Journal of Information Processing and Management
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Anonymous speech of the Founding Fathers of the United States
Takushi OTANI
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2013 Volume 55 Issue 10 Pages 774-777

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今年9月に発覚した遠隔操作マルウェアによる誤認逮捕事件は,インターネットにおける匿名性や追跡可能性の問題を改めて考えさせる。IPアドレスというインターネット・コミュニケーションのIDがあっても,必ずしもそのIDからコンピューター・情報機器の操作者は明らかにならないという当たり前の事実が,私たちには突きつけられた1)

このような事件があると,インターネットの匿名性そのものがやり玉に挙げられ,現在のIPアドレスやMACアドレスのように情報機器やコンピューターを識別するIDではなく,個人を識別するIDをインターネット利用に導入しようなどの意見もあるかもしれない。

しかしながら,ほかに先駆けて「インターネット実名制」を導入した韓国は,早くも挫折した。2007年に韓国は大規模なインターネットサイト利用時に住民登録番号などの個人情報を使って登録を義務付ける法律を制定した2)。今年8月,同国憲法裁判所がこの制度を違憲と判断した上,当初狙いとしていた権利侵害をもたらす書き込みや犯罪を助長する書き込みなどの抑制効果もこの制度では低いことがわかってきた3),4)

インターネットの匿名性をどう考えればよいか。この問いに回答するには,倫理学的・哲学的考察に加えて,なぜ私たちが匿名性を必要とするか,多くの歴史的事例に学ぶ予備的考察が必要である。本連載でも匿名性に関する歴史的挿話や考察を断片的ではあるが,拾い上げていきたい。

韓国での違憲判決よりもかなり前に,アメリカのEFF(電子フロンティア財団)は,インターネットの匿名言論は憲法的な権利であると擁護する論陣を張っている5)。複数の憲法裁判例を取り上げ,匿名言論や匿名による読書が憲法上の権利であると主張している。遡って,1961年には,「匿名性の憲法的権利と言論の自由,情報公開,悪魔」と題する研究ノートが『イェール・ロー・ジャーナル』に掲載されている6)。ただし,残念ながら,この研究ノートは,結社の自由と匿名性の関わりを問題とした裁判例について主に論じるものであって,匿名言論については簡潔な理論的考察が行われているに過ぎない。

そもそもアメリカ建国は,匿名言論から始まったとも言える。横暴な国王への抵抗を主張し,アメリカ独立革命に火をつけたとされるトマス・ペインのパンフレット『コモン・センス』は当初匿名で出版された7)。もちろん匿名が選ばれたのは,政府転覆を主張する危険文書だったからだ。

このように多数派や権力者から不人気な意見を発表するためだけでなく,いろいろな理由からアメリカの建国者たちは匿名を利用した。ベンジャミン・フランクリンの生涯から匿名言論に関わるエピソードを抜き出してみよう。

プライバシー問題全般を扱う雑誌『プライバシージャーナル(Privacy Journal)』を主宰するロバート・エリス・スミスによれば,フランクリンは42の筆名を使い分けていたという(が,その裏付けははっきりしない)8)

貧しい生まれだったフランクリンは,刃物職人に一時弟子入りしたものの,読書好きが高じて兄の1人が経営する印刷所で働くこととなった。その後大学教育はまったく受けず,読書と知識人との交流でさまざまな方面の知識を独学した9)

フランクリンは幼いころからその賢さがきわだっていたようだ。12歳で働き始めてから,10代の間に読書人や貴顕との交友を広めていく挿話が自伝には見られる。ただ,自分の頭の良さを見せびらかす傾向があったようで,後年にはフランクリン自身の生活を規律してきた「13徳」の教えの中で,自分にとって克服が難しい悪徳として「高慢」を挙げ,謙譲を重要な徳としている10)

15歳の時(1721年),兄が発行を始めた新聞に,フランクリンは匿名で投稿をした。この新聞には兄の友人の有能な人たちが投稿していて,彼もその仲間に加わりたかったのだと自伝では記している。自分の名前で投稿したのでは載せてくれないだろうと,彼は考え,「サイレンス・ドゥーグッド夫人」を名乗って原稿を書き,夜中に印刷所の戸口に差し入れておくことを始めた。兄は仕事場にやってくるとこの原稿を見つけて,しきりと原稿を褒めて仲間たちと誰が書いたのか当て推量したという11)13)

何度か投稿したものの,ついに種切れしたフランクリンは,サイレンス・ドゥーグッド夫人の原稿は自分が書いたものだと打ち明けた。兄の友人には一目置かれるようになったものの,兄とはこれがきっかけで不和になったという11)。匿名によって欺かれ,弟を知らずと褒めていたことを知って,フランクリンの聡さが生意気に見えてきたのだろう。

1729年には,「紙幣の性質と必要」というパンフレットを匿名で出版しているが,何よりも有名なフランクリンの匿名出版は,彼がリチャード・ソーンダーズの名前で出版した「貧しいリチャードの暦」であろう。1732年にこの暦の出版を開始し,その後約25年間刊行を続けた14)。この暦は,成功のための人生訓が毎日書かれており,「時は金なり」などの有名な格言も含まれている15)

フランクリンが他人の匿名言論に手を貸したケースもある。フランクリンとともにイングランドに渡ったジェイムズ・ラルフは,後に『英国史』を著し,政治評論家として名を挙げたが,当初は詩人志望だった。仲間内での詩の披露の際に,敵愾心をもつ仲間が嫉妬からどうしても自分の詩は褒めないだろうからとラルフに懇請されて,フランクリンは彼の代わりにラルフ作の詩を朗読し喝采を受けたという挿話も登場する16)

15歳の時の新聞投稿やラルフの詩の代読は,発言者の属性がその発言内容に影響せずに評価されることを望んだものだ。つまり,自分自身の言論が発言者の属性から切り離されて評価されることを期待して,匿名を選んだ事例である。

一方,「貧しいリチャードの暦」は,信憑性や説得力を増すために,「貧しいリチャード」というキャラクターを作り出したと考えられる。なんといっても,この暦の刊行を開始した当時,フランクリンは26歳の若僧だった。勤勉と節約を勧めるカレンダーの教訓や格言を若僧が書いたと知ったら,みなそんな教訓や格言に説得力を感じないだろう。実際のところ,当時すでに貴顕や知識人との交流を始めていたとはいえ,この暦のおかげでフランクリンは富への道を歩み出したのであって,まだ成功者とは言えなかった。

これと似た例は枚挙にいとまがない。呪術師ドン・ファンに仮託して文化人類学者のカルロス・カスタネダが創造した「ドン・ファンの教え」。紹介者ショイルマンの筆になるものと明らかになった,サモアの酋長の発言を集めたとされる『パパラギ』の文明批評。やはり紹介者である山本七平が書いたと明らかになった,イザヤ・ベンダサンなるユダヤ人が書いたとされた日本人論。こうした書物は,本当の著者が隠れることで,書物の信憑性や説得力を増そうとするものだ。

最後に,儀礼としての匿名性とでもいうべき事例を紹介する。『ザ・フェデラリスト』の名で知られるアメリカ憲法制定をめぐる連邦派の論文は,「パブリアス」の名で発表された。

85編に及ぶパブリアスの論文は,反対派に抗して,新しい憲法と連邦制を擁護するものであった。この憲法案では,独立戦争のために結成された連合会議(大陸会議)を連邦制へと再編し,強化する構想が含まれていた。反対派は,新しい憲法案に規定されている連邦政府が非常に強力な権力を手に入れて,13の共和国(州)や人民の自治を圧倒するのではないかと恐れた。これに対して,連邦派(とくに,マディソン)は,広大な領土の共和国は,多数の勢力が拮抗し,支配的な一派が生まれることがないので,より公共善が実現されやすいとした17)19)。ここに対立があった。

しかし,ペインのように,政府や多数派による弾圧から身を守るため,彼らは筆名で書いたわけではない。この筆名は,「当時一般に古典古代の共和政治への憧憬を象徴する名前・・・(による)匿名を使って論考」20)を発表することが慣習だったのである。パブリアス(ピュブリウス,ピュブリコラ)は,国王を追放し共和制を築いたことで,「人民の友」と呼ばれたローマの政治家ヴァレリウスのことである17)

アメリカ憲法史を専門とする歴史家のバーナード・ベイリンがまとめた『憲法論争原典』21)には,演説や記事をとりまとめて286件の文書が収録されており,そのうち150件が匿名である。「ペンシルヴァニアの少数派」や「アメリカ人(Americanus)」などの名前も見られるが,その多くはアグリッパやブルータス,カトーなどの歴史的な人名を筆名に用いている。誰が書いたものか現代では明らかになっている者が多いし,パブリアスのように当時から誰が書いたのか明らかであったものも少なくない。

古代の人物に仮託して意見を発表する慣習はもしかすると,実名を掲げて戦うことで政治的論争がひどく激化することを恐れ,「キャラ」を使うことで,政治的論争の無用な白熱を避ける知恵であったかとも想像するが,確信はできない。

匿名を駆使したフランクリンは,絶対に自分の新聞には誹謗や人身攻撃を載せることは避けたそうだ。新聞の自由を主張してフランクリンの新聞に人身攻撃の記事を載せるよう迫る者には,有益な,もしくは興味ある記事を提供すると約束した購読者を裏切れないと断ったという22)。匿名が誹謗・人身攻撃などに悪用されるのは,匿名を利用する者と社会の倫理的意識に左右されるのかもしれない。

参考文献
  • 1)    大谷 卓史. IPアドレスの「精度」. 月刊みすず. 2012, no. 610, p. 2-3.
  • 2)    金 光石. “インターネット上の実名制に関する憲法学的考察(一)-韓国における公職選挙法と情報通信網法を素材に-”. 名古屋大學法政論集. 2012, vol. 243, p. 1-45.
  • 3)  “インターネット実名制に憲法裁判所が「違憲」=韓国”. 聯合ニュース. 2012-08-23. http://japanese.yonhapnews.co.kr/society/2012/08/23/0800000000AJP20120823004400882.HTML, (accessed 2012-11-19).
  • 4)    Ferenstein,  Gregory. “Surprisingly Good Evidence That Real Name Policies Fail To Improve Comments”. TechClunch. 2012-07-29. http://techcrunch.com/2012/07/29/surprisingly-good-evidence-that-real-name-policies-fail-to-improve-comments/, (accessed 2012-11-19).
  • 5)   Electronic Frontier Foundation. Internet Law Treatise beta. http://ilt.eff.org/index.php/Table_of_Contents, (accessed 2012-11-19).
  • 6)   Notes and Comments: The Constitutional Right to Anonymity: Free Speech, Disclosure, and the Devil. Yale Law Journal. 1961, vol. 70, no. 7, p. 1084-1128.
  • 7)   トーマス・ペイン. コモン・センス 他三篇. 小松春雄訳. 岩波書店, 1976. 原著Thomas Paine. Common Sense. 1776.
  • 8)    Smith,  Robert Ellis. Ben Franklin’s Web Site: Privacy and Curiosity from Plymouth Rock to the Internet. Privacy Journal, p. 43.
  • 9)   ベンジャミン・フランクリン. フランクリン自伝. 松本慎一, 西川正身訳. 岩波書店, 1995, p. 22-23. 原著Benjamin Franklin. Autobiography. 1818.
  • 10)   ベンジャミン・フランクリン. フランクリン自伝. 松本慎一, 西川正身訳. 岩波書店, 1995, p. 23, 47, 116-151, and passim.
  • 11)   ベンジャミン・フランクリン. フランクリン自伝. 松本慎一, 西川正身訳. 岩波書店, 1995, p. 31-33.
  • 12)    板倉 聖宣. フランクリン. 仮説社, 1996, p. 21-23.
  • 13)   Silence Dogood. “No titled articles”. The Electric Ben Franklin. http://www.ushistory.org/franklin/courant/silencedogood.htm, (accessed 2012-11-19).
  • 14)   ベンジャミン・フランクリン. フランクリン自伝. 松本慎一, 西川正身訳. 岩波書店, 1995, p. 155-157.
  • 15)   ベンジャミン・フランクリン. プーア・リチャードの暦. 真島一男訳. ぎょうせい, 1996, 134p.
  • 16)   ベンジャミン・フランクリン. フランクリン自伝. 松本慎一, 西川正身訳. 岩波書店, 1995, p. 62-65.
  • 17)    斎藤 眞. “解説”. ザ・フェデラリスト. 岩波書店, 1999. p. 389-408.
  • 18)   A.ハミルトン, J.ジェイ, J.マディソン. ザ・フェデラリスト. 斎藤眞, 中野勝郎訳. 岩波書店, 1999, p. 236-245.
  • 19)    五十嵐 武士 ,  福井 憲彦. 世界の歴史21 アメリカとフランスの革命. 中央公論社, 1998, p. 143-160.
  • 20)    斎藤 眞. “解説”. ザ・フェデラリスト. 岩波書店, 1999. p. 402.
  • 21)    Bailyn,  Bernard ed. The Debate on the Constitution: Federalist and Antifederalist Speeches, Articles, and Letters During the Struggle over Ratification, Part 1 and Part 2. The Library of America, 1993.
  • 22)   ベンジャミン・フランクリン. フランクリン自伝. 松本慎一, 西川正身訳. 岩波書店, 1995, p. 157-158.
 
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