2025 Volume 2 Issue 1 Pages 40-55
くじら産業の街である下関市と北九州市は、くじらや捕鯨の歴史や文化を持ちながら、従前よりそれらが観光ツアー商品の対象となることは無かった。2019(令和元)年に商業捕鯨が再開され、下関市が国内唯一の母船式捕鯨基地となったことを契機に、関門両市に存在するくじらの歴史、文化等を辿るツアーが新たな商品となりうるのか、行政や旅行会社へのヒアリング等を行い、その実現可能性について検証した。
【研究ノート】
くじら産業の街・下関市、北九州市を巡る
- 新たな観光ツアー商品の可能性を探る -
岸本 充弘1
Mitsuhiro KISHIMOTO 1
1下関市立大学
Shimonoseki City University
要旨
くじら産業の街である下関市と北九州市は、くじらや捕鯨の歴史や文化を持ちながら、従前よりそれらが観光ツアー商品の対象となることは無かった。2019(令和元)年に商業捕鯨が再開され、下関市が国内唯一の母船式捕鯨基地となったことを契機に、関門両市に存在するくじらの歴史、文化等を辿るツアーが新たな商品となりうるのか、行政や旅行会社へのヒアリング等を行い、その実現可能性について検証した。
キーワード:くじら産業、下関市、北九州市、観光ツアー、商品開発
1.はじめに

1.1研究の目的と背景
2019(令和元)年7月に再開された日本の商業捕鯨で、国内唯一の母船式捕鯨11)基地となったのが下関市である。捕鯨母船として使用されてきた日新丸は2023(令和5)年11月に引退し、後継となる新捕鯨母船の関鯨丸(写真1)は、下関市内の造船所で建造され、2024(令和6)年3月に完成後、操業を開始した(「関鯨丸期待背負い船出」、『山口新聞』2024年5月22日)。
古式捕鯨の歴史を辿ると、下関市は江戸期に現在の山口県長門市、萩市等北浦地域で鯨組により行われていた、長州捕鯨の鯨肉、鯨油等の中継基地としての役割を果たしていた。また、その後の近代捕鯨では、明治期に入り日本初のノルウェー式捕鯨会社であった日本遠洋漁業22)の出張所と倉庫が置かれ、その後も林兼商店33)の拠点として捕鯨関連産業の集積が図られ、くじら44)の街としての歴史や文化を築いてきた(岸本,2006b)。一方北九州市では、昭和初期に下関市から旧戸畑市55)に移転した共同漁業66)が拠点を置き、戦後も戸畑港を基地とした日本水産の大型トロール船が、探鯨船や運搬船として捕鯨にも従事し、多くの鯨肉が戸畑に陸揚げされていた。鉄の街・北九州市を支えた、筑豊炭坑、港湾、製鉄所等で勤務する多くの労働者を食で支えてきたのも塩鯨であった(岸本,2006b)。
現在様々な地域資源がある関門地域を、観光地として積極的に誘客を行っている下関市と北九州市は、これらを背景としたくじら産業の街であり、本稿では両市のくじらや捕鯨の歴史を振り返り、史跡や文化等を改めて掘り起こしながらストーリー化し、地域振興につながる観光ツアー商品の実現可能性について、検証することを目的としている。なお本研究は、下関市立大学と北九州市立大学との2023年度、2024年度関門地域共同研究のテーマが『観光』であったことが1つの契機となった。関門地域共同研究では過去2回観光をテーマに取り上げているが、コロナ明けで生活様式が大きく変化し、改めて関門地域の課題に目を向けたものであり、下関市が商業捕鯨再開における拠点となったことにより、関門地域の地域資源であるくじらにフォーカスしたものである。
また、調査研究の内容や手法について2023年度は、北九州市における①くじらや捕鯨に関する歴史、文化等の文献調査②関連する史跡等の現地調査や鯨商品の取扱い状況の調査を行い、北九州市におけるくじらと捕鯨の歴史・文化と現状を検証し、観光ツアー商品案を提示した(岸本,2024)。2024年度の本稿は、2023年度に検証した北九州市におけるくじらと捕鯨を巡る観光ツアーに下関市のツアープランを加え、下関市、北九州市の観光行政担当課や、民間の旅行会社等へ対する意見聴取を行い、ツアー商品化の実現可能性について取りまとめたものである。
なお、本稿におけるツアー設定エリアは、関門連携で各種事業を展開している現在の北九州市と下関市の行政区域としての関門地域とし、その周辺市町は含まないものとするが、各種検証においては関連する周辺市町も含めた検証も行っている。また、聞き取り調査において社名掲載の了解が取れている会社以外は特定できないよう配慮した。
1.2先行研究と研究の手法
関門地域におけるくじらや捕鯨産業の歴史、文化等に係る先行研究のうち、古式捕鯨に関する下関地域の研究に関しては、江戸期の長州捕鯨と下関の関わりについて多くの1次資料を手掛かりとして検証した徳見光三(1971)、同じく江戸期に鯨を取扱った問屋等の各種文書を中心に検証した河野良輔(2005)、長州捕鯨の開始から終焉までを、テーマごとに整理している安冨静夫・岸本充弘(2002)等の先行研究や著書がある。一方北九州地域では、江戸期に古式捕鯨が行われていたのが筑前大島77)周辺だけであったため、古式捕鯨に関する先行研究は殆ど無いものの、長州捕鯨で捕獲された鯨肉等が、芦屋88)等に配送されていたとの記述がある(徳見,1971)。また、当時の福岡藩が遠賀川の水運を利用して、害虫駆除用の鯨油を藩内に流通させていた記述もあり(鳥巣,1999)、当時から北九州市周辺では鯨肉や鯨油が流通し、くじらとの深い関わりがあったことがうかがえる。一方近代捕鯨に関しては、関門地域における捕鯨産業を検証した先行研究として岸本充弘(2006a)があり、その中では、下関市を拠点にしていた旧大洋漁業と旧戸畑市を拠点にしていた旧日本水産を中心に、くじらや捕鯨に係る関連産業の集積が図られ、現在もくじら産業文化が根付いている街であると結論付けている。
一方、関門地域の観光に関する最近の先行研究等の主なものについては、下関地域の地域資源やブランドを活用した観光交流や振興方策について検証している坂本紘二(2006)、下関市を含む山口県の国際観光の取り組みやあり方について検証している高嶋正晴(2009)がある。また環境都市・北九州市での環境観光について検証している湯淺墾道(2010)、や、関門地域外の住民アンケート調査等から今後の関門地域の観光について検証している南博(2016)、北九州市の産業観光に係る検証を行った赤松香苗・大江靖雄(2018)、門司港レトロ地区の観光について検証を行った丸山宗志(2018)、北九州市の産業博物館等から観光等について検証している佐藤友美(2022)等がある。なお、これらの先行研究の中でくじらや捕鯨に係る記述があったのは坂本の研究のみで、近代捕鯨の基地下関や鯨館、大洋ホエールズ等に関する記載があるものの(坂本,2006)、くじらや捕鯨を観光ツアーの視点で検証している先行研究は無い。
2. くじら産業のまち・下関市、北九州市を辿る
2.1古代から現在までの下関市におけるくじらの歴史・文化
古代から鯨との関わりのある下関市では、今から約二千年前、弥生時代中期の遺跡である吉母浜遺跡から、鯨骨製のアワビオコシが出土しており、当時から海岸に流れ着いた鯨を利用していたと考えられる(岸本,2006b)。その後、元亀年間に始まった長州捕鯨において、拠点であった通、瀬戸崎、川尻、島戸浦などで捕獲された鯨肉は、早手船により下関、芦屋、博多に回漕後問屋により売り捌かれており、下関が鯨肉の集散地となっていた(徳見光三,1971)。当時下関を中継していたのは、鯨肉・鯨油・鯨骨等の鯨製品や捕鯨技術を含めた人の行き来も行われており、九州の鯨船が下関を経由して萩の見島に入っていた(多田,1968)。
その後、1899(明治32)年に阿武郡奈古出身の県議である岡十郎と、大津郡出身の山田桃作により日本初の近代捕鯨会社である日本遠洋漁業が設立され、本社を長門市、出張所を下関市に置いていたことを根拠に、両市が近代捕鯨発祥地として対外的に情報発信している。同社が下関市に営業拠点の出張所を置いていたことで、明治期末には大阪や兵庫等の阪神方面で鯨肉販売量が急速に増大していった。1909(明治42)年には、当時 12社あった捕鯨会社の合併により、本店を大阪に置いた東洋捕鯨が設立される。東洋捕鯨は東京支店、下関支店、博多出張所に加え、 青森、宮城、石川、千葉、三重、和歌山、徳島、高知、宮崎、鹿児島、長崎と韓国に計20カ所の事業場を設置した。また、捕鯨船18隻、解体船13隻を保有し、年間一千頭以上の鯨を捕獲するなど、日本における鯨肉市場の3分の2のシェアを占めていた。東洋捕鯨は更に企業合併を経て1934(昭和9)年に日本捕鯨となり、同年日本で初めて南氷洋捕鯨に乗り出す。その後日本捕鯨は共同漁業と合併し、1937(昭和12)年3月に日本水産となる(岸本,2006)。東洋捕鯨下関支店として1926(大正15)年に建築された建物は、蜂谷ビルとして下関市に現存している99)。また、朝鮮通漁で資本蓄積を果たした下関市の林兼商店は、1922(大正11)年に土佐捕鯨を吸収後、捕鯨部を新設し近海捕鯨に乗り出す。その後林兼商店捕鯨部は、1936(昭和11)年に大洋捕鯨を創立し、日本初の国産捕鯨母船日新丸で南氷洋捕鯨に出漁する。1946(昭和21)年に食糧難緩和のため当時のGHQが許可した小笠原近海捕鯨では、大洋漁業が旧海軍の特殊輸送艦を改装した捕鯨母船と捕鯨船2隻、運搬船6隻を下関市の唐戸岸壁から出航させている。その後、戦後の本格的な南氷洋捕鯨がスタートし、下関市では林兼造船が1960(昭和35)年から1983(昭和58)年まで計23隻の捕鯨船を建造し、南氷洋捕鯨基地となるとともに国内の主要鯨肉陸揚地の1つとなる(岸本,2006)。岸本によれば、戦後日本の南氷洋捕鯨船団が生産した冷凍鯨肉の下関市での陸揚量は、1956(昭和31)年に全体の約20%となり、取扱量のピークとなる1961(昭和36)年には2万トンを超えていた。また、1964(昭和39)年に下関漁港に上がった鯨肉のうち、約78%は大洋漁業等の冷凍庫に入庫後、缶詰・ハム・ソーセージ等にも加工され、残りの約22%は他市場等に出荷され、そのうち約58%は鯨肉消費の多い九州方面へ出荷されていた(岸本,2006)。
1987(昭和62)年に商業捕鯨が一時停止され、調査捕鯨に移行してから鯨肉は調査副産物としての流通となり、赤肉と皮や畝須等の白手物の大きく2つのルートができていた。鯨肉の流通ルート及び価格の決定方法については、調査主体である日本鯨類研究所が副産物処理販売基準を作成しており、それに基づいて適正な流通が図られている一方、流通ルートには、商業捕鯨当時からの加工業者等への直接取引等、商業捕鯨当時の名残が多くみられていた。特に市場枠では、沖縄県を除く各都道府県ごとの比率に基づいた荷割が決めてられており、山口県は1,000分の37と、大阪、東京、福岡、兵庫、長崎、北海道、愛媛に次いで多かった1010)。下関市内の多くの鮮魚店や量販店では、調査捕鯨以前より鯨肉が多く販売されており、市街地から離れた山間部でも、魚の行商であるカンカン部隊が塩蔵鯨肉の販売を行っていた。また、市無形民俗文化財である蓋井島山の神神事では、鯨の尾羽毛、鯨油等がお供物やまかない料理として使われていたこともあり、現在も節分に鯨肉を食べる風習が残るなど、くじらは市民の文化として根付いてきた。下関市は鯨肉の消費が多い福岡県にも隣接し、必然的に鯨肉消費が多かった事を裏付けるように、昭和40年代後半には「現在下関周辺で消費される鯨肉は約一千トン」という記事も掲載されている(『山口新聞』1974年4月11日)。
下関市は調査捕鯨移行後も、国内の調査捕鯨拠点基地の1つとしてくじらを繋いできたが、1995(平成7)年度から「ふく・うに・くじら」の3大水産物ブランド化事業を本格的に開始し、1998(平成10)年度から実施した南極海鯨類捕獲調査船団一般公開や出港式、市内小中学校での鯨肉給食や、官民挙げてのくじら普及活動推進のため、下関くじら食文化を守る会の立ち上げ等、調査船団基地化を目指した取組みが本格化する。調査捕鯨移行後の調査副産物流通量として2008(平成20)年に共同船舶が実施した調査によれば、山口県の流通量は174.8トン、県民1人当たりの消費量は133.7グラムとなり、下関市内での鯨肉消費量は約40~60トン程度と推察される1111)。また、老朽化していた調査捕鯨母船日新丸の後継船である関鯨丸は2024(令和6)年に下関で完成し、同年操業を開始した。これに伴い下関市は国内唯一の母船式捕鯨基地となり、下関市鯨肉消費拡大推進協議会が市内飲食店を中心とした鯨肉普及事業を実施し、実行委員会が2021(令和3)年から開催している『三つの日本一ふく、くじら、あんこう祭り』や、共同船舶が主催する『くじら祭り』等のイベント開催等を行い、市内で鯨料理を提供する飲食店は100店舗を越えている1212)。また、2022(令和4)年7月には下関市内の大学、高校等が連携し、若い方を対象とした鯨食普及活動として『鯨弁当プロジェクト』を立ち上げ、開発した鯨バーガーの大学祭等での販売、鯨の未利用部位を利用した鯨油キャンドル等の商品開発等も行われている。その一方で、商業捕鯨再開後の捕獲頭数減少により、市内量販店で取扱う鯨肉や加工品の数量等が減少するとともに、国内でも有数の規模を誇り、学校給食や県外へ多くの鯨加工品を提供してきた老舗鯨肉加工販売会社の破産は、くじらの街下関としての今後の鯨食普及に大きく影響するものとして受け止められている。
2.2古代から現在までの北九州市におけるくじらの歴史・文化
北九州市でくじらとの関わりを古代まで遡ると、ヤマトクジラに辿り着く1313)。ヤマトクジラの化石は、北九州市若松区にある約3,000万年前の地層である芦屋層群から見つかっており、その化石は北九州市八幡東区にある北九

州市立自然史・歴史博物館いのちのたび博物館(以下『いのちのたび博物館』)に展示されている(写真2)1414)。ヤマトクジラの存在は、現在の響灘が古代より鯨の生息海域であり通り道であったことを意味しているが、その一方、北九州市には江戸期に行われていた古式捕鯨の形跡が無い。それは、鯨を追い込む入り江が少ない等地形的要因があり、近場では北九州市に近接している筑前大島と地島に古式捕鯨の痕跡を見ることが出来る(新修宗像市史,2024)。一方、前掲の徳見によれば「長州捕鯨による鯨肉は早手船によって下関、芦屋、博多の諸港に回漕され」とあり(徳見,1971,p.296)、北九州市に隣接する芦屋が長州捕鯨の流通拠点地の1つであったことがわかる。芦屋は遠賀川の河口に位置する町で、江戸期から博多、小倉と並ぶ3大市場があり、当時の福岡藩が遠賀川の水運を利用した鯨油の運搬を行い害虫駆除用の鯨油を運搬していた1515)。

近代以降1929(昭和4)年には、下関市に所在していた共同漁業が事業拡大等により旧戸畑市に移転し、その後の日本水産の拠点となる。既に1935(昭和10)年頃には戸畑工場で鯨の加工品も製造されており、その後の鯨加工品製造の基盤がこの頃には整備されていた(岸本,2006)。また、日本水産の大型トロール船基地でもあった戸畑港周辺には、日本水産の加工工場や関連企業等が集積し、戦後は大型トロール船が鯨を探す探鯨船や鯨肉を運搬する運搬船としても使用され、多くの鯨肉が戸畑港に陸揚げされていた。鯨肉のハム、ソーセージ等を製造していた日本水産戸畑工場周辺には、中小の鯨肉加工品製造会社も存在し賑わいを見せた1616)。旧戸畑市にあった日本水産を象徴する旧日本水産戸畑支社の建物(写真3)も北九州市の水産業を象徴する建物であり、日本水産の歴史を辿る展示施設ニッスイパイオニア館として2011(平成23)年8月に設置されたが、2023(令和5)年3月末で休館している。一方、旧門司市にある門司港には、戦後南氷洋捕鯨に出漁した捕鯨母船が入港している(西日本新聞社,1995)。当時、捕鯨母船が門司港に入港後、鉄道で九州各地に鯨肉が送られており、門司港は日本国内の鯨肉陸揚げ地の1つであったことがうかがえる1717)。これらの歴史があり、鉄都である北九州市の背後にある筑豊炭鉱等の炭鉱労働者、石炭積出港の若松港、九州の鉄道起点でもあり鯨肉が陸揚げされていた門司港港湾労働者、旧八幡製鉄所の工場労働者やその家族を中心に、激しい労働を支える蛋白源や塩分補給のために塩鯨が多く消費され、くじらを食べるという食文化が、北九州市の都市文化として根付いてきた(岸本,2006)。また、北九州市民がくじらを食べることは『北九州市史民俗』に「祝いの日や祭りの日には鶏肉や鯨肉が料理に加えられた」との記述がある(北九州市,1989,p.213)。
一方、北九州市内において1987(昭和62)年からの商業捕鯨一時停止以降現在に至るまで、鯨肉の流通量等はどのように変化してきたのであろうか。1977(昭和52)年の大手捕鯨会社3社(大洋漁業、日本水産、極洋)の九州における鯨肉販売実績のうち、福岡県の販売実績は5,582トンとの記録がある(日本捕鯨協会,1980)。前掲の2008(平成20)年実施の共同船舶調査では、福岡県は545.7トンと都道府県別年間流通量は全国1位であったものの、商業捕鯨から調査捕鯨に移行した約30年間で、鯨肉流通量は約10分の1に減少している1818)。また、北九州市統計年鑑によれば、北九州市内1世帯あたりの年間鯨肉購入量は、1964(昭和39)年に年間7.57キロ、1977(昭和52)年に年間2.1キロ購入していたが、2008(平成20)年の共同船舶調査では、福岡県民1人あたりの年間鯨肉消費量が120.7グラムであったことから、約30年間で鯨肉消費量が15分の1に減少している。

そこで、現在の北九州市内での鯨肉取扱等について調査するため、2023(令和5)年9月から10月にかけて市内にある鮮魚店やスーパー等約30ヵ所で店舗への訪問調査を実施した。今回調査した鮮魚店やスーパー等約30軒のうち取扱いがあったのが9軒で、調査した店舗の約3割で鯨肉を取扱っていた(岸本,2024)。
一方商業捕鯨再開を契機に、鯨肉市場の縮小に危機感を 覚えた関係者による鯨食普及拡大の取り組みは、北九州市においても行われている。その1つの成果が、2023(令和5)年10月25日と26日に北九州市政60周年記念事業として開催された第36期竜王戦の勝負メシとしてメニューブックに掲載された『幸せを運ぶ鯨竜田揚げバーガー』の開発である(写真4)1919)。
2.2下関市と北九州市に残るくじら文化



関門地域にはくじらと関わりのある建造物等が多数あるが、下関市では日本遺産『関門“ノスタルジック”海峡~時の停車場、近代化の記憶~』構成文化財であり、1926(大正15)年に当時の東洋捕鯨下関支店として建てられた蜂谷ビルがある(写真5)。日本遺産は、地域の歴史や伝承、風習などを1つのストーリーとしてまとめたもので、当該日本遺産は近代のレトロ建造物群によるストーリーである。市内中心部の日和山公園には、東洋捕鯨の前身で日本初の近代捕鯨会社であった日本遠洋漁業を立ち上げた岡十郎と山田桃作の顕彰碑もある。また、中心部から少し離れた旧城下町の長府地区には、林兼商店創業者中部幾次郎旧邸宅があった長府庭園があり、園内二の蔵には、中部家から下関市立大学に寄贈された戦前の南氷洋捕鯨資料等を展示している鯨資料展示室がある。長府庭園向かいの関見台公園には、1958(昭和33)年に旧大洋漁業が建築し下関市に寄贈した鯨館が現存している。更にシロナガスクジラの骨格標本を展示している水族館・海響館の近くには、下関市で建造された旧大洋漁業の捕鯨船第二十五利丸の捕鯨砲やプロペラ等をモニュメントとして屋外展示している。
一方北九州市では、旧日本水産戸畑支社ビル以外に門司区に日本遺産『関門“ノスタルジック”海峡』構成文化財であるホーム・リンガ商会の建物(写真6)がある2020)。この建物は1962(昭和37)年に建てられたもので、ホーム・リンガ商会の歴史をさかのぼると、長崎における近代捕鯨の歴史を築いてきた英露人捕鯨組合に辿り着く。英露人捕鯨組合は、1897(明治30)年にロシアの漁業家デンビー、イギリス人貿易商リンガー、ロシア極東の貿易商セミョーノフの3人で設立され、ホーム・リンガ商会が代理店となっていた(片岡・亀田,2012)。

また、小倉北区の旦過市場に鯨のイラストがある。これは2022(令和4)年4月と8月に被災した旦過市場の復興を願って描かれたもので『幸せを運ぶクジラ』と名付けられている(写真7)。同じく小倉北区の勝山公園内には、クジラの骨格を模した長さ約24mの遊具がある(写真8)。この遊具はモルタル製で2008(平成20)年に設置され、シロナガスクジラの骨格がモデルとなっている。
3.新たな観光ツアー商品の可能性を探る
3.1関門地区の観光客の動向とツアーの傾向
下関市、北九州市への観光客は、新型コロナの感染収束後大幅に回復してきている。2023(令和5)年の下関市の観光客数は、実人数571万7687人で対前年比125.4%、115万8317人の増で、このうち季節型観光客数については3年ぶりの制限なしのイベント開催等により、対前年比210.0%となっている2121)。一方、北九州市観光動態調査(令和4年次)によれば、2022(令和4)年1月から12月に北九州市に訪れた観光客数は、門司港レトロ地区や小倉都心部を中心に1785万4千人で、対前年比61.5%も増加している。特に外国人観光客は3.6万人と対前年比260%、産業観光客数は19.7万人と対前年比77.5%の増加となっており、コロナ禍前の水準には戻らないものの順調に回復してきている2222)。下関市、北九州市ともに通過型観光都市から宿泊を伴う滞在型観光都市を目指しているが、北九州市では特に産業観光に力を入れている。北九州産業観光センターHPにも、「北九州市の「産業観光」とは、日本の近代化に貢献した産業の歴史・遺産を知ると同時に、モノづくりの技術を土台に発展してきた最先端技術を肌身で感じるといった、貴重な体験が出来る北九州ならではの観光」との掲載がある2323)。市内には産業観光の対象となる近代化産業遺産等が、門司港レトロ地区や若松区等に点在している。旅行会社との提携ツアー等はコロナ禍前から行われているが、ツアーの件数や内容等は、今後も拡充できる可能性を秘めている。
一方新たなツアーの手法として、観光庁が訪日客向け新事業に着手している(「物語仕立てで地域周遊促進」、『山口新聞』2023年5月8日)。この事業は、酒、火山、自然豊かなロングトレイル等のテーマに関し、歴史的背景から今後の展望までを物語仕立てにして魅力を発信していくのが柱で、各地の観光資源を効果的に結び合わせて広域周遊につなげることを想定している。また、日経MJでは『旅行商品のヒットの芽は「少人数&ニッチ」ロングテール化進む』との見出しで、新型コロナ禍の影響で、大人数の行動を控える傾向が強まり、個別のニーズに合った観光を楽しむ旅行者が増えていることを伝えている2424)。更に具体的事例として「ニッチャートラベル」という、地域活性を目的とした「阪急交通社」と「ナビタイムジャパン」の共同プロジェクトもスタートしている。『“旅を介して、地域の活性化や人々の交流に貢献する”というパーパスの具現化を目指し、従来のパッケージツアーとは異なる独創的でユニークな新しい旅のカタチを提案していく』とあり、その傾向はインバウンドが大幅に回復していることで、今後更に拡大していくと推察される2525)。そのうえで、今後はストーリーを辿る少人数ツアーの需要が拡大することを見据え、手軽に気軽にニッチなツアーが主流となることが見込まれ、それを踏まえた下関市、北九州市のくじら産業の歴史、文化を辿る新たな観光ツアーを設定し、商品化の可能性を含めた提案を行うこととする。
3.2下関市でのくじらのストーリー

観光ツアー商品化の前提となる下関市でのくじらのストーリーを検討すると、日本水産、大洋漁業の発祥地として、産業を中心としたストーリーが想定される。下関市HPの公式観光サイトにある『しものせき物語』には高杉晋作、巌流島、金子みすず、壇ノ浦の合戦に加えて、下関と『くじら』があり、『くじらの街下関』を巡るコースが設定されている。このコースをベースに、近代捕鯨発祥の地・下関のくじら産業を巡る旅(図1)と名付け、下関市外から来る観光客のアクセスが容易なJR下関駅を起点に、借上タクシーにより周遊し、JR下関駅に戻る下関のくじら産業を巡るツアーとする。

このツアーでは先ず徒歩で、JR下関駅西口にある『大洋漁業発祥の地』石碑を見学し、借上タクシーで日和山公園の顕彰碑、岬之町の蜂谷ビル、第二十五利丸モニュメントの見学後長府に移動し、関見台公園にある鯨館(写真9)、長府庭園と鯨資料展示室の見学を行うコースである。長府庭園内では、お抹茶や和菓子、オプションにより事前予約による鯨バーガーも選べるようにし、更に追加で唐戸市場での鯨肉購入や海響館見学も可能とする。タクシー料金検索、定額予約サイトである「らくらくタクシー」によれば2626)、走行距離約17.476キロ、料金6,000円、所要時間約35分となり、日和山公園顕彰碑、蜂谷ビル、利丸モニュメント、鯨館、長府庭園での見学時間を合計120分とした場合、所要時間は235分(3時間55分)の半日コースとなる。ツアー経費としてお菓子か鯨バーガー(飲み物付)1,000円、長府庭園入場料(200円)付きで、1名の料金が合計7,200円となり、小型タクシーの場合3名まで乗車可能となる。1名のツアーと想定した場合、料金7,200円の半日ツアー商品として設定することが可能となる。
3.3北九州市でのくじらのストーリー
北九州市におけるくじらのストーリーを検討すると、①古代のヤマトクジラを辿る旅(若松区~八幡東区)②鉄都を支えた鯨食と産業を辿る旅(若松区~戸畑区)③都会の鯨を辿る旅(小倉北区)④門司港レトロとくじらを辿る旅(門司区)と名付けた4つが、ツアーとして想定される。いずれのツアーも北九州発の『幸せを運ぶ鯨竜田揚げバーガー』を片手に、手軽に気軽に回れるツアーを前提とし、③の小倉でのツアー以外は、北九州市、福岡県外からの観光客のアクセスが容易なJR小倉駅を起点に借上タクシーで周遊し、JR小倉駅に戻る行程としている。


まず1つ目の「①古代のヤマトクジラを辿る旅(若松区~八幡東区)(図2)」は、ヤマトクジラが出土した芦屋層群がある北九州市若松区遠見ヶ鼻の見学の後、ヤマトクジラ化石展示のある、いのちのたび博物館の見学を行うツアーである。ヤマトクジラが出土し、福岡県指定天然記念物の芦屋層群がある若松区遠見ヶ鼻から望む響灘の景色は絶景で、鯨バーガーを片手に現在も大型鯨類の通り道でもある響灘の景色を見ながら、古代~現代の鯨のストーリーを辿ることができる。いのちのたび博物館を先に見学し、夕方遠見ヶ鼻からの美しい夕日を見る行程の選択もある。若松区遠見ヶ鼻付近に行く市営バスもあるが便数が限られ、博物館がある八幡東区への移動等を考えた場合、タクシーの半日借上が効率的である。新幹線の駅でもあるJR小倉駅発着借上タクシーとした場合、前掲の「らくらくタクシー」によれば2727)、走行距離56.465キロ、料金16,020円、所要時間103分となり、博物館での見学及び遠見ヶ鼻の見学時間を合計120分とした場合、所要時間は223分(約3時間43分)の半日コースとなり、ツアー経費として鯨バーガー(飲み物付)1,000円、博物館入場料(600円)付きで、1名の料金が合計17,620円となり、小型タクシーの場合3名まで乗車可能となる。1名のツアーとした場合、料金20,000円の半日ツアー商品として設定可能である。
2つ目の「②鉄都を支えた鯨食と産業を辿る旅(若松区~戸畑区)(図3)」は、鉄都である北九州市を支えた筑豊炭鉱石炭積出港であった若松港の港湾労働者を食で支えていた塩鯨にフォーカスし、若松港に残る石炭関連の建物群を見学後、対岸の戸畑区に市営渡船で渡り、鯨肉が陸揚げされていた戸畑港と、ニッスイパイオニア館を巡る、現代の産業と鯨食をストーリーとして辿るものである。2011(平成23)年8月に開設され、約12年間にわたって日本水産の歴史を発信してきたニッスイパイオニア館は、諸般の事情により2023(令和5)年3月末で休館している2828)。このツアーを実施する場合は、ツアー客を対象とした特別観覧の実施をニッスイに依頼し、ニッスイの了解が前提となる。またオプションとして、若松区と戸畑区の食堂で、塩鯨を食事に組込むことも検討する。①のツアーと同じく、JR小倉駅発着の借上タクシーとした場合、「らくらくタクシー」によれば2929)、走行距離22.654キロ、料金7,170円、所要時間40分となり、

若松港での見学及び復路のみ市営渡船で戸畑に渡り、ニッスイパイオニア館の見学時間を120分とした場合、合計の所要時間は160分(2時間40分)の3時間コースのツアーとなり、経費として鯨バーガー(飲み物付)1,000円、渡船料(100円)付きで、1名の料金は合計8,270円、オプションで1,000円の昼食を組み込めば9,270円となり、小型タクシーの場合3名まで乗車可能となる。1名の場合10,000円の3時間ツアー商品として設定可能である。

3つ目の「③都会の鯨を辿る旅(小倉北区)(図4)」は、4つのツアーの中で唯一タクシー借上をせず、徒歩で巡るツアーとなる。小倉都心部にある旦過市場の『幸せを運ぶクジラ』や勝山公園にあるクジラの骨格を模した遊具を見て回った後に、豊富な鯨製品の品揃えがあるI百貨店での鯨製品の品見や購入後、夕方からは塩鯨や鯨ベーコンをつまみに、小倉での角打ちを楽しむという設定である。ただし現在小倉の角打ちでは鯨製品を提供していないため、既存メニューに加えていただく必要がある。少し小倉都心部から離れるが、オプションとして、鯨ベーコンや塩鯨等を製造・販売している岩本商事の工場見学を加えれば、産業観光の要素が加わることとなる。このツアーに関しては、鯨商品購入代や角打ち代の自己負担以外は料金がかからないが、商品購入等で使える割増クーポンを、市観光案内所で受取る想定としている。
4つ目の「④門司港レトロとくじらを辿る旅(門司区)(図5)」は、門司港名物のくじらの天ぷらや鯨竜田揚げバーガーを食べながら、門司港レトロ地区で鯨に所縁のあるホームリンガ商会等の建物を巡るツアーである。①と同じく、JR小倉駅発着の借上タクシーとした場合、「らくらくタクシー」によれば、走行距離29.276キロ、料金8,850円、所要時間41分、門司港レトロ地区の散策時間を120分とした場合、合計所要時間161分(2時間41分)の3時間コースとなり、必要経費として鯨竜田バーガー(飲み物付)1,000円を加えた合計金額が9,850円で、小型タクシーの場合3人まで乗車可能となる。1名で料金10,000円の3時間ツアー商品として設定可能である。オプションとして、夕方から塩鯨や鯨ベーコンをつまみに、1,000円程度で門司港での角打ちを楽しむ設定もできる。ただし現在小倉と同様、角打ちでは鯨製品を提供していないため、既存のメニューに加えていただく必要がある。
これら下関市と北九州市のくじら産業の街を巡る5つのツアーについては、いずれも旅行会社へ申込みと料金支払いを行ったうえで、下関市はJR下関駅にある下関市観光案内所で、北九州市はJR小倉駅にある北九州市総合観光案内所で、鯨竜田バーガー、施設入場料や鯨商品購入等に使える共通クーポン券を渡し、利用することを想定している。
3.4商品開発の可能性と今後の課題
新たな観光ツアー商品として提示した下関市、北九州市のくじらツアー計5つの案について、ツアー商品としての実現可能性の有無や改善点、実現に向けての課題等を探るため、下関市、北九州市の観光部局と、民間の旅行会社にプラン案を提示したうえで意見聴取を行った。
下関市観光政策課へのヒアリングでは3030)、「ツアーの対象年齢、居住地、目的等ターゲットをどうするかで様々なことが変わってくる。例えば食事場所の例で言うと、高齢者は屋外で食べることを恥ずかしいと考える人もいる。」また、「高齢者2人で2万円は少し割高感があるかもしれない。ニッチなツアーで大人数は難しいが、タクシー借上げ前提であれば複数人の方がお得感がある。また、ツアーガイドが案内してくれる形が良いが、ガイドの会にお願いすると金銭的負担が生じる。」とのことであった。一方、「下関は近代捕鯨発祥地の割に見るものがあまり無い。蜂谷ビルは中にフレンチレストランが入っているが、お任せコースで鯨が出るわけでもない。一方関門海峡に沿って行くと、関見台の鯨館やその下の三軒屋海岸から見えるスナメリもあり、鯨館の歴史的経緯やその高さから見る関門海峡、源平合戦、イルカのストーリーなら繋がる。新種のツノシマクジラが発見された角島は少し遠いが、世界で数体しかない海響館のシロナガスクジラ骨格標本や唐戸市場内の鯨肉専門小売店はぜひ見てほしい。下関は関鯨丸の基地として鯨を推しており、鯨料理を提供する飲食店数も推定で日本一であるが、専門料理店がもう少し欲しいところ。食に関しては全国トップクラスである関門エリア全体で、景色と食を楽しむものにした方が良い。十分ではないが鯨に関する情報発信も行っており、需要があるから唐戸市場内で鯨の寿司も出されている。下関がどれだけ鯨の本場であるかをガイドが説明し、食が楽しめ満足できれば、ふくの10万円ツアーのように高額でもお金を出す人もいる。下関に来る観光客の方が唐戸市場やカモンワーフで鯨を食べる事ができ、面的な広がりによる下関と北九州の連携により、それなりのツアーの形になるのかもカギとなる。」との意見であった。
また、北九州市観光課へのヒアリングでは3131)、「鯨自体がニッチなものだが、このツアー商品をどのように販売し、どう届けるかが1つの課題。鯨だけだと求めて来る人は懐かしい竜田揚げを食べたい人等に限られる。鯨というと下関のイメージが強すぎて北九州と結びつかない。イルカなら北九州でも身近にいるし、ホエールウオッチングなら街の文化として結びつくが、観光コンテンツとしてのテーマ性も必要ではないか。」とのご意見をいただいた。北九州では、ビオトープでの野鳥観察とバーベキューをセットにした3,000円のツアーを実施した実績はあるとのことであったが、現在推進しているのが産業観光であるという。「スタディツアーなら、産業観光の施設としてTOTOミュージアムがあるが、ニッスイパイオニア館は現在休館しており観光商品としては難しい。一方、塩鯨を勉強しに来た等歴史を学ぶニッチなスタディツアーなら可能性もある。最近は鯨が身近でない人が増えているので、誰をターゲットにどのようなストーリーで届けるか、歴史を辿るのも1つのコンテンツになる。幸せを呼ぶ鯨バーガーなら幸福巡りにするやり方もある。子供たちや高齢者を対象に学びの視点を入れたツアーなら可能性はあるが、近隣の人ならコンパクトに、遠方の人ならより広域的に行えば良い。30~40代の家族連れに楽しんでいただくなら金額は安く抑える必要があり、1人2万円は高い。夏休みにいのちのたび博物館とタイアップし、家族で学び鯨バーガーを食べる形なら夏のツアー商品にはなるかもしれない。食としての歴史、命をいただきますの感謝の気持ち、アイデンティティとして日本人が忘れている鯨に対する心や思いを伝える語り部がいる10人程度のバスツアーなら、旅行会社のツアーにもなる。大人が楽しめ家族で学べ親子で話ができ、家で語れる課題研究にするのも良いのでは。」と、スタディツアーの形にする助言もいただいた。加えて「鯨のイメージが強い長門市と下関市に、北九州市を繋げるのも良いし、江戸~明治期のロマン感じるストーリーとして思いをしっかり乗せるのも必要ではないか。」と、古式捕鯨の街である長門市を加えることにより、古式捕鯨から近代捕鯨のストーリーとしてより広域的に繋ぐツアーの展開に係るご意見もいただいた。
一方民間からの視点で、東武トップツアーズ関門支店・関門DMOにツアープラン案に係る意見についてメールで照会したところ3232)、関門地域に共通する文化を紹介しツアーを造成できることに対する好意的なコメントをいただいた。併せて「現在観光においても持続可能な要素が求められている。」とのご指摘があった3333)。具体的には「『持続可能な観光=質の高い観光』と考え、地域においても少しずつ理解を求める活動を行っている。持続可能な観光には、環境保全、動物の保護もあり、一面だけを捉えれば捕鯨は世界的にマイナスイメージだが、食文化の継承という面で捉えればプラスであると考えている。この地域のくじらとの歴史、食文化、くじらの命を無駄にしない文化を正しく世界に伝える機会として、ツアー造成には非常に高い価値があると考えている。」との評価をいただいた。また課題として「各ツアー、ストーリーを辿るのであればガイド付きにしたほうが良い。ガイドは通しでできる方でも良いが、鯨関連の仕事をしていた方の経験談などをスポットでお話しいただくとより効果がある。またタクシー利用のツアーに関しては、距離と時間が関わるので、再度タクシーの貸切料金の見積をした方が良い。また、北九州の2つ目は戸畑駅発着、4つ目は門司港駅発着で公共交通機関や徒歩でも良い。ターゲットの設定と情報発信、販売方法は、私共にとっても最大の課題で、設定次第で情報発信や販売ルートの検討が必要になる。」との具体的なご指摘もいただいた。



ヒアリングを行ったこれら3者から共通して指摘のあったのは、①ガイド付きツアー②家族を対象としたツアー③食を交えた歴史・文化を辿るツアー等の必要性であった。これらの条件等に沿ったツアー内容を再検討すると、家族向けで定員40名程度のガイド付バスツアーとして募集し、北九州市発で市内4つから1つを選択したうえで午前中に回り、その後下関市に移動し、鯨昼食を堪能した後下関市内を回る『下関・北九州のくじらを辿る旅』(案)の日帰りバスツアーとなる(図6)。ガイド付大型バスを借り上げた場合、下関での鯨の昼食代を含めて1人8千円のコースとなる。夏休み等に実施すれば、家族で鯨の食・歴史・文化を辿るスタディツアーとなる3434)。
また、ツアー商品化の実現に向けた課題として、対象者や年齢、人数等により移動手段や内容等を精査し、できるだけ費用を抑えたツアーの検討も必要となってくる。一方、ツアーのテーマであるくじらや捕鯨自体が非常にニッチなものになっていることに加え、北九州市が鯨の街であるとの認識が、市民をはじめ他県からの観光者にも殆ど無いことから、先ずは北九州市民が、北九州市にある鯨の歴史や文化に対する認識を、多少なりとも醸成していくことが大切である。また、国際的には捕鯨が非常にデリケートな問題であることから、当面は海外からのインバウンド向け商品ではなく、日本人向けの国内ツアー商品とならざるを得ない状況にある。日本では捕鯨が農林水産大臣許可漁業であり、魚と同じように水産資源として持続的に利用する対象であるということが、日本人の中でさえ正しく伝わっていないため、捕鯨問題に対する正しい認識と理解を、このツアーを通じて多くの日本人に認知していただく必要がある。日本国内では和歌山県太地町が鯨の町として様々な取り組みを行っている。江戸期の古式捕鯨から受け継がれている捕鯨や鯨食文化は、現在でも『くじらに出会える海水浴場』として夏場は鯨と泳げる海水浴場が開設され、町内の森浦湾では、湾を仕切って放しているハナゴンドウとシーカヤックに乗って触れ合えることができる等により多くの観光客が訪れている。また『道の駅たいじ』では様々な鯨料理が提供され、鯨の食文化は観光資源として活用されている。今後更に、地域振興の視点で観光客による地域への経済効果を考えた場合、「2019(平成31)年の訪日客の1人当たりの消費額が15万8531円、日本人の国内観光での1人当たりの消費額は宿泊なら5万5054円、日帰りなら1万7334円」(箱谷,2022,pp.43-44)であることを考慮すると、ツアーの内容等により観光客の増加が地域経済へ与える影響は非常に大きいことも改めて認識する必要がある。
4.おわりに
本稿は、2023年度から2ヵ年に及ぶ関門地域共同研究のテーマ『観光』に関する紀要の最終報告として執筆し、関門地域の地域資源であるくじらと捕鯨をどのようにすれば多くの方に知っていただけるのかという視点で、ツアーの商品開発に係る提案を行ったものである。
下関市は江戸期より、商都として多くの問屋が所在していたが、これらの問屋を経由して、長州捕鯨の鯨肉、鯨油等の流通が行われ、近代捕鯨以降もそのルートが受け継がれてきた。戦後は南氷洋捕鯨基地として、水産都市の基盤が形成され、その後の調査捕鯨から現在の商業捕鯨再開後の母船式捕鯨基地に至るまで、市内には多くのくじら産業遺産や鯨文化が存在し、今なお食を含めた文化が受け継がれている。一方、認知度として高くないはないものの、鉄都北九州市の多くの労働者を食で支えてきたのもくじらであり、市内にはくじらにゆかりのあるものも多くある。本稿が関門地域における、くじら産業遺産や鯨文化を少しでも知っていただき、更に新たな観光ツアー商品となる可能性となる1つの契機となり、ひいてはそれが地域振興に繋がってほしいという思いがある。くじらと捕鯨をテーマとしたニッチな観光ツアーは、観光商品としての規模は小さくとも、多種多様な趣向がある旅行ニーズに沿ったものとして、今後の取り組み次第で新たな観光ツアー商品となる可能性はある。今後は観光ツアー商品化の実現に向けて、日本国内の幅広い年齢層に対するアンケート調査等を実施し、実際にどの程度の需要があるのかを把握することや、ツアー商品化により地域経済にどの程度の経済波及効果をもたらすことができるかについても、具体的なシミュレーションを行っていく必要を認識しており、そのことを今後の研究課題としたい。
2019(令和元)年に31年ぶりに再開された日本の商業捕鯨は、鯨関係者や多くの鯨ファンが期待した、多くのくじらが安くたくさん食べられる状況とはなっていない。捕鯨母船の新船建造という半世紀に一度という節目を迎え、関門地域では現在、くじらや捕鯨が非常に注目されている状況にある。くじら産業の街と言える下関市、北九州市にとって、くじらと捕鯨は両市が持つ産業的、文化的、歴史的な財産であり、地域資源でもある。さらに、くじら以外の地域資源も観光資源となり得る可能性があり、今後も引き続き、関門地域における様々な地域資源を掘り起こし、地域振興につながるような、新たな商品開発やその実現に向けて検証を進めていきたいと考えている。
引用・参考文献
赤松香苗・大江靖雄(2018)「産業観光に対する認知度と需要標的層-北九州市を対象として-」総合観光学会誌『総合観光研究』第16・17合併号,pp.23-28.
片岡千賀之・亀田和彦(2012)「明治期における長崎県の捕鯨業 : 網取り式からノルウェー式へ」長崎大學水産學部研究報告No93,p.92.
河野良輔(2005)『長州・北浦捕鯨のあらまし』長門大津くじら食文化を継承する会,pp.1-41.
岸本充弘(2006a)「関門地域における鯨産業・鯨文化形成メカニズムの一考察 -その将来展望を視野に入れて-」北九州市立大学博士論文pp.5-46.
岸本充弘(2006b)『関門鯨産業文化史』海鳥社,pp.9-56.
岸本充弘(2024)「くじら産業の街・下関市、北九州市を巡るー新たな観光ツアー商品開発の可能性を探る(北九州市編)」関門地域研究Vol.31、関門地域共同研究会.pp.43-58.
北九州市(1966)『北九州市統計年鑑第2回』,pp.254-266.
北九州市(1979)『北九州市統計年鑑第16回』,pp.218-233.
北九州市(1989)『北九州市史民俗』,p.213.
坂本紘二(2006)「関門地域における観光交流推進への地域資源の掘り起こし」下関市立大学産業文化研究所所報15巻,pp.1-24.
佐藤友美(2022)「北九州市の「産業博物館」と「企業博物館」の成立に関する考察-「文化/観光」からの「産業へのまなざし」-」全日本博物館学会博物館雑誌第48巻第1号,pp.33-63.
高嶋正晴(2009)「山口県の国際インバウンド観光振興の取り組みと展望-東アジア地域交流連携と着地型観光交流地域づくりの取り組み-」下関市立大学地域共創センター年報第1号,pp.183-209.
徳見光三(1971)『長州捕鯨考』長門地方史料研究所,pp.295-304.
鳥巣京一(1999)『西海捕鯨の史的研究』九州大学出版会,p.69.
西日本新聞社(1995)『西日本新聞に見る戦後50年』,p.88.
日本捕鯨協会(1980)『捕鯨業と日本国民経済との関連に関する考察』,pp.41-44.
箱谷真司(2022)『観光立国・日本ポストコロナ時代の戦略』光文社新書,pp.43-44.
丸山宗志(2018)「北九州市・門司港レトロ地区における観光空間の形成と展開」立教大学立教観光学研究紀要第20号,pp.3-13.
南博(2016)「関門地域の観光の現状と課題-地域外住民からの意識に着目して-」関門地域共同研究会関門地域研究第25号,pp.63-111.
安冨静夫・岸本充弘(2002)『下関くじら物語』下関くじら食文化を守る会,pp.16-35.
湯淺墾道(2010)「北九州市における環境観光の可能性」九州国際大学社会文化研究所紀要巻66,pp.35-49.
注1)捕鯨船と母船で船団を組み大型鯨類の捕獲を行う農林水産大臣許可漁業
注2)後の日本水産、現在のニッスイ
注3)後の大洋漁業、現在のマルハニチロ
注4)くじらと鯨の表記は固有名詞以外、下関市等で使用されている平仮名表記とした
注5)現在の北九州市戸畑区
注6)後の日本水産、現在のニッスイ
注7)現在の宗像市大島
注8)現在の福岡県遠賀郡芦屋町
注9)従前は旧日本捕鯨別館として使用されていた
注10)旧自治省世帯数調査の都道府県別世帯数に総理府家計調査の県庁所在地都市の生鮮鯨肉消費量を乗じて推計
注11)平成20年調査副産物都道府県別流通量(推定)
注12)感鯨下関 https://www.shimonoseki-kujira.jp/(参照2024年4月12日)
注13)北九州市立自然史・歴史博物館北九州市の貴重な地質遺産ジオポイント・バーチャル説明版 https://www.kmnh.jp/geo/13.html(参照2023年11月20日)
注14)いのちのたび博物館でくじらに係る展示を確認(2023年9月22日)
注15)芦屋は筑豊炭鉱の石炭積み出し港でもあり石炭船である川艜をその運搬に使用していた。遠賀川の水運を利用し現在の北九州市若松港につながる水路を設置することで、その後若松港が本格的な石炭の積出港となった
注16)若松区『わかちく資料館』上映の戦後の旧若松市映像にくじらの宣伝看板(調査2023年10月17日)
注17)聞き取り調査を行った日本水産OBの宮脇末治も「門司は九州の国鉄起点で、貨車の利便性から初めの南鯨の頃に母船や仲積船が門司に入港していた。」と証言(2004年2月23日)
注18)平成20年調査副産物都道府県別流通量(推定)によれば、2位は大阪府533.5トン、3位は東京都473.6トン、以下北海道、宮城県が続く
注19)鯨竜田バーガーは最終的に対局の昼食には選ばれなかったが、2023(令和5)年12月末までJR小倉駅ビル内の店舗で販売された
注20)『関門“ノスタルジック”海峡~時の停車場、近代化の記憶~』 https://www.japanheritage-kannmon.jp/bunkazai/index.cfm?id=6(参照2023年11月20日)
注21)下関市観光政策課(記者発表資料)令和5年の下関市観光客数・宿泊客数について https://www.city.shimonoseki.lg.jp/site/kisya/108362.html(参照2024年12月4日)
注22)北九州市産業経済局観光部観光課 https://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/001052082.pdf(参照2024年12月4日)
注23)北九州産業観光センター https://sangyokanko.com/about/(参照2023年12月7日)
注24)日経MJ https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00577/00034/(参照2023年12月27日)
注25)2023.11.27参照 https://www.nichertravel.jp/(参照2023年11月27日)
注26)「らくらくタクシー」 https://www.rakurakutaxi.jp/)(参照2023年12月14日)
注27)前掲注26)参照
注28)所管する㈱ニッスイコミュニケーション課に今後の施設見学可否について照会したところ、メールで「休館後人員も配置していないことから実現は難しい」との回答(2023年8月29日)
注29)前掲注26)参照
注30)下関市観光政策課へのヒアリング(2025年1月21日実施)
注31)北九州市観光課へのヒアリング(2024年12月23日実施)
注32)一般社団法人海峡都市関門DMOからのメール回答(2025年1月6日)。関門DMOでは関門エリアにおける観光振興、観光コンテンツ作りを行っており、その中には文化庁の事業で、日本遺産『日本遺産 関門”ノスタルジック海峡”』にスポットを当てたツアー造成も行っている
注33)グローバル・サステナブル・ツーリズム協議会地域基準GSTC-D: https://www.gstcouncil.org/wp-content/uploads/GSTC-Destination-Criteria-v2.0-Japanese.pdf
(参照2025年2月3日)観光庁日本版持続可能な観光ガイドラインJSTS-D:https://www.mlit.go.jp/kankocho/seisaku_seido/kihonkeikaku/jizoku_kankochi/jizokukano_taisei/torikumi/jsts-d.html(参照2025年2月3日)
注34)貸切バスの達人HP福岡県大型バス借り上げ最低料金: https://www.bus-trip.jp/agent/fukuoka/
(2025年2月3日参照)
西日本高速道路(株)HP: https://corp.w-nexco.co.jp/corporate/release/hq/h18/0124/(2025年 2月3日参照)
福岡北九州高速道路公社HP:https://www.fk-tosikou.or.jp/ryokin/itiran/itiran.shtml(2025年2月3日参照))