2020 Volume 27 Issue 1 Pages 91-94
胸部硬膜外麻酔合併症として肋間血腫は広く認知されていない.われわれは硬膜外穿刺からカテーテルの挿入に至る過程で,肋間血管が損傷され肋間血腫に進展したと考えられる1例を経験した.症例は50歳の女性で,左肺腫瘍に対して胸腔鏡補助下左肺上葉部分切除手術が予定され,硬膜外麻酔併用全身麻酔が計画された.硬膜外穿刺は,第7/8胸椎間より傍正中法で施行した.穿刺後カテーテルを挿入したところ血液の逆流を認めたためカテーテルを抜去した.椎間を変えて再度の穿刺を試み,カテーテルを留置した.術中,胸腔鏡下に肋間血腫が判明し,切開吸引され止血処置後に手術を終了した.術後は,神経学的異常を認めず身体的影響もなく退院した.肋間血腫の発生頻度はまれだが重篤な転帰に至ることもあり,傍正中法で胸部硬膜外穿刺を行う際には,適正な穿刺方向を常に意識する必要があると考えられた.
胸部硬膜外麻酔は,術中術後に質の高い鎮痛効果が得られることから,開胸手術においては現在も第一選択の鎮痛法とされている.一方で合併症が重大な結果を招くこともある.重篤な合併症のなかでも,とくに硬膜外血腫は硬膜外穿刺針(以下,穿刺針)の穿刺あるいはカテーテルの挿入,留置,抜去の過程で血管損傷によって発生することはよく知られている1).しかし,胸部硬膜外麻酔合併症として肋間血腫の報告は極めて限られている.今回,胸部硬膜外麻酔に関連する肋間血腫の症例を経験したので,その成因について考察を加え報告する.
本投稿にあたり,患者からの承諾は得ている.
症例は50歳の女性で,体重45 kg,身長153 cm,BMI 19でやせ形の体型であった.当院で,4年2カ月前に子宮体がんに対して広汎子宮全摘術,1年8カ月前に転移性肺腫瘍に対して肺部分切除術が施行された.いずれも硬膜外麻酔併用全身麻酔が施行され,麻酔経過および術後経過に問題はなかった.今回,新たな左肺上葉S2の転移性腫瘍に対して胸腔鏡補助下左肺上葉部分切除術が予定された.術前の身体所見,検査所見などに特記すべき事項はなく,凝固障害および出血素因もなかった.手術室入室後に経験5年目の麻酔科医が硬膜外麻酔を施行した.体位を左側臥位の前屈姿勢とし,棘突起を触知し棘間をカウントし,第7/8胸椎の棘突起間より傍正中法により穿刺を行った.18ゲージの穿刺針と19ゲージのカテーテル(ビー・ブラウンエースクラップ社ペリフィックスTM)を用いた.第7胸椎棘突起の尾側から約1.5 cm側方を穿刺部位とし,抵抗消失法で穿刺針を頭側正中方向に進めた.穿刺針の進行角度を皮膚から頭側方向におよそ60度,矢状方向におよそ30度として穿刺し,針先が骨に当たったところで穿刺針の方向を変え椎間隙を探した.皮下より3 cmの深さで抵抗消失感が得られ,カテーテルを頭側へ5 cm挿入した.挿入を完了した直後よりカテーテル内に断続的な血液の逆流を認めた.カテーテルの血管内への迷入を疑い,カテーテルを徐々に引き抜いた.穿刺針の先端に近い深さまで血液の逆流が確認されたため穿刺針とカテーテルを抜去した.施行医を交代して1椎間下の第8/9胸椎の棘突起間から傍正中法により再度の穿刺を行い,カテーテルを問題なく挿入でき留置した.体位を仰臥位に戻し,全身麻酔を開始した.手術開始51分後に左上葉部分切除を終え,55分後にリークテストを行った.ドレーンを留置後,出血を確認するため胸腔内の観察を行った際,壁側胸膜が胸腔内に向けドーム状に隆起した腫瘤があることが判明した(図1左).手術開始から55分経過するまでの間,胸腔鏡の可視域から死角になっており腫瘤の形成までの過程は不明であった.腫瘤は鶏卵大の大きさで,最も膨隆した部位は第7/8肋間の胸郭背側部の脊柱側にあり,頭尾方向は第6肋骨から第8肋骨まで及んでいた.鑑別診断として血腫があげられたが,血腫であれば発生部位と手術操作の範囲から判断すると硬膜外麻酔の関与が疑われた.穿刺してから全身麻酔の導入および維持中にカテーテルの逆血など出血を疑わせる所見はなく,胸腔鏡ポート挿入時も気胸や血胸を疑う所見は認めなかった.血腫判明後,入念な観察でも穿刺針やカテーテルによる明らかな胸膜穿破や肺損傷は確認されなかった.腫瘤表面の胸膜を切開したところ内部は血餅で充満していた(図1右).血餅を吸引除去したが,はっきりとした出血点は確認できず,止血処置し閉創した.血腫は壁側胸膜下に限局していることから肋間血腫と診断された.全身麻酔からの覚醒は問題なく,術後経過も順調で続発症も認めず患者は術後10日目に退院した.
肋間血腫の胸腔鏡所見
(左)胸腔内にドーム状隆起した壁側胸膜下腫瘤,点線:腫瘤の輪郭.
(右)腫瘤内部は血餅で充満.
Amagasaら2)は胸部硬膜外麻酔に合併した肋間血腫の1例を報告し,肋間血管を損傷した直接的な原因は不適切な方向に過度に深く進められた穿刺針であると推定している.肋間血腫のリスクを避けるためには,解剖学に精通すること,可能なら正中法を行うことなどをあげている.
彼ら2)の穿刺長(8 cm)に比し今回のケースの穿刺長が3 cmと比較的浅く,またカテーテル挿入後に血液の逆流を認めたことから,肋間血腫の原因は穿刺針のみならずカテーテルの可能性もあると考えられた.
本症例の血腫は判明して速やかに処置され,損傷部位を同定する造影CT検査の必要性がなかった.損傷血管と損傷箇所を示すCT画像の情報はないが,胸腔鏡下の観察および挿入されたポート位置から判断して損傷血管は第7肋間血管と考えられた.穿刺針が肋間血管を損傷した可能性を検証するため,術前に撮影されたCT画像に着目し穿刺部から近傍の肋間血管までの距離を計測し実際の穿刺長(3 cm)と比較し評価を行った.
CT画像の中から実際の穿刺部に最も近いと考えられる第7胸椎棘突起の尾側と同レベルの水平断画像(以下,CT図)を用い,棘突起より1.5 cm側方にある皮膚表面を仮の穿刺点と定めた.仮の穿刺点を起点に半径3 cmの円弧を描き穿刺針の到達範囲を記した(図2左).また肋間動脈か静脈のいずれが損傷されたかは判別されていないため両者が走行する肋間溝を対象に測定した.仮の穿刺点から最も近い位置にある第7肋間溝の点を仮の損傷点と定めCT図に記した.両者の距離(以下,最短距離)は2.7 cmと計測された.この計測結果からは,実際の穿刺長(3 cm)は最短距離よりも長いため穿刺針の進行方向によっては穿刺針の先端が血管に到達した可能性も考えられた.しかし,CT画像の検討は穿刺針の進行方向を水平断面に仮定した推論であり,実際には穿刺針はこの断面内に留まるわけではない.また体位など距離に影響を及ぼす他の要因を除外できないため,実際に穿刺針が血管に到達したかは明かではない.以上よりCT図の計測結果からは原因を穿刺針に推定するには至らなかった.
第7胸椎棘突起尾側と同レベルのCT水平断
(左)円弧:仮の穿刺点を起点にした半径3 cmの円周の一部,矢印点線:仮の穿刺点から肋間溝までの最短経路.
(右)円弧:仮の穿刺点を起点にした半径3 cmの円周の一部,矢印点線に囲まれた領域:円周付近のTPVS.
この結果に加えて,穿刺針の可能性を支持するもう一つの根拠として本山ら3)の胸部傍脊椎ブロック(以下,TPVB)による合併症報告がある.彼らはTPVB施行時に発生した胸壁血腫を提示した.血腫の成因として肋間血管の損傷が疑われていることや発生部位が胸郭背側であることなど,今回のケースとの共通点がみられ興味深い.そこで今回の穿刺針が胸部傍脊椎腔(以下,TPVS)に到達しえるか検討した.超音波画像ではTPVSは比較的明瞭に同定される4)が,CT画像では正確に同定できないため,解剖学的知見5,6)を基に推定される領域を考えた.円周付近にあるTPVSの推定領域をCT図に図示すると,穿刺針の到達範囲と部分的に重なる(図2右).CT撮影とTPVBおよび硬膜外穿刺は体位などさまざまな条件が異なるため推定には至らないが,穿刺針がTPVS内の肋間血管を損傷した可能性があったと考えられた.次に,カテーテルによる損傷の可能性について検討した.カテーテルが肋間隙を経由して胸腔内へ迷入する報告7)はこれまでに散見される.推測されている経路のうち,今回のケースでは胸膜穿破の所見はみられなかったが3 cmの穿刺長で抵抗消失が得られたことから判断して,穿刺針が外側に逸れカテーテルが壁側胸膜に向かう経路が考えやすい.一般的には持続TPVBではカテーテルは1~3 cm挿入されるが6),今回は5 cmまで抵抗なく挿入できたことを考慮すれば,刺入はTPVSよりも肋間腔の方が考えやすく,迷走して肋間血管を損傷した可能性もある.しかしながら比較的柔軟な構造であるカテーテルが血管を損傷するか疑念がある.
胸部硬膜外麻酔にまれに合併する胸腔内の出血性イベントに関する報告8)のうち,血管損傷の原因を穿刺針と推定しているもの9)はあるが,原因をカテーテルのみに推定したものは見当たらない.本症例では,損傷の原因を両者のいずれとも推定され,穿刺針の刺入方向が外側に逸脱していたことが考えられる.
今回,術者は適正な穿刺方向をイメージして穿刺を行ったが,結果的には外側に逸れ不適切な方向へ進行していたと考えられる.肋間血腫のリスクを回避するためのAmagasaら2)の提言を参照して発生要因と予防策について検討した.今回のケースは傍正中法で発生した.胸腔内誤留置の発生も傍正中法がリスクになる7,8)ことを勘案すれば,彼ら2)の提言のとおり正中法は予防策になるかもしれない.彼らは過度に深く穿刺することをリスクにあげたが今回のケースで当てはまるか考察した.彼らは症例(BMI:28)の穿刺長(8 cm)を過度に深いと判断しているが,今回のケース(BMI:19)では比較的浅い穿刺長(3 cm)でも肋間血腫を生じた.深さの基準は体型によって変わると考えるのが妥当で,過度に深いかどうかの判断は一律には難しいと考えられる.CT画像の検討から,やせ体型では浅い穿刺長であっても方向によっては肋間血管に到達する可能性があり注意が必要と思われる.
肥満者の穿刺は適正角度の維持がやせ体型より難しく胸腔内誤留置のリスクになる7).今回のケースでは穿刺方向を適正にするための注意が不十分だったことが考えられる.最初の穿刺角度は適正9)だったが,針先が骨に当たった後に方向を変える操作で外側方向に逸脱したことを見過ごし刺入した可能性がある.
今回のケースでは幸いにも神経症状を認めなかったが,肋間血腫が引き金となり脊髄障害が生じ重篤な転帰に至ることも可能性としてあった2).傍正中法での胸部硬膜外穿刺では,穿刺方向に細心の注意を払う必要がある.
この論文の要旨は,日本ペインクリニック学会第50回大会(2016年7月,横浜)において発表した.