2021 Volume 32 Issue 5 Pages 582-593
妊産婦の死因や健康障害の主要原因である血栓塞栓症と大出血に対して,その病態,診断,治療,とくに臨床現場で行う予防的管理や発症に備えた体制について解説した.血栓塞栓症に対しては,一般的な基本的予防管理のほか,先天性,後天性トロンボフィリアをはじめとする高リスク症例に対する,妊娠中および産褥期における積極的な抗凝固療法の使用についての現在の考え方を産婦人科ガイドラインに沿って示し,発症時の治療については,深部静脈血栓症の初期対応,肺血栓塞栓症に対しては診断の手順も含めて解説した.大出血に対しては,危機的出血,産科DICの考え方,特に希釈性凝固障害と消費性凝固障害,および産科DICスコアについて解説し,妊産婦救命のための準備やシステムについて,自己血貯血,輸血治療や母体搬送システムの現状について言及した.
2016年以後わが国では出生数は100万人を下回り,妊産婦死亡数は30名前後(妊産婦死亡率3.3~3.4/10万出産)を推移している.1970年代初頭の第二次ベビーブームと比較して,出生数が1/2以下になる一方で,妊産婦死亡数は1/20以下へと激減していることになる1).妊産婦死亡の要因は,その分類名称が時代の流れの中で改正されてきたため正確な比較はできないが,今も昔も主要死因には,分娩前後の大出血や産科的塞栓症が挙げられる1).後者については,羊水塞栓症と肺血栓塞栓症が含まれ,日本人には少ないと考えられていた静脈血栓塞栓症は1990年以降から大きく注目されてきた.昨今はその予防,診断,治療や管理法の進歩とともに,救命される頻度も増加したが,妊産婦の生命を脅かす要因として,血栓症と大出血はこれからも気を緩めることのできない大きな課題である.本稿では,妊産婦の血栓症と大出血に関する病態の理解,臨床現場で行う管理に対して,産婦人科のガイドラインも含めて解説する.
静脈血栓塞栓症(venous thromboembolism: VTE)の成因として知られるVirchowの三要因(血液性状の変化,血流のうっ滞,血管障害)を生理的背景に持つ妊娠は,何らかの病態を合併するとVTEに対するより高リスクの状況が形成される2).小林らによる本邦における産科領域の血栓塞栓症の2回にわたる全国調査3, 4)では,妊娠中のdeep venous thrombosis(DVT)の発症時期は妊娠初期10~14週(妊娠悪阻による脱水や安静の時期)と妊娠後半期25~34週(妊娠高血圧症候群,胎盤異常,切迫早産などの血管障害や要安静時期)に2峯性のピークを示し,また,肺血栓塞栓症(pulmonary thromboembolism: PTE)は帝王切開後の産褥期に多く認められ,併せて,日本における妊産褥婦のVTEの発症頻度はおおよそ0.05~0.08%と報告されている.一方,トロンボフィリア(血栓性素因)を有する場合は,発症頻度が高くなることから,妊娠中から産褥期における血栓症の積極的な予防管理は特に重要である.これらのことから,VTEのリスクに対応する標準的な予防対策をとれるように,産科におけるVTEリスクの階層化と予防法がガイドラインに示されている(表1)5).ここでは特に,血栓症の高リスク症例の考え方,これらの症例に対する予防的治療と発症後の治療・管理を実臨床に即して述べる.
文献5)日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会編:産婦人科診療 ガイドライン産科編2020 P8 CQ004-1 Answer, P9 表1より転載
血栓症のリスク因子は,永続的な因子と一時的な因子に分けられる2).永続的な因子の代表は,先天性および後天性トロンボフィリア,血栓症既往,第一度近親者におけるトロンボフィリアと血栓症既往歴等である.一方,一時的な因子としては,長期安静,不動,脱水,妊娠高血圧腎症,高度肥満,妊娠中及び分娩時手術などが挙げられる.
本邦における先天性トロンボフィリアは,先天性アンチトロンビン(antithrombin: AT),プロテインC(protein C: PC),プロテインS(protein S: PS)欠乏症6)が,後天性トロンボフィリアとしては抗リン脂質抗体(antiphospholipid antibody: APA)陽性が確定されている2).しかし,トロンボフィリアは,本人の血栓症発症時の検査以外は,妊娠高血圧症候群,高度の胎児発育不全,および反復流死産における検査の流れの中や家族の血栓症発症などで偶発的に発見されるもので,妊娠時には不明なことが多い.
2)VTE発症予防および早期発見のための基本的管理5) (1)妊娠中下肢痛と下肢腫脹に注意する.妊婦健診時に,DVTを意識して症状,所見をチェックし,かつ発症を予防するための生活指導を行う.すなわち,下肢痛,下肢腫脹とその左右差の有無,安静・脱水の状況のチェック,および下肢の血流うっ滞を防止するための適切な下肢を中心とした屈伸運動や弾性ストッキング着用の奨励,長時間の不動姿勢をとらないなどの指導である.
DVTによる下肢痛は,妊娠中は圧倒的に左側が多いことなどから左右差を問診し,初期にはこむら返り様の下肢の軽度の痛みのことが多いため,痛みがあれば腓腹筋を把握して圧痛の有無をチェックする.問診やこれらの所見とともに,DVTの既往やトロンボフィリアが判明していれば,下肢の超音波検査やFDP D-dimerの測定を適宜行う.FDP D-dimerは血栓症の有無にかかわらず,しばしば妊娠中は1~3 μg/mL程度まで上昇することにも留意して評価する.
(2)分娩後早期離床を奨励する.
経腟分娩後であっても長時間の安静を余儀なくされる場合,例として,大量出血や産道損傷が大きく,子宮内バルーンタンポナーデや子宮内/腟内の長ガーゼ充填止血による安静,重症妊娠高血圧症候群などの安静では,歩行開始まで下肢の間欠的空気圧迫法(intermittent pneumatic compression: IPC)を考慮する.
帝王切開では,術中から弾性ストッキングの着用,IPCの装着,または両者の併用を行い,少なくとも翌日の歩行開始までは継続する.
3)予防的抗凝固療法表16)は,VTEのリスク因子により高,中間,低リスク妊娠に分類して,妊娠中の抗凝固療法の推奨度を示している.
基本的に妊娠中の予防的抗凝固療法は,未分画ヘパリンのみを用い,通常ヘパリンカルシウム5,000単位 1日2回12時間ごとの皮下注射を行う.先天性あるいは後天性トロンボフィリアを有する場合は,在宅自己注射も保険が適用される.ただし,ヘパリン使用時は最大の合併症であるヘパリン起因性血小板減少症(heparin-induced thrombocytopenia: HIT)には注意を要する7).なお,現在のところ低分子量ヘパリン(エノキサパリン)および選択的活性化第X因子阻害剤(フォンダパリヌクス)は手術後のみに予防的投与の保険適用がある.経口抗凝固薬は胎盤通過性による胎児への出血傾向および催奇形性などから妊娠中は使用しない.
一般的に,分娩後は妊娠中よりも血栓症予防に注意が必要である.特に帝王切開後は,表1の中間リスク妊娠の場合は十分歩行できるまで,低用量ヘパリン,ないしは低分子量ヘパリン(エノキサパリン2,000単位1日2回12時間ごと)の皮下注射を行う.帝王切開後で反復VTEの既往があるなど,極めて高リスクの症例では積極的により十分量の抗凝固療法として未分画ヘパリン(ヘパリンナトリウム)の点滴投与を,APTTの延長をモニターしながら治療用量で行い,2~3日目より経口抗凝固療法(ワルファリン3~5 mg/日)を開始して数日間ヘパリンと併用してから,ワルファリン単独治療へ変更して4~6週間継続する(表2の産褥期予防的抗凝固療法参照).ワルファリン以外の直接作用型経口抗凝固薬(direct oral anticoagulant: DOAC)は授乳中の投与は推奨されていない.
文献8)ACOG Practice Bulletin Inherited Thrombophilias in Pregnancy. Obstetrics & Gynecology, 122 2013を改変して作成
一方,トロンボフィリアが判明している妊産婦に対しても,血栓症の既往の有無,家族歴の有無により,妊娠中,産褥時の血栓症に対する予防的管理は異なり,無症候性のトロンボフィリアのみのリスク因子,特にPC欠乏症,PS欠乏症では,しばしば妊娠中は慎重な管理をしつつも抗凝固療法を行わない.表2に米国産婦人科学会(ACOG)のPractice Bulletinより改変した「先天性トロンボフィリア合併妊娠における推奨される血栓症の予防的治療」を示した8, 9).
AT欠乏症では,PCおよびPS欠乏症に比較して,血栓症発症リスクが高いために,妊娠中も原則的に抗凝固療法を行うが,ヘパリンはATのcofactorであるため,AT欠乏症に対してはヘパリン単独投与では抗凝固作用を発揮しにくい.「遺伝性血栓性素因患者の妊娠分娩管理に関する診療の手引きQ&A」6)では,妊娠中は,できればAT活性値70%以上を維持し,分娩時は80%以上を維持しながらヘパリン治療を行うことが望ましいとされる.一方,著者らは,AT活性値を妊娠中は50%以上を維持してヘパリン治療を行い,分娩時は90%以上を維持するようにしている.なお,抗原量は保たれ,ヘパリン結合部位(Heparin binding site: HBS)の障害はあるもののトロンビンの結合部位は障害されていないとされるType II-HBS AT欠乏症で血栓症の既往がない症例に対して,妊娠中のAT活性50%以上を維持して分娩周辺期のみAT製剤を補充し,ヘパリンを全く使用しないで血栓症発症なく経過した妊娠分娩症例も経験している10).未だ世界的にも,一定のコンセンサスは得られてはいないが,妊娠期に積極的な予防的抗凝固療法を行う場合も,行わない場合も,本人と家族への十分な説明を行い,VTEに対する予防,指導,慎重な経過観察を行うことが必要である.
後天性トロンボフィリアであるAPAが陽性の場合,血栓症の既往がなく,不育症のために低用量アスピリン(Low-dose aspirin: LDA)療法としてアスピリン1錠(81~100 mg)/日の経口投与,ないしはこれに低用量ヘパリン治療を妊娠中も併用継続している場合がある.LDAは28~36週ごろに中止とし,ヘパリンを継続している場合は,陣痛開始時中止,分娩後6時間ごろを目安に,低用量ヘパリン皮下注射を再開し,ワルファリンへ切り替えて3~4週間服用することを奨励する.その間も,注意深い血栓症発症の観察は必要である.帝王切開術後であれば,未分画ヘパリン,ないしは低分子量ヘパリンの予防的抗凝固療法を数日行い,先天性トロンボフィリアと同様に,産褥4~6週間まで抗凝固療法を行う.
特に,血栓症の予防的管理の実施に対しては,弾性ストッキング,IPCから積極的抗凝固療法まで,分娩取り扱い施設でも異なり,さらに先天性トロンボフィリアの患者に対する予防的抗凝固療法にも種類やタイプ分類や既往歴なども加味して種々の考え方があり,症例ごとの個別の検討も必要である.
4)VTE発症時の初期対応とその後の管理表3にDVT発症時の初期対応とその後の管理を,図1にPTE発症時の診断の手順,表4にPTEの治療・管理を示した2, 9).
1.DVTの診断 症状(下肢痛,下肢腫脹等),画像診断(下肢静脈エコー) DVTの診断後は,胸部症状の有無にかかわらず,PTEの存在をチェック (SpO2 ↓,PaO2 ↓,PaCO2 ↓ などを参考) |
2.リスク因子の評価(トロンボフィリアの検査を含む) |
3.安静,ヘパリン治療 ①治療用量の未分画ヘパリン投与 (ヘパリンNa 5,000単位iv後,ヘパリンDIV(18単位/kg/hr)開始し,6時間後のAPTTを1.5~2.5倍に延長させる) ②静脈再疎通確認後より低用量未分画ヘパリンへ切り替え(ヘパリンCa 5,000単位is ×2/日) |
4.手術直前であれば,一時的下大静脈フィルター挿入を考慮 |
5.手術操作後は,術後の出血傾向,血腫形成に注意 |
6.分娩周辺期は陣痛開始時ヘパリンoff,分娩後6時間でのヘパリン再開を原則,十分なヘパリン治療後,ヘパリンとワルファリンの併用期間を設けたのち,ワルファリン単独投与(PT INR 1.5~2.5倍の用量)として,3~6ヵ月間使用,母乳は可 |
1.酸素投与,血管確保 |
2.高用量(治療用量)ヘパリン投与(*出血傾向に注意) |
3.ドパミン(DOA)使用(*血圧低下,乏尿時) |
4.意識低下の場合,麻酔科医,心臓血管専門医へ連絡 場合により,経皮的心肺補助(PCPS)の使用(ICU管理) |
5.画像診断で肺動脈主幹部あるいは広範囲の閉塞 →血栓溶解剤を考慮(*出血傾向に注意) |
6.外科療法(肺動脈血栓吸引術,血栓除去術) |
7.再塞栓の予防:骨盤内または下肢の血栓の検索 |
8.妊娠中発症→予定帝王切開時は分娩前に一時的下大静脈フィルター挿入を考慮 |
妊娠中のDVTの診断は症状等からまずは本症を疑うことが大切で,下肢の静脈エコー検査で確定診断する.さらに胸部症状がない場合でもPTEの可能性を考え,パルスオキシメーターで,酸素飽和度の低下,あるいは動脈血PaCO2の低下や心電図での急性右心負荷所見がないか検査を行い,PTEの発症を念頭に置いた管理が必要である.図1に示したように急性PTE発症の際には,確定診断としては,造影CT,経食道心エコー検査,胸部MRアンギオ,肺動脈造影を用いる.心筋梗塞との鑑別を含めて,心電図検査,心エコー検査は重要である.なお,重症PTEが疑われる時は確定診断を待たずにヘパリン投与を開始する.意識低下のある場合,麻酔科医,心臓血管専門医,救命救急医へ連絡を行い,救命のために,緊急的に,経皮的心肺補助(Percutaneous Cardio Pulmonary Support: PCPS)を行わなければならない時もある.
なお,血栓症を発症した際には,前述した先天性,後天性トロンボフィリアの検査を行うが,血中レベルに影響を与える抗凝固療法を開始する前の採血で測定する.また,妊娠の影響で低下する因子もあるため,妊娠が終了し,抗凝固療法終了後にも再度測定して確認することは必要である.
VTE治療のための抗凝固療法の詳細については,他項に譲る.
通常の経腟分娩では,胎児娩出後に胎盤の剝離と娩出がおこる.胎盤娩出後の後陣痛(子宮収縮)に伴い,子宮の胎盤剝離面の面積の縮小が起こることで,生理的止血が完了する.この生理的止血の障害,あるいは胎児由来の成分の母体血への流入によって引き起こされる特殊な血液凝固障害,出血傾向を伴う血液疾患を合併していれば,大出血のリスクを持つ.
1)産科危機的出血・DICの病態11)産科大量出血は極めて短時間に急性のDIC(播種性血管内凝固症候群)を生じうる.一方,産科DICの原因は大きく2つに分けられる.1つは大出血にともなう失血性(希釈性)凝固障害であり,もう1つは羊水・胎盤などの成分が母体血への流入することによって惹起される凝固因子活性化の連鎖が生じた結果,凝固因子は欠乏しフィブリン形成に伴う線溶系の亢進が並列して起こる消費性凝固障害である.
(1)希釈性凝固障害短時間に1,500~2,000 g以上の失血があった場合に生じる可能性があり,弛緩出血,前置・癒着胎盤の胎盤剝離時,重度の産道裂傷や血腫形成,あるいは稀に起こる子宮内反症や子宮破裂などの重篤な病態の大出血などがその例である.ほかにも,巨大児妊娠,多胎妊娠などで子宮筋が過伸展する病態や多発性子宮筋腫や巨大筋腫合併などで子宮血流が多い,あるいは分娩後の子宮復古が抑制される状態があると出血は多量になりやすい.一見正常妊娠・分娩と思われていてもこれらのイベントが生じるとわずかな時間に大量出血をきたし,止血操作とともに輸血等の対応が遅れるとDICにいたる.
(2)消費性凝固障害11)他の診療科では経験しがたい機序によるもので,胎盤や羊水という胎児成分の組織因子やケミカルメディエータなどが母体血中に入って,DICを惹起する.産科DICは基礎疾患が比較的限られており,100~200分娩に一回の頻度で生じる常位胎盤早期剝離,3~5%程度に発症する妊娠高血圧腎症の重症例や0.2~0.6%に発症するHELLP症候群などの妊娠高血圧症候群関連疾患,稀な発症ではあるが近年注目されている子宮型(局所型)羊水塞栓症などがこれにあたる.ほとんどの場合,これらの発症を予測することは難しい.常位胎盤早期剝離,重症妊娠高血圧腎症などは,反復することも知られており,既往がある場合は,これらの疾患に注意した管理を行う.妊娠高血圧腎症などは再発防止のために低用量アスピリン療法なども推奨されているが,妊娠高血圧症候群の一般的管理は,塩分制限および適切な妊娠中の体重増加のための食事指導や適切な運動と安静,あるいは母児の状態の慎重な評価,入院管理や適切な時期における妊娠のターミネーションである.
2)血液凝固障害をきたす基礎疾患合併妊娠12)血小板減少,先天的,後天的に血液凝固因子の低下や線溶抑制因子の低下をきたす基礎疾患を合併していると,出血傾向を引き起こし,産後大量出血となる可能性がある.比較的頻度が高い代表的な疾患は,特発性(または免疫性)血小板減少症とvon Willebrand病であるが,近年,従来はほとんど問題がないとされていた血友病保因者女性の約20%は第VIIIあるいは第IX因子の活性が30%以下に低下していることが明らかになりつつあり,その場合は大出血や輸血のリスクを持つことが報告されてきている.すでに血液疾患の診断がついている場合は,妊娠経過に伴うこれら因子の低下の推移,出血症状の有無を観察し,必要に応じて,欠乏因子を増加させるための治療や欠乏因子の補充を妊娠中,特に分娩直前に行い,さらに必要な血液製剤や輸血を準備して分娩に臨む.また,これら欠乏症では稀に生まれてくる新生児に出血傾向をきたすこともあり,新生児の出血症状,欠乏症の評価のほか,吸引・鉗子分娩などによる児の頭蓋内出血等の出血性合併症をさけるために,分娩様式に注意する必要がある.
3)臨床現場における大量出血への対応とサポート体制まずは,分娩取り扱い施設に勤める産婦人科医全員が病態や対応を十分に理解し,助産師も知識を共有することが大切である.また,麻酔科や放射線科,臨床検査科,輸血部,手術室など各部署の医療スタッフと連携でき,時に事例を想定しての訓練等を行うことは有効である.産後出血を中心として,産科危機的出血への対応フローチャート(図2)13)が作成されており,分娩室の壁などに掲示して常に見ることができるようにしている施設も多い.さらに,研修医も専門医も参照している産婦人科診療ガイドライン産科編などのCQ内にも具体的な項目が示されている(表5)14)(表6)15).
産科危機的出血への対応フローチャート(2017年改訂版)
文献13)日本産科婦人科学会,日本産婦人科医会,日本周産期・新生児医学会,日本麻酔科学会,日本輸血・細胞治療学会:産科危機的出血への対応指針2017 2017年1月(改訂)より転載
文献14)日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会編:産婦人科診療ガイドライン産科編2020 P260 CQ418-1 Answer, Keywordsより転載
文献15)日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会編:産婦人科診療ガイドライン産科編2020 P264 CQ418-2 Answer, Keywordsより転載
分娩取り扱い施設は,有床診療所,一般病院,周産期センターなどの種々の機能の違いはあるが,日本の分娩は半数近くが開業医を中心とする有床診療所などの一次施設で行われており,大出血などに対して自施設での対応に限界があることも多く,その場合は,高次施設への母体搬送が必要となる.従って,フローチャートは,輸血開始などのタイミングのみならず,高次施設への母体搬送等のタイミングを失しないためにも有効である.
以下,対応の実際を示す
①患者および家族への病態と出血リスクに対する十分な説明予測できる出血リスクを持つ対象へは,妊娠・分娩時のリスク,その対応や転帰について,リスクが判明した妊娠期より,十分な説明を行う.高い出血リスクがあれば,あらかじめ高次施設での妊娠・分娩管理を推奨する.すべての妊婦は輸血に備えて,ABO RhDの血液型検査と,不規則抗体スクリーニング検査(妊娠前期と後期の2回を推奨)を行っておく.
②自己血貯血,同種血輸血の準備前置・低置胎盤,癒着胎盤疑い,巨大子宮筋腫,羊水過多,巨大児,多胎などでは,自己血貯血を考慮する.貯血を行うためには妊娠後期にヘモグロビン10.0 g/dL以上が必要であるため,貧血の予防管理,場合によっては造血剤の予防的投与を行う.当院では,前置胎盤ではおおむね自己血貯血(1回の採血・貯血量は300~350 mLとして3回程度)と合わせて1,800~2,000 mLの輸血準備を行い,自己血が不足時は同種血輸血を使用する旨,同意を得ておく.なお,前回分娩時に大出血した症例などを含めて,担当医が必要と認めた際には,積極的に自己血貯血を行う.
③経腟分娩時の胎盤娩出前後の留意事項と基本的な操作14, 15)胎盤は,子宮内反をさせないように,剝離兆候を確認後に静かに臍帯をけん引して娩出させる.その後の子宮内の胎盤遺残のないことを確認後,子宮収縮が不十分で弛緩する場合には,子宮の双手圧迫や子宮収縮物質の点滴投与を行い,子宮収縮を促す.それでも収縮不全が続く場合には,オキシトシン5Aの子宮筋への局注をおこなう.合わせて,産道裂傷がないか,診察を行う.
④ショックインデックス(SI)1以上(推定出血量:経腟分娩1 L,帝王切開2 L以上)での止血法バイタルサインの継続観察,酸素投与,SpO2のモニター,子宮収縮剤の継続的投与,止血剤の投与などを行い,子宮破裂や胎盤遺残などの出血原因に注意しつつ,それでも出血が継続する際には,以下の操作を行う.
・子宮腔内バルーンタンポナーデによる胎盤剝離面等への圧迫止血操作
低侵襲,かつどの施設でも行うことができるため,まずは試みる操作である.経腟的に子宮腔内へ止血用のバルーンカテーテル(バクリバルーン®)を挿入し,蒸留水150~300 mLを注入してバルーンを膨らませ,子宮内の出血部位をバルーンで内側から密着・圧迫することで止血し,バルーンの滑脱を防ぐために,ガーゼを腟内に充填する.止血確認後は24時間以内にバルーンを抜去する.これで完全止血が得られなければ,Interventional Radiology(IVR)や開腹術による止血処置に入る.どの操作を行うかは,出血原因,患者の状態,術者の熟練度,施設の機能などによるところが大きい.なお,自施設で対応ができずに他院へこれらの処置のため移送する際には,子宮腔内バルーンタンポナーデによって,移送中の出血軽減効果もある程度期待できる.
・IVRによる緊急血管塞栓術による止血
主に,熟練した放射線専門医が,X線透視装置下に,分娩後の産科出血(弛緩出血,産道出血,胎盤遺残など)に対し緊急の血管塞栓術を行い,止血する.両側大腿動脈からカテーテルを挿入し,それぞれ反対側の子宮動脈へ,あるいは造影剤が血管外へ漏出する出血点を同定してマイクロカテーテルで当該動脈へ,ゼラチンスポンジ細片等を用いて塞栓し止血する.子宮温存を期待して,本法による止血操作は時々行われるが,癒着胎盤や深部頸管裂傷,子宮内反や破裂などでは有効性は低く止血困難である.また,子宮が温存できても妊孕性が温存できるとは限らず,感染や止血無効例から子宮摘出に至るものもある.
なお,稀ではあるが,前置癒着胎盤などで大出血が予想される場合は,予定帝王切開前に内腸骨動脈や総腸骨動脈内,場合により腹部大動脈内等へバルーンカテーテルを留置して,児娩出後バルーンを膨らませて子宮への血流をできる限り遮断し,子宮壁の縫合止血や子宮摘出などを行う方法も行われている.
・開腹による止血術
特に,外出血量に見合わない持続する高度の頻脈やショックインデックス(SI)の上昇などの悪化がある際には,子宮破裂などを考えて,すみやかに開腹術を行う必要がある.Uterine compression suture,B-Lynchの縫合,子宮動脈結紮,子宮腟上部切断(Poroの手術),子宮全摘術などが選択される.なお,これらの止血のための根治手術の前に,蘇生的簡略手術(Damage control surgery)として開腹,腹腔内ガーゼパッキングなどによる止血操作を行って一時閉腹し,低体温,アシドーシス,凝固異常の改善をICUで行ってから,再度開腹して根治手術を行うことも試みられている16, 17).
⑤輸血療法SI≧1で,輸血を考慮した準備を行う.出血の持続,SpO2の低下,SI≧1.5などのバイタルサインの異常や,産科DICスコア≧8(表7)18)(後述),フィブリノゲン150 mg/dL以下の状態では,産科危機的出血を宣言して輸血治療に入る.併せて,アンチトロンビン製剤の補充,メシル酸ガベキサート,またはメシル酸ナファモスタットの点滴投与,遺伝子組み換えトロンボモジュリン製剤,ウリナスタチン投与などの抗DIC治療を行う.
基礎疾患(1項目のみ) | 点数 | 臨床症状 | 点数 | 検査 | 点数 |
---|---|---|---|---|---|
早剝(児死亡) | 5 | 急性腎不全(無尿) | 4 | FDP:10 μg/mL以上 | 1 |
〃 (児生存) | 4 | 〃 (乏尿) | 3 | 血小板:10万/mm3以下 | 1 |
羊水塞栓(急性肺性心) | 4 | 急性呼吸不全(人工換気) | 4 | フィブリノゲン:150 mg/dL以下 | 1 |
〃 (人工換気) | 3 | 〃 (酸素療法) | 1 | PT:15秒以上 | 1 |
〃 (補助換気) | 2 | 臓器症状(心臓) | 4 | 赤沈≦4 mm/15分または≦15 mm/時 | 1 |
〃 (酸素療法) | 1 | 〃 (肝臓) | 4 | 出血時間:5分以上 | 1 |
DIC型出血(低凝固) | 4 | 〃 (脳) | 4 | その他の検査異常 ・凝固・線溶・キニン因子の異常(例:AT-3≦18 mg/dLまたは≦60,プレカリクレイン,α2-PI,プラスミノゲン,その他の凝固因子≦50%) |
1 |
〃 (出血量:2 L以上) | 3 | 〃 (消化器) | 4 | ||
〃 (出血量1~2 L) | 1 | 出血傾向 | 4 | ||
子癇 | 4 | ショック(頻脈:100以上) | 1 | ||
その他の基礎疾患 | 1 | 〃 (低血圧:90以上) | 1 | ||
〃 (冷汗) | 1 | ||||
〃 (蒼白) | 1 |
出典:文献18)真木ら,1985.日本産婦人科新生児血液学会HP 産科DICスコアより作成
まずは,新鮮凍結血漿(frozen fresh plasma: FFP),赤血球,血小板の輸血をおこなうが,産科出血では,凝固因子の消費や大量失血に伴う低下,線溶系の亢進によって凝固障害が起こりやすい.特に,血液凝固因子の中でもフィブリノゲンが80 mg/dL以下へ低下すると,血液は全く凝固できず止血不能となる.産科DICの際には,FFP:赤血球≧1.0の輸血を行うことはとくに大切である.しかし,FFPの解凍と点滴投与は時間がかかるばかりでなく腎への負担が増大する.このため,より効果的にフィブリノゲンを補充するために,クリオプレシピテート,あるいは,フィブリノゲン製剤を併用する.フィブリノゲン製剤は,2021年9月6日より,産科危機的出血に伴う後天性低フィブリノゲン血症(150 mg/dL以下)に対し保険適応が拡大された(但し,使用施設の制限,使用例の日本産科婦人科学会への登録が必要).フィブリノゲン製剤3 g補充で血漿フィブリノゲンは100 mg/dL上昇するが,それでも止血が得られない時に,最後の手段として,保険適用はないものの,遺伝子組換え活性型血液凝固第VII因子製剤(ノボセブン®)を補充し,そのうえで止血のための侵襲的操作を行うこともある19).保険適用でない製剤の使用については,必ず説明と同意が必要である.
(2)産科DICの診断産科DICの診断として,血液検査が速やかに,どの時間帯でも施行できる施設は限られていることから,本邦では1985年に作成された産科DICスコア(表7)18)が臨床現場で用いられている.これは,基礎疾患や臨床症状からスコア化して,8点を超えれば,産科DICとして治療を開始する(確定診断は検査結果等も合わせて13点以上)という大変便利な診断ツールである.近年は,血液凝固線溶系の検査が比較的速やかに行われるようになってきたこと,DICの診断・対応に対してフィブリノゲン値の低下が極めて重要であること,臨床的にあまり用いられない血沈検査や見逃されやすい冷汗,蒼白などの所見が入っていること,および複数のショックの臨床症状(頻脈,血圧低下など)とSIの統合の必要性などから,項目の削除や整理などの見直しが求められてきており,日本産婦人科・新生児血液学会を中心に調査と改定作業が行われている20).
(3)母体搬送システム各都道府県で出産数,分娩施設の数も異なるが,総合周産期母子医療センターを中心に搬送システムが作られている.東京都では,総合周産期母子医療センター14施設を中心に,東京都を8ブロックに分けて,妊産褥婦の母体搬送システムを作っているが,このほかに,一刻を争うスーパー総合周産期センター(6施設)への母体救命や,子宮破裂や常位胎盤早期剝離などにおける胎児救命のための母体搬送システムも作られている21).これらによって周産期予後のさらなる改善が期待されるが,スーパー母体救命症例の受け入れのための,すでにスーパー総合周産期センターに入院中のハイリスク患者の転院,本来そこまで危機的状況にない患者がスーパー母体救命施設へ搬送される等があることなど,現場では種々の課題や問題をはらんでいる.
高齢妊娠の増加に伴い,血栓症や大出血に対するハイリスク妊娠は増加する可能性がある.一方,診断法,治療法の進歩により,VTEやトロンボフィリア,あるいは産科危機的出血をきたした患者の次回妊娠の機会も増加している.その際の予防的管理やイベントが発生した時の初期対応を中心に,ガイドラインの内容を踏まえて,実臨床で有益な事項を解説した.
本論文発表内容に関連して開示すべき企業等との利益相反なし