The Japanese Journal of Gastroenterological Surgery
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Yojiro Hashiguchi
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2017 Volume 50 Issue 11 Pages en11-

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先月,母を亡くしました.92歳という長寿を全うしてのことでした.極めて妥当な治療が行われたのですが,いろいろ考えさせられることがありました.

90歳を超えた超高齢者には,いろいろな状況の患者さんがおられます.すでに認知症を発症している患者さん,重い併存症を抱えた患者さん.私達が90歳以上の患者さんにいだく気持ちはどのようなものでしょうか.「手術リスクが高い」,「化学療法の副作用に弱い」などの治療困難を想起するとともに,「天寿が近づいてきている患者さんに無理な治療をして苦しめたり,寿命を縮めるような積極的な治療は避けたい」そういう感情が湧いてくるのは否めません.また,実際,種々の理由から積極的な治療を望まない場合が多いことも事実であり,医療者と患者さん・家族は予定調和のようにして,いわゆる保存的な治療が行われていきます.

ところが,超高齢者の患者さんの中にも,生きる目的と意欲を持ち,積極的な治療を受けて,1日でも長く生きたい,と願う患者さんもおられます.そのような患者さんを欧米ではFighterと呼ぶそうです.一方,積極的治療を望まない患者さんをFatalistと呼ぶそうです.私の母はFighterにあたる患者の1人でした.

超高齢患者に積極的治療を望んだ場合には,適応が厳しいこと(リスクが高い割に治療によって得られる利益は予測余命を勘案すると比較的小さい),検査が十分に行われにくいことが壁になります.さらに,治療が難しい場合にありがちですが,超高齢者に対しては「人はいつかは死ぬ運命にあり,いつまでも生きられる訳ではない」という潜在する諦観などが働きやすくなります.また,医療者の説明は,理解力の落ちた超高齢者に慣れているために,患者よりも家族に向けられることが多く,蚊帳の外に置かれた超高齢者Fighterの不満の原因となります.耳の遠い母は,担当医から家族への説明をしばらく聞いていましたが,業を煮やして「要するにあと何か月生きられるのでしょうか?」と問いかけ,「それでは足りないからもう少し生きさせてください」と訴えて,皆を驚かせました.母にはどうしても見届けたいことがあったのです.

超高齢者にFighterの患者さんが少ないことは事実ですが,多数派であるFatalistの中に埋没させて同様に扱うと,説明不足となって患者さんにとって欲求不満を生じる可能性があります.超高齢者に保存的な治療が選択されるのは普通のことだと安易に考えずに,若い患者さんに接するときと同様に,積極的な治療が医学的に妥当でないことを患者本人,そして家族に十分に理解してもらう配慮が必要と思われます.

 

(橋口 陽二郎)

2017年11月1日

 

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