2014 Volume 57 Issue 1 Pages 43-46
今年(2014年)1月30日,国立国会図書館において「日本研究支援シンポジウム」が開催されました。「海外の日本研究に対して日本の図書館は何ができるのか」と題されたこのシンポジウムでは,北米,ヨーロッパ,オーストラリア,韓国からそれぞれライブラリアンや研究者が集まり,それぞれの国・地域での日本研究の現状と課題が報告・議論されました。同じ趣旨のシンポジウムは1年前にも開催されている注1)のですが,前年と同様,まるでコピペでもしたかのように再び議論の中心となったのが,日本語図書・資料のデジタル化が進まない,アクセスが改善されない,という問題です。
海外には,日本について専門に研究する研究者や,日本とかかわる職業に就く専門家,日本に興味をもち大学等で学ぶ学生などがいます。アメリカで日本の社会構造について研究する研究者,ヨーロッパで日本の芸術や宗教について調べる専門家,東南アジアで日本の近代化の経緯と経済について学ぶ学生,などです。彼らや彼女らが日本に関する研究成果を生み出すなど,何らかのアウトプット・発信をしていくことで,世界における日本理解が深められていきます。そういう意味では,その支援は日本自身にも影響が及ぶ問題であると言えます。私が所属する国際日本文化研究センターは,主に学術・研究の面から,海外の日本研究を支援し協力するという役割をもっています。
研究のもとになるのが日本の図書・資料,インターネットの情報などです。国を越えての資料・情報へのアクセスにはさまざまな困難や障壁が伴います。紙の図書に替わり容易かつ効果的なアクセスが期待できるのが,デジタル化・オンライン化された資料・情報です。しかしその日本のデジタル資料,日本製e-resourceが深刻と言えるほど不足している,あるいは特に海外からのアクセスが進まない,という現状があります。
図1注2)は,北米にある東アジア図書館(中国・日本・韓国の各言語の資料を扱う図書館)の図書・電子書籍・電子ジャーナルの所蔵数・契約タイトル数です。紙の図書に比べ,特に日本の電子書籍のタイトル数が中国語・韓国語に遠く及ばない,という現状がわかります。
今回のシンポジウムでもそうでしたが,海外の日本研究者・ライブラリアンと話をすると必ずと言っていいほど日本製e-resourceの少なさが問題としてあげられます。特に人文系の学術書・大学教育向け図書としての日本語の電子書籍が不足しています。雑誌についてはオープン・アクセスやリポジトリでの公開も増え好評ですが,一方で各分野の基本雑誌や総合誌(商業誌)が乏しく,「なぜいらないものから電子化されるのか」との声もあります。
少ないだけでなく,研究に必須の日本製データベース類について,海外からのアクセスという想定外のニーズに躊躇(ちゅうちょ)してか,場合によっては“契約させてもらえない”という問題もありました。この“壁”を解消するため,たとえば北米の日本研究ライブラリアンのグループ注3)では日本の機関・企業とともに交渉・調整を続けるなど,10年近くにわたる粘り強い努力が行われてきました。結果,近年ではいくつかの有用なデータベースが海外の各地域にも普及しつつありますが,やはりそもそも数が足りない,というのが実情です。
この問題は,契約もののe-resourceだけでなく,公的機関のデジタル・アーカイブにも起こりえます。
2014年1月,国立国会図書館が「図書館向けデジタル化資料送信サービス」を始めました。これは国立国会図書館がデジタル画像化した図書・資料約130万点を,公共図書館・大学図書館等の端末に配信してオンラインで見ることができるようにする,というサービスです。著作権は切れていないが絶版等で入手困難な戦前・戦後の図書が多数収録されている極めて有用なデジタル・アーカイブなのですが,残念ながら法的な理由から海外の図書館はその対象になっておらず,アクセスできません。今後どのように対応されるのかが気になるところです。
では国内の図書館やユーザであれば気にすることなくサービスを享受できるでしょうか。2014年1月21日にサービス開始が広報された当時,サービス実施館としてリストアップ注4)されていたのは約20館,申請・手続き中を含めても90館台とのことでした。この原稿が公開される頃にはもっと増えていることを期待したいですが,全国で大学図書館が約1,700,都道府県および市区立の公共図書館が約2,600ある注5)という数字と比べると,積極的な参加がなされているとは言えないのではないでしょうか。ニュースを見たユーザから問い合わせを受けて,このサービスを初めて知ったという図書館もあったと聞きます。ユーザのニーズはともかく,そのサービスを仲介するべき各図書館にも越えなければならない何かがあるように思います。
国立国会図書館には「近デジ」の愛称で知られる近代デジタルライブラリーというサービスもあります。こちらはユーザ自身がアクセスできるオープンなデジタル・アーカイブです。2013年夏から2014年初頭にかけて,それまで公開されていた『大正新脩大蔵経』『南伝大蔵経』(著作権保護期間満了)が出版社等の訴えにより取り下げられるということが起こりました。その後の検討の結果,前者は公開,後者は停止となっています。
e-resourceやデジタル・アーカイブなどの環境整備は,海外ユーザへ届くかどうかだけでなく,学術研究,そして社会の知的生産を支えることができるかどうかの問題だと思います。それが不足している,整備が進まない。なぜか。
この問題を考えるとき,個々の特定の組織・存在,個々の案件の当事者“のみ”にその原因や解決を求めることには,違和感を覚えます。デジタル環境の整備を進めることは重要ですが,同時に,必ずしもそうはいかない個別の諸事情というものがあるだろうことも,また理解できるからです。
話は少し変わりますが,2013年10月から2014年1月にかけて,イギリス・ロンドンの大英博物館で,日本の春画を集めて公開するという春画展が開かれました(図2)。大英博物館やロンドン大学が所蔵する春画に加え,日本からも国際日本文化研究センターなど複数から提供されました。約9万人の入場者を集め,現地新聞等でもかなりの高評価を得た催しです。しかし,同様の春画展を日本で開催することはいまのところできていません。日本での巡回展のため,関係各者がいろいろな相手と調整・検討を行っていたようですが,実現に至りませんでした。
この件に関し,ある春画関係者の方がこのようにおっしゃっていました。すなわち,開催できないことについて,どこの館がとか,どこの機関・役職が,というように,特定の誰か・どこかに責任や原因を求めるのは適切ではないだろう。それ以前にそもそもこの国の社会全体が,「春画を公開展示する」ことに何か仮想の敵,見えない恐怖をつくりあげ,その前で躊躇してしまっている。その躊躇を払拭する空気づくりがなければ解決にはならないだろう,と。
デジタル環境の整備が進まないことにも,これと同じことが言えると思います。
誰かに訴えられるかもしれない,何かの権利を失ったり損したりするかもしれない,具体的な理由は何もないけれども,もしかしたら何か不都合が起こるかもしれない。そのような見えない恐怖の前の躊躇,仮想の敵の前の萎縮。そういうもののためにわれわれは,デジタル化・オンライン化・オープン化を推進していこうという社会全体での合意形成・空気づくりに,いまだに失敗したままなのではないでしょうか。
それがないままで,特定の当事者――停止を訴える権利者や公開・仲介が進まない機関・図書館・出版社“のみ”に原因を求めても根本的な解決にはならないでしょう。同様の問題が個別に発生し続けることになるかもしれません。先に紹介した北米のライブラリアングループの1人が,「データベースの契約のための交渉・調整に10年かかった。電子書籍でもまた同じことを繰り返さなければならないのか」と懸念していました。電子書籍に限らず,個々の問題の繰り返しが生じないような“引きの画”での解決が望ましいのではないでしょうか。
“寄りの画”で見たときの個々の案件について,説得力のある解決とその蓄積を積んでいくこと注6)。そしてそれだけでなく,問題を大きく覆うようにとらえて,“引きの画”で見た社会全体での合意形成を求め築いていくこと。そういう2つの視点が必要ではないかと思います。
江上 敏哲(えがみ としのり)
国際日本文化研究センターにて図書館司書として勤める(情報管理施設資料課資料利用係長)。京都大学(1998年~),ハーバード・イェンチン図書館(在外研修・2007年)を経て,2008年より現職。また玉川大学,立命館大学,同志社大学にて非常勤講師。著書に『本棚の中のニッポン:海外の日本図書館と日本研究』(笠間書院,2012年)。