2025 Volume 2 Issue 1 Pages 15-20
4年間にわたる薬物療法中心のうつ病治療に限界を感じた患者が職場の産業カウンセリングを受け,それがきっかけで治療方針が転換となり,複雑性PTSDの治療につながった症例の報告である。方法はカルテを振り返る方法で行った。筆者は幼少期の生活環境やトラウマが精神症状の原因やうつ病のきっかけになっていると考えた。治療は入院によって行われ,EMDRと催眠療法を行った。本人の自己治療もあり早期に寛解へと向かった事例である。その後も不安定になる時期はあるが,入院中に身につけた自己治療や新しい人間関係によって対処出来ている。
In this case report, I describe the case of a patient who was on medication for depression for four years and whose treatment regimen was changed through workplace industrial counseling, resulting in the recovery of the patient's complex PTSD. This case report was described by reviewing the patient's medical records. I attributed the patient's symptoms to childhood life circumstances and trauma as the cause of his psychiatric symptoms and the trigger for his depression. The patient was hospitalized for treatment, during which EMDR and hypnotherapy were administered. As a result, the patient went into early remission with the addition of his own self-treatment. The patient continues to experience periods of instability after discharge, but is able to cope with them through self-medication and new relationships that his developed during his hospitalization.
4年間精神科外来で薬物療法を続け,本人が治療の限界を感じていたところに職場で産業カウンセリングをする機会があり,そこで心理師が得た情報をセカンドオピニオンという形で主治医に伝えた結果,治療方針に取り入れられ,その判断が功を奏した事例を報告する。
今回行った治療はPTSDに対するEMDRと催眠療法がメインであった。そこでまずトラウマとPTSDについて及びEMDRと催眠療法の概要を述べ症例報告の前段とする。
ここで言うトラウマとはトラウマ記憶の事であり,トラウマ記憶というのは,あのときは怖かった,恐ろしかった,屈辱的だったというような単なるエピソード記憶ではない。まさにその時の映像や,一連の感覚の記憶,それから自分の中に起こってきた様々な反応も含む。さらには体験についての意味を解釈して,自責感や無力感などの感情も出てくる。トラウマによるこのような状態をPTSD(Post-Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)という。PTSDではトラウマ体験から月日が経っても,あたかもそれが昨日の事であるかのように感じられる,いつまでも過去になってくれない記憶が様々な症状を引き起こす。
EMDRとはEye Movement Desensitization and Reprocessing の略語であり,「眼球運動による脱感作と再処理法」と訳され,アメリカの臨床心理士Francine Shapiro が1989年に発表した心理療法のことである(市井,2008)。仮説として想定されているメカニズムとしてはREM睡眠(短期記憶を長期記憶に移行すると同時に感情処理する)との類似性,言語化・洞察の進行,前頭前野の活性化による今ここへの注意のシフト,否定的な自己評価から肯定的なネットワークへの連結の促し,出来事が過去であることを確認することなどがある。
EMDRが日本へ導入されたのは1990年代であり,さらに1995年の阪神淡路大震災により加速した。それまでは曝露療法や系統的脱感作が主流であったが,EMDRの効果はそのどちらでも説明することはできない。
EMDRによる回復のメカニズムから考えると,現在のPTSD症状や不快感・恐怖感などの原因は,過去に生じたネガティブな感情や状態を生じさせた生々しい体験の記憶が十分に処理されないでそのまま残ってしまっていると考えられる。その記憶を処理し(つまりコンピュータでいうと圧縮し),肯定的な新たな記憶のネットワークに関連付けを行う。これにより現在の行動の修正や肯定的な感情を引き出すことが可能になると考えられている。
そしてEMDRには認知療法的要素も含まれる。それは治療中,出来事の映像に加えて,その映像に関連する否定的な自己認知と身体的な反応にも注意を向けるからである。そのうえで脱感作されると同時に肯定的な自己認知を植え付ける手続きをすることで,もともとは苦痛を引き起こしていた出来事の映像を苦痛なく想起することが出来るようになる。
Rousseau et al.(2018)による脳科学の知見としては動物実験で視運動性眼振(OKN:Optokinetic Nystagmus)の刺激によって水平眼球運動を起こした時に脳全体の活動を記録したところ,感情の中枢でありPTSDで興奮性があがっている扁桃核の活動が抑えられていた。また,大脳基底核等の感情に関わる部分も抑制されていることがわかった。
これらの変化が恒久的なものなのか一時的なものなのかに関して友田 (2013)は,「脳の傷」は決して「治らない傷」ではなく癒され得ることを強調し,恒久的な変化であることを否定している。例えば,母子分離によってストレス耐性が低くなった仔ラットでも,その後に十分な養育環境に変えてやることでストレス耐性は回復する。そこから人間においても,可能な限り早期に虐待状況から救出し,手厚い養育環境を整えてやることが,子供の「こころ」の発達には重要であろうと述べている。以上より,子供の方が回復可変性は高いことは言うまでもないが,筆者の臨床経験からは,松崎・藤田の研究にもあるように,年齢を重ね思考の柔軟性が乏しくなってきたとしても,変化はしうるものだと実感する。もちろんそれには周囲のサポートがあるとより良いとは感じる。
これらのことをふまえ精神科臨床の実践においては原田(2022)が述べている様に,「臨床家がトラウマの視点を持ち適切な対応力を身につける必要がある」,「これまでの正統的な精神医学・精神医療はトラウマへの関心・着目が不十分である」「精神科診療における薬物療法の役割を過大視せず,その効用と限界を踏まえた上で,当事者の生活・からだ・いのちを視野に入れた精神療法的な関りや養生を重視する」という視点を持つ必要があると考えられる。
トラウマの治療では,そうしたトラウマ記憶の中から過去で一番と感じるくらいの二つか三つの非常に強烈な恐怖や無力感、屈辱感を感じたエピソードを選び,それをターゲットとして処理すると他のトラウマ記憶も自然に鎮まってくる。
このように治療が進んでいくと生活が安定してきて,本人の生命力・自然治癒力が賦活される機会が増して,更に生活が安定し広がるという好循環に入る。これまではトラウマ記憶が現れると,普段の状態(友好・安心モード)とは異なり,トラウマ体験に基づくモード(敵対・混乱モード)で自分から周囲の人が見えがちになってしまっており,「周囲の人=自分を否定し批判して蔑ろにする,一方的・高圧的な存在」「自分=理不尽な被害を受ける,受け身一方で困惑している存在」になってしまっていたはずである。そこを自分のからだの感覚や本音に正直になり受け入れ,遊び心があり,自然の気持ちよさを感じ友好・安心モードが大半である状態になっていくことが生きやすい状態であると考えられる。
一方、催眠療法は催眠療法家である今本忠彦氏に直接教わりNational Guild of Hypnotists Certified Hypnotherapistの資格を得たうえで行った。具体的には患者を極めてリラックスした状態に誘導し意識による抵抗を極力少なくした状態で過去の記憶を想起させる退行催眠の手法を用い、同時にその当時の傷ついたまま自分に取り残されている子供の頃の自分のイメージであるインナーチャイルドに対して癒しのアプローチをした。
カルテを振り返る方法でまとめた。なお,本論文を執筆するにあたって所属機関・患者双方に公開する同意を得ている。また内容は本人にも確認をしてもらっている。さらに,匿名性を担保するため,記述の一部や個人情報,家族情報の一部を変更しているが,ストーリーやその時の感情は事実を元にまとめており,論文全体の信頼性に影響はない。
2.家族歴男3人兄弟の末っ子として出生。本人の長男(4歳)は自閉症と診断され,川崎病で入院歴あり。離婚後は自分が虐待していたことになっているので,子どもは妻が引き取っており,会う時は見張りがつく状態。
3.既往歴過去にてんかんや片頭痛で服用歴あり。肥満傾向。
経済苦によるストレスで半年間休職したことがあり,完全復帰には1年かかった。その後も元妻に関することや職場関係でのトラブルはあった。
4.生育歴幼少期,両親は毎日パチンコ屋に通っており, そこに連れて行かれたこともあったが,パチンコ屋に行けば親に会えたという家庭環境だった。身体的暴力は無かった。両親に借金は無かったが,父がよく事故を起こしていたため貧乏だったのかもしれないという。
小学生時成績は中の下。小学4年時学校の校庭で遊んでいた際,目の前で遊具が倒れてきて一番仲の良かった友人を亡くした。30秒位ずれていたら自分もそうなっていたかもしれないという。その場には4人おり,1人は頭蓋骨骨折,1人は内臓破裂で瀕死状態だった。そしてもう1人は手を複雑骨折し,自分だけが身体的には無傷で助かった。遠くにいる教員に助けを呼んでも初めはいつものようにふざけているのかと勘違いされ信じてもらえず,大人は少し後に来た。遊具は大人が持ち上げようとしてもびくともしなかった。後日,担任から勉強が出来ない事を引き合いに(下敷きになったのが)「なんでお前じゃなかったんだ」と言われた。
中学時は運動部に専念し副キャプテンにまでなった。しかしながら,自治体からMVPという賞をもらう程活躍し本人は選抜メンバーであったにも関わらず最後の試合には怪我をして出られなかった。
高校は親に学費負担をかけたくないので推薦で公立に入り,中学から続けていた運動部の部長にもなった。同時に3年間バイトをして学費に充てていた。しかしながら上2人の兄弟は私立高校に進学していた。
高校生から約10年付き合っていた彼女がいたが,本人は仕事が終わった後はほぼ毎日閉店までパチンコをしており,そこにいた若い店員に彼女を取られた。その男に「いつも彼女を放っておいたからだ」と言われ,その時からネガティブな性格に変わり自信も無くなりイライラも増えた。特にお金が無いとイライラのトリガーになりやすかった。
本人が思うに小学生時の事故があったせいか以後の人生で積極的に人助けをするようになり,川で溺れかけていた人を助けたり,倒れていた老人を助けたり,3回も火事を消したことがある。なぜかこのように災難には良く出くわす。例えば職場ではニュースになるような大きな事故の第一発見者になることも複数回あり,その対応をめぐっていちいち上司に怒られたりした。
そのような事を経験し,自分がトラブルを引き寄せるくらいならやめた方が良いと思い、親友を作らないようになった。
また,離婚した元妻は束縛が強く,帰りの時間が1分でも遅れたら1分おきに電話が鳴った。当時は近くで見られているのではないかという恐怖があった。もともとこの妻とは目の前でリストカットされ「どうせ私なんか」と言うので自分が何とかしてあげなければと思い,付き合った。その後離婚にはなったが,子供もいたので,別れた家族の事を思い出すとつらいという。
5.現病歴トラウマ治療開始時をX年とする。
X-5年,子供が生まれて3ヵ月で転勤となり,手根管症候群で手術後労災案件にもなり,不眠,抑うつ気分,不安,意欲低下が出現。症状出現3か月後に仕事が忙しいにも関わらず妻に浮気を疑われるなど精神的な負担もあり同年離婚。不眠,不安が悪化した。
X-4年,意欲低下と味覚消失のため精神科初診。うつ病との診断にてアモキサン50mgが処方された。その後,抑うつ気分,自責の念の高まり,自傷行為のため当院に転院となった。その頃,不眠で平日は睡眠2時間だった。また,不眠かアモキサンの副作用のせいか船酔いのような状態で過ごしていた。
職場ではトラブル対応時に怖い目つきで「いい加減にしないとお前ら殺すぞ」との発言をしていたことがあった。また,時折り大声で怒鳴ることや,物に当たったり蹴ったりすることもあった。余裕が無いせいか周囲に対する猜疑心が強くなり職場が緊張状態になっていた。
終始イライラしており,味方がいないと感じていた。歯ぎしりでかぶせ物が3ヵ月で4つも取れた。また,歯が折れて血が出た。
労災事故を起こした後,足が治らなくて「そんな足でやるくらいなら来なくていいよ」と上司から言われたといい,「仕事辞めようか,人生も終わりかな」と思っていた。これは当時の本人の受け取り方がネガティブだったこともあったかもしれない(認知の歪み)。
辛い時はロラゼパム0.5mgを1日2回で対処されていた。職場の産業医に相談し短期間の休職や就業制限の判断が下りた。精神科ではサインバルタ40mgで様子を見ていた。その後月1回程度は精神科で医師の診察を受け, サインバルタ40mgを継続しつつ傾聴や就業の相談をしてもらい抗不安薬等の微調整をしてもらっていた。しかし,X年になってもイライラや抑うつ気分が無くならず,またサインバルタを服用すると頭痛がするので,本人の中では薬物療法に限界を感じ職場での産業カウンセリング希望となった。そこでX年当患者が勤めている企業の産業カウンセラーが所属する病院にて,心理師によるカウンセリングを開始した。
そこで話されたことは,人を殺したくなったり自殺したくなるという内容や,最終的には自分を含めたすべてが嫌になる,とのことだった。
食欲は無いが無理やり食べていた。水を飲まなかったので脱水症状で発熱し点滴を打った,というエピソードもあった。
6.心理検査結果および心理的評価日本語版外傷後ストレス診断尺度PDSの結果は負傷または命の危険,出来事の最中の無力さまたは恐怖といったものをはじめ,再体験,回避・麻痺,過覚醒,1か月以上の症状持続,生活機能障害など全項目にわたって高くなっており,中等度のPTSDと判定された。(重症度評価0-51点中の26点)
アダルトチルドレンや共依存を示唆する傾向としては、他人と密接な人間関係を持てないことや他人からの助けを得るのが下手であるという傾向があることが分かった。一方、自らを犠牲にして相手を助けたり,世話をしたりするなど、共依存的な行動に出やすいこともわかった。また、何が正常で何が異常かわからないという傾向も見られた。身体的にも、理由もないのによく頭痛や腹痛などがあり,からだの調子が悪いということもあった。
機能不全家族の特徴として、「男3兄弟の末っ子だったが,親から女の子が良かったと言われた」「兄弟との歳の差でかまってもらえなかった」「両親共働きで幼い頃は祖父に面倒を見てもらう事が多かった」といった家庭環境や祖父が戦争の体験を何度も話したということも何らかの影響を与えた可能性はある。
機能不全家族から受けた影響として、どのように他人や自分の子供に関心をもって関われば良いかが分からないことや、人や世の中は何を言っても無駄であると感じ自暴自棄になったり、自分は他人より劣っていると思うことや、他人が自分の事を悪いと思っているのではないかと疑い,防衛的になるということもあった。ひどい時は思い込みから怒りを相手にぶつけるということもあった。他にも、自分を必要とする人がいないと不安になる事から、他人の世話ばかりする傾向も見られた。これらにより、各種うつ症状や不安症状、パニック障害の症状、心身症の症状も見られた。
過去のトラウマと向き合うと希死念慮や思考の混乱,怒りの表出が見られたことから,周囲と自身の安全を考慮し,また集中した治療環境の構築のため,入院により治療を行った。
治療期間は当初の予定は最大3ヵ月としたが,結果的には1か月程度の入院となった。
入院直後今後の治療方針について話し合い,アダルトチルドレン(以下AC)の可能性やその治療の必要性も考えたが,生育歴や,入院と同時に渡したACのチェックリスト等からPTSDに比べるとそれ程強くはないようであったのでACの治療は一先ず取り組まないことにし,EMDRと催眠療法を中心に進めていくこととした。EMDRや催眠療法といった心理療法は基本的に週1回の実施を目標としたが,患者の意欲や許容量,体力等に応じて週2回の場合もあった。EMDRは机と椅子のある個室で行い,催眠療法はベッドサイドで行った。実施時間はEMDRも催眠療法もおおよそ60分前後であった。カウンセリングは専用の個室で行い,実施時間は通常30~60分程度であった。
2.入院生活(入院直後)コップの水面が波打つほどの隣部屋の人のいびきが耐えられず,その際,「こんな病気になった自分が悪い。迷惑ばかりかけてごめんなさい」と泣き崩れた。ここでも認知の歪みである“自責感”が見られた。
3.EMDR 1回目(入院1週目)一番つらく、かつ古い記憶として小学4年時のトラウマが取り上げられた。目の前で一番の親友の頭がつぶれ,目は飛び出し血の海が出来た事を思い出し,否定的認知を「私には何か出来たはずなのに」とし,肯定的認知を「私は出来る限りやった」で行った。
目で追うのが大変なのでタッピングで進めることにした:24往復を1セットとする。
1セット目・・・自分では「私には何か出来たはずなのに」と思うけど周囲からはそう見られていないと思えた。
4セット目で「私は誰からも信頼されない」に変更
5セット目で「私は価値がない」に変更
6セット目で「私は無力だ」に変更
7セット目で「私は誰も信じられない」に変更
7セット目までつらさは変わらず、またイメージが深まらずリアルに思い出すことに対する抵抗を感じたので次回は催眠療法を実施することにし終了した。
4.催眠療法 1回目(入院2週目)前回のEMDRで深まらなかった記憶の想起をより鮮明にするために催眠で退行を実施した。退行のターゲットとなる感情としては,自分を責める感情,自分が嫌いな感情,「普通はこうだ」と言われ,自分が忘れられている感じを思い出した。小学校4年生時への退行により無力感,遊具が倒れてきた時,自分の声が届いていない空しさを再体験し,担任に「お前は人殺しだ」「お前も一緒に潰れてしまえばよかった」と言われた事を思い出した。これらに対しインナーチャイルドと現在の大人の自分であるアダルトとの対話を実施し,そこから守られた感覚などの肯定的な学びを引き出し,治療者からは「一人ではない」「できるだけのことはやった」など前向きになることが出来るよう暗示を与え,癒しを行う催眠療法を実施した。その結果,涙を流しスッキリされた様子であった。
5.EMDR 2回目(入院2週目)「自分は無力だ」という否定的認知に対し,あの時の現場の自分は正しかったと思えてきた,と前回から少し認知が変わったようであった。
火災現場の対応に関しては,上司から「ああすればよかった,こうすればよかった」と言われた事に対して,あの時の行動は間違えていなかったと思えるようになった。
今回は前妻からの束縛や家庭の事も取り上げることにした。ターゲットになる場面は「早く」「急げ」で行った。肯定的認知は「落ち着いて」「ゆっくり」にした。
1セット目・・・急かされているのが悔しい。0-10で10のつらさ。涙を流す。
2-3セット目・・・我慢してしまった。
4-5セット目・・・呼吸がつらくなる。10のつらさと言ったが先程以上につらい。
6-7セット目・・・焦り・心配・恐怖を感じる。つらさは4-5セット目と同じ。
8-9セット目・・・すごく嫌な気持ちになった。
10-11セット目・・・肯定的イメージでつらさが少し下がった。「落ち着いて」と思える感覚が上昇した。
12-13セット目・・・話が前に進んだイメージ。「あの時電話に出ればよかったのかな」と思った。少しほっとした。「なんで電話に出られなかったのだろう」と,すっきりしている。
次回のEMDRは今回の続きをやることを確認し,今後の見通しについて話し合った。
6.カウンセリングのみ実施1回目(入院3週目)ネガティブな考えが出なくなってきており,出てきてもポジティブな思考で覆いかぶせられるようになってきた。今までのいろいろなトラブルは自分が原因だとも思った。何年振りかに太陽のにおいを感じたと,認知だけではなく嗅覚といった感覚の変化も出てきた。本人としては減薬をしていきたいとのことだった。午後は疲れが出ることや,夜は寝られている等,躁状態ではないことも確認した。
7.カウンセリングのみ実施2回目(入院4週目)今までの上司が代わる代わる出てくる悪夢を見た。「あんた」「あなた」「おまえ」と言われることがイライラの元になっていることに気がついた。
ここのところお金への不安が少なくなった。
こちらでお貸ししたEMDRの本を読んで自分のやり方でやってみたところうまくできたとのこと。これにより心の整理がついてきて見通しも持てて調子も良くなってきたので本人から1週間後の退院を希望された。
その後の診察でサインバルタを1日40mgから20mgへ減薬した。
8.退院後退院後すぐに職場での20分程度の産業カウンセリングと産業医面談が行われ,経済的な理由から本人の希望通り,通常のうつ病ではありえないような速さでの職場復帰が叶った。
患者の発言からは「外が気持ちよく,嗅覚が戻ったので森の香りがしたという。渋滞でもイライラしなかった」と言う。
さらに「薬はサインバルタ20mgでもきつく感じるようになってきて頭痛も無くなった。そこでサインバルタを中止し,サインバルタ無しで頭もスッキリ過ごせるようになった。そして性欲も戻った。
今まで迷惑をかけた職場の人にも謝った。そうすると皆の反応も今までとは違うので,逆に今までの自分の態度がおかしかったのかな?という事に気づかされた。
日常のやり取りでも,例えば大きな買い物の契約の際にトラブルがあっても今までとは違い冷静に対処できた。気になる事は落ち着いて他者へ質問できている。
職場でまた全治1か月程度の労災を起こしてしまったが今回は周囲の人から慰められ,「良い人たちに恵まれたと思っている。」とのことだった。
退院後,病院では3回のカウンセリングで終了となり,今後の生活上のアドバイスや相談は職場の産業カウンセリングで継続することになった。
客観的指標としては肌がきれいになってきて皮膚にあったぶつぶつも無くなってきた。多汗傾向や残尿感も無くなった。その後処方薬なしで続いている。悩むことや死にたくなるほど落ち込むこともあるが,これまでのように自暴自棄にならずに自分で前向きに対処したり,カウンセリングで考えを整理するようにしてやり過ごしている。
今回のケースは治療への反応から考えて典型的なPTSD(もしくは複雑性PTSD)のケースであると考えられ,これまでのうつ病の治療に加え複雑性PTSDの視点を取り入れることで著効したと思われる。表面的にはうつ病であっても現在の症状に影響を与えているトラウマという原因を取り除くことで,当患者のうつ病の経過からは逸脱して症状に変化が出たのではないだろうか。
今回の様にうつと診断され長年にわたりうつ病としての対処療法が漫然と続けられるケースは潜在的に多くあると予測され,背景情報を吸い上げる重要性を今回のケースで示したと考えられる。また,現在の精神科診療の枠組みでは時間が足りない場合に心理師を活用する例としても示唆する内容になっていると思われる。
また,通常であれば3ヵ月程度の入院が必要であると見込んでいたが,実際は1か月で済んだのは入院3週目以降本人が自分でEMDRを行った事が功を奏したのだと考えられる。FShapiro (1995, 2001)は「自分自身へのEMDRの使用は新しい記憶や問題が出てきたり,効果が穏やかなため推奨はしていないが,ほどほどの肯定的効果があり,特にリラックスを深めるのに効果があった」と述べている。このことから,自身でのEMDRは有害ではないと思われることに加え,入院中から本人がトライアルし,特に問題が無かったため,続けて良いとこちらでは判断した。
発言の中でトラウマ後5-6年の記憶が全くないと言うことがあった。しかしながら実際はその間の記憶が語られることもあり,わかってほしいという気持ちやヒステリー(転換性障害・解離性障害)の要素があるのかもしれない。これには治療的枠組みとしては本人にとって初めてじっくり向き合ったことやEMDRや催眠療法による退行を組み合わせたことで直面化を促し治療が進んだものと考えられる。
また,EMDRにおいて否定的認知によるSUD(主観的障害単位:Subjective Units of Disturbance)尺度が0では無くても肯定的認知に移行したことは,例えば認知処理療法(認知処理療法 治療者用マニュアル日本版 https://cbt.ncnp.go.jp/images/upload/files/CPT_C_jisshi_manual.pdf )によると例えばつらい記憶を思い出すトラウマ筆記を伴わず認知処理療法のみを行い肯定的認知に移行するにつれ、認知の修正と自己処理が進む場合があり、トラウマ筆記を行った場合と同等の治療効果があったという報告がある。このことと、EMDRにおけるSUD尺度が0で無くても肯定的認知に移行したことは同様の現象と考えられた。トラウマと否定的認知の回想を経ずにでも、肯定的な認知に移行するにつれて認知の修正が起き,自己処理が進みそれが定着する可能性はあると考えた。これは長い目で見るともしかするとトリガーが残ったままなのかもしれないが,EMDRと同様エピソード記憶になっていればよく,調子を崩しかけた場合はその都度カウンセリング等でメンテナンスを継続していくとよいと思われる。
[利益相反]
本論文に関して,開示すべき利益相反関連事項はない。