2019 Volume 52 Issue 2 Pages 119-124
症例は66歳の女性で,下血を主訴に前医受診し,精査の結果直腸癌と診断され,手術目的で当院紹介となった.術前の腹部造影CTで,下腸間膜動脈(inferior mesenteric artery;以下,IMAと略記)は上腸間膜動脈(superior mesenteric artery;以下,SMAと略記)より分岐し,下腸間膜静脈沿いに下行していた.直腸癌RaRb,cT2N0M0,cStage Iの術前診断で,腹腔鏡下低位前方切除術,一時的回腸人工肛門造設術の方針とした.術中所見では術前の画像診断同様,IMAの根部は欠損しており,同部には腰内臓神経の結腸枝のみを認めた.IMAは下腸間膜静脈と伴走し,頭側へ走行していた.郭清の上縁は腰内臓神経の結腸枝の部位とし,その足側から分枝する左結腸動脈を温存し,その末梢でIMAを切離した.術後は乳糜漏を認めたが,保存的治療で改善し,術後10日目に退院となった.SMAよりIMAが分岐する形態は非常にまれであり,ここに報告する.
下腸間膜動脈(inferior mesenteric artery;以下,IMAと略記)は腹腔内の動脈では比較的分岐異常の少ない動脈である1)~3).今回IMAが上腸間膜動脈(superior mesenteric artery;以下,SMAと略記)より分岐する直腸癌に対して腹腔鏡下超低位前方切除術を施行したので報告する.
患者:66歳,女性
主訴:下血
既往歴:特記すべき事項なし.
家族歴:特記すべき事項なし.
現病歴:2016年1月下血があり,近医を受診した.下部消化管内視鏡検査で直腸癌と診断され,手術目的で当科紹介となった.
入院時現症:身長160 cm,体重66 kg,BMI 25.8 kg/m2.腹部は平坦・軟で,腫瘤は触知しなかった.直腸診では肛門縁より7 cmに腫瘤の下縁を触知した.腫瘤は直腸右側壁に局在し,可動性不良であった.
入院時検査所見:血算および生化学検査は異常所見を認めなかった.腫瘍マーカーはCEA 2.6 ng/ml,CA19-9 7 U/mlと基準値内であった.
胸部単純X線検査所見:異常なし.
下部消化管内視鏡検査所見:肛門縁より約7 cmの位置から約5 cmにわたり直腸右側壁に半周性の2型腫瘤を認め,生検で高分化腺癌の診断であった(Fig. 1).
Colonoscopic examination. Colonoscopy shows a type 2 tumor in the rectum.
腹部造影CT所見:直腸の右側壁中心に造影効果を伴う壁肥厚を認めた.リンパ節腫大および明らかな遠隔転移は認めなかった.通常IMAが分岐する第3腰椎の高さに,腹部大動脈から分岐する動脈は認めなかった.SMA根部から約25 mm末梢の位置から分岐する直径3 mm程度の動脈を認めた.その動脈から約10 mm末梢の位置で,脾彎曲部を栄養する副中結腸動脈と下行結腸・直腸を栄養するIMAが分岐していた.その分岐の約90 mm末梢から左結腸動脈が分岐していた.また,下腸間膜静脈は脾静脈に流入していた(Fig. 2).
3D-CT angiography. 3D-CT angiography reveals the inferior mesenteric artery arising from the superior mesenteric artery. (SMA: superior mesenteric artery, MCA: middle colic artery, ICA: ileocolic artery, IMA: inferior mesenteric artery (arrowheads), a-MCA: accessory middle colic artery, LCA: left colic artery)
以上より,術前診断は大腸癌取扱い規約第8版4)によるとIMA分岐異常を伴う直腸癌(RaRb,cT2N0H0P0M0,cStage I)で,腹腔鏡下低位前方切除術・一時的回腸人工肛門造設術の方針とした.
手術所見:全身麻酔下,砕石位で手術を開始した.臍部に開腹法でカメラ用12 mmトロッカーを挿入し,左上下腹部・右上腹部に5 mmトロッカー,右下腹部に12 mmトロッカーを挿入し計5ポートで手術を施行した.腹腔内を観察すると,肝転移・腹膜播種を疑う所見は認めなかった.通常IMAが大動脈より分岐している部分にはIMAは認めず,腰内臓神経からの結腸枝の神経束のみ認めた(Fig. 3).同部を郭清の上縁とし,その足側に認めた左結腸動脈(left colic artery;以下,LCAと略記)分岐までのIMA周囲の脂肪織を#253として郭清した.血管の処理はLCA分岐後でIMAを切離し,下腸間膜静脈は同レベルで切離した.腫瘍は上部直腸から下部直腸にあり他臓器への浸潤は認めず,周囲リンパ節の腫脹を認めなかった.腹腔鏡下低位前方切除術・リンパ節郭清・回腸人工肛門造設術 を行った.手術時間は4時間36分,出血量は60 mlであった.
Operative findings. a. We did not identify the origin of the inferior mesenteric artery and identified only the colic branch of the lumbar splanchnic nerve. b. We preserved the left colic artery and vein and disconnected the inferior mesenteric artery and vein in the periphery of the left colic artery and vein.
病理組織学的検査所見:腫瘍径は50×50 mm,組織型は高分化型腺癌でpT2N0H0P0M0,pStage Iであった(Fig. 4).
Macroscopic findings. Macroscopic findings of the resected specimen show a type 2 tumor, 50×50 mm in diameter.
術後経過:術後3日目から食事を開始したところ,術後5日目にドレーン排液の白濁を認め乳糜瘻と診断し,絶食とした.翌日も乳糜瘻は認めたが,1日排液は30 mlと少量のためドレーンは抜去し,食事を再開した.その後の経過は良好で,術後10日目に退院した.術後3か月後に回腸人工肛門は閉鎖し,現在術後1年経過したが,無再発生存中である.
腹腔動脈幹,肝動脈,SMAは,多くの分岐形態の変位を持ち,これまでに諸家らにより多くの分類がなされている.しかし,IMA分岐異常については,IMAから枝分かれするLCA,S状結腸動脈の分枝異常の報告がほとんどで,IMA本幹の分岐異常についての報告は少ない1)~3)5)6).柿原ら5)は,3,182例の腹部血管造影の結果,IMAの分岐異常は欠損症1例(0.03%),内臓逆位による走行異常2例(0.06%),SMA根部からの分岐2例(0.06%)であったと報告している.近藤ら6)の報告では左側結腸および直腸を主占居部位とした大腸癌原発切除症例1,516例中,SMAからIMAが分岐する異常を認めたのは1例(0.07%)であった.当院では2008年から2016年まで2,000例の大腸癌に対して原発巣切除を施行しており,IMAの分岐異常を認めたのは本症例の1例(0.05%)のみであり,これまでの報告と同程度の頻度であった.
本邦においてIMAの分岐異常の症例は医学中央雑誌で「下腸間膜動脈」,「欠損」あるいは「分岐異常」をキーワードに1970年から2016年まで検索した結果,剖検で偶然発見された例と会議録を除くと,本邦では自験例を含めて5例の報告であった(Table 1)5)~8).その内訳は男性4例,女性1例で,診断時年齢は52歳から74歳であった.本症例のような腹部大動脈からIMAの分岐がなく,SMAから分岐しているIMA分岐異常症例が4例,腹部大動脈からIMAの分岐がなく,下行結腸から肛門側への血流が中結腸動脈(middle colic artery;以下,MCAと略記)の辺縁動脈を介するIMA欠損症例が1例であった.5例全てに手術が施行されており,自験例を含め直腸癌が3例,絞扼性イレウス,胃癌がそれぞれ1例であった.その他の奇形の合併を2例に認め,その内1例は腹腔動脈幹が欠損していた.他の1例は腸管逆回転症・多脾症・膵低形成を合併していた.IMA分岐異常や欠損例が非常に珍しいため,合併しやすい奇形の頻度については明らかではないが,腹腔動脈などのその他の動脈の分岐異常や,腸回転異常症などの発生異常にも注意が必要と思われる.
Case | Author | Year | Age | Sex | IMA form | Diagnosis | Other malformation |
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1 | Kakihara5) | 2001 | 66 | Male | Abnormal diverging | Rectal cancer | Lack of celiac trunk |
2 | Kurosaki7) | 2010 | 52 | Male | Abnormal diverging | Strangulated ileus | None |
3 | Shimoda8) | 2015 | 74 | Male | Missing | Gastric cancer | Reversed intestinal rotation, polysplenia, pancreatic hypoplasia |
4 | Kondo6) | 2015 | 63 | Male | Abnormal diverging | Rectal cancer | None |
5 | Our case | 69 | Female | Abnormal diverging | Rectal cancer | None |
Tandler9)10)はヒトの腹部臓器への動脈発生について次のように述べている.ヒトの5 mmの胎児では背側大動脈から数本の原始腸間膜動脈が分節的に生じ,それぞれの原基に対して分布する.発達初期では,動脈を背側腸間膜中で上下につなぐ縦走吻合を認める(Fig. 5a).発達につれ,原始腸間膜動脈・縦走吻合が一部消失し,腹腔動脈,SMA,IMAとなり,それぞれ前腸,中腸,後腸に分布する(Fig. 5b).しかし,原始腸間膜動脈・縦走吻合の一部消失が通常と異なると,本症例のような分岐異常が発生すると考えられる(Fig. 5c).本症例の術中所見では通常IMAが腹部大動脈から分岐する位置に腰内臓神経から分岐する結腸枝のみを認めた.Tandler9)10)の考察のように,後腸に分布する原始腸間膜動脈が発生の過程で消失したことが,本症例のIMA分岐異常の成因となった可能性がある.
Early development of the abdominal arteries. The arteries for the digestive organs are composed of pairs of ventral splanchnic arteries. The retention and disappearance of pairs of the primitive arterial plexus associated with later development leads to the divergence into the LGA, the SA, the HA, the SMA, the IMA. An unusual retention and disappearance of pairs of the primitive arterial plexus could result in this unusual pattern of divergence. DA: dorsal aorta; HA: hepatic artery; IMA: inferior mesenteric artery; LGA: left gastric artery; SA: splenic artery; SMA: superior mesenteric artery; CA: common hepatic artery.
IMAの分岐異常あるいは欠損を伴う大腸癌症例の至適リンパ節郭清範囲は当然定まったものはない.これまでIMAの分岐異常を伴う直腸癌の切除例は2例報告されている.柿原ら5)は下部直腸癌cT3N0M0のcStage IIに対して,腹会陰式直腸切断術を施行し,SMA根部から分岐するIMA根部を郭清の上縁とし,中枢側D3郭清とした.また,近藤ら6)は直腸S状部癌cT3N0M0のcStage IIに対して,腹腔鏡下高位前方切除術を施行した.通常IMAが大動脈から分岐する十二指腸尾側レベルまでを中枢側郭清の上縁とし,LCAの血流は温存した.本症例は直腸癌cT2N0M0のcStage Iの診断で,通常IMAの根部が存在する部位に腰内臓神経の結腸枝を認め,同部位を郭清の上縁とし,LCAが分岐したIMAの末梢で切離した.術後1年と観察期間は短いが,無再発で生存中である.
一方リンパ節転移が疑われる症例ではIMA根部周囲のリンパ節(#253)まで郭清するD3郭清が必要となる.当院の左側大腸癌における中枢側D3郭清は通常IMAを根部で切離し,#253を十分郭清している.しかし,本症例のようなIMA分岐異常のある症例の場合,MCAとLCAの辺縁動脈同士の吻合が十分であるかどうか不明であり,LCAの血流は温存したほうがよいと思われる.可能であれば術前血管造影を施行し,MCAとLCAの辺縁動脈同士の吻合を確認しておくことが望ましい.また,#253のリンパ節転移が疑われ,IMA根部での切離を考慮する場合には,IMAのクランプテストやクランプ下のICG(インドシアニングリーン)蛍光血管造影法による血流評価などが有用な可能性がある.
IMA欠損を伴う左側大腸癌の手術例はこれまで報告がないが,IMA欠損の場合はMCAの辺縁動脈を介する血流しかなく,中枢側方向へのリンパ流は欠損していると考えられる.その場合には中枢側方向の郭清よりも腸管軸方向の郭清が重要となり,腫瘍の局在に応じた至適腸管長の切離が必要と思われる.
SMAからIMAが分岐する非常にまれな分岐異常を伴う直腸癌の1切除例を経験したので報告した.至適リンパ節郭清範囲については,どのような分岐異常なのかを正確に把握し,また術前の画像診断によるリンパ節転移状況に合わせて,症例ごとに熟慮する必要があると思われた.
利益相反:なし