2017 Volume 60 Issue 4 Pages 279-283
寄贈された図書が無事に収蔵されず,持ち主に返却されたり,廃棄されたりという事例が,今年(2017年)に入ってから2件大きく報道されている注1)。
1件は,岡山県高梁(たかはし)市で起きた寄贈図書の返却事件。高梁市は,2017年2月,いわゆる「ツタヤ図書館」と称される図書館と書店,カフェなどを併設する複合公共施設がオープンしたことで話題を呼んだ。
2006年,高野山大学名誉教授 藤森賢一さん(2005年逝去)の遺族が,藤森さんの蔵書約1万6,000冊を高梁市教育委員会に寄贈した。この図書には古典・国文学・外国文学の他,絶版になった哲学・仏教の専門書,高梁市の歴史に関する書籍が含まれていた注2)。
近年,高梁市は,天守(天和年間(1681~1684年)造設)が現存する唯一の山城である備中松山城でよく知られている。同城は,天守現存の山城の中で日本一標高の高い場所にある。藤森さんの蔵書には,江戸時代,この地を治めた備中松山藩や,幕末の同藩の財政再建を果たし,幕末の困難な政治状況をかじ取りしたとされる儒学者の山田方谷(やまだ ほうこく)注3)に関わる資料も含まれていたという。
寄贈図書は高梁中央図書館の蔵書として登録したものの,保管スペース不足から西に約8km離れた旧成羽高校体育館注4)に所蔵された。ところが,貸し出し時に同体育館まで取りに行く人員が割けないため,蔵書検索対象から外していたという。
新図書館開設に伴う蔵書整理で,同市教育委員会は,夏目漱石・内田百間(ひゃっけん)の全集,所蔵していない備中松山藩・山田方谷関連の書籍以外の廃棄を決定した。これを知った遺族がすべての返還を求め(2016年3月),2017年3月現在,市内の故藤森名誉教授の実家にすべてを置いているという。
一方,2017年4月27日には,2015年に京都市図書館注5)が「新京都学派」の代表的学者とされる故桑原武夫京都大学教授の蔵書を廃棄していたことが明らかとなった注6),1)。
1988年,京都市は,同市の名誉市民だった桑原さんの蔵書約1万冊を譲り受けた。一方,学術的価値が高い一部の蔵書は,京都大学などが保管することとなった。当初,同市は,市国際交流会館に桑原さんの書斎を再現し,桑原武夫記念室と名付け,そこで蔵書を保管した。2008年に右京中央図書館が完成した際,この記念室を同図書館に移し,蔵書は京都市図書館全体の図書と重複が多かったため,正式な登録をせず,旧右京図書館で保管したという。2009年,向島図書館2階の倉庫に移した。
ところが,倉庫では段ボール箱約400箱に入れたまま整理せず,不用本と一緒に置かれていたという。向島図書館の改修に伴い,保管が不可能となったため,施設管理担当の職員が右京中央図書館の副館長に相談した。このとき,施設管理担当の職員は箱の中身が何か知らなかったという。一方,副館長は寄贈書と知りながら,伝えないまま廃棄を決定した。最終責任者の市教育委員会施設運営課長は,中身を確認せず,他の不用本とともに廃棄を決め,蔵書は古紙回収に出されたという注7)。
学者が所蔵・活用した書籍・雑誌等の文献は,一般の図書館利用者からみると,単に古びて,書き込みや線が引かれた,「汚れた」書籍・雑誌等にみえるかもしれない。
ところが,歴史学者や書誌学者・文献学者,アーキビスト(以下,歴史学者やアーキビスト等),あるいはその専門分野の学者の観点からみると,学問・思想の受容プロセスを観察したり,学者の思想形成を理解したりするこの上ない資料であるうえ,論文化されなかったかけがえのない深遠なアイデアの宝庫である。
写本・印刷本の所蔵者や収集・購入日等を示す蔵書印等は,その書籍・雑誌等の来歴を明らかにする。ある学者がどのような書籍・雑誌等を所有していたか,また,いつそれらを購入・入手したかという情報は,学者の思想形成を再現するうえではとても重要である。また,学者と学者の間の影響関係を解明しようとする場合,とても重要な手掛かりになる。
そして,所有者・利用者の書き込みや線引きを見れば,彼らがその書籍・雑誌等の何に注目し,何を考えたかが明らかになる。
たとえば,『誰も読まなかったコペルニクス』2)は,コペルニクスの「天球の回転について」(De Revolutionibus Orbium Coelestium),初版・第二版の稀覯(きこう)書の行方を追い,その書き込み等を調査した書誌学的研究である。科学史家・ジャーナリストのアーサー・ケストラーは,科学革命期の学者たちは同書を「誰も読まなかった」と称した。ところが参考文献2による詳細な検討で,「誰も読まなかった」どころか,科学革命期の人々に広い影響を与えていたことが解明された。
また,数学者フェルマーは,古代ギリシャの数学者ディオパントスの『算術』(1621年ラテン語版)を読み,数学的着想を得るとその余白に書き込みを残す習慣があった。フェルマーの最終定理と呼ばれる数的関係に関する予想も,この余白に書かれたものであった3)。この予想は,フェルマーの生前には公刊されなかったものである。
つまり,ある学者が所有していた書籍・雑誌等は,その学者の思想を解明することに加え,同時代や先行する時代の学者との影響関係を解明するため,そして公刊されなかった手稿(マニュスクリプト)と同等またはそれに近い学問上の意義を有する可能性が高い。
だから,特に桑原武夫のように,他の学者に大きな影響を与え,同時代の思想潮流において中心的役割を果たした学者の所蔵した文献が失われた事実は,桑原武夫の思想形成を研究する学者だけでなく,同時代の日本思想やフランス文学・ヨーロッパ史学等の研究を行う研究者にとって,極めて大きな衝撃だったことが容易に想像できる。
確かに,京都市の対応には疑問に思う点が少なくない。高梁市においては,蔵書を寄贈した遺族が事前に廃棄される可能性を知ることができたものの(運がよかったといえるだろう),京都市においては,貴重書として受け入れながら内容を確認しないまま(あるいは,その事実を知る者が他に告げる機会がないまま),不用本として廃棄してしまった事実がある。桑原武夫の思想形成や他の学者との影響関係を知るには,蔵書印や書き込みなどの書籍・雑誌等における思考の痕跡が重要だったとの後悔は当然あるだろう。救いは,蔵書目録が残っていたことかもしれない。
しかし,このように貴重な資料となりえたかもしれない書籍・雑誌等が廃棄された事実を嘆くのは後知恵にすぎない。また,現在の文化施設を支える経営基盤の状況や,制度的な現状から,関係者が最善を尽くしたとしても,学者が遺(のこ)し,自治体や公共図書館に寄贈された文献は,公共図書館にとって重荷にしかならない可能性が高いように思われる。
第一に,公共図書館をはじめとする文化施設には,予算と空間の制約という問題がある。桑原武夫の元蔵書が図書館の登録から外れた時点で,京都市図書館全体で蔵書できる許容量を超えたのではないかと,仲見満月は推測する4)。京都市の財政状況の悪化もあり(図書館の運営は財団法人京都市社会教育振興財団によるものの,京都市が同財団に提供する資金の抑制等が当然考えられる),予算的制約も強かったとみる。
空間と予算の制約は,重要な学者の寄贈書に限らず,寄贈書一般における問題で,一般家庭から公共図書館に図書寄贈を申し出ても,重複する図書や,内容が古くなった図書は所蔵する意義が少ないと判断され,住民・市民向けに売却されたり,廃棄されたりすることとなる。公共図書館は,一般の寄贈書に関しては,このような措置を行う旨を掲示等で知らせている。
第二に,公文書や地方・地域史資料以外の人文学資料を,保管・研究する恒常的組織が存在しないという課題があるように思われる。学者がかつて所蔵しており,蔵書印が押され,書き込みがされた印刷物(書籍・雑誌等)が寄贈されても,図書館・文書館・博物館の機能の隙間から漏れ落ちて,その保管が十分になされない可能性がある。
歴史的にみれば,図書館(Library, Bibliothéque, Bibliothek)は,書物全般を収集・保存・提供する施設である。出版物だけでなく,印刷物全般や写真,視聴覚資料,記録・文書類も図書館の収集対象であるとされる5)。
ところが,学者が所有していた印刷物(書籍・雑誌等)は手稿に次ぐ学術的価値があったとしても,保存の対象とされるのは印刷物そのものであって,付随的な情報は,図書館司書の主要な関心ではないと思われる。歴史学者やアーキビスト等が,歴史的文脈・学問的文脈の中で付随的な情報の価値を見定めることとなる。
一方,文書館(Archives)は,日本においては,国立公文書館をはじめ,外務省外交史料館・防衛研究所戦史研究センター史料室・宮内庁書陵部に加え,地方公共団体の公文書館,郷土資料館・歴史資料館等がある5)。また,文学者や研究者個人を記念する記念館が,手稿や蔵書などを保存する文書館的機能をもつことがある。国文学に関しては,国文学研究資料館がある。
しかし,地域史・郷土史に関わる資料や政治史に関わる資料注8)に関しては,国文学資料を除くと,今回のように,歴史的資料を保存・収集・整理する文書館は見当たらないように思われる。
さらに,博物館(Museum)に関していえば,歴史・芸術・民族・自然科学などの資料を収集するが,今回のような文書を収集・保管・分析することは,一般的には任務としないようだ5)。歴史に関わる資料も同時代の人々が遺した一次史料がメインで,その一次史料を分析・考察した学者の蔵書等を保存することは第一義の課題ではない。
そうすると,現行の制度の下では,学者の所蔵した文献資料は第一には図書館が保管に当たるのが適しているように思われるが,現在の公共図書館の機能からみると,相当に無理がある。
図書館法において,図書館は,「図書,記録その他必要な資料を収集し,整理し,保存して,一般公衆の利用に供し,その教養,調査研究,レクリエーション等に資することを目的とする施設」(2条1項)とされる。この定義による限り,資料保存はそれを「一般公衆の用に供して」,彼らの教養・調査研究・レクリエーション等に資することを目的とするから,桑原武夫の元蔵書のように,利用されない資料は保存の優先順位が下がるとの判断は,必ずしも責められない。
また,図書館司書の観点からみれば,図書館法に定められているとおり,公共図書館蔵書は一般公衆に利用されるべきものであるから,重複する図書の所蔵等も意義を認めることは難しいだろうし,書き込みや線引きは,一般に図書・雑誌の「汚れ」である。その図書・雑誌のもともとの情報を利用したいという利用者からみた場合,これらの「汚れ」はない方がよい。
すでにみたように,歴史家やアーキビスト等の目でみて初めて,書き込みや線引きが重要な歴史資料としてみえてくる。一般的に,空間・予算の制約がある公共図書館において,一般公衆の利用において,重要視されないだろう書き込みや線引きを保存する意義は,残念ながら高くないのではないだろうか。
公共図書館で学者の所蔵図書を受け入れることには限界があることを,まずは多くの人に知ってもらう必要があるだろう。図書といえば高価で貴重だった時代は過ぎ,社会における知識や情報のあり方も変容しつつある。すでにみたように,そもそも公共図書館の物理的空間・資金的制約は極めて強い。
例外的に,学者の所蔵図書を受け入れるという場合には,まずは書き込みやその他の記録の有無の調査も含めて,歴史学者やアーキビスト等が一定期間を使って目録作成を行うとともに,その保存をどのように行うか検討する必要があるだろう注9)。必要があれば,遺族と協議したうえで,適切な研究機関(文書館等)に保存を委託する。空間・予算の制約があっても,保存するという場合には,上記の調査結果を基に適切な保存措置を取る必要がある。また,そもそも学者の手稿や蔵書をどのように保存すべきか社会的合意がない中で,公共図書館に責務を負わせても,すでにみたようにその使命と齟齬(そご)をきたす。
一方で,大学文書館の役割の拡充という可能性も考慮すべきだろう。大学文書館において,その大学にゆかりのある学者の所蔵図書・手稿等を含む資料を収集・保存・分析する役割を担わせる可能性がある。ただ,この場合も予算と空間の制約が生じる可能性が高い。すべての学者の蔵書を受け入れるわけにはいかないのだ。
制度的隙間に落ち込んで,研究資料として一級の価値を有する学者の手稿・蔵書が廃棄された事態をみると,根本が主張するように5),図書館・文書館・博物館の定義を見直し,総合的な図書館法・文書館法・博物館法をつくる必要があるかもしれない。各地で学者の蔵書を公共図書館がいったんは受け入れながら持て余す事例をみると,調査研究を目的として,公文書以外の文書資料を収集・保存・分析する機関の位置付けが,まずは必要であると考えられる。
また,学者の知識体系の散逸を恐れる向きもあるかもしれないが,学者の蔵書は貴重だからこそ古書市場に放出すべしという考えもある。技術の哲学や科学思想史,技術者倫理などの分野で広く活躍した故坂本賢三千葉大学教授の蔵書は,没後,複雑な経緯をたどって,天理大学図書館に所蔵されたと聞くが,生前彼は,「死後蔵書は古書市場に出してほしい,そうすれば,本当に必要としている人の手に届くから」とおっしゃっていた。
確かに,知識の流通と活用を促進するだけでなく,重要な書籍・雑誌等であれば,古書市場がその市場価値を保ちながら保存してくれるだろう。それだけの目利きが古書の世界には現在も残っているように思われる。
知識は使われてこそ,社会にとっても学者など個人にとっても生きると考えるか,ある種フェティッシュな記念物として蔵書や手稿を考えるか,という思想・感性の対立も,この問題の背景にはあるのかもしれない。