2025 Volume 22 Issue 1 Pages 2-19
日本バスケットボール協会(JBA)は、国際バスケットボール連盟(FIBA)からの圧力を受けて国内男子バスケットボールリーグのプロフェッショナル化(プロ化)に成功した。この事例から、商業の論理、普及の論理、強化の論理、教育の論理等の多様な論理が入り交じり、多様な論理に基づく各アクターの利害が衝突するJBAが、プロ化を成功させた際のリーダーの実践を、制度的リーダーシップを理論的視座として明らかにした。
FIBAが設置したタスクフォースのチェアマンに就任した川淵三郎(後のJBA会長)とその後任の三屋裕子は、人事権を川淵三郎に集約することでプロ化反対派による抵抗の手段を奪う制度設計を行った。さらに組織に残るプロ化反対派の利害を読み解き、それを踏まえた中期計画を策定することでプロ化に反対する根拠を無効化した。最後に残る個々の職員が抱える不安や不満については、非公式なコミュニケーションの場で実践された個別の利害に対するマイクロなマネジメントによって、ガス抜きすることで解消したことが明らかになった。
これまでのスポーツのプロ化に着目した研究は、制度派組織論の正当化概念を用いて説明されはじめているものの、正当化の実現可否がプロ化の成功または失敗に結び付くことを明らかにするに留まっており、プロ化を成功させる組織のリーダーはその必要性が指摘されるが、具体的な行為については明らかにされてこなかった。それに対して本研究で明らかにした制度設計やマイクロマネジメントといった新たなリーダーシップ行動は、スポーツ経営分野における制度派組織論の援用について、大きな理論的貢献があると考えられる。
本研究の目的は、近年のスポーツ界で進められているスポーツのプロフェッショナル化(以下、プロ化)について、制度的リーダーシップ(institutional leadership)の視点から、アマチュアスポーツのプロ化を多様な利害を有する関係者(アクター)を排除・統合するリーダーの働きとして捉え直していくことにある。
1974年に国際オリンピック委員会(International Olympic Committee: IOC)がオリンピック憲章の参加資格条項から「アマチュア」の文言を削除して以来、スポーツ界は急ピッチでプロ化を進めてきた(野々村・岡本・福井, 2005:29)。しかしながら、プロ化を進めるにあたって旧来のアマチュアリズム1)を信奉するアクターらによる抵抗が大きな障壁となっている(Lakshman and Akhter, 2015)。この課題に対して先行研究では、アマチュアリズムとプロフェッショナリズムとのロジックの対立を解消した事例に注目する一方で、経営学における理論的視座に基づいた分析は十分に行われているとは言い難い。さらに欧米では近年、制度派組織論の理論的視座からプロ化を成功させたスポーツの事例を他国で模倣した事例を分析し、その差異を明らかにする研究が行われているが、社会化過剰が前提となりプロ化を進めるにあたり抵抗するアクターの存在、プロ化を進める組織やそのリーダーによる彼らへの対応について着目していないという理論的課題を有している(O’Brien and Slack, 2003;Skirstad and Chelladurai, 2011)。
本研究で事例として取り上げる日本バスケットボール協会(Japan Basketball Association: JBA)2)は、国内男子リーグのプロ化を試みては頓挫を繰り返してきたが、国際バスケットボール連盟(Fédération Internationale de Basketball: FIBA)3)の介入によりタスクフォースが設立され、タスクフォースのチェアマン(後のJBA会長)とその後任によって短期間でプロ化を成し遂げた。そこで本研究では、JBAの事例からスポーツのプロ化における組織のリーダーの取り組み(政治家的手腕)を、制度的リーダーシップを分析枠組みに用いて明らかにする。
スポーツ経営学は、一般企業、競技団体4)、スポーツイベント、大学スポーツ、地域スポーツ及びプロスポーツを経営学の理論的視座からアプローチしてきた。特に競技団体、大学スポーツ、地域スポーツ及びプロスポーツの経営領域に関する研究は、経営組織論や経営戦略論、制度・政策論、組織関係論といった諸理論が援用される形で展開されてきた(清水, 2007; 宇野・林田・柴田・柳沢, 2020)。そのなかで近年注目されている事象は、スポーツのプロ化(脱アマチュアリズム)である。前述の通り、1974年にIOCがオリンピック憲章の参加資格条項から「アマチュア」の文言を削除して以来、様々なスポーツがプロ化を進め、それらの事例が研究の対象とされている。
野口(1999)は、ラグビーの国際統括団体(International Federation: IF)5)である国際ラグビーボード(International Rugby Board: IRB)6)がアマチュアリズムを破棄した事例に注目し、その経緯の整理とそれによる各国のラグビーのプロ化の背景を整理している。野口(1999)によると、1900年代の情報化や商業分野の発展によってラグビーの支持者層が拡大した。それまでの観衆は、プロフェッショナルやアマチュアであることを問題とせず、選手のプレー、チームワークを自分に一体化することを求めていたが、余暇の拡大、交通・情報・通信機器の発達、経済面での向上により、金をだしてでもプレーを見たい、金をいただいてプレーを見せるという買い手と売り手の図式が広がり、商業化が進んだと指摘する(野口, 1999:49)。特に各国ラグビーのプロ化については、社会的背景(商業主義、情報メディア、個人の意識変化)だけでなくNews Corporationを設立したRupert MurdochとWorld Rugby Corporationを設立したKerry Packerが、関連会社を通じて市場に大きな影響を与えたとされる(野口, 1999:54)。
野口(1999)はマクロレベル(国やIF)に着目しているが、Nier・守能(2007)はマクロからメゾレベル(中央競技団体 7))に注目し、フランスにおけるラグビーのプロ化を関係機関に見られる力関係、それらの協力と競合の関係から明らかにした。1870~1980年は、フランス政府がラクビーの国内統括団体(Fédération Française de Rugby: FFR)をはじめとした国内スポーツ連盟を配下におさめて監督権を行使することで商業化を妨げていた。しかしながら、1987年に開催した第1回ラグビーワールドカップによって巨額の赤字が生じた結果、IRBがアマチュアリズムを終焉させ、FFRは連盟の中にプロ・ラグビー部門を管理する委員会を設置し、国内でのプロクラブの立ち上げや選手のプロ契約等の管理を集中させ、フランス代表チームの選手を有給化した。他方で、規模が大きなクラブはプロ化が解禁されたことで、自らが抱える選手とプロ契約を結ぶようになった。その後、クラブの財政的な独立性確保、選手の給与及び労働条件の改善について、クラブの経営者、トレーナー、選手、さらには青少年スポーツ省やメディアが、FFRに対して連帯的な圧力をかけた結果、Ligue Nationale de Rugby(LNR)が設立され、これによりプロ選手によるスポーツ的、経済的運営の実現が図られ、LNRとクラブの収益が増加した。
これらの先行研究では、アマチュアスポーツのプロ化に至る歴史的経緯を顧客・チーム・競技団体等の利害関係者(アクター)の関係から記述してきた。ここでは、スポーツのプロ化は①スポーツ観戦市場の成立、もしくは②スポーツの持続可能性の危機を契機として、抵抗するアマチュアリズムの論理に根付いたアクターが抑え込まれた時にプロ化が進められるという議論が形成されてきた。それ故に、プロ化に際しては外部の変化や危機に際して、アマチュアリズムの論理に基づいて抵抗するアクターに対抗しうる、強力なリーダーシップを持つ指導者の重要性が指摘されてきた(野口, 1999;Southall and Nagel, 2008 8))。
2.2 制度派組織論を用いたスポーツのプロフェッショナル化に関する研究アマチュアスポーツのプロ化に関する先行研究では、プロ化を目指すリーダーの出現経緯や、そのリーダーのいかなる行動がプロの組織づくりとプロ文化の構築、定着に寄与するかを説明する理論的基盤を有していないことが課題である。この課題を解決するための理論的基盤として、近年用いられているのが制度派組織論 9)である。
Batuev and Robinson(2018)は、スケートボードの国際統括団体がオリンピック競技に採用された結果、アマチュアリズムからプロフェッショナリズム・商業主義に移行した事例を制度派組織論の正当化概念を用いて説明を試みている。他人との比較ではない非競技的な価値観が主流であったスケートボード界は、スケートボードの本質とはまったく異なるオリンピックの価値観を拒絶し、スケートボード文化が競技化によって抑圧されることを恐れていた。他方でトップスケートボーダーの大多数は、オリンピック競技に採用されることでスケートボードのパーク増設や商業的機会増加に繋がり、関連企業もスケートボードが大きく発展すると期待していた。
この様なトップスケートボーダーやスケートボード関連企業の期待を受け、新たなスケートボードの国際統括団体(International Skateboarding Federation: ISF)が設立され、その理事としてボードメーカーやスケートボード施設、シューズ・アパレル会社の代表が参加した。IOCによるスケートボードのオリンピック競技化が正当性として利用され、スケートボード関連企業を中心とした商業化が進められたのである。また、オリンピック競技採用以前は、いくつかのスケートボードの国際統括団体が設立されたが、いずれもスケートボード界を統轄することができなかった。しかし、World Skate 10)が統轄団体としてIOCに認可されたことで、オリンピック競技への採用が現実のものとなり、スケートボード選手のプロ化と共に国際的な競技スポーツへと発展したのである(Batuev and Robinson, 2018)。
同様にLakshman and Akhter(2015)は、制度派組織論の正当化概念を用いてインドとオーストラリアにおけるクリケットのプロ化の成功と失敗の説明を試みている。インドの場合、国内のクリケットリーグのテレビ放映権の入札が不成立となったことで、国内のクリケット統轄団体(Board of Control for Cricket in India: BCCI)に不満を抱いたアクター(インドのテレビコンテンツ会社「Zee」)が、新たな国内クリケットリーグ(Indian Cricket League: ICL)を立ち上げた。しかしながらBCCIが、ICLに参加する選手のプレー資格剥奪や年金の取り消し、国内練習施設の使用禁止といった措置をとったことでICLは正当性を獲得できず、その結果ICLには全盛期を過ぎた元スター選手か、国内クリケットで大舞台の経験がほとんどない若い選手しか参加しなかった。さらにBCCIは、対抗する新たなクリケットリーグ(Indian Premier League: IPL)を立ち上げ、国内大会の賞金を大幅に引き上げることで多くのプレーヤーを取り込むことに成功し、新たなプロリーグ(ICL)の定着と発展を阻んでいったのである。
他方でオーストラリアでは、放映権の入札が不成立となり、放映権を獲得できなかったテレビコンテンツ会社が新たに立ち上げたクリケットリーグ(World Series Cricket : WSC)に、既存のクリケットリーグが低報酬であることに不満をもつ選手らが参加した。インドの事例と同様に、既存制度を擁護するクリケット国内統括団体は、WSC参加選手のプレー資格剥奪や国内施設の利用禁止措置をとった。しかしながらWSC側は、テレビ番組の討論会でWSCのビジョンを周知することで、放映権で共通の利害を有するマスメディアを巻き込む形で認知的正当性を獲得し、国内外の有名なクリケット選手が参加するプロリーグの設立を成功させたのである。
これらの研究は、競技続行の危機という外的環境の変化に対して、既存制度の維持を望むアマチュアリズムのアクターと、商業資本の導入による競技の継続・発展を図るアクターの対立を前提として、IOCや国際統括団体、マスメディア、政府・行政との連携から正当性を獲得するか否かに、プロ化の成否を捉えるという理論的視座を有している。ここで、利害を有するアクターらを排除・統合するリーダーシップとは、正当性を獲得する強力な主体(制度的企業家)として、より具体的に捉えられることになる。
2.3 プロフェッショナリズムとアマチュアリズムの対立正当性を獲得したリーダーによってプロ化が推進されるという先行研究の帰結は、一見は納得的である。しかし、スポーツ界においては選手登録や世界大会への選出・派遣の権限は各国の競技団体が一括して有しており、その競技団体の構成メンバーや指導者がアマチュアリズムを基盤としているのであれば、外部のマスメディアや関連企業、選手がプロ化を望んだとしても、当該団体は正当な権限をもってプロ化を拒むことが可能である。それ故に、先行研究ではアマチュアリズムを基盤とする競技団体が存続できない経済的危機や、上位団体(IOCや各競技の国際統括団体)によるプロ化への制度的圧力といった、外部に変革の要因を準備してきた。実際、Lakshman and Akhter(2015)によるインドのクリケットリーグの事例にみられるように、外部からの危機や圧力に対して、正当性を獲得したリーダーがアマチュアリズム体制を維持する事例も存在する。それ故に、競技団体のプロ化における強力なリーダーシップを捉える際に求められるのは、競技団体内のアマチュアリズムの論理とプロフェッショナリズムの論理の対立を調停していく局面への注目であると考えられる。
例えば、O’Brien and Slack(2003)は、イングランドのラグビーのプロ化の事例において、プロ化を成功させたリーダーの実践に注目する。イングランドのラグビーユニオンの最も強力なアクターは、ボランティア主導組織のスタッフであり、アマチュアリズムに立脚したロジックに支配されていた。ラグビーの国際統括団体がプロフェッショナリズムの禁止を撤廃することを発表した「パリ宣言」の翌日、その抵抗としてイングランドのラグビーユニオンは、アマチュアリズムに関わるルールの変更を1年間禁止する猶予期間を課すことで、事実上、組織の慣性を法制化しようとした。しかしながら、いくつかのクラブはプロサッカーの組織を模倣し、大口スポンサーや支援者を探し、プロ化への資金を調達するようになった。その結果、プロの経営者、スポンサー、支援者等の新しいアクターがラグビー界の外部から参入してクラブを買収した。これらのクラブが選手とプロ契約を結ぶことで、選手獲得のための市場競争が加熱し、他のクラブが選手とのプロ契約に追従した。さらに、プロ化に舵をきったクラブの経営者らがクラブ間の連携を強化してラグビーユニオンに対抗するためにEnglish First Division Rugby(EFDR)を結成し、ラグビーユニオンとの闘争が可能な環境を整備した。EFDRが選手との契約の優先権はラグビーユニオンではなくクラブにあることを発表したことで、EFDRからのプロ化の圧力に屈したラグビーユニオンは、「パリ宣言」に反するアマチュアリズム堅持の方針の違法性を認め、イングランドラグビーのプロ化を認めることとなったのである。
他方、Skirstad and Chelladurai(2011)は、ノルウェーのスポーツクラブがアマチュアリズムとプロフェッショナリズムの複数の価値観を共存させるために、スポーツクラブの構造を変えた事例を説明している。アマチュアリズムの制度ロジックが支配的であったクラブにおいて、トップサッカーチームがノルウェーのプレミアリーグに昇格したのを契機に選手の購入と有給職員を雇ったことが要因となり赤字を抱えることとなった。そこでクラブ経営の持続可能性が危惧され、持続の為にアマチュアリズムから脱却し、商業主義・プロフェッショナリズムに移行することがクラブ内で正当化され、プロ化に成功した。しかしながらノルウェーのサッカー協会からは、アマチュアリズムを維持する(プロ化に抵抗する)圧力があり、クラブはトップサッカーのマーケティングを担う組織(商業的ロジック)に加え、アマチュアロジックに基づいた他のスポーツ機会を提供する組織を設立することで、ノルウェーのサッカー協会によるプロ化への抵抗を解消した。アマチュアロジックを掲げる組織を設立することで、既存制度(アマチュアリズム)を擁護するアクターであるノルウェーサッカー協会の取り込みに成功し、プロ化を成し遂げたのである。
以上の研究は、全てプロ化を成し遂げた事例であるが、プロ化を求める外部環境の圧力を前提として、アマチュアリズムを擁護するアクターとの闘争への持ち込みか、またはそのアクターとの対立の回避と、手法は違ってもアクター間の対立を解消することでプロ化の成功を捉えるという理論的視座を有している。
2.4 本研究の理論的視座:政治家的手腕を通じたプロ化以上のように先行研究では、プロ化を進める集団がアマチュアリズムを擁護するアクターと対立した際に、対立するアクターとの闘争または対立を、リーダー(制度的企業家)による正当化と強力なアクター(スポンサー等)の取り込み、プロ化を推進する組織の構築から捉えてきた。ここで問題となるのは、対立するロジックに紐づくアクターを調整する、リーダーによる利害のマネジメントの実相が十分に捉えられていないことである。それでは、スポーツ界におけるプロフェッショナリズムとアマチュアリズムのロジックの対立を解消するリーダーの具体的な行為は、いかに捉えられるのであろうか。
Washington et al.(2008)は、組織のリーダーがなすべきこととして、内部的な一貫性の管理、外敵に打ち勝つことを挙げ、組織内部、外部のアクターを選別し、取り込んだり排除したりする政治的スキルに注目すべきであると主張し、Selznick(1957)がその著書Leadership in administration(邦題『新訳 組織とリーダーシップ』)で掲げた制度的リーダーシップを参照する必要性を指摘した。
Selznick(1957)は、トップの経営者が必要とするリーダーシップは対人関係的なものではなく、自分の率いる社会集団に目的を与え、この目的を体現した社会構造を生み出す政治家的手腕 11)であると指摘する(Selznick, 1957・邦訳:1)。この政治家的手腕についてSelznickは、組織に含まれる諸活動の目標をその内部に存在する諸集団の自然発生的利害に適合させ、またその逆に、当該集団の偏狭な自己中心主義をもっと幅広い忠誠心と志望に結びつける一連の行為を、制度的リーダーシップとして指摘する(Selznick, 1957:131-132)。より具体的には、競争関係にある利害関係集団間で起きる闘争は、リーダーシップの関心を強く要求する。リーダーが自発的協力を最大限に確保するためには、各構成単位の賛意を集めなければならない。それ故に、出現してくる利害関係集団に対して、その意見が十分に代表されるように調整しなければならず、他方で統制力の舵を失わないために、権力の均衡を維持するよう気をつけなければならない(Selznick, 1957:86)。Selznick(1957)は、制度的リーダー12)が各利害関係集団から自発的な力を引き出しつつ、特定の集団にイニシアティブを奪われない均衡状態を獲得するために求められる具体的な行動類型を制度的リーダーの主要課業として整理する(表1)。

出所:Selznick(1957)に基づき著者が作成
これまでのスポーツのプロ化の事例に着目した研究では、アマチュアスポーツが市場の発生や持続可能性の危機によってプロ化を成し遂げていた。そこには強力なリーダーシップの発揮が必要であり、組織のリーダーが対立するアマチュアリズムのロジック、それを支持するアクターとの対立を調停し、アクターを排除または取り込むことでプロ化に至っていることが明らかにされた。
しかしながら先行研究においては、組織のリーダー(制度的企業家)がプロ化に抵抗するアクターとの闘争に勝利するか否かがプロ化の成否に繋がることを整理したに過ぎず、リーダーがアクターを選別し、排除または取り込んだ具体的な行動は十分に分析されているとは言い難い。そこで本研究では、プロ化を成功させた組織のリーダーの具体的な行動を、Selznick(1957)が指摘した4つの制度的リーダーの主要課業から明らかにしていく。
本研究では、JBAによる男子バスケットボールリーグのプロ化の事例を取り上げる。
1990年代のバブル経済の破綻とともに、隆盛を極めていた企業スポーツに陰りが見えるようになり、男子バスケットボールでも新日本製鐵、ジャパンエナジー、住友金属工業、三井生命保険(いずれも当時)、大日本印刷等の実業団チームの撤退が相次いだ。旧来の企業に頼った実業団リーグでは、国内男子バスケットボールは衰退の一途をたどることは自明の理であることから、1996年に企業に依存したチーム運営、リーグ運営からの脱却に向け、国内トップクラスの実業団リーグを運営する日本バスケットボール機構(Japan Basketball League Organization: JBL)が、日本バスケットボール協会から独立し、プロ化に向けたスーパーリーグ構想に着手した。
しかしながら、一部の実業団チームを抱える企業は頑なにプロ化に反対する意思を示した。プロ化したチームを抱え続ける企業にとっては、興行に伴う諸経費 13)や試合数の増加による遠征費の増大、これまでは一般社員と同程度であった選手及び指導者への給与(報酬)がプロ契約によって増大すること等を嫌い、チームを抱える企業はプロ化への抵抗を続けた。それによりプロ化への具体的な進展が無いことから、スーパーリーグ構想に先んじてチームのプロ化を進めていた新潟アルビレックスBBと埼玉ブロンコス(現、さいたまブロンコス)が、2004年にスーパーリーグから脱退を発表した。これに危機感を覚えたJBA(当時は、JABBA)は、プロ化実行委員会を設置し、プロ化に向けた議論を加速させることを試みたが、検討委員会からJBAへの答申は、2007年を目途にプロ化を目指すことが望ましいという内容に留まった。翌年からは、JBLから脱退した新潟アルビレックスBB、埼玉ブロンコスを含めた6チームで新たなリーグ(bjリーグ)がスタートし、JBLとの2リーグ体制がはじまった。FIBAは各国のトップリーグを一つとすることを定めており、日本においてJBLとbjリーグが互いにトップリーグを主張し、並列する状態に対する改善を求めることとなった。
それに対してJBA側は、プロ化を推進するアクターが推進した男子バスケットボール世界選手権日本大会(2006年)において巨額の赤字が発生し、その処理を巡ってプロ化反対派の評議員が予算案の否決やボイコットによって評議員会を流会させるだけでなく、両派閥間での会長人事抗争にまで発展しトップリーグの統合について足踏みが続いた。その結果、2008年5月にFIBAがJBAに対する制裁を示唆し、東京2020大会への五輪開催国枠の喪失が現実化する危機に至った。
2008年8月に、JBAの内紛を収拾させるために会長として招聘されたのが麻生太郎 14)であった。協会の利害関係者が会長に就任しても、反発する勢力によって内紛が解消されないことから、第三者であり、かつオリンピック競技大会出場経験があり、さらに自由民主党幹事長(当時)であった麻生太郎を会長に据えることで、強権的に内紛を収拾させていくことを目指した。同年12月にはJBL及びbjリーグの参加の下「トップリーグのあり方検討委員会」を発足し、国内リーグの統一に向けた議論を再開している。2009年には、FIBAからJBAに対しリーグ統一の申し入れもあり、2010年4月にJBLとbjリーグが2013年に統一プロリーグを結成する覚書に調印し、国内リーグの統一とプロ化への道筋が作られた。
ところが、2011年12月にJBAが2013年からの新リーグ(National Basketball League: NBL)構想を発表したところ、NBLが実業団チームの反発から完全プロ化に至らず、事業性の担保が不明確であったことから、bjリーグ所属チームは千葉ジェッツ(現、千葉ジェッツふなばし)を除いて参加の見送りを表明した。その結果、NBLとbjリーグの2リーグ体制の解消はできず、2013年12月には、FIBAがJBAに対し「JBAのガバナンスの確立」と「2リーグ併存状態の解消」、そして「日本男子代表チームの強化」が行われない場合、五輪開催国枠の剥奪を示唆する可能性を表明した。
この後、JBA改革のタスクフォースのチェアマンに就任した川淵三郎と、彼の後任となった三屋裕子のリーダーシップのもとで、実業団チーム及びその関係者を中心としたプロ化反対派を抑え、NBLとbjリーグが統合され、2016年にB.LEAGUEがスタートすることになる。
この我が国におけるバスケットボールのプロ化の事例は、プロ化への制度的圧力を前提としてきた先行研究と異なり、アマチュアリーグ(実業団リーグ)存続を前提とした制度的圧力が高い環境のもとで、プロ化が進められた点において制度的リーダーの政治家的手腕がより明確に観察される事例であると考えられる。そこで本研究では、JBA内部のプロ化推進派とプロ化反対派の利害対立を調停し、プロリーグ発足へ導いた川淵三郎及び三屋裕子の二人の制度的リーダーの行為に注目し、ヒアリング調査を実施した。調査期間は2020年から2021年に及び、1名あたりのインタビューの長さは1時間程度で計2時間に及び、テキストデータで約18,000字のデータを収集している。
3.2 目的を体現する制度の設計JBAがプロ化を進めるにあたり最初に実施した2つの取り組み(役員人事と組織改編)は、Selznick(1957)が主張する制度的リーダーの主要課業のうち「制度の使命と役割の設定」にあたる。
前述の通り、国内男子バスケットボールリーグのプロ化の検討は、企業に依存したチーム・リーグ運営から脱却し、競技として持続可能性を実現したい推進派と、プロ化による諸経費の増大こそが競技の存続の危機であるとする反対派(アマチュアリズム擁護派)の対立の構図となっていた。この対立解消を目指して協議の場を設けるも、利害の不一致を解決できずプロ化を目指すアクターが交渉のテーブルから離脱することが繰り返されてきた。
そのような中でプロ化推進派とアマチュアリズム擁護派を交渉のテーブルにつけ、プロ化に向けた議論を進めざるを得なくしたのが、FIBAによる第32回オリンピック競技大会(東京2020大会)の開催国出場枠を取り消すことの示唆であった。プロ化に反対(アマチュアリズムを擁護)する実業団チームを抱える企業にとって、オリンピック競技大会への出場は大きな目標となっている。企業経営においてコストセンターとなっている実業団チームに所属する選手が、自国開催のオリンピック競技大会へ出場することは大きな広告効果をもたらす。そのため、実業団チームを抱える企業にとってオリンピック競技大会出場権の喪失回避は最重要課題であった。そのような中で、JBAが東京2020大会の開催国出場枠喪失の回避を組織目標とすることで、実業団チームを中心としたプロ化反対派のアクターらが交渉のテーブルに着く状況が整えられた。
2015年にFIBAの介入によって設置されたタスクフォースのチェアマンに就任した川淵三郎が、改革の第一歩として取り組んだのは役員人事の刷新であった。旧来の理事は、アマチュアリズムを擁護する実業団チームの代表をはじめ、プロ化に強い関心は無くともJBAの予算が強化費に偏ることを危惧する各地域のバスケットボール協会の代表、女子実業団チームの代表、そしてプロ化を推進したい一部の実業団チームの代表らで構成されていた。その結果、理事が任期満了で解任となったとしても、その後任も同じ論理に基づくアクターであることから、プロ化反対派と推進派の論理の衝突が継続し、会長人事を含めたJBAの意思決定に支障をきたしていた。そこで川淵三郎は当時のJBAの全ての理事を解任し、理事を総入れ替えする新役員の人事案をとりまとめてJBAの評議員会へ提案し、評議員会はこれを承認した(新役員人事は下表2のとおりである)。

出所:JBAの公開資料に基づき著者作成
ここで重要なことは、川淵三郎がタスクフォースのチェアマンに就任したことで、旧来の会長と異なり役員の人事権を得たことである。従来の会長は、組織内の抵抗勢力を意思決定の場(理事会)から排除する力を持っておらず、理事がプロ化に反対し、時には交渉の場から離脱することを防ぐことができなかった。また、仮に理事を刷新したとしても同じ論理に基づくアクターがその後任となり、継続的にプロ化反対派と推進派の論理が衝突することで円滑な意思決定ができなくなることを危惧して、新役員人事は日本バスケットボール界とのしがらみの無い者で構成された。
川淵三郎は、役員人事によってプロ化に抵抗を示すアクターらを意思決定の場から排除した後、組織機構の改編にも着手した。従来のJBAは、理事者と執行者(事務局職員)に分かれてはいるものの事務方の最高位役職である事務総長が専務理事を兼務していた。さらには、一部の業務執行理事が事務局職員と同じように業務を担うこともあり、経営責任と執行責任が曖昧になっていた。そこで専務理事と事務総長の兼務を解き、経営責任と執行責任を明確にすることで、意思決定に関わる場から抵抗勢力となり得る事務局職員を排除したのである。
組織機構の改編前は、理事者が進めるプロ化に対して事務局職員が抵抗を示したり、一部の業務執行理事に事務局職員が振り回されて疲弊したりして、プロ化への取り組みが滞ることが繰り返されてきた。この改編により理事者と執行者の役割を明確にし、プロ化を進める理事者の方針に基づき執行者が事務を進める体制が確立され、JBAの事務局内でプロ化に抵抗する者を排除することとなった。さらにこの組織機構の改変は、理事者による執行者の監視強化とも捉えることができ、事務局職員が改革に抵抗を示すことを未然に防ぐ機能にもなっている。また、職員の役割が明確になったことで、職員の勤務意欲の向上という副産物も生じている。当時のことを職員が次のように振り返る。
理事者と執行者を完全に分けたことで、執行者(事務局職員)の役割を明確することができ、事務局職員としての責任が明確になることで、緊張感をもって仕事に取り組むようになったと思います。(基盤強化グループ ゼネラルマネジャー A)

JBAが役員の刷新と意思決定と執行を分ける組織改編を行った後に実施した、プロ化を前提とした中期計画の策定とB.MARKETING株式会社の設立は、Selznick(1957)が主張する制度的リーダーの主要課業のうち「内部葛藤の整理」にあたる。川淵三郎による制度改革によって、役員構成がプロ化推進派で統一されるとともに組織機構も命令と執行が分離されたことで、現場レベルの突き上げから役員を巻き込む形でプロ化が停滞する従来の構造的問題は解決された。しかしながら、この一連の制度改革は命令と執行の体系からプロ化反対派を排除したのみであり、依然としてJBAの組織内に反対派を抱えていることに変わりはない。実際にこの不満は、2016年に川淵三郎の後任としてバレーボール出身の三屋裕子が会長に就任したことで、男子バスケットボールの強化、国内男子バスケットボールリーグの統一・プロ化への注力の偏りに、JBAの評議員会を構成する多様なロジックに根付いたアクターの不満を包摂する批判として表出した。当時のJBA理事らへの批判について、三屋裕子が次のように振り返る。
バレーボール競技出身である私がバスケットボール競技の統括団体の会長に就任することについて、面白くないと感じている方がいて、実際にそのような声を聞いたことがあります。それは前会長(川淵三郎)の時も同じだと思います。(会長 三屋裕子)
JBAは、そのような状況下でプロ化を進めるにあたり、中期計画であるJAPAN BASKETBALL STANDARD(JBS)を策定し、抵抗勢力となるアクターの取り込みを試みた。JBSは、日本国内のバスケットボール団体を統括するJBAの中期計画であり、国内バスケットボールに係る政策的目標を示したものである。しかしJBAは、JBSをJBAの中期計画とは言わず、あえて日本国内の全てのバスケットボール関係者が対象の計画であると位置づけ、JBAによる改革に不満や不安を覚えるアクターを含む形で取り組むべき目標として設定した。
その中で示されたビジョンと達成目標は下表3のとおり構成されている。例えば「バスケットボールファミリーを200万人にする」という目標設定は、バスケットボールの普及の論理に基づくアクターである都道府県バスケットボール協会の役割の明確化に繋がり、それを達成するための「これらを実現するための環境(施設・運営)を整備する」という目標は、彼らの活動基盤を協会側が整えることを宣言している。他方、「NBA/WNBA選手を常時輩出する」や「男女日本代表:オリンピックでメダルを獲得する」といった目標のように、女子バスケットボールの強化に係る具体的な目標を掲げることで、女子の競技力向上についても予算が付くこととなり、女子バスケットボールの強化の論理に基づく女子実業団チームのアクターがJBAの変革に抵抗する機会を失わせた。

出所:JBAの公開資料に基づき著者作成
このようにJBAは政策的目標としてJBSを掲げることで、選手強化やバスケットボール産業と組織規模の拡大、バスケットボールの普及、バスケットボール文化の定着等、幅広く且つ網羅的なビジョンと達成目標を策定したことで、国内男子バスケットボールのプロ化・統一をはじめとしたJBAの改革が、プロ化を推進したいアクターの論理に特化したものではないことを明確にした。これはSelznick(1957)のいう、集団の意見が十分に代表されるように図ることで賛意を集めて利害関係集団の協力を最大限に確保するリーダーシップ行動であった。
さらにJBAは、男子国内リーグの統一・プロ化に反対する、最も直接的なアクターである男子の実業団チームを取り込むため、バスケットボールコンテンツを集約し、新たな価値創出のためのマーケティング(収益事業)、大会イベント運営・プロモーションに特化したB.MARKETING株式会社を設立した。
男子実業団チームがプロ化に抵抗を示す要因は、選手及び指導者への給与(報酬)の増大、会場設営やチケット販売、外部スポンサー獲得のための営業活動等の増加、そしてプロ化による収入の低下(会社からの補填消失)である。特に親会社からの補填の消失は、チームにとっては経済的なデメリットが多い(中村, 2018:53)。かつその補填が企業とチームとの社会的関係性の中で機能し、文化・認知的に埋め込まれた経済行為あるため(中村, 2018:55)、それが消失することへの抵抗は大きい。
そこでJBAは、B.MARKETING株式会社を通じて放映権、商品化権、スポンサーシップ及び大会プロモーション等の事業を展開することで、チームが行うべきマーケティング業務を実質肩代わりすることとした。さらに、それらで得た収益をJBAとB.LEAGUEに還元、さらにB.LEAGUEから各チームに対してお金を分配する仕組を構築した。
B.MARKETING株式会社の設立に伴い、分配金によってチームの運営資金をB.LEAGUEが生み出す構造を構築したことで、マーケティング業務等の増加と収入の低下を理由としていた実業団チームの反対理由を解消するとともに、チームがB.LEAGUEからの分配金に依存する関係を築くことで、旧来のチームと親会社との関係を脱連結し、チームに商業主義の「性格」を与えたリーダーシップであった。
3.4 プロ化に向けたマイクロな攻防最後に、役員の刷新、組織機構の改編、組織目標の提示の背後で行われた、役員が主体的に取り組んだ非公式な勉強会と「語りま食堂」の開催は、Selznick(1957)が主張する制度的リーダーの主要課業のうち「制度の一貫性の防衛」にあたる。前述の川淵三郎による制度改革によって、プロ化に反対する役職員が構造的に排除された。意思決定の場である理事会から排除され、組織機構も理事者と執行者が分断されて執行者側からの突き上げの形での抵抗もできなくなった。プロ化に反対する評議員や事務局職員にとっては、抵抗する手段を失ったこととなる。しかしながら、JBAの役職員の多くは実業団チームをはじめとしたアマチュアリズムのロジックで働いてきた。前述のJBSにおける女子バスケットボールの強化に係る具体的な目標掲示のように、JBA執行部への批判材料がなくなった時、従来の利害や役割を喪失したアクターらの不満は、各自の不安として残り続けることになる。
そこで、川淵三郎の後任として会長に就任した三屋裕子は職員の不満に着目し、プロ化に抵抗するアクターらとの直接的な交渉の窓口として非公式な勉強会と「語りま食堂」を設けた。この非公式な勉強会の目的は、JBAの危機的な状況の理解を促し、不安を煽ることであり、他方で「語りま食堂」は個々の職員が不安や不満を上層部に通知する経路を用意することが目的であった。三屋裕子は、これらを開催することでプロ化反対派が水面下で連携する可能性を低下させたのである。
非公式な勉強会は1か月あたり1~2回程度の頻度で開催され、JBAがFIBAから制裁を受けた理由、制裁解除の条件である「バスケットボール協会のガバナンスの確立」と「2リーグ併存状態の解消」、そして「日本男子代表チームの強化」の詳細について繰り返し評議員や事務局職員に説明した。
事務局職員やプロ化に反対していた実業団チームの代表である評議員らにとって、国内男子バスケットボールリーグのプロ化は、一部の実業団チームが旧来のアマチュアリズムを反故にして進めていたものであった。勉強会を、非公式に継続して開催することで、一部の実業団チームのアクターによってJBA内の対立構造が生まれ、その結果FIBAからの制裁が科されたという認識を改めさせ、前述の組織改編によって構築した新たな組織機構を活かして、プロ化を推進させるためのリーダーシップ行動であった。
当時からJBAに在籍する職員は、次のように振り返る。
新体制発足後も、バスケットボール協会がなぜFIBAからの制裁を科せられたのか理解してもらうための非公式の勉強会を定期的に開催しました。評議員や事務局職員の中には、現状の組織の何が良くないのか理解できておらず新体制への反感を持つ方もいました。しかし、勉強会でしつこく状況を説明することで、少しずつ現状を理解してもらえたと思います。(基盤強化グループ ゼネラルマネジャー A)
他方で「語りま食堂」は、月に2回程度開催され、事務局にいる役職員がケータリングの食事を一緒にとりながら、気軽にコミュニケーションをとる非公式イベントである。プロ化反対派の事務局職員は、組織機構の改編によって構造的に排除されるとともに、前述の勉強会によってFIBAから制裁が科された要因は自分たちにもあり、自分たちが渦中の当事者であることを認識させられて、危機感や罪悪感を刷り込まれた。
「語りま食堂」の開催意図、その効果について三屋裕子は次のように説明している。
普段、なかなか関わりがない役員と事務局の職員が、食事をとりながら気ままに会話する機会をつくることで、お互いの人柄を知ったり、役員がどんなことを考えているのか、事務局職員が何に困っているのか、そんなことが気軽に情報交換できていると思います。(会長 三屋裕子)
その不満や不安を解消するために、事務局職員に対し、地位的に優位な役員が気軽な食事会の場で事務局職員と心理的な距離を近づけ、さらにJBAの変革の方向性を説くことで事務局職員の不安の解消に繋げた。また、時には役員が事務局職員の意見を聞き、JBAの変革に対して溜まった不満のガス抜きをしたり、意見を取り入れたりすることで、抵抗勢力になり得る事務局職員を取り込んだリーダーシップ行動であった。
本研究は、国内男子バスケットボールリーグのプロ化の事例について、Selznick(1957)の制度的リーダーシップの議論に基づいて、川淵三郎とその後任である三屋裕子の行動を、アクターの取捨選択と組織の社会構造への組み込み、組織運営における自発的な協力を得るための具体的な政治家的手腕として分析的記述を行ってきた、この事例から見いだされる発見事実は、以下の3点に要約される。
まず、アマチュアスポーツのプロ化に際して、プロ化反対派による抵抗の手段を奪う制度設計を行ったことである(発見事実1)。具体的には、川淵三郎(タスクフォース)への人事権の付与とJBA事務局における命令と執行の分離である。人事権を川淵三郎に集約することで、意思決定機関である理事会からプロ化反対派を排除し、プロ化反対派がJBAの意思決定レベルで妨害したり、交渉の場から離脱することでプロ化の議論が停滞したりすることを防いだ。特にJBA事務局の命令と執行を分離する制度設計は、プロ化反対派のアクターを事務局の執行側に集約させた。これによりプロ化反対派による執行(事務局)レベルでの妨害を未然に防ぎつつ、執行部側が反対派にプロ化の執行を命令し、反対派が参加する状況を作り上げた。これらの制度的リーダーシップは、プロ化に反対するアクターを排除する制度の設計であると言える。
とはいえ、プロ化反対派が意思決定に関われなくなったとしても、すぐにプロ化に協力する訳では無い。ここで注目すべきは、プロ化反対派の利害を読み解いたうえで、中期計画の策定にあたって反対の根拠を無効化していったことである(発見事実2)。実際、意思決定機関から排除された反対派は、女子バスケットボールの強化や地域でのバスケットボールの普及に係る予算の不足と、実業団チームのプロ化に伴う経費増大による持続可能性の低下を、プロ化を反対する根拠として利用した。そこで理事会側は中期計画(JBS)の策定において、プロ化による収益を女子バスケットボールの強化に還元すること、協会がマーケティング専門会社を設立して収益を生み出し、チームに分配する(実業団チームがチームの強化に専念しやすい状況を作る)制度を設けていくことで抵抗する根拠を失わせた。これらの制度的リーダーシップは、プロ化に反対するアクターらが反対する根拠を無効化させるための目標設定とマーケティングを代わりに担う会社の設立とその収益を分配する仕組みの構築による反対根拠の直接的な無効化であると言える。
このようにプロ化に反対する手段と根拠を解消したことで、最後に残るのが個々の職員が抱える感情的な不満や不安である。この不満や不安は、JBAのプロ化に対する批判という形で組織内の反対派が連携する可能性を生み出す危険性を孕んでいる。この課題への対処として注目すべきが、非公式なコミュニケーションの場で実践された個別の利害に対するマイクロなマネジメントである(発見事実3)。具体的には、理事者側は非公式な勉強会でFIBAから制裁を科された要因がJBAの内部にあることを繰り返し伝え、東京2020大会への出場について、その権利を喪失しかねない状況である旨を伝えることで、抵抗する意思を削いだ。更に一方的に理事者側の認識を伝えるのではなく、「語りま食堂」を通じて不安や不満を個別の職員が直接理事者側に問いかける場を設定し、彼らが抱える不安や不満のガス抜きをするとともに、その不安や不満を契機に組織目標に基づいた新たな役割を与え、反対派の利害を実現するために上層部と連携する必要性を学習させていた。このマイクロなマネジメントの結果、不安や不満を抱くプロ化反対派が連携する可能性を未然に防止しつつ、プロ化反対派を、プロ化を担うアクターとして個別に取り込んでいくことが可能になったのである。これらの制度的リーダーシップは、プロ化に反対するアクターの抵抗意思を削ぐとともに、不安や不満を解消するマネジメントであると言える。
先行研究においては、プロ化を推進するアクターがプロ化に抵抗するアクターとの闘争に勝利するか否かがプロ化の成否に繋がることが整理されてきた。それに対して本研究は、制度的リーダーがプロ化に反対するアクターを取り込み、または排除する利害調整のプロセスとして、アマチュアスポーツのプロ化を捉えることが出来たと考えられる。具体的には、アマチュアスポーツのプロ化に際して当該団体のリーダーは、①人事改革・組織機構の改編を通じたプロ化反対派の意思決定プロセスからの隔離、②プロ化反対派を包摂し反対根拠を失わせる目標設定と反対根拠を直接的に喪失させる事業・仕組みの構築、③プロ化に対する感情的な反対をケアし、反対派の連携を未然に防ぐマイクロなマネジメントという段階を踏んだリーダーシップ行動を行う必要性に迫られると考えられる。
当然のことながら、プロ化に際して競技団体が置かれている制度的環境や組織内の利害関係の違いによって、求められるリーダーシップ行動の細部は異なると考えられる。しかしながら、プロ化反対派を意思決定機関から隔離し、反対派の利害に注目して反対の根拠を無くし、マイクロなマネジメントによって感情的な反発をケアするという3つの要素については、共通するものであると考えられる。
4.2 本研究の理論的貢献と残された課題これまで、スポーツのプロ化に着目した研究では、日本国外の事例が制度派組織論の正当化概念を用いて説明されはじめている(O’Brien and Slack, 2003; Batuev and Robinson, 2018; Lakshman and Akhter, 2015)。しかしこれらの研究は、正当化の実現可否がプロ化の成功または失敗に結び付くことを明らかにするに留まっており、プロ化を成功させる組織のリーダーはその必要性が指摘されるが、具体的な行為については明らかにされてこなかった。
この残された理論的課題に対して本研究では、Selznick(1957)のいう制度的リーダーシップの理論的視座を取り入れることで、プロ化を進めたい制度的リーダーによるプロ化反対派をマネジメントするための制度設計、プロ化に反対する根拠を失わせる組織目標と政策の設定、さらには非公式な場によるプロ化反対派の不安や不満の解消と新たな役割の設定という、先行研究では十分に議論されてこなかったリーダーシップ行動を明らかにしてきた。特に先行研究ではスポーツ団体のプロ化に際して、強力なリーダーの役割は正当性の確保以外の議論がされていなかった。それに対して本研究で明らかにした制度設計やマイクロマネジメントといった新たなリーダーシップ行動は、スポーツ経営分野における制度派組織論の援用について、大きな理論的貢献があると考えられる。
次にスポーツのプロ化についての先行研究ではアマチュアリズムとプロフェッショナリズムの対立を前提として、組織がアマチュアリズムのロジックからプロフェッショナリズムのロジックへ入れ替わることが素朴に前提とされてきた。本研究で取り上げたJBAの事例においても、プロ化反対派のアクターらが意思決定の過程から排除されているが、アマチュアリズムのロジックに基づくアクターらを組織外に排除したわけではなく、JBAが組織としてプロフェッショナリズムのロジックに完全に変化したわけでもない。制度設計と個別の利害に対応した政策を通じて、アマチュアリズムに基づくアクターらの役割がバスケットボールの普及や育成として位置づけられ、プロフェッショナリズムのロジックに基づいた興業や強化に依存しなければ成立しない状況を作り上げていくマネジメントが制度的リーダーによって行われたこことを明らかにした。このようにアマチュアからプロへというロジックの入れ替わりではなく、混合としてプロ化が進められる事例に注目した分析を行ったことは、先行研究に対して制度ロジックに関する議論の持つ本来の含意に基づいた、理論的貢献へと発展し得る可能性を有していると考えられる(松嶋・早坂, 2017:68-70)。
最後に本研究に残された課題は、JBAによる国内男子バスケットボールのプロ化が、東京2020大会への出場資格の喪失という外部的危機を起点にしていることである。制度派組織論では、制度化された主体がいかに制度を変革できるかを問う、「埋め込まれたエージェンシーのパラドクス(the paradox of embedded agency)」と呼ばれる理論的課題を有しており、制度化された主体は既存制度に拘束され、結果、制度変化を説明できなくなるという理論的行き詰まりに陥っている(桑田耕太郎・松嶋登・高橋勅徳, 2015:6)。スポーツ組織の変革の契機や強力なリーダーの出現を外部の危機に還元して説明していくことは、内生的発展の可能性を閉ざすという理論的・実践的課題を生み出しうる。
それ故に今後求められるのは、バブル期と謂われる1980年代後半からプロ化の議論が始まり、1991年の実業団スポーツが全盛期の時代にプロリーグを発足、1993年にプロリーグが開幕した日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の事例のように、組織外にプロ化の必要性が生じていない状況でアマチュアリズムからプロフェッショナリズムへの転換に成功した事例の分析が必要であると考えられる。