Journal of Information Processing and Management
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Wikipedia : its reliability and social role
Kyuhachi KUSAKA
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2012 Volume 55 Issue 1 Pages 2-12

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著者抄録

ウィキペディアは,誰でも編集できる,フリーなオンライン多言語百科事典である。多くの人に利用されているが,信頼性についての疑問が示されてきた。本稿では,まず,その信頼性について,先行する調査を概観していく。百科事典の性質や,ウィキペディアの記事内容に関する「検証可能性」「独自研究は載せない」「中立的な観点」という重要な方針が促す改善と常に発展過程にあるという性質による限界を論じる。また,あらゆる人に知識を提供するオンライン百科事典の果たす社会的な役割についても検討する。誰もが専門的な知識を理解しなければならない知識基盤社会/高度情報化社会において,検証可能な信頼できる情報源を示したオンライン百科事典は,すべての人を専門的な知識へと導くことを可能にする。

本稿の著作権は著者が保持し,クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植(CC-BY-SA 3.0 unported)ライセンスの下に提供する。

1. はじめに

東日本大震災とそれに続く原子力発電所の事故は,多くの人の科学・科学技術への関心を高めた。その動機は,自分自身や家族・子供たちへの健康被害を避けたいという想いや,住み続けた土地への愛着や生活基盤から切り離されることへの不安があり,さらに行政・東京電力・科学者・メディアから発せられる情報の不十分さ,それらへの不信感などに求められるだろう。そして,そうした動機付けは,あらかじめ持っていた科学・科学技術の知識やリテラシーの多寡とは関係ない。

「何が起こっているのか」「どうすればいいのか」という問いには,なかなか答えが与えられず,いくばくかでも与えられた説明には,科学・科学技術の言葉が用いられた。それらは,すべての国民が知る概念ではなく,知る機会がなかったであろう者も少なくない。「シーベルト」という単位は,大学で,それに関連する分野を専攻しなければ,出合う機会がない。テレビや新聞などのマスメディアと並んで,そうした言葉の意味を与えたのは,グーグルであり,ウィキペディアであった。アクセス統計によれば, 3月11日に「マグニチュード」へ約21万,12日に「炉心溶融」へ約69万のアクセスが見られた注1)

本稿では, 専門家ではない人々が,自ら欲する情報へと容易に到達できる情報源として広く活用されるに至った,誰でも編集・閲覧できるオンライン百科事典としてのウィキペディアを考えてみたい。

筆者は,2005年12月から「Ks aka 98」というアカウントで,ウィキペディア日本語版に参加している注2)。管理者ほかの権限を持ち,しばしばメディアの取材に対応したり,ウィキメディア・カンファレンス・ジャパン注3)の運営スタッフを務めたり,サイエンスアゴラなどで発表したりもする注4)。運営するウィキメディア財団の職員ではなく,またウィキペディア日本語版を代表する立場ではないことには留意されたい。

2. ウィキペディアについて

ウィキペディアは,誰でも編集できるオンライン百科事典であり,メディアウィキ注5)を使用し,フリーライセンスで提供される。2001年1月に始まり,2003年には運営のための非営利法人としてウィキメディア財団が発足した。2001年5月には多言語化に乗り出し,12前後の非英語版ウィキペディアが生まれる。2002年12月に始まった辞典作成のためのプロジェクト=ウィクショナリーほか,ウィキブックス,ウィキクォートなどの姉妹プロジェクトも存在する。ウィキペディアの日本語版は2001年5月に作成され,2002年9月頃からインターフェースの日本語訳が始まった。2012年1月現在,280以上の言語で,2,000万を超える項目があり,日本語版についてはおよそ78万の項目が作られている。

図1 ウィキペディア日本語版のメインページ

歴史的経緯などについては,ウィキペディア自体にも記述があり,寄付の総額や各種統計も公表されている。ウィキペディアを取り上げた書籍としては,英語版を中心としたウィキペディア全体の歴史やコミュニティーのありようについてはアンドリュー・リー『ウィキペディア・レボリューション』1),フランスでの批判的な調査としてアスリーヌほか『ウィキペディア革命』2)(およびその解説として日本語版のことを中心に書かれた木村忠正「ウィキペディアと日本社会」3)),日本での状況についてやや批判的な『ウィキペディアで何が起こっているのか』4)などがある。雑誌でのまとまった論考としては,歌田による『週刊アスキー』注6),中村英による『朝日総研リポート』での連載注7)などがある。

ウィキペディアへの関心は,「集合知」や「Web2.0」といったキーワードを介して,その執筆コミュニティーやソーシャル・サービスとしての運用あるいはガバナンス,公開での共同作業システムの応用,広報ツールとして,またはインターネット・リテラシーの教材としての有用性,クリエイティブ・コモンズなど著作権などが対象となることも多い。また,近年はデータマイニングの素材として扱う論文も多い注8)。これらについては,機会があれば改めて取り上げたい。

3. 信頼性調査

ウィキペディアは信頼性が要求される百科事典であり,オンラインであること,誰でも編集できることから,その信頼性はしばしば批判の対象となってきた。

ウィキペディアの信頼性に関する調査は少なくなく,よく知られた『ネイチャー』のものなど本格的な調査が英語版についてはあるが注9),日本語版に関してはほぼ見当たらない。

信頼性についての調査で,比較的最近のものとしては,2009年12月に実施されたヤフーバリューインサイト株式会社による「情報メディアに関する調査」5),2010年4月に実施された株式会社ドゥ・ハウスによる「情報メディアに関する利用実態調査」6)があり,結果の一部を公開している。ヤフーバリューインサイトの調査では「フリー百科事典」の信頼度はテレビや雑誌を上回る。一方,ドゥ・ハウスではテレビやラジオに劣り雑誌を上回るという結果になっている。専門的な知識を持つ者による全般的な評価としては,「人文リソースサイト アリアドネ」が2006年(3月1日開始,3月19日02:55:31最終回答)に行ったアンケート7)で「基本的に正確: 26 / 問題が多い: 33 / どちらともいえない: 18」という結果があり,長塚隆と神野こずえによる2011年の「学生におけるWikipedia日本語版の利用動向」8)から司書講習受講者の回答として「信頼できる: 2.3% / どちらともいえない: 84.1% / 信用していない: 13.6%」という結果を得ている。内容の正確さについて検証を行ったものとしては,現在閲覧できないが,「グループ研究レポート」として以前公開されていた2008年の樫原ほか「Wikipediaの評価」9)が,おそらく唯一のものだろう。ランダムに選んで2007年12月11日21~22時にダウンロードした162記事中,紙媒体の事典または公式ホームページで検証可能な114記事について固有名詞・年号の正誤を調査し,「100パーセント信頼できるとは言い切れない点が少なからずあることも考慮しなければならない」という留保を付けつつ,結論としては「Wikipediaは信頼できる」としている。

4. 百科事典に求められるもの

多くの場合,百科事典を参照する者は,その項目について,たまたまそれをどこかで目にした程度でその内容をほとんど知らないか,かつては理解していたがたまたま思い出せず,あるいはおおよそは把握しているものの自らの理解に自信が持てないか,であろう。または,ある事柄について独習しようとする初学者が,その端緒として概観を知ろうとしているのかもしれない。いずれにしても,百科事典の読者は,そこに書かれていることの正しさや妥当性を評価できる立場にはなく,同時に,そこに書かれていることを網羅的に,かつ厳密に理解しようとしているのではない。

そのような読者に必要なのは,その語が指し示す事柄の概観であり,その語を知る者にとっては一般的な常識とされる範囲の情報である。医療など誤りが深刻な問題を生じるような領域を除けば,誤りであっても一般に流布している情報は,読者が生きる社会においては有益なものとなりえる。例えば,誰かのエッセーを読んでいて,見慣れない言葉に出くわして調べてみているような場合などでは,著者が誤った情報に基づいて用いているようなこともあるだろう。もちろん,学術的に誤った俗説や古い説が一般に流布している場合はあるだろうし,百科事典は正しい知識を提供するべきではある。

百科事典に書かれているべきことは,その語の意味を,専門書や学術論文ではなく,また新聞や雑誌の最新号あるいはバックナンバーでもなく,百科事典で知ろうとする者にとって必要な限りの情報である。学問やジャーナリズムに求められる詳細な情報や,最新の動向は,必須ではない。むしろ整理された基礎的な事柄が望ましい。

「科学」「文化」「情報」のような項目であれば,その語が指し示す事柄の概観を過不足なく,正しく書くことは,一線級の専門家であっても困難だろう。しかし,項目の粒度を選べば,基礎的な事柄,その語を知る者にとっては一般的な常識とされる範囲の情報は,専門家ではなくとも書くことはできる。大学時代に関連する分野の授業をまじめに受けていたり,仕事としての経験で得た知識や趣味として関心を持っている事柄であれば,だいたいのことは,大きな間違いなく書けるだろう。参加への動機付けが,悪意や悪戯ではなく,「信頼されるフリーな百科事典を―それも,質も量も史上最大の百科事典を創り上げること」10)というウィキペディアの目的への共感や,あるいは自身の知識を誇りたいというようなもの,間違いを見つけて直さずにいられなかったというようなものであれば,記事は正確なものへと向かう。

記事が誰でも編集ができる状態にあれば,間違いに気付いた者が訂正し,また不足している部分を書き加えることができる。書かれた時には間違いでなくとも,国家の独立や人口の変化,新たな知見の発見など,修正が必要な事柄もある。

誰でも編集できるために悪意ある編集がなされることもあるが,単純な悪戯の類であればその項目についての知識を持たずとも,読者は悪戯であると判断でき,操作の仕方を知っている編集者が気付けば容易に直前の版に戻すことができる。まったく知識のないことについて百科事典らしい文章をつづることは難しい。

論争が生じやすい記事や注目を集めるための悪戯の対象となる記事では,正しい内容が得られないこともある。この場合は,記事についての対話や議論を行うための「ノートページ」や編集の記録が残された「履歴ページ」を見ることが,判断の一助となるだろう。記事上部にある「ノート」や「履歴表示」のタブから移動することができる。ウィキペディアではすべての版について,編集時刻,編集者,記事内容が記録されており,編集差分を見ることもできるため,どのように記事が発展したか,どのような論争や悪戯があったかを確認することも可能である注10)

図2 [[ウィキペディア]]のノートページ

図3 [[ウィキペディア]]の履歴ページ
図4 過去の版の差分表示

[[ウィキペディア]]は「2012年2月11日 (土) 01:44時点における版」で白紙化されたが,1分も経たずに元に戻されている。

多数の善意とたくさんの目により,正しいとは限らないとしても一定の信頼性を持ち,常識を集約した百科事典らしきデータベースは,おそらく社会において有益であろう。例えば「ヤフー知恵袋」は,そのような知識の集積といえる。

5. ウィキペディアが目指すもの:内容に関する三大方針

しかし,それはウィキペディアが目指すものではない。おそらく,初期のウィキペディアが,それほどひどい内容にならないで形成されていったのは,そのような素朴な善意に拠る。しかし,信頼性を増すために,いくつかの方針が生まれた。ウィキペディアには,「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:中立的な観点」「Wikipedia:独自研究は載せない」という,相互に補完しあうものであり,それらをばらばらに切り離して解釈すべきではないとされる方針が定められており,内容に関する三大方針と呼ばれる。

中立的な観点は,「特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い,中立的な観点に沿って書かれていなければならない」というもので,「特定の観点からの意見を主張するかわりに,論争における様々な立場を公正に説明すること」とされる。ここでは,多数意見や中庸な記述が望まれるのではなく,現実に応じて重み付けされた形での両論併記と,それを誰が唱えているかということを含めて書くことで,ある意見を事実とするのではなく,そのような意見があるという事実を書くことが求められる。

検証可能性は,記事には信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきであり,執筆・編集の根拠となる情報源を示すことを求める。ある記述について,何を参照し,読者に何を参照させるのが最善かを考えはじめると難しくなるが,まずは何を見て書いたかを示すことはできるはずだ。

独自研究(original research)すなわち「信頼できる媒体において未だ発表されたことがない」「事実,データ,概念,理論,主張,アイデア,または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ,解釈など」は,ウィキペディアに掲載できない。ウィキペディアの執筆者による研究の発表や感想・批評であれば検証可能性を満たさないが,実在する一次資料から独自の解釈で構築される「トンデモ記事」を避けるために,個々の事実とされる記述だけではなく,論証や解釈,評価などについての二次的な資料を示すことが求められる。

これらの方針によって,ウィキペディアの記事は,ウィキペディアの執筆者ではなく,外部の情報源の執筆者で信頼性が担保されたもの,そして読者が自ら確認したり,より詳細な情報を得る手がかりが提供されたものとなり,論文作法にも似た執筆姿勢へと,書き手は誘導されていく。中立的な観点は,論争のある記事の落としどころを探る指針となり,検証可能性,独自研究の排除は,編集者の根拠のない強弁を排除する。方法論としては,学術論文のあり方に近く,ただし新たな知見を生むことを目的としない,いわゆる総説論文を,百科事典的な文体でわかりやすく書くというものになる。特に検証可能性の存在は,ウィキペディアにパスファインダーとしての機能を持たせ,執筆者は信頼できる紙の情報源からオンラインに情報を送り,読者をオンラインから紙の情報源へと導く。

図5 [[イタリア統一運動]]

256か所で情報源が対応付けされ,38の文献が用いられている。

これらに加え,いくつかの方針はウィキペディアの方向性を示す。「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」は,その内容が辞書,リンク集,SNS,名鑑,教科書といったものではないと規定する。「Wikipedia:特筆性」は,第三者による情報源がなければ中立的な観点からの記述を検証可能性を満たす形で記述できないため独立した項目にはできないとし(2011年末時点で草案),「Wikipedia:存命人物の伝記」では,現代の人物の記述については特に検証可能性や中立的観点を厳しく適用させ,プライバシーや個人情報については書かれる側の意思をいくらか尊重し,「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」では,当事者や利害関係者が,明らかな誤りの修正を行う場合を除き,記事の作成や加筆に参加することを抑制する。

6. 発展途中の百科事典

内容そのものを検証するものでなければ,前述のような「百科事典」の性質から,「誰でも編集できる百科事典」の信頼度は一般にはそこそこ信頼でき,専門家からは頼りにならないものととらえられることは,想像に難くない。ウィキペディアの方針は,ウィキペディアへの参加者を,専門家からも認められるような内容へと導くものであり,時には専門家が手を出しづらい領域を補うことにもなる。しかし,それには多くの労力が必要であり,その完成度を得てから公開するよりも「公開されたベータ版」として,発展させ続けることが公益にかなう。「一般にはそこそこ信頼でき,専門家からは頼りにならないものととらえられる」という状態は,まだまだ続くであろう。完成するまでに『フランス百科全書』は20年以上の歳月を要し,三省堂の『日本百科大辞典』(全10巻)は間に版元の倒産と再起を挟み10年を要した。これまでの百科事典のように一線級の研究者を起用して作成しているのではなく,自発的に参加した「誰でも」が作成していることを考えれば,現在のウィキペディア日本語版の規模と内容は,悪いものではない。方針そのものも,最初から存在したのではなく,編集を繰り返す中で発生し周知され洗練される。方針に従った記述は,労力を伴うものであり,参加者の減少や衝突を生むため運用上の困難がある。ウィキペディアに信頼できそうな記事と,頼りない記事が混在するのは,それがまだ発展途中だからということが大きい。

図6 [[情報]]の初版

2003年6月25日 (水) 04:21に作成された。本文は200字に満たないものだった。

つまり,発展途中であるウィキペディアにおいては,間違いの指摘は,それが公になされるならば,それは修正の契機であり,根拠となるのだから,歓迎すべきことだということだ。加えて言えば,ウィキペディアは誰でも編集可能であり,誤りが残っているということは,これまでの執筆者,編集者,閲覧者に,その記述が誤りであると気付くことができ,あるいは正しい内容に修正することができる人がいなかったということである。誤りを修正できる人がその記述を発見したのであれば,修正することでウィキペディアの信頼性は向上する。修正によって,グーグルからウィキペディアにたどり着いた無邪気な閲覧者に,これ以上間違った情報を伝えることを避けることができる。

ウィキペディアは,例えば論文や新聞記事に引用できるほど信頼性の高いものにはなりえない。大学生がレポートを書く上で,最初のとっかかりとして使う程度のものであり,むしろその大学生が調べた後に編集することで質を向上させることが望まれる。読者のメディア・リテラシーによって信頼性についての留保をつけながら,発展させるものである。

7. 公共的な知識のインフラとして

さて,それでもこのようなオンラインの百科事典は,今日の情報社会/知識基盤社会/科学技術社会において,重要な役割を担うことになる。

繰り返しになるが,今日では,義務とされる教育を全うしたのみでは,自立した判断主体として社会で行動することが困難となった。公表済み知識の集合体である百科事典の存在は,あらゆる市民・住人が,個々の幸福を追求し政策決定に関与する上で,前提となる知識・教養を獲得するための公共的な知識のインフラとしても意味を持つ。

このオンライン百科事典がウィキメディア財団が運営するウィキペディアである必要はない。その理由は,十分な知名度を既に獲得しているということだけではない。誰でもオンラインで閲覧可能であり,クリエイティブ・コモンズ・ライセンスにより改変や複製を伴う共同作業のみならず印刷と頒布を可能にしてデジタル・ディバイドを回避させ,国家や特定企業から独立し,また多言語展開することで中立性を担保し,情報源の明示を求める執筆方針によって信頼性の担保と閲覧者による検証を可能にしている百科事典として,ウィキペディアはおそらく唯一のものだということが重要である。中立性に関しては,たとえウィキメディア財団が方針を変え,偏向的な目的のためにウィキペディアを使おうとしても,著者が著作権をウィキメディア財団に譲渡することなく,自らが保持したまま一定の条件下での複製や改変を誰にでも認めるクリエイティブ・コモンズ・ライセンスにより,ウィキメディア財団はより中立的な活用を求めて他のサイトへと何者かが移植することを制御できない。また,データベースのすべてのデータを誰でもダウンロード可能な状態として提供しているため,これを利用する多くのミラーサイトや研究者によって分散保存がなされている状態にある。財団のサーバーが物理的に破壊されたとしても,主要言語版については,その数週間前の版がどこかに保存されていることが期待できる。

しかし,こうした公共的インフラとしての「百科事典」は,これまで「科学コミュニケーション」や「生涯学習」の文脈では,注目されてこなかったように思える。

科学コミュニケーションは,「様々な立場の人たちが科学技術を話題にコミュニケーションし合うことで科学技術を身近な文化として定着させ,社会全体の意識を高める必要がある」という問題意識から立ち上がってきたものである。「旧来の一方通行の科学啓蒙ではなく,互いのバックグラウンドを踏まえたコミュニケーションを促進すること」に最大の特徴がある11)。サイエンスアゴラという「広場」が作られ,人材の交流がなされることは,望ましいことである。同様に,サイエンスアゴラに集まる人々が,それぞれの拠点において,それぞれの活動を行うことも重要である。しかし,そこでは市民の多様な関心やバックグラウンド,知識量に対応することは困難であろう。参加費や地理的・時間的な事情で参加できないこともあろう。原子力発電所事故によって科学技術の知識への関心が急速に,かつ切実に高まったなかで,一部で科学コミュニケーション批判として露呈したのではなかったか。能動的な情報収集を開始しさえすればすべての個人がアクセス可能な「オンライン百科事典」の存在は,科学コミュニケーションを下支えする存在ではないだろうか。

このことは,科学技術に限定したことではなく,市民の政策参加において,人としてのあらゆる営みにおいて,知識やリテラシーの不足は,科学技術と同様に存在する問題であろう。ポプラ社の飯田は『総合百科事典ポプラディア』について,「現代の社会を生き抜いていくには,まだ一度も出合ったことのないような問題に日々向き合っていかなければならず,問題を解決する力の方がむしろ重要」であり,「子どもたちが主体的に図書資料やインターネットなどを使って調べる学習」である「調べ学習」や「総合的な学習の時間」によって「その問題解決の力」が養われると書いた12)。子どもたちには『ポプラディア』がある。では,大人たちには,何があるのだろうか。養われた問題解決の力を活用するための知識を,どのように活用できるのだろうか。

図書館に足を運べば,百科事典や多くの書籍があるだろう。しかし,そこまで足を運ぶことが困難なこともある。あなたの町の公共図書館にある百科事典は,最新の情報を持ち合わせているだろうか。例えば,南スーダン共和国は国として記述されているだろうか。低線量被曝に関する最新の専門書と,それを読み解くための関連図書を備えているだろうか。海外の学術論文データベースにアクセスできるだろうか。ペイ・パー・ビューが可能だとして,論文1本あたりの価格は,情報収集が可能な範囲の額であろうか。

科学コミュニケーターや学習支援者,NPOやNGOのような中間団体の存在は,関心を喚起し,よりわかりやすく知識を提供することを可能にする。しかし,それでも漏れてしまう人たちがいる。無料の百科事典を作成しようとする行為は,将来の,切実な問題を抱えるあらゆる市民の要望に,先回りして,これまでの知見を集めることであり,その執筆者の経験を提供することに等しい。執筆のための情報を検索し, 収集し, 閲覧しようとする上で,大きな障壁のひとつは,専門知や,公的な文書や歴史的な文書・美術品などへのアクセシビリティにある注11)

ウィキペディアは,知らないことについて,その概観を得,さらに深い知識を得るための道筋を,あらゆる人々に示そうというプロジェクトである。

そして,ウィキペディアは,誰でも編集できるプロジェクトであり,その「誰でも」は,専門家を排除しない。大学院生や学部学生に加え,大学教員や研究者の参加は僅かではあるが既に存在し,学会としての取り組みや,ウィキペディアの編集者コミュニティー外部からの取り組みも発生した注12)。いくつかの国では,図書館・文書館・博物館との共同作業も行われている注13)。この文章を読む人たちが,ウィキペディアへ参加することを期待する。

なお,本論文の著者は,日下九八の名義を使用した上で本論文の著作権を保持し,CC-BY-SA 3.0 unportedで公開し,公表後30年をもって,権利行使を行わない旨宣言する。加えて,著作権者表示,商用利用を認め,同一条件での再利用の制限をつけた改変を認める,あらゆるコピーレフトライセンスでの再配布をあらかじめ許諾する。論文の公表時の法と,使用時の法のうち,いずれかにおいて,米国著作権法上フェアユースと認められる使用であれば,日本の著作権法の権利制限規定の対象とならない使用についてもあらかじめ許諾する。もちろん,日本の著作権法の権利制限の対象となる使用は自由である。また,図書館など公共施設における全文の複写およびOCRを含む電子データ化と複製の提供,教育を目的としたあらゆる使用,私的目的のための複製として原資料を保持しながらOCRを含む電子データ化を行うことおよび業者などに代行させることを明示的に許諾する。

本文の注
注1)  記事ごとのアクセス数は アクセス・カウンタ(http://stats.grok.se/)で得られる。アクセス・データは,http://dumps.wikimedia.org/other/pagecounts-raw/からダウンロードが可能。このデータを用いて,3.11後のアクセス情報について,サイエンスアゴラ2011ではウィキメディア・プロジェクト参加者である Ninomyが発表を行った。発表資料「震災直後のウィキペディア日本語版へのアクセス状況」(http://www.slideshare.net/ninomy/ss-10226720)。またNINOMY.INFO(http://www.ninomy.info/wm-stat)も参照。

注2)  Ks aka 98の利用者ページはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/User:Ks_aka_98。権限保持状況は[[特別:登録利用者一覧&limit=1&username=Ks+aka+98]]。なお,以下ウィキペディアの記事を指す場合はメディアウィキの記法に倣い[[User:Ks aka 98]] などと記す。

注3)  2009年,2010年に開催。2009年については,[[Wikipedia:オフラインミーティング/東京/Wikimedia Conference Japan 2009]](公式ページ http://www.wcj2009.info)。2010年については,[[Wikipedia:オフラインミーティング/WCJ2010]],「ウィキメディア・カンファレンス・ジャパン2010報告」2011年1月23日(http://www.dotbook.jp/magazine-k/2011/01/23/wikimedia_conference_japan_2010/)を参照。

注4)  サイエンスアゴラは独立行政法人科学技術振興機構が主催しているイベント。公式サイトでの説明では,サイエンスをとおしてみんながつながる「ひろば」とされる。サイエンスアゴラ2011「サイエンスアゴラとは?」(http://www.scienceagora.org/scienceagora/agora2011/about.html)。Ks aka 98ほかによる発表については,サイエンスアゴラ「ウィキペディアとサイエンス/百科事典と科学」11/19 15:00-16:30 東京都立産業技術研究センター(http://scienceagora.org/scienceagora/agora2011/report/program/Tb-04.html)。 記録音声 http://www.youtube.com/watch?v=_2QpovDs9bA&feature=youtu.be。本稿は,ここでの発表資料をベースにしている。

注5)  MediaWiki(メディアウィキ)は,Webブラウザを利用してWebサーバー上のハイパーテキスト文書を書き換えるソフトウェアであるウィキ・ソフトウェアの一種。ウィキペディアのために開発された。[[MediaWiki]],[[ウィキ]]も参照。

注6)  歌田明弘の「地球村の事件簿」2007.10.12~2007.11.30(初出は『週刊アスキー』での「仮想報道」vol. 503~510)。

注7)  中村英. ウィキペディアは「web2・0」の旗手たり得るか. 朝日総研リポート. 2007, no. 202~205.

注8)  早いものとしては,中山2006があり,ウィキメディア・カンファレンス・ジャパン2009では第21回セマンティックウェブとオントロジー研究会(第2回Wikipediaワークショップ)(http://sigswo.org/A901_program.html)も開催された。Wikipediaのダイナミクスの解析やコンテンツ解析を行う研究グループとしてWikipedia研究所(SIGWP: Special Interest Group on Wikipedia Mining)(http://sigwp.org/)も参照。

注9)  英語版ほかの調査については,渡辺智暁. われわれはウィキペディアとどうつきあうべきか : メディア・リテラシーの視点から. 情報の科学と技術. 2011, vol. 61, no. 2, p. 64-69.

注10)  それぞれの版には固有のID番号とURLが与えられており,ページ左側のサイドバーにある「この版への固定リンク」からURLを取得可能。これを用いることで,論文などでのウィキペディアの記事を参照させる場合に,その後の編集によって内容が変わっても,特定の版を参照させることができる。

注11)  佐藤翔,永井裕子,古賀崇,三隅健一,逸村裕「機関リポジトリへの登録が論文の被引用数と電子ジャーナルアクセス数に与える影響」(情報知識学会誌. 2011, vol. 21, no. 3, p. 383-402)によれば,機関リポジトリへの論文登録は「従来とは異なる新たな読者」を獲得可能で,その新たな読者は「領域外の研究者か,それ以上に研究者以外の市民が多い」と考えられている。また,佐藤翔,数間裕紀,逸村裕「学術論文のOA化に対する市民の需要」(2011年日本図書館情報学会春季研究集会. 東京. 予稿および発表スライド)では,非専門家である回答者のOA認知度は低く,OA論文の利用経験も少なかったが,OA論文が自身の役に立つと考える回答者の割合は過半数を超え,書籍・新聞・雑誌等で得られる情報よりも専門性の高い情報が必要な場合には,研究者以外の人々でも学術論文を利用する意欲があり,心理学と医学をはじめ,情報学,工学,教育学,物理学などの分野に需要があると考えられる。

注12)  ウィキペディアに参加する専門家の報告として,山田晴通「ウィキペディアとアカデミズムの間」(人文自然科学論集(東京経済大学).2011, no. 131, p. 57-75. http://camp.ff.tku.ac.jp/yamada-ken/Y-KEN/fulltext/11wa.html)。土木学会での取り組みは,土木学会応用力学委員会ウィキペディアプロジェクト「土木学会の動きからピックアップ ウィキペディアを用いた学術学会による社会貢献の新形態を提案します。」(土木学会誌. 2010, vol. 95, no. 3, p. 54-56)および吉川仁“ウィキペディアと「学び」:応用力学ウィキペディアプロジェクト”(ウィキメディア・カンファレンス・ジャパン2009. 発表資料 http://www.wcj2009.info/images/A-1_3.pdf)。2011年の「研究者,専門家そして,その卵」が中心となって執筆に参加しようとする企画について next49“WAQWAQプロジェクト:Wikipedia日本語版を充実させる2ヶ月間”(http://www18.atwiki.jp/waqwaq-project/)。

注13)  共同作業が形になった比較的早い例としては,2009年のオーストラリアで「GLAM-WIKI」と名付けられたカンファレンスおよびパワーハウス博物館の「バックステージ・パス」の開催がある。GLAMはギャラリー,図書館,文書館,博物館の頭文字(Galleries,Libraries,Archives,Museums)。

参考文献
 
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