2024 Volume 57 Issue 7 Pages 326-333
症例は75歳の男性で,2020年進行胃癌に対して腹腔鏡下胃全摘術を施行した.病理診断で口側断端にリンパ管侵襲を認め非治癒切除と判断した.免疫染色検査でHER2[3+]であり,術後化学療法としてトラスツズマブ+カペシタビン+シスプラチン療法8コースとカペシタビン単剤療法を16コース施行した.術後約2年で左下肢の脱力感および転倒のため近医搬送となった.CTで転移性脳腫瘍を指摘され当院へ転院となった.その他の転移はなく,脳神経外科で開頭腫瘍摘出術を施行した.術後病理より胃癌の転移性腫瘍と判断した.トラスツズマブ投与後の頭蓋内単独再発例であったため,頭蓋内も含めた全身の治療効果を期待してニボルマブ単独投与を行い,術後6か月現在無再発経過中である.今回,我々はHER2陽性進行胃癌の切除後に抗HER2療法を行い,その後に単独脳転移を呈した1例を経験したため報告する.
A 75-year-old man underwent laparoscopic total gastrectomy for advanced gastric cancer in 2020. Pathological diagnosis showed lymphatic invasion at the oral margin and the gastrectomy was considered a non-curative resection. Immunostaining showed HER2[3+] and the patient received 8 courses of trastuzumab+capecitabine+cisplatin and 16 courses of capecitabine monotherapy as adjuvant chemotherapy. About 2 years after surgery, the patient was referred to a local hospital due to weakness in the left lower limb and a fall. A CT scan revealed a metastatic brain tumor. When he was transferred to our hospital, there was no other metastasis. The patient then underwent craniotomy at the Department of Neurosurgery. Postoperative pathology determined that the tumor was a metastatic tumor of gastric cancer. The patient had a single intracranial recurrence after trastuzumab administration. Therefore, we administered nivolumab to prevent systemic recurrence including additional intracranial metastasis. The patient has been recurrence-free for 6 months after craniotomy. In this report, we describe a case of a patient with a solitary brain metastasis after anti-HER2 therapy following resection of HER2-positive advanced gastric cancer.
胃癌からの脳転移は非常にまれであり,その頻度は0.47~0.7%と報告されている1)2).また,ほとんどの症例において既に多臓器転移を伴っていることが多く,単独脳転移で発見されるケースは極めてまれである.加えて,自験例では術後病理の結果HER2陽性であり,術後化学療法としてトラスツズマブ療法を施行していた.脳転移症例に対する治療機会が多い乳癌において,HER2陽性乳癌は陰性乳癌に比べて脳転移を来しやすいという報告があるが,HER2陽性胃癌における脳転移の報告は限られている.今回,我々はHER2陽性胃癌切除後にトラスツズマブ療法を施行し,術後2年で単独脳転移を呈した1例を経験したため,若干の文献的考察を加えて報告する.
患者:75歳,男性
主訴:左下肢脱力
現病歴:2020年7月,検診での上部消化管内視鏡検査で進行胃癌を指摘され当科紹介となった.胃癌(U,Circ,Type 3,tub2-por,cT3N2M0,cStage III)の診断で腹腔鏡下胃全摘術[D2/下縦隔郭清(食道浸潤2 cmあり,110番郭清を確実にするために可及的に111番,112番の一部を含む下縦隔郭清を追加した.),Roux-en Y再建]を施行した.術中所見では明らかな肝転移および腹膜播種は認めず[H0,P0],[手術時間:6時間18分,出血量:25 g].術後は合併症なく良好に経過し,術後14日目に退院となった.術後病理診断では腫瘍の首座より食道胃接合部癌の診断でJz(AC),pT4aN3aM0,GE +1 cm,EI:2 cm,GI:3 cm,BE(–),HH(–)であった(Fig. 1a~h).病理学的特徴として高度なリンパ管侵襲像(LY1c)を広範囲に認め,腹腔細胞診で異型上皮細胞(Class III)を認めた.また,術中迅速では陰性とされていた口側断端にも最終病理学的診断ではリンパ管侵襲像を認め,切除断端陽性の診断となり,非治癒切除(R1)と判断し術後化学療法を行うこととした(術後病理診断:Moderately to poorly differentiated adenocarcinoma(tub2-por),tumor size:40×35 mm,Ly1c,V1,pIM0,pPM1,pDM0,pR1).切除標本の検討でHER2陽性(3+)であったため,HER+XP[トラスツズマブ+カペシタビン+シスプラチン]療法(有害事象のため2コース目以降はシスプラチン中止)を8コースとカペシタビンを16コース施行した.術後2年のカペシタビン16コース目施行後に左下肢の脱力感が生じるようになり,転倒したため近医へ搬送となった.CTで右前頭葉に転移性脳腫瘍を疑う腫瘤性病変を指摘され加療目的に当院へ転院となった.
既往歴:高血圧,虫垂炎術後(30代),HBVキャリア,食道胃接合部癌(胃癌)に対して腹腔鏡下胃全摘術(D2/下縦隔郭清,Roux-en Y再建)[Jz(AC),pT4aN3aM0,GE +1 cm,EI:2 cm,GI:3 cm,BE(–),HH(–)HER2(3+)]
家族歴:特記事項なし.
生活歴:飲酒歴 ワイン1杯/日,喫煙歴 45歳より禁煙.
入院時現症:168.0 cm,体重48.6 kg,JCS:1,GCS:E4V5M6,脳神経(I~XII)異常所見なし,上肢MMT:1/5,下肢MMT:2/5,触覚は正常,協調運動問題なし.
血液検査所見:腫瘍マーカー上昇なし.その他異常所見なし.
造影CT所見:右前頭葉皮質下に長径2 cm程度の増強腫瘤を認めた(Fig. 2).周囲には浮腫と思われる低吸収域が広がっており,転移性腫瘍が疑われた.その他原発巣含め全身に明らかな再発を疑う所見はなかった.
MRI所見:右前頭葉皮質下に最大径22 mmの増強結節を認め,周囲脳実質に広汎な浮腫を認めた(Fig. 3).一部大脳鎌に広基性に接している点は髄膜腫も鑑別に挙がるが,転移性脳腫瘍がより考えられた.
PET所見:右前頭葉にSUVmax:9.58のFDG高集積を認めた(Fig. 4).その他明らかな遠隔転移を示唆する集積はなかった.
以上より,単発性の転移性脳腫瘍の診断となり,その他遠隔転移や局所再発の所見がないこと,また腫瘍による広範な脳浮腫で生じていること,意識障害や麻痺の急速な進行といった臨床所見を考慮したうえで開頭腫瘍摘出術を施行する方針となった.
術中所見:脳実質を一層腫瘍につけた状態で腫瘍の硬さを触れながら一塊として腫瘍を摘出した(Fig. 5).
術後病理診断:核異型を伴った異形細胞の管状および篩状増殖を認めた.前回手術の腺癌像と類似しており,胃癌の転移と診断された.また,免疫染色検査ではCK7,CDX2陽性であり,CK20は陰性であった.HER2はequivocal(FISH陰性)であった(Fig. 6a~d).
術後経過:術後は合併症なく良好に経過し,麻痺も速やかに改善を認めた.術後化学療法を行う方針となり,頭蓋内も含めた全身への治療効果およびQOLなどを踏まえてニボルマブ単独投与を導入した.POD32にリハビリ転院となり,術後6か月現在無再発経過中である.
胃癌の脳転移は1%未満とまれな病態である1)2).Yorkら2)の検討では胃癌3,320例中24例で脳転移を認めており,またその多くは多発臓器の転移を伴っていたと報告されていることからも一般的に胃癌脳転移は血行性転移の終末像と考えられる.また,原発癌の種類に関係なく脳転移の症例で無治療の場合の平均余命は約3~6か月とされているが,胃癌の脳転移はさらに予後不良であり未治療の場合の平均余命は約2か月未満と予後不良の病態である3).悪性腫瘍の脳転移の経路に関しては一般的に動脈性血行性転移が多いとされている.しかし,胃癌の場合は動脈性血行性転移に至る途中に肝臓や肺などのバリアーが存在するため,胃癌脳転移においては,肺・肝転移病巣の有無が重要とされている4)5).動脈性血行性転移以外の経路として,門脈を介した経路,原発巣周囲のリンパ節から神経根を介して脊椎くも膜下腔に至る経路,椎骨静脈系から静脈を逆行して脳転移に至る経路などが推察されている5)~8).本症例においては肺転移病変を認めていなかったが,脳転移自体は典型的な血行力学的な転移の発生部位に生じていたため,頭蓋内以外の血行性転移の好発臓器においてはトラスツズマブ療法含む胃切除後の治療によりコントロール良好であった可能性が考えられた.
脳転移症例の初期症状としては原発性脳腫瘍と同様に脳圧亢進症状や脳局所症状が見られ,頭痛,精神症状,片麻痺,視力障害,Jackson型てんかんの順に多いと報告されている9).本症例でも定期的な画像診断に頭部を対象としたものは含んでおらず,片麻痺・転倒のエピソードを機に頭部CTを施行し,発見に至っている.
転移性脳腫瘍に対する治療としては,手術療法,放射線療法,化学療法がある.脳腫瘍診療ガイドライン(2019年)では,脳転移の個数に応じて各治療法の推奨グレードが定められており,単発性では腫瘍切除・定位放射線照射・全脳照射がいずれも推奨度Bとされている10).単発脳転移症例の治療に関して,本邦の報告例では転移巣切除術を中心とした治療が主体であった11).実際の診療では腫瘍の位置,症状や緊急性を総合的に判断して治療方針を決める必要がある.本症例においては麻痺発生が急速であり,その原因が腫瘍に伴う浮腫であったため,放射線治療(定位放射線照射・全脳照射)では浮腫の改善までに時間がかかり症状固定してしまうと考えたことおよび腫瘍の位置が言語野などの重要な部位に位置していないことから外科的切除を選択した.転移性脳腫瘍切除後の放射線療法に関して,全脳照射はいずれの個数の場合でも高く推奨されているが,長期的な機能予後を考慮すると高次脳機能障害などの晩期有害事象が強く懸念され,転移巣の個数が少ないほど敬遠される兆候にある12).今症例でも上記理由から全脳照射は施行しなかった.また,定位放射線療法も単発性の場合推奨されているが今症例に関しては手術で十分なmarginを確保して摘出が可能であったため,radiation necrosisのリスクを考慮して追加治療は行わず,局所再発時に定位照射を検討する方針とした.また,一方で転移性脳腫瘍に対する化学療法は適応が限定されている.胃癌の脳転移に対する化学療法の有用性を示した明確なエビデンスはなく,一般的に脳転移に対する局所療法が奏効した場合に,頭蓋内以外の病変に対して化学療法を追加するといったケースが多いが,化学療法が奏効すれば,より延命効果は期待できるとされている12).
HER2は細胞の増殖や分化に関与しており,HER2蛋白の過剰発現は乳癌において予後不良因子である.また,HER2陽性乳癌は陰性乳癌に比べて脳転移を来しやすいと報告されている13).胃癌において症例の約20%にHER2蛋白過剰発現が認められるが,予後との関連については一定の見解は得られていない14).HER2陽性胃癌に対するトラスツズマブの効果に関しては,ToGA試験によって2010年にその有効性が報告された.トラスツズマブの分子量は148,000 kDaと非常に大きいことから血液脳関門(blood-brain barrier;以下,BBBと略記)を通過しにくいと考えられ,理論的には脳転移に対する効果はほとんど期待できない15).一方で脳腫瘍が存在する場合はBBBが破壊され,トラスツズマブをはじめとする全身化学療法の効果も期待できる可能性が指摘されている.胃癌脳転移症例に対してパクリタキセル,イリノテカンが奏効したとの報告例も散見されるが16)17),医学中央雑誌で1964年から2023年4月の期間で「胃癌」,「脳転移」,「HER2」をキーワードとして検索した結果(会議録除く),HER2陽性胃癌の脳転移症例で全身化学療法単独で奏効した報告はなかった.また,トラスツズマブ投与後の増悪例においては腫瘍組織におけるHER2の発現が消失している18),あるいはheterogeneousな発現によりHER2陰性部分が増大しているといった報告19)がなされており,二次治療以降でのトラスツズマブ投与は推奨されていない.佐竹ら20)はHER2陽性胃癌の脳転移症例に対し,脳腫瘍摘出後に抗HER2療法を継続し長期予後を得たとの報告をしているが原発・転移巣ともにHER2は3+と発現が見られていた.しかし,本症例においては原発巣でHER2は3+(FISH陽性),転移巣においてはHER2が2+(FISH陰性)と発現が低下していた.今症例において原発巣術後に施行したトラスツズマブ療法は頭蓋内以外では奏効していたと考えられるが,HER2発現の低下に加えてトラスツズマブの分子量・BBBの問題も考慮すると本症例においては頭蓋内の再発に対する予防効果は限定的であると考えられた.
抗PD-L1療法であるニボルマブは2017年に本邦で胃癌に対して承認された薬物療法である.化学療法の施行歴がある治癒切除不能な進行・再発胃癌患者を対象としたATTRACTION-2試験において,全生存期間はニボルマブ群で5.26か月とプラセボ群の4.14か月に対して統計学的に有意な延長を示した21).しかし,胃癌脳転移症例に関しては臨床試験から除外されている.一般的に細胞障害性抗がん剤は血液脳関門の影響で転移性脳腫瘍には効果が限定的であるとされているが22),一方で免疫チェックポイント阻害剤であるPD-1・PD-L1抗体によって全身で刺激されたT細胞が中枢神経系に誘導され抗腫瘍効果を呈する可能性が示唆されており,黒色腫または非小細胞肺癌脳転移の症例に対してニボルマブ単独療法が中枢神経転移病変への奏効を認めたとの報告もある23)24).上記の知見および通常の二次治療となるタキサン系を含んだレジメンは麻痺が残存している患者の状態から末梢神経障害増悪によりQOLを下げるリスクが高いと判断し,本症例においてはニボルマブによる追加療法を選択した.現在までに転移巣切除後6か月無再発で経過しているが,今後も再発病変の出現に関して慎重な経過観察が必要であると考える.
利益相反:申告すべきものあり「中村雅史:奨学(奨励)金,中外製薬(株)」