Japanese Journal of Behavioral Medicine
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教育の難しさと楽しみ
—行動医学のコアカリキュラム—
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2014 Volume 20 Issue 2 Pages 38-39

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現在、行動医学の知識と技術は、医師・患者間の基本的な治療関係構築に必要であるだけでなく、疾病の予防、健康の増進や病因・病態の解明、診断・治療・リハビリテーション等に幅広く応用されている。患者の行動変容を促す技術は、食事指導、服薬指導等においても必要であり、糖尿病、肥満、うつ病においては、行動療法が治療の主軸を担うようになりつつある。行動医学研究においても、基盤的な脳―身体相関の解明から、疾病予防、健康増進のための公衆衛生活動まで、多岐に亘って展開され、数多くのエビデンスが蓄積されている現況にある。行動医学のコアカリキュラムの充実は、時代の流れでもあろう。

この行動医学を、日本の医学教育カリキュラムに導入されたのは、九州大学医学部心療内科の初代教授であられた池見酉次郎先生である。池見先生は日本行動医学会創立時の理事長でもあり、行動医学と心身医学を車の両輪とし、東西の英知を結集した医学と教育の重要性を強調されてきた。心身一如の言葉は、あまりにも有名であろう。

近年、医学教育の分野では、プロフェッショナリズムの導入が進められている。プロフェッショナリズムとは、医学の知識・技術だけでなく、患者を全人的に理解し、医師としてのあるべき姿を具備した、専門職としてのプロフェッショナルを指す言葉である。専門家としての知識・技能に加え、医療者としての態度、倫理など、人間としての資質やコミュニケーション能力を背景に、その向上を行おうとする立場である。最近はやりの輸入言葉ではあるが、分かり易さもあろう。その本質は、行動医学や心身医学の教育であり、生涯にわたり行うべきものの導入版である。

心身医学の教育に、「治療的自我(自己)」と言う言葉がある。我々が医師としてまた人間として、日々成長するのは、患者との治療関係の中にあるというものである。このストイックな哲学的言葉は、心身医学の領域に生きる我々に、人間の素晴らしさや生きる上での命題を与える。究極の卒後教育ではなかろうか。

つい先日、霧島国際音楽祭に出かけてきた。如何に忙しいといえども、「忙中閑あり」である。霧島市にある、みやまコンセールで開かれる若い音楽家達のコンサートも、今年で35回を数えることとなった。バイオリン、ビオラ、チェロ、ピアノなどの楽器を中心に、ベートーベン、ハイドン、バッハ、モーツアルト、ショパンなど、多彩な曲の演奏を10分程度、オムニバス方式で次々と聴くことが出来る。初心者にはうってつけのコンサートであった。「小田和正」や「抒情派フォーク」ばかりを聴いている耳にも、30分経つと、不思議と演奏に慣れてくる。国際音楽賞受賞者の紹介パンフレットには、大学のゼミのように、指導者の名前を冠したクラスが記載され、演奏後に指導者との晴れやかな記念写真もあった。若手演奏家にも指導者にも、大きな舞台なのであろう。

音楽家の教育は、どのように行われるのであろうか。音楽に必要な知識や技能、さらには人間としての器量も、大きな要因であろう。必要十分な教育をした上で、個性を伸ばす教育があるに違いない。落ちこぼれに対しては、どのように教育をするのであろうか。個性を伸ばすのは、「褒める教育」だけではあるまい。将来致命的になり得る「個性」を、修正してゆくに違いない。長所と短所は、紙一重でもある。落ちこぼれの中に、将来の音楽界を変えるような人材もいるに相違ない。どのように、多様性を保証しているのであろうか。

我々が研修医のころ、あるオーベンの先生がみんなを集め、「ネクタイを締めなさい」と言われた。そして、「いついかなる時でも、どんな時でも」と、語気を強め、身を乗り出すようにお話をされた。ネクタイを締めるのはマナーであるが、そこに「こころ」を入れられたのである。あの一言が、臨床を見る責任の重大さを、我々にひしひしと感じさせた。オスキーは、マナーを教えるのである。丁度、受験生が面接で、試験官の目を見て話すように。それも大事なことであるが、教育には「こころ」を入れる必要がある。

みやまコンセールでは、緊張しながらも、またはにかみながらも、演技をする若い人達はとても美しかった。裏方で、かいがいしく準備をする若い人達の姿もあった。医学・医療の領域とは異なる、このような分野があるのだと実感した。

コンサートの始まる直前に、杖をついたお年寄りが、係りの人に支えられながら、ようやく前方の席に腰を下ろすことができた。左半身の不全麻痺があるのであろう。しかしその老人は、演奏の途中で、右手を指揮者のように何度も振りながら、熱心に聴いておられた。「三つ子の魂百まで」であろうか。学生時代の教育は、それほど重要なのであろう。

過不足のない講義が「縦軸」であるとすれば、生涯に続く「こころ」を入れる教育は、さしずめ「横軸」であろうか。縦糸と横糸を紡ぎながら、個性と多様性まで織り込み、人間性溢れる若手医師を育成する必要があろう。我々一人一人が、講義であろうが実習であろうがクラブ活動であろうが、教育の何れかの部分で、次の世代へまたその次の世代へと、「こころ」を託して行く必要があろう。

行動医学コアカリキュラムの策定と共に、教養教育、基礎・臨床医学教育など各大学の特色やシステムの中で、行動医学教育がより一層活かされ、根付いて行くことを望みたい。最後に、行動医学のコアカリキュラムの策定のために、努力と協力を惜しまれなかった行動医学会の諸先生方に、厚くお礼を申しあげる次第である。

 
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