2022 Volume 29 Issue 7 Pages 165-168
患者は,70歳代男性で,胸部食道がんに対しロボット支援下食道亜全摘術が施行され,集中治療室(intensive care unit:ICU)入室した.患者は,ICU滞在中に2回の消化管穿孔を発症し,緊急手術を受け,腹部正中創を開放したままの状態で連日腹腔内洗浄が実施された.第20病日,集中治療後症候群やICU関連筋力低下の予防のためにリハビリテーション強化が計画されたが,疼痛のため全く進まないため脊柱起立筋膜面ブロックを施行された.単回ブロックで痛みの数値的評価スケールは8から1へと著効し,リハビリテーションは足踏みまで可能となった.
A man in his 70s underwent robot-assisted subtotal esophagectomy for thoracic esophageal cancer and was transferred to the intensive care unit (ICU). He developed two gastrointestinal perforations during his stay in the ICU and underwent emergency surgery and daily intraperitoneal lavage with the abdominal midline wound open. On day 20 of the illness, enhanced rehabilitation was planned to prevent Post Intensive Care Syndrome and ICU-acquired weakness. However, this was not possible because of severe patient pain. An erector spinae plane block was administered; a single dose was remarkably effective, with improvement from 8 to 1 on the numerical rating scale for pain. Rehabilitation became possible, and the patient could walk in place. Regional anesthesia maybe necessary to enhance the analgesia in the ICU.
近年,集中治療における集中治療後症候群(post intensive care syndrome:PICS)やICU関連筋力低下(ICU-acquired weakness:ICU-AW)が重要視されており,リハビリテーションが果たす役割は大きい1).しかし,強い疼痛は体動を制限し,リハビリテーションの促進を妨げることで予後に影響する1).今回,ICUにおける重症術後患者の早期リハビリテーション介入に脊柱起立筋膜面ブロック(erector spinae plane block:ESPB)が有効であった1例を経験したので報告する.
また,症例報告に関して,患者とその家族から書面による承諾を得ている.
70歳代男性,身長160 cm,体重55 kg,BMI 21.
既往歴:特記事項なし.
現病歴:胸部食道がんに対し全身麻酔下にてロボット支援下食道亜全摘術が施行された.麻酔維持はデスフルラン,レミフェンタニルとフェンタニルで行い,特に問題なく手術終了となった.麻酔時間14時間,術中水分バランス+2,600 ml,術後鎮痛はフェンタニル50 µg/hで持続静脈内投与を行った.鎮静気管挿管下でICU入室となった.
ICU入室後経過を図1に示す.ICU入室後の経過は順調で第2病日には抜管し,人工呼吸器から離脱した.しかし,第5病日に39度台の発熱,頻脈を伴う腹痛が出現し,腹部ドレーンから混濁した排液を認めたため,消化管穿孔疑いで同日に緊急手術となった.腹腔鏡での観察で汚染が強かったため開腹に移行した.胃管再建部に穿孔を認め,大網充填術が施行された.しかし,術後も発熱,頻脈が持続し,第13病日に撮影した造影CTで腹腔内膿瘍を認めたため,再度開腹手術を行った.今度は十二指腸球部前壁に穿孔が確認され,修復術が施行された.腹腔内の汚染程度が高度であったため,腹部正中創を開放したままの状態で連日腹腔内洗浄を行うこととなった.また,各種培養(血液,腹水,創部)からはメチシリン耐性黄色ブドウ球菌が検出されたため,抗菌薬はメロペネムとバンコマイシンを投与した.
ICU入室後経過
人工呼吸器離脱とともにPICSやICU-AWの予防のためにリハビリテーション強化が計画されたが,疼痛によりリハビリテーションが進まなかった.腹部は開放創の状態で各種ドレーンが留置されており(図2),フルルビプロフェン50 mgやアセトアミノフェン1,000 mg静脈内投与,フェンタニル持続静脈内投与では疼痛コントロール不良であった.薬物治療が無効であり,区域麻酔を考慮したが,2度の穿孔の影響で敗血症や凝固障害(PT-INR 1.43)を起こしており,硬膜外ブロックや傍脊椎ブロック(paravertebral block:PVB)は感染や出血を考慮して除外された.腹壁の神経ブロックである腹直筋鞘ブロックや腹横筋膜面ブロックは,開放創や留置されたドレーンにより施行不能であった.そのため,広範囲に効果が期待され,凝固の問題も比較的少ないESPBを選択した.左側臥位とし超音波ガイド下にTh8,10レベルで両側計4カ所に0.25%ロピバカインをそれぞれ15 ml(計60 ml)注入した.感染状態であったためチュービングはしなかった.痛みの数値的評価スケール(numerical rating scale:NRS)は8から1へと低下し,出血や麻痺といった明らかな合併症は認めなかった.ESPBの鎮痛効果は翌日以降も持続し,薬物治療で疼痛コントロールできるようになったため,ESPBは単回しか行わなかった.疼痛が軽減したことで活動意欲が生まれ,離床・歩行を目的としたリハビリテーション強化が開始となった.神経筋電気刺激の継続,ベッド上でできる下肢エルゴメーターを用いた筋力増強を行い,徐々に坐位,立位へとリハビリテーションを促進することが可能となった.また,四肢の筋(上腕二頭筋,腸腰筋)の平均神経筋評価(medical research council:MRC)スコアは3点から4.5点へ回復していった.フェンタニル持続静注は減量可能となりICU退室時には中止できた.
3回の手術後の腹壁の様子
ICU退室後は高度治療室(high care unit:HCU)に移動し,腹腔内洗浄とリハビリテーションを継続して行った.リハビリテーションは徐々に強化されていき,短距離ではあるが歩行も可能となっていった.4カ月間程の治療で腹部の感染コントロールがついたため,HCUから一般病棟に移動となり,術9カ月後に退院した.
PICSとは,ICU在室中または退室後,さらには退院後に生じる身体機能・認知機能・精神機能の障害で,ICU患者の長期予後のみならず患者家族の精神にも影響を及ぼす2).身体機能障害として,呼吸機能障害,神経筋障害,全般的運動機能障害があり,特に重症疾患の罹患後に左右非対称の四肢のびまん性筋力低下を呈する症候群をICU-AWと呼び,PICSの運動機能障害の中で最も重要なカテゴリーとして注目されている.ICU-AW発症によりICU滞在日数,在院日数が増加し3,4),さらには死亡率が上昇すると報告されている5,6).PICSおよびICU-AW発症の予防策として,ICU入室時から開始する早期リハビリテーションの有効性が示されており7),日本集中治療医学会から発表されたエキスパートコンセンサス1)に準じた早期からの介入が推奨されている.早期リハビリテーションの介入を障害する因子は多くあるが,その中でコントロール不良な疼痛が挙げられている1).
本症例では3度にわたる手術の影響で長期臥床となり,四肢の筋(上腕二頭筋,腸腰筋)の平均MRCスコア3点と筋力低下をきたしていた.オピオイドを含む多種類の鎮痛剤を用いてもコントロール不良な腹部開放創,腹腔内持続洗浄による疼痛が早期リハビリテーションの遅れとなり,さらなる筋力低下やICU-AWを招く恐れがあったため,疼痛コントロール目的で区域麻酔を立案し,ESPBを行った.
ESPBは近年報告された手技で,頚部から腹部までの傍脊椎レベルで行う神経ブロックである8).椎骨後面で横突起と脊柱起立筋の間に局所麻酔薬を注入することで薬液が傍脊椎腔まで拡がり,PVBと同様な効果が得られるという報告がある9,10).ESPBは新しい神経ブロックであり,“抗血栓療法中の区域麻酔・神経ブロックガイドライン”11)に記載がない.しかし,比較的浅い体表面を穿刺し,脊椎横突起を目標とするブロックであり,簡便で安全に施行できるとの報告がある12).また,抗血小板薬2剤併用療法中の患者や血小板低下,凝固異常の患者にESPBを行い,合併症なく施行できたという報告もある13,14).ICUにおいて,敗血症や心臓血管関連疾患,移植後など,凝固異常を呈している場合や抗凝固薬・抗血小板薬の使用が多いため,硬膜外ブロックや深部末梢神経ブロックが禁忌になる状況では,ESPBは施行可能なブロックであると考えられる.本症例より,ESPBは抗凝固・抗血栓療法中で硬膜外ブロックや深部末梢神経ブロックが禁忌である状況下でも,体幹の疼痛コントロールに有用であると考えられた.
一方,オピオイド主体の鎮痛管理は呼吸抑制や嘔気といった副作用により,早期離床困難を生じさせる.術後回復能力強化プログラムでは鎮痛方法に区域麻酔を含めたmultimodal analgesiaを推奨しており,オピオイドを減量でき,副作用を減らせるといわれている15).ICUでの鎮痛管理に区域麻酔を用いることで,オピオイドを減量でき,早期離床を促し,患者回復促進につながる可能性がある.
腹部開放創やドレーン刺入部の疼痛で早期リハビリテーション介入困難であった患者の鎮痛管理にESPBを施行し,リハビリテーションを促進することができた症例を経験した.
本論文の要旨は,日本区域麻酔学会第7回学術集会(2020年8月,Web開催)において発表した.