2018 Volume 60 Issue 10 Pages 730-734
インターネットという情報の巨大な伝送装置を得,おびただしい量の情報に囲まれることになった現代。実体をもつものの価値や実在するもの同士の交流のありようにも,これまで世界が経験したことのない変化が訪れている。本連載では哲学,デジタル・デバイド,サイバーフィジカルなどの諸観点からこのテーマをとらえることを試みたい。「情報」の本質を再定義し,情報を送ることや受けることの意味,情報を伝える「言葉」の役割や受け手としてのリテラシーについて再考する。
第8回で取り上げる時事問題は,発生パターンによってメディアから提供される情報が異なることから,タイプ別に情報のあり方を考える。情報利用者の心得として押さえておくべき基本的な情報の側面についても解説する。
誰でも,毎日,さまざまな情報に接し,考え,判断し,行動していることを思えば,学者・研究者であるか一般市民であるかを問わず,日々接している「情報」について一度じっくり考えてみることは極めて重要なことであろう。「情報×時事問題」という課題を与えられた本稿では,そのような立場,観点から,時事問題を巡る情報について,どのようなものとして理解し,利用するか,ということを考えてみたい。
まず,時事問題とは何か,から始めたい。
「時事問題」は,広辞苑では,「その時,その時代の問題とすべき政治,外交,社会上の出来事」と説明されているが,最近では,「近年に起きた政治,経済,国際,社会一般における事象の総称」と説明しているものもある。このことから,時事問題として取り上げられる対象はほとんどあらゆる分野における出来事・事象に及ぶと理解されていると考えられるが,「その時,その時代の問題とすべき--------------出来事」という表現と単なる「近年に起きた-------------事象の総称」という言い方では意味合いが異なり,問題として取り上げるべき具体的な対象も異なりそうである。本稿では,前者の定義により,話を進めたい。
このように「定義」される時事問題は分野,性質などいろいろな観点から分類することができるであろうが,本稿では,その発生のパターンに着目して,(1)一度限りあるいは一過性の出来事・事象,(2)繰り返し,反復的,周期的に起こる出来事・事象,(3)不定期的に起こり,始まってから一定期間あるいは不確定の期間,問題状況が続き,また問題の内容も変化する出来事・事象,(4)その他,これらが複合した出来事・事象などのタイプに分けて考えてみたい。
タイプ(1)の「一度限りあるいは一過性の出来事・事象」には,たとえば,秋篠宮家の眞子さまの婚約のように必ずあると事前に想定されている出来事と,大災害やテロ事件のように事前に予想されなかった事件・事故などがある。また,タイプ(2)の「繰り返し,反復的,周期的に起こる出来事・事象」の例としては,政府の毎年度の予算編成,政策・事業の実施,各種白書や報告書の公表,景気動向等の定期的発表,各種式典,行事の開催などがある。政府,行政の活動にはこのような反復的,周期的なものが多い。衆議院,参議院の選挙もこのタイプに属する。そして,タイプ(3)の「一定期間あるいは不確定の期間にわたり問題状況が続く出来事・事象」の例としては,北方領土問題を巡る交渉,北朝鮮による弾道ミサイルの開発,核の開発などを挙げることができる。福島の原発事故は,事故の発生そのものは事前に予想されなかった一回限りの大災害であり,タイプ(1)といえるが,その災害の影響・問題状況が,現在も,そして,今後の不確定の期間続くというタイプ(3)の性質も有することから,全体ではタイプ(4)に属するということができよう。
時事問題をこのようにタイプ分けする理由は,時事問題のタイプにより,メディアを通じて一般市民に提供される情報の情報源,伝搬情報の作成・伝搬方法などに違いがあるように思われるからである。たとえば,眞子さまの婚約は,一度限りの出来事であるが,近々必ずあると予想された出来事であり,メディア各社は,大きなニュースとなる時事問題として,宮内庁からいつ正式の発表があっても対応できるよう,十分準備してきたことである。他方,事前に予想されなかった大災害,テロ事件などの場合,経験も準備もないため対応は混乱し,真偽の定かでない情報も多く,その流れも錯綜(さくそう)しがちとなるのである。
次に,情報の種類,情報源,情報の作成者,情報の伝搬者・伝搬の媒体,情報の利用者など,時事問題を巡る情報についていろいろな側面から考えたい。
次に,時事問題のタイプと情報のあり方について,例を使って考えてみたい。「時事問題のタイプ」の章の末尾で,眞子さまの婚約と大災害やテロ事件の例でタイプ(1)の時事問題の2つのパターンを説明したので,ここでは,タイプ(2)と(3)の時事問題の例を取り上げたい。
情報があふれる時代といっても,一般市民にとっては,各種のメディアを利用しなければ,必要な情報が得られないのが実際である。しかし,そのような情報を利用するに当たっては,心得ておかなければいけないことがある。いくつか書いておきたい。
第一に,さまざまなメディアから流れてくる時事問題に関する情報の中には真偽が定かでないものが少なくないということである。関心をもち,重要と考える問題について「どこかおかしい」情報と思ったら,同じ問題について扱っている他のメディアなどの情報と比較したり,その後の展開をフォローすることが重要である。報じられている情報の真偽を吟味することにより,次第に,各メディアの傾向や関心や信頼性などについても判断することができるようになる。また,選挙などの政治的時事問題の場合によくあるように,解説や意見がしばしば変わる解説者や評論家がいる。限られた経験と勘,近い関係にある特定の情報源から得た情報,断片的な情報を基に話していると思われる論者がいる。注意深くフォローしていると,発言などから判断して,それぞれの論者の考え方や立ち位置などがわかるようになる。このようなことに留意しながら,接する情報を受け止める必要がある。
第二に,前述のタイプ(2)の時事問題に関する情報についての重要なもう一つの心得であるが,政府の発表だからといってうのみにしないということである。このタイプの時事問題については政府の発表などが情報源であるものが多く,メディアを通じてその概要が報道されることが多いが,定期的に発表されるものについては,報道が前例をなぞったマンネリ化したものになったり,独自の十分な分析がされないまま流されるものが少なからずある。メディアを通じて流されているからといって,厳しいチェックを経ているとは限らないのである。また,政府では国民や企業などの反応や経済活動などに対する影響なども考えながら,発表のタイミングや内容を検討することもある。このようなことに留意しながら,気になることについては,自ら政府のWebサイトで詳しい内容をチェックしたり,専門家の詳しい分析や評価にもアクセスしてみることである。
第三に,時事問題の中には,重要と思われるにもかかわらず,メディアを通じて流れてくる情報があまりない場合があるということである。タイプ(3)の時事問題の場合,当初は各メディアが一斉に取り上げたものが,次第に扱いが異なるようになってくる。丹念にフォローし続けるメディアもあれば,全く取り上げなくなるメディアもある。大新聞は扱わず,週刊誌が取り上げるというような場合もある。取り上げられなくなったからといって,問題が収束したり,解決したとは限らない。そこには各メディアの判断が働いているのである。社会への影響や,場合によっては,政府の意向を忖度(そんたく)しているかもしれないのである。このような違いは,1つのテレビや新聞を見ているだけではわからない。いろいろと比較し考えてみることである。
以上,時事問題と情報についていろいろな角度から考えてみた。容易なことではないが,時事問題に関する情報の受け手,利用者であるわれわれは,賢くならなければいけない。いろいろなメディア,各テレビ局,各新聞等の情報を比較しながら,扱われている時事問題がどういうタイプ,性質のものであるか考え,流れてくる情報に何が含まれ,何が含まれていないか,どのような目的・意図・狙いをもって作成,発信されている情報であるかなど,いろいろ吟味し,よくよく考えなければいけない。このような想像力,推理力,そして洞察力は,経験の積み重ねと継続的な情報の収集・比較・分析の努力の積み重ねにより磨かれるものである。「点」だけであったものが,「点と線」になり,やがて「面」となって謎が解けるようになるのである。
1947年生まれ。1970年東京大学法学部卒業。1971年行政管理庁入庁後,米国シラキュース大学マックスウェルスクール,イェール大学管理科学部大学院に留学,MPA(行政学修士)取得。行政管理庁,大蔵省,総務庁,総務省,内閣官房等勤務。内閣官房行政改革推進事務局長,総務省情報通信政策局長,総務審議官,総務省顧問を歴任。2006年より政策研究大学院大学教授。同副学長を経て,現在,政策研究大学院大学特別教授,修士課程Young Leaders Programディレクター,グローバルリーダー育成センター所長。