2012 Volume 55 Issue 7 Pages 521-523
「プライバシー」という用語は,『OED』を引いてみると,すでにシェイクスピアが使っているようだ。とはいうものの,浩瀚(こうかん)な『OED』をもってしても僅かに3分の1ページほどしか記載がない。そう頻繁に使われてきた言葉ということでもない。
この言葉が現代的な意味をもつようになったのは1890年であり,それは法律家のサミュエル・ウォーレンとルイ・ブランダイスが「独りでおいてもらう権利」と定義してからのことである。ただし,この定義は,『OED』の1932年版には見当たらない。1972年の補遺版に初めて登場する。つまり,ウォーレンとブランダイスの定義が社会に認知されるためには,それなりの時間,あるいは社会の成熟が必要だったといえよう。
ただし弁護士ビジネスはすばしこく,ここに事業機会を見つけた。彼らは借金の暴露,避妊用具の処方箋の流出などをプライバシー侵害として法廷に持ち込んだ。20世紀に入るとこのような訴訟が増大し,これにともなってプライバシーの概念は膨れ上がった。結果として,プライバシーの概念の整理が必要となった。
これに応えたのがウィリアム・プロッサーであり,彼は1960年に,プライバシー侵害を4つの型に分類した。第1は私生活への侵入,第2は秘匿しておきたい私事の公表,第3は誤解を生じさせる私事の公表,第4は名前や写真の営利的使用,であった。これでプライバシーの多義性については,いったんは解決したかに見えた。
だが,1960年代後半になると,社会の変動はプライバシー概念のさらなる拡張を求めるようになる。それを私たちは,米国におけるプライバシー関連法の制定を追うことによって確かめることができる。
それを列挙しようか。情報自由法(1966年),包括的犯罪防止・街頭安全法(1968年),公正信用報告法(1970年),連邦プライバシー法(1974年),家族教育権プライバシー法(1974年),金融プライバシー権法(1978年),電子資金振替法(1978年),電子通信プライバシー法(1986年),コンピュータ・セキュリティ法(1987年),コンピュータ照合プライバシー保護法(1988年),ビデオ・プライバシー法(1988年),電話消費者保護法(1991年),⋯⋯。
プロッサーの定義はこれらの法律に置き去りにされた。だが,代わって新しい定義がアラン・ウェスティンによって1967年に提案され,それが上記の法律群を支えた。その定義はプライバシー保護を「自己に関する情報をコントロールする権利」とするものであった。
しかし,社会変動はとどまることがなかった。1990年代になりインターネットの商用化が実現すると,プライバシー関連法の導入はさらに加速される。それは,法執行通信事業者協力法(1994年),電気通信法(1996年),医療保険移転責任法(1996年),子供オンライン・プライバシー保護法(1998年),金融サービス近代化法(1999年),USA愛国者法(2001年),ビデオ盗視保護法(2004年),真正ID法(2005年),経済臨床用健康情報技術法(2009年),と続いた。
これらの法律名を一覧すると,プライバシー保護という課題が,行政,通信,金融取引,医療,教育,娯楽,防犯,国家安全保障など,あらゆる分野で関心の対象になったことが理解できる。これにともない,プライバシーという用語はまたもや多義的になった。
多義的な定義はじつは役に立たない。これを避けるためには,その多義性を括る上位の定義が必要である。それはどんなものか。この無謀ともいえる試みに応えたのがOECDであった。OECDはすでに1980年に「プライバシー・ガイドライン」を制定し,ここで「個人データ」という概念を導入し,それを「識別された,あるいは識別されうる個人に関するすべての情報」と定義し,これをプライバシー保護の対象とした。
EUは1995年の「個人データ保護指令」においてこの定義を継承し,ここに氏名,写真,電子メール・アドレス,口座情報,投稿情報,医療情報,IPアドレスなどが含まれる,とした。
社会変動は続いた。まず,行政,医療,電力,通信,水道,金融など重要インフラが,その保有する個人データを,より多量に,より多様へ,と膨らませている。
くわえて,民間セクターにおける個人データの利用が多様化している。これをキーワードで示せば,監視カメラ,GPS,サーチ・エンジン,行動ターゲティング広告,SNS,著作権管理,電子マネー,認証サービス,ストリート・ビュー,ライフ・ログ,データ・マイニング,サイバー・テロということになるだろう。
これらの技術,サービス,アプリケーションを駆使しているのが,アマゾン,フェイスブック,そしてアノニマス,ということになる。その中心にグーグルがある。
このような環境のなかで,21世紀になると,人びとは人並みの生活を維持するためには,そのグーグルに頼らざるをえなくなった。というのは,グーグルの検索エンジンにかからなければ,その人はこの世界に存在しないことになるからである。したがって「グーグルは人類史上,プライバシーについてもっとも厄介な課題を示した」ことになる。これは情報工学者エドワード・フェルテンの言葉である。話がそれるが,そのフェルテンは,著作権のコントロールを研究の自由に反するとして訴訟をおこした研究者でもある(『情報管理』45巻11号810頁の拙稿参照)。
このような環境では,もはやOECD流,EU流の定義は,一般的にすぎて,有効に機能しない。ふたたび,個人データに関する分類学が求められるようになった。
この視点で探してみると,2006年に,ダニエル・ソルベという法学者がプライバシー侵害について新しい類型を提案している。それを紹介しよう。第1の型は監視,第2の型は個人データの操作,第3の型は秘密の暴露,第4の型は私事への介入,となる。1つの試みである,といってよいだろう。
もちろん,米国政府もEU当局も試行錯誤的に新しい定義を模索している。2012年,米国は「追跡拒否(Do Not Track)の権利」という定義を,EUは「忘れてもらう権利及び抹消する権利」(Right to be forgotten and erasure)という定義を,それぞれに設けた。前者は「ネットワーク社会における消費者データ・プライバシー」という大統領府の文書に,後者は「EU個人データ保護規則提案」という文書にある。いずれも,民間の事業者が個人データを収集し,それを操作することを前提にしている。
じつは,1940年に,すでに今日の状況を予見した詩人がいた。その詩人はW.H.オーデンであり,その予見は「無名の市民」という作品に示されている。最後に,それを紹介しておこう(ただ,私には文学的な素養はないので,隠喩,引用,修辞,韻律などについては無関心を通させていただく)。
統計局によれば,彼は公的な異義を申し立てたことがなかった。すべての記録は,彼が模範的市民として共同体に参加していたことに同意している。彼は引退するまで解雇されることなくファッジモーター社の工場で働いた。組合は彼が組合費を支払ったと報告している。社会心理学の専門家は彼が人付き合いよく,呑み会を好んだことを発見した。新聞社によれば,彼は新聞を毎日購読し,広告に人並みの関心を示した。警察は,彼の名前を高額保険の加入者名簿に見つけている。健康カードは彼が1回のみ入院したことを示している。プロデューサーズ・リサーチ社とハイグレード・リビング社は,彼が蓄音機,ラジオ,自動車,冷蔵庫を保有していたと主張している。世論調査会社は,彼が平和な時代にあっても戦時にあっても,その時代に相応しい健全な意見の持ち主であった,くわえて,結婚し5人の子供を儲けた,としている。教師は彼が従順であったと報告している⋯⋯。
詩人はグーグル時代のプライバシーの姿を70年も前に予見していた。