Journal of Information Processing and Management
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Exploring legacy literature
Whither the telecommunication sovereign right?
Kotaro NAWA
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2012 Volume 55 Issue 9 Pages 684-687

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1970年代,「越境データ流通」(TDF: Transborder Data Flow)という現象が注目されるようになり,これにともなって「通信主権」という言葉が使われるようになった。TDFとは「2か国以上のあいだで情報を移動あるいは処理するために,電子的にコード化された情報のユニット」と定義されるものであった。そのTDFを支えるものが国際的な電気通信ネットワークということになる。なお,上記の定義は,『スタンフォード・ジャーナル・オブ・インターナショナル・ロー』のTDF特集号に示されたものである。

国際電気通信の制度には,いっぽうにおいて国際的な規律が必要な面と,さりながら各国の裁量に委ねられる面とがあった。後者を「通信主権」と呼んだ。

それは当時の国際電気通信条約(ITU条約)にも示されていた。そこには「電気通信の良好な運用により,諸国民の間の関係及び協力を円滑にする」という文言と「電気通信を規律する主権を十分に承認する」という文言が並んで示されていた。あとの文言が「通信主権」を支える根拠となった。つけ加えれば,まえの文言に注目した主張が「情報の自由流通」という理念になる。

ITU条約にいう「電気通信を規律する主権」とは国の安全にかかわる場合,あるいは公序良俗に反するメッセージに対する場合などについて,たとえば通信路を切断できるための権利と解されてきた。

ただし,電気通信には本来国際的な調和が不可欠であり,およそここには政治的な要因など介入するはずがないと信じられてきた。つまり,原則は自由な流通,ということであった。

だから,電気通信に関する技術標準,運用手続,料金制度などについても,原則のみITUが示し,実施は各国の法律に任せるという仕組みになっていた。だが,これをだれも当然のことであるとみなしていた。

問題は,ここにコンピュータや通信衛星という新しい技術が割り込んできたことにあった。この新しい技術に関しては,米国の企業が圧倒的な強さをもっている。したがって,自由流通の原則を放置すれば,ここに乗じて米国の企業が自国に侵入してくる。米国以外の国々は,これに危機感をもった。ここにTDF問題が生じた。

それは,自国の情報システムが外国の情報システムに依存するリスク,自国の情報システム市場が外国の情報システムの参入によって奪われるリスク,この2つを意味した。たとえば,前者に対しては情報資源――例,データベース――の自立が,後者に対しては通信産業の保護――例,外資系企業の参入規制――がそれぞれ求められた。いずれも通信主権がからむものとなった。

「通信網を掌握することができれば,国は他国の支配を避けることができ,国内の経済主体に対して十分な自由を保障することができる。⋯⋯データベースの創設は国家主権の至上命令である。なぜならば,情報を借用することで満足することは,文化的隷属を受諾することに等しいからである」(輿寛次郎訳)。これはフランスの大統領府が1978年に発表した『社会の情報化』――通称『ノラ&マンク報告』――の主張であった。

この報告はつぎのようにも言っている。「テレマティークは情報すなわち権力を運ぶ」,また「テレマティークは経済の均衡に影響を与えたり,権力関係を変えたり,国家の支配権をめぐる賭の対象を拡大したりするだろう」と。「テレマティーク」(télématique)とはこの報告が編み出した造語であり,それは「電気通信」(télécommunication)と「情報処理」(informatique)を結びつけたものであった。

もう1つ紹介しよう。「カナダの通信システムは,1930年来,最大の危機に直面しており,カナダの文化的主権が脅かされている。衛星,光ファイバー,コンピュータの発展により,米国からのテレビ番組,電気製品の侵入が始まっている」。こちらは,カナダの通信省による報告――通称『クライン報告』――であり,1979年に発表された(『情報管理』49巻8号452頁拙稿参照)。

話を整理したい。情報の自由流通と通信主権とはたがいに反する理念である。前者の推進派は米国,後者の支持派がその他諸国,であった。問題は,前者の言い分に理があることにあった。このために反対派は単独で,あるいは結束して,対抗理論を磨き上げなければならなかった。

まず,通信主権をコンピュータ・ネットワークにまで及ぼす試みが示された。米国通商代表部(USTR)は1983年に,このような国として日本,フランス,西ドイツ,カナダなど29か国を名指しで非難している。それぞれの国が,法律や行政措置によって,米国籍のコンピュータ・ネットワーク・サービスの参入を阻んでいる,というのであった。

じつは,USTRの批判はITU,UNESCO,OECDなどの国際機関にまで及んでいた。ITUは電気通信サービスの供給側の国際機関――いわば国際カルテル――であり,したがってその需要側となるコンピュータ・ネットワーク事業には冷淡であった。

UNESCOはTDFを北の諸国による新しい帝国主義であると非難した。そのスローガンは「新世界情報秩序」であった。

OECDはTDFに対して並々ならぬ関心をもっていた。まず1980年に『プライバシー保護と個人データの越境流通についてのガイドライン』という勧告を発表した。この文書は個人データのTDFについて,その安全を確保し,保護規制の相互主義を図れと示していた。これがその後,TDFに関する国際的なデファクト基準となる。

1981年,その情報・コンピュータ・通信部会は「コンピュータ社会の脆弱性」について討議し,ここで「国益に関する国際問題」として次の論点を示した。(1)製品・サービス等の外国からの供給,(2)越境処理にかかわるプライバシーと通信主権,(3)システム障害のドミノ効果,(4)情報格差,(5)遠隔探知,(6)法の衝突,(7)データ戦争,(8)データ流通の拒否,(9)国際収支。

が,OECDの反TDF活動は1985年までであった。この年にOECDが発表した『TDF宣言』には「プライバシー」の語句は本文にはなく,前文に残るのみであった。その骨子は,TDFに対する不当な障壁を排除するとしていた。

この後,TDFのフォーラムはGATT――後のWTO――に移る。1986年,ウルグアイ・ラウンドが始まり,その論点はサービス貿易の自由化へと移り,ここに電気通信とその関連サービスも含まれるようになる。同時に,OECDもITUも取り残されてしまった。

時期を同じくして,電気通信の分野にインターネットが侵入してくる。そのインターネットは在来の法制度が及ばないままに米国社会に普及し,そのまま国際化してしまった。くわえて2000年代後半になるとクラウド・コンピューティングが出現し,その多くがオフ・ショアのサービスとなった。このような環境のなかでTDFは日常化し,その規律について多様な課題が生じた。

たとえば,A国では違法な情報がB国のサーバーによってサービスされるというようなTDFが,著作権保護,プライバシー保護,児童ポルノ禁止,犯罪捜査など多分野にわたって生じるようになった。

特に犯罪の抑止については,2001年に欧州連合がサイバー犯罪条約を提案し,それは2007年に発効した。2012年には32か国が批准している。TDFに関する政策的な合意が多くの国にとって不可欠なものになった,ということだろう。通信主権は犯罪の抑止という特定分野においていったんは国際的な合意を得たかに見えた。

だが,話はさらに進む。米国は2009年に「サイバー・コマンド」を設置した。NATOも2008年に「NATOサイバー防衛センター」を設けた。TDFが交戦用の武器になった,ということだ。

この型の主権を,だれに対して,どんな意図に対して,どんな行為に対して行使すればよいのか,現実にはこれがかならずしも明らかではない。それらの相手は,多くの場合,民間部門にあると推測される。この分野では,実証的なデータも少なく,対応策の先行事例も少ない。通信主権はここでは相手を見失ったことになる。

もう1つ,難問がある。TDFを支えるインターネットの管理資源をだれが支配するのか,という課題である。

2005年に世界情報社会サミット(WSIS: World Summit on the Information Society)が開催された。その主催団体はITUであり, その主題は「デジタル・デバイド」であった。ITUはここでインターネットについても影響力を及ぼそうという思惑をもち,その主題の「デジタル・デバイド」は,冷戦終結後に冷却していた南北格差問題をここで復活しようという南側諸国,さらには新しく台頭してきた中国などの意図が秘められていた。

この会議の1つの成果は,インターネットの管理について討議するフォーラム(IGF: Internet Governance Forum)を設けたことである。それは複数の利害関係者によって組織され,その利害関係者には,政府,民間部門,市民社会,インターネット技術者コミュニティが含まれる,とされた。

ところで,インターネットの管理資源としては,第1にIPアドレスとドメイン・ネームが,第2にその管理を一元的におこなうルート・サーバーがある,ということになる。これらには,実質的には米国政府が影響力をもってきた。IGFはこの影響力に反発し,その解消を求めてさまざまな提案を試みたようである。その1つが,インターネットの管理をITUという政府間機関に移せ,という中国などの議論である。

だが,IGFは意思決定権をもたない組織であるために,この議論は現在にいたるまで漂流し続けているようである。

2009年,ドメイン・ネームとIPアドレスを一元的に管理している米国籍の組織ICANNは米国商務省と新しい取り決めをした。この文書を見るかぎり,米国政府の影響力は,あるとも,ないとも,読める。通信主権の概念は,ここでは拡散し,希釈したかにも見える。

参考資料

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