頁参照。

84 ただし、プライバシーに限られるものではなく、例えば生活上の安全等に対する利益も含まれると考えられる。

85 それゆえ、平穏状態保護についても、憲法35条1項の規定に基づく要請の一環として位置づけられるように思われる。

86 なお、かかる衡量保護の必要性は、サイバー空間においても同様に妥当し得る。

87 さらに言えば、表現という行為の成立自体が、空間に応じて可変的である。例えば、公的空間(写真展の会場等)における写真の展示と私的空間(住居等)における写真の展示とを比較した場合、前者の空間での展示は表現と認められようが、後者の空間での展示については、他人に伝える実体的なメッセージを見いだしがたく、表現とは認めにくい。

88 最判昭和57年11月16日刑集36巻11号908頁。最判昭和59年12月18日刑集38巻12号3026頁。併せて、最大判昭和29年11月24日刑集8巻11号1866頁参照。

89 最判平成20年4月11日刑集62巻5号1217頁。

90 前掲最判平成20年4月11日。併せて、最大判昭和45年6月17日刑集24巻6号280頁、前掲最判昭和59年12月18日参照。

91 前掲最判平成20年4月11日。

92 翻って言えば、表現の自由が具体的に保障される範囲は、空間の性質に応じて異なり得る「プライバシーの利益等に対する潜在的な弊害」を念頭におきつつ画定される。

93 同時に、当該空間の「管理権」が、表現の自由のみならず、そこに所在する者のプライバシーをも併せて制約する可能性があるということにも留意を要する。

94 土井真一「国家による個人の把握と憲法理論」『公法研究 75号』1-22頁(2013年)1-3頁参照。併せて、山本・前掲(注10)151-154頁参照。

95 前掲最大判昭和44年12月24日。

96 前掲最判平成20年3月6日。

97 渋谷秀樹『憲法(第3版)』(有斐閣、2017年)239頁参照。

98 海野敦史「監視型情報収集と憲法35条1項との関係―『私的領域に侵入されることのない権利』を保障する意義」『情報通信政策研究 2巻1号』Ⅱ-33-Ⅱ-56頁(2018年)Ⅱ-55-Ⅱ-56頁、海野・前掲(注23)70頁参照。

99 判例上憲法13条の規定に基づく要請として示された「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」(注96参照)は、「個人に関する情報をみだりに取得又は利用されない自由」までをも承認するものではなく、後者の自由が導かれるか否かについては曖昧であった。GPS捜査判決は、私的領域不侵入確保権の定立を通じて、公権力との関係における後者の自由についても一定の範囲で肯定的に捉えるに至ったものと考えられる。ただし、当該判決は「個人の行動を継続的、網羅的に把握することを必然的に伴う」という要素をもってプライバシーの侵害を肯定していることに留意が必要である。すなわち、私的情報等の取得、利用等がただちに私的領域の「侵入」に該当するのではなく、それが私生活や私的な行動の継続的かつ網羅的な把握を可能とする形で正当な手続によらずに行われる場合に限り、当該侵入が肯定されると捉えているように思われる。

100 なお、この点については、米国法上も同様に妥当すると考えられる。判例は、各人の携帯電話の位置情報を公権力が(電気通信事業者を通じて)継続的に取得する行為について、物理的な移動の包括的な記録に対してはプライバシーの合理的な期待が肯定されるとしつつ、修正4条にいう「捜索」に該当すると解しているからである。See Carpenter v. United States, 138 S. Ct. 2206, 2223 (2018).

101 厳密に言えば、私的情報の内容の把握後に実際に行われる利用・分析等の行為は、(それが情報の収集・取得と可分的である限り)一次的には「侵入」に該当するものではない。一定の態様での情報の収集・取得が行われた時点で「侵入」が成立し得るからである。しかし、情報の収集・取得と利用・分析等は一連の過程で行われることが一般的であることを踏まえると、当該行為は「侵入」に付随する行為(以下、「侵入付随行為」という)と位置づけられよう。私的情報等不当利用防御との関係における公権力の行為の統制を考えるに当たっては、「侵入」と侵入付随行為との規範的な径庭を考える余地はあるものの、当該統制に関する規律自体は両行為に及び得る。なお、侵入付随行為には、収集・取得した情報を内部的に利用する行為と、当該情報を第三者に提供又は開示する行為とがあり得る。後者の行為に対しては、「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」(注96参照)との関係上、前者の行為よりも強度な統制が求められる。

102 「住居、書類及び所持品」に限らず、これらに準ずる私的領域への「侵入」を問題としているからである。既に指摘されているとおり、ここに伝統的な「侵入」の概念(物理的な侵入)が再定義される契機がある。駒村圭吾「GPS捜査とプライバシー」『ジュリスト臨時増刊 平成29年度重要判例解説』26-27頁(2018年)27頁参照。

103 本稿でいう個人情報については、個人情報の保護に関する法律(平成15年法律57号。以下、「個人情報保護法」という)2条1項で定義される「個人情報」を指し、個人の私生活を推知し得るものであるか否かを問うものではない。

104 佐藤・前掲(注7)490頁参照。

105 プライバシー外延情報については、「公権力が正当な政府目的のために、正当な方法を通じて収集・保有・利用しても、直ちにはプライヴァシーの権利の侵害とはならない」とされる。佐藤・前掲(注7)490頁参照。

106 芦部・前掲(注13)105頁、佐藤・前掲(注13)249頁参照。

107 最大判昭和27年8月6日刑集6巻8号974頁。

108 海野敦史『通信の自由と通信の秘密―ネットワーク社会における再構成』(尚学社、2018年)87-88頁参照。

109 芦部・前掲(注13)203-206頁、佐藤・前掲(注13)261頁参照。

110 See United States v. O’Brien, 391 U.S. 367, 376-377 (1968). これは、言論の要素と非言論の要素との結びつきが強い場合において、後者の要素を規制する公共の利益が重要ないし実質的なものであれば、前者の要素(修正1条の保障する自由)に対する付随的な制約として許容され得るという旨の考え方である。

111 See Kaminski, supra note 43, at 197.

112 これは、パブリックフォーラム理論からも導かれる帰結である(3.2参照)。

113 最判昭和35年3月3日刑集14巻3号253頁。

114 例えば、公的空間を定点的に映す防犯カメラによる監視型情報収集(注15参照)は、私生活の相当部分の把握に結びつくものとは認めがたく、「侵入」が肯定されにくい。

115 なお、公権力により収集・取得された私的情報等の利用の局面において侵害され得る当人の利益は、プライバシーに限られない。各種の表現活動等をも萎縮させ得るからである。毛利ほか・前掲(注11)104頁(毛利透執筆)参照。

116 中林暁生「パブリック・フォーラム」駒村圭吾=鈴木秀美編『表現の自由Ⅰ―状況へ』197-220頁(尚学社、2011年)205-217頁参照。もっとも、一部の学説においては、米国由来のパブリックフォーラム理論を持ち込むことの有用性は失われておらず、その発展可能性を追求すべきであるとする主張も提示されている。毛利ほか・前掲(注11)37-38頁(木下智史執筆)参照。

117 ただし、パブリックフォーラム理論に関しては、伊藤正己裁判官の補足意見において、パブリックフォーラムにおける表現の自由の保障の可能な限りの配慮を求める言及がある。前掲最判昭和59年12月18日、最判昭和62年3月3日刑集41巻2号15頁参照。また、公の施設の管理権行使の適正化を求めつつ、その使用の拒否による「集会の自由の不当な制限につながるおそれ」を指摘する判例として、最判平成7年3月7日民集49巻3号687頁参照。一方、衆人環視法理との関係に関しては、一定の条件の下で警察官による個人の容ぼう・姿態の無令状での撮影が許容される余地がある旨を示す判例があるが、これも前述のとおり(公的空間において)みだりに容ぼう等を撮影されない自由が憲法13条に基づく「個人の私生活上の自由」の一つとして保障されるという旨を併せて示しており、当該法理とは一線を画している。前掲最大判昭和44年12月24日参照。

118 例えば、公衆トイレは公的空間の一部とも捉え得るが、その内部の個室は私的空間としての性質が強い。

119 東京地判平成27年11月5日判タ1425号318頁参照。

120 さいたま地判平成30年5月10日判時2400号103頁参照。

121 そのため、「サイバー空間は全体として開放された公的空間であると考えられている」とも指摘されている。See Yadin, supra note 26, at 714.

122 ただし、「ひとりで放っておかれる」状態の積極的な確保を含意するものではない。

123 かかる意味での私的領域の具体的な保護範囲はやや流動的である。なぜなら、当該領域とは一見無関係の情報であっても、私的情報と結合して、当人の私生活の一端をより鮮明にすることに資する可能性がある(すなわち、公権力による不用意な取得、利用等の排除の対象となり得る)からである。

124 例えば、個人情報保護法2条3項にいう「要配慮個人情報」を主たる対象とする監視型情報収集であっても、同条9項にいう「匿名加工情報」とするための措置等を通じて私生活の様相を明らかにし得ない形で実施される限り、領域への「侵入」が否定される。

125 もっとも、これに該当するか否かの判断は総合的な考慮によらざるを得ず、特にその開示(公開)に際しては慎重な検討が必要となる。例えば、路上での政治家同士の非公式な政策論議の場面は、場合によっては公共の関心事となるかもしれないが、それを録画したデータを公権力が動画共有サイト等に無断でアップロード(公開)することは、私的情報等不当利用防御の要素に反し、そのプライバシー(私的領域不侵入確保権)の侵害と認められるおそれがある。

126 もっとも、情報発生源行為区別説の示唆するように、個々の情報の性質ではなく、情報の発生源となる行為に着目し、当該行為の公共性の度合いを判定しながら「私的領域」にその情報を含めるか否かを決するという道筋も考えられる。しかし、かかる行為は必ずしも一義的に定まるものではなく、「公的」な行為か「私的」な行為かが曖昧となる場合も想定される。よって、より端的に、私的情報等の有する性質ないしそれが及ぼし得る影響に応じて「公共的な重要性」の程度を見極めることが求められよう。

 
© 2020 Institute for Information and Communications Policy
feedback
Top