2020 Volume 53 Issue 1 Pages 116-123
本稿では,第74回日本消化器外科学会総会特別企画「オペレコを極める」で提示した症例の手術記録の概要を示すとともに,筆者が手術記録,特に図の作成において心掛けていることと,手術記録作成の意義に関して論じる.症例は73歳の男性で,進行噴門部癌にて胃全摘術の予定となった.局在はU領域であり,近位端は食道胃接合部直下まで及んでいた.手術は上腹部正中切開で開始した.十二指腸の切離,膵上縁のリンパ節郭清を行った後,近位側切離予定線を定めた.腹部食道を牽引した際食道前壁が裂け,裂孔切開による追加切除を試みたが心囊周囲の脂肪組織と横隔膜が癒着し下縦郭の剥離が困難であった.左第8肋間開胸を行って術野を確保し追加切除を施行した.手術記録の作成では,難渋した局面や,術中トラブルのリカバーを要した局面においては,より詳細な図示を行うことで精度を上げ,その後の手術に活かすことが重要である.
当院では以下の原則に従い手術記録を作成している.
1)翌日までには仕上げる.手術からの時間経過により印象が薄れると正確な作成ができなくなる1).
2)手順・全体像が把握できる「俯瞰図」を最初に作成する.病巣の広がりを図示し,操作の手順を示す.特に難渋した場合や定型的に進行しなかった場合はその根拠を明らかにする.
3)各操作の図示において,切離や牽引の方向を矢印で示す.局所解剖を示すだけでなく,図を見れば手術が再現できるように記載する2).
4)難渋した局面では,状況を詳しく図示する.難渋した操作やトラブルシューティングは文章のみならず,より詳しく図示することで,今後の症例に活かすことができる.
5)明瞭な再建図を作成する.ドレーン先端と,血管や消化管断端との位置関係がわかるように記載することで,術後の観察項目が明瞭となり,合併症発症時にメディカルスタッフは迅速な対応も可能となる3).
特に難渋した手術の場合,手術記録作成は手術と同等あるいはそれ以上の時間を要する作業であるが,術者(助手の場合も)にとって,手術を再現する貴重な修練の場であると考えられる.今回,我々は第74回日本消化器外科学会総会特別企画「オペレコを極める」で提示した症例の手術記録の図を,前述した原則のうち,4)の原則,「難渋した局面では,その途中の状況を可能なかぎり詳しく図示する」に焦点をあて提示し,難渋した手術における手術記録作成の在り方を考察する.
患者:73歳の男性で,BMI 28 kg/m2と肥満を認めた.進行噴門癌 U Less Type 3 T4a N1 P0 H0 M0の術前診断であった(Fig. 1).食道胃接合部への癌進展は認められず,開腹による胃全摘術の予定となった.
An upper gastrointestinal endoscopy demonstrated an ulcerative tumor on the lessor curvature of the cardiac part. Biopsy specimens revealed adenocarcinoma.
手術所見と記録の提示:上腹部正中切開で開腹した.開腹時所見と手術の手順の俯瞰図を示す(Fig. 2).癌巣の広がりと手術の手順・難渋した局面が一目でわかるように記載している.治癒切除可能と判断したが,本例では,腹部食道が裂け左開胸による追加切除を要したことが難渋したポイントである.
a, A schematic presentation of the whole aspect of the operation. b, Procedures were recorded based on the schema.
本例では,左胃大網動静脈の切離,6番領域のリンパ節郭清,十二指腸切離までは定型通りに進行した.右胃動脈を処理して,胃を左側へ牽引したところ,3番領域のリンパ節転移巣が癒合状に認められ,小網膜様部へ浸潤し,右横隔膜脚の短縮が認められた(Fig. 3).横隔膜脚,腹部食道が同定できなかったため,先に胃を翻転させ,7~11p/d領域のリンパ節郭清に連続して,脾動脈頭背側,左胃動脈左背側の疎な領域を,脾臓下極~横隔膜脚が露出するまで十分に剥離し,食道裂孔背側の下縦郭を触診で確認し,3番領域の転移リンパ節背側まで剥離層を連続させた(Fig. 4).そののちに,2番領域,His角の剥離を行って,腹部食道を全周性に確保した.しかしながら,迷走神経切離後に腫瘍を確認し,腹部食道の切離予定線に,直角鉗子をかける直前に,牽引により腹部食道前壁がさけ粘膜が露出した(Fig. 5).長径2 cmの裂創の近位側縁に2本の支持糸をかけそれを含むように波型鉗子をかけて摘出,アンビルヘッドを挿入し巾着縫合の後挙上空腸と吻合を行った(Fig. 6).裂孔切開によるアプローチで追加切除を行うこととしたが,腱中心の頭側を触診したところ,心囊周囲脂肪織の肥大と硬化を認め,横隔膜と強固に癒着していたため,裂孔切開は危険と判断した(Fig. 7).
After the duodenum was transected with an autosuture, the stomach was retracted to the left. The crura of the diaphragm could not be identified because of the metastatic lymph nodes of the lessor sac (b, arrow).
The stomach was reflected cranially. The dorsal cavity of the splenic artery was sufficiently opened by blunt dissection, reaching the dorsal aspect of the lessor sac.
When the abdominal esophagus was mobilized (b, arrow), the anterior aspect of the esophageal wall was splitted longitudinally toward the proximal side.
a, Stay sutures were maid at the proximal edge of the cleavage. b, The esophagus was transected including the stay sutures, then an anvil head was inserted and fixed by purse string ligature. An esophagojejunostomy was performed with an autostapler. We recognized the incompleteness of the posterior aspect of the anastomosis.
A palpation of the cranial aspect of the central tendon reveals a widespread panniculitis with marked consolidation between the pericardium and the diaphragm.
下縦隔を展開するため左第8肋間で開胸し,横隔膜は脚を含め全切離した(Fig. 8).心囊を頭側へ圧排しながら縦隔胸膜を切開し,胸部下部食道を剥離して2 cmの追加切除を行った(Fig. 9).挙上空腸は初回吻合部をトリミングした後,吻合器本体を挿入し再度食道空腸吻合を行った(Fig. 9).縦郭内にドレーンを挿入し(Fig. 10),閉胸した.胆囊摘出と空腸瘻造設を行い,ウィンスロー孔に閉鎖式ドレーンを挿入留置して手術を終了した(Fig. 11).手術時間は4時間23分,出血量は565 gであった.患者は合併症を認めずに経過し,23病日に自宅退院となった.
A left thoracotomy with ligation of the whole diaphragm is performed.
The pericardium is retracted to the right. The pleura of the mediastinum is opened and the lower thoracic esophagus is mobilized. An additional resection of the esophagus and esophagojejunostomy are performed.
A drainage tube is placed at the anterior side of the esophagojejunostomy. The diaphragm is closed using an interrupted suture.
A schematic presentation of the reconstruction.
本例の手術で最も難渋したポイントは,腹部食道が裂け左開胸で追加切除を要したことである.術前診断と異なり,腫瘍が食道胃接合部直上まで進展しており(病理組織診断でも粘膜下浸潤が認められた),腫瘍の近位側縁を起点として牽引のテンションで裂けたものと考えられた.こののち修復と再吻合を行うのに以下のような煩雑な操作手順となった.
1.裂けた食道壁の近位側縁に2針の支持糸をかける.2.支持糸を含むように腹部食道を切離し,アンビルヘッドを挿入して巾着縫合を行う.3.上部空腸を切離して結腸前に挙上し,吻合器本体を挿入して食道空腸吻合を行う.4.リングを確認したところ,後壁に一部全層欠損を認め,追加切除,再吻合が必要と判断する.5.裂孔切開を試みるが心囊周囲脂肪織の硬化・横隔膜への強固な癒着のため断念する.6.左第8肋間で開胸し横隔膜を全切離し,下縦隔を展開する.7.胸部下部食道を剥離して2 cmの追加切除を行う.8.挙上空腸をトリミングし,再吻合する.
手術記録作成にあたっては,術中トラブルに対するリカバーのための操作は特に念入りに,一つ一つの操作過程を丁寧に図示していくことは術者の判断の妥当性を評価し,反省点を検証するために重要であると考えられる.本例では手術記録において「俯瞰図」と再建図以外に,10枚の図版を作成したが,そのうちの5枚を食道壁が裂けてから追加切除・再吻合するまでの過程に費やした.後壁も脆弱化していたことを初回吻合時に確認できなかったことが反省点として挙げられ,前壁が裂けた時点で開胸を行い,より近位側で食道断端を安全に処理するべきであったと描図を行うなかで実感した.また,Fig. 7で示したような心囊周囲の脂肪組織の硬化は,脚の背側を触診し確認した所見であるため,明瞭な図示が困難であった.そのため,図に付記した説明書きが冗長なものとなった.手術に実際立ち会っていない外科医が見ても手術を再現できるような図の作成が望ましいことを考えると4),多くの手術書などでのプレゼンテーションで見られるような,断面図などを用い模式的に示すなどの工夫が必要である5)6).
このように,手術記録における図の作成は,トラブルや難渋した局面では特に丁寧に行うことで,状況の理解と反省点が把握でき,今後の外科診療へ活きるものと考えられる.反省点や手術中に着想したコツ,アイディアなどは,公文書としての記録に記載するのは客観性を欠くため4),個人的に保管する記録を残しておく(Fig. 12)ことが有効である5)6).
Informal records of operations (a). Reflection points are recorded including intraoperative pictures (b) and illustrations (c).
謝辞 本論文は2019年7月18日に開催された,第74回日本消化器外科学会総会特別企画「オペレコを極める」で口演発表した内容を編集したものです.
貴重な機会を頂きました東京慈恵会医科大学外科学講座消化器外科分野教授の矢永勝彦先生はじめ,総会関係者の皆様方に深く感謝申し上げます.
利益相反:なし