2014 Volume 20 Issue 2 Pages 47-51
現在、大学医学部では大幅なカリキュラム改編が進行している。背景にはいわゆる「2023年問題」がある。2010年に米国のECFMG(Educational Commission for Foreign Medical Graduates)は「2023年以降、国際基準の認証を受けていない医学部の卒業生にはECFMGの受験を認めない」ことを宣言した。日本人が米国で診療するためにはECFMGが行う試験に合格する必要があり、2023年以降は日本の医学部を卒業した者が米国で診療を行うためには、国際基準に則った認証を受けた医学部を卒業していることが前提となる。大学の国際化が進む中で、認証の取得は各大学にとって必須の課題となっている。これを受けて、2012年にWorld Federation for Medical Education(WFME:国際医学教育連盟)は医学教育のグローバルスタンダードを発表し、2013年には日本医学教育学会がこのスタンダードに準拠した「医学教育分野別評価基準日本版」を発表した。今後は日本医学教育質保証評議会(Japan Accreditation Council for Medical Education:JACME)が、この基準に沿って各大学の医学教育を認証する体制が構築されることになる。ところで、この認証基準において「行動科学」が教育プログラムのなかに、大きな見出し語として取り上げられている。これに従えば、各大学のカリキュラム担当者は「行動科学」の教育を実施する必要がある。一方、医学教育者間で行動科学・行動医学という領域は十分に認知されておらず、標準的な行動医学の教育内容も示されていない。このような背景のもと、日本行動医学会は「行動医学コアカリキュラム」を提案するための作業を進めている。そこで、医学教育における行動医学の位置づけを確認すべく、「医学教育分野別評価基準日本版」およびその原本(国際版)を行動科学の視点から検討した。また、行動医学に関連した部分をできるだけ原本から忠実に引用し、まとまった資料として整理した。さらに、その他の医学教育に関連したガイドラインとして「医師国家試験出題基準」「医学教育モデル・コア・カリキュラム」を行動医学の視点から検討した。その結果、医学教育分野別評価基準日本版においては「行動科学」が大きな見出し語となっており、行動医学の社会医学的側面を踏まえた記載が中心となっていた。医師国家試験出題基準には行動医学の特に臨床医学的側面が比較的体系立てて示されていた。また、医学教育モデル・コア・カリキュラム(準備教育モデル・コア・カリキュラム)には心理学的側面に関するキーワードが多く掲載されていた。これらの文書は医学教育のカリキュラム作成において大きな影響があることから、これらを踏まえて、各大学医学部のカリキュラム作成担当者の指針となるような、行動科学・行動医学の標準的な教育内容が提案されることが期待される。
現在、大学医学部では大幅なカリキュラム改編が進められている。この背景にはいわゆる「2023年問題」がある。この問題の始まりは2010年に遡るが、米国のECFMG(Educational Commission for Foreign Medical Graduates)は「2023年以降、国際基準の認証を受けていない医学部の卒業生にはECFMGの受験を認めない」ことを宣言した。日本人医師が米国で診療するためにはECFMGが行う試験に合格する必要があるため、2023年以降、国際基準の認証を受けていない医学部の卒業生は、米国で医師として活動する門戸が閉ざされることになる。これを受けて、2012年にWorld Federation for Medical Education(WFME:国際医学教育連盟)は医学教育のグローバルスタンダード(Basic Medical Education WFME Global Standards for Quality Improvement:以下、グローバルスタンダード)を発表し1)、2013年には日本医学教育学会がこのスタンダードに準拠した日本版「医学教育分野別評価基準日本版-WFMEグローバルスタンダード2012準拠」(以下、グローバルスタンダード日本版)を発表した(Fig. 1)2)。今後は日本医学教育質保証評議会(Japan Accreditation Council for Medical Education:JACME)が、この基準に沿って日本の医学部教育を認証することになる。
医学教育のグローバルスタンダード
このグローバルスタンダード日本版の内容については、特に臨床実習の充実が大きな話題となっており、各大学ともその対応に追われている。すなわち、医学教育の3分の1程度を臨床実習にあてることが規定されており、臨床実習がこれまでの1年程度から2年程度に増加する。また、その内容もこれまで以上に診療への参加を求めたものである(参加型実習)。この他にも、医学教育に変化を求める多くの内容が示されているが、その一つとして「行動科学(Behavioural Science)」という用語(領域)が大きく扱われていることがある。すなわち、「行動科学」は教育プログラムの大きな見出しの一つであり、非常に目立つ形で掲載されている。「行動科学」が何を意味するのか、その定義があいまいだが、医学部のカリキュラムに「行動科学」を含める必要が生じたことになる。一方で、大学のカリキュラム作成担当者は「行動科学とはどんな領域なのか?」と戸惑っている場合が多いように思われる。行動科学・行動医学の重要性を認識する研究者が集まり、これを研究対象とする本学会の立場から考えると、医学教育の中に行動科学・行動医学の基盤が形成される絶好の機会である。このような状況において日本行動医学会が行動科学・行動医学に関するカリキュラムのモデルを提案する意義は大きい。
本稿ではこのような医学教育と行動医学を取り巻く状況を整理する。これまでのところ、グローバルスタンダード日本版およびその原本であるグローバルスタンダードの内容を、行動科学・行動医学の視点から整理・検討した論文、資料は存在しない。そこで、これらのガイドラインの中から行動科学・行動医学に関する部分をできるだけ原本に忠実に引用し、まとまった資料として提示すると共に、今後医学教育に求められることになる「行動科学・行動医学」の内容が、ガイドラインの中でどのように説明されているのかについて概説する。さらに、医学教育カリキュラムに関連する文書として、医師国家試験出題基準、および医学教育モデル・コア・カリキュラムがあるので、これらの中で行動科学・行動医学がどのように扱われているのかを検討する。
なお、今後、日本行動医学会が提示するコアカリキュラムにおいて「行動科学」と「行動医学」のどちらの用語を用いるべきか、あるいは両用語の定義については依然として議論が続いている。本稿では、医学教育のグローバルスタンダードにおいて「行動科学(Behavioural Science)」が見出し語となっていることを考慮して、このスタンダードに関連した部分では「行動科学」を、それ以外の部分では「行動医学」あるいは「行動科学・行動医学」を用いることとする。
Table 1はグローバルスタンダード日本版の目次である。全体は9つの章に分かれているが、第2章に教育プログラム(カリキュラムの内容)に関する事項が示されている。グローバルスタンダード日本語版の内容は多岐にわたっており、必ずしも教育プログラム(カリキュラム)の内容だけを示すものではない。むしろ、教育プログラムはこのガイドラインの一部である。この文章の全体像を把握するために、一応、教育プログラム以外の部分を簡単に説明しておくと、これに含まれている内容は、使命と教育成果を定めること、学生評価をどのように行うのか、学生に関すること(入学基準、学生支援、学生の教育への参加など)、教員に関すること(教員の募集、選抜、教員の活動に関することなど)、教育資源(施設、設備、情報通信技術、研究と学識、教育専門家へのアクセス、教育の交流など)、プログラムの評価、大学の管理・運営に関すること、など多岐にわたる。WFMEが示すグローバルスタンダードに準拠した日本版なので、その内容は、おおよそ原本(グローバルスタンダード)に沿ったものである。本稿では特に、第2章の教育プログラムに注目する。
1 | 医科大学の使命と教育成果(アウトカム) | |
2 | 教育プログラム | |
2.1 | カリキュラムモデルと教育方法 | |
2.2 | 科学的方法 | |
2.3 | 基礎医学 | |
2.4 | 行動科学と社会医学および医療倫理学 | |
2.5 | 臨床医学と技能 | |
2.6 | カリキュラム構造、構成と教育機関 | |
2.7 | プログラム管理 | |
2.8 | 臨床実践と医療制度の連携 | |
3 | 学生評価 | |
4 | 学生 | |
5 | 教員 | |
6 | 教育資源 | |
7 | プログラム/カリキュラム評価 | |
8 | 統括および管理運営 | |
9 | 継続的改良 |
太文字は実施する教育内容のガイドラインに相当する部分
第2章の内容を見ると(Table 1)、教育プログラムの具体的内容は「2.3基礎医学」「2.4行動科学と社会医学および医療倫理学」「2.4臨床医学と技能」に示されている。注目すべきは基礎医学、臨床医学と並んで「2.4行動科学と社会医学および医療倫理学」が教育内容の3つの柱の一つとして示されていることである。すなわち、「行動科学」は見出しとして非常に大きな扱いを受けている。Table 2はその内容(全文)である。これに従えば、医科大学・医学部はその基本的水準を満たすために、「行動科学」をカリキュラムに明示し、実践しなければならない。ここでいう「行動科学」が何を意味しているのかについては、注釈の1番目と4番目が参考になる。ただし、その内容は行動科学を定義づけるようなものではない。ここでは、行動科学を説明するために、社会医学、医療倫理学などと共に、「これらの科目は・・」という形式で具体的内容を例示するに留められている。また、この記載を見ると、概して、行動医学の社会医学的側面を踏まえた記述となっている。
2.4 行動科学と社会科学および医療倫理学 |
基本的水準: |
医科大学・医学部は |
・ カリキュラムに以下を明示し、実践しなければならない。 |
・ 行動科学(B 2.4.1) |
・ 社会医学(B 2.4.2) |
・ 医療倫理学(B 2.4.3) |
・ 医療関連法規(B 2.4.4) |
質的向上のための水準: |
医科大学・医学部は |
・ 行動科学、社会医学および医療倫理学を、以下に従って調整、修正すべきである。 |
・ 科学的、技術的そして臨床的進歩(Q 2.4.1) |
・ 現在と将来に社会および医療で必要となること(Q 2.4.2) |
・ 人口動態および文化の変化(Q 2.4.3) |
注 釈: |
・ [行動科学]、[社会医学]は、地域の必要性、関心および歴史的経緯により生物統計、地域医療、疫学、国際保健、衛生学、医療人類学、医療心理学、医療社会学、公衆衛生などを含む。 |
・ [医療倫理学]は、医師の行為ならびに判断に関わる価値観、権利および責務などで、医療実践に必要な規範や道徳観を扱う。 |
・ [医療関連法規]は、医療制度、医療専門職および医療実践に関わる法規およびその他の規則を扱う。規則には、医薬品ならびに医療技術(機器や器具など)の開発と使用に関するものを含む。 |
・ 行動科学、社会科学、医療倫理学および医療関連法規をカリキュラムに明示し実践することは、社会経済的、人口統計的および文化的原因の規定因子、分布および結果としての健康障害、さらにその国の医療制度および患者の権利を理解するのに必要な知識、概念、方法、技能そして態度を提供し教育することを意味する。この教育を通じて地域・社会の医療で必要とされることの分析力、効果的な情報交換、臨床判断、そして倫理の実践を学ぶ。 |
【基本的水準】これは、全ての医科大学・医学部が達成していなくてはならない水準である。外部評価にあっては達成が示されなくてはならない。基本的水準は[しなければならない(must)]と表現される。【質的向上のための水準】この基準は、国際的合意によって定めた医科大学・医学部運営および医学教育執行についての優れた水準を規定する。医科大学・医学部は、これらの基準の一部または全てについての達成度もしくは達成の見通しについて示すことができるべきである。これらの基準達成は、各医科大学・医学部の発展段階、資源、および教育方針により異なることがあり得る。最も進んだ医科大学・医学部であっても全ての基準を満たすとは限らない。質的向上のための水準は [すべきである(should)]によって表現される。
それでは、この部分に相当する原本(英語)のグローバルスタンダードはどうなっているのだろうか。Table 3はその全文を示したものである。日本版と同様に、「Behavioural sciences(行動科学)」は教育プログラムのbasic standard(基本的水準)に含まれており、医学部教育に必須の内容と位置付けられている。また、注釈の1番目、4番目にその内容が例示されており、多少のニュアンスの違いはあるが、日本語版とほぼ同じ内容である。なお、用語の翻訳をよくみると「Behavioural sciences」は「行動科学」、「Social sciences」は「社会医学」と翻訳されていることがわかる。翻訳者は「Behavioural sciences」は「行動科学」でよいが、医学教育において「Social sciences」を「社会科学」と翻訳するのでは不十分と感じたのかもしれない。
2.4 BEHAVIOURAL AND SOCIAL SCIENCES AND MEDICAL ETHICS |
Basic standard: |
The medical school must |
∙ in the curriculum identify and incorporate the contributions of the: |
∙ behavioural sciences. (B 2.4.1) |
∙ social sciences. (B 2.4.2) |
∙ medical ethics. (B 2.4.3) |
∙ medical jurisprudence. (B 2.4.4) |
Quality development standard: |
The medical school should |
∙ in the curriculum adjust and modify the contributions of the behavioural and social sciences as well as medical ethics to |
∙ scientific, technological and clinical developments. (Q 2.4.1) |
∙ current and anticipated needs of the society and the health care system. (Q 2.4.2) |
∙ changing demographic and cultural contexts. (Q 2.4.3) |
Annotations: |
∙ Behavioural and social sciences would - depending on local needs, interests and traditions - include biostatistics, community medicine, epidemiology, global health, hygiene, medical anthropology, medical psychology, medical sociology, public health and social medicine. |
∙ Medical ethics deals with moral issues in medical practice such as values, rights and responsibilities related to physician behavior and decision making. |
∙ Medical jurisprudence deals with the laws and other regulations of the health care delivery system, of the profession and medical practice, including the regulations of production and use of pharmaceuticals and medical technologies (devices, instruments, etc.). |
∙ The identification and incorporation of the behavioural and social sciences, medical ethics and medical jurisprudence would provide the knowledge, concepts, methods, skills and attitudes necessary for understanding socio-economic, demographic and cultural determinants of causes, distribution and consequences of health problems as well as knowledge about the national health care system and patients’ rights. This would enable analysis of health needs of the community and society, effective communication, clinical decision making and ethical practices. |
なお、日本行動医学会憲章は「行動医学」をTable 4のように定義している。
行動医学(Behavioral Medicine)は、健康と疾病に関する心理社会科学的、行動科学的および医学生物学的知見と技術を集積統合し、これらの知識と技術を病因の解明と疾病の予防、診断、治療およびリハビリテーションに応用していくことを目的とする学際的学術である(国際行動医学会憲章、1990)。行動医学の研究領域は、基礎的な脳-身体相関の解明から、臨床診断と治療、さらに疾病予防および健康増進のための公衆衛生活動にまで広がっている。 |
ここまで述べた医学教育のグローバルスタンダードのほかに、医学教育の内容を規定するものとして、「医師国家試験出題基準」と「医学教育モデル・コア・カリキュラム」がある、グローバルスタンダード日本版とこれらのガイドラインとの間にどのように整合性が図られるのかは明らかでないが、いずれも重要な文書であり、これらの文書の中で行動科学・行動医学がどの様に扱われているのかを整理する。
1. 医師国家試験出題基準(平成25年版)3)「行動医学」「行動科学」といった用語は目次・索引に登場しない。しかし、関連すると思われる内容が様々な項目の中に認められる。特に、医学各論の「II精神・心身医学的疾患」には、日本行動医学会で議論されている臨床医学の諸問題が広く取り上げられている。医学総論の「IX治療」には緩和医療が大きな見出しとなっている。「必修の基本的事項」ではチーム医療、生活習慣病とリスク(行動変容などのキーワードを含む)など、行動医学に関連した用語が含まれている。日本行動医学会は組織上は「臨床医学系」「社会医学系」「心理社会行動科学系」の3領域の研究者で構成されているが、このうちの「臨床医学系」の内容については、医師国家試験出題基準の中で比較的、体系的に扱われている。
2. 医学教育モデル・コア・カリキュラム(平成22年度改訂版)4)日本の医学教育で教育されるべき主要な内容が示されている。行動科学・行動医学と関連する内容を探すと、A.基本的事項では「コミュニケーションとチーム医療」に、D.人体各器官の正常構造と機能、病態、診断、治療では「精神系」に、関連する内容が含まれている。また、F.診療の基本では食思不振、下痢、緩和医療などに関連するキーワードが掲載されている。さらに、注目したい点は、このモデル・コア・カリキュラムには、「準備教育モデル・コア・カリキュラム」と呼ばれる文書が添付されており、この中に行動医学の基礎的・心理学的部分が多く含まれていることである。この準備教育モデル・コア・カリキュラムには、医学専門教育を受ける前提として身に着けておくべき基本的な事項が示されている。すなわち、主に医学部の1年生(2年生)を対象に行われる、一般教養教育を想定したものである。「人の行動と心理」と題されたセクションがあり、心理学系のキーワードの多くが示されている。この部分は「準備教育モデル・コア・カリキュラム」の全7ページのうちの1ページを占めている(全体の約1/7)。「動機づけ」「ストレス」「生涯発達」「個人差」「対人コミュニケーション」「対人関係」といった中項目が立てられ、さらに多くのキーワードが会項目として並んでいる。
以上、医学教育カリキュラムを作成するにあたり参照されるべき文書を概観した。グローバルスタンダード日本版は行動科学・行動医学の社会医学的側面を踏まえた記載が多く、医師国家試験出題基準には臨床医学的側面が体系的に示されていた。また、医学教育モデル・コア・カリキュラム(準備教育モデル・コア・カリキュラム)には心理学的側面に関するキーワードが多く示されていた。今後、日本行動医学会が「行動医学コアカリキュラム」を提案する意義は大きく、提案にあたってはこれらの内容を踏まえる必要がある。各大学医学部のカリキュラム作成担当者の指針となる、行動科学・行動医学の標準的な教育内容が提案されることが期待される。