2020 Volume 27 Issue 2 Pages 167-171
症例は47歳,男性.仕事中の事故により左上腕を切断した.切断後7日目より幻肢痛を認めるようになり,NRS(numerical rating scale)は5であった.入院中に,持続腕神経叢ブロックと薬物療法を開始した.ブロック施行中はNRSが2に低下したが,ブロック中止後痛みはもとに戻った.ミルタザピンを15 mg 1日1回投与から開始し,その後1日2回投与に増量した.ミルタザピン内服後約8時間はNRSが3に低下した.他の薬物は内服しても痛みの改善を認めなかった.ミルタザピンは,他の抗うつ薬の作用と異なり,α2アドレナリン受容体を拮抗しノルアドレナリンとセロトニンを遊離するという特異な作用機序をもつ.難治性の幻肢痛に対し,ミルタザピンは効果が期待できる可能性があり,さらなる検証が望まれる.
四肢全体または部分的に失った後に,それら四肢に痛みを感じる疾患を幻肢痛という.幻肢痛の治療は薬物療法,神経ブロック,鏡療法,脊髄刺激療法などが試されているが1,2),治療成績は一定でなくエビデンスは定まっていない.今回,外傷による上肢切断後の幻肢痛に対しミルタザピンが有効であった1例を経験した.
なお,本症例報告の投稿に際して患者本人から書面で同意を得た.
患者は47歳,男性,身長178 cm,体重58 kg.仕事中プレス機に巻き込まれ受傷し,左上腕切断,緊張性気胸のため緊急手術を行った.左上肢の再接着は不可能で,断端形成を行った.受傷後7日目より左上肢の幻肢痛を認め,受傷後12日目に当科紹介となった.
当科初診時,患者は切断前と同じ形状,長さの幻肢を認識していた.幻肢の左上肢はだらりと体にぶらさがっている状態で挙上することはできず,手指はこぶしを握った状態でこわばり動かすことができなかった.常に左手指をギプスで強く締めつけられるような感覚と,左肘から手指に向かってビリビリとした電撃痛があった.幻肢痛のNRS(numerical rating scale)は5であった.この時点では切断部断端にもNRS 5の痛みがあり,アセトアミノフェンとセレコキシブが処方されていたが,幻肢痛には効果がなかった.また,患者は事故当時の状況を想起するフラッシュバック症状と抑うつ状態を認めた.治療方針として,初期は持続腕神経叢ブロックを行い,次の段階として薬物療法へ移行することとした.翌日より持続腕神経叢ブロック(鎖骨上法)を開始した.0.25%レボブピバカインを持続6 ml/hで投与し,PCA(patient controlled analgesia)3 ml,ロックアウト時間30分で設定した.これにより幻肢痛はNRS 5から2に軽減した.
次に,薬物療法としてプレガバリン,ミルタザピン,デュロキセチン,トラマドールを順次開始した(図1).デュロキセチンは,幻肢痛とフラッシュバック症状,抑うつ状態を考慮し,眠前のミルタザピン投与後の翌朝に併用することとした.まず,ミルタザピンを初診18日後の眠前から開始したところ,服用1時間後には鎮痛効果を現し,翌朝6時まで幻肢痛はNRS 0だった(図2a).初診19日後の朝からデュロキセチンを開始した.それ以降は,眠前のミルタザピン服用1時間後から朝6時までNRS 0,日中から夜間までNRS 2となる状態を繰り返した(図2b).
本症例の治療経過
図中の(a)~(d)は図2に対応している.
薬剤投与のタイミングとNRSの24時間推移
黒丸は患者からの聴取および電子カルテから情報収集したNRSである.
(a)初診18~19日後の経過.ミルタザピン15 mg×1回/day(初回投与)+プレガバリン375 mg/day+持続腕神経叢ブロック.
(b)初診19日以降の典型的なパターン.ミルタザピン15 mg×1回/day+デュロキセチン20 mg/day+プレガバリン375 mg/day+持続腕神経叢ブロック.
(c)初診36日後の持続腕神経叢ブロック中止後の典型的なパターン.ミルタザピン30 mg×1回/day+デュロキセチン20 mg/day+プレガバリン450 mg/day+トラマドール75 mg/day.
(d)初診48日以降の典型的なパターン.ミルタザピン15 mg×2回/day+デュロキセチン20 mg/day.
初診23日後,鏡療法を開始した.右手指から肘まで入る大きさの箱の中に鏡を入れ,鏡に右前腕を映し右手指と手関節の運動をさせた.同時に左幻肢が鏡像肢と同様の運動をしているようにイメージさせた.当初,幻肢の左手指は握ったままで動かすことはできなかったが,徐々に手指を開くことができるようになった.しかし,退院日まで鏡療法を継続しても,幻肢のこわばりは続いており自在に動かせるようにはならなかった.鏡療法の施行時には幻肢痛を忘れるほど痛みが和らいだが,非施行時にはもとの強さに戻り,こわばった幻肢ももとの状態に戻った.
初診28日後,ミルタザピンを1回15 mgから30 mgへ増量したが,鎮痛効果は変わらなかった.
初診36日後,持続腕神経叢ブロックを中止したところ幻肢痛はNRS 5に増悪したが,切断部断端の痛みはなかった.ミルタザピン内服後から翌朝6時までの間は,手指を締めつけられる感覚が弱まり幻肢痛はNRS 3に軽減した(図2c).この時点で,プレガバリンとトラマドールは無効であり中止した.ミルタザピン内服を1日1回(眠前30 mg)から1日2回(朝食後および眠前に各15 mg)に変更したところ,内服の約8時間後までNRS 3と軽減し,その後NRS 5へ増悪するという変動を毎日繰り返した(図2d).
初診65日後,自宅退院となった.幻肢が締めつけられる感覚は増減を繰り返すようになったが,幻肢の形状に変化はなかった.
入院期間中は,ミルタザピンとデュロキセチンを内服していてもフラッシュバック症状に変化はなかった.退院後同症状が増悪したため精神科を受診し,post traumatic stress disorder(PTSD)と診断された.デュロキセチンとミルタザピンは幻肢痛とPTSDの治療を兼ねて継続した.
幻肢痛の薬物療法は,ガバペンチン,プレガバリン,モルヒネ,アミトリプチリンなどが報告されているが,有効性について結論は出ていない3).Kuikenらはミルタザピンを幻肢痛の患者4症例に使用し,NRSは50%以下に低下したと報告している4).本邦ではこれまでに幻肢痛患者に対するミルタザピン使用例の報告はない.
ミルタザピンはアドレナリンα2受容体,セロトニン(5-hydroxytryptamine:5-HT)2および5-HT3受容体拮抗作用により,ノルアドレナリン神経のアドレナリンα2自己受容体およびセロトニン神経終末上のアドレナリンα2ヘテロ受容体を拮抗し,ノルアドレナリンとセロトニンの遊離を促進する.5-HT2と5-HT3受容体の拮抗により,5-HT1受容体へのセロトニンの作用を増強する5).
Liuらは神経障害モデルラットの下行性疼痛抑制系における5-HT受容体,なかでも5-HT1A受容体の関与について報告している6).ミルタザピンはおもに5-HT1受容体に作用する5)ため,服用開始後短時間でセロトニン神経を活性化し速やかに作用が発現する.一方,他の抗うつ薬,例えば選択的セロトニン再取り込み阻害薬はセロトニントランスポータに結合することでセロトニン再取り込みを阻害し,その結果シナプス間隙のセロトニン量を増加させるため,実際にセロトニン神経が活性化され効果が生じるためには数週間を要する.本症例においてミルタザピンが速効性であった理由としては,5-HT1A受容体が速やかに活性化し鎮痛効果を発現したためと考える.
ミルタザピンは健常人の単回経口投与で1~2.1時間以内に最高血漿濃度に到達し,血漿濃度時間曲線下面積は用量に比例する7).同薬剤の血中半減期は15 mg単回投与で31.7±8.2時間である.本症例ではミルタザピン投与後8時間程度鎮痛効果を示し,その後は痛みが再燃することを繰り返したため,血中濃度が幻肢痛の緩和に関与すると考えた.仮に鎮痛効果が容量依存性であれば増量により効果時間の延長が期待できると考え,1回15 mgから30 mgに増量したが,鎮痛効果に差はなかった.次に投与回数を1日1回から2回に変更しても1回あたりの効果時間は変わらなかった.Schreiberらは,マウスにミルタザピンを投与し,ある投与量までは容量依存性に抗侵害受容効果を認めたが,高用量では効果が減弱したと報告している8).本症例でミルタザピンを増量しても鎮痛効果時間が延長しなかったことは,15 mgで最大効果に達していたため30 mgに増量後も効果が変わらなかった可能性がある.本症例において,なぜミルタザピン投与後から8時間だけ鎮痛効果が得られたかについては現時点で不明であり,ミルタザピンの鎮痛効果に対する今後の検討が必要と考えられる.
デュロキセチンは,セロトニンとノルアドレナリンの再取り込み阻害作用により下行性疼痛抑制系を賦活化すると考えられている9).ミルタザピンとデュロキセチンの併用は精神科領域では抗うつ作用の増強を期待し用いられている10).本症例ではこれらの併用により作用を増強させた可能性はあるが,ミルタザピン・デュロキセチンの併用前後で鎮痛効果に差はなく,デュロキセチンが本症例の幻肢痛に有効だったのか明らかではない.本症例の場合,フラッシュバック症状のため両薬剤を継続したが,セロトニン症候群のリスクもあり,処方の際は注意深い観察を要する.
今回,上肢の幻肢痛に対しミルタザピンが有効であった症例を経験した.ミルタザピンは,その特異な作用機序により,難治性の幻肢痛に対し効果が期待できると考えられる.
この論文の要旨は,東海・北陸ペインクリニック学会第25回北陸地方会(2018年3月,石川)において発表した.