2021 Volume 28 Issue 3 Pages 31-34
乳房切除後疼痛症候群(postmastectomy pain syndrome:PMPS)は,乳がん手術後に乳房,腋窩,上腕内側に痛みや痺れが遷延する病態であり,その主たる原因は神経障害性痛とされている.PMPSの治療は,神経障害性痛に対する治療としての薬物物理療法が主体となる1).今回,不安や術後のPMPSに対し,ペインクリニックにおける加療によって症状が改善した2症例を経験したので報告する.
PMPSの発生率は,腋窩郭清後の乳がん術後2年以内では30%2),海外での報告は6カ月後で52%や9年経過後でも48%との報告もあり,まれな病態ではない3,4).主たる原因は,肋間上腕神経の切断・損傷による神経障害性痛と考えられている5).乳がんの病期やサブタイプにより,術後にも化学療法や放射線治療などが付加されることや,内分泌療法による体調変化,再発への不安など多因子が関与することが痛みの病態を複雑にしている.今回,ペインクリニックでの加療によりPMPSが軽快した2症例を経験したので報告する.なお,本報告は,患者から口頭で発表の承諾を受け,なおかつ当院生命倫理審査委員会にて承認(受付番号20–21)を得ている.
症例1:40代女性,身長159 cm,体重51 kg,職業は事務職で,家族構成は夫と未就学女児であった.
X年,Stage IIBの左乳がんの診断で当院を紹介受診され,紹介翌月に手術となった.告知後は不眠となり,エチゾラム0.5 mgを前医より処方されていた.予定手術は乳腺全摘,センチネルリンパ節生検,ティシュ・エキスパンダー挿入であったが,術中にリンパ節転移が認められたため,レベル2の腋窩リンパ節郭清が追加となった.肋間上腕神経は1本が温存可能であった.術直後の創部痛は,アセトアミノフェン1回400 mgの屯用内服で自制範囲内であったが,数日後より後頭部から項部の痛みが生じた.また,今後の仕事や家庭のことでの不安の訴えがあり,精神科を受診し,適応障害の診断で,エスシタログラム5 mgの処方を受け退院となった.術後は,化学療法(TC療法:ドセタキセル,シクロフォスファミド)と内分泌療法(タモキシフェン)が予定された.退院後の外来通院中も項部痛が持続するため,神経内科や総合内科を受診したが,筋緊張性頭痛の診断であった.術後1カ月での化学療法開始後も,上腕浮腫はないが痛みによる左肩関節の可動域制限(自動で屈曲85度,外転75度)のため,リハビリテーションが開始され,4回の受診で屈曲140度,外転150度まで改善し終了となった.3カ月間の化学療法終了後,内分泌療法が開始され,術後半年経過後のシリコン挿入術後も腋窩から上腕内側の痛みは継続していた.不眠・抑うつ傾向は持続し,精神科からトラゾドン25 mg,エスシタロプラム5 mg,ミルタザピン15 mg,デュロキセチン20 mgなどが処方されたがいずれも目まいや嘔気の副作用のため継続困難であった.最初の手術から1年7カ月後,当科初診となった.精神科からは,ロフラゼプ酸1 mg,トラゾドン25 mg,エスゾピクロン2 mgが処方され,乳腺主治医からはロキソプロフェン60 mgの屯用が処方されていた.初診時所見として,左上腕内側から左側胸部,腋窩にかけての広汎な知覚鈍麻およびアロディニアを認め,ヒリヒリとした自発痛があり,numerical rating scale(NRS)8/10であった.初診時に項部痛の訴えはなかった.また左肩にも自発痛があり,左肩関節可動域は,自動で屈曲90度,外転80度であり,他動運動により痛みは増悪した.手術所見や術後経過および臨床症状から,痛みの原因としては,肋間上腕神経の神経障害性疼痛が主原因と考えられた.さらに,再発の可能性や家庭内の不和による不安感が強く,痛みの増悪因子と思われた.時間をかけて支持的に傾聴し,診察終了間際には笑顔もみられた.デュロキセチンの投与歴があることから,神経障害性痛治療薬としての第一選択薬のプレガバリン25 mgを開始した.眠気の状態を確認しつつ1週間後に50 mgへ増量し,2週間後の診察ではNRS 4/10と低下し,表情も明るくなり,著効と判断された.初診から1年経過した時点で,痛みは残存しているもののプレガバリンの使用量は25~50 mg程度で経過しており,肩関節可動域も日常生活に支障のない程度に改善した.精神科ではカウンセリングのみで内服薬は終了となり,仕事にも復帰している.
症例2:40代女性,身長160 cm,体重85 kg,無職で,家族構成は夫(うつ病で当時休職中),併存症として糖尿病・高血圧症があった.20代のころより仕事のストレスもあり,抗不安薬(薬剤名不明)の内服歴があった.
X年,Stage IIB右乳がんの診断で紹介受診され,手術予定となった.告知後は不眠・不安が増強し,前医よりブロチゾラム0.5 mgとエチゾラム1 mgを処方されていた.精査で肝転移疑いとなり術前化学療法(TC療法)を施行した.化学療法中に精神科を受診し,抑うつ状態,適応障害の診断でセルトラリン25 mgが開始された.手術は,右乳頭温存乳房部分切除およびレベル2の腋窩リンパ節郭清術であり,肋間上腕神経は2本切断となった.術翌日にはリハビリテーションの指導が行われ,右肩の痛みがあったが,アセトアミノフェン1回400 mgの屯用内服で軽快し退院した.手術所見より再発の可能性が高いため,手術1カ月後より胸壁および鎖骨上部への放射線治療50 Gy,化学療法(カペシタビン)・内分泌療法(タモキシフェン)の開始となった.照射終了後に右上肢の浮腫が出現し,同時に肩関節の運動制限,右胸部から肩の痛みなどの訴えが放射線科医になされ,トラマドール25 mg頓用の処方を受けリハビリテーションが開始された.この際の右肩関節可動域は,自動運動で屈曲90度,外転60度,外旋20度であった.リハビリテーションにて痛みの程度や可動域は改善傾向にあったが,新たに全身の筋肉痛や関節痛の訴えも生じ,乳腺外科医から処方のトラマドール200 mgでも症状が持続するため,手術から約8カ月後に当科紹介となった.この時,精神科で全般性不安障害と診断され,アリピプラゾール3 mg,エスシタロプラム20 mg,ブロチゾラム0.5 mgを内服中であった.当科の初診時,右上肢全体の浮腫があり,右側胸部の創部から肩・腋窩にかけての知覚鈍麻および自発痛があった.右肩関節は,リハビリテーションの初診時と同程度の拘縮があり,他に両膝の関節痛・左肩関節痛や,上下肢の痛みが常にあり,「朝は指がこわばる」との訴えがあった.痛みの訴えの範囲も広汎であり移動することから,他疾患の除外診断が必要と考えた.内科受診で膠原病は否定され,整形外科では両側肩関節周囲炎・変形性膝関節症と診断された.最終的に,精神疾患や内分泌療法が修飾因子となっている可能性はあるものの,経過や疼痛部位からPMPSと診断した.治療として,支持的対応を行いながらトラマドールを300 mgまで増量したが効果不十分であったため,初診から3カ月後にプレガバリン50 mgを追加のうえ,慢性痛ではあったが肩関節の拘縮の改善を目的としてブロック療法を併用することとした.この時期には上肢浮腫は改善していた.ブロックは1~2週間に一度の頻度で,肩甲上神経ブロックおよびトリガーポイント注射を併用しつつ,患者の痛みや再発に対する不安を傾聴した.ブロック前後および経時的な可動域の変化を患者に伝え,効果の実感につなげた.痛みはあるが,治療により生活がしやすくなったかに着目するよう,アドバイスを行った.ブロック継続により自発痛の軽減,および関節可動域が自動運動で屈曲120度,外転80度まで軽快したため,ブロック期間は約3カ月半,回数は16回で終了とした.経過中にプレガバリンは150 mgまで増量後,ミロガバリン20 mgに切り替え,トラマドールは漸減し初診1年後には終了となった.現在,術後1年10カ月経過し,神経ブロックは必要とせず,精神科からの投薬と内分泌療法を継続している.左肩関節周囲炎ついては,セレコキシブ200 mgとミロガバリン20 mgの内服と物理療法のみで対応している.
PMPSは,乳がん手術による肋間上腕神経障害が主因とされ1),神経障害性痛の要素が強い.さらに,再発予防のための術後放射線照射による同領域の末梢神経障害の可能性や,抗がん剤による末梢神経障害もPMPS発症の一因となっている.3カ月以上の遷延痛の発症率は,手術を受けた患者の10~20%であり,術後10年経過しても痛みが残存するといわれている3).乳がんは,2018年の統計では年間罹患数は9万人を超えており,累積罹患リスクは10.6%で9人に1人が罹患するとされる6).その罹患率の高さから考慮すると,遷延痛は相当の発生数が推定されるにもかかわらず,乳腺外科医に認識される割合がいまだ低いのが実情である7).症例1も痛みの遷延化があったにもかかわらず,ロキソプロフェンの処方が漫然と行われていた経過がうかがわれ,啓発が必要と思われた.
腋窩リンパ節郭清に関しては,2症例ともレベル2郭清であり,この郭清レベルは,小胸筋背側のリンパ節を郭清するため,その周囲組織中に存在する肋間上腕神経を,根治に必要な術操作により切断せざるを得ない場合がある.症例1は,術中に1本の肋間上腕神経の切断を行っており,症状・経過からは同神経領域の神経障害性疼痛と診断された.症例2も術中に2本の肋間上腕神経の切断を行っており,さらに術前術後の化学療法や術後の放射線照射による皮膚炎や浮腫が生じたことも,PMPSの増悪因子となった可能性がある8,9).
また,2症例とも手術後の内分泌療法を行っていたが,抗エストロゲン薬は副作用として,更年期のような症状の出現,子宮病変の可能性などが主なものとされ,この内服が筋肉痛や関節痛の訴えの原因ともなりうる.ホルモン感受性のがんは,病期によっては10年ほどの内分泌療法を必要とし,さらに長期間の経過観察を必要とする7).このような内分泌療法による生体内ホルモン環境の変化や,今後の再発への不安,女性のシンボルでもある乳房の整容性の問題など多彩な要因がこの症候群の修飾因子となっている可能性がある.
症例1では,初診時,手術から1年7カ月経過しており慢性痛に移行していたが,少量のプレガバリン25 mgの投与から慎重に開始した結果,有害事象なく増量が可能であった.さらに,初診時に経過・症状からPMPSと診断し,同時に患者の訴えを支持的に傾聴し,心的負担を軽減できたことも効果を認めた一因であると考えられた.症例2では,抗精神病薬を内服中であったことと,プレガバリンによる体重増加の懸念があったため,すでに内服中であったオピオイド鎮痛薬の増量から開始した.しかしながら極量でも効果の実感に乏しかったため,内服治療に,ブロック療法と認知行動的な診療を組み合わせることによって,症状が軽快した.薬物治療の有効性が十分でないときに,ペインクリニック的加療の有効性が発揮されたと思われる.また,本症例は2例とも,40代と比較的若齢であり,診断・告知後に精神不安定が生じ,手術前より睡眠導入剤や抗不安薬の内服をしていた.がん告知後に適応障害レベルと診断される患者の割合は,20%程度は存在するといわれている10).精神科受診は,社会的スティグマがまだ存在するなかで11),2症例とも乳がん看護認定看護師の勧めで,比較的早い段階から精神科受診を行っている.治療経過のなかで気持ちの辛さの緩和には有意義であったと思われるが,PMPSの身体症状に苦しんでいた.当科受診により,PMPSの診断・加療により症状緩和が得られたことは意義があったが,受診までに時間を要した.これは,各診療科が連携不足の状態で診療を行っていた結果とも思われ,今後の診療体制への反省点となった.
乳がんは,検診の普及により早期発見例が増加し,完治・長期生存が期待できるようになった.部位別10年相対生存率は79.3%と高く,「共存して生きる」がん種となった結果6),PMPS患者も相当数存在すると推定される.近年,慢性痛は身体的・社会心理的問題が複雑に交錯しており,診療科の垣根を越え,多職種が関わるべき領域と認識されつつあり,今後も広く啓発していくことが必要である.本症例を通じて,PMPSは慢性疼痛としての位置づけで単科だけの対応ではなく,近年導入され始めている学際的アプローチが最も必要とされる分野の一つと思われた.
この論文の要旨は,日本ペインクリニック学会第54回大会(2020年11月,Web開催)において発表した.